392 ある女刺客
一緒に付き添ってきた妓館の者は一階で待たされた。
美麓はただひとりで、その牢人についていった。
二階の突き当りに堅牢そうな扉があり、そこに入るように促される。
家人の老人が中に声をかけ、扉を二度叩き、少し間を開けてからもう一度二度叩いた。
奥から声があり、鍵の開く音が扉から聞こえた。
案内人の老人は、部屋には入らず、美麓はひとりだけで部屋に入った。
部屋には、六人の男がいて、驚いたことにほかにも三人の女がいた。
三人の女が呼び寄せたほかの娼婦であることは確かだ。
六人の男のうちの三人が女を抱いていて、ほかの三人は酒を飲んでいる。
女の衣類はすべて脱ぎ捨てられていて、部屋のあちこちに散乱していた。
ざっと部屋を見渡す。
人間の汗と男と女の交合の淫靡な匂い、酒の香り、食べ物の匂い──。
いろいろな匂いがこの部屋には充満していた。美麓は吐気のようなものを感じて、こっそりと自分の鼻の下を香水が塗ってある指で擦った。
不潔なこの部屋の匂いが、香水に紛れて気分が軽くなる。
この部屋には、道術除けの結界で護られているようだ。
いかなる道術もここでは通用しない。
おそらく、用心深いここの家主が暗殺者でも警戒して、仕掛けたものなのであろうが、美麓には道術などないので却って都合がいい。
「お前が
顔に大きな傷がある男が美麓を出迎えた。
夕凪というのは、今日の仕事をするために美麓が準備をした名だ。
今夜の美麓は、夕凪という名の高級娼婦だ。
この家主の男は、かなり用心深い人物であり、厳重に警戒されたこの屋敷から滅多に外には出ない。
性欲の処理のために抱く女も信用のある店から娼婦を呼び寄せる。
美麓もそのために呼ばれたのだ。
「
美麓は言った。
満天星というのが、美麓が抱かれることになっているこの屋敷の家人の名だ。
それが今夜の美麓の相手だ。
眼の前の男が満天星の側近であり、満天星自身でないことはわかっている。
だが、女などというのは少しくらい馬鹿な方がいい。
警戒されないからだ。
だから、馬鹿馬鹿しいことをわざと言ったのだ。
「俺はただの部下だ。お館様は奥だよ。俺は
案の定、応天門が小馬鹿にしたように笑った。
お館様というのは満天星のことのようだ。
そして、応天門というのが、満天星の片腕と言われる側近中の側近であることを美麓は思い出した。
応天門が顎で指した方向には、さらに扉がある。
その向こうに満天星という男がいるのだろう。
「では、さっそく……」
美麓が下袍をふわりと揺らしてその扉に向かおうとすると、さっと応天門の脚が伸びて、美麓の身体を遮った。
美麓は怪訝な表情を応天門に向けてみせた。
「まずは、身体検査だ。お館様を狙う暗殺者とも限らんからな」
応天門が言った。
「まさか……」
美麓はわざとらしく微笑んだ。
「検査をするから服を脱げ。お前が仕事をするのはそれからだ──」
応天門が言った。
「服を? ここで裸になるのですか?」
それは予想の範疇だったが、美麓は不快な表情を装った。
満天星には敵が多い。
かなり悪戯な仕事もしているし、恨みも買っている。
美麓に仕事を依頼した者も、そういう満天星の敵か、あるいは、満天星に恨みを持つ誰かなのであろう。
もっとも、美麓は今回の依頼主の直接の背景はよくは知らない。
知っているのは、満天星が殺されて当然の悪党であり、美麓がこの仕事に成功すれば、もう、二度とこんな仕事をしないで済むほどの礼金が得られるということだ。
もちろん、失敗すれば死だ。
ただの死ではないだろう。
およそ、生まれたことを後悔するほどの拷問を受けてから殺されるということになるに違いない。
だから、美麓の奥歯には猛毒が仕掛けてある。
噛みしめれば、あっという間に喉の奥に毒が流れて即死する。
つまり、自殺用だ。
「お前には、ここで裸になってもらう。お前が身に着けていたものはなにひとつ持って入ることはできない。髪飾りひとつもだ。わかったら、服を脱げ、娼婦」
「この髪も服も、すべてがわたしの仕事の一部なのですよ。ただ、裸になって性器に男を受け入れて終わり──。そこにいる場末の娼婦たちとは違うんです」
美麓は毅然と言い放つ。
娼婦は娼婦でも、今日の美麓は高級娼婦の夕凪だ。
