「鼻男?
沙那は訊ねた。
「鼻といえば、陳達に決まっているじゃないかい。ほかに誰がいるんだい」
宝玄仙が笑った。
孫空女と朱姫は、この砦のあちこちに赴いて、それぞれの建物に火をつける準備をするために駆けまわっている。
この砦は、全員の離脱と同時に火をかけることになっている。その準備だ。
沙那は、この集会場で自分たちの出立の支度をしながら宝玄仙と雷雲の話に耳を傾けていたのだが、それで初めて、宝玄仙が
それが今回の雷雲の治療の代価としての宝玄仙の要求だったらしい。
「だ、だけど、陳達さんのところに香蛾を預けてどうするんですか、ご主人様?」
「どうするって、あいつの嫁にするのさ。あの男は精力絶倫だしね。とてもじゃないが、
「でも……」
「でもじゃないよ。そういう点で香蛾はうってつけさ。俄か作りだが、世の中の男がみんな嫁にしたがるような美人だし、奴隷あがりで従順だから、陳達のところの夫婦とも仲良くやるだろうさ……。ねえ、香蛾?」
宝玄仙は部屋の隅で水晶の世話をしていた香蛾に声をかけた。
香蛾は朱姫とともに、激しい連続絶頂で気を失ってしまった水晶の世話を別室でしていたのだが、水晶がやっと眼を覚ましたので、水晶を連れて集会場の大広間に戻って来ていたのだ。
水晶はまだかなり身体がだるそうだ。
無理もない……。
あれだけの短い時間で数十回も達したのだ。
まだ腰に力が入らない状態に違いない。
香蛾はその水晶の世話をかいがいしく行っている。
「はい、陳達様というお方のことは存じませんが、新しいご主人様と奥様には、気にいられるように一生懸命にお仕えます」
香蛾は満面の笑みを浮かべて言った。
沙那は嘆息した。
「仕えるって……。ねえ、香蛾、あそこはあんたがこれまでいたような広いお屋敷じゃないわよ。ただの小さな長屋よ。そこにいまは陳女と名乗っている奥さんと、その陳達さんがふたりで暮らしているのよ。そこに行くのよ。それでもいいの?」
「さあ……。でも、宝玄仙様によれば、そのお方は呉服屋を営んでいるらしいですし、宝玄仙様はそっちだったら、あたしのできることがあるんじゃないかとおっしゃいました。売子とか……」
「呉服屋じゃなくて、ただの古着屋よ。しかも、陳達さんがひとりでやっているような小さな店よ……。まあ、もちろん、陳達さんも服の仕入れとか加工とか大変だから、売子がいれば、いちいち店を閉めなくてもいいから助かるとは思うけど……」
「じゅあ、あたし頑張ります。売子は少しだけやったことがあります……。もっとも、醜女だったから、すぐに裏仕事に回されましたけど……。でも、多分、すぐに仕事は覚えられると思います」
香蛾は言った。
「家だって二間の長屋よ。あんたの部屋なんかないわよ、香蛾」
「構いません。でも、宝玄仙様によれば、そのご夫婦と一緒に寝ることになるだろうということでしたが……? あたしの役割には、奥様ととともに、陳達様の性をお慰めすることにあると伺ってますし……」
どうやら、すべて宝玄仙が因果を含めているらしい。
現に妻のいる男のところに、性行為を含めた奉仕をすることを承知で、香蛾は陳達のところに赴くことに同意しているようだ。
沙那は呆れた。
「まあ、その陳達殿のところで持て余すようだったら、水晶の親父さんに雇ってもらえばいいさ。その辺りは、ちゃんと陳達殿と話はするよ、沙那。水晶の親父さんは、朱紫国でも指折りの大商人でね。そこなら、しっかりと商人として鍛えてもらえる。つまり、手に職がつけられるということさ」
そのとき雷雲が口を挟んだ。
「まあ、だったら、そっちがいいんじゃないの、香蛾?」
沙那は香蛾に視線を向ける。
「あたしは、引き取っていただけるところであれば、どこでも喜んで……。でも、あたしは奴隷で……」
香蛾はちょっと困惑した様子でそう言った。
