「妖魔退治?」
ここは
宝玄仙たちをここに案内をしてきた
天教教団の法師なら道術を遣える者が多い。高才のいうことによれば、ああやって声をかけはじめてから十日ほどになるとのことだった。
そして、宝玄仙が、どうやら帝都から出発して巡礼の旅をしている本物の道師と知ると、高才は絶対に離すものかというように、宝玄仙以下の三人をこの屋敷に連れてきた。
結局、沙那の持っていた荷物は高才が担いで、能生は高才が元々持っていた荷を担いだ。
また、高才は、お連れさんは大変に具合が悪そうだからとしきりに言っていたが、それは親切心だけではなく、荷を人質にし、沙那の看病にかこつけて、なんとしてもこの屋敷まで宝玄仙を連れてこようという高才の魂胆だったに違いない。
屋敷の敷地に入ると、宝玄仙は供の沙那と孫空女とともに、屋敷の客室に案内された。もちろん、沙那は具合が悪いのではなく、宝玄仙の道術による淫靡な悪戯に必死に耐えていただけなので、どうということはない。わざと、やらせた道端でのお漏らしも相当に堪えたようだが、いまは身体を洗うために湯船とやらに案内をされて、さっそくいなくなった。
湯船に向かうときには、すでにけろりとしていたから、まあ、まったく問題ないだろう。
また、高才によれば、高太公はこの宿町の分限者だと言うことだったが、確かに街道沿いに店を構えている大きな商家だった。
扱っているのは衣類で、多くの番頭や小僧が忙しく客を相手に働いていた。宝玄仙たちはその店の反対側にある屋敷の入口から通されたのだ。
そもそも、王候貴族でもないのに、湯船がある屋敷とはすごい。それだけ、高太公に力があるということに、ほかならない。
高太公からは一度挨拶を受けた。
宝玄仙に深刻な相談があるということだったが、少し落ち着いてから食事の席にでもということになった。
高太公はでっぷりと太った老人であり、いかにも人を使うことに慣れたやり手の商人という感じだった。
「そうだよ。妖魔退治だよ──。うちのご主人は、それを法師様にお願いすると思うよ」
能生が言った。
「この宿町に妖魔が出るのかい?」
孫空女が部屋の隅に荷を片づけながら訊ねた。
「いや、宿町に姿を見せるというわけじゃないよ、孫さん。この屋敷だけにときどき出没するんだ。ご主人が調べさせたけどよくわからないらしい。本当は近くの裏山の奥に棲んでいると言われているけど」
「この屋敷に出現する? どういうことだい?」
宝玄仙は驚いて言った。
「それがよくわからないんだ、法師様。不意に出現して、不意に消える。まるで幽霊みたいに」
「じゃあ、幽霊なんだろう」
宝玄仙は言った。
「幽霊じゃないよ。妖魔だ。身の丈は人の二倍。猪の顔をした恐ろしい妖魔だ」
「なにか、悪さをしているのかい?」
「勝手にこの屋敷に現れるんだ。それが悪ささ」
「それで、屋敷で乱暴でも?」
「さあ、特に家人を襲ったという話は聞かない。ご主人に話をしに来るみたいだけど、ご主人は迷惑がっている」
「この家の者は、その妖魔を見ているのかい?」
「そりゃあね。みんな怖がっている。なにせ、急に出現しては、屋敷をうろうろしてから消えてしまうんだ。いまのところ、暴れるわけじゃないけど、なんだって妖魔だからね」
「妖魔が屋敷に出現するようになったのは、ずっと、昔からかい?」
「さあ、最近のようだよ。もっとも、僕もこの宿町にやってきて、まだ二箇月くらいなんで……」
「二箇月?」
宝玄仙は言った。
「この宿町で行き倒れかけていたところをこの店に引き取られたんだ」
「この宿町の出身じゃないんだね、お前は?」
「故郷を出てからずっと、ひとりで旅をしていたんだ」
「ずっと旅をしていたって……。両親は? 故郷とはどこ?」
「ごめん。それは言いたくない」
能生は暗い顔をした。
「じゃあ詳しいことは聞かないよ。事情もあるんだろうしね……。それで、二箇月前からこの店で働いているのかい?」
