第57話 362 単話・さとりの妖怪
「くじですよ。くじ」
沙那が言い始めた。
すぐに沙那は、荷から雑紙を取り出して、こよりを四本作った。
そして、その中の一本だけの先を千切って短くする。
孫空女はその様子を横で見ていて苦笑した。
ここは、旅の途中で見つけた小さな猟師小屋だ。
とりあえず誰もいなかったので、孫空女たちは、ここを今夜の宿として使わせてもらうことにした。
夕食を済ませて片付けが終わると、いつものように、宝玄仙が夜の営みをしようとい言い出した。
営みといっても、嗜虐好きの宝玄仙の相手をするのだから、普通に百合の性交をするわけではない。
犠牲になったひとりが拘束を受け入れ、ほかの三人からよってかたって集中的に責めたてられるのだ。
すると、沙那が今夜の犠牲者は、公平にくじで決めようと言い出したのだ。
だが、そのくじにはからくりがある。
だから、孫空女は苦笑したのだ。
くじという手段は、一見公平のようだが、実はそうではない。
沙那は手に握ったくじを自由自在に操作できるのだ。
つまり、くじを当てさせたい者が引いたこよりが、当たりくじだった場合はそのままだが、そうでない場合でも、そのくじを手の中で千切ってしまうのだ。
そして、ほかのくじは、最初の当たりくじと同じ長さに拳の中で千切ってしまう。
そうやって、当たりくじを引いたように見せかけておいて、手に残っているこよりの千切れを隠してしまう。
この手で沙那は二度三度、犠牲者の役を朱姫や宝玄仙に押しつけている。
「じゃあ、いつものように、一番短いくじが当たりです。恨みっこなしですよ」
沙那が先端を握った四本のこよりを差し出した。
「どうでもいいけど、なんで四本なんだい、沙那? 今夜のいけにえを決めるくじじゃないか。お前ら三人でやりな」
宝玄仙が言った。
「まあまあ、いいじゃないですか、ご主人様……。たまに、わたしたちに責められる側になることも、そんなに嫌じゃないんですよね? ご主人様は、責めるのも好きなら、責められるのも好きなんだし、ご主人様が当たってしまったら、わたしたちは、精一杯に責めてさしあげますから」
沙那はにこにこと微笑みながら言った。
その物言いから、孫空女には、沙那は、今日の当たりは、宝玄仙にするつもりなのを悟った。
「じゃあ、あたしから引きますね」
朱姫が手を伸ばした。
しかし、それを宝玄仙が押しとどめた。
「なんですか、ご主人様?」
朱姫が宝玄仙に視線を向けた。
「どうも、怪しいんだよねえ……。沙那、もう一度、手を拡げて、くじを見せな」
宝玄仙が言った。
「う、疑り深いですねえ……。いんちきなんてするわけないじゃないですか。ほらっ」
沙那はくじを握っていた手を拡げた。
もちろん、沙那は、いんちきをしているのだが、この時点では、なにも細工はしていない。
宝玄仙にも朱姫にも、沙那の魂胆がわかるわけはない。
「確かに、いんちきじゃないね。じゃあ、やろうか……」
宝玄仙がそう言うと、沙那が再びこよりを握って差し出した。
そのとき、宝玄仙がにやりと微笑んだ気がした。
「わたしから引くよ……」
宝玄仙は、沙那の握ったくじに手を伸ばして、一、二度、手で軽くこよりを引っ張る仕草をしてから、一本のこよりを抜き取った。
「あっ」
そのとき、沙那が急に声をあげて顔を真っ赤にした。
どうしたのだろう?
