※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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361 奴隷病と置き捨て女房

「そう言えば、あの時、お前はてっきり、あの馬鹿姫についていきたがると思ったよ、長女金(ちょうじょきん)」

 

 宝玄仙が言った。

 旅の空だ。

 

 沙那は、いつものように荷物を背負って一行の最後尾を歩いている。

 いつもと違うのは、四人の旅の中に長女金が混じっていることだ。

 賽太歳(さいたいさい)を出し抜き、妖魔の里から逃亡して半月が経っていた。

 麒麟山から北辺までが数日。それからはこの五人で朱紫国内を西に進む旅だ。

 

 妖魔の里から朱紫国の軍政の及ぶ北辺と呼ばれる地域に戻るのに数日しかかからなかったのは、羅刹(らせつ)のお蔭だ。

 羅刹という淫魔が、得意の『移動術』で跳躍を繰り返して、北辺の城郭まで全員を移動させたのだ。

 

 妖魔王が追手をかけることが予想されたが、結局のところ賽太歳は、逃亡した宝玄仙や金聖姫(きんせいき)になんらかの手出しをすることはなかった。

 宝玄仙と賽太歳が交わした道術契約が有効であり、妖魔王の賽太歳が、“宝玄仙と宝玄仙が連れ出す者に手出ししない”という約束に束縛されているということもあるが、自らの霊気を安定化させていた腰鈴の霊具を壊されてしまって、それどころじゃなかったということもあるのだろう。

 

 あの賽太斎との対決のとき──。

 

 宝玄仙と賽太歳が対決をしていた春嬌の屋敷の一方で、沙那は長女金の手引きで妖魔城に侵入して金聖姫を救出した。

 賽太歳が人質になった春嬌を救出するために妖魔城を出たというのは、『伝声球』という霊具を通じて、宝玄仙の言葉を拾っていたのですぐにわかった。

 それで妖魔城のそばに隠れていた沙那と長女金と羅刹は、金聖姫を助け出すために妖魔城に入り込んだ。

 どこが警備の穴であるかということは、長女金がよく知っていたし、妖魔王とともに、百匹近い妖魔兵がいなくなったということもあって、警備は本当に手薄だった。

 

 金聖姫は、長女金の逃亡を隠そうとしたということで、妖魔王の怒りに触れて、股縄をされて調教部屋を無限に走り回るという懲罰を受けている最中だった。

 出入り口を封鎖されたなにもない部屋に入れられ、一定の順番で移動していく床の光を追っていくというものだ。

 床の光は常に移動し、光の当たっていない床には電撃が流れるという仕掛けになっていて、電撃を足の裏に受けたくない金聖姫は、股間の刺激に苛まれて淫液を迸らせ、 泣きながら汗だくで懸命に光を追い続けていた。

 潜入した沙那と長女金は、金聖姫を調教部屋に監禁していた妖魔兵を蹴散らして金聖姫を確保した。

 

 驚いたことに金聖姫は、妖魔城を脱出するということに対して、ためらいを示した。

 沙那には理解できないことだったが、金聖姫は自分をこんな風に虐げている賽太歳を憎からず思っていて、ずっと妖魔城に留まる意思を固めていたのだ。

 長女金が説得しようとしたがなかなか聞き入れず、ここに残ると言い張り続けた。

 腹が立った沙那は、金聖姫に当身を喰らわせて気を失わせて、身柄を担いで強引に妖魔城から連れ出したのだ。

 

 そして、あらかじめ示し合わせていた場所まで、羅刹の『移動術』で跳躍して身を隠し、『伝声球』で金聖姫の救出に成功したことを宝玄仙に伝え、そして、羅刹を春嬌の屋敷に『移動術』で向かわせた。

 羅刹は春嬌の屋敷に隠れて移動すると、絶好の瞬間に宝玄仙と孫空女と朱姫を『移動術』で連れ出した。

 

 それで、全員が揃い妖魔の里を脱出することになったのだが、困ったのは金聖姫だった。

 自分は妖魔の里の土になるのだと言って聞かず、宝玄仙を激怒させた。

 こんな馬鹿姫は置いて行けと喚く宝玄仙を沙那は宥め、朱姫に指示して、金聖姫に『縛心術』で暗示をかけさせ、賽太歳に対する想いを忘れさせた。

 