「香蛾は自学で読み書きもできる程の努力家らしいね。だったら、一生懸命に商家で頑張れば、すぐに独り立ちできるほどの才覚は身につくんじゃないのかな。香蛾はまだ十五だそうだから、これから商人の仕事を覚えるとしても、決して遅いとは言えないさ……。なあ、水晶?」
「は、はい……。商家の方でなくても、香蛾さんが望めば、家の養女にして花嫁修業をさせ、よい殿方のところに嫁ぐというこもできます。どういう方向であれ、お世話できると思います」
水晶が言った。
もっとも、水晶はまだ口を開くのもつらそうだ。
少し離れた椅子に深く腰掛けて、香蛾の差し出す飲み物などをゆっくりと口にしている。
「いいんだよ──。香蛾はあの鼻男の嫁にするんだ。もう、そう決めたんだ──。水晶、お前の親父さんが朱紫国の指折りの商人だったら、朱紫国の西に青天という城郭があるだろう。そこに人一倍でかい鼻をした男が小さな古着屋を営んでいるんだ。そいつの後ろ盾にでもなってやっておくれよ。その男はわたしの恩人なんだよ」
宝玄仙が言った。
「宝玄仙様の恩人ならば、わたしや雷雲殿にとっても恩人ですね。それはわたしの責任において、父にお願いします。お任せください……。わかりました。青天の城郭の陳達殿ですね」
水晶がしっかりと頷いた。
「でも、どうして、陳達さんなんですか、ご主人様? 陳達さんには、
「だから、言っただろう……。あいつは精力絶倫で、嫁がひとりじゃあ足りないって……。だから数名は必要なんだよ。なんか、文句があるのかい、沙那──。別に、朱紫国では一夫多妻は犯罪じゃなかったろう?」
「犯罪じゃないかもしれませんが、普通の庶民は奥さんはひとりですよ。陳達さんのあの長屋でふたりも嫁がいればみんな驚きます」
「驚かしておけばいいじゃないかい……。あの陰気男だって、ふたりも美人の嫁がくればまんざらでもないはずさ。あの鼻が自慢でさらに大きくなるってもんじゃないかい」
宝玄仙は笑ったが、沙那は笑わなかった。
なんで、わざわざ、二人目の嫁を送り込む必要があるのだろう。
なにか裏がある気がした。
「だいたい、香蛾、あなたはわかっているの? 陳達さんのところに行くということは、ただ、売子をするわけじゃないのよ。あそこには陳女という奥さんがいて、あなたはそこに行くことになるのよ」
沙那は今度は香蛾に顔を向けた。
「奥さんにもかわいがられるように努力します」
香蛾はあっけらかんと言った。
「そう言うことじゃなくて、ご主人様は、あなたが陳達さんの二人目の嫁になるとか言っているけど、実際はそんなものじゃないのよ。よくて、愛人、または、妾。ちゃんとした妻の扱いを受けるなんて無理なのよ。わかっている?」
「それは、つまり、あたしが一人前の扱いではなくて、性奴隷として扱われるかもしれないということですか? それは承知しています。それに、正直、あたしはそのお方の第二妻にはなりたくありません。奴隷でいいです」
「そ、そうなの?」
奴隷がいいという香蛾の言葉には、ちょっと面食らった。
「はい──。いい性奴隷になれるように頑張ります。宝玄仙様の調教を受けたのは短い時間でしたが、宝玄仙様によれば、陳達さんという新しいご主人様も、調教のようなことがお好きなお方だとか……。そこで調教を受け直して、新しいご主人様に気に入られる一人前の性奴隷に早くなりたいと思います」
香蛾がそう言ったので、沙那はもう言葉を継ぐことができなかった。
わざわざ、会ったこともない男の性奴隷になれという宝玄仙の命令に対して、香蛾はなんとも思っていないようだ。
沙那は嘆息した。
「ほらね、沙那……。香蛾は納得済みさ。あの鼻男も香蛾のような美女が性奴隷としてやってくるんだ。不満なんかあるもんかい。まあ、もしも不満に思うなら、それこそ、水晶のところで引き取ってもらえばいいさ」
宝玄仙が言った。
