※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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402 石ころの娘

「今日の夕方、昨日の盗賊団の襲撃で犠牲になった者たちを町の人間で埋葬することになっているそうです。そのときに、一緒に埋葬してくれることになりました」

 

 棺桶と埋葬の手配に出ていた沙那が戻ってきて言った。

 沙那が連れてきたふたりの人足が小さな棺桶を部屋に運び入れる。

 なんの飾りもない一番粗末な棺桶だ。

 棺桶は死んだ老人が横たわっている寝台の横に置かれた。

 朱姫が代金の支払いをすると、人足は宿の部屋から出ていった。

 

「じゃあ、とりあえず、この爺さんに入ってもらおうかねえ」

 

 孫空女と朱姫が寝台に寝ていた老人を棺桶に移動させた。

 

「なにからなにまで、申し訳ありません」

 

 香蛾(こうが)が深々と頭を下げる。

 

「まあ、これもなにかの縁だしね……。それに、いくらなんでも放りだすのも気の毒だし、まあ、最小限の面倒だけは看てやるよ──。だけど、そう言えば、こいつの名もわたしは聞いていなかったねえ」

 

 宝玄仙は棺桶に納められた小さな老人を見ながら苦笑した。

 香蛾によれば、この老人はすっかりと弱っていて、結局のところ、この老人の夕食として準備させた汁には手をつけず、そのまま昨夜は寝てしまったらしい。

 そして、香蛾が翌朝に目覚めるともう息をしていなかったということだ

 つまり、眠ったまま死んだのだろう。

 なにもしてやれなかったが、苦しまずに死んだのはよかった。

 

「鐘光徳(しょうこうとく)様です」

 

 香蛾が言った。

 

「鐘光徳かい……」

 

 宝玄仙は棺桶の横に跪いて経を唱える態勢になった。

 右手をさっと胸の前で振って印を刻む。

 

「なにしてんの、ご主人様?」

 

 孫空女が不思議そうな声を出した。

 

「なにしてるって……。せっかくだから、弔いの経でも唱えてやろうと思ってね」

 

 宝玄仙は跪いたまま顔を孫空女に向けた。

 

「えっ? ご主人様、そんなことできるのかい?」

 

 孫空女がびっくりした声をあげた。

 宝玄仙は孫空女が驚いた表情をしていることに逆に驚いた。

 この女は冗談でそんな間抜けなことを言っているのかと思えば、顔を見るとどこまでも真面目のようだ。

 さすがに宝玄仙はむっとした。

 

「できるかもないもんだよ、孫空女──。わたしはこれでも天教の最高神官だよ……。元だけどね。皇族の弔いのときだって経を読んだことがあるんだ。こんな萎びた爺がわたしに経を読んでもらえるなんて、こいつにとっては破格の扱いというものだよ」

 

「あっ、そうか……。考えてみれば、ご主人様って天教の巫女だったんだね……。ずっと、そんなことしていないし、すっかりと忘れていたよ」

 

 孫空女が笑った。

 

「な、なにへらへらしてるんだい──。お前、わたしをなんだと思っているんだい? いい加減にしな──。後でお仕置きだからね、孫空女」

 

「そ、そんなあ……」

 

 孫空女が声をあげた。

 横で沙那と朱姫がぷっと噴き出した。

 だが宝玄仙が睨みつけると、慌てたようにふたりとも視線を逸らす。

 宝玄仙は改めて姿勢を糺すと経を読み始めた。

 沙那が宝玄仙の背後に跪き、宝玄仙と同じ姿勢になる。

 孫空女、朱姫、そして、香蛾がそれに倣う。

 短い経を読み終わると、宝玄仙は俯かせていた顔をあげた。

 

「さて、じゃあ、少しばかり話を聞かせておくれ、香蛾。こうなったら、ちゃんと面倒看てやるよ。お前の行く末も考えないといけないしね」

 

 経が終わると宝玄仙は立ちあがって香蛾に言った。

 すぐに朱姫が部屋にひとつだけあった椅子を持ってきた。

 宝玄仙がそれに腰掛けると、香蛾は向かい合うようにもうひとつの寝台に座った。

 ほかの三人の供がもうひとつの寝台に並んで腰掛ける。

 

「ところで、あの鐘光徳はお前は本当の祖父じゃないだろ?」

 