 こうやって、やっと逃避行の態勢が整い、羅刹の『移動術』で朱紫国の北辺の城郭まで数日かけて移動したのだ。

 宝玄仙も朱姫も道術は復活していたが、一度道術を失っていたことで、あらかじめ刻んでおいた『移動術』の結界との繋がりが途切れてしまい、『移動術』が遣えなかった。

 それで、人間の淫気の濃い場所ならどこにでも跳躍できるという羅刹の能力を駆使して、北辺の城郭までやってきたのだ。

 

 羅刹とはそこで別れた。

 妖魔王に敵対した宝玄仙に協力したことで、羅刹もまた妖魔の里には居場所を失ってしまっていた。

 ただ、羅刹は気にもしておらず、これから人間の世界をあちこち放浪しながら、淫魔としての修業を積んでいくのだと張り切っていた。

 次に出遭うときには、逞しい淫魔になっているに違いない。

 

 また、金聖姫についても、その北辺の城郭で朱紫国の太守に引き渡した。

 朱姫の『縛心術』をもう一度かけて、二年間の記憶をすべて消させてから軍営の前に置いてきたのだ。

 そのとき、記憶を失わせるのと同時に、今回の妖魔に誘拐された事件が、国都で筆頭魔導師を務める有来有去(ゆうらいゆうきょ)の仕業だという強い暗示も与えた。

 沙那たちは隠れて見守り、軍営の将校が、軍営の前に立っていた金聖姫を驚いた表情で保護するのを確かめた。

 

 それからどうなったかは知らない。

 朱紫国の西部に向かう旅をしながら、二年前に妖魔に誘拐された金聖姫が戻ったということで朱紫国の王宮が大騒ぎだという旅人の噂を耳にしたくらいだ。

 有来有去についても、失脚したとか、いや、逃走したとか、色々な噂に先々の宿町で接した。

 だが、もう宝玄仙も興味はないようだし、それは長女金も同じだった。

 

 長女金は金聖姫と別れるときも、国都の政変の噂に触れたときも、まるで他人の話であるかのように平然としていた。

 五人の旅が始まり、夜の営みも以前のときのように戻った。

 長女金は、性愛については、受けに回っても責めに回っても、性技に巧みな玄人のような振舞いをしてみせ、宝玄仙を悦ばせた。

 

 昨夜もかなり遅い時間になるまで、五人でお互いの身体をむさぼり尽くし、さすがに沙那も今朝は身体が重かったが、街道を歩く長女金の様子に変化はない。

 沙那は、この不思議な女は本当は一体何者なのだろうと首を傾げたくなる気持ちを味わっていた。

 

「それは、わたしが金聖姫様と同行して、国都に戻るということを決心すると思ったということですか、宝玄仙さん?」

 

 長女金は宝玄仙に視線を向けた。

 

「お前は、あの馬鹿姫の保護者を気取っていたじゃないか。それに、金聖姫を連れ帰れば、お前も英雄だ。お前の身分も復活されて、元の軍人に戻れたんじゃないのかい? そして、金聖姫という馬鹿姫に生涯を捧げるのかと思ったよ」

 

「そうですねえ……。うーん……。妖魔城で金聖姫様と生涯をすごす決心を一度したときには、そんな風に思ったかもしれません……」

 

 長女金が懐かしむような表情をした。

 

「だったらなんで、一緒に行かなかったんだい? なんで金聖姫の記憶を完全に消してしまうことを求めたんだい? お前の功績をしっかりと記憶に留めて太守に引き渡すということもできたんだよ」

 

 宝玄仙が言った。

 

「いいえ、妖魔王に拐(さら)われて、その慰み者にされていた記憶など封印できるのであれば、封印した方がよいのです。やはり、金聖姫様には、金聖姫様を愛されておられる国王陛下夫妻もおられるのですから、そのもとに戻られるのが一番お幸せだと思うし、そうであれば、二年の妖魔城における日々の記憶は必要のないものでしょう。もちろん、妖魔城におけるわたしとの思い出も……。それが一番いいのです」