「ご、ご主人様……」
沙那が焦った様子で宝玄仙を見た。
「どうしたんだい、沙那。こよりの一本が手に吸いついて取れなくなったかい? しかも、指が硬直して動かないんだろう? お陰でいんちきができなくなったのかい──? ふん、いつまでもお前に騙されるわけがないだろう……。さあ、誰が当たりくじを引くんだろうね。愉しみだよ……」
「ちょ、ちょっと待って……」
沙那は明らかに様子が不自然だ。
孫空女はひそかに嘆息した。
「今夜当たった者は、徹底的に嗜虐されることにしようじゃないか。一刻(約一時間)や二刻(約二時間)で終らないよ。別に明日の出立が遅くなっても構わないさ。朝までやるよ……。いや、明日は、そのいけにえが、歩きながら零具で責められることにもしようか……。もちろん、わたしが一番短いくじだったら、受け入れるから、誰が当たっても、それを受け入れるんだよ──。文句言わずにね」
宝玄仙が愉悦のこもった笑みを浮かべながら言った。
孫空女は、その言葉で、沙那の細工がばれて、逆に沙那の手から一番短いこよりが外れなくなるように、宝玄仙が道術を掛けたのだと思った。
こうなったら、もうどうしようもない……。
下手な小細工をしようとした沙那も悪い。
「あたしも引くよ……」
孫空女も手を伸ばした。
こよりを確かめると、確かに、一本だけ沙那の手に貼りついたように動かないこよりがある。
それが当たりくじなのだろう。
孫空女は、それを避けて、別のこよりを抜いた。
「そ、孫女……。ね、ねえ……」
沙那が焦った口調で、助けを呼ぶように孫空女を名を呼んだ。
「な、なんだい、沙那? 変なところで、名を呼ばないでおくれよ……」
孫空女が沙那の小細工を承知していて、さらにそれを黙っていたということが宝玄仙に知られれば、沙那だけではなく、とばっちりは孫空女にも及ぶのだ。
「じゃあ、あたしも」
朱姫が残った二本に手を伸ばした。
しかし、そのとき、孫空女は、外になにかの気配を感じた。
孫空女は、耳に隠している『如意棒』を右手に移す。
「ご主人様、道術を解いてください──」
沙那も真顔になって、こよりを投げ捨てると、横に置いていた剣をとった。
すると、山小屋の戸が外から叩かれた。
「誰──?」
沙那が怒鳴った。
山小屋そのものには、宝玄仙の強い結界が刻んである。
訪問者が誰であろうと、簡単には小屋には入ってこれないはずだ。
「あんたらこそ、誰だい? 僕の山小屋でなにをしているの? しかも、おかしな道術の壁まで作って……」
山小屋の外からしたのは、男の子供を思わせる声だった。
「あなたの小屋?」
沙那が声をあげた。
「そうだよ。とにかく、ここを開けてよ。ここは、僕の家だよ──。もちろん、結界を作っている道術も解いてよね」
その声に沙那が首を傾げた。
いまは、夜更けもいいところだ。
ここが、その子の山小屋だとしても、そんな時間に戻ってくるなど不自然だと孫空女も思った。
「ひとりなの?」
沙那が用心深く、戸の外に声をかけた。
「そうだよ。その証拠に部屋の中の様子を説明しようか?」
外の子供が言った。
孫空女は沙那とともに、戸のそばに構えたまま、さっと部屋の中を見た。
確かに、部屋の中には、この小屋の持ち主が使っていたと思う、比較的新しいむしろが二枚ある。
そして、奥の小さなかまどには、土鍋に調理をしていない山芋があった。
「もしかしたら、僕のことを怪しい者かもしれないと思っている? 怪しいのは、僕の留守中に、勝手に僕の家に入り込んだあんたらだよ。そこに、奥に新しいむしろがあるでしょう……。僕の寝床だよ。それから、奥のかまどには、食べようと思っていた芋が置いてある。どう? 僕の小屋だということがわかった? それよりも、あんたたちこそ、ここでなにをしているのさ?」
「仕方がない、結界を解くよ……」
外からする子供の声による説明に、宝玄仙が肩を竦めた。
孫空女には、宝玄仙が結界を解いたのがわかった。
「ま、待ってください、ご主人様──」
しかし、沙那が叫んだ。
だが、そのときには戸が開いて、すでに外からその人物が入ってきていた。
肌の黒い小さな何者かだった。
背丈は確かに人間の子供くらいだが、間違いなく人間ではない。
怖ろしく髪が長くて顔もよくわからない。
そのぼさぼさの真っ黒い髪が腰の後ろまで伸びていて、それを途中で木の蔓で縛っている。
「……へへ……、沙那しか、喋っていないのに、僕が、“あんたら”と言ったのが、ちょっと不自然だと思ったの?」
その子供が沙那の顔を見て言った。
用心深く、まだ剣の鞘を握ったままの沙那の眼が大きくなったのが孫空女にはわかった。
「……沙那の頭の中が読まれたような気がした? あれっ? 僕が只者ではないと考えているの? 場合によっては、それで僕を斬ろうというの? 怖いねえ……。少し、沙那からは離れようっと──」
そいつは、戸の前から進んで、部屋の奥に歩き出した。
こいつは、いったいなんだ?