「はい……。あたしは鐘光徳様にお仕えする私奴婢です」

 

 香蛾は言った。

 やっぱりだと思った。

 あの鐘光徳の態度は、肉親の孫に対する態度ではなかったし、香蛾もまた本物の祖父に対する態度ではなかった。

 

「私奴婢?」

 

 孫空女が首を傾げている。宝玄仙は嘆息した。

 

「沙那、教えてやりな」

 

「奴婢というのは奴隷のことよ、孫空女。私奴婢というのは、行政府や軍ではなく、普通の屋敷に仕える奴隷のことよ」

 

 沙那が言った。

 

「奴隷だって? 香蛾って奴隷だったのかい──? ああ、そう言えば、あの爺さんって、自分が死んだら香蛾が死ぬとか言っていたよねえ? 大丈夫なの?」

 

 孫空女が大きな声をあげた。

 

「お前、うるさいよ──、孫空女。馬鹿のくせに話に加わろうとするんじゃないよ。黙ってな──」

 

 宝玄仙は孫空女の全身に無数のなめくじが這い回るような刺激を送ってやった。

 

「ひいっ──」

 

 寝台に腰掛けていた孫空女が顔を真っ赤にして一瞬腰を浮かせた。

 そして、次の瞬間、自分の身体を両手で抱いて上半身を折り曲げる。

 

「声を出すんじゃないよ、孫空女……。声を洩らすたびに、お前の身体の感度があがるからね。それが嫌なら必死に声を耐えな」

 

 宝玄仙は冷たく言った。

 孫空女が慌てて口をつぐむ。

 そんな孫空女の横に腰掛けている沙那と朱姫が眼を大きく見開いて、小刻みに全身を震わせる孫空女を眺めた。

 だが、すぐに慌てたように視線をこっちに向ける。

 ふたりともとばっちりを受けるのが嫌で、とりあえず孫空女を無視することに決めたようだ。

 

「お前の首輪は霊具には違いないけど、首を締めつけたり、ましてや、この男の死に連動してなにかをするような道術は刻まれていないよ……。お前はそれを知っていたんだろう?」

 

 宝玄仙は香蛾の首にある白い首輪に眼をやって言った。

 香蛾はそっと自分の首にある首輪に手をやる。

 

「奴婢の命を奪うような道術が刻まれている支配霊具の首輪はとても高価ですから……。鐘光徳様にあたしを与えられるときに、鐘光徳様の奥様はあたしが装着していた元々の首輪外して、一番安価な霊具の首輪に交換されました。鐘光徳様もそれを知っているはずですけど、もう、すっかりと忘れていたのだと思います」

 

 香蛾は言った。

 

「事情がありそうだね」

 

「事情という程では……。鐘光徳様とあたしは円国というところから来ました。鐘光徳様は朱紫国に行くつもりでした。そこに昔、世話をした愛人の屋敷があるはずだということでした……。そういう方が本当にいるのかどうか、いまとなってはあたしにはわかりません。あたしは、その愛人というお方の名も、どこに住んでいるかということも教えられていませんでした。あたしが命じられていたのは、ただ、鐘光徳様を朱紫国まで連れていくこと──。それだけです」

 

「円国?」

 

 宝玄仙はそれがどこにあるのか見当がつかなかった。

 鐘光徳や香蛾の様子からは、随分と遠くから旅をしてきたということは察することはできる。

 朱紫国は知っているが、ここからだとまだまだ遠い。

 普通に歩いても半月はかかるだろう。

 ましてや、あの老人の身体ではとてもじゃないが辿りつけなかったに違いない。

 

「円国というのは、ここからだと南西側にある国です。海に面する国でここに来るには険しい山越えをしてくることが必要だったはずです」

 

 沙那が口を挟んだ。宝玄仙は頷く。

 

「鐘光徳はあの様子で歩いてきたのかい? 年寄りには到底無理な旅だったようだね」

 

「そうかもしれません、宝玄仙様……。でも、鐘光徳様も最初はもう少し元気に歩いておいででした。でも、少しずつ弱ってきて、数日前から自分では歩けなくなってしまったのです。あたしがお身体を支えて歩いてきたのですが、この町の入口にやってきたとときには、もう支えがあっても歩くことができなくなってしまいました」

 

「なにかの病気だったのかい?」

 