 

 長女金はきっぱりと言った

 

「だけど、あの馬鹿姫が証言してくれなければ、お前はいつまでも逃亡者のままだよ。まあ、今更お前のことを政府軍が探し回ることもないし、確か、お前はわたしに殺されたことになっているはずだけどね。でも、お前は、お前のせいではないことで二年も哀れな晒し者になっていたんだし、結局は金聖姫を妖魔王から助け出したのはお前の功績なんだよ。口惜しくはないのかい?」

 

「金聖姫様を助けてくれたのは、宝玄仙さんたちです」

 

 長女金は言った。

 

「それは違うわ、長女金。わたしたちを助けてくれたのもあなただし、妖魔城から金聖姫を連れ出す手引きをしたのもあなたよ。わたしたちは手伝っただけ」

 

 沙那も口挟んだ。

 

「わたしは、わたしの功績などなにもないと思いますが、いずれにしても、わたしはもう、軍人に戻りたくありませんし、宮廷に関わるのもご免です。わたしがいくら馬鹿でも、わたしには向かないということもわかりました」

 

「ほう、やっと、お前も自分が馬鹿みたいなお人よしだということがわかったかい。確かに、お前みたいな女が軍人に戻って、そして、金聖姫に近い者として大出世しても、また誰かの罠に嵌って陥れられるのが落ちさ……。まあ、馬鹿は馬鹿でも、自分が馬鹿だと気が付く馬鹿は馬鹿じゃないさ──。見習いな、孫空女。お前は自分のことを馬鹿だと思っていないだろう?」

 

 宝玄仙が笑った。

 

「ひ、酷いなあ……。馬鹿で結構だよ、ご主人様」

 

 孫空女が不満そうな声をあげた。

 みんなが同時に声をあげて笑った。

 

「まあ、馬鹿姫はそれでいいとして、だったら、お前の二年間の記憶を消すこともできるよ、長女金。二年間も道端で男囚と性行為する姿を見世物のように晒されていたなんて嫌な記憶だろう?」

 

 笑いが収まると、急に宝玄仙が真面目な顔をした。

 

「あの二年はわたしにとっては、よい思い出です」

 

 長女金はにっこり微笑んだ。

 

「まったく……」

 

 宝玄仙が嘆息した。

 陽はそろそろ中天に差し掛かっていた。

 

「そろそろ、休みますか?」

 

 沙那は声をかけた。

 この辺りの街道沿いには、旅人が身体を休めるための樹木が間隔を開けて植えられていた。

 沙那たちは、その中のひとつを選んで、その根元に車座になった。

 簡単な軽食を準備して、それを口にする。

 

「まあ、しかし、思い出してもつくづく、馬鹿姫だったねえ。拐(さら)われていながら、自分を拐(さら)った妖魔にかしずきたいだなんて、本当に馬鹿たれだよ」

 

 宝玄仙が軽食の干し魚を口にしながら言った。

 

「でも、そういうこともあると思いますよ、ご主人様……。奴隷根性というのかもしれないですけど」

 

 朱姫が言った。

 

「ほう、お前も、あの馬鹿姫の味方をするのかい、朱姫?」

 

「味方というか……。気持ちがわかると言っただけです。あたしも同じでしたから……」

 

「同じってどういうことですか、朱姫さん?」

 

 長女金が言った。

 

「あたしもご主人様と出遭う以前に……多分、十四くらいのときだと思いますけど、ある老女に奴隷のように仕えていた頃があったんです」

 

 朱姫が言った。

 

「ええ──、朱姫さんが奴隷?」

 

 長女金が声をあげた。

 

「そう言えば、そんなことを以前話していたことがあったわね。老女に監禁されて、一年間も性奉仕させられていたとか……。それであんたの性技は鍛えられたんでしょう?」

 

 沙那は口を挟んだ。

 

「監禁されていたのは最初の一箇月だけですよ、沙那姉さん。それに逃亡しようと思えばできたんです。逃げなかっただけで……」

 

 朱姫がその頃の自分を思い出すかのような表情をした。

 