妖魔?
しかし、そういう雰囲気でもない。わかるのは男だというくらいだ。
「待って、孫空女──。その右手のもので殴らないでね。僕は、なんにもしないよ。ただ、通りかかったら、珍しいことをしようとしているようだから、見物させてももらおうと思っただけさ」
「見物?」
孫空女は用心深く構えた。
「僕のことは気にしないで、さっきやろうとしたことを続けてよ。くじで当たった女が、裸にされて縛られるんでしょう? でも、それは沙那に決まっているんだよね、宝玄仙さん……。それで、肉芽を糸で吊りあげて、大きくする調教をこの沙那にしようと思っていたんでしょう、宝玄仙さん──。面白いじゃない。やってよ。僕は、小屋の隅でじっとしているよ。害はないよ」
男は、この小屋の四人の女を制するように、距離を置きながらそう言った。
孫空女は呆気にとられた。
「僕に道術は効かないよ、朱姫。道術をかけようとしたら、僕は自分の身体を幽体にできるからね。道術なんて、すり抜けてしまうよ」
そいつは言った。
そして、呆気にとられている四人を尻目に、四人の前を横切って、小屋の奥にあるむしろの上に座り込んだ。
「さあ、やって、やってよ──」
男が胡坐をかいて、こっちに笑みを向けた。
「そいつは、さとりという化け物だよ」
すると、宝玄仙がぼそりと言った。
「へえ、宝玄仙さん、よく知っているじゃない──。そうだよ、僕は、さとりだよ。あんたの考えているとおり、僕は正確には妖魔ではない。ましてや、人間の子供でもない。妖怪といった方がいいだろうね」
男が言った。
「さとり?」
孫空女は呟いた。
「そうだよ、孫空女……。こいつは、さとりという妖怪のようだ。人の心を読む悪戯妖怪だよ」
宝玄仙がそう言った。
「妖怪って?」
孫空女は声をあげた。
「あれっ、孫空女って、妖怪って知らないの? じゃあ、教えてあげてよ……。ええっと……。宝玄仙さんがいいよね。ついでに、僕のことも教えてあげて」
さとりが宝玄仙に視線を向けた。
「……妖怪というのは、妖魔と呼ばれる魔族とは違う。正真正銘の非常識的な存在のことさ。そして、さとりという妖怪は、人の心を読むという化け物だね……。害がないというのは嘘だよ。油断していると取って食うよ。こいつの好物は、生きている人間の胆だからね」
宝玄仙がそう説明すると、さとりが大きな声で笑った。
「心配しなくても、あんたらは食いはしないよ。さっき、ひとり旅人を食ってきた。腹いっぱいだ。ねぐらに戻ろうとしたら、面白そうな女たちの心が飛び込んできたので、立ち寄ってみたのさ……」
「つまり、つい立ち寄ったということかい」
宝玄仙が言った。
「まあね。とにかく、僕には遠慮はいらないよ。やろうとしていたことやってよ。僕は、人間の男と女が乳繰り合うのは見物したことはたくさんあるけど、女と女はまだ見たことがないのさ。ましてや、四人の女が同時になんて初めてだ──。さあ、さあ……」
さとりが煽り立てるように言った。
しかし、宝玄仙は肩を竦めた。
「お前のような人食いの化け物に見られながらこいつらと抱き合う気にはなれないね。お前も、わたしの心を読んでいるなら、わたしの言っていることが、そのままなのはわかるだろう? こいつらとの性交はなしだよ。さあ、行きな」
「本当にそうみたいだね、宝玄仙さん……。そんなのつまらないよ。やってよ──。見たいんだよ」
さとりが声をあげた。
「ね、ねえ……。ということは、ここはこいつの小屋というわけじゃないんだね?」
孫空女は口を開いた。
だが、扉の外から、この小屋がさとりの棲み処であるようなことをこいつは喋った。