「いいえ……。それよりも、ただ弱っているという感じでした。円国にいた頃はもっと闊達なお方でした。大きな商売をしていて、店には、あたしよりももっと立派な大勢の奴婢もいたし、たくさんの雇い人もいました。お綺麗な愛人の方々も屋敷にはおられました。鐘光徳様は、暮らしていた城郭では、それなりの分限者でおいででしたから」

 

「それがどうして、こんな落ちぶれた旅をすることになったんだい?」

 

「あたしはただの奴婢なので、詳しいことはわかりませんが、いろいろとおありにあったようです……。一年ほど前に、若い奥様をもらわれたのですが、それからおかしなことになったのです。奥様は、鐘光徳様と結婚されたはずなのに、いつのまにか、その奥様の愛人のお方が屋敷にやってきて番頭様として一緒に住むようになったんです……」

 

「嫁の愛人を屋敷に?」

 

「あっ、いえ、鐘光徳様は、その若い男の方が奥さまの愛人だというのは知らなかったかもしれません。奥様は隠しておいででしたから……。でも、あたしたち奴婢や家人は全員は、その新しい番頭様が奥さまの愛人だというのは知っておりました」

 

「なるほどね……。それで、その性悪の女とその恋人に騙されてなにもかも奪われたということかい?」

 

「そうです。それもあたしには詳しいことがわからないのですが、なぜか、鐘光徳様は役人に追われることになったのです。鐘光徳様は、財産をすべて捨てて逃げるか、それとも役人に捕まるかを奥様と番頭様に迫られて、結局城郭から逃げることになったのです。そのときに、鐘光徳様は、すべての財を持っていくこと奥様から禁じられて、無一文で屋敷から追い出されました」

 

「ひどい女だねえ」

 

 宝玄仙は呆れた。

 

「唯一の例外はあたしです……。あたしはこんな顔ですし、女の私奴婢として無価値です。それで奥様は、鐘光徳様に与える気になったようです。それ以外の価値のあるものは、服一枚さえも持っていくことを奥様は拒否なさいました……。あたしは、最後の日には、鐘光徳様と一緒にいましたので、あの夜の奥様と番頭様の冷たい言葉と態度はよく覚えています」

 

 香蛾は言った。

 口調は冷静だが、宝玄仙にはその言葉に隠れている香蛾の強い怒りを感じた。

 香蛾は本当にこの死んだ主人に同情もしていたし、その主人から理不尽にもすべての財を奪った若い妻と愛人に強い憤りを感じているようだ。

 

 一方で宝玄仙は、この奴婢だという香蛾に感心もしていた。

 奴婢にしては頭がいいようだし、礼儀正しい。きちんと躾けられていたということだと思うが、なによりも、宝玄仙に事情を説明する言葉は整然としていて彼女の知性を感じさせる。

 

「まあ、それで円国を出て、よくわからないが、はるばると朱紫国まで向かおうとしていたということかい? ところで、鐘光徳は、本当に朱紫国にあてがあったのかい?」

 

「そうおっしゃってました……。朱紫国には、鐘光徳が数十年前にお世話をした愛人が夫になった方と住んでおられて、しかも、その旦那様は成功した分限者だそうです。鐘光徳様は、そのお世話になって、奥様たちに復讐をするつもりだったのです」

 

「復讐ねえ……。復讐は結構だけど、かつての愛人とはいえ、家族持ちの女に昔の男がやってきたら、その女も迷惑だろうね」

 

 宝玄仙は苦笑した。

 

「あたしはただ、連れていくだけですから……。でも、多分、行ってもその屋敷には入れてもらえないだろうとはあたしも思っていました……。だから、朱紫国に辿りつけなくて、少しほっとしているところもあります……。鐘光徳様がお嘆きになるところをもう見なくていいのですから……」

 

 香蛾はそっと顔を伏せた。

 その態度には偽りのようなものは感じない。

 本当に主人思いのいい奴婢なのだろう。

 

「それにしても、お前は随分と頭がいいようだね。奴婢だといっているけど学問でもしたことがあるのかい?」

 

 なんとなく宝玄仙は訊ねた。

 彼女の話し方には奴婢らしくない教養に裏付けされた知性を感じることができる。

 すると香蛾の顔が真っ赤になった。

 

