※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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367 女主人の後悔

「ご、ご主人様、大変ですよ。誰もいません──」

 

 飲み物と食事を先に届けるように宝玄仙から命じられた朱姫が、血相を変えた様子で階段を駆けおりてきた。

 

「いないとはどういうことだい、朱姫?」

 

 孫空女の向かいに座っていた宝玄仙が首を傾げた。

 附(ふ)国という小さな城郭都市にある宿屋の一階の食堂だ。

 そこで、孫空女は、朱姫や食事を終えた宝玄仙とともにぼんやりと時間が過ぎるのを待っていた。

 宝玄仙の気紛れで、今日は張須陀という男の連れ三人とこっちの四人の女で乱交の性愛をするということになっていたのだ。

 

 さすがにまったく知らない男たちと乱交をすると言われれば孫空女でも鼻白む思いだったが、ほかのふたりに至っては鼻白むどころではなく、激しく拒絶、あるいは意気消沈していた。

 いつも闊達な朱姫はずっと暗い表情をしていたし、沙那に至っては断固として宝玄仙の命令を拒否して宝玄仙の怒りを買い、命令を拒否できない霊具を装着されて、ひとりだけ先行して張須陀に連れられていかれた。

 沙那が先にいっていろと言われた時間は一刻(約一時間)であり、その時間が過ぎるのをここで待っていたというわけだ。

 

 張須陀と沙那は、以前確執のあった相手らしく、その張須陀の相手をするのを沙那は泣いて嫌がった。

 あれ程感情をむき出しにして嫌がる沙那は珍しかった。

 

 心の底から嫌いな人間というのは存在する。

 自由を奪われて、その嫌いな男に身体をなぶられるというのは血も凍るような恥辱だろう。

 宝玄仙のやった仕打ちではあるが、沙那は張須陀になすすべなく二階に連れて行かれるとき、本当に泣きじゃくっていた。

 

 あんな沙那はこれまでに見たことはないと思う。

 孫空女は凄く気になっていた。

 

 宝玄仙のやることは気紛れだ。

 訳もわからず乱交のようなことをさせられたことも一度や二度ではない。

 沙那も孫空女も、それにはほとんど諦めのような感情で従っていた。

 普通の女の持っている貞操観念も性愛についての考え方も宝玄仙は常人とはまったく異なる。

 いちいち反応していては、宝玄仙の供は務まらない。

 

 しかし、沙那は張須陀を相手にするのは本当に嫌だったのだろう。

 だから、あれ程までに頑なに拒否したのだ。

 

 それを無視して宝玄仙は、沙那に張須陀に抱かれることを強要した。

 しかも、逆らった罰だと言って、最初の一刻(約一時間)は、たったひとりで張須陀とその連れの三人の相手をするように命じたのだ。

 絶対に逆らえないように、霊具を装着させた状態で……。

 

 宝玄仙も沙那を送り出した直後は、沙那の態度に憤慨した様子だったが、少し時間が経つと、やっと冷静になったのか、後悔するような表情を見せ始めた。

 そわそわと二階の様子を伺ったり、しきりに考え込むような仕草を示しだした。

 

 宝玄仙に悪気はない。

 それはわかっている。

 

 調子に乗った宝玄仙は子供のようなものだ。

 それは沙那もわかっていたはうだ。

 だがら、これまでは、大きな包容力を持って沙那も宝玄仙の仕打ちに接していた。

 大抵のことは逆らわずに、宝玄仙のやりたいことをさせるようにしていたし、人を人とも思わないような仕打ちをされても、宝玄仙のやることだからと溜息混じりに許していた。

 

 だが、今日のことはなにか尾を引きそうだ……。

 孫空女の勘だが、ずっと気になっている。

 

 宝玄仙も同じなのだろう。

 一刻(約一時間)後に合流するということで沙那だけ先に張須陀が連れていったのだが、宝玄仙は、泣きべそをかいている沙那の様子を見て来いと言って、食堂の厨房に作らせた食べ物と飲み物を朱姫に先に持っていくように命じた。

