「どういうつもりだい、妖魔王?」
宝玄仙が声をあげた。
しかし、宝玄仙も孫空女も
道術で逃亡することは不可能だ。
「もちろん、死んでもらいます」
賽太斎は合図をした。
一方で、向こうについては、孫空女が宝玄仙の前に立つ。
数十本の矢が宝玄仙と孫空女に向かって放たれ始める。
ふたりは、賽太斎の結界に閉じ込められているふたりはそれ以上逃げられない。
だが、宝玄仙の周りに道術が立ち込め始めたのがわかった。
『結界術』だ。
宝玄仙が改めて、道術防護のための結界を賽太斎が刻んだ結界のさらに内側に刻んだのだ。
矢がふたりに殺到している。
しかし、そのすべての矢が宝玄仙や孫空女に当たることなく、その場に落ちた。
賽太歳の結界は通過できるが、宝玄仙がその内側に自分の結界を刻み、矢がそれをつうかできないのだ。
どうやら、宝玄仙の結界は物理的な攻撃も阻止できる強力なもののようだ。
賽太歳は舌打ちした。
「やっぱり、お前は卑怯者だよ。最初からわたしらを解放するつもりはなかったんだね?」
宝玄仙が賽太歳を睨んだ。
「当然ですよ。攻撃が効かないのはわかりましたが、それでも閉じ込められればそれでいいです。道術が戻っても、結界の中じゃあ残念ながら道術は外には発揮できないですよね。結界の外から、あなた方をいたぶる方法は、また姉に考えてもらいます。結界から出たければ、もう一度道術封じを受け入れることです。さもなければ、そこで餓えて死ぬだけですよ」
「それで頭のおかしなお前の姉の拷問をまた受けろっていうのかい。もっとましな提案をしな、妖魔王」
「僕の道術封じを受け入れてもらえれば、今度は姉には渡しません。妖魔城に監禁させてもらいますが、それだけです。約束します」
「道術をまた失えば、お前たちの思う壺だろう。信用できないね」
「でも、そうやっていては、道術があっても仕方ないじゃないですか。さすがのあなたでも、僕の結界からは逃げられないはずです。僕はなんとしても、逃がすつもりはありませんよ。餓えて死ぬよりは妖魔城への監禁を受け入れた方がいいと思いますけどね、宝玄仙殿」
「命を保証するという証しは?」
「信用してもらうしかないですね」
「信用しろっていうのかい? たったいま約束を破って、わたしらを殺そうとした卑怯者を──」
「ほかに選択肢はないですよ。拒否してもそこで飢え死にするだけです」
賽太歳は笑った。
そのとき、賽太歳の隣に立っていた
そう言えばまだ、春嬌の股間に宝玄仙が仕込んだ火薬入りの張形が挿入されたままだったことを思い出した。
結界の遮断で宝玄仙は、もう春嬌の霊具を作動させることはできないが、そんな物騒なものは早く出さなければならないだろう。
賽太歳は道術で春嬌の股間の霊具を自分の手に移動させた。
「おやっ?」
賽太歳は自分の手に載せた春嬌の股間に挿入されていた張形に首を傾げた。
その春嬌の愛液で汚れた張形は、ただの張形だったのだ。
火薬など入っていない。
どうやらはったりだったようだ。
「ああっ……」
そのとき、急に感極まった声をあげて春嬌が賽太歳に倒れかかった。
賽太歳は驚いて、その裸身を抱きかかえた。
「だ、大丈夫かい、姉さん……?」
賽太歳は慌てて、春嬌が刻まれている『縛心術』を解こうと、その身体を道術で探った。
しかし、なにかが違う……。
春嬌の身体には『縛心術』を刻まれているなんの兆候もない。
「孫姉さん──」
不意に春嬌が賽太歳を突き飛ばした。
そして、なにかを孫空女に向かって放り投げた。
ちりんちりんと音を鳴らして飛んでいく音を聞いて、賽太歳は初めてそれが、腰鈴であることを悟った。
慌てて自分の腰鈴を探ったが、鋭い刃物のようなもので紐が切断されている。
はっとした。
飛び退いた春嬌が、指になにかを持っていることに気がついた。
剃刀だ。
小さな剃刀を指の間に隠していたようだ。
それで賽太歳の腰紐を切断して、腰鈴を奪ったのだ。
だが、なぜ……。
『縛心術』で操ったのか……?
いや、春嬌には術をかけられている兆候はなかった。
すると……?