「だったら、長女金の気持ちはどうなんですか? 自分以外に妻なんていい気持ちしないでしょう」
「そんなことはあるものかい──。あの鼻男の絶倫ぶりはお前も知っているだろう? あの長屋で十日ばかりみんなで相手をしたから、お前も覚えているはずだけど、あいつの性癖はしつこいんだよ。あんなの長女金ひとりで相手ができるものかい。まあ、長女金のことだから、いまでも頑張っていると思うけど、正直、音をあげているというのが実際じゃないのかねえ……」
「そ、そんなことどうしてわかるんですか」
「わかるんだよ──。あの男には三人か四人は嫁を侍らせて、交替で夜の務めをするくらいがちょうどいいんだよ……。まあ、あの男があそこまでしつこい性癖になったのは、わたしにも責任はあるしね……」
宝玄仙の最後の言葉はほとんど独り言に近かった。
だが、なにか沙那には引っ掛かるものを感じた。
「責任? いま、責任とおっしゃいましたね、ご主人様? 責任とはなんですか?」
沙那は首を傾げた。。
これはなにかある。
咄嗟に沙那は確信した。
いまの沙那の質問に、宝玄仙がちょっと困った表情になったことからもそれがわかる。
「な、なんだよ、沙那……。怖い顔をして……」
宝玄仙が怒ったような口調で言い返しながら、視線をすっと横に逸らせた。
だが、これは都合の悪いことがあったときの宝玄仙の癖だ。
この希代の女道術遣いは、根が正直で嘘や隠し事が下手だ。
宝玄仙は、間違いなく自分に都合が悪いことを沙那に隠している。
「言ってください、ご主人様……。いま、ご主人様が責任と言ったことの内容です。どうして、ご主人様が陳達さんに責任があるのですか……?」
「そりゃあ、あいつには世話になったからじゃないかい……。国都でわたしが捕縛されたときには、あいつの尽力でわたしは助け出されたんだろう……?」
宝玄仙がはっきりとしない口調で言った。
「誤魔化さないでください──」
沙那は怒鳴った。
「お、大きな声を出すんじゃないよ、沙那──。わかった……。わかったよ──。まあ、大したことじゃないよ……。ほら……、あいつって、どうにも女に自信がなくて、いつもいじけていて、変に女に消極的だったろう? それで、あれじゃあ駄目だと思って、少しばかり治療をしたのさ……。まあ、実際には朱姫がやったんだけどね。それで……」
宝玄仙が仕方なくといった感じで喋りはじめた。
「治療? なんの治療ですか?」
「だから、心の治療だよ──。あいつの性癖を解放して、女に対して積極的になるように暗示をかけたんだよ。ある暗示の言葉を使ってね。つまりは、朱姫の『縛心術』さ。まあ、あいつの心をちょっとばかり操作したのさ……」
「心を操作した──?」
沙那はびっくりした。
だが、宝玄仙は、話を誤魔化すように笑っている。
「まあ、そうしたら、なんか精力絶倫のしつこい男になってしまって……。お前も覚えているだろう? ほら、あの長屋ですごしたとき、最後の三日間くらい、特別に陳達がしつこかったろう? お前らだけじゃなくて、わたしまで辟易していたくらいだからさあ……。それが続いているんだよ。長女金ひとりになってもね。なんか、『縛心術』が効いて、人が変わったようになっちゃってねえ……、ははは……」
宝玄仙は笑った。
唖然とした。
つまりは、宝玄仙と朱姫は、陳達の心を変えるような『縛心術』をかけたということだ。心を操作したのだ。
そういえば、確かに、あの青天の長屋ですごしたとき、最後の三日は陳達の責めが激しかった。
妙に積極的で、そして嗜虐的で、まるでさかりのついた牡の獣のように、長女金を含めた沙那たち五人に性を求めた。
あれは、もうすぐ別れだから、陳達流の別れの惜しみ方だと思っていたのだが……。
「わ、笑い事じゃないですよ、ご主人様……。それで陳達さんの暗示は解いたんですか?」
沙那は声をあげた。