「も、もうしわけありません……。じ、実はあたしは書物が好きで、それで捨てられそうになった書物を隠して勉強したりしていました……それだけではなく、文字の読める家人の方に教わったりもして……」

 

「なにも謝ることはないじゃないか、香蛾。学問をすることは立派なことだよ……。しかも、自学かい。大したものだよ……」

 

 すると香蛾が破顔した。

 

「あ、ありがとうございます。奴婢の分際で書物を読むなど、やってはいけないことだったのです。でも、あたしは、なぜか昔から文字の形が綺麗だと思って……。それで、どうしても読めるようになりたかったのです」

 

 香蛾が嬉しそうに言った。

 

「もしかしたら、いまでも書物を持っているのかい?」

 

 宝玄仙は何気なく訊ねた。

 

「は、はい……。旅の邪魔になりますから、一番最初に手に入れた一冊だけを持ってきました……。あたしの宝物です」

 

 香蛾は立ちあがった。

 そして、部屋の隅の自分の小さな荷から一冊のぼろぼろの書物を持ってきた。

 

「これです……」

 

 香蛾が差し出した書物はそれなりに厚い書物で、表紙に『三界記』と書いてあった。

 ぱらぱらとめくると古今東西の地誌が書かれている本だった。

 随分と使ったらしく、ほぼすべての頁は擦り切れかけて薄くなっている。

 それを紙を貼って補強したり、あるいは、薄くなった文字を上からなぞったりしてある。

 

「これは大したものだよ。お前の努力がこの書物からだけで伝わるよ」

 

 宝玄仙は本当に感心して言った。

 すると香蛾が嬉しそうに笑った。

 

「……本当に凄いよ──。孫空女、お前も見習いな──」

 

 宝玄仙は文盲の孫空女にからかいの言葉を投げた。

 

「あれっ?」

 

 しかし、孫空女はそれどころではなかったようだ。

 全身からは激しい脂汗が流れていて全身が真っ赤だ。

 そういえば、おかしな刺激を与えっぱなしにしていたのを忘れていた。

 宝玄仙は術を解いてやった。

 

「はあっ──」

 

 孫空女がほっとしたように脱力して大きな息を吐いた。

 宝玄仙はその様子に思わずほくそ笑んだ。

 

「ところで、香蛾、お前はその首輪がお前の命を脅かすような霊具ではないと知っていたと言っていたね?」

 

 宝玄仙は言った。

 そして、首輪に手を伸ばす。

 一応、霊具には違いないが、道術でなければ外せないだけの飾りのようなものだ。

 宝玄仙が術を込めると香蛾の首にあった首輪は簡単に外れた。

 

「はい、知っていました──。えっ? あれっ? あ、ありがとうございます──。あ、あのう……、首輪を外していただいて……」

 

 香蛾はなにもなくなった自分の首を擦りながら頷いた。

 宝玄仙が首輪を外そうとしたとき、別に抵抗することはなかったものの、ひどく怯えたような表情になった。

 いまは、少し動揺しているようだ。

 

「それなのに、どうして鐘光徳に従っていたんだい?」

 

 宝玄仙は訊ねた。

 

「それは……。そうですね。なんでですかねえ……。正直に言えば、あたしは逃げるなんて考えもしませんでした」

 

 香蛾が頬に微かな微笑を浮かべた。

 

「そう言えば、これまでの路銀は、その亡くなった鐘光徳という人のものではなく、あなたの財を使っていたということを話していたわね」

 

 沙那が口を挟んだ。

 宝玄仙が町の入口でこの鐘光徳を拾ったとき、鐘光徳が香蛾に路銀を賄えと脅していたのを宝玄仙は覚えている。

 沙那もそうだったのだろう。

 

「そうです……。所詮、奴婢の財など知れたものですからすぐになくなりましたけど……。もしも、あたしがもう少し財を持っていたら、少しは楽な旅をさせてあげることができたかもしれませんが……」

 

 香蛾が鐘光徳が眠っている棺桶に視線を向けた。

 宝玄仙は舌打ちした。

 

「はあ……? 冗談じゃないよ──。お前が、こんな男の面倒を看る必要などなかったんじゃないのかい? しかも、自分の財まで使って──」

 

 宝玄仙は鼻を鳴らした。

 

「でも、あたしにはほかにどこにも行くところはないし……。それに、この方もお可哀そうなお方ですし……」

 