そのとき、空中を飛んでいた腰鈴が賽太歳の結界を通り抜け、さらに宝玄仙の結界まで通り抜けた。
孫空女がそれを空中で掴んだ。
「や、やめろ──」
賽太歳は絶叫した。
孫空女が腰鈴を地面に置いて棒を構えている。
壊すつもりだ──。
賽太歳の身体に戦慄が走った。
ありったけの道術を宝玄仙の結界に向かって放つ。
しかし、そのすべてが宝玄仙の結界に遮断される。
孫空女の構えた棒が腰鈴に叩きつけられた。
腰鈴が粉々になり、それとともに賽太歳の霊気が制御を失い激しく増幅しはじめるのがわかった。
かけているすべての道術が消失していくのを賽太歳は感じた。
麒麟山の南側に刻んでいる『炎の城壁』──。
妖魔の里のあちこちを覆っている妖魔王の結界──。
妖魔城の護りそのもの──。
それらのすべてが制御を失った賽太斎の霊気では、維持できずに効果を失っていく。
眼の前の宝玄仙を包んでいた賽太歳の結界そのものも不安定なものになり、隙間だらけの結界に変わった。
そして、宝玄仙たちを包んでいた賽太斎の結界が消えたのがわかった。
「ご主人様──」
裸体の春嬌が宝玄仙に向かって走って、宝玄仙の結界内に逃れた。
やっとわかった。
あれは春嬌ではない……。
宝玄仙の供の誰かが変身をしているに違いない。
そのとき、宝玄仙に合流した裸身の春嬌の姿の何者かが自分の指輪に触れる仕草をした。
すると春嬌の姿が解けて朱姫の姿になった。
朱姫が孫空女から服を受け取り、素早くそれを裸身に身につけた。
「よくやったよ、朱姫」
孫空女が言った。
すると朱姫が嬉しそうに破顔した。
「よ、よくも……」
賽太歳はがっくりと跪きたくなるのに耐えて宝玄仙を睨んだ。
絶対に逃がさない──。
そう思った……。
もう一度、手をあげる。
こうなったら無駄でも攻撃を続けるだけだ──。
妖魔兵の武器が一斉に宝玄仙に向けられる 。
「待ちな、卑怯者──。これを見な」
宝玄仙が立ちあがって、これまでずっと椅子代わりにしていた綺芳をこっちに向かって突き飛ばした。
「あっ」
賽太歳は思わず叫んだ。
これまで四つん這いになっていた綺芳の身体の下で、宝玄仙の長い下袍の中に隠れていた部分にひとりの女の首があったのだ。
それは首から下を地面に埋められて顔だけを地面に出している春嬌だった。
今度こそ、これは紛れもない本物の春嬌だと気がついた。
術にかけられているかどうかは判然としないが、意識がないことだけは確かだった。
「さっき教えてやった火薬入りの張形は、しっかりとこいつに挿入しているよ。わたしらを解放しなければ、今度こそ霊具を作動させる。腰鈴がなくなったら、霊気が安定しなくて道術を事実上遣えないのだろう、妖魔王?」
宝玄仙が不敵に笑った。
「ま、まったく遣えないわけじゃないよ。維持ができないだけさ。あんたを殺すくらい一瞬で済む」
賽太歳は宝玄仙を睨んだ。
一瞬だけのことだ。
高い道術をずっと維持する必要はない……。
「やってみな──。中途半端な道術で、わたしの結界を崩せると思ったらやってみるんだね。ただし、お前の大切な姉さんは木端微塵だけどね」
宝玄仙は言った。
「くっ」
賽太歳は歯噛みした。
しかし、結局は武器を構えるように命じた手をおろして、部下の構えを解かせた。
「さあ、春嬌、眼を覚ましなさい」
朱姫がぽんと手を叩いた。
すると、顔だけの春嬌の眼が開いた。
そして、自分の姿に驚いたように悲鳴をあげだした。
「ひいっ……こ、これは──、あっ、賽太斎、た、助けておくれ、お願いだよ」
春嬌が賽太斎を認めて叫んだ。
「姉さん──」
賽太斎は声をあげた。
「ほら、騒いだら駄目じゃないですか、春嬌」
朱姫が笑いながら春嬌の鼻に土を詰め始めた。
春嬌が狂ったように顔を暴れさせて泣き喚きだす。
だが、その鼻に容赦なく朱姫が土をどんどん入れている。
「や、やめないか。やめるんだ」
賽太斎は怒鳴った。
しかし、今度は朱姫は喚いている春嬌の口にも土を無理矢理入れ始めた。