だから、宝玄仙は、結界を解いて、このさとりを中に入れたのだ。
「そうね、孫女……。わたしかあんたの心を読まれたのよ。こいつが、部屋の中の物を説明するよ、と喋ったとき、わたしたちは、こいつが正しいことを喋るかどうか確かめるために、思わず部屋を改めて確かめたわ。その心を読まれたのよ」
沙那が言った。
「ご名答。あんた、頭いいんだね、沙那……。でも、この人たちと仲良くしているけど、正直にいえば、この三人と抱き合うのは嫌いなんだね。へえ、嫌いなのに抱き合うんだ……。仕方なく?」
さとりが語りだした。
「な、なに言ってんのよ──。く、くだらないことを喋らないでよ」
動揺した様子の沙那が狼狽えた声をあげた。
「もっと、心を読んであげるよ、沙那……。ほうほう……。でも、気持ちいいのは満更でもないんだね。だけど、恥ずかしいのは死ぬほど嫌いなんだねえ……。へえっ……。だけど、恥ずかしいと感じるとも思っているんだ。面白いねえ……」
「しゃ、喋るな、さとり──」
沙那は顔を赤くして、剣に手をかけた。
「おっと、無駄だよ、沙那──。僕は心が読めるんだ。あんたが僕を襲おうとしても、それよりも早く避けちゃうさ」
さとりが笑った。
「だったら、避けてみれば──」
沙那が動いた。
一瞬にして跳躍し、さとりとの間合いが詰まる。
「あっ」
しかし、沙那が声をあげた。
さとりの姿が消滅したのだ。
たったいままでさとりが座っていたむしろの前に、沙那が剣を構えて呆然としている。
孫空女も如意棒を握り直す。
「伸び──あっ──」
孫空女は声をあげた。
手に握った『如意棒』を伸ばそうとすると、沙那の前から消滅したさとりが、急に孫空女の眼の前に出現して、機先を制するように孫空女の右手を蹴ったのだ。
「おっと──」
孫空女が反撃する間もなく、再びさとりの姿が消滅した。
すると孫空女の全身に、朱姫の『影手』が張りついた。
「そ、孫姉さん、ごめんなさい──。さとりを狙おうとして──」
朱姫が声をあげた。
すぐに孫空女の身体に貼りついた『影手』は消える。
「やめな、お前たち──」
宝玄仙が大喝した。
孫空女は、改めて『如意棒』を伸ばそうとしていたのを取りやめた。
沙那と朱姫も、それぞれの場所で、身構えたまま硬直する。
「これは、こいつの常套手段だよ。そうやって、お互いを攻撃させるんだ。下手に動くと、お前たちをいえども、お互いを傷つけてしまう。さとりというのは、そういうやつなんだ」
「えっ?」
孫空女は宝玄仙を見た。
「隠しているお互いの秘密をばらして、疑心暗鬼にさせたり、いまみたいに、自分を襲わせて、その攻撃を仲間に誤って受けさせたりして、仲違いさせるんだよ。それがこいつの手なんだ。そして、傷ついたり、殺し合わせたりして、人間を食べるんだ──。冷静になりな、お前たち」
宝玄仙が言った。
「へえ、よくわかっているんじゃん……。あんた、妖怪研究家かなにか、宝玄仙さん?」
さとりが姿を現して、四人から離れた別の隅に座り込んだ。
沙那が宝玄仙に促されて、その場に座った。
「……いや、説明しなくてもいいよ。心に浮かべれば、わかっちゃうからね。あんたに、妖魔や妖怪のことを教えたのは、あんたのお母さんなんだね……。へえ、あんたって、お母さんに調教されたことがあるの? そのお母さんのことが嫌い? いや、そうでもないみたいだねえ……。会いたいなら会えばいいじゃないの。お母さんに調教され直されたいんでしょう?」
さとりが宝玄仙をからかうような物言いをした。
「な、なんだと、お前──。べらべらとつまらないことを口にするんじゃないよ──」
宝玄仙が激昂したのがわかった。
