宝玄仙とお蘭が落ち着いたのは、昼に近い頃だった。
沙那と孫空女は、随分と前に食事を終わり、片付けも済ませた。
宝玄仙には、お蘭との性交の最中に、箸で口に入れて食べさせた。お蘭には、宝玄仙が口移しで食べさせていた。
「はあ、はあ、はあ……。き、気持ちよかった……。や、やっぱり、お宝姉さんの調教は最高……。ね、ねえ、魔域に行くなんてやめなさいよ……。ず、ずっと、ここで一緒に暮らそう……。い、一生懸命にかしずくから……。ほ、本当に奴隷になってもいいわよ……。奴隷の首輪も嵌める」
汗びっしょりのお蘭が肩で息をしながら言った。
そのお蘭はいまは服は着ていない。
宝玄仙が脱がせてしまって、その辺に散乱していたのを沙那と孫空女が畳んでいて、それはお蘭のそばにある。
しかし、いまは、突っ伏していて起きるのも辛そうだ。
「馬鹿なことを言うんじゃないよ。さっさと施術をしな」
宝玄仙が言った。
「はい、はい……」
お蘭は深く息をした。
横になったまま、腕だけを動かす。
すると、宝玄仙の身体から三個の金色の幼児の拳くらいの球体がころころと出てきた。
あれが、魂の欠片なんだろうか。
「お、お前、なんで勝手に三個も作ってるんだい。一個でいいんだよ。一個で──」
宝玄仙が叫んだ。
お蘭が驚いて顔をあげた。
「な、なんで? わたし、一回しかしてないわよ。一個しか欠片はできるわけないもの」
「だったら、なんで三個もあるんだよ。まったく、呆けて施術を間違ったね」
宝玄仙は怒っているが、これは宝玄仙が悪い。
そもそも、お蘭を半日近くも犯したりしなければ、お蘭も施術を間違わなかっただろうし、あるいは、少し休ませてから施術をすれば、三個も出さなかったと思う。
「……い、一度に三個もできないわよ……。そんなに連続で魂を分離できないわ。おかしいわねえ……。それに、これ……。三個とも別の魂みたいよ。お宝姉さんのはこれね……。でも、ほかのふたつって……」
お蘭は首を傾げている。
手に持ってのは、三個のうちのひとつだ。
ほかは手元に引き寄せて、目の前に置いている。
「まあいいよ。それがわたしのなら、さっさと、沙那に入れな。このわたしの魂だ。たっぷりと霊気を吸い続ける。これで沙那は霊気が充満した身体になるはずさ」
「まあね。じゃあ、沙那殿……」
お蘭に呼ばれた。
寄っていくと、胸を出せというので、胸元を拡げて乳房を出す。
すると、すっとお蘭が球体を押しつけた。
あっという間に、さっきの金色の球が消滅する。
「も、もう終わり?」
びっくりするくらいに呆気ない。
だが、終わったようだ。
「終わりだよ。あとは、その欠片が定着するのを待つだけだ。まあ、二、三日もすれば、霊気が身体に充満して、どんな霊具も遣えるようになる。なんといっても、わたしの魂だからね。いい武具も作ってやろうか」
宝玄仙が口を挟んだ。
「いえ、間に合ってます」
沙那は服を直しながら、首を横に振った。
宝玄仙の作る武具など、淫らな仕掛けがあるに決まっている。
「そうかい」
宝玄仙はただ笑った。
「でも、残りはどうするの?」
お蘭は二つの球体を手にして途方に暮れた顔をしている。
「知らないよ。適当に処分しな」
宝玄仙は言った。
お蘭は首を傾げながら、球体を消す。
特殊な方法で保管したのだろう。
そして、服を身につけ始めた。
まだ、かなりだるそうだ。
しばらくして、やっと服装を整えると、今度は一転して、いずまいを正した。
「ところで、お宝姉さん、そもそも、なんで魔域なんて行くのよ。あそこは人外地よ。妖魔、すなわち、亜人しか住まない場所よ。そんなところに巡礼なんてありえないでしょう」
お蘭が改まったように言った。