「計算ができるので、店の手伝いもさせてもらうようになったけど、本来は、こちらの屋敷の雑用が仕事なんだ。ここに滞在しているあいだは、僕になんでも申しつけてね」
「まあ、行き倒れていたところを、こんな大きな商家で働けるなんて運がよかったというところかね」
「そうなかあ……」
能生は面白くなさそうな顔をした。
「おや、どうしてだい、能生? なにか気に入らなさそうじゃないかい? 命を助けられたんだろう?」
「まあ、感謝はしているよ───。でも……あいつ……」
「あいつ?」
宝玄仙は、自分の雇い主を「あいつ」と呼んだこの身体の細い少年に興味を抱いた。よく見れば、幼い面影を残しているが随分と整った顔立ちをしている。
「な、なんでもない──」
能生は慌てて首を横に振った。
「お前、歳は幾つ?」
「十六だよ、法師様」
「十六──? もっと歳下かと思った」
声をあげたのは孫空女だ。
「よく、言われるよ、孫さん。童顔だから」
能生は顔を隠すように下を向いた。
「ふうん」
宝玄仙はじっと能生を見た。なるほどそういうことらしい──。
「まあ、いいよ……。ところで、妖魔のことをもう少し教えてくれるかい、能生?」
宝玄仙は言った。
「それは、ご主人様が説明すると思う。僕が先にいろいろと言ったら怒られるし……」
「でも、なにかを伝えたくて、妖魔退治を高太公が依頼することをわたしに教えたんだろう、能生?」
宝玄仙は、能生の顔を覗き込む仕草をした。
「うん……」
「言いたかったことを口にしてごらん、能生」
宝玄仙は、じっと能生の顔を見つめたまま、能生が口を開くのを待った。
「わかった。じゃあ言うね。その妖魔というのは、“
能生は顔をあげた。
「その猪公という妖魔は、強いから手を出すなということかい?」
「うん、そうだ。とても強いよ」
「だけど、屋敷で暴れたことはないだろう?」
「うん」
「じゃあ、なんで強いとわかるんだい?」
「だって、人の倍の背丈もあったよ──。それに、力も強そうだったし……」
能生は急に慌てたような仕草をする。宝玄仙はじっと能生の眼を見た。すると、不意に能生が鋭い視線で宝玄仙の眼を見返した。だが、驚いた表情になり、首を傾げて眼を逸らす。
「どうした、能生?」
「な、なんでもない──。どっちにしても、あいつの勝手な都合で、法師様たちが命を張る必要はないよ」
「あいつというのは、高太公のことだね?」
「あっ」
能生は口を押さえた。
「高太公とお前とになにがあったのかい、能生?」
「な、なにもないよ」
能生は顔を赤くした。宝玄仙は、まだじっと能生を観察していた。その視線に耐えられないのか、能生は居心地が悪そうな仕草をしはじめた。
「当ててやろうか……? お前、高太公というその男に言い寄られたね?」
宝玄仙は言った。能生がびっくりした表情になる。
「ええっ──。男が男に──」
だが、叫んだのは孫空女だ。
「声が大きいよ、孫空女」
宝玄仙は舌打ちした。
「……まあ、そういうこともあるか……。女が女にというのもあるし……」
孫空女は、そう言って口をつぐんだ。
「それで高太公に抱かれたかい、お前?」
「だ、だ、だ、誰が……。お、男なんて──」
能生はますます顔を赤くした。
しかも、すごく興奮している。
宝玄仙は、能生のあまりの剣幕がちょっと愉快になった。
「冗談だよ。なにをむきになってるんだい、能生」
宝玄仙は笑った。からかわれたのがわかったのか、能生は頬を膨らませている。
「と、ところで、法師様は西方に向かう巡礼の途中というのは本当?」
だが、すぐに気を取り直したように能生は言った。そういうことをここに来るまでの道すがら話したのだ。
「そうだよ、能生」
「だったら、宝玄仙様という偉い法師様たちじゃないの、あなた方は?」
まだ、名乗っていないはずの名を指摘されて、今度は宝玄仙が驚く番だった。
「なぜ、わたしの名を知っているんだい、能生?」