「暗示を解くというか……。朱姫に言わせれば、そういうものじゃないらしいよ。まあ、心を操って違う性格にしてしまうようなものらしいけどねえ……。つまりは、そのままなんじゃないかねえ……。そうじゃないと意味ないし……」
宝玄仙は悪びれた様子で言った。
「まあ、呆れました、ご主人様──。人の心を勝手に操作するなんて……。それは人としてやってはいけないことじゃないんですか? 道術遣いの倫理はないのですか?」
沙那は、宝玄仙を怒鳴りあげた。
「ま、道術じゃないよ──。朱姫の『縛心術』じゃないかい。そ、それに、やったのは、朱姫だよ。わたしは、あの根暗男の性根をなんとかしてやれと言っただけさ。わ、わたしじゃないさ……。と、とにかく、いまは終わったことをとやかく言ったって仕方がないよ──」
「でも……」
「でも、じゃない──。いずれにしても、香蛾は陳達のところに行って性の相手をする……。これは決まりだ……。誰も文句言っていない。多分、陳達も長女金もお人よしだから、もうひとりくらいの面倒も看るさそれに、大丈夫だよ……。あいつはいい男だ。それに根性もあるし、頭もいい。仕事熱心だし、真面目だ。いじくった無秩序な性癖以外はね……。長女金だけじゃなくて、香蛾だって大事にしてくれるし、ふたり揃って幸せにするはずだ。あいつはそういうやつだ。長女金だって、少しくらい陳達の性の相手を持て余しているくらいで、いまでも幸せには違いないのさ」
「だったら、香蛾の幸せはどうなんですか? ねえ、香蛾、本当のところを教えて。あなたは、奴隷を開放されたくないの? 水晶さんのところに行けば、ちゃんとした教育儲けられて、仕事も覚えられて、普通に結婚もできると思う。わざわざ、すでに結婚をしている男の妾になりにいかなくてもいいんじゃないの」
沙那は香蛾を見た。
だが、香蛾は首を横に振る。
「もちろん、言われたところに行きますし、命令されれば、どんなことでもするつもりです。ですが、望みを言っていいのであれば、あたしは奴隷を開放されたくありません。陳達さんというお方の奴隷になるのと、奴隷解放されることの選択であれば、あたしは奴隷がいいです。奴隷解放をされたとしても、奴隷として扱われたいです」
「はあ……」
沙那は唖然としてしまった。
奴隷がいいだなんて……。
そのとき、孫空女と朱姫が戻ってきた。
「ご主人様、終わったよ。後は、朱姫の道術一回で、この砦の全部の施設に炎があがるよ。この集会場を含めてね」
孫空女が報告した。
「ちょっと、朱姫、そこに座りなさい──」
沙那はそう言って、自分の眼の前の床を指さした。
朱姫はきょとんとしている。
「あ、あのう……?」
「朱姫、あんたは、やっていいことと、悪いことの区別がつかないの? あんたの『縛心術』はそりゃあ、大したものだけど、許可なく人の心を操作するのは倫理的な大罪よ。しかも、あんな、いい人を……」
沙那は声をあげた。
「えっ、なんのことですか……?」
「いいから、早く、座りなさい──」
沙那は怒鳴った。
朱姫が慌てて、沙那の前に正座をした。
「あ、あの、沙那姉さん……。人の心を操作するって……、もしかして、水晶さんのことを言ってるんですか? それは、水晶さんも納得済みのことですよ。あたしは、水晶さんの心の負担を取り除くために……」
「黙りなさい、朱姫──。わたしは、水晶さんのことは言ってないの──」
「えっ?」
朱姫が困惑した声をあげた。
「あれだよ、朱姫──。お前が独断でやった陳達の心の操作のことだよ。あれのことを言ってるのさ」
宝玄仙が向こうを向いたままぼそりと言った。
「えっ? ち、陳達さんのこと──? ああ、あれですか……。えっ、えっ? ええっ? あれがなんで……? だって、ご主人様が沙那姉さんたちには秘密にしろって……。で、でも、なんでそれを……。あれっ? ご主人様、いま、独断であたしがやったとおっしゃいましたか?」
