473 鍛錬台の無限跳躍
室内訓練場といっても、百人の兵がふたつに分かれてちょっとした模擬戦もできるくらいの広さだ。
軍営にしている行政府とは少し離れていて、城壁に近い場所にある。雨が降っても訓練を休まなくて済むように人間族の軍が作ったものらしい。
人間族の軍が使っていた城外の訓練場は、雨が降るとひどい泥濘になるのだそうだ。
軍であれば、雨が降ろうと風が吹こうと、訓練というものは外でやるべきだと思うが、人間族というものは面白いことを考えるものだと思った。
ただ、個々の兵が個人の武芸を鍛えるためにはいいかもしれないと思っている。
ここであれば、しっかりと護られた城郭の中に訓練ができる広い場所がある。
兵たちも自由に自分を鍛えることができる。
玄魔は青獅子軍の総大将の
今日も夕方になったことで、夕食前にもう少し汗を流したいと考えている兵たちが百人ほど集まっているようだ。
もっとも、今日は昨日までの室内訓練場と少し様子が違う。
訓練場の中では棒を振ったり、剣を振ったりする者が幾らかはいたが、ここに集まっている者のほとんどは、いま人だかりができている訓練場の一角に集まっていた。
ここからでは、彼らの中心になにがあるのかは見えないが、その中央付近で天井から吊られた細い鎖が右に左にと揺れているのが見える。
「まだ、やっておったのか……」
玄魔はそれを見てひとりで呟いた。
そして、その輪に向かって歩いていく。
訓練場で稽古をしていた将兵の数人が、青獅子魔王直属の上級将校である玄魔を認めて会釈をした。
作戦中と訓練中には、魔王そのものがいても敬礼をしないのが青獅子軍の取り決めだ。
総大将の大旋風は気さくな大将だ。
性癖を通じて青獅子魔王とも昵懇の仲であるその大旋風が、青獅子の許可を得てそうしているのだ。
大旋風は口と態度が軽いために誤解されやすいが、実は武将として相当の実力を持っているということを玄魔も知っている。
青獅子軍では、大旋風に次いで第二位の地位にある玄魔も、大旋風には武将としても一戦士としても一目を置いている。
兵士たちの輪に辿りつくと、玄魔だということに気がついて集まっていた兵がさっと中心に向かう経路を作った。
中心には鍛錬台と呼ばれる円形の訓練器具がある。
そこでひとりの裸身の女が天井から鎖で繋がれて床を呼び跳ねている。
孫空女だ。
兵たちは人間族の美女である孫空女が素っ裸で汗びっしょりになって、乳房を揺さぶらせながら右に左にと跳びはねる姿が面白くて、鍛錬台を取り囲むようにびっしりと集まっているのだ。
最前方に座っていた数名が玄魔の座る場所を作る。
すぐに床几椅子が運ばれてきた。
玄魔はそれに腰掛けて鍛錬台で裸身を躍らせる女を見守る態勢になった。
「遅かったですね、玄魔様。もっと早く戻るかと思っていましたよ」
火箭が兵をかき分けて近づいてきて、玄魔が座っている床几椅子の隣の位置に胡坐で座った。
「陛下の散歩に付き合っていたのだ。魔凛の『支配術』がなくなって、それを陛下が引き継いでの初めての城内巡視だ。万が一にも危険があっては困るしな。それでご一緒した……。まあ、結果的にはなにもなかった。陛下が『支配術』を駆使するような場面はなかったし、人間族も我々魔王軍に占領されたのだということも受け入れたということだな。反抗の視線を向ける者すらいなかった」
「陛下の散歩って……。あれですよね……?
「ふん……。俺もそれは怖れていた──。だからこそ、ご一緒したのだが……」
「どうかしたんですか、玄魔将軍? そんな苦虫を噛み潰したような顔をして……」
「今日という今日は、心の底から人間族は呆れた種族だと確信した。連中はまさに、支配され虐げられるべき種族だ」
「なにが起こったのです、将軍?」
「なにもない……。哀れな姿で自分たちの前にやってきた侯爵夫人を前にして、最初こそ驚愕と畏怖の視線を向けておったが、それが憐れみになり、やがて卑猥で好色な表情になるのに時間はかからなかった……。あの連中は、あのような恥辱を引き受けるのと引き換えに自分たちの命を助けたあの女に、淫婦を見るような蔑みの視線を向けたのだ。まったく……、見下げ果てた連中だ」
「それは魔王様の道術なのでは?