「う、噂だよ。噂──。だけど、だったらお願いがあるんだ」
「お願い?」
「僕を弟子にしてくれない?」
「弟子?」
「僕にも道術が使えるんだ。大した道術じゃないけど……」
「道術遣い? ふうん。あまり魔力は感じないねえ」
「大した道術遣いじゃないからね。できるのは、ちょっとした暗示を相手に与えることくらいなんだ……。でも、僕は能力のある道術遣いになりたいんだ」
宝玄仙には、この能生から強い道力は感じていなかった。つまり、ほとんど普通の人間と変わりない。
道術遣いに必要なのは、修行ではなく素質だ。素質のない道術遣いは、いくら修行しても無駄だし、逆に素質があれば修行など必要ない。自分の持つ力に見合った道術であれば、教わればすぐにできる。
能生はそれを知らないのだろう。残念ながら、この能生が能力のある道術遣いになれる可能性はない。
「それは、やめた方が……」
孫空女が口を挟んだ。宝玄仙は身体中のあちこちをくすぐる魔力を孫空女に与えた。
「ひいいっ──」
孫空女は全身を自分の手で抱いてうずくまった。
「どうしたの、孫さんは?」
歯を食いしばって、声が漏れるのを防いでいる孫空女に、能生が不審な表情を向ける。
「なんでもないよ、能生。それよりも、本当にわたしの弟子になりたいのかい?」
「うん。偉大な道術遣いなんでしょう。僕も道術力を磨きたいんだ」
「お前が道術を使えることをこの屋敷の者は知らないのだね?」
「教えていない。僕はこの道術を安売りしたくないんだ」
そうだろうと思った。大した道術師でなくても、道術師なら霊具が使える。それだけで道術師は重宝されるから、高太公が知っていれば、能生を雑用なんかに使うわけがない。
「なるほどね……。だけど、わたしは男の弟子はとらない。お前が可愛い女の子なら別だけどね」
「お、女なんかじゃないよ──」
能生は急に立ちあがって、そのまま部屋を出ていった。
「孫空女」
能生がいなくなると宝玄仙は、孫空女に振り向いた。
内丹印を使って、急激な快感を送り込む。
「あっ、ああっ……。も、もうやめてよう……」
孫空女は真っ赤な顔で身体を震わせた。
「お前、能生についてどう思う?」
「ど、どう思うって……」
「可愛い顔をしていたよね」
「ご、ご主人様は、も、もしかして、あいつに興味を……?」
孫空女が自分の身体を抱きながら、眼を見開いた。
「ああいう少年に無理矢理、女の格好をさせて連れて行くのさ。きっと屈辱で顔を歪めるのだろうねえ。そう考えただけで、ぞくぞくするだろう?」
すると淫情に耐える孫空女が顔を引きつらせた。
*
「妖魔退治とな」
宝玄仙が言った。
沙那は食べ物を口にする手を休めて話に集中した。
尿を垂れ流したことによって汚れた身体は、「湯船」と呼ばれる場所で湯浴みをさせてもらい綺麗になった。あれは宝玄仙は気に入るだろうと思いながら、沙那は束の間の幸福を味わった。
そして、宝玄仙たちが待つ客室に行ったときに、宝玄仙から妖魔退治のことを聞かされたのだ。
この屋敷の主人の高太公は、どうやら妖魔退治をさせるため、ここに沙那たちを連れて来たらしい。それを事前に教えたのは、あの能生という少年とのことだ。
高太公の言葉に宝玄仙が沙那に頷いた。話をしろという指示だ。
「話はここにおる沙那が聞く。話せ、高太公」
宝玄仙が高太公に言った。宝玄仙のその言葉に高太公が沙那に視線を向け直した。
「事情を説明してください」
沙那も話を促した。
人前で小便を洩らすという醜態をやらされた沙那だったが、身体を洗ったことで少し気も晴れた。
いずれにしても、それくらいで音をあげていては、この変態巫女の供は務まらない。
高太公は年齢はもう六十は超えているだろう。
顔には、黒い斑点のようなものが浮き出ている。でっぷりと太った身体は分限者らしい風格も漂わせている。
だが、孫空女によれば、この高太公は男が好きな男色家かもしれないとのことだ。
本当だろうか?