「仕方ないだろう。行けっていう教団の命令なんだから。わたしはこれでも、高位の道術の遣える三蔵の異名を持つほどの法師だからね。わたしなら、なんとかなると思ったんだろう。これも布教活動さ」
宝玄仙は笑った。
しかし、お蘭はむっとしたような顔になった。
「馬鹿げているわ。そもそも、角の生えた亜人族を妖魔とか、魔族とか称して虐殺の対象と見なしている天教を、その亜人たちに布教するとか、あり得ないわ。誰が考えても、この巡礼には裏がある。教えてよ。なんなら、わたしが協力するから。わたしと姉さんが組めば、教団が相手でもなんとかなるわ」
「つまんないことを言うんじゃないよ。相手はこの国の最高権力と結びついた宗教教団だよ。ふたりだけでなんとかなるわけないさ」
「とにかく、訳を言って──。なんで、お宝姉さんがこんな危険な巡礼を命令され、そして、文句も言わずに受けたのか──」
お蘭が怒鳴った。
すると、宝玄仙の顔から笑みが消えた。
「そうだね。ちゃんと説明するかい。そろそろ、ふたりにも言わないとならないと思っていたし、実は、お蘭にも頼みたいことがある……。だけど、それはともかく、説明した後で、お前ら逃げようとしたら、承知しないよ」
宝玄仙が沙那と孫空女を睨んだ。
「逃げませんよ……」
「大丈夫だよ……」
沙那と孫空女は溜め息とともに言った。
そんなことが可能とも思わない。
もう諦めている。
それにしても、宝玄仙の秘密……。
異常なくらいに、天教の施設に関わるのを避けるような宝玄仙の西行行脚の旅……。
絶対に、なにかあると思っていた。
「……帝都で八仙のうちの三人が死んだ。一度にね。その話は知っているかい?」
そして、宝玄仙がおもむろに語りだした。
「あ、ああ、そういえば、病死だとか……」
沙那は思い出して言った。
愛陽で宝玄仙に騙されて捕らわれる少し前に、そんな報せが軍にも届いたような気もする。まあ、離れた帝都のことだったし、そんなこともあるかぐらいにしか思っていなかったが……。
なにしろ、八仙というのは、天教の最高峰であり、全員が齢百をはるか前に超えたような老人だと耳にしていた。だから、歳をとって死ぬなんてこともあるのだろうなと思った。
宝玄仙がやって来たときには、三十歳にも見えないような美しい女性の姿に驚愕したものだった。
それはともかく、八仙というのは、天教の最高幹部である。
八仙というくらいなので、基本的には八人なのだが、この帝国だけでなく、周辺諸王国にも拡がっている天教は、その八人の合議が最終意思決定なのである。
目の前の宝玄仙もそのひとりだ。
とても、そんな大それた人物には思えないが……。
「冗談じゃない。八仙といえば、全員が道術を極めたような大法師だよ。ちょっとやそっとの病気や怪我くらい自分で治してしまう。簡単に死にはしないよ。ましてや、三人同時になど」
「あいにくと、わたしも世間のことには疎くて……。なにしろ、ここに閉じこもっているばかりだし、外の報せといえば、ここにやって来る居住希望者から知らされるくらいよ。だけど、天教の八仙が三人死んだ。それがどうかしたの?」
お蘭が宝玄仙に言った。
「これは天教が隠していることだがね……。でも、帝都では当たり前に誰でも知っている。そのうちに、教団の箝口令も効果がなくなって、噂は全土に拡がるだろうさ。三人は殺されたんだ。正確には、ひとりがふたりを殺し、そいつは自殺をした。自分の睾丸を引き千切って喰ったんだ。凄まじい死に方だろう?」
宝玄仙が大笑いした。
沙那は眉をひそめてしまった。
ちょっと、想像してしまったのだ。
「確かに凄まじいと思うけど、それがどうかしたの? その自殺をした八仙の男が狂ったというだけのことでしょう」
