中庭に振り続ける雨はほとんど雨音がしないくらいに小降りになっていた。
その中庭の面した縁台で春嬌の嬌声が響きわたった。
「……はあ、はあ、はあ……、ち、畜生……ふ、ふざけるな……」
朱姫が責め手を休めると、がっくりと脱力した
いま春嬌はさっきまで宝玄仙が腰掛けていた椅子に全裸のまま縛りつけられている。
ただし、両腕は後手縛りであり、胴体が椅子の背から離れないように縄で縛られていた。
また、両脚は左右の椅子の手摺に膝をあげて固定されており、朱姫のさんざんのいたぶりで真っ赤に充血して濡れた股間が曝け出されている。
そんな格好で意気込んでみたところで、滑稽なだけだと沙那は思った。
「そんなこと言うと、また筆ですよ、春嬌」
朱姫がにこにこしながら春嬌の股間にすっと筆を伸ばす。
「ひいっ──、も、もう、それはやめてっ」
朱姫の持っている筆が近づくと、春嬌の顔にあった反抗の表情が一瞬で消滅し、春嬌は戦慄めいた身震いをして、激しく顔を歪めた。
「あたしも、ご主人様も残酷な仕返しは嫌いなんです。だから、鞭の代わりに筆を使ってあげているんですよ。そんな嫌な顔をしないで感謝して欲しいですね」
朱姫が言いながら真っ赤に充血している春嬌の肉芽に筆の穂先を這わせだす。
春嬌の身体がしっかりと蕩けだした様子を示し始め、はっきりとした切ない声と鼻息を洩らし出した。
「あふああっ……」
春嬌の眼が一転して虚ろになった。
快感を覚えると春嬌は、朱姫の『縛心術』で暗示のかかった状態になる。
朱姫がそう擦り込んだのだ。
沙那は、相変わらずの朱姫の手管と『縛心術』の冴えには舌を巻く思いがした。
こうやって朱姫は、春嬌をいたぶりながら訊問をさせたのだ。
『縛心術』にかかった状態になれば、春嬌はどんなことでも正直に白状した。
「まあ、こいつは棒や鞭で身体を打たれたって大して屈服もしないだろうけど、官能責めには耐性はないようだね。わたしらに色責めにされるのが本当に悔しそうじゃないかい」
“椅子”に座っている宝玄仙がよがりだした春嬌の姿に哄笑した。
「……ところで、
宝玄仙が顔を長女金に向けた。
「そうですねえ……。実際のところ、使ったのはこれが初めてなので、よくわかりませんが、聞いていた効果によれば半日くらいは持つはずなんですが」
「そうかい……。だったら、念のために薬剤を追加しておくか。孫空女、“椅子”の連中に『魔女殺し』を舐めさせな──。朱姫は春嬌だ」
宝玄仙が言った。
「わかりました──。じゃあ、春嬌には女の穴にたっぷりと『魔女殺し』を塗ってあげますね……」
朱姫がそんなことを言いながら、卓に乗っている小瓶に手を出して指先に薬を載せた。
そして、春嬌の大股開きの股間に薬剤の載った指をずぶずぶと入れる。
「あはあ……ば、馬鹿な真似は……」
春嬌はなんともいえないような悲鳴をあげて、椅子に拘束された身体を揺さぶって肢体を痙攣させた。
朱姫の手管が凄いことは沙那自身も骨身に染みこまされている。
ただ指を入れているだけでも、朱姫は巧みに快感の場所を探り当てて、そこを責めたてるのだ。
春嬌も指一本でよがり狂った姿を見せている。しっかりと意識はあるのだが、快感を受けている状態では、朱姫の言葉に逆らえなくなるらしい。
「ほら、お前らも舐めな。逆らったらまた蟻責めだよ」
孫空女が言いながら小皿にとった薬剤を
麗芳と綺芳はいま宝玄仙が座っている椅子になっていた。
容赦のない蟻責めから解放された二匹は、丸くうずくまった姿勢で並ばされ、宝玄仙はその二匹の身体を椅子代わりにして、二匹の尻の間に座っているのだ。
道術が一時的に遣えなくなったとはいえ、二匹ともかなりの手練れであるはずなのだが、麗芳も綺芳も蟻責めで生気を失わされた状態になってしまい、大した拘束もしていないが、動くことなくじっと“椅子”の役割に耐えている。