しかし、逆に、この高太公は、気のせいか沙那にじろじろと身体を舐めまわすような視線を送ってくる気がする。
沙那に淫情を抱いているような視線だ。
なにかうっとうしい。
その高太公が部屋の外に声をかけた。
部屋の中に、十五、六歳くらいであろうか。白い装束を身につけた可憐な娘がやってきた。両膝をついて宝玄仙に向かって頭をさげる。
「堅苦しい挨拶は好かん。そこに座るがよい」
宝玄仙が高太公の横の席を指した。
「はい」
娘が席に着き顔をあげる。同性の沙那から見てもはっとするほどの美少女だ。
しかも、宝玄仙が気に入りそうな可憐な顔をしている。
宝玄仙が、この娘にちょっかいを出さなければよいがと沙那は思った。
そう思って、隣の宝玄仙に視線をやると、やはり、高太公が沙那を見るのと同じような、舐めまわすような視線を朱に向けている。
まったくこの巫女は……。
沙那は嘆息する。
「これなるは、末娘の
「この
沙那は言った。
「実は、猪公という妖魔に、この朱は結婚を迫られております」
高太公が言うと、朱が俯いた。
「どういうことでしょう、高太公殿?」
「はい、沙那殿……。話は十三年前に遡ります」
高太公は口を開いた。
「十三年前?」
沙那は言った。
「この朱が三歳の頃です。こいつは重い病気なり死にかけました。高名な医師を呼び寄せて、治療を行わせましたが治りませんでした。そのうち、その医師も見放し、この朱は死の淵にありました」
「それで……?」
「そこに
「その治療が効いたのですか?」
「そうだと思います。それから、毎晩、人払いをすると、猪公は枕元に出現するようになりました。朱はどんどん解放に向かい、十日ほどで起きあがれるほどになりました……」
「猪公はどうなったのです?」
「最後の晩、朱が十六になったら迎えに来るという約束をして消えました。それきり、屋敷に出現することはありませんでした。しかし……」
「しかし、十三年経って突然にやってきた……。そういうことか、高太公?」
宝玄仙が口を挟んだ。
「はい。それから、十三年──。約束をしたことは覚えていましたが、もう、随分も音沙汰なかったので、私ももうあのときの約束など気にも留めておりませんでした。しかし、私の枕元に、猪公は不意に出現しました。そして、十三年前の約束を果たせと要求してきたのです」
「枕元に? この屋敷のか?」
「そうです、宝玄仙殿」
「現れたというのはどんな風にですか? 部屋の中にどうやって入ってきたのです?」
沙那は言った。
「言葉の通りです。突然、出現したのです。ぱっとね──」
高太公は両手を拡げた。
「ぱっと?」
「そうです、沙那殿。ぱっとです──」
「その言葉を告げた後でどうなったのです?」
「眼の前から当然に消えました」
「やはり、ぱっとですか?」
「ぱっとです……。それから、何度も屋敷に出現するようになりました。どこからやってくるのか、皆目見当もつきません」
「ねえ、ご主人様……」
沙那は宝玄仙に顔を向けた。
「うん……。なんらかの術だろうな。屋敷内のどこかに事前に結界を刻み、『移動術』で出現しては消える。それをやれば可能だね……。後で孫空女に調べさせよう……。わかったね、孫空女──」
話を聞く様子もなく、食べ続けている孫空女に宝玄仙が言った。
「ふ、ふふぁい──」
孫空女が口に物を詰めながら応じる。
「猪公は屋敷の決まった場所に出現するのですか?」
沙那が訊ねた。
「いいえ、いつも気まぐれのように違った場所に現れます。そして、早く朱を寄越せと迫るのです」
「孫空女──」
宝玄仙が怒鳴った。
「わかっているよ──。後で屋敷中を全部調べる。くまなくね……。それでいいんでしょう、ご主人様?」
孫空女が応じた。宝玄仙が頷いている。
「妖魔からの具体的な指図はあるのですか? つまり、朱さんを寄越せというのは、具体的にどうせよということなのです?」
「朱を
「それでは、その猪公はその祠に棲んでいるのですか?」
「そうではありません……。そこも王軍に調べてもらいましたが、妖魔が棲みついている兆候もなく、怪しいものはありませんでした」
「王軍? この話には王軍が関わっているのですか?」
沙那は少し驚いた。
これまでの話だけのことなら、妖魔といっても宿町全体に迷惑がかかっているような話ではなく、この屋敷内に限ったことだからだ。