無数の道術の槍みたいなものが、いきなり、部屋中に飛び放った。
「うわっ」
「ひっ」
「きゃああ」
孫空女も、沙那も、朱姫も、とっさに身体をその場にひれ伏して、その道術の槍を避けた。
槍は、孫空女の背中すれすれの位置を掠め飛んだ。
「ご、ご主人様、冷静になってください──。も、もう、冷静にって自分で言っておいて──」
沙那が床に伏せたまま必死で叫んだ。
「そうだよ。おっかないなあ……。僕には当たらないことがわかっていて、攻撃するんだねえ……。あんた、結構短気なんだね」
一瞬、姿を消していたさとりが、また同じ場所に現れた。
宝玄仙が憤懣の表情のまま力を抜いた。
どうやら、多少は冷静さが戻ったようだ。
孫空女は身体を起こして座り直す。
沙那と朱姫も、身体を起こした。
それにしても、宝玄仙の親の話を聞くなど初めてだ。
母親から宝玄仙が調教されていたとさとりが言っていたが、本当だろうか……?
まあ、本当なのだろう……。
だから、あれだけ、腹をたてたのに違いない。
「ねえ、落ち着いたなら、さっきも言ったけど、続きやってよ──。四人で遊んでよ。約束するからさあ……。あんたらには、なにもしないよ。四人が抱き合うのを見せてくれたらね」
「その気はないと言っているだろう、さとり──。もうなにもしないよ。諦めて、どこかに消えな」
宝玄仙が怒鳴った。
「ああ、つまんないの──。だっから、あんたたちが、隠していることをなんでもばらしちゃうよ……。じゃあ、仲好さそうな四人だけど、本当はお互いに嫌ったり、誰かのことが一番好きだったりしているんだよねえ……。それを喋っちゃおう──。じゃあ、まずは、あんた──」
さとりがいきなり、孫空女を指差した。
「あ、あたし──?」
思わず孫空女は声をあげた。
「そうだよ、あんただ──。じゃあ、孫空女が一番好きなのは……」
さとりがにやにやと笑いながら、もったいぶった口調で続きを喋り始めた。
*
「とにかく、こいつに効果的なのは、無視することだよ。いいから、お前ら、こいつがなにを喋っても無視してな」
宝玄仙が言った。
沙那は黙って頷く。
ほかのふたりも同じように首を縦に振った。
「あれっ? もう、僕に構うのはやめにするの? そしたら、諦めて出て行くと思っている? そうはいかないよ。じゃあ、とりあえず、この赤毛の女の心を読んじゃおう……」
さとりが喋り出した。
沙那はとりあえず、宝玄仙の指示に従い無視することにした。
いまは、沙那たち四人は、小屋の壁に背もたれて四人がばらばらに座っている。
さとりは、その中心に立って、くるくると向きを変えながら四人に交互に視線を送っている。
「あんたが好きなのはこの人だ──」
さとりが最初に孫空女を指さしてから、次に宝玄仙を指した。
「ほう、光栄だね、孫空女。じゃあ、こいつがいなくなったら、明日の夜にでも徹底的に苛めてやるよ」
宝玄仙がにやりと笑った。
「か、勘弁してよ……」
孫空女が顔を赤らめた。
「大丈夫だよ。実は、この赤毛の女の人は、あんたに責められるのがすごく好きなんだ。気持ちがいいんだってさ。それだけじゃなくて、苛められると凄く感じると思っているよ。特に、身動きできなくされて、胸や股を弄られるのが好きさ。それとお尻の穴もね……」
「たっぷり、ご馳走してやるよ、孫空女──。それこそ、息もできないほどにね」
宝玄仙が笑った。
「ほ、本当に勘忍してよ、ご主人様」
孫空女がますます顔を赤くした。
「あれっ……。思ったよりも反応しないね。つまんないなあ……。じゃあ、初めての性行為の相手をばらしちゃおうかなあ……」
さとりは少し不満そうに言った。