いまも孫空女が蟻責めの言葉を出すと、顔に恐怖の色を浮かべて、すぐに与えた薬剤をぺろぺろと舐め始めた。
「さて、ところで、沙那、もう、こいつに訊問することはないかい?」
宝玄仙が沙那に視線を向けた。
訊問を開始して一刻(約一時間)というところだが、すでに訊きたいことは訊ね終わり、あらかたの情報は吐き出させて訊問もひと段落したところだった。
三人を責める場所は、中庭の真ん中の立木から屋根のせり出した縁台の上に変わっていた。
訊問をするのは沙那であり、沙那が質問をすると朱姫が春嬌を筆責めして、暗示のかかった状態にする。
そして、春嬌から情報を訊き出す……。ということをずっとやっていた。
それを綺芳と麗芳を椅子にした宝玄仙と、その横に立つ孫空女が見守り、得られた情報を長女金の持っている知識と付き合わせるというかたちだ。
そろそろできあがることだろう。
「いいえ、大丈夫です。もう、情報は十分に得たと思います──。それにわたしたちも準備をしなければなりませんし」
沙那は言った。
「そうだね。それにしても、
宝玄仙が言った。
「もしくは、賽太歳と話し合って、自発的にご主人様たちにかけた道術の封印を解いてもらうかですね」
沙那は言った。
春嬌から知り得たことは、賽太歳という妖魔王は、実際には非常に不安定な霊気の持ち主だということだった。
大きな霊気を持っていることには間違いがないのだが、宝玄仙や朱姫のように、その霊気は安定せずに、常に霊気の高い状態から低い状態の振幅を繰り返している。
宝玄仙に言わせれば、いくら霊気が高くても、霊気の高さを一定に保てなければ、道術の効果は出せないらしい。
それを補うのが、腰にいつもぶらさげている腰鈴のようだ。
鈴のかたちをしているが、れっきとした霊具であり、あの腰鈴があることで賽太歳の霊気は一定している。
それで賽太歳は道術を発揮し続けることができるのだ。
宝玄仙の言うとおり、その霊具を壊しさえすれば、宝玄仙の道術は元に戻るだろう。
そのときは、麒麟山を封鎖している炎の城壁や妖魔の里を覆っている多くの妖魔王の結界も消滅するに違いないが……。
そのとき、春嬌がひと際大きな声を出して絶頂の仕草を示した。
「もう、うるさいわねえ。少し、静かにさせてよ、朱姫──」
沙那は思わず怒鳴った。
「ほら、沙那姉さんに怒られたじゃないですか、春嬌……。じゃあ、しばらく声がでないようにします……。ほら、春嬌、あたしの眼を見るんですよ……。三つ数えます。すると、声が出なくなりますよ……。三、二……一……」
朱姫が春嬌に『縛心術』をかけ直した。
春嬌は戸惑った表情で口を開けたり閉じたりしている。
おそらく声が出せなくなったのだろう。
「……ところで、朱姫、お前は道術を遣えないけど、霊具は遣えるんだよねえ?」
不意に孫空女が言った。
「もちろんですよ、孫姉さん」
「つまり、その指にずっとしている『変身の指輪』も使えるってことだよね?」
朱姫の指には『変身の指輪』と朱姫自身が呼んでいる変身霊具がある。
これは宝玄仙の作った変身具と同じような効果があり、変身したい相手の体液を舐めれば、その相手の姿そっくりになれるのだ。
「使えますけど、なにか策でもあるんですか、孫姉さん?」
「そうなんだよ……。ねえ、その『変身の指輪』を使った策をあたしも考えたんだけど聞いてくれないかい?」
突然、孫空女が言った。
「馬鹿は黙ってな、孫空女。頭を使おうなんて、馴れないことをするんじゃないよ。お前は、沙那の指示する策に従って、得意の棒を振り回していればいいんだよ」
宝玄仙がぴしゃりと言った。