「だけど、お前に優しくはなかったろう?」

 

「優しくなど……。あたしはただの奴婢ですし──。鐘光徳様があたしに優しくする理由などないではありませんか」

 

 香蛾は当然だというような表情で言った。

 宝玄仙はまた嘆息した。

 

「なんか、あのお人よし女を思い出すねえ……。あいつといい仲になれるんじゃないかい……」

 

 宝玄仙は思わず言った。

 

「それで、あなたはこれからどうするの? あなたの主人だった鐘光徳は死んだわ。奴婢の証だった首輪の霊具もなくなった……。あなたは自由になったのよ」

 

 沙那が言った。

 

「自由ですか……。でも、あたしにはどうしていいかわかりません。生まれたときから奴婢だったのです……。そりゃあ、自由に憧れたことがなかったと言えば嘘になりますが、いざ、自由だと言われてもどうしていいかわかりません……。あたしはこんな顔ですし、これから、どうしていいのか……」

 

 香蛾は呟くように言った。 

 そして、自分の顔の半分を覆っている痣に触れた。

 

「顔がどうしたんだい? まあ、女は顔がいいと楽に生きれることもあるけど、逆に苦労することも多いよ。いずれにしても、自由になるのと、顔になにか関係があるのかい?」

 

 宝玄仙は言った。

 まあ、考えてみれば、宝玄仙自身も幼い頃から可愛いとか美しいとか言われ続けたが、それでなにか得をしたかと訊ねられればなにも思いつかない。

 惚れるような男もいなかったし、逆に宝玄仙に近づいてくる男は碌でもない人間ばかりだった。

 

「でも、顔が良ければ、娼婦にもなれますよね──。あたしは、娼婦にもなれないんですよ。昨日だって、あんなことも……」

 

 香蛾は悲しそうな顔をした。

 宿を求めて、人前で自慰までしてみせた恥辱を思い出したのだろう。それでも相手にされなかったことで、改めて香蛾は自分が人並み外れて醜い顔をしているということを悟ったのかもしれない。

 

「なにが娼婦だよ……。娼婦という仕事を馬鹿にするつもりもないけど、女の生き方はそれだけじゃないよ。お前……歳は幾つだい?」

 

「もう、十五です」

 

「まだ、十五だよ──。わたしなんて、十五のときは、まだ天教の道士だったよ。新米の巫女さ……。お前らは十五のときはどうしてた?」

 

 宝玄仙は言った。

 

「えっ……。じゅ、十五ですか……。わたしは、父の道場で師範代をしていたと思います」

 

 いきなり話を振られて沙那は戸惑ったように言った。

 

「孫空女は?」

 

「あたしは、なにやっていたかなあ……。こそ泥のようなことをしていたのかなあ……。それとも、旅芸人の一座にいた頃かな……。生きるためにいろいろなことをやったから、どれが十五の頃なのか、もう、覚えてないよ」

 

 孫空女が答えた。

 

「あたしは、あちこちを放浪していました。皆さんに出遭う一年前ですね。当時は、女であることを隠して能生と名乗って男のふりをしていたと思います──。それに、何人かの妖魔……いえ、亜人と知り合ったのもこの頃です」

 

 朱姫が言った。

 

「そらね、香蛾……。十五で天教の巫女の見習いのようなものだったわたしはもう天教の巫女じゃないし、つまんない道場の師範代だった沙那は、武芸を買われて地方軍の隊長までやったけど、いまはここで旅の空だ──。孫空女や朱姫に至ってはなんにもしてないんだよ。お前の人生はこれからさ」

 

 宝玄仙は言った。

 

「な、なんにもしてないは酷いよ、ご主人様。あたしは、それこそ必死に生きてたよ。その日、その日をね」

 

「そうですよ……。それなりに一生懸命に生きてましたよ」

 

 孫空女と朱姫がそれぞれに不満気に言った。

 

「うるさいよ、お前ら──。わたしは、この香蛾のことを話しているんだよ」

 

 さっきの刺激を孫空女と朱姫に道術で送る。

 

「ひうっ、ま、また──」

 

「な、なんですか、これ──」

 

 孫空女と朱姫がそれぞれに悲鳴をあげる。

 ふたりが真っ赤になって身体を反りかえらせた。

 

「あ、あのう、あなたの両親とかは生きていないの?」

 