お蘭がちょっと苛ついた調子になった。
「なにを言っているんだい、お蘭。狂ったりするものかい。そいつは八仙の中の八仙。帝仙とも称される男でね。
「殺されたって、姉さん……」
お蘭が訝しむ表情になる。
沙那もはっとした。
天教最高峰の八仙の内の三人の死……。
宝玄仙の逃避行とも呼べるこの旅……。
それが沙那の中で結びついたのだ。
つまり……。
「犯人として、疑われたのはわたしだよ。なにしろ、わたしには強い動機があるのさ。連中を殺すね……。だけど、その手段はない。さすがのわたしも、闘勝仙には道術で劣るし、そもそも、さまざまな手段をもって、わたしはあいつに逆らえないようにされていた。それも、密かに知られていたことでね」
宝玄仙がにやりと笑った。
そして、言葉を続けた。
「……わたしは、闘勝仙を含めて死んだ三人の性奴隷だったのさ……。罠を使われて、逆らえない道術をかけられた。二年間もね」
「えっ、性奴隷って──。ご主人様が──?」
孫空女が声をあげた。
沙那もさすがに、それは驚愕した。
だが、宝玄仙の顔は冗談を言っている雰囲気はない。
お蘭も呆気に取られている。
「……いろいろと、させらたねえ。それこそ、徹底的になぶられたよ。連中は、直接抱くのに飽きたら、自分たちの息のかかった手下のような者に抱かせたり、秘密の宴をして見世物にしたり、ときには、動物とまぐわせて、酒の肴の笑いものにもしたよ……」
宝玄仙はあっけらかんと言った。
沙那たちは言葉を失った。
*
「信じられないよ……。ご主人様が性奴隷って……」
孫空女が唖然とした顔で言った。
宝玄仙は軽い感じで肩をすくめた。
「そうだよ、孫空女……。まあ、とにかく、いろいろと、させらたねえ。それこそ、徹底的になぶられたよ。連中は、直接抱くのに飽きたら、自分たちの息のかかった手下のような者に抱かせたり、秘密の宴をして見世物にしたり、ときには、動物とまぐわせて、酒の肴の笑いものにもしたよ……」
宝玄仙はあっけらかんしている。
だが、沙那たちは言葉を失った。
宝玄仙はさらに続ける……。
「……お前らがやられた十日間など、わたしに比べれば生易しいものさ。わたしは二年間だ──。毎日だよ──。自殺さえ禁じられた。わたしの道術は、連中に対しては無効にされ、命令に逆らえば、気が狂うような苦しみが襲うようなこともされたね……。十日に一度以上、三人の精と小便を飲まないと発狂するようないき狂いになる呪いをかけられたんだ。逆らえば精と小便がもらえないわたしは、連中の玩具さ……」
「な、なんで、そんなことを……。ご主人様とその闘勝仙は、敵対してたんですか?」
沙那は訊ねた。
なにがあって、そんなことになったのかと思ったのだ。
宝玄仙は肩を竦める仕草をした。
「敵対というほどじゃなかったけどね。わたしは、生意気だった。八仙は同列というけど、闘勝仙は別格に道術が高かったから、本当は上下はないんだけど、闘勝仙は天教会の王のように振る舞ってた。わたしは、それが気に入らないから無視してたんだ。その挙げ句がそれさ……」
「ひどいよ」
孫空女が憤慨している。
「……好きなように犯され、大勢の男、あるいは女の嬲り者になった……。ときには動物にだって……。馬鹿げた宴に出さされて、醜態を晒されたり、天教の式典に出るときにも、媚薬や淫具を仕掛けられて、いたぶられたりもした……。屋敷にも乗り込んできてねえ。わたしが使っていた家人たちは追い払われて、連中の息のかかった者たちに入れ替えられたんだよ。蓄財だって使われ放題さ。それどころか、わたしの名で借金までしやがって……」
宝玄仙がふうと息を吐いた。
淡々と口にしているが、あまりにも壮絶な内容だ。