「そんなあ……。ちょっと策を思いついたんだよ。聞いてくれたっていいじゃないか」
孫空女が頬を膨らませる。
「……そ、そうね。聞くわ。どんな策なの、孫女?」
沙那は言った。
「う、うん……。つまり、朱姫の『変身の指輪』で、朱姫が春嬌に変身するのさ。そして、賽太歳を寝屋に誘うんだ。ほらっ、こいつは賽太歳を調教したことがあって、弟の賽太歳と寝たこともあるんだろう? だから、春嬌に変身した朱姫が賽太歳を寝取るんだ。抱き合うときには服を脱ぐだろう。服を脱ぐためには腰帯を外さないといけないじゃないか。そうすれば、腰鈴を手放す。それをこっそりと近づいて奪ってしまうのさ」
孫空女が得意気に言った。
「ほう、馬鹿のわりにはなかなかの策じゃないかい」
宝玄仙が感心したような声をあげた。
「そうだろう。あたしだって、二年ばかりは盗賊団の頭領だったんだよ。隊商から物を奪うために策くらいは考えたものだよ」
孫空女が嬉しそうに笑った。
「どうやって賽太歳を寝屋に誘うの? 春嬌の話によれば、賽太歳と春嬌がそういう男と女の関係だったのは、随分と昔のことで、いま賽太歳は
沙那は言った。
「そ、それは……む、昔はそういう関係だったんだから、うまく誘えばいいんじゃないかなあ……」
孫空女はしどろもどろになった。
「難しいんじゃないのかなあ。それに、いきなり春嬌が誘ったりすれば、却って怪しむんじゃない」
「だ、だったら、金聖姫に化ければいいんだよ。ほらっ、金聖姫にはあいつもぞっこんなんだろう。朱姫が金聖姫に化けて賽太歳を誘惑すれば一発だよ。その間にこっそりと近づいて……」
「変化のためには朱姫が金聖姫の体液を飲まないといけないわ。どうやって、金聖姫の体液を確保するかは置いといても、寝屋にこっそりとほかの誰かが近づくのは難しいんじゃないのかなあ。腰鈴を外すときは警戒もしているだろうし……」
沙那は考えながら言った。
いずれにしても、孫空女の案では、妖魔城に忍び込むことが必要だ。もっとも、
また、長女金は一箇月ほどの妖魔城の監禁生活だったが、ある程度の警備の穴や弱点は調べあげていたようだ。
長女金と羅刹に案内させれば、妖魔城に入り込むことも不可能ではないかもしれないが……。
「ほら見な、孫空女──。やっぱり、お前はもうものを考えるんじゃないよ。馬鹿はいつまでたっても馬鹿なんだよ」
宝玄仙が笑いながら言った。
「ひ、ひどいなあ……」
孫空女が頭を掻いた。
「どっちにしても、長女金が脱走したことはそろそろ発覚する頃よ……。賽太歳が、長女金とわたしたちの関係を知っていれば、長女金の脱走の目的がわたしたちを助けるためだということは容易に予想すると思うわ。そうすれば、なんらかの行動をとるんじゃないかしら」
沙那は言った。
「つまり、待っていれば、賽太歳は向こうからやってくるということかい、沙那?」
「そう思います、ご主人様。なんだかんだで賽太歳は、姉の春嬌を大切にしているようです。その姉が人質に取られたとあっては、行動せざるを得ないでしょう──。だったら、こちらから交渉の札を切りましょう。麗芳か綺芳のどちらかに妖魔城に行かせて、春嬌を人質に取ったことを伝えさせます。交渉は、妖魔王自らでなければ応じない……。そう伝えさせます。十中八九、妖魔王の賽太歳は自らここにやって来ると思います、ご主人様」
沙那はきっぱりと言った。
そのとき、屋敷の奥から羅刹が手に皿を持ってやってくる気配がした。
「みなさん、朝食の支度ができました」
羅刹が卓の上に大きな皿に載った軽食を置いた。
*
『移動術』で春嬌の屋敷に跳躍した賽太歳の眼に映ったのは、素っ裸で椅子に開脚縛りにされている変わり果てた姉の姿だった。
そして、そこ横には宝玄仙だ。