それだけで、烏斯国の王軍を動かすとは、この高太公は分限者として、それなりに王宮に影響力のある人物ということになるのだろうか。
「実は、王軍に出動してもらい裏山を山狩りしてもらったのです。もちろん、そのときにこの宿町の外れにある雲桟洞についても徹底的に調べてもらいました」
「その王軍には道術師は同行したのか?」
宝玄仙が口を挟んだ。
「い、いいえ。道術師まではさすがに……。普通の城郭軍ですから……」
「では妖魔は狩れんぞ。先程の話であれば『移動術』も遣えるのであろう。気配を察して姿を消してしまう。それに山狩りまでして妖魔の棲み処に手を出したとあっては、妖魔を逆に刺激するだけなのではないか?」
「その通りでした、宝玄仙殿。山狩りがなんの効果もなく終わった夜、猪公がまた、この屋敷に出現し……」
高太公は暗い顔をした。
「その猪公がどうしたのです、高太公殿?」
「この朱を殺すと──。それが嫌なら持参金をつけて、すぐに朱を嫁に差し出せと──」
「ほう……。持参金も要求されたか。それで幾ら要求された?」
なにが面白いのか、宝玄仙が愉快そうに言った。
「ご主人様、額などどうでもいいではありませんか」
沙那は言った。
「いや、興味があってな……。それで妖魔の要求する持参金とは幾らだ?」
「金粒二袋です」
「二袋?」
宝玄仙は言った。
「はい」
「金粒二袋とはな。大金には違いないがこの屋敷程の分限であれば、大した額ではなかろう。娘の命と引き換えにしては、随分と要求も小さのう」
「とんでもありません、宝玄仙殿。私にとっても金粒二袋といえば、大金です」
高太公は言った。
「まあ、いずれにしても貨幣ではなく、金粒を要求するところは、沙那よりは、物事をよくわかっているようだな……。のう、沙那?」
宝玄仙が嫌味な顔をこちらに向けてくる。沙那はむっとした気持ちをなんとか表情に出さないように努力した。
「それで、それはいつのことじゃ?」
「十日前のことです」
「なるほど、それで術を遣う魔術遣いを慌てて探したか。妖魔退治といえば、魔術遣いがおらねば話にはならんしな」
「なんとかしていただけないでしょうか、宝玄仙殿?」
高太公は頭を下げる。
「そうだのう……」
宝玄仙が考えるような表情をしたが、だが、宝玄仙はどうやら妖魔退治に大した興味を抱いてはいないようだ。それよりも、さっきから興味深く視線を送り続けているのは、朱に対してだ。途方もなく嫌な予感がする。
「あのう、法師様……」
それまで黙っていた朱が口を開く。
「なんだい、朱?」
宝玄仙が言った。
「朱はその妖魔の嫁にいくべきだと思うのです……」
「なにを言うのだ、朱――」
隣の高太公が飛びあがらんばかりに怒鳴った。
「どうして、そう思うんだい、朱?」
宝玄仙は朱に視線を向けた。
「お父様が約束をなさったのですから……。相手が妖魔といえども、それは守るべきだと思います」
その気丈な物言いに沙那も驚いた。
「だ、だが……」
高太公が感情を激して口を開きかけたが、すかさず宝玄仙が手でそれを制した。
そして、宝玄仙は朱に言葉を促すような視線を向けた。
朱が頷く。
「お父様のいうことが正しいのであれば、朱の命は、その妖魔により助けられたのです。しかも、その妖魔は特段の悪いことをしたわけでも、暴れたわけでもありません。幼かった朱の命を救い、十数年後の約束以外には、なにひとつ奪うことなく去ったというじゃありませんか。そして、約束の期限が来た───。妖魔はそれを果たしてもらいたくて再び屋敷にやってきた。それにも関わらず、お父様は、王軍まで出動させて、妖魔の棲み処を荒らさせた……。妖魔に落ち度はなく、むしろ、こちらに否があるように思います」
朱はきっぱりと言った。なかなかに気は強い性質のようだと沙那は思った。口調もしっかりとしているし、妖魔の嫁になるということについても物怖じする様子もない。
むしろ、激しく狼狽えているのは、父親の高太公だ。
「わ、わしは、お前のために……。それにお前を妖魔の嫁になど……」
「信義は果たすべきです。相手が人間であれ、妖魔であれ……」
朱はきっぱりと言い切って、高太公に強い視線を向けた。その表情に悲痛なものは存在しない。沙那は正直感心していた。
「よい覚悟だな……。よい娘ではないか。のう、高太公?」
宝玄仙が微笑んだ。