沙那たちには言葉もない。
宝玄仙が続ける。
「……わたしのものなのに、わたしは下着一枚もらうにも、土下座をして哀願をしなくちゃならなかったのさ……。その下着だって、なかなか与えられなかったよ……。わたしよりも遥かに力の劣る連中に、奴隷のようにかしずくように連中は命じたんだ……」
「ま、まさか、お宝姉さんがそんな目に……」
お蘭は呆然としている。
「まさかじゃないよ……。本当さ……。つまり、三人が殺されたとき、誰もがわたしを疑った。同時に、それはわたしじゃあり得なかった。なにしろ、わたしは連中に逆らえないようにされてたんだ。少なくとも、わたしの道術は連中には効果がない」
宝玄仙は、さらに、自分がどんな仕打ちを受けたかを語った。
沙那は、孫空女やお蘭とともに耳を疑った。
「わかったかい……。教団は三人を殺したのがわたしだと思っている。だけど、どうやって殺したのかがわからないから、捕らえることもできない。八仙のわたしを疑いだけでは捕縛できない……。しかし、帝都には闘勝仙たちと一緒に、わたしをいいように扱った者もまだ残っている。その連中はわたしを捕縛しろと喚いたよ」
「なんでだよ。悪いのは闘勝仙たちじゃないか」
孫空女が声をあげた。
「だって、わたしが自由にしているということは、そいつらも、いつ仕返しをされるかわからないと戦々恐々するしかないじゃないかい……。だから、教団はわたしに、西行巡礼の命令を与えた。事実上の追放令だよ。天教からすれば、わたしがどこかでのたれ死ねばいいと思っているさ」
宝玄仙はけらけらと笑った。
なんで、こんな話をしながら笑えるのか知らないが、宝玄仙は自分の壮絶な帝都での仕打ちについて、まるで愉しい思い出でも語っているかのように話す。
「そ、それで、それをお宝姉さんは、その追放を受け入れたということ……?」
お蘭が言った。
「ああ、受け入れたね。実際のところ、わたしが殺したのさ。闘勝仙を操り、そいつにふたりを殺させ、自分の睾丸をむしり取って喰わせたんだ。ざまあみろ──」
絶対にそうだと思った。
宝玄仙なら、それくらいの復讐をする。
でも、まだ疑念がある。
「で、でも、お宝姉さんにはその手段がないって……。連中に逆らうことを封じられていたんでしょう。道術も効果がないようにされたって……」
「ああ、そうだね。わたしの道術は効かない。どんな能力保持者でも、すべての者を操れるような操りの霊具でもあれば別だけどね。そんなものは存在しないし、存在したとしても、史上最高の法師と称された闘勝仙が自ら操り具を受け入れるというようなことをしなければ、その操りは成り立たない。教団も必死でわたしを調べたけど、なにもわからなかったよ……」
宝玄仙は言った。
だが、沙那には、宝玄仙がどうやって、その闘勝仙を殺したのかわかった。
いや、正確には、その方法はわからないが、その道具はわかったのだ。
人を意思に反して言葉通りに行動させる絶対の操り具……。
「奴隷の首輪」とは違う。
奴隷の首輪は、高位道術師には通用しないし、命令に逆らったら苦しみを感じるだけで、意思に反して行動をさせるというものじゃない。あれで自殺はさせられない。そういう支配具じゃないのだ。
沙那も、その存在を知らなかったあの霊具……。
自分が無知だから、知らなかっただけだと思っていたが、実は、帝都にある教団本部でさえも、存在が予想されていないほどの霊具だったのだ。
「服従の首輪……」
沙那はぼそりといった。
「あ、ああ、あれっ」
孫空女も合点がいった口調で声をあげた。
お蘭だけが、首を傾げたままだ。
沙那は、簡単に『服従の首輪』のことを説明した。お蘭は驚いている。