朱姫がびっくりしたような声をあげた。
「いいから黙って聞きなさい、朱姫──。人の心を無暗に変えようとか、変質させるというのはやってはいけないことなのよ──」
沙那はこんこんと喋り続けた。
*
旅の空だ。
朱姫は宝玄仙の横を葛籠をふたつ担いで歩いている。
先頭は孫空女、最後尾は沙那。孫空女は荷を持っていないが、沙那は四個の葛籠と寝具を背負子に縛って担いでいる。
いつもの旅だ──。
昨日の夕方、香蛾は雷雲と水晶とともに朱紫国に戻っていった。
送り届けたのは宝玄仙だ。
雷雲は『移動術』を遣える道術遣いであり、賊徒に襲われたときには発動させることができなかったが、用心深く、朱紫国まで戻る道筋に『移動術』で戻れる結界を刻みながらやってきていたのだ。
だが、一度に跳躍できるほどの霊気まではなかったのだが、それは宝玄仙が同行することで、一気に朱紫国の国境近くまで跳躍していった。
そこまで進めば、安全はほぼ確保できる。
雷雲と水晶は、香蛾を一度青天の城郭にいる陳達夫婦に託した後、故郷である青天に近い大きな城郭に戻ることになると思う。
雷雲の話によれば、今回の隊商の雇い主は水晶の父親であり、隊商が全滅したことを報告して、その後の処置をすることになるらしい。
処置というのは、死んだことがわかっている者の家族への報告と弔い、今度は海路に変更した商品輸送の準備、そして、可能であれば、その際に奴隷として売られた者たちを買い戻すということもしようと思っているようだ。
おそらく、全部の片がつくのは一年はかかるだろうと言っていた。
それらが一区切りついたところで、ふたりの夫婦としての正式の結婚の儀式をすることになるらしい。
もっとも、それは、最早ふたりにとってはどうでもいいことだろう。
すでに道術契約で結ばれた夫婦であるし、ふたりは自分たちの責任において、奴隷として売られた仲間を買い戻す船旅を一緒にすると決意していたし、故郷の城郭で結婚式をできなくても、夫婦としての暮らしはもう始まるのだ。
その間、水晶は昼間は有能な商家の女として振舞い、夜は雷雲の性奴隷としての生活をすると思う。
相性のよいふたりでありそうだし、仲良くすごすのだと思う。
三人を送り届けた宝玄仙が戻ってきたところで、砦に火を放ち、『移動術』で町に戻って、荷を置きっぱなしだった宿屋に帰った。
そして、今朝、出発した。
半日も歩けば、もう人里は皆無だ。
周囲は荒野に道らしきものがかろうじてついているような場所に差し掛かっていた。
「次の人里まで二日はあると思います。二日は野宿ですね。それからは、香蛾がもともといた円国に向かう山越えになります。西方帝国に向かう経路とは遠回りになりますが、力の強い亜人の王が支配している地域があるので、それを避けて進みたいと思います」
沙那が地図を拡げて言った。
地図といっても、沙那が周辺情報を聞いて自分でこしらえた手書きのものだ。
沙那はいつもそうやって、情報を事前に集めて、危険なことが起きないように準備を怠らない。
「万事、お前に任せるよ、沙那……。ただし、わたしはあんまり野宿は嫌だね。路銀は十分にあるんだし、人里があれば、床のあるところで休みたいね」
「わかっています、ご主人様。でも、二日は我慢してくださいね」
沙那が応じた。
それからしばらく歩いたが、まったく変化のない荒野の景色が続いた。
「それにしても、雷雲と水晶はよかったよね……。別れのときも幸せそうだったし、あんなことがあっても、幸せになれるんだね」
孫空女が歩きながら言った。
