「嫌です──。とんでもありません。わたしたちは遊妓じゃないですよ、ご主人様。嫌です。絶対にお断りです──」
沙那が悲鳴をあげるように言った。
「いまさらなに言ってんだい、沙那。性を知らないお嬢ちゃんじゃあるまいし……。ただ、この男とみんなで一緒に遊ぼうと言っているだけさ。お前も満更嫌いじゃないだろう? 昨夜はわたしひとりで愉しんじゃったから、今日は一日かけて、みんなで愉しもうということさ。この
「わたしたちを巻き込まないでください、ご主人様。だいたい、こいつのこと知っているんですか?」
「知っているさ、沙那──。なかなかの性技だったよ。お前たちも愉しみな。いまさら、護るような貞操でもないだろう。女が美しさを保つには、定期的に男の精を受けることも必要さ。女同士だとそれができないからね。その点、この張須陀はなかなかにいい道具を持っていたよ」
「ねえ、聞いてください、ご主人様──。わたしはこの男を知っているんです……。故郷の愛陽でですね……」
沙那が血相を変えた様子で語り始めた。
しかし、それを宝玄仙が手を振って阻んだ。
「いいんだよ。こいつがどんな男かだなんてね。道具はいいものを持っている。それでいいじゃないか、沙那。別に結婚をしろとか言ってんじゃないよ。みんなで抱かれようと言っているだけさ」
「絶対に嫌です。こいつは破廉恥男なんです。昔、故郷で襲われたんです。こ、こいつの鼻が曲がっているでしょう。わたしが蹴り飛ばしたんですよ。正式の試合で負けたのを腹癒せに闇討ちまでしたんです……。というか、なんでお前がここにいるのよ──」
沙那が興奮状態でまくしたてた。
いつも冷静な沙那がここまで激情するのも珍しいが、それだけ張須陀という男のことを根に持っているのだろう。
どうやら、怖ろしい偶然ではあるが、かつて沙那の故郷の愛陽の城郭で沙那を襲おうとして失敗し、城郭を追放されたという張須陀と、眼の前の張須陀は同一人物らしい。
その張須陀も驚いているようだが、にやにやと笑ってもいる。
「……三人の供の話はこの宝玄仙殿から聞いて、俺も半信半疑だったが、本当にあの沙那なんだな。そんなに邪慳にしなくていいじゃないかよ。あんたの女主人の言う通り、いい物を持ってんぜ。聞けば、あれからお前も盗みをやらかして、愛陽の城郭を追放されたらしいじゃねえか。お互いに故郷を追放されたふたりが、遥かに離れたこんな場所で再会するなんて、とんでもない因縁じゃねえかい。まあ、かつてのことはお互いに水に流そうじゃねえか──。仲良くしようぜ、沙那」
「き、気安く名を呼ぶんじゃないわよ、この破廉恥男──」
沙那が張須陀を睨みつけた。
こんなに興奮している沙那は初めて見たかもしれない。孫空女も呆気にとられていた。
「あ、あのう……沙那姉さん、もしかしたら、昨夜、あたしたちに話してくれた張須陀という人とこの人とは……」
沙那の権幕に押されたように、朱姫がおずおずと口を挟んだ。
「そうよ。こいつは、あの張須陀よ。下種男よ──。一体全体、あんたこんなところでなにをしてんのよ──」
沙那が張須陀に指を向けた。
「それはこっちの台詞だが、まあ、いろいろとあってな……。あれから、どこに行ってもうまくはいかず、腕一本を頼りに流れに流れて、こんな人外地まで落ちて来たということさ。そういう、あんたも精錬潔白の女武術家みたいな振る舞いだったけど、風の噂じゃあ、そのお前も、愛陽の神殿から物を盗んで城郭から追放刑を受けたそうじゃないか。それを聞いたときには嬉しかったぜ。あの女も俺と同じところまで落ちてきたんだと思ってな」
張須陀が笑った。
「じょ、冗談じゃないわよ。わたしは盗みなんてしないわ。無実の罪で追放されたのよ。一緒にするんじゃないわよ」
沙那は叫んだ。
「じゃあ、俺も無実の罪で城郭を追放になったんだ。一緒じゃねえか」
張須陀は馬鹿にしたように笑った。