「あれは、この世に一個しか存在しなかった、わたしの究極の霊具だ。この前壊したから、もう存在していないけどね。わたしは、あれを二年近くかけて作ったんだ。いつか闘勝仙たちを殺すことを夢見てね……」
宝玄仙が大笑いした。
沙那は嘆息した。
「でも、よく発見されませんでしたね」
沙那は皮肉を言った。
その殺人の証拠を、宝玄仙は堂々と沙那の首に嵌めて嗜虐の道具に使っていたのだ。御影のときに、どうして慌てたように破壊させたのかもわかった。
「誰がわかるんだい。闘勝仙はいないんだ。残った八仙など、わたしからすれば小者だ。わたしが施した施術を見破って、霊具だと見破ることなんてできないさ。実際、わたしは、あの首輪を隠してなんかなかったよ。連中は、それを見ても、ただの金属の輪っかとしか思わなかっただけさ。隠蔽された霊気を見破れなかったのさ」
宝玄仙はけらけらと笑い続ける。
「お宝姉さん……」
お蘭は呆れたという顔をした。
「その結果、魔域への巡礼命令さ。実際のところ、教団に圧力をかけたのは皇太子でね。闘勝仙は、あの下衆男に何度もわたしを抱かせたのさ……。下品なやりかたでね。ついでに殺してやりたかったけど、まあ、勘弁してやった。いずれにしても、教団の命令は、ちょうどよかったよ。わたしもさっさと逃げたかったしね……」
「……それで、お宝姉さんはこれからどうするの?」
お蘭が静かに言った。
宝玄仙は肩をすくめた。
「とにかく、教団の手の届かないところまで逃げるよ……。本当のことを言うとね。闘勝仙を殺し終わったとき、逃げることはまったく考えていなかったんだ」
宝玄仙がぼそりと言った。
「えっ?」
沙那は思わず声を出した。
その宝玄仙の顔に、これまでにはない感情が浮かんだように思えたからだ。
「……闘勝仙を殺せれば、もう死んでもいいと思っていた……。服従の首輪だって、別に隠していたわけじゃない。普通に荷とともに置いていた。だけど、天教の連中には見破れなかった。てっきり、すぐに捕まると思ったのに、なかなか捕縛されないわたしは、それで初めて欲が出た。生き残る欲さ……。もしかして、死ななくて済むんじゃないかと思ってね……。そんなときに、捕縛じゃなくて、魔域への巡礼命令だ。わたしは二つ返事で受けたよ」
「冗談じゃないよ──。死ぬ必要なんかあるものか──。ご主人様が死ぬ理由なんて、これぽっちもない」
大声をあげたのは孫空女だ。
彼女は本当に怒っているようだ。
だが、沙那には思い出すことがある。
愛陽の城郭に宝玄仙がやって来たとき、どことなく宝玄仙は厭世的だった。孫空女が加わって、随分と明るくなった気もするが、それには、そんな背景があったのだと思った。
「ありがとうよ、孫空女。だけど、八仙殺しは大罪だ。ばれれば、ただの処刑じゃすまないよ。教団の力を総動員して、考えられる限りの残酷な手段で処刑になるはずだ。とにかく、帝国からだけじゃない。教団の手の届かない場所まで逃げなきゃ」
「わかっている。あたしたちに任せてよ。ねえ、沙那──」
孫空女がはっきりと言った。
沙那も頷く。
「……まあ、そういうわけだ、お蘭──。どこに落ち着くかは、これから考える……。西方帝国なんてのはどうかと思っている。耳にしたところによれば、人族と亜人族が共存している国ともいうしね……。そこまでに辿り着くまでに、どこか安住の地が見つかれば、それでもいい」
西方帝国……。
遥かな西だ。
この帝国を西に抜け、その属国の五王国をすぎる……。
さらに、黒水河、通天河という大河をわたり、この帝国でもよく知られていないさまざまな土地を踏破して、ずっと先にあるという帝国だ。
何年かかるのだろうか……。
いや、そもそも、辿り着けるのか……?