宝玄仙の背後には確か孫空女という名のはずの赤毛の女が立っている。
宝玄仙には、ほかにも沙那と朱姫いう女傑もいるはずだがその姿はなかった。
春嬌に捕らえられた四人を救出したはずの長女金の姿もない。
賽太歳は、腰鈴に手をやって、道術を振るった。
待機させていた百人ほどの妖魔兵が『移動術』でこっちに飛んできた。
春嬌の屋敷の中庭に面した場所で春嬌を人質にしている宝玄仙たちを武装した妖魔兵が囲む態勢ができあがった。
「お前がやってくるということは、麗芳に託した伝言は届いたようだね、賽太歳」
宝玄仙が言った。
このとき初めて、賽太歳は宝玄仙が腰掛けているのが、裸の雌妖だということに気がついた。
あれは春嬌の部下のひとりの綺芳だろう。
その綺芳が四つん這いになり、それを椅子代わりに宝玄仙は腰掛けているのだ。
宝玄仙は黒い上衣をくるぶしまである黒い下袍に身を包み、綺芳に跨っていた。
「姉を返してもらいますよ、宝玄仙」
賽太歳は言った。
手摺に両膝を載せて縛られている春嬌は、賽太歳の姿を見てもなにも反応しない。
どうやら、なにかの術をかけられているようだ。
宝玄仙にしろ、朱姫にしろ、ふたりの道術は賽太歳が封じている。
どうやって、春嬌に術をかけているのか不思議に思った。
いずれにしても、春嬌の様子は『縛心術』をかけられている状態に違いない。
「こいつの股に張形が入っているのかわかるかい、妖魔王?」
宝玄仙が言った。
確かに、無表情の春嬌の曝け出されている股間には、黒い張形の端が見えていた。
しかも、かなりの責めを受けたのだろう。
春嬌の股間は真っ赤に充血してたっぷりの愛液でびっしょりと濡れていた。
姉をそんな風に扱っている宝玄仙たちへの激しい怒りが込みあがったが、懸命にそれに耐えて賽太歳は平静を装った。
「……これはただの張形じゃないよ。中には火薬がびっしりと仕込んである。こんな悪趣味な霊具は、こいつのものだけど、この屋敷にはそういうものがたくさんあるのさ。お前に道術を封じられているけど、霊具なら遣えるんだ。わたしの道術でこいつに仕込んでいる霊具は吹っ飛ぶよ。ちょっとでも、わたしに道術をかけようとする気配があれば、わたしは容赦なくこいつの股間をふっとばすよ」
宝玄仙がにやりと微笑んだ。
宝玄仙がかなりの力を持った道術遣いであることは、その道術を封印している賽太斎自身がよくわかっている。
腰鈴の霊具の力を最大限に使わなければ、賽太歳自身の霊気では封印もできなかったくらいなのだ。
賽太歳が道術を遣おうとすれば、その気配を察するのに一瞬もかからないだろう。
宝玄仙を無力化するよりも、宝玄仙が春嬌の股間に込めた霊具に霊気を注ぎ込む方が速いに違いない。
「交渉に応じるつもりですよ、宝玄仙殿──。あなたに害を加えるようなことをしたのは間違いでした。いまは反省しているのです……。あなた方は、立派な女将校である長女金を助けただけで、罪になるようなことはしていない。そのあなた方に二度も道術を封じるような真似をしてしまいました……。それは姉や兄に頭のあがらない僕の弱さでした。道術はお返しします」
賽太歳は頭をさげた。
「だったら、話は早いね。封印したわたしと朱姫の道術を解きな」
「姉を解放してもらうのが先です、宝玄仙殿」
「馬鹿を言うんじゃないよ、妖魔王──」
宝玄仙が大きな声で笑った。
「わたしがそんなお人よしに見えるのかい? 先にこいつを解放したら、お前が道術の封印を解くという保証がどこにあるんだい?」
「僕の言葉──。それだけじゃ不足ですか?」
賽太歳は静かに言った。
「当たり前だよ──。なんの抵抗もできない金聖姫を二年間も監禁していたぶっている卑怯者の言葉なんて信用できないんだよ。ぐずぐず言わずに封印を解きな。姉を吹っ飛ばすよ」