それくらいのことは、とっくの昔にみんな承知している。
秘密でもなんでもないから、孫空女も動じないのだと沙那は思った。
すると、さとりが、さっと沙那に視線を向けた。
「なるほど、そういうことか……。あんたらは秘密が少ないんだ。だから、さっきのは秘密でもなんでもなかったんだ。教えてくれてありがとうね、あんた」
さとりが沙那に視線を向けて言った。
教えた覚えはないが、勝手に心を読まれたのだ。
「……そうだよ。教えた覚えはないと思うけど、僕に心を読まれたのさ」
「くっ」
思わず声を洩らした。
なにか苛つく相手だ……。
「僕のことを苛つく相手だと思ったね」
さとりが笑った。
わざとらしい呷り言葉に、沙那の頭にかっと血が昇る──。
「怒りっぽいんだねえ。あんたが腹をたてたのがわかったよ……。じゃあ、心を読むのはあんたに変えようっと……。そっちが面白そうだしね──。あれっ? うっとうしいと思った? ほかの人のところに向かって欲しい? そうはいかないよ。ええっと……。あんたが一番好きなのは……」
「沙那、心を真っ白にしな。苛々と感情的になるから付け込まれるんだよ」
宝玄仙だ。
沙那はその言葉で少しだけ、冷静になった。
ゆっくりと心の中で数を数えていく……。
一……二……三……。
「どうやら、一番好きなのはこの赤毛の女だね──。間違いないね」
さとりがそう言って笑った。
「こ、こらっ──。な、な、なに勝手なことをほざいてるのよ──。や、やっぱり、殺す──」
沙那は身体の横の剣をさっと取った。
「心を真っ白にしろと言っているだろう、沙那──。興奮させて攻撃させることで、お互いに傷つけ合わせるのが、そいつの手だと教えただろう──」
宝玄仙が笑いながら声をあげた。
沙那は歯噛みして、剣を横に置いて腰をおろし直す。
確かに、沙那が剣を掴むまでは四人の真ん中にいたのに、いつの間にか、朱姫のそばにいる。
興奮して斬りつけていたら、もしかしたら、朱姫に剣が当たっていたかもしれない……。
そう思った。
「それにしても、お前の好きなのが、孫空女とは知らなかったよ。そう言えば、孫空女が供になった頃から、お前も大人しくなってきたものねえ……。次からは、もっとお互いに乳繰り合う機会を増やしてやるよ、沙那」
宝玄仙がさらに笑いながら言った。
「ち、違います──。そ、そんなんじゃありません、ご主人様──。そ、孫女、そんなんじゃないのよ……」
沙那は狼狽えてしまい、宝玄仙と孫空女を交互に視線をやって、弁解じみた言葉を使ってしまった。
孫空女は当惑したような表情だ。
「もっと、言ってやるよ……。ええっと……。逆に、嫌いなのはこの女だ」
さとりは、今度は朱姫を指さした。
「ああっ──。酷いですよ、沙那姉さん──。いつも、尽くして差しあげているのに、あたしのこと嫌いなんですか──?」
朱姫が大袈裟な口調で言った。
「なにが尽くしてあげているよ、朱姫──。あんたがいつも調子に乗って、常軌を逸脱するような責めをするのは嫌いだと言っているでしょう──。いつも、いつも、いい加減にしなさいよね──」
沙那は叫んだ。
朱姫は、わあ酷いとか言いながら頬を膨らませた。
「……でも、あんたに身体を舐められるのは嫌いではないようだよ、お嬢ちゃん──。この人は、本当は恥ずかしいことが気持ちいいんだよ。気持ちのいいことをされるのもね……。でも、あんたに責められると、そんな心を剝き出しにされたような気持ちになるから、とても落ち着かない気持ちになるらしいね。だから、嫌らしいよ」
さとりが朱姫に言った。