「まあ、ご主人様がそこに行きたいというなら、あたしたちも、一緒に行くだけさ」
孫空女が気楽な口調で言った。
沙那も苦笑するしかない。
だが、ひとり、お蘭はぽかんとしていた。
「そんな遠くに……」
そして、ぽつりと呟いた。
お蘭は完全に肩を落としていた。
西方帝国に逃げるなど、つまりは今生の別れということだ。
二度と会うことなどないかもしれない。
「……それで頼みがあるんだ、お蘭。本当は、沙那の魔法石のこともあるけど、これを頼みにきたんだ。いままでは、わたしが、こっそりと、やってきたことだけど、もうわたしにはできない……。だから、お前に頼みたい」
すると、宝玄仙が準備していたらしい小さな木箱を後ろから取り出した。
蓋を開くと、小さな水晶の方形体が現われた。箱の中には布で作られたふたつの窪みがあるが、そのひとつに方形体は埋まっていて、もうひとつの窪みは空だ。
「これは?」
お蘭が怪訝な顔になった。
「わたしたちの母親から奪った記憶を封印したものだ。もともと、ふたつあって、ひとつはわたしに関する記憶だったが、それは癇癪を起して壊してしまった。だから、もうあいつがわたしのことを思い出すことはない。だけど、お前に関する記憶はここにある」
宝玄仙はすっと方形体を箱ごと差し出した。
「えっ? ええっ?」
お蘭は目を白黒させている。
「これをあの女に戻せば、すぐに封印していた記憶が戻る……。とにかく、これを渡す。どうするかは任せる……。でも、どうも、あいつは危なっかしいからね。密かに守ってやってもいいし、これで記憶を戻して、また一緒に暮らしてもいい。いずれにしても、あいつを頼む。ただし、わたしの身内だということは隠し抜いておくれ。お前についてもね……。殺人はいずれ発覚する。迷惑がかかるはずだ」
宝玄仙がお蘭に頭をさげた。
「え、ええっ──。お、お宝姉さん。これって……。だ、だって、
お蘭が怒鳴った。
「
孫空女が口を挟んだ。
「わたしたちの母親のことさ。あいつは、お母さんとか、母者とか呼ばれるのが嫌で、娘にそう呼ばせていたのさ……。とにかく、お蘭、手段がないといったのは嘘さ。そう言わないと、お前も諦めないからね」
宝玄仙は笑った。
そして、沙那たちに、宝玄仙たちと母親の関係のことを教えてくれた。
宝玄仙によれば、ふたりの母はとんでもない女性だったらしい。
美人だったが享楽に溺れるのが大好きで、いつも複数の恋人がいて、ときには亜人と交わったりもしていたらしい。
宝玄仙もお蘭も父親は違う。
しかし、誰がふたりの父親かということはわからないらしい。ただ、少なくとも、違うということは明白なだけだ。それぞれのときの愛人がまったく違う男たちだったからだ。
そして、さっきも言っていたが、ふたりの母親が娘である宝玄仙とお蘭のことを性調教していたというのは事実だったようだ。
まだ童女だったふたりを自分の男に犯させたりもしたそうだ。
その母親にとっては、娘たちも、自分たちの享楽の道具だったのだという。
そういうこともあって、宝玄仙が一人前になる頃には、宝玄仙と母親の関係は最悪だった。その結果、宝玄仙は家を飛び出して、天教教団に加わった。
そして、さらに道術を磨き、すぐに若くしてかなりの天教の地位にもあがったのだそうだ。
また、宝玄仙はひとり立ちをすると、すぐに母親との縁を切り、自分と母親の関係を封印したらしい。