「じゃあ、どうして逃げなかったんだい?」

 

 宝玄仙が言った。

 

「さあ、どうしてですかねえ……。多分、あたしは、あのお婆が好きだったのだと思います。天涯孤独の身だし、別に行くところがあるわけじゃないし……。それに、酷い目に遭っても、たまにちょっとだけ優しくされると、それですごく相手のことが好きになるんです。実際には酷い目に遭わせている悪い奴なのに、本当は凄く優しい人だと思えるようになるんです……。その頃、あたしは一生、あのお婆に仕えて生きようと思っていました」

 

「じゃあ、どうして、それをやめたんです、朱姫さん?」

 

 長女金だ。

 

「死んだんです。そのお婆が病気で──。それで我に返ったようになって……。だから、金聖姫様も大丈夫ですよ。もしも、妖魔王のことを思い出したりしても、もう、妖魔王のことを好ましく想ったりはしないと思います。あれは病気なんです。奴隷病です──」

 

「奴隷病ねえ……」

 

 宝玄仙は複雑な表情をした。

 

「ところで、長女金、天涯孤独といえば、お前もそうなんだってねえ。国都で別れる前は、故郷に戻るとか言っていたかと思うけど、実際には両親はもう死んでいるんだろう?」

 

 宝玄仙が話題を変えた。

 

「はい、宝玄仙さん──。だから、あのときも、真っ直ぐには故郷に戻らずに、あちこちを旅して、それから故郷に落ち着くか、それともほかの土地で暮らすか考えようと思っていました……。結局は、すぐに国都に戻ったりして……。それで皆さんをとんだことに巻き込む羽目に遭わせてしまって……」

 

「それはいいさ。だが、確かにお前のせいでこの国で酷い目に遭ったことは確かだけどね。だから、お前、お前の命をわたしに寄越しな。お前に亭主を世話してやるよ。そいつに世話になったらいい……。まあ、わたしらも世話になったんだけどね。顔は途方もなく不細工だけど、心根がいいことは保証するよ」

 

 宝玄仙が意味ありげに言った。

 

「いきなり結婚だなんて、ご主人様、なにを考えているんですか?」

 

 沙那は嗜めた。

 どうせ、くだらない思いつきをしたに違いないのだ。

 

「……このまま西に街道を進めば、あいつが向かうと言っていた城郭があるんじゃないのかい? ちょっと会いに行ってみようじゃないか。ついでに、そいつに長女金のことを世話させるさ。どうせ、女にもてるような男じゃないし、二度と女には縁がないだろうとか、いじけたことをあの時も言っていたしね……」

 

 

 *

 

 

 生まれつき大きな鼻をしていた。

 

 普通よりも大きいとか、そういう度合いではない。

 異常に大きいのだ。

 顔の真ん中に瓢箪がぶら下がっている。

 それが陳達(ちんたつ)だった。

 

 しかも、だらりとぶら下がった鼻に気味の悪いあばたと吹き出物まであるとあっては、その不細工さは可笑しいというよりは不気味だった。

 さらに女陰を思わせる小さな黒い染みまであるのだからどうしようもない。

 だから、陳達は、女には縁がなかった。

 

 少し前までは……。

 

 だが、商用で国都の郊外で荷駄馬車を進めていたとき、突然、谷の上から素っ裸の女が降ってきた。

 それで陳達の人生は変わった。

 

 素っ裸の女は孫空女といい、死刑囚として結界牢で晒し者にされていた長女金という女将校を脱走させた罪で軍に追われていた。

 ほかにも沙那と朱姫という仲間の女もいて、そのふたりも素裸で陳達の操る荷駄馬車の前に立ちはだかった。

 結局、その三人の女を匿うということになり、その代わり、彼女たちがこの醜男の陳達に性奉仕をしてくれるということになった。

 三人の女は、陳達が見たこともないような美女たちであり、しかも一騎当千の女傑だった。

 それが数日間、商売女のように陳達に奉仕をしてくれたのだ。

 

 いや、商売女でも陳達の相手は嫌がってしないのだ。

 それなのに、彼女たちは本当に陳達によくしてくれた。

 そして、宝玄仙という彼女たちの女主人を軍営から救出させる手伝いをして、陳達も国都を逃亡することを余儀なくされた。

 