「はい……。し、しかし、宝玄仙殿、親の私が言うのも厚かましいですが、高家の四姉妹といえば、近隣でも聞こえた美姉妹でございます。上の三人は、すでに嫁にいきましたが、末のこの朱は四姉妹の中でも、特に心優しく器量よしでございまして……。幸深い人生を送ることができる良縁をと、探し求めております……。それなのに、どこの出自かわからぬ……、ましてや猪の化け物に娘をやるわけには……」
「とは言え、その猪の化け物がおらねば、なかった命なのであろう? それに、当の朱も同意しておる話だ──。問題はない……」
宝玄仙が眼の前の料理を口にしながら言った。
「そ、そんな……」
高太公の顔がみるみる真っ赤になった。余程、感情が激しているようだが、宝玄仙は素知らぬ振りだ。
「いずれにしてもこれですべて解決したな……。約束通りに、朱はその猪の妖魔の嫁に行く──。まあ、どっちにしても持参金くらいはつけねばなるまい。金粒二袋ならこのくらいの商家であれば普通であろう。なにせ、可愛い末娘なのだから……」
「ご主人様」
沙那は大慌てて口を挟む。眼の前の高太公はいまにも気を失わんばかりの顔をしている。
「なんじゃ、沙那──? なんで口を挟む──? 妖魔がこの朱を求め、この朱もそれでよいと申しておる。さすればわたしら余所者が口を挟むようなことではないわ……。それともなにか。沙那は、相手が妖魔であれば、嘘八百を並べて利用するだけ利用し、用が済めば約束など反故にして、それで文句をいうようであれば、王軍でもなんでも差し向けて殺してしまえばいいというのか……? 妖魔といえども虫けらではないぞ。家族もあり、妖魔なりの社会を築いている知性をもった存在じゃ。わたしには、妖魔を退治しなければならない理由を見いだせぬな──」
宝玄仙はきっぱりと言い切った。
「だって、それでは余りにも朱さんが……」
沙那は困って言った。
ある意味、宝玄仙の言うことももっともだからだ。だが、れっきとした分限者の娘を妖魔の嫁にするなど……。
「仕方ありません、沙那殿……。約束を守るのは、人として当然のことです……」
朱ははっきりと言った。
「お願いします、宝玄仙殿──。妖魔退治を引き受けてください。この通りです───。こちらに理がないのは百も承知です。犬畜生の見下げた心根と蔑まれても構いません。私には眼の中に入れても痛くない程に可愛い娘なのです。なんと言われても、娘を妖魔の嫁に差し出すわけにはいきませぬ」
高太公は椅子から転がるように降りて、床に頭をつけた。
「でも、お父様──」
「お前はもう黙っていろ、朱──」
高太公が怒鳴った。朱は不機嫌そうな表情をした。
「なら、わたしにどうしても妖魔退治をせよというのだな、高太公?」
宝玄仙が興味無げな表情で言う。
「はい。信義にもとるとしても朱を妖魔に渡すわけにはいきません」
「ねえ、高太公殿?」
沙那は思いついたことを申し出ようと、強い視線を高太公に向けた。
「なんでしょう、沙那殿?」
「もしも、この妖魔退治に成功したら、わたしたちが困っていることを解決してくれることは可能ですか?」
「と、申しますと?」
高太公が首を傾げた。
「実は、わたしたちはこれから西に向かって旅をする途中なのです。しかし、わたしがうっかりして、帝国紙幣をこの西側でも通用する財に交換するのを忘れてしまったのです。でも、高太公殿は帝国の国境に関所を挟んでいるこの宿町の分限者。わたしたちの持っている帝国紙幣を買い取り、銀や金の粒に交換してもらうことは可能ですか?」
「ほう、帝国紙幣を……。いや、もしも、本当に妖魔を退治してくれるのであれば、引き受けましょう。もともと、この高家の父祖は帝国領の高老の出身なのです。だから、姓も“高”を名乗っております。高老には、まだまだ付き合いのある親族も多いですから、帝国紙幣をそちらで価値のある物に交換することは可能です。わかりました。もちろん、相場で──ということになりますがそれは請け負います──。では、妖魔を退治を引き受けてくださるということでよろしいですね。ありがとうございます──」
高太公が喜色満面の表情を浮かべて叫んだ。
「え? 妖魔退治をするのかい、沙那?」
宝玄仙がまるで他人のことのような感じで言った。
「人助けですよ、ご主人様──。いいじゃないですか」
沙那は言った。
「おお、沙那殿──」