仲が悪かったというのもあるが、若くして出世する宝玄仙には敵も多かった。まあ、この性格のせいでもあるが、宝玄仙を陥れようと画策する工作もかなりあったのだそうだ。
その宝玄仙にとって、母親は困り者であり、頭痛の種だった。
なにしろ、その母親は、快楽のためなら、天教が人として認めていない亜人でさえも、交わってしまう。屋敷には亜人の召使、つまりは愛人もいたという。
亜人と性交するなど、天教教団からすれば、破門宣言のすえに、処刑命令をしてもおかしくはない行いだ。
それなのに、宝玄仙の母親は、それをあまり隠そうとしないし、それどころか、娘が天教の幹部だということも吹聴する。
宝玄仙は閉口したようだ。
そして、あるとき、決定的な喧嘩をした。
宝玄仙が地方寺院の寺院長をしていたときという。
母親のところにやってきた宝玄仙は、母親の見た目の若さを取り戻させ、しかも、老化をしないようにする代わりに、母親の記憶から、宝玄仙とお蘭の記憶を抜いたのだ。
宝玄仙ほどの術師だからできた道術だろう。
さらに、二度と亜人とは性交はしないという呪いも受け入れさせた。
母親は、いずれも二つ返事で応じたそうだ。
そのときに、お蘭は宝玄仙に引き取られた。それまでは、お蘭は母親の性奴隷のような立場だったという。
だが、それを境に、お蘭の「主人」は宝玄仙になった。
お蘭が十年間、宝玄仙に調教されたというのは、この時期のことらしい。
しかし、いろいろあって、そのお蘭とも宝玄仙は別れた。
お蘭は、母親のところに戻ろうとしたが、そのとき、やっと宝玄仙が母親の記憶を抜いたことを知ったという。
以来、お蘭と宝玄仙は、会うたびに喧嘩のようなことになった。
まあ、実際には、この里で会ったときと同じで、すぐに宝玄仙がお蘭をいたぶり抜く嗜虐になるのだが、宝玄仙が出て行くときには、またお蘭が癇癪を起すということの繰り返しだったそうだ。
だが、いま、宝玄仙は自分の母親から封印したはずの、お蘭に関する記憶を戻す手段をお蘭に渡した。
さらに、母親のことを頼むと頭をさげている。
もはや、二度とこの国には戻らないという宝玄仙の覚悟がそれでわかった。
「お宝姉さん……」
お蘭はまじまじと宝玄仙を見つめている。
「あの馬鹿女を頼むよ」
宝玄仙はにっこりと笑った。
「この里は、里の連中にあげるわ。お宝姉さんが立ち去ったら、わたしはすぐに御前のところに行く」
お蘭が決心したように言った。
「好きにしな」
宝玄仙は肩をすくめた。
だが、すぐに服を脱ぎ始める。
沙那は驚いた。
「な、なにをしているんですか?」
沙那は言った。
「なにじゃないよ。わかったろう──。これがお蘭との別れだよ。明日の朝まで三人とも嬲り抜いてやる。今夜は寝かさないよ」
「寝かさないって……。まだ昼前だよ」
孫空女がぽつりと言った。
「それがどうかしたかい……」
宝玄仙が微笑んだ。
そのときだった。
「ひいいっ」
「あひいっ」
「ううっ」
沙那たち三人は、ほとんど同時に悲鳴をあげた。
突如として、お尻の奥がものすごく痒くなったのだ。
痒いなんてものじゃない。
とてつもない痒みだ。
しかも、ずっと奥……。
お尻の中が痒いなど信じられないが、事実だ。
三人揃って、お尻を押さえて暴れた。
「先に素っ裸になって、わたしに尻を向けたものから、張形で痒みを癒してやるよ。一番最初はすぐだ。二番目は一刻ほど放置してからだ。三番目はさらに二刻後……。それまでのたうち回るしかないよ。自分で指を使ったって、絶対に届かないからね。道具も無駄だ。封印したからね。癒してくれるのは、わたしの操る淫具だけだ」