「な、なにが無実の罪よ。あんたが無実じゃないのは、その曲がった鼻が証拠よ。忘れたんなら、もう一度、蹴飛ばすわよ」
沙那が喚いた。
宝玄仙は沙那の興奮が愉しくなってきたのかにやにやして笑っている。
確かに世間的には沙那は、罪を犯して故郷を追放されたということになっているはずだが、沙那が愛陽の城郭を追放になったのは、宝玄仙の陰謀によるものだということは孫空女は知っている。
宝玄仙が東帝国の愛陽の城郭に立ち寄ったとき、臨時の護衛役となった沙那を自分の供にしたくて、宝玄仙が罠にかけて沙那を罪人にしたてあげるとともに、『服従の首輪』の霊具を首に嵌めたのだ。
「まあ、いいじゃないか、沙那。話は乱交しながらでもできるさ。みんなで、張須陀と部屋に行こうよ」
宝玄仙が言った。
「絶対に嫌です。こればかりは、ご主人様の命令は従えません」
「ほう……。いま、なんか言ったかい、沙那?」
すると途端に宝玄仙の顔色が一変した。
顔から笑みは消えてないが、こめかみが動いている。
あの表情は宝玄仙が不機嫌になった証拠だ。宝玄仙はなかなかに情に篤いところもあるが、基本的には大変な短気だ。
その気の短さが、さまざまな災難を一行に呼び込むことになるのだが、そのために、宝玄仙の扱いにはやってはいけない掟がある。
そのひとつが、いま沙那がやったように頭ごなしに宝玄仙の言葉を否定することだ。
そんなことをすれば、宝玄仙は怒るか、調子に乗るかのどちらかの反応しかしなくなり、事態は面倒なことになる。
そして、いま、沙那が必死の拒否を示したことで宝玄仙は、その両方の反応を示しだしている。
いつもの沙那なら、もっとうまく宝玄仙をあしらうのだが、今日の沙那は些か興奮しているようだ。
「わたしは、断固として嫌です。お断りです。絶対に嫌──」
沙那は首を激しく横に振った。
すると宝玄仙は完全にむっとした表情になった。
顔からはすっかりと笑みが消えて、真顔になっている。
これはいよいよ危険だ……。
「ねえ、いいじゃないか、ご主人様──。だ、だったら、あたしと朱姫だけ、その乱交とやらに参加するよ。沙那は部屋で待たせればいいんじゃないの」
孫空女は間に入った。
「じゃあ、あたしも沙那姉さんと待ってます……」
朱姫が小さな声で言った。
ふと見ると、朱姫が蒼い顔をしている。
昨夜、『縛心術』で喜々として悪戯を仕掛けてきた朱姫だが、男を相手にするとなると、途端に暗くなり元気がなくなる。
こいつは、いまだに男は苦手なのだ。
「お、お前はややこしくなるから黙っていな、朱姫……。と、とにかく、沙那については……」
「お前こそ黙りな、孫空女──。沙那、どうしても参加してもらうよ。拒否できるものなら拒否してみな」
宝玄仙が道術を刻み始めたのがわかった。
宝玄仙の周りの霊気が激しく活性化している。
大量の霊気が消費されようとしているのは確かだ……。
「……ちょうどいいよ。できあがったばかりの新しい霊具の実験台になってもらうよ、沙那」
気がつくと宝玄仙は、手にひとつの首輪と小さな筒を持っていた。
道術で部屋から転送させたのだろう。
首輪は真っ黒い色をしていて孫空女が嵌められているのと同じで細い金属だ。
なにかの霊具であることは確実だろう。
竹の筒は非常に小さいもので中指くらいの大きさだ。首輪と同じで真っ黒い色をしている。
「沙那、動くんじゃないよ……。もっとも、動けないだろうけどね」
宝玄仙が言いながら沙那に近づいた。
同時に、今度は宝玄仙は沙那に霊気を注ぎ込んだ。
なにかの術をかけたのは間違いない。
「な、なんですか、ご主人様……?」
宝玄仙が近づくと沙那の顔が引きつった。
沙那の身体に刻んでいる道術陣を使って道術をかけられたのだろうが、沙那は突然金縛りにあったかのように動けなくなっているようだ。
がちゃりと音がして、沙那の首にその黒い首輪がかけられた。
繋ぎ目のようなものは見当たらないので、あれは宝玄仙でなければ外れないのだろう。