 朱姫は飲み物と食事を載せた大皿を盆に載せて二階に昇っていった。

 その朱姫が血相を変えて駆けおりて来たのだ

 

「だ、だから、いないんです、ご主人様。沙那姉さんはいません。それだけじゃなくて、張須陀(ちょうすだ)さんも、その連れの人たちもいないんです。彼らの荷物もなくなっています。もぬけの空です──」

 

 朱姫が真っ蒼な表情になっている。

 

「なに言っているんだい、朱姫。だったら、連中の部屋じゃなくて、ほかの部屋じゃないのかい? 今日の乱交だけど、七人で組んずほぐれつ性愛に耽るのはさすがにひと部屋じゃあ狭いから、わたしらの部屋も使ってうまくやろうと張須陀と話し合っていたんだよ。そっちに行っていないかい?」

 

 宝玄仙はまだ呑気な顔をしている。

 

「ご、ご主人様、あたしらやご主人様の部屋には、ご主人様が結界を張ったままだろう? 張須陀さんが勝手に入れるわけないよ」

 

 孫空女は事態の深刻さをすぐに理解した。慌てて立ちあがる。

 

「だけど、ねえ……」

 

 首を傾げている宝玄仙をそのままにして、孫空女は二階に駆け出した。

 孫空女の後を朱姫が続く。宝玄仙も渋々という感じでついてきた。

 張須陀たちが沙那を連れていっているはずの部屋を開けた。

 

 誰もいない……。

 本当に空だ。

 だが、かすかな霊気の残存も感じる。

 ここでなにかの道術が遣われた……。

 

 孫空女は道術遣いではないが、なぜか霊気の流れだけは感じることができた。

 だから、わかったのだ。

 ここでなにかの道術が遣われた……。

 そして、ここにいるはずだった沙那も張須陀もその連れもいない。

 そうであれば、もしかしたら、その道術は『移動術』ではないのか……?

 

「結界を解いたよ。朱姫、ほかの部屋も見ておくれ……」

 

 追ってきた宝玄仙がやっと事態を認識したのかそう言った。

 その声に戸惑いの響きがある。

 

「……いません」

 

 隣の二部屋を覗いた朱姫が叫んだ。

 

「ど、どうするんです、ご主人様──? 沙那姉さん、もしかしたら連れていかれたんじゃあ……」

 

 戻ってきた朱姫が不安そうに言った。

 

「連れていったって……。なんで張須陀が沙那を連れていくんだい……?」

 

 宝玄仙が少しおろおろした口調で言った

 

「沙那は、張須陀に恨みを買っているんだよ。もちろん、理不尽な恨みだけど、張須陀が沙那を憎んでいたことは確実だと思うよ」

 

 孫空女は言った。

 

「恨んでいた?」

 

「そ、そうです、ご主人様──。あたしたちは、沙那姉さんから昨夜、あの張須陀とのことを聞きました。張須陀は仕返しをするために、沙那姉さんを連れていったんですよ。このままじゃあ、沙那姉さんが危険ですよ……。そうだ。張須陀は沙那姉さんを殺すかも……」

 

 朱姫がはっとしたように叫んだ。

 

「なんで、張須陀が沙那を憎むんだい?」

 

 宝玄仙はまだ沙那が連れていかれたという事実は半信半疑のようだ。

 孫空女は、沙那から聞いた昔話を簡単に要約して説明した。

 話が進むにつれて、宝玄仙の顔にやっと驚きと後悔の表情が浮かんだ。

 

「あいつ、そんなことをわたしには言わなかったじゃないか」

 

 宝玄仙が焦った口調で言った。

 

「なに言ってんだい、ご主人様──。沙那は一生懸命に喋ろうとしたよ。それをご主人様が遮って、しかも、あんなに泣きながら嫌がった沙那を張須陀に引き渡したんだよ。しかも、自由を奪ったかたちで……」

 

「そ、そんなこと言われても……」

 

 宝玄仙も意気消沈している感じだ。

 だが、孫空女も今回は腹がたっている。

 宝玄仙に対しても、なにもしなかった自分自身に対しても……。

 