宝玄仙が高笑いした。
沙那は必死に服を脱ぎ始めた。
残りのふたりよりも早く裸にならないと、痒みで死んでしまう。
*
朝に出立しようとしたが、沙那たちが眼が覚めたときには、陽がかなり昇っていた。
昨日は、それほどに激しい行為だった。
別れに際して、お蘭は屋敷の外に見送りに立った。
「お宝姉さん、わたしの道術で遣えそうなものは、お宝姉さんにも術式を移したわ。魂の欠片の術だって、もう遣えるはずよ。きっとなにかの役に立つはずよ。それにしても、本当に行くの? 決心は変わらない? この里でも暮らせるわよ。わたしの結界術なら、たとえ、数万の帝国の軍隊がやって来ても、一歩も入らせはしないわ」
「何度も同じことを言わせるんじゃないよ、お蘭。できるだけ、お前を巻き込みたくないのさ。それに、わたしは、もう帝国なんて飽き飽きだ。どこかで、新天地を探すよ。それが西域なら、西域に行くだけさ」
宝玄仙が高笑いした。
お蘭が小さく嘆息する。
「わかったわ。里の外まで見送りたいけど、ここでやめるわ。今生の別れとは思わないわよ。まあ、わたしたちは長生きするだろうから、死ななければ、またいつか会うわ」
お蘭が言った。
宝玄仙がにやりと笑う。
「それはお前の予言かい?」
「違うわよ」
お蘭が顔を赤くした。
「予言?」
孫空女だ。
「ああ、お蘭は予言ができる道術師でね……。もっとも、予言といっても、よくわからないたわ言さ。だが、ありがたがる者も多いよ」
「姉さんだけよ。わたしの予言をたわ言なんていうのは……」
しかし、すぐにお蘭はその場で瞑想をするような仕草をした。
両手を胸の前で交差させて、じっと眼を閉じている。
「お宝姉さんを守る三人の女の供が見えるわ……」
お蘭が目を閉じたまま言った。
「わたしの供はこいつらふたりだよ」
宝玄仙が呆れたという声を出した。
「だったら、これから増えるのかもね……。黙って……」
お蘭が強く言った。
宝玄仙も口を閉じる。
「……道は難儀、苦難に限りなし……」
お蘭が突然に唄うように言葉を放ち始めた。
“道は
古き友は石を投じ、古き恋人は
骨は折れ、顔は潰れ、四肢は
獣同然の姿となって卑しき者の
さらに、偉大な
三人の供が身を守るが
裏切らぬと信じた者の裏切りで
全員が卑怯な敵の虜となる
だが、三個の宝がひとつになるとき
万の苦痛が消滅し
お前は、束の間の幸福を支配する”
お蘭が目を開いた。
宝玄仙は唖然としている。
「なんだい、いまのは? 相変わらず、なにを言っているかわからないね。わかるように説明しな、お蘭」
宝玄仙が怒鳴った。
だが、お蘭は困惑している。
「啓示よ、掲示……。啓示を受けているときに、わたしは、わたしであって、わたしじゃないのよ。説明を求められても困るわ……。あっ、また、なにか頭に浮かんだ」
お蘭はもう一度、さっきと同じように目を閉じた。
そして、口を開く。
“
「それはわかるね。お前らの清廉さは、どんどんなくなって、ますます淫乱になるということさ」
今度は宝玄仙が、沙那と孫空女を見ながら、喜んで手を叩く。
「やな、予言だね」
孫空女が不満そうに鼻を鳴らした。
(第6話『「呪い」の里』終わり)
*
【西遊記:19回】
猪八戒という新たな供を得た一行は、烏斯象国の国境を越えた浮屠山の仙人を訪ねます。
その仙人は、玄奘にこの旅が危険であるという予言を受けるとともに、旅に難儀すれば、いつでもここに戻ればいいと激励します。