春嬌が顔を土まみれにして泣き出した。
それでも、朱姫は春嬌への責めをやめない。
「わたしらを行かせると、道術契約で誓いな」
宝玄仙がじっと賽太歳を睨んだ。
「い、いいや、あらゆる手段を尽くしても阻止します……。あなたたちを……あなたや、
賽太歳は呻くように言った。
道術契約は、道術を持つ者の絶対の契約だ。
それを刻めば、逃げた彼女たちに二度と手出しができなくなってしまう。
「だったら、こいつが苦しむのをそこで見てな──。春嬌、口に入れられた土は全部食うんだ。逆らったら口を完全に塞いで息をできなくするからね」
宝玄仙が叫んだ。
春嬌は泣きなから懸命に口に入れられた大量の土を食べようとしている。
「お代わりは、たくさんありますからね、春嬌」
朱姫が笑った。
春嬌の泣き声がますます大きくなった。
「早く、道術契約で誓うんだよ。わたしとわたしが連れ出した者の全員を逃がすと誓いな、妖魔王。その代わり春嬌は開放してやる」
宝玄仙は余裕たっぷりに言った。
賽太歳も気がついている。
道術を戻してしまえば、宝玄仙は途方もない力を持った道術遣いだ。
賽太歳でも敵わないだろう。
さらに、賽太歳は腰鈴の霊具を失って、霊気が安定しない状態だ。
かなりの道術が制限をされており、その状況で宝玄仙を阻止できるとは思わない。
いずれにしても、宝玄仙たちは逃がすしかない……。
春嬌の泣き声はますます哀れな声になる。
「誓いますよ。あなたとあなたが連れ出した者は追いません。誓います」
賽太斎は道術を込めた言の葉を口にした。
「誓うよ」
宝玄仙が言った。
強力な道術が刻まれたのがわかった。
これで終わりだ──。
もう、宝玄仙と宝玄仙が連れ出した者は追えない。長女金もそれに含まれるだろう……。
「……金聖姫のことを口外しないこと。それだけは守ってくれませんか……」
賽太歳は言った。
「今更、なにを言っているんだい、お前──。お前が金聖姫を
「あ、諦めない──。諦めるものか──。絶対に渡さない。金聖姫は僕のものだ。僕の奴隷だ」
賽太歳は吐くように叫んだ。
「だったら、金聖姫ひとりを護るために、妖魔軍を率いて人間の軍と戦うつもりかい。そんなことをすれば、お前が妖魔王でいられなくなるだろうさ。善良で人のいいこの土地の妖魔をお前の懸想した女のために犠牲にするのかい」
「なんと言われても同じですよ──。いいでしょう。もう、行っていい。追いません。長女金を連れていくというなら、それもいいでしょう。認めますよ……」
賽太歳は言った。
すると宝玄仙がにやりと笑った。
なにかを企んでいるような嫌な笑いだった。
「……だったら、引導を渡してやるよ。これを聞きな」
宝玄仙がなにかを結界の外にころころと転がした。
それが近くまで転がってきたとき、それが春嬌がよく使う『伝声球』だということがわかった。
春嬌は、その『伝声球』を使って、麒麟山だけじゃなく、南側の人間の部落に紛れ込ませた手の者と伝言をやり取りしている。
そうやって、麒麟山に入ろうとする人間の情報を掴むのだ。
春嬌のやっていることのすべてを賽太歳は認めたわけじゃない。
だが、必要悪というものはある。
人間の王はこの二年、何度もひそかに妖魔にやつした人間の道術遣いを麒麟山に送り込んできている。
それをことごとく捕らえて、情報が漏れるのを阻止しているのは春嬌の力だ。
それに、ほとんどの妖魔は人間への敵意を失った善良で優しい性質だが、一部にはいまだ激しい人間への憎悪を忘れていない妖魔もいる。
そういう妖魔の溜まった鬱憤を出させるということでも、春嬌の残酷な見世物の宴は意味がある。
「──沙那、そっちの首尾はどうだい?」
宝玄仙が喋っているのは、もうひとつの『伝声球』だ。
“すべて終わりました。やっぱり、長女金のいうとおりに、警備はちょろかったですね。途中から道術の護りもなくなりましたし、脱出にも成功しました。追手は完全に巻きました。とりあえず、安全な場所にいます──。そっちはどうですか?”