 後悔はない。

 一度も旅をしたことのない陳達にとっては、世間を知るよい機会だったし、女に縁のないことでいじけていた自分を変えるのにもいい機会だった。

 あの三人の女は、見事に自分たちの女主人を処刑寸前で軍から奪い返してみせ、その女主人も含めて十日ほどの淫行生活をした。

 

 世にどんなに恵まれた男がいても、陳達のような思いができた男がいないだろう。

 陳達はこれまで自分が感じていた劣等感が急に小さなものに思えてきた。

 やがて、十日が過ぎて、あの四人は女主人が奪われた道術を取り戻すために、妖魔の棲む北部の辺境に向かうといって旅立っていった。

 それで別れた。

 

 陳達については、知人を頼って世話を受け、この西部の小さな城郭に住みつくことになった。

 その知人の紹介で、長屋に住まいを借りることができ、持ってきた財で小さいが古着屋を開くこともできた。

 まだ、こっちでの生活は始まったばかりだが、商売も軌道に乗り出し、なんとかやっていける目途も立った気がする。

 

 相変わらず女には縁はない。

 だが、以前はそれに劣等感があり、家に引きこもることが多かったが、いまではここでできた男友達とよく居酒屋で飲むようにもなった。

 鼻のことをからかわれても笑っていられるようになったし、自分の鼻を皮肉った話をして仲間を笑わせたりもする。

 

 順調だった──。

 ただひとつ、つらいことがあるとすれば、もうあんな風に美女に囲まれて奉仕をされるという思いは二度とはできないだろうということだ。

 あのときの思い出に悶々とする夜もあったが、陳達の顔では遊女も相手にしてくれない。

 自慰で慰めるしかない。

 それだけが空しい……。

 

 その日の夕方も店が終わり、すぐ近くにある長屋に向かって歩きながら、今夜どうするか思案していた。

 いつもの馴染みの居酒屋に行って仲間と馬鹿話でもするか……。

 そんなことを考えていた。

 

 しかし、長屋に近付くと、同じ棟で暮らしている周達というやもめ男が、血相変えて走ってきた。

 

「おお、陳達、大変だぞ──」

 

 周達(しゅうたつ)がやってきて叫んだ。

 しかし、周達は急いで走ってきたらしく、息を切らしていて、なかなか言葉にならない。

 

「大変ってどうしたんだよ、周達?」

 

 陳達は周達の慌てぶりが面白くて、思わず笑いながら訊ねた。

 

「どうしたも、こうしたもねえ──。お前、長屋に戻って引っくり返るなよ。お前を訪ねてとんでもない女たちがやってきているぞ。しかも、そのうちのひとりをお前の嫁にするために連れて来たとか言っている。いま、長屋じゃあ大騒ぎだ」

 

「俺を訪ねて、女が?」

 

 陳達は声をあげた。

 

「どいつもこいつも、とんでもない美女揃いだ。とりあえず、大家がお前の部屋にあげたが、お前とどういう関係なんだ?」

 

 陳達は驚いて、自分の部屋のある長屋に駆けた。

 すると陳達の部屋の前に人だかりができていて、中を覗きこんでいる。

 みんな近所の住民だ。

 そして、陳達を認めると、押しやられるように前に出された。

 陳達の部屋の中では、女たちがかいがいしく働いていた。

 食事の支度をしているようだ。

 

「ああ、戻ってきたのかい、陳達。たまたま通りかかったから、以前世話になった挨拶をしとこうと思ってねえ。元気だったかい? こっちは色々とあったけど、まあすべて解決したよ。お前のお陰でもあるね。聞いたところじゃあ、こっちの商売もなかなか順調らしいじゃないかい。心配していたけどよかったさ」

 

 宝玄仙だ。

 びっくりして、すぐには声が出なかった。

 ぽかんと口を開けたままでいたら、働いていた女たちがぞろぞろとやってきて、宝玄仙が座っている入口の後ろに並んだ。

 

 沙那、孫空女、朱姫だ──。

 