「まあね。朱姫の心の重みを取り除く『縛心術』が効果を及ぼしたというのもあるけど、なんといっても、あのふたりは性の相性が抜群だったのさ。夫婦も結局は、男と女だろう……。性の相性がいいというのは大事なんだろうね。思いのほか変態的な性癖の雷雲だったけど、それにぴったりの被虐癖の水晶だったからね。あのふたりは、絶対に間違いなく仲良く添い遂げるさ」
宝玄仙は嬉しそうに言った。
「でも、香蛾の方は大丈夫でしょうか……。香蛾と長女金とが仲良くやってくれればいいけど……」
「まだ、そんなことを言っているのかい、沙那? お前は変なところで常識的で駄目だね。幸せのかたちなんていうのはひとつじゃないのさ。陳達はいい男だし、懐の大きい男さ。それは長女金もそうだし、根っからの奴隷根性の香蛾もそうだよ。なんの問題もないさ」
宝玄仙だ。
「でも、わたしは、香蛾については、むしろ、水晶さんの世話を受けて、普通の男性と結婚でもすればいいんじゃないかと思っていたんですけどね。でも、香蛾は陳達さんのところで奴隷になりたがっていましたね。わたしがいくら諭しても、陳達さんの性奴隷がいいと繰り返すし……」
沙那が言った。
「お前は、人間というものは、常に自由を欲するものだと単純に思っているようだけど、実は違うんだよ、沙那。世の中には、奴隷でいたいと思う者は多いよ。特に、香蛾のように生まれながらに奴隷だった者は、自由というのは怖いものなのさ──」
「自由が怖い?」
「お前が香蛾に言ったのは、水晶の家で世話をしてもらい、奴隷ではなくて自由な身分になれということだったろう? それに比べれば、わたしがあいつに提示したのは、陳達という男の性奴隷になれということさ。香蛾にとってみれば、自由人よりも、性奴隷の方が魅力的な提示だったのさ」
宝玄仙は言った。
朱姫はふたりの話を聞きながら、宝玄仙の言っていることがすごく理解できた。
しかし、沙那はなんとなく納得がいかなさそうだ。
「そういうものでしょうか、ご主人様?」
沙那は不満そうだ。
「そうだよ……。それよりも、そろそろ午[ひる]だろう? 休憩しようじゃないか」
宝玄仙がそう言い、昼食ということになった。
沙那の指示で、朱姫は孫空女とともに三人で食事の支度をした。
食事といっても、旅の途中の昼食は、ちょっとしたものを摘まむ程度のものであり、この日は出発前に町の屋台で購った草餅だ。
車座になって四人で食べて、あっという間に昼食が終わる。
「ところで、後二日はこうやって歩くだけなんだろう? まあ、退屈だし、なにか息抜きをしようじゃないかい」
宝玄仙がぽつりと言った。
食事の片づけをしていた沙那と孫空女が露骨に嫌な顔をした。
本当にこのふたりは面白い。
「だったら、あれしません、ご主人様? おしっこ競争……。ここなら誰もいませんし……」
朱姫は言った。
「しゅ、朱姫?」
「おしっこ?」
孫空女と沙那が同時に声をあげて目を丸くした。
「いいじゃないですか、おふたりとも……。この前は卑怯な手段で負けたんです。ちゃんとやれば負けませんよ──。それから、負けた者は、罰として、ご主人様の『操人形』で操られることにしましょう。それなら、一日は退屈しませんよ」
朱姫は言った。
沙那と孫空女のふたりは唖然としている。
『操人形』というのは、宝玄仙の作った霊具であり、髪の毛や爪などの身体の一部をその人形に入れれば、道術が身体と結び合い、人形に与えた刺激がそのまま、刻まれた者の身体に伝わるという性具だ。
つまり、沙那か孫空女の身体の一部を刻んで、その人形の股間を弄れば、刻まれた者は実際に愛撫を受けているのと同じように悶えることになるというもので、あれはなかなか愉しい玩具だ。
沙那でも孫空女でもいいが、それを使って朱姫はふたりのどちらかを苛めて遊んでやろうと思ったのだ。
「そりゃあ、いいねえ……。ほら、お前ら、朱姫からの挑戦状だよ。受けて立ちな。負けたら、『操人形』を一日だ……。ほらほら、全員、下を脱ぎな」
宝玄仙が手を叩いて悦んで言った。