「朱姫の言う通りだよ。沙那が危ない──。張須陀がどんな風に沙那を恨みに思っているかわからないけど、連れていったということは、もしかしたら、身体を辱めるというようなことだけじゃすまないかもしれない。犯すだけだったら、ここでやるはずだった乱交でも溜飲が下がるだろうからね。わざわざ、ご主人様やあたしらから浚ったということは、張須陀は本当に沙那を殺すつもりかもしれない……。でも、沙那はそれに抵抗できないよ。ご主人様のせいで──」

 

 孫空女は捲し立てた。

 とにかく、沙那が危ない……。

 孫空女も自分の顔が蒼くなるのを感じた。

 

「お、追いかけるんだよ、孫空女、朱姫──」

 

 宝玄仙が叫んだ。

 さすがに罰が悪そうだ。

 そして、宝玄仙の顔にどっと冷や汗が湧いている。

 やっと、沙那の危機であることを理解したのだ。

 それも自分のせいで……。

 

「多分、道術で逃げたんだよ──。この窓からは外には出られない。一階に行くには、あたしらがいた食堂を通るしかないしね」

 

 孫空女は窓を見て言った。

 窓には網がかかっていて外には出られない構造になっている。

 

「……道術ですね。道術の残存があります。『移動術』でしょうね……。あたしには、それ以上はわかりません。ご主人様には『移動術』の跳躍先が追えますか?」

 

 朱姫が言った。

 半妖である朱姫も道術遣いだが、霊気の使用でも探知でも、宝玄仙は別格だ。

 朱姫などわからない霊気の動きも宝玄仙ならわかる。

 しかし、同時に『移動術』というのは、使用者が簡単に霊気の流れを遮断できる術だというのも孫空女は知っている。

 張須陀が追いかけられるのを防ぐために、故意に霊気を遮断していれば、追うのは困難なのかもしれない。

 

「駄目だ。跳躍先はわからないね……。それから、遣われた『移動術』というのは、道術というよりは、『道術紙』だろうね。そんな感じでこの部屋には霊気の残存がある」

 

 宝玄仙が首を横に振った。

 

「『道術紙』?」

 

 孫空女は眉をひそめた。

 

「そういう霊具があるんです、孫姉さん。あらかじめ大きな力を持つ道術遣いに、特別な紙に霊気を刻ませるんです。それを使えば、限定的ですが、霊気の低い道術遣いも、大きな霊気を必要とする道術を遣えます──。ご主人様、だったら霊気では追えませんよ。跳躍先で『道術紙』そのものを処分されれば、完全に霊気の繋がりは遮断されてしまいます」

 

 朱姫が声をあげた。

 

「ど、どうすんだよ、ご主人様──。早く、沙那を見つけないと」

 

「怒鳴るんじゃないよ、孫空女。わかっているよ。霊気の流れを追いかければいいんだよ。あいつの首に装着させた霊具はわたしが作った物さ。多少距離が離れようとも、微かな霊気の流れくらい感じとれるさ……」

 

 そう言って宝玄仙は、懸命になにかを探るような表情をした。それがしばらく続いた。

 しかし、時間が経つにつれ、ますます表情が険しくなっていく。

 

「だ、駄目だ……。感じない。余程、遠くなのか……。それとも……」

 

「それともなんだい、ご主人様……?」

 

 孫空女は、宝玄仙の顔が悲痛なものになったので、もの凄く不安になった。

 

「……考えられるのは三つある。ひとつは沙那のいる場所がわたしの霊気の探知できる範囲を大きく逸脱している場合だ。だけどそれは考え難い。『移動術』もなんでもありじゃないんだ。跳躍先が遠くなれば遠くなるほど、大きな霊気を必要とする。『道術紙』程度に刻み込めるような霊気で、それほど遠くに跳躍しているとは思えない……」

 

「あたしもそう思います、ご主人様──。残りふたつの可能性のうち、ひとつは霊気を遮断するような霊具がそばにある場合ですよね。そのときは、霊気では沙那姉さんは追えません」