それくらいのことは言うはずだ。
いまは、満天星という男に近づくために、夕凪という高級娼婦になりきっていた。
美麓は仕事のためにあらゆる人間になることができる。
老人でも少女でも思いのままだ。
演じるのではない。
想定した架空の人間そのものに完璧になりきるのだ。
あらゆる人間になった。
純情無垢の町娘になったこともある。貞節な人の妻になったこともある。
軍人にもなったし、女役人になりきったこともある。
準備には時間をかけるし、完璧を目指す。
今夜は、夕凪という絶世の美女ではあり性技に巧みで淫情──。
すべての男が抱きたくなるような娼婦……。
そういう女になりきっていた。
夕凪という娼婦を作りあげるのには半年かかった。
満天星が性欲を満たすために使う妓館はひとつだけだ。
女衒を買収して、その店に高級娼婦用の女という触れ込みで入ったのだ。
それらしい経歴も準備した。
美麓の美貌と身体……。
そして、性技は高級娼婦としても遜色のないものだった。
美麓は夕凪として、あっという間にその店で一番の女になった。
それから半年──。
やっと、夕凪である美麓は満天星に抱かれる女として指名された。
満天星は、同じ女を三度以上は抱かない。
同じ女を続けると、信用のある店とはいえ、敵対する勢力に罠を仕掛けられる可能性が高くなるからだ。
それでいて、いい女でなければ抱かない。
だから、妓館の主人は、お得意様の満天星に提供する美女を常に探している。
美麓ほどの女であれば、それほど時間をかけずに満天星に提供する娼婦として指名されると思っていた。
そして、半年……。
ついに、今日で今回の美麓の仕事は実りを迎える。
あと少し……。
「気取るんじゃねえよ、淫売が──」
応天門がすごんだ。
これくらいが収め時だろう。
美麓は怯えた表情を作って服を脱ぎ始めた。
「さすがは、店の最高品という触れ込みだけあるぜ。大した身体だ」
素っ裸になると応天門が美麓の身体を舐め回すように見た。
いつの間にか、部屋にいたほかの男や娼婦たちも集まってくる。
「へえ、いい身体だな」
「なんか匂いもいいな。高級の香水みてえだ」
「道具も最高なんすかね?」
あっという間に品評会の晒し者のような感じになり、さすがの美麓も羞恥を感じた。
「あら、あたしたちとなにが違うのよ。一緒じゃないよ」
「そうよ。女の穴なんて大して変わらないわよ」
娼婦たちは娼婦たちで不愉快そうに言った。
同じ娼婦だが、高級娼婦と彼女たちでは格が違う。
通常、高級娼婦は身分の低い娼婦を蔑むし、蔑まれた娼婦は、逆に同じ娼婦でありながら待遇がよく大切にされてもてはやされる高級娼婦という存在に嫉妬のような感情を持っている。
だから、彼女たちは、夕凪を演じている美麓には最初から敵愾心が剝き出しだ。
「お前たちは、触るんじゃねえぞ。これはお館様の前に連れて行くための身体検査なんだからな──。さあ、女、壁に手をついて脚を拡げて立て。尻を後ろに突き出すようにするんだ。そうだ……。」
美麓は応天門に指示された格好になる。
その美麓の背後を部屋にいた男女が取り囲んだ。
「くっ」
美麓は歯噛みした。
応天門の指が美麓の女陰の粘膜を抉って来たのだ。
しかも、いやらしい手つきで執拗に中を探ってくる。
「あっ……」
さすがに美麓は指を避けようと身体を捩じった。
しかし、その腰を応天門が押さえつける。
「動くんじゃねえ──」
凄みのある声で怒鳴られ、美麓は身体が竦んだふりをした。
すると、驚いたことに、肛門にまで指を入れられた。
前後の穴を容赦なく指で掻き回されて、思わず美麓は悶え声を洩らしてしまった。
美麓が反応したことに周りの男女が嘲笑の声をあげた。
羞恥と屈辱感が美麓に襲いかかる。
「いいだろう。検査は終わりだ」
いきなり指が抜かれた。
ほっとしたのも束の間、今度は手を取られて両手を背中に回されて手首に手枷を付けられた。
「な、なにをするんです──?」
美麓は叫んだ。
ここまでされるとは思いもしなかったのだ。
「いいから歩いて向こうに行け。お館様に粗相をするな」
応天門が道を作るように美麓を取り囲んでいた男女を掻き分けた。
*
「夕凪です」
美麓は両手を背中側で拘束された姿で床に膝をつけて、深々と礼をした。応天門に通された部屋は、寝台以外になにもない殺風景な部屋だった。