 沙那が横で歯を食いしばって身体を悶えさせるふたりにちらりと眼をやってから、軽く咳払いをして言った。

 

「そんなものはいません。あたしたち奴婢は、幼い頃に生みの親からは離されます。そして、奴婢の集団の中で育てられるのです」

 

「へえ……」

 

 沙那が驚いた顔になった。

 

「……いずれにしても、円国に戻っても仕方がないということだね」

 

 宝玄仙は言った。

 

「は、はい……。あ、あのう……孫空女さんと朱姫さんはいったいどうしたんですか……?」

 

 香蛾はおそるおそるという感じでふたりに視線を向けた。

 宝玄仙はふたりの道術を解いた。

 ふたりが大きな息を吐く。

 

「こいつらのことはいいさ……。それよりも、この爺が持っていた財産があったろう……。それは貰っときな。とりあえず、それがあれば、なにをするにしても元手にはなるからさ……。そいつの服の中にでも入っているんだろう……。棺桶から抜いときな。冥土に行くのに、浮世の金は必要はないよ」

 

 宝玄仙がそう言うと、香蛾は複雑な表情になった。

 

「どうしたんだい、香蛾? 早く、取りな──。まさか、これは、こいつの財産だから一緒に埋めてやろうかとか思っているんじゃないだろうねえ……。なんにも手に職のないお前が無一文で生きていけるわけがないだろう。こんな爺をお前は最後まで世話したんだ。こいつの財は誰に遠慮することのないお前のものだよ」

 

 宝玄仙は苛ついて怒鳴りあげた。

 人がいいのは正しいこととは思わない。

 むしろ悪徳だと思う。

 なにがなんでも生き抜き、他人を蹴落としてでも自分の道を貫く。

 女がたったひとりで生きるということはそういうことだ。

 そうでなければ、女がひとりで生き抜くなど不可能だ。

 

「違うんです……。そういうんじゃないんです。それは確かに、この鐘光徳様が持っておられた財は鐘光徳様のすべてだったと思います……。これは、屋敷を追い出されるときに唯一、鐘光徳様が持ち出すことができたものなんです。鐘光徳様は、奥様や番頭様の眼を盗んで持ち出してやったのだと言っていました……」

 

 香蛾は立ちあがって鐘光徳が入っている棺桶に手を入れた。

 そして、しばらくするとこぶし大の袋を出した。

 中身を自分が腰掛けていた寝台の上に出す。

 

「あっ」

 

「あれっ?」

 

「まあ……?」

 

 沙那、孫空女、朱姫がそれぞれに声をあげた。

 宝玄仙も驚いた。

 中身はただの石ころだったのだ。

 

「こいつはこんなものを財だと言っていたのかい……。だけど、なんでだい? お前を騙すためかい?」

 

 宝玄仙は首を傾げた。

 

「さあ……。あたしを騙すことに意味があったとは思いませんけど……。多分、鐘光徳様は、すべての財を奪われて城郭を追い出されることになったときに、少し記憶がおかしくなっていたのではないかと思います……。それとも、本当は石ころだとわかっていて、それを財だと言い張って自分を慰めようとしていたのか……」

 

「慰めるって……。こんな石ころでかい?」

 

「はい……。いずれにしても、死ぬ前は間違いなく自分は財を持っていると本気で思っていたと思います……。死ぬ前の鐘光徳様は、すっかりといろいろな記憶がなくなったり、混乱したりしたようになっていましたし……。なにが本当で、なにが嘘なのか、もうわからなくなっていたと思います……。これは、亡くなられた鐘光徳様のすべてでしたから一緒に棺桶に入れてあげます」

 

 香蛾は複雑な笑みをした。

 宝玄仙も大きな溜息をついた。

 

「まあ、そうだね。石ころなんて、持っていっても仕方ないしね……」

 

 宝玄仙もそう言うしかなかった。

 香蛾は石を丁寧に袋に入れ直すと、もう一度、鐘光徳が入っている棺桶の中に戻した。

 

「それにしても、石ころを後生大事に持っていたなんて呆れたものだよね」

 

 孫空女が口を挟んだ。

 

「でも、あたしも石ころのようなものです。奥様は、あたしの醜い顔を見て、石ころのように役に立たない私奴婢だから、捨てるような気持ちであたしを鐘光徳様に与えたのです。奥様は、価値のあるものはなにひとつ鐘光徳様に与えたくなかったのです……」