宝玄仙の言葉にさすがに賽太歳は鼻白んだ。
「……そ、それは金聖姫を浚ったという行為については、なにを言われても仕方ありません。しかし、二年が経ち、金聖姫も僕という存在を憎からず思ってくれるようになったと思います。僕は、これを期に金聖姫を正式の妃にしようと考えています。いままでは、姉の反対でしなかったのですが、今回のことは、妖魔王としての役割と姉弟の情を一緒にしてしまった僕の弱さにあると悟りました。僕は姉弟の情は捨てます。その証しが金聖姫を正妃にすることです。金聖姫を正妃にすることで、僕は春嬌にも有来有去にも、僕が独立した存在であることを示します」
「そんなことは好きにしな。あんな碌でなしの王の娘のことなんて知ったことかい……。それよりも、道術を解くんだよ。わたしは気が短いんだ」
宝玄仙が苛々した口調で言った。
「……僕が道術を返したら、間違いなく春嬌を解放するという保証が欲しいですね」
賽太歳は言った。
「そんなものは、わたしの言葉だよ」
宝玄仙はにやりと笑った。
賽太歳は一度、大きく嘆息した。
「……ところで、長女金の姿が見えませんね。それにあなたのほかの供の方も」
「ほかの供って誰のことだい?」
宝玄仙が惚けた。
賽太斎は、小馬鹿にされたようで腹がたった。
「沙那と朱姫ですよ。そして、長女金です。長女金が脱走したのはあなた方を助けるために違いないのですから……。あなた方のことはよく知っているんです。白ばっくれて無駄な時間を使うのはやめましょうよ」
すると宝玄仙の頬に浮かんでいた薄笑いが消えて真顔になった。
「やっぱり、お前はわたしたちのことをよく知ったうえで、春嬌に引き渡したんだね……。春嬌にわたしらを託せば、こいつの気性ならいずれは殺してしまうとわかっていただろう?」
宝玄仙が険しい表情で睨んだ。
一瞬だけ、賽太斎は言葉を失った。
しかし、すぐに平静を取り戻す。
「質問に答えてくれていませんね。長女金はどこです? 金聖姫が寂しがっているんです。連れ帰らなければね」
「交渉の札を全部見せるつもりはないよ……。それに、長女金をお前に渡したら、あいつを折檻するだろう? なにせ、あいつは、お前の姉の屋敷を襲撃して、監禁されていたわたしらを解放したんだ。お前からすれば叛逆もいいところだろう?」
「粗相には罰を与えます。それが奴隷の躾ですから……。でも、殺しはしません。安心してください。金聖姫には長女金が必要だと思いますから……」
「長女金は奴隷じゃないよ──。ふざけるんじゃないよ、妖魔王」
「それもあなたには関係のないことでしょう。道術は返しますよ──。それでいいじゃありませんか。長女金は、死ぬまでこの妖魔の里に留まってもらいます。金聖姫に仕える者としてね」
賽太歳は言った。
金聖姫も長女金もこの妖魔の里のことをよく知ってしまっている。
もはや、返すわけにはいかない。
そういう意味では、眼の前の宝玄仙も同じだ。
賽太歳は、一度でも
いかなる情報も麒麟山から外には出さない。
それで妖魔の里と人間の世界に一線を画しているのだ。
「……お前はわたしの伝言が届くまで、長女金が脱走したことに気がつかなかったようだね。長女金とわたしたちの関係も察していたようだし、あいつが脱走すれば、その目的はここだとわかったはずだ。それなのに、お前が行動を起こしたのは、わたしが伝言を持たせて発した麗芳が妖魔城に到着してからのようだね……」
宝玄仙は言った。
「ええ、金聖姫は長女金の脱走には早朝には気がついたようです。でも、それを庇って隠していたんですよ。だから、朝食を持っていった雌妖にも脱走はわからなかったのです……。ですから、金聖姫には罰を与えているところです。まあ、奴隷の躾ですね」