 

「そ、そういうことだね、朱姫……。そ、そうだよ……。その場合は沙那が監禁されている場所は、霊気では追えないさ──。それに違いないさ」

 

 宝玄仙がしきりにそれを繰り返した。その口調は随分とわざとらしい。

 

「……もうひとつはなにさ、ご主人様?」

 

 孫空女は静かに言った。

 どうやら、宝玄仙は三つ目の可能性を考えたくないようだ。

 

「……み、三つ目は、沙那がすでに死んでいることさ。あの霊具は、操りの対象が生きているときは強い霊気を発散し続けるけど、死ねばそれはぴたり止まるんだよ。もしも、人手に渡っても、あれが霊具であることが気がつかれないようにそうしたんだ……」

 

 宝玄仙が心配そうに言った。

 

「つまり、沙那姉さんがすでに殺されていれば、霊具から霊気は出ていない……」

 

 朱姫は悲痛な顔をした。

 

「ば、馬鹿なことを言うんじゃないよ、朱姫──」

 

 孫空女は怒鳴った。

 

「そ、そうですよね。沙那姉さんに限って……」

 

 朱姫が無理に笑みを浮かべようとしたが、それはうまくはいっていない。

 まるで引きつっているような表情になった。

 

「ほ、ほかに沙那を探す方法はないのかい、ご主人様?」

 

 孫空女は宝玄仙に視線を向けた。

 

「ご、ごめん……。思いつかないよ……」

 

 宝玄仙が俯いた。

 

「ご、ご主人様のせいですよ。ご主人様の──。沙那姉さんはあんなに嫌がったのに……。それなのに、ご主人様はあんな霊具をつけて、沙那姉さんを引き渡したりして──」

 

 朱姫が真っ赤な顔になって宝玄仙に詰め寄った。

 そして、わんわんと大声で泣き出してしまった。

 

「……ば、馬鹿朱姫、いまはそんなことを言っても仕方がないし、泣いている暇はないよ。街に出るよ。あいつらについての情報を集めよう。『移動術』だとしても、そもそも沙那を浚うために特別に準備した『道術紙』じゃないはずさ。跳躍先は連中に取って、意味のある場所に違いない──」

 

「意味のある場所?」

 

 泣いている朱姫が顔をあげた。

 

「なにかの悪さをしたときに逃げる隠れ処さ。連中の風体はまともな仕事をしている様子じゃあなかった。多分、盗賊のようなことをやっているに違いない。荷物も少なかったし、あれは長い旅をしている感じじゃあないしね。酒でも飲みに城郭にやってきたくらいの外出だと思う。きっと連中の根城はどこか近くにある。『移動術』でそこに飛んだんだよ。だから、この辺りに巣食っているけちな盗賊についての情報を集めれば、なにかがわかるはずだ──。行くよ、朱姫」

 

 孫空女は泣いている朱姫を怒鳴りあげた。

 一刻を争うかもしれない状況であることは理解した。

 だが、いまできるのは情報集めからだ。

 この周辺で盗賊が隠れ処にするような場所──。

 

 それを聞く。

 おそらく、そこに沙那は連れられていかれたに違いない。

 

「待ちな、孫空女。わたしも行くよ」

 

 朱姫を連れ出して宿屋を出ようとした孫空女を宝玄仙が呼びとめた。

 だが、孫空女はそれを首を振って留めた。

 

「ご主人様は待っていて──。なにかわかれば戻ってくる。連中の逃亡先の捜索にはご主人様にも加わってもらうけど、いまは情報集めだから……」

 

「だ、だったら、わたしはなにをしていればいいんだい? 教えておくれよ、孫空女」

 

 宝玄仙がおろおろと言った。

 

「だったら、反省でもしてれば……」

 

 宝玄仙に怒りの感情がないと言えば嘘になる。

 しかし、いまは時間が惜しい──。

 宝玄仙の相手はしていられない。

 

 激しい後悔をしている様子の宝玄仙をそのままに、孫空女は朱姫とともに宿屋を飛び出した。

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