「なんだ、そうだったんですかあ。なら、許してあげます。次は、朱姫の舌で沙那姉さんの身体をたくさんたくさん舐め舐めしますね」
朱姫が笑った。
「違うと言っているでしょう──。で、出鱈目ばかり、言うんじゃないわよ──」
沙那は手の平で思い切り壁を叩いた。
「興奮するなといっているだろう、沙那──。いい加減に短気を直しな」
宝玄仙がまた声をあげた。
仕方なく沙那は黙り込んだ。
だが、短気だと宝玄仙に言われたくはないものだとも思った。
この中で、一番短気なのは、宝玄仙であることに間違いないのだ。
「この人に、そんなことをを言われたくはないと思ったね、あんた?」
さとりが、宝玄仙を指差しながら沙那に言った。
沙那は、またかっとなった。
「だんだんと愉しくなってきたよ……。次は誰の心を読んでからかおうかなあ……」
さとりがくすくとと笑いながら、四人を見回し始めた。
沙那は、心が激昂するのをぐっと我慢した。
「……でも、そろそろ、うっとうしくなってきたかな……。追い払っちゃおうかなあ……」
沙那はその声に顔をあげた。
声の主は朱姫だった。
「おやおや、どうやら、あんたは、僕を攻撃しようと思っているね……。でも、無駄だよ──。君が行動を起こす前に僕はそれを悟って、逃げてしまうからね」
さとりが朱姫に言った。
「……人が息をし、目がものを見るかぎり……この言葉は生き、君にいのちを与えつづける……荒々しい風は五月のいじらしい蕾をいじめる……」
すると、突然、朱姫がそう言ったのだ。
「えっ? なに?」
すると、さとりが困惑した声をあげた。
だが、もっと困惑したのは沙那だ。
気がつくと、拳をさとりの顔に向けて振っていた。
「ぶぎいっ──」
まともに頬に沙那の拳を受けて、さとりが床に転がった。
「な、なんだ──? 思ったのは、この背の低い女だったのに、殴ったのは、この気の短い女だったぞ?」
さとりが悲鳴をあげた。
「なりよりも夏はあまりにあっけなく去っていく……時に天なる瞳はあまりに暑く輝き……
かと思うとその黄金の顔はしばしば曇る……」
朱姫がもう一度、わけのわからない言葉を呟いた。
次の瞬間、沙那は引っくり返ったさとりを蹴り飛ばしていた。
「ぐわああ──」
沙那の蹴りを横腹に受けたさとりが、身体を曲げた苦痛の声をあげた。
「な、なに?」
沙那はわけがわからなかった。
「こ、怖いよう──。こいつらは、攻撃しようと思ったのが攻撃せずに、なにも思わない者がいきなり殴りかかったりする──。こいつらこそ、化け物だ──」
さとりは起きあがると、慌てふためいて小屋を出て行った。
「よくやったよ、朱姫──」
宝玄仙が声をあげた。
そして、道術を刻んだようだ。
「……もう大丈夫だよ。もう一度、結界を刻んだ。今度戻ってきても、もう結界を通させはしないから大丈夫だ」
宝玄仙がほっとした声をあげた。
「よかった……。じゃあ、沙那姉さんの『縛心術』を解きます……。あたしの眼を見てください、沙那姉さん──はいっ」
朱姫が手を叩く音がした。
はっとした。
なにが起きたかわかったのだ。
意識がまともだったと思ったが、たったいままで、沙那は、朱姫の『縛心術』による操り状態にあったようだ。
「なに、なに、なに? いま、なにがあったのさ?」
孫空女が声をあげた。
「あたしが、沙那姉さんを『縛心術』による催眠状態にして操って、さとりを殴らせたんです。あたしが攻撃しようと思ったのは、さとりに悟られましたけど、あの妖怪は、『縛心術』というものを知らなかったんですね。だから、思いもよらないところから殴られて、対処できなかったんです、孫姉さん」
朱姫がにこにこしながら言った。