「ごぶさたしています」

 

「なんか、こういうことになってごめんね」

 

「また会えて嬉しいです」

 

 三人も頭をさげて挨拶をした。

 いや、もうひとりいる。

 

 すぐには誰だかわからなかったが、やがて、それが長女金だということがわかった。

 彼女たちが助けた女将校だが、その後、行方不明だと言っていた。

 どうやら、その長女金も見つけることができたのだ。陳達は安堵した。

 

「……こいつは、お前の嫁に連れて来たんだ。わたしらは数日すれば旅立つけど、こいつは置いていく。わかっていると思うけど、名は変えるからね。お前の嫁にしてやるから名もお前が決めな」

 

 宝玄仙が長女金を前に押しやった。

 陳達は仰天した。

 

 長女金は善良な美貌の女将校として知られていた。

 国都で不運な目に遭い陳達も同情をしていた。

 国都郊外の晒し場で男囚に犯される姿を晒されているという話に憤りを感じながらもなにもしなかった。

 だからこそ、宝玄仙たちが長女金を助けるために命を張ったということに自分を恥じたし、国都を脱する羽目になっても後悔しなかった。

 

「そ、そんな、わたしみたいな経験をした女を嫁になど……。でも、端女(はしため)としてでも置いてもらえれば一生懸命働きます」

 

 長女金が頭をさげた。

 

「陳達、お前のことはこいつには話した。お前さえよければ承知だそうだ。どうだい?」

 

 宝玄仙がさらに言った。

 陳達はあまりの話に長女金をじっと見た。

 長女金の顔に嫌がる様子はないし、嘘や冗談を言っている感じはない。

 どうやら、長女金をこの陳達の嫁にするというのは、本気の話のようだ。

 

 陳達は頭ががんがんしてきた。

 宝玄仙たちと十日をすごしたとき、もう一生分の女運は使い尽くしたと思っていた。

 しかし、今度は嫁だという。

 しかも、この長女金を……。

 あまりの出来過ぎた話に陳達はいまだ口がきけないでいた。

 

「……なに、黙りこくっているんだよ。まさか、気に入らないなんて言わないだろうねえ。ちょっとばかりつらい経験をしただけで、この女の価値に変わりあるものか。そんな鼻ぶらさげて、一人前にこいつが気に入らないとか思ってないだろうねえ」

 

 宝玄仙は陳達の沈黙に別のものを感じたようだ。

 途端に不機嫌になった。

 

「い、いえ、気に入らないとか……。気に入るとかの問題じゃないですよ、宝玄仙さん。俺みたいな顔の男に、こんな美女が嫁になってくれるなんて……」

 

 陳達はやっとのこと口をきくことができた。

 

「なんだい、醜男だってことはわかっているんじゃないかい。だったら嫁にしな。こいつは行き場がないんだ。こいつみたいに善良な美人はいないよ。それから武芸もできる。盗賊に襲われたときには用心棒になる。おまけに性の技も抜群ときている。最高の嫁だよ。健康だって、宝玄仙の折り紙つきだ。意外に家事もひと通りこなすらしいよ。ああ、そう言えば、お前は女を縛って抱くのが好きだったねえ。そういうことも受け入れてくれるから心配ないよ」

 

 宝玄仙は笑った。

 後ろで、もの凄いどよめきが起こった。

 さすがに陳達も自分の顔が赤面するのがわかった。

 

「あ、あの、よろしくお願いします」

 

 しかし、当の長女金は嫌な顔ひとつすることもなく頭をさげる。

 

「ちょ、ちょっと、ご主人様、他の人も聞いているのに、性の技だとか、縛るとか大きな声で言わなくていいじゃないですか──」

 

 沙那が血相変えた感じで怒鳴った。

 

「ちょ、ちょっと訊いていいですか? この美人さんをこいつの嫁にするというのは本当ですか?」

 

 家の前に群がっていた野次馬を代表するかたちで周達が前に出てきて叫んだ。

 

「そういうことだよ。まあ、陳達次第だけどね。この女には異存はないよ。わたしに命を救われた恩があるから、逆らうことはないさ」

 