賽太歳はうそぶいた。
「……金聖姫は奴隷じゃなくて、妃にするんじゃなかったのかい?」
宝玄仙が睨んだ
それで、賽太歳は自分がつい本音を喋ってしまったことに気がついた。
宝玄仙が賽太歳の顔を見透かすように眺めている
「お、同じことでしょう」
「ねえ、やっぱり、こいつは卑怯者だったね、ご主人様」
ずっと黙っていた孫空女が口を開いた。
「……そんなことはわかっていたさ。長女金に言わせれば、金聖姫もこいつにのぼせかけていたらしいが、監禁している者とされている者が、疑似恋愛の感情を抱くというのは珍しいことじゃないのさ。まあ、こんな小心者で意気地のない男とはさっさと離して、正気に戻してやるのがいいんだろうね」
宝玄仙が肩をすくめた。
賽太歳はかっとした。
「き、金聖姫はどこにもやらないよ。あいつをどうしようが僕の勝手だろう──」
賽太歳は声をあげた。
「ほらほら、どんどん地が出てくるじゃないか。それがお前の本音だとわかれば、金聖姫もがっかりするんじゃないかい」
宝玄仙が大きな声で笑った。
賽太歳は歯噛みした。
「……さあ、もう、お喋りは終わりだよ。道術を戻しな。ここにはいないけど、朱姫の分もね──。そうすれば、春嬌は返してやるよ。こいつにはもう、用事はないんだ」
「長女金も返してもらいますよ」
「あいつはわたしたちが連れ帰る……。い、いや、あいつがどうするかはあいつが決める。お前の知ったことじゃないよ──。さあ、もういいだろう、道術を戻しな」
賽太歳は大きく息を吐いた。
これ以上の交渉は無理だろう。
長女金の行方はわからないが、それは後で探せばいい。
どうせ、麒麟山にいる限り、いずれはわかる。
少なくとも『炎の城壁』に近付けばわかるのだ。
そうすれば再び捕らえてしまえばいい。
この腰鈴がある限り、『炎の城壁』は健在だし、それに近付く者は探知できる。
宝玄仙たちが最初に麒麟山にやってきたときもわかっていた。
それで、四人の行方を追っていた姉の春嬌に正確な居場所を報せもしたのだ。
「姉の縄を解いてください。それで道術は返します」
賽太歳は言った。
宝玄仙が背後の孫空女に頷く。
孫空女が春嬌を拘束していた縄を解いた。
手摺に跨らせられていた縄が解かれて椅子から離される。
さらに後手縛りの縄も解かれる。
春嬌は孫空女に促されてその場に立ちあがった。
賽太歳は腰鈴を鳴らしてその力を発揮させ、宝玄仙と朱姫を封印していた道術を解放した。
「ふふふ、やっと戻って来たよ。わたしの道術がね……」
宝玄仙が込みあがってきたものに耐えられなくなったかのように笑い声をあげた。
「約束ですよ、姉を……」
「わかっているよ。行きな、春嬌──」
宝玄仙に裸身を押されて、春嬌がゆっくりと歩き出した。
まだ、『縛心術』にかかっているようだが、それは賽太歳の力で簡単に解除できるだろう。
春嬌が宝玄仙から離れると、すぐに賽太歳は『結界術』で、宝玄仙と孫空女を覆った。
これで宝玄仙は賽太歳の結界から外には出られない。
賽太歳の結界は、内側に向かって作用させている。
宝玄仙は結界の外に道術を発揮することができないし、外には出ることはできない。
賽太歳は手をあげた。
武器を持った妖魔兵たちが一斉に矢を宝玄仙に向けた。
賽太歳が封鎖しているのは、内側から外側への出入りだけだ。
外からのものは一切の遮断はない。
「どういうつもりだい、妖魔王?」
宝玄仙が声をあげた。
しかし、宝玄仙も孫空女も賽太斎の結界に閉じ込められている。
道術で逃亡することは不可能だ。
「もちろん、死んでもらいます」
賽太斎は合図をした。
数十本の矢が宝玄仙と孫空女に向かって放たれた。