今度はなんの霊具を作ったのかわからないが、宝玄仙の作る物に碌なものはないことは確実だ。
「こ、これなんですか、ご主人様──? なにを嵌めたんですか──?」
道術が解けて金縛りから解放された沙那が首輪に手をやって蒼い顔をしている。
すると宝玄仙が意味ありげに微笑むと、手に持って小さな筒を自分の口の近くに持ってきた。
「四つん這いになりな」
宝玄仙は持っていた筒に話しかけるように言った。
すると、沙那の身体ががくりと崩れて、いきなり手を床につけた。
「わ、わっ──。な、なにこれ? 手が勝手に──。こ、これ、また、あの『操りの首輪』ですか──?」
四つん這いになった沙那が悲鳴をあげた。
「そんな物騒なものじゃないよ──。ただ、手足がこの筒を通して話しかけられた言葉に反応しているだけさ……。ほら、普通、人間の手足は、自分の頭で考えて、その通りに手足が動くだろう? この霊具は、この筒で受けた他人の言葉を、あたかも首輪を装着している者の頭から出た指令であるかのように、その手足に伝えるのさ──。つまり、この筒を通して伝えられた通りに自在に他人の身体を動かす霊具ということだ」
「十分に物騒じゃないですか、ご主人様──。は、外してください、こんなの──。そ、それよりも、わたしは絶対に嫌ですから。罰なら後でなんでも受けます。だから、今回だけは勘弁してください」
沙那が顔をあげて叫んだ。
宝玄仙が指で手に持った小さな筒の側面を弾いた。
ぱしんと音がして、それで道術が解けたのか、沙那は戸惑ったように立ちあがった。
「そんなに嫌かい、沙那? 乱交なんて、今回が最初じゃないだろう……。なんで、我が儘言うんだい?」
宝玄仙の顔が曇った。
「こいつと関わるのが嫌なんです。こいつは悪人なんです」
沙那は必死だ。
ふと見ると、涙ぐんでる。
よっぽど嫌なのは確かだ。
だが、宝玄仙はその沙那の顔を見てにやりとした。
「じゃあ、逆らえるものなら逆らってみな。お前だけは、ここで裸にしてやるよ。この筒に服を脱げと言葉をかければ、お前の手は、お前の意思を裏切って勝手に動きだすさ」
宝玄仙は意地悪く笑いながら、再び筒を口の近くに持っていった。沙那が悲痛な声をあげる。
「待ってくれ、宝玄仙殿」
突然、張須陀が遮った。
宝玄仙が訝しんだ表情を張須陀に向けた。
「その霊具は、俺でも扱えるものか、宝玄仙殿?」
張須陀が興味津々の様子で宝玄仙の持っている筒側の霊具を見ている。
「ああ、ただの人間には無理だけど、道術遣いなら誰でも使えるよ。大きな霊気は遣わないように改良してある」
宝玄仙はすっと筒を張須陀に差し出す仕草をした。
「そ、そんなの渡さないで──」
沙那が絶叫して飛びかかろうとした。
「手足を動かすな」
すかさず宝玄仙が筒に言葉をかけた。
沙那の身体は飛びかかろうとした姿勢のまま凍りついた。
「ひっ……。こ、こんな……。ご、ご主人様──。ちょっと……」
沙那は顔に恐怖すら浮かべている。
「……使い方は難しくはないよ、張須陀。この小さな筒の穴に声をかけるような感じで命令すればいいだけさ。ただし、動かせるのは手足だけだ。道術を解除するのは、わたしがさっきやったみたいに、筒の横を叩けばいい。それで首輪を通じてかけた命令は解除される」
宝玄仙が筒を張須陀に手渡した。
「ねえ、ご主人様、そんなの渡しちゃ駄目だよ」
さすがに孫空女は宝玄仙をたしなめた。
「心配ないよ。どんなことでも命令できるわけじゃない。単純な手足の動きだけさ。例えば、自殺をしろとか、人を殺せとかいうような命令も駄目だ。そういう安全機能はあるよ」
宝玄仙が得意気に言った。
「ほう……。逆に単純な動きなら人形のように動かせるのか……。命令の仕方にこつはあるのか、宝玄仙殿?」