その寝台に色黒の肥った男が横になっていた。
これが満天星だ。
その男は、美麓が事前に調べた満天星の容貌と完全に一致した。
美麓は、ここは満天星が女を抱くためだけの部屋なのだろうと思った。
満天星が本当に用心深い男で、暗殺に異常に警戒しているのは知っている。
だが、そういう満天星も性欲を満足させるために、夕凪のような女を呼ぶことも必要だ。
だから、そのときは、こうやって、女を寸鉄もつけない状態にして、手を拘束し、さらにこの部屋のような武器になるようなもののなにもない部屋で行為を行うのだろう。
「来い」
満天星が言った。
美麓は寝台にあがり、大きく開いた満天星の脚の間ににじり寄る。
「じゃあ、最高級娼婦の手並みを見せてもらおうか」
満天星の指がさらけ出ている自分の一物を指さした。
美麓は髪留めがないために垂れ下がってくる髪を首振って避けると、口を開いて満天丸の男根を咥えた。
半分ほど皮の被った先端を唾液でたっぷりと含ませた舌で剝き出しにする。
そして、二度三度と顔を突き出すように動かす。
すぐに満天星の男根は逞しさを得て、美麓の口の中で大きくなった。
美麓は本格的な愛撫を始めた。
「んふうっ……」
男根が擦れて口の上側に当たる。すると、思わず快感が美麓を襲う。さらに炎のような快美感が全身を駆け巡る。
「いい舌遣いだ……」
満天丸の満足したような声がした。
しかし、美麓にはすっかりと余裕のようなものがなくなってきていた。
実は、口の中は美麓の強い性感帯でもあるのだ。
怒張の筋に舌を這わせながら、痺れるような感覚を美麓は味わっていた。
さらに喉の奥に突き刺すように口中深く咥える。
嗚咽が出るような圧迫感が襲う。
同時に痛快な喜悦が燃え拡がる。
我を忘れるような快感が美麓を激しく燃え立たせていた。
一瞬、喉の奥から子宮まで淫情の矢が貫いたような気がした。
娼婦を演じて半年……。
毎夜のような性交が美麓をここまで淫情な女にしていた。
性を売る女として、身体と性技のすべてを磨き、男に抱かれて淫らになることで、相手とひと晩だけの疑似恋愛をする……。
それが娼婦だ。
美麓は自分がこれほどまでに多情な性質とは知らなかったが、この半年の生活は、美麓の中のなにかを変えた。
それまでは、どちらかというと淫らな性とは無縁の人生を送っていたのだ。
だが、この満天星の仕事が終わっても、もう以前のような禁欲的な生活には戻れない気がする。
半年の娼婦としての毎日によって、美麓は、自分の肉体の完成度も、その多情さも思い知っていた。隠されていた淫情も……。
それにしても、この異常なまでの身体の火照りはなんなのだろう。
ここまで燃えるのも初めての経験だった。
好きだった男に抱かれたときも、ここまで燃えはしなかったのに……。
「んんんおおっ……んんおおっ……」
満天星の怒張を口の入口から喉の奥に律動させるたびに、自分の鼻から切なげな声が漏れる。
もう美麓は、自分の快感を隠すつもりはない。
「なかなかだ。今度は、お前の女陰を味わうか」
満天星が言った。
美麓は口から男根を離すと、脚を開いてそそり立つ一物に跨り、腰を割ってゆっくりと女陰に満天星の怒張を埋めていった。
「あはああっ──」
大きな怒張が美麓の女陰を貫いた。
すると満天星が腰を上下に動かして激しく美麓を突きあげる動きを開始した。
美麓は両手を背中に回したまま、異常なまでに欲情した身体を仰け反らせた。
生まれて初めて味わうような大きな快感──。
ここにやってきた目的も忘れるほどの喜悦に四肢を打ち破られながら、美麓はなぜ、ここまで快感を覚えているかを思い当たった。
背中で拘束されている手枷だ。
拘束されて抱かれるなど初めての経験だが、その緊張感が美麓の我を忘れさせているのだ。
美麓ほどの女であれば、性交のときでも気を緩めることなどあり得ない。
しかし、腕を拘束されたことで、なにがあっても抵抗できないという気持ちに陥った。
それが美麓を燃えさせるのだ。
美麓はなにもかも忘れて、満天星との性交に溺れた。
満天星の手で腰を持たれて上下に動かされながら、自らも腰を振って快感を増幅させる。
突きあがる……。
喰い込む……。