賽太歳の前に転がってきた『伝声球』から声がした。
喋っているのは、ここにはいない沙那という宝玄仙の供の女傑なのだろう。
だが、なにを喋っているのか……。
賽太歳は嫌な予感がした。
「やっぱり、お前の睨んだ通り、妖魔王は卑怯者だったよ。女を卑怯な手段で浚って監禁するような者は碌なものじゃなかったさ──。わたしの道術は戻ったよ。妖魔王の腰鈴は孫空女が叩き壊した。しばらくはわたしらには関われないさ──」
そして、宝玄仙が賽太歳を見てにやりと微笑んだ。
背中に冷たい汗が一気に流れるのがわかった。
「一体全体、なにをしたんだ──?」
賽太斎は叫んだ。
「賽太歳、お前のいない妖魔城は、なんてことはなかったそうさ。長女金の案内で、長女金と沙那が、世間知らずの金聖姫を救出に行ったけど成功したそうだよ。お前も、長女金を使うなら、金聖姫の侍女なんかじゃなくて、警護責任者にでもするとよかったのさ。そうすれば、もうちょっとましな警護になっていただろうけどね」
愕然とした。
やっと宝玄仙たちがなにをしたのかわかったからだ。
麗芳を使者に仕立て、春嬌を人質にしていることを賽太歳に伝えて妖魔王の賽太歳をここに呼び出した。その一方で、賽太歳のいない隙を狙って、長女金と沙那が妖魔城に侵入して金聖姫を連れ出したに違いない。
賽太歳がいなければ、確かに厳重な警護とはいえない。
実際には妖魔城に侵入するような妖魔はここにはいない。
だから、厳重な警護をする必要もなかったのだ。
ましてや、腰鈴の霊具がなくなったことで、妖魔城の道術の護りも失われた。
長女金や沙那がどれほどの手練れなのか知らないが、かなりの遣い手だと有来有去からの情報を得ていた。
その情報のとおりの腕があれば、金聖姫を連れて出すということは可能なのかもしれない。
それに、長女金が逃げたときに、なんらかの『移動術』が遣われたのはわかっている。
そういうものが加われば、金聖姫を浚うことも不可能ではない。
「ゆ、許さんぞ──。き、金聖姫は誰にも渡さん。絶対にだ。絶対だ──」
賽太歳は我を忘れて叫んだ。
「好きなように吠えてな。金聖姫は、お前についての記憶なんてすっぱりと忘れさせて、父親に返すさ。それから、もう一度お前が金聖姫を奪おうが、なにをしようが知ったこっちゃないよ。その頃にはわたしらはこの国にはいないだろうからね。それに、お前は誓ったんだ。このわたしが連れ出した者は追わないとね。もちろん、金聖姫はそれに含まれるよ」
宝玄仙が言った。
全身の血が下がった。
うっかりと金聖姫を追わないという約束まで、道術契約でさせられたことに気がついた。
道術契約は、言葉に乗せたものがすべてだ。
宝玄仙が連れ出すという条件に合致する限り、金聖姫を賽太斎は引き留めることができないのだ。
「あああああああっ」
賽太斎は心の底からの絶望の叫びをした。
次の瞬間、宝玄仙と朱姫と孫空女の姿が消えた。
後には、首から上だけを地面から出しただけの哀れな春嬌だけが残った。
賽太歳は、がっくりとその場に腰を落とした。
*
朱紫国の北辺を預かる太守の
早朝に受けた報告によれば、間違いないらしい……。
行政府の玄関では、蔡京に使者を走らせた高官と最初に身柄を保護したという城郭軍の将軍が待ち構えていた。
「間違いないのか? 偽者ではないのか?」
蔡京は馬から降りるなり叫んだ。
「それを確かめて頂きたいのです。王宮の姫であるという証拠の王家の紋章はお持ちでした。それに、宮廷から送られていた顔の像とも合致しました。しかし、あまりのことで……。浚われる前の金聖姫様の顔を実際に知っているのは、太守だけでございますから」
高官が言った。
二年前に妖魔に浚われた金聖姫の顔は、国都の式典で何度か見ている。
国王の自慢の姫であり、あの美貌はひと目見れば忘れられないものがあった。
しかし、国都に近い温泉に湯治に向かう途中で、謎の妖魔に浚われてしまった。
国軍が必死になって行方を追ったが、二年もの間、まったく居場所はわからなかった。
その姫が突然に姿を現して、この蔡京に保護を求めたという。
本当なら、大変な功績だ。
しかし、あまりにも急な話で容易には信じ難い。
「……それで姫はどこに?」
「とりあえず、応接室で接待をしております。身体に異常はなさそうです。しかし……」
高官がほんの少し言い淀んだ。