「別にないね。ただ、筒に話しかければいいだけさ。命令の言葉そのものを沙那に聞かせる必要もないし、沙那が理解できる言葉でなくてもいい。その筒は、勝手に沙那の嵌めた首輪に命令を術式に翻訳して飛ばすからね。もっとも、あんまり離れすぎると、首輪も筒からの信号を受けつけなくなる」
宝玄仙が説明している。
「つまり、遠隔操作もできるということだな。なんというもの凄い霊具なのだ。こんなものをあなたが作ったのか、宝玄仙殿?」
「操り霊具はわたしのもっとも得意な分野でね」
宝玄仙はますます得意気な顔だ。
同時にあの表情は調子に乗っているときの宝玄仙だ。
このままでは、そのまま霊具を張須陀に使わせる勢いだ。
なんとか宝玄仙をとめたいが、孫空女にはその方法を思いつけない。
「……なあ、宝玄仙殿、ちょっと、沙那だけ先に連れていかせてくれないか? いろいろと誤解もあるようだし、ゆっくりと話し合いたいのだ。ただ、沙那は、俺とふたりきりになろうものなら、暴力を振るいそうだし、これを貸してくれると有難い──」
張須陀が言った。
明らかに見え透いた言い訳であることは孫空女にもわかる。
あの霊具を渡して、沙那だけ連れていかれれば、沙那が部屋の中で張須陀になにをされるかわかりきっている。
「結構だよ。一刻(約一時間)でいいかい……。それだけあれば、ひと通りは終わるだろう? わたしらは、ここで待っている。一刻(約一時間)したら、わたしたちも部屋に行くよ」
宝玄仙もにやりと笑う。
どうやら、宝玄仙もすっかりと承知して、沙那だけ先に行かせるようだ。
「ひいっ……。ご、ご主人様、それだけは堪忍して──。許して。許してください。ほ、本当に嫌なんです──。た、助けて──」
沙那が身体を凍りつかせたまま悲鳴をあげた。
「わたしに逆らおうとした罰だよ、沙那。まずは、ひとりで相手をしてきな。まあ、わたしらもすぐに参加するから」
宝玄仙が愉しそうに笑った。
「沙那、俺の部屋まで歩け……」
張須陀が筒に向かって言った。
沙那の脚が動きだし、二階に向かって進み始める。
「いやああっ──。ご主人様、恨みますから──。わたし、ご主人様のこと絶対に恨みます」
沙那が歩きながら喚いている。そして、ぼろぼろと涙をこぼしだした。沙那が泣くなんて珍しいから孫空女はぎょっとした。
「ご、ご主人様、あれはやばいよ。沙那は本当に怒っているよ。後で大変だよ」
孫空女は言った。
沙那はもう泣きながら二階に行ってしまった。
張須陀も一緒だ。
「心配ないよ。一刻(約一時間)だけのことじゃないか。全部終わったら、また謝っておくよ──。それよりも、朝食をおくれ。まだ、食べてないんだよ。今日は長丁場になるよ。張須陀と話し合って、愉しい趣向もいろいろと考えているのさ。しっかりと腹ごしらえしなくちゃね……。ああ、そうだ。朱姫、みんなで手で摘まめるようなものも準備しておいておくれ。沙那にも食べさせないといけないし、合間に腹に入れながらの方が疲労も少ないしね」
宝玄仙は気楽な表情で眼の前の卓についた。
*
「おお、張須陀の兄貴、昨夜はあんな大美人とお愉しみで……。羨ましいことで」
「一応は出発の支度はできていますぜ……。でも、その後ろの女はなんです? もしかしたら、俺っちの相手も連れてきてくれたんですか、兄貴?」
沙那が張須陀の「命令」で部屋に入るとすぐに、部屋にいたふたりの男が張須陀に声をかけてきた。
確か、張須陀には、ふたりの連れがいると教えられていたことを沙那は思い出した。
連れというよりは子分という感じだ。大柄の張須陀に対し、そのふたりは沙那よりも背が低いくらいの小柄なので、一層その印象が強い。
「いくらでもさせてやるよ、こいつとな──。それよりも、ずらかるぞ。例の物を使え。『道術紙』だ。それを使って、『移動術』でずらかるぞ。こいつを連れてな」
張須陀が言った。
「ずらかる……?」
沙那が張須陀の言葉を訝しんで、思わず張須陀の言葉を繰り返した。
つまり、ここから逃げると言っているのか……。
しかし、なぜ……?