突きあがる……。
喰い込む……。
いつの間にか股間の接合部分からは淫靡な水音がたつようにまでなっている。
身体の芯から脳髄まで痺れる。
すでに女芯は熱い。
「あはああっ……き、気持ちいいですっ──」
美麓は感極まって心から叫んだ。
「俺もいくぞ」
満天星が言った。
美麓は女陰で満天星の怒張を全力で締めつけた。
満天星が呻きのような声をあげた。
女陰の中で満天星の精が迸ったのがわかった。
それを受けとめながら、美麓自身も自らの絶頂に打たれていた。
*
扉の向こうの部屋で待っているはずの応天門に声をかけた。
聞き耳でも立てていたのか、あるいは、どこかに見張りのための覗き穴でもあるのか、すぐに扉が開いて応天門がそこに立っていた。
向こうの部屋では、満天星の部下と娼婦たちの相変わらずの乱交が行われていた。
「こっちに来い……」
応天門はいびきをかいて寝台で寝ている満天星の姿にちらりと眼をやってから美麓を導いた。
「お館様は満足したようだな。激しい性交だったが、たった一刻(約一時間)で、満足されたのも初めてだ。いい仕事をするな。俺もいつかお前を抱いてみたいぜ」
応天門が美麓の背中の手枷を外しながら言った。
美麓が脱いだ服は、扉の横に畳んで籠に入れてあった。
美麓はそれを身に着けながら、やはり、監視穴かなにかで見張っていたのだと思った。
少しでもおかしな素振りをすれば、この応天門は満天星と美麓が性交をしている部屋に飛び込んできたのであろう。
だが、不自然な行動などなにもない。
美麓は、ただ、満天星という男に抱かれて悶え狂っただけだ。
満天星も、夕凪である美麓の身体に満足して疲労で眠った。
それだけだ。
しかし、もう仕事は終わっていた。
満天星は二度美麓の女陰に精を放った。
美麓は自分の子宮に特殊な猛毒を仕込んでいるのだ。
それは美麓の意思によっていつでも放つことができる。
もちろん、美麓自身には影響はないが、その毒液が男の精と混じり、それが男性器に当たると、性器を通じて毒が男の身体に回るのだ。
応天門が最初にやったような指による検査では何事も起こらない。
だが、男の精と混じることにより、初めて、美麓の愛液は猛毒となる。
そういう毒を身体に仕掛けていたのだ。
毒遣いの美麓──。
それが希代の殺し屋としての美麓の二つ名だ。
美麓は性交を通じて、たっぷりと毒液を満天星の男根に塗りつけていた。
いま、満天星は、大きないびきをかいて寝ている。
不自然さは皆無だ。
だが、それこそが、美麓の毒がすっかりと効いているという証拠だ。
毒液が満天星の全身に回っているのだ。
すでに手遅れの状態だが、この後、一刻(約一時間)もすれば満天星は目を覚ます。
そして、毒などまるでないかのように半日は動き続けるはずだ。
しかし、約半日後、満天星に死が襲う……。
頭の血が破れて、突然倒れるのだ。
倒れたときにはすでに死んでいる。
満天星の部下たちは、満天星の死の理由など思い当たりもしないはずだ。
ましてや、前の晩に満天星が抱いた夕凪という娼婦のことなど、思い起こすこともないだろう。
美麓は応天門から謝礼を受け取ると、そそくさと部屋を後にした。
既定の料金は店側に支払われているはずだが、この礼金は夕凪としての美麓への心づけだろう。
やってきたときと同じように、一階までは家人の老人が案内し、一階で待っていた店の男たちと合流した。
美麓は応天門に渡された謝礼を美麓の送迎役の店の男の長になる者に渡した。
男は破顔し、恐縮してそれを受け取る。
すでに屋敷の玄関の前には、帰りの馬車が待っていた。
見送りの老人に挨拶をして、美麓は馬車に乗り込んだ。
馬車が進み出した。
妓館までの道のりは、半刻(約三十分)というところだ。
しかし、この馬車が妓館に着くことはない。
しばらくすれば、賊徒がこの馬車を襲うのだ。
夕凪はその賊徒に連れて行かれて行方不明になる。そういう手筈になっている。
この城郭における仕事も終わった。
しばらくは、なにも考えずに旅をするのもいい……。
そのための金はあるのだ。
当面は殺伐とした暗殺者としての仕事から離れたい。
西に向かって、組織の手も及ばないような土地に向かうのもいいか……。
そんなことをぼんやりと考えていた。