沙那は呆気にとられた。
「わたしの身体を操ったの?」
「まあ、許してくださいね、沙那姉さん……。それとご褒美くださいね……」
朱姫は悪びれた様子もなく言った。
「でも、時間が経てば、さとりも、わたしらの心を読んで、なにが起きているかを悟ったと思うから、時間をかけていれば通用しない手段だったね。沙那が短気で、すぐにでもさとりを殴りたい気持ちになっていたから、朱姫の暗示で心がすぐに動いたということもあるようだね……。まあ、いずれにしても、ひと安心だ」
宝玄仙が笑った。
「じょ、冗談じゃありませんよ」
沙那は声をあげた。
そして、朱姫を睨んだ。
「お、お前、いまのはなによ──? あのわけのわからない呪文のような言葉は──? お前、駄目だとあれほどに念を押したのに、わたしにまだ『縛心術』にすぐにかかる鍵となる言葉を残していたわね──。何度、折檻すれば、わたしにかけた『縛心術』を全部解くのよ──?」
沙那は朱姫を怒鳴りあげた。
これまでに朱姫は、『縛心術』を遣った責めを幾度となく行っている。
沙那や孫空女に『縛心術』をかけて、まともにものを考えられない状態にして、下半身を露出して外に立たせたり、公道で突然に自慰を始めさせたりという、とんでもないことをさせるのだ。
その都度、倍返しにして仕返しをするのだが、この朱姫は、これに懲りるということはない。
そして、機会さえあれば、すぐにでも、その『縛心術』で沙那たちの身体を玩具にしようと、すぐに催眠状態になる暗示を残しているのだ。
先日もそのことに気がついて、朱姫を拘束して拷問し、すっかりと白状させて、三人に対する暗示を解かせたはずだった。
それにも関わらず、さっき暗示の言葉で沙那が『縛心術』にかかった状態になったということは、朱姫はあの訊問にもめげずに、まだ、鍵の言葉を残して隠していたのだ。
「あっ……」
朱姫がしまったという顔をした。
「そう言えば、そうだよねえ……。あのとき、全部、暗示を解除させたはずなのに、まだ、沙那に残っているということは、もしかしたら、あたしやご主人様への暗示の鍵も、まだ残っているかもしれないよ」
孫空女だ。
「それもそうかねえ……?」
宝玄仙も神妙な表情になった。
「そ、それはありません──。今度こそ、本当です──。あたしは、沙那姉さんの暗示だけひとつ残しておいただけなんです。今度は本当です──。もうありません。いまの暗示は解きます──。それに、ご主人様や孫姉さんには、もう暗示の言葉は残してませんから──。正味、本当です」
朱姫が慌てたように声をあげた。
「皆まで言わなくていいのよ、朱姫……。訊問が始まるまでね……。さあ、今日の訊問は、この前よりも輪をかけてつらいと覚悟するのね──。徹底的に身体に訊いてあげるわ──。ご主人様、朱姫を動けなくしてください」
沙那が言った。
すると、朱姫の身体が棒のように真っ直ぐになって硬直した。
その場に倒れていく……。
沙那はそれを床に当たる直前に受けとめた。
「ほ、本当ですよ、沙那姉さん──。か、勘忍してくださいよ。妖怪を追っ払って、罰を受けるなんて、理不尽ですよ」
動けない朱姫が沙那に向かって声をあげた。
「いまは、なんにも喋らなくていいと言っているでしょう、朱姫──。二刻(約二時間)ほど、三人がかりで責めたててから、それから初めて質問してあげるからね。それまでは耐えるだけよ」
沙那はそう言って、朱姫の身体を床に寝かせてから、衣服を剥ぎ始めた。
「手伝うよ、沙那」
すると孫空女の手がそれに加わった。
宝玄仙はその様子を愉しそうに見守る態勢になった。
(第57話『さとりの妖怪』終わり)