「沙那、立ったまま動くな」
張須陀が筒に指示をした。沙那の手足は沙那の意思から離れて動かなくなる。
「兄貴、『道術紙』って、あれは随分と高い金を使って、購ったものじゃないですか。強盗家業でどうしても逃げなければならないときに、三人とも生き残れるようにと……」
「そうですよ……。それとも、昨夜、お愉しみの女となにかあったんですか?」
「やかましい、お前ら──。俺は積年の恨みを晴らせる絶好の機会を手に入れたんだ。こいつには恨みがある。たっぷりとそれを晴らしてから、どこかの奴隷商人にでも売り飛ばす。そのためには、ここから道術で逃げるんだ──。それで追ってこれねえ」
張須陀はそう言うとともに、ふたりの男を睨みつけた。
この男たちがまともな男たちでないことは人相を見ればわかる。
どこからどう見てもまともな稼業をしているとは思えない。
おおかた、この辺りの治安の悪さに当て込んだ辻強盗というところだろう。
おそらく間違いない。
さしずめ、このふたりは、張須陀に従っている子分というところだ。
その男たちが、荷を集めるとともに、部屋の床に小さな羊毛紙を置いた。なにか模様が書いてある。
そのとき、沙那は『道術紙』というものがなにか思い出した。
確か、『道術紙』とは、霊気はあるが道術を遣えない道術遣いが、特定の道術を一時的に遣うための霊具だ。
あらかじめ定められた道術の術式が刻んであり、それを使って本来は遣えない道術を遣うのだ。
『道術紙』は基本的には使い捨てだ。
それではっとした。
さっき、『移動術』の『道術紙』と言っていた……。
やっぱり、ここから逃亡をするのだ。
沙那を連れて──。
「ま、まさか、わたしを浚おうとしているの、張須陀──。そんなことできないわよ。ご主人様の道術がどれだけ偉大かわからないのね。すぐに道術で追いかけて来るわよ。くだらないことはやめなさい」
沙那は直立不動のまま声をあげた。
「……あの女が凄い道術遣いというのは、昨夜の寝物語で悟ったよ。だが、この『道術紙』のいいところは、使い終わった後で燃やしてしまえば、道術の痕跡が残らないことだ。もともと、俺の霊気など、低すぎて霊気の残痕など追うことはできまいよ──。ここで、お前と再会できるなんて奇跡だ。その奇跡を俺は無駄にしねえよ。たっぷりと落とし前をつけてやる──。一刻(約一時間)もしてみな。お前の女主人の魔女にも、俺たちがどこに跳躍したかなんて、知ることはできないよ」
張須陀は不敵に笑った。
沙那は背に冷たい汗を感じた。
もしかしたら、張須陀の言うことは本当かもしれない。
このままじゃあ、誘拐される……。
「ご、ご主人様──」
沙那は力の限り叫んだ。
「口を塞げ──。ここまで連れて来い。こいつの手足は動かないんだ──」
張須陀が慌てて叫んだ。
子分のひとりが沙那の口を塞いだ。
沙那は思い切りその手に噛みついた。
自由が効かないのは手足だけだ。
ほかの部分は自由なのだ。
「痛ってええっ──」
指を噛まれた子分が悲鳴をあげるとともに、沙那の頬を張った。
沙那は手足を伸ばしたまま床に倒されて頭をまともに床に打ちつけた。
激痛に言葉が止まる。
「こっち来い──」
張須陀に足首を持たれた。
引きずられて『道術紙』の置いてあるところに身体を横たえられる。
子分のふたりと荷も集められた。
「──跳躍」
張須陀が言った。
肚がぐにゃりと軽く捻じれた感覚が襲ってきて、眼の前の景色が不意に消滅した。