「しかし、なんだ?」
「記憶を失っている様子です。この二年間、どこでなにをしていたのか、まったく記憶がないと申しておりました」
「わかった……」
蔡京は急いだ。
とりあえず顔を見ることだ。
それですべてがわかる。
蔡京は行政府の廊下をほとんど走るように歩いて貴賓用の応接室に向かった。
声をかけてから部屋の戸を開ける。
部屋には将校と数名の兵が四隅を警護していた。
その真ん中に若い女が座っていた。
椅子に腰掛けているその女がこっちを向いて、にっこりと微笑んだ。
「久しぶりです、蔡京殿。わたしを保護して頂けませんか。どうやら、ここは国土のずっと北辺のようですね。どうしてこんなところにいるのか全くわからないのです。気がついたら、この城郭の軍営の前に立っていたのです。妖魔に浚われたという記憶は微かにあります。でも、それ以外の記憶がすっかりと抜け落ちているようです。しかも、わたしは二年も姿を消していたのだとさっき伺い、驚いているところでした……。とにかく、早く、お父様とお母様……、いえ、王陛下と王妃に会いたいです。力になってください、蔡京殿」
金聖姫が微笑んだ。
その瞬間、蔡京は全身の力が抜けるのがわかった。
紛れもない金聖姫だ。
二年前に比べて、ますます女としての輝きを増したように思えるが、美しく可憐な姿は二年前となにも変わっていない……。
「す、すぐに急使を出します。ご安心ください。金聖姫様の身柄は、この蔡京が身命に賭けてお守りします。二度と妖魔に浚われるようなことはさせません……。ところで、この二年間の記憶がまったくないと伺いましたが、妖魔について、なにか覚えていることはありませんか……?」
蔡京は言った。
しかし、金聖姫は悲しそうに首を横に振った。
「なにも……。わたしが二年間も行方不明になっていたということも、さっき知ったばかりです」
金聖姫の顔が曇った。
その表情に偽りはないように思える。本当に途方に暮れたような表情をしている。
少なくとも、蔡京の知っている金聖姫は、本当に無邪気で純粋な性質だった。
なにかを知っていてそれを肚に隠すというようなことはできないはずだ。
「……金聖姫様を発見したときの状況はどうだったのだ?」
蔡京は、部屋の隅に立っていた将校に視線を送った。
金聖姫が保護を求めて軍営に不意に出現したときに応対した将校であり、それからずっと自ら警護についている。
この将校は、わたしは金聖姫だと名乗った女のことを狂女だとは思わず、むしろ、ただならぬ雰囲気を感じてすぐに保護したのだ。
この将校こそ、今回の最大の殊勲に違いない。
「たったおひとりでした。ほかには誰にもおられませんでした」
将校は答えた。
この将校が実直で正直であることは蔡京はよく知っていた。
この将校がそういうならそうなのだろう。
まあいい……。
二年間、どこでどうしたかということを調べるのはこれからのことだ。
おそらく、それは宮廷から派遣される者に任せることなるだろう。
とにかく、いまは、金聖姫が保護されたという嬉しい知らせを一刻も早く国都に伝えたい。
「ただちに、使者を出します。数日中には返事があるでしょう。もしかしたら、出迎えの軍が来るかもしれません」
おそらく、三人いる王子のいずれかが軍を率いて迎えに来ると思った。
国王自らやってくるとは思えないが、そうであってもおかしくはないほどに国王は、この金聖姫を溺愛していた。
金聖姫が浚われたことで国王は目に見えて落ち込んだと言われていて、まるで病人のようだということだ。
国王は大喜びするに違いない。
蔡京も嬉しかった。
そして、その慶事に自分が関われたということがなによりも誇らしかった。
「……それについては、お願いがあります。わたしは二年間の記憶がありませんが、二年前に誰に嵌められたかという記憶だけはしっかりあります。つまり、わたしを陥れて何者かにわたしを
蔡京は息を飲んだ。
「そ、それは誰ですか……?」
「筆頭魔導師の
金聖姫が必死の表情をした。
蔡京はびっくりした。
有来有去と言えば、新参者だがいまやもっとも国王に信任がある道術遣いであり、状況次第では次期宰相とも目されている人物だ。
それが二年前の金聖姫事件の首謀者などとは……。
蔡京は、これから宮廷府全体が引っくり返るような政変の鍵を蔡京が握ったことを知って、身震いするような興奮を感じていた。