 宝玄仙が笑いながら言った。

 

「も、もちろん、俺も異存なんて……」

 

 陳達は言った。

 長女金を自分の嫁にする……。

 そんなことをしていいのだろうか。

 また、頭ががんがんしてきた。

 

「ねえ、あんたとこの陳達はどういう関係なんですか──?」

 

 周達がさらに言った。

 

「……関係──? ああ、陳達とはお互いに身体を合わせた仲さ。この男は顔は醜いけど、道具はいいものを持っているのさ。わたしら全員、この男の一物が忘れられなくて、はるばる訪ねてきたんだ。だから、今日からしばらく、この部屋が騒がしいかもしれないから勘弁しておくれ──。こいつなんて、あのときの声が大きいから、きっとうるさいかもね。ほら、沙那、いまのうちに先に謝っておきな」

 

 宝玄仙が沙那を前に出した。

 

「も、もう、ご主人様──。余所の人に馬鹿みたいなこと……」

 

 沙那が頬を膨らませた。

 

「ね、ねえ、あんた、あんたらが陳達と寝たことがあるって本当? 冗談を言っているんでしょう?」

 

 周達だ。

 

「ああ……それは本当です。わたしも、こっちの孫女……孫空女と朱姫も……。それから、この女主人の宝玄仙も全員、陳達さんに抱いてもらいました。ご主人様の言う通り、今夜からそういうことになると思います。騒がしくするつもりはありませんが、ご迷惑にならないように気をつけますのでよろしくお願いします」

 

 沙那が頭をさげた。

 すると、沙那の言葉に近所の住民が騒然となった。

 

 こんな幸運を本当に味わっていいのだろうか?

 余りに旨い話に、陳達はめまいのようなものまで感じ始めていた。

 

 

 

 

(第56話『半妖の少年魔王』及び『朱柴国篇』終わり)






 *


【西遊記:70・71回、賽太歳(さいたいさい)・後段】


(『346 狂気の晩餐会』の後書きの続きとなります。)


 二年前に誘拐された朱柴国王妃の金聖宮(きんせいきゅう)を救出するために、孫悟空は賽太歳(さいたいさい)の部下に化けて、妖魔城である獬豸洞(かいちどう)に乗り込みます。
 獬豸洞に潜り込んだ孫悟空は、まずは、監禁されている王妃の金聖宮(きんせいきゅう)に接触することに成功し、彼女から賽太歳の強大な術の源が「腰鈴」であることを教えられます。
 孫悟空は、金聖宮に賽太歳を寝屋に誘うように指示し、その隙に腰鈴を取りあげてしまおうと画策します。

 金聖宮が言われた通りに賽太斎を誘うと、賽太斎は喜んでそれに応じ、孫悟空の策のまま、賽太歳は、虫に化けている孫悟空の前で金聖宮を抱くために腰帯を外します。
 孫悟空は一度はそれを掴みますが、手にした腰鈴をうっかりと鳴らしてしまい、術が作動し、大きな火焔が周囲に湧き起こります。
 孫悟空は慌てて逃げ出さざるを得なくなり、腰鈴の奪取に失敗してしまいます。

 発動した炎の火焔からなんとか逃亡した孫悟空は、今度は春嬌(しゅんきょう)という雌妖を眠らせて、その姿に変身します。
 春嬌の姿で孫悟空は、金聖宮にもう一度、賽太歳に色仕掛けで迫るように命じます。

 孫悟空は、春嬌の姿で賽太歳のところに赴き、金聖宮がさっき中断された続きを求めていると伝えます。
 またもや、喜んだ賽太歳は、春嬌とともに金聖宮の寝所に赴き、服を脱ごうとします。
 そのとき、手放した腰鈴をしっかりと孫悟空は確保します。

 孫悟空は、力の源を奪われた賽太歳を懲らしめてやろうとしますが、そこに観音菩薩が仲立ちにやってきます。
 実は、金聖宮を二年間朱紫国王から離したのは観音の仕業であり、二年前に神事で粗相をした朱紫王への罰でした。
 賽太歳は観音が連れていき、金聖宮は孫悟空によって、夫である朱紫国王に戻されます。
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