沙那と孫空女は険しい顔を朱姫に向けながら、それでもなにも言わずに下袴を脱ぎ始める。
朱姫も下袍と下着を脱ぐ。
この前は、沙那に騙されたようなかたちで、下袍を持ったままおしっこを遠くに飛ばそうとしてできなかった。
だが、実は、朱姫は、あれから密かに練習を重ねていた。
恥ずかしいが、おしっこの穴を両手で全開で開くようにすればおしっこは前に飛ぶということはわかった。
遠くに飛ばすための筋肉の使い方もわかった。
あのときのふたりのおしっこが飛んだ距離も覚えている。
おそらく、それよりも遠くに飛ばせるようになったと思う。
少なくとも尿をするたびに、尿道で感じてしまうために悶える沙那には負けないと思う。
「準備ができたかい、お前ら──? ほら、そこに並びな」
宝玄仙が笑いながら言った。
本当にこういう馬鹿馬鹿しい遊びが宝玄仙は大好きだ。
そして、宝玄仙は沙那が担いでいた葛籠から『操人形』を取り出して三人に示した。
「じゃあ、尿飛ばし競走の第二段だ──。だけど、前に飛ばすのはこの前やったからねえ……。同じことをやってもつまらないね。じゃあ、今度は上に飛ばす競争にしようか。一番、上に飛ばした者が勝ちにするよ」
宝玄仙があっけらかんと言った。
朱姫は愕然とした。
「な、なんでですか……。おしっこ飛ばしと言えば、距離じゃないですか。な、なんで、上なんですか? そんなのないですよ──」
朱姫は悲鳴をあげた。
高さとはなんだ……。
高さとは──。
そんなのない──。
それじゃあ、あれだけ密かに練習したことが全部無駄になる。
「なんでおしっこといえば、距離なんだよ? あたしらは、上に飛ばす技もやらされたよねえ、沙那……?」
「そういえば、そんなこともやったわね……。噴水の芸とか言ったかしらね。思い出しても馬鹿馬鹿しいけど、こつは覚えているわ……」
下半身裸体の沙那が、朱姫に向かって勝ち誇ったような視線を向ける。
理由のない口惜しさが朱姫の中に湧き起こる。
「だ、だったら、別の競争にしましょうよ、ご主人様……。こんなのないですよ……。そ、それに高さだなんて、一番小さいあたしが不利じゃないですか──」
「つべこべ言うんじゃないよ、朱姫……。ほら、いくよ」
宝玄仙が言った。
「あっ」
「んんっ」
「くっ」
三人同時に声をあげた。
猛烈な尿意がいきなりやってきたのだ。
宝玄仙の道術だ。
「じゃ、じゃあ、わたしからいくわ……」
沙那が真っ赤な顔をして言った。
そして、限界まで身体を反ったかと思うと、次の瞬間、沙那の股間から見事な放物線を描いて、沙那の身長の遥かに超える高さまで尿が噴きあがった。
朱姫は両手で股間を押さえながら唖然とした。
「あはあっ……」
沙那が甘い声をあげる。
「あっ、あっ、あっ……」
沙那はまるで性交をしているような声をあげて悶えながら尿を上方に向かって跳ばし続けている。しかし、その高さは朱姫を愕然とさせるほどに高い。
「じゃあ、あたしもいくよ」
孫空女もそう言うと、朱姫では絶対に飛ばないような高さまでおしっこを上にあげた。
朱姫は呆然としてしまった。
沙那と孫空女の高い曲線を描いてあがる尿の軌道を眺めながら、朱姫は眼の前が真っ暗になる気持ちを味わっていた。
「さあ、早くやってよ、朱姫。負けた者は『操人形』一日だったわね……。そうだ。あれをやってみようかしら……。人形の股間に痒み剤をたっぷりと塗るのを……。わたしもやられたことあるけど、あれ苦しいのよねえ。自分の股をいくら掻いても、塗ってあるのが人形側だから痒みがとれないのよね……」
ひと足先におしっこが終わった沙那が、じろりと朱姫を見てほくそ笑んだ。
朱姫はぞっとした。
(第66話『寝取られ男女の結婚式』及び第8章終わり)
*
次回は「小話集」、次いで、陳達夫婦の番外篇となります。
その後、大長編となる第9章「