高太公は声をあげた。朱はまだなにか言いたげだったが、高太公がそれを険しい視線で制している。
「仕方ないねえ……」
宝玄仙もそれだけを言った。
どうやら納得してくれたようだ。
いずれにしても、ここで帝国紙幣を交換しておけば後の手間が楽になる。
路銀がなくなってしまえば、宝玄仙にとっても旅も面倒になるはずだ。
「まあ、お前がそう言うならいいだろう、沙那……。しかし、報酬を決めないとねえ」
宝玄仙がそう言い出した。
「報酬ですか……?」
「そうだ、高太公……。報酬だ」
「そ、それについては、いま沙那さんが、帝国紙幣を金粒や銀粒と交換すればよいと……」
「それのどこが報酬だ、高太公──。もったいぶったことを言っておったが相場で引き取るのだろう──。お前に損はあるまい──。この宝玄仙をただ働きさせようと思ったかもしれんがそうはいかんぞ」
「きょ、教団への寄進は毎年欠かしておりません──」
「寄進など知ったことではないわ──。わたしに対する報酬を訊ねておるのだ──」
「まあまあ、ご主人様……。その話は、とりあえず後日相談ということで……」
沙那は嗜めた。ここでとやかく言って宝玄仙の評判を落とすのは得策ではないだろう。
宝玄仙は納得のいかない表情だが、とりあえず、それ以上は報酬の話はしなかった。それよりも、なにか考えることがあるような感じで黙り込んだ。
「じゃあ、とりあえずここにしばらく滞在して、その妖魔が現れれば、ぼこぼこにすればいいんだね」
孫空女が横から口を挟んだ。
「現れればね……。でも、神出鬼没に出現するということは、向こうもこっちにわたしたちがいるということをすでに知ったかもしれないわ……。だったら、簡単には現れない可能性もあるわ、孫女」
沙那は言った。
「じゃあ、なにか手を考えているのかい、沙那?」
「そうねえ、孫女……。とりあえず、その妖魔の本当の棲み処を見つけることが肝心と思うわ……。ねえ、ご主人様、この屋敷のどこかに妖魔の刻んだ魔法陣が『移動術』の出口として隠されているとして、そこから、逆に辿って妖魔の本来の居場所を見つけることは可能ですか?」
「状況によるね……。だが、『移動術』の結界は、術者の意図により遮断がしやすい。余程にすぐに魔術を追いかけることができれば逆に辿れるかもしれんが、今回の場合は向こうも警戒しておるだろう。簡単には魔術を辿ってはこれない措置をしている可能性がある」
宝玄仙は言った。
「ならば別の手も考えておく必要がありますね……。ところで、こちらから妖魔と連絡をとる手段はありますか、高大公殿?」
「先程言及した雲桟洞という祠があります。そこに伝言を残せば、向こうから返事が戻ってきます、沙那殿」
「ならば、明日の朝にでも猪公に向けた伝言を祠に残してください──。“朱さんが妖魔のもとに赴く準備ができた”と──」
「ああ、わかった。そうやって、猪公を誘き出したところをぼこぼこにするんだね、沙那」
孫空女が言った。
「それは無理ですよ、孫空女殿。妖魔の伝言は
高太公が言った。
「鳴戸という小妖は、どんな妖魔ですか?」
「巨大な栗鼠の姿です。大きさは人間くらいで言葉も喋ります」
「猪公の部下なのですか?」
「そうです、沙那殿」
「猪公の部下は多いのですか?」
「わかりません。知られているのは鳴戸だけです」
高太公は言った。
「じゃあ、その鳴戸を捕まえて、猪公の棲み処を白状させれば……」
孫空女だ。
「お前、ちょっと黙ってな、孫空女──。どうせ、役に立たないんだから、頭を使って考えるんじゃないよ」
宝玄仙が言った。
孫空女は不平顔で口をつぐんだ。
「それで、どうするのです。朱を猪公のもとにやるのですか?」
高太公は心配そうに言った。
「それには及びません。妖魔のところには、わたしが行きます」
沙那は言った。
「沙那が?」
「はい、ご主人様」
沙那は宝玄仙に向かって頷いてから、視線を朱に向けた。
「その代わり、朱さんには、ちょっとしたことをしてもらいます」
沙那は朱に言った。
「なんでしょうか?」
朱が顔をあげた。
帝都でも見ることのできない可憐な美少女には違いない。
「大したことではありません……。伝言に対する妖魔からの返事が来たら、わたしと口づけをしてもらうだけです」
沙那はあっけらかんと言った。
「ええっ──」
朱が大きな声をあげた。