 

 香蛾が少し寂しそうに言った。

 

「お前は石ころかい……」

 

 宝玄仙は苦笑した。

 

「そうです。石ころのようなあたしという奴婢と、袋に入った石ころの財……。それが鐘光徳様が、人生の最後に持っていたものということになりますね」

 

 香蛾がそう言って笑った。

 その表情は、どことなく厭世的で人生を諦めたようなところがある。

 いくら奴婢として産まれたとはいえ、この香蛾にはそれに相応しくない高い知性の欠片と気持ちのいい優しさがある。

 そんな人間がすでに人生が終わったような態度をとっているのが、なにか宝玄仙には気に入らなかった。

 

 ましてや、香蛾はまだ十五だ。

 人生を達観するには早すぎる。

 この香蛾をどうしたものだろう……。

 放り出すのは簡単だが、実際問題としてここで放り出してもこの香蛾は野垂れ死ぬだけに違いない。

 

「その顔の痣──。いっそのこと消してしまうかい?」

 

 しばらくして宝玄仙は言った。

 

「えっ? そんなことができるんですか?」

 

 香蛾がびっくりしたような声をあげた。

 しかも、その態度はあまりにも劇的なものだった。

 大人しく座っていた香蛾が、がばりとその場に立ちあがったのだ。

 そして、宝玄仙はその香蛾の強い反応に驚いた。

 香蛾の表情が強い期待を込めたものになっている。

 

 宝玄仙は、その様子から、この香蛾にとって顔の痣は大きな劣等感の根源になっているということがわかった。

 それを消してしまうことで、この香蛾の人生に諦めたような態度を改めさせることができるかもしれない……。

 そうであるならば、やっぱり、顔を醜くしている痣を消してしまうことがいいのかもしれない。

 いや、いっそのことついでに──。

 だが、そのためには、ある代償を支払わなければならないが……。

 

「ああ、できるよ……。難しいことじゃない。わたしは、道術遣いだしね……。だけど代償はある」

 

 宝玄仙は言った。

 

「な、なんですか……? この痣が消えるのならなんでもします。本当です──」

 

 香蛾は息せき切って言った。

 その態度には、ずっと保っていた落ち着き払った様子はない。

 懸命に耐えているが大きな興奮に我慢ができなくなっているという感じだ。

 やはり、顔の痣はこの香蛾の心を縛っていた強い呪縛のようなものだったのだろう。

 宝玄仙はにやりとした。

 どんなかたちにしろ、人が人生を諦めた感じになっているのは嫌いだ。

 一生懸命に生きようとしている者こそ、宝玄仙の好む人間だ。

 

「痣は消えるよ……。跡形もなくね。それ以上のこともできる……。ただし、その代償は、お前は子孫を作ることができなくなるということだ。つまり、子供を産めなくなるのさ。まあ、性交はできるけどね。それだけじゃなく、歳を取ることもなくなる……。まあ、見た目のことだけだけど……。それを甘受するのならお前の身体に道術紋を刻んでやるよ。それを刻めば、わたしがそこから霊気を注ぎ込んで道術を遣う。お前の顔からみっともない痣は消してやる……。それだけじゃない──。もっと、驚くことだってしてやる」

 

 宝玄仙は言った。

 

「構いません。お願いします──。一度でいいんです。この顔から痣が消えるという経験をしたいのです」

 

「一度であるものかい……。まあ、いいや……。じゃあ、早速始めるかい……。ここじゃあなんだから、向こうの部屋に行きな──。行ったら服を脱ぐんだ。そして、なにもかも脱いで寝台にうつ伏せになりな。そうしたら始めるよ」

 

「ほ、本当にそんなことをしていただけるんですか?」

 

 香蛾は立ちあがった。その香蛾の表情は強い期待に満ちている。

 

「道術紋を刻むときには大きな痛みが全身に走る。それは我慢しな……。それから言っておくけど、わたしの道術は、お前の顔の痣を消すだけじゃないからね」

 

 宝玄仙も立ちあがった。

 

「痣を消すだけじゃないとは?」

 

 扉に向かいかけた香蛾が振り返る。

 

「お前、奇跡を信じるかい?」

 

 宝玄仙はふと口元を綻ばせた。

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