「それはないな、火箭。魔王陛下は人間族が亜人に逆らわないようには術はかけておられたが、李媛に対する感情はなにも動かしてはいない。あの連中は、陛下に犬のように首輪で裸身を引かれる自分たちの旧宗主の妻を下衆な感情で眺めておったのだ。俺は人間族の住民が李媛に対して卑猥な視線や言葉を発するのを見て反吐が出る思いだった」
「怒ってらっしゃるので?」
「当然だ。連中の中には、李媛に蔑みの言葉を投げることが新たな支配者になった魔王陛下への媚びへつらいになると考えていた者も多かったようだが、いずれにしても、俺はそう言うのは好かんな。そして残念である……。あのような破廉恥な思いまでして李媛が護ろうとしたのが、あのような下劣な連中であったと思うとな」
玄魔は言った。
「いいじゃないですか。それで魔王軍による人間族の支配もやりやすくなるというものですよ……。これで、あの李媛を旗頭にして叛乱を起こそうとする人間族もいなくなるでしょう。旧支配者の妻女をあのように城郭の住民の前で辱めるという陛下の狙いも実際のところそんなところにあったのではないですか?」
火箭が言った。
その物言いに玄魔は苦笑するしかなかった。
「いや、陛下は純粋に李媛を嗜虐するのを愉しんでおられるだけだと思う……。まあ……、そういう性癖のお人なのだ──」
玄魔は笑った。
青獅子がそのような深謀遠慮で李媛や李姫を嗜虐しているとは思えない。
あれはただ愉しんでやっているだけだ。
いずれにしても、これで人間族の本質が知れたというのは玄魔にとってはいい経験でもあった。
本音のところをいえば、青獅子が李媛や李姫を酷く扱うことについて、多少は気が咎めていたところがなかったわけではない。
しかし、今日のことで確信した。
連中は家畜のように扱うことが相応しい程度の器量しかないということだ。
ならば遠慮なく家畜のように虐げられるべきというものではないか。
その支配者のひとりだった李媛たちも同じだ。
愚者の長は愚者──。
これでなんの気兼ねもなく、玄魔も青獅子のやる李媛たちの嗜虐に参加できる。
青獅子の言葉とはいえ、別に恨みがあるわけでもない人間族の女戦士の孫空女を調教せよという命令には、多少気の進まない部分もあったが、これで気持ちを切り替えて、この女の調教の役目を受け入れることができそうだ。
「げ、玄魔──。お、お前……。い、いい加減にしろよ──。い、いつまでこんなことを──」
不意に悪態の声が響いた。
視線を座の中央に向ける。
鍛錬台の上で汗びっしょりになっている孫空女だ。
この人間族の美人が青獅子から託された玄魔が扱うことになった孫空女だ。
三日目に捕らえた宝玄仙という人間族の女の連れであり、女ながらもかなりの遣い手と聞いた。
その孫空女の牙を抜き、従順な奴隷女に仕上げるのが、玄魔に与えられた任務ということである。
「うっ、くっ、くそおっ、お、おいっ、げ、玄魔──」
彼女は全身のところどころに鞭の痕をつけながら上気した裸身で鍛錬台の上を動き続けている。
その台から玄魔を認めて悪態をついてきたようだ。
半日前に孫空女をいまのような状態で鍛錬台にあげたのは玄魔自身だ。
あれは拷問具ではないが、強制的に乗せて降りることを許さないようにすれば立派な拷問具になる。
孫空女の調教を命じられた玄魔だったが、女を調教するやり方など知っているわけもないので、とりあえず、兵が音をあげるような厳しい訓練を孫空女にさせてみることにしたのだ。
それがあの鍛錬台だ。
鍛錬台というのは、兵の持久力と敏捷性を鍛えるための訓練装置だ。
この室内訓練場の床から一段高くなった十尺(約三メートル)四方の四角い台が眼の前にある。
それが鍛錬台ということだ。
台の床は六面に分かれて、それぞれに赤、青、白、黒、緑、黄の色がついている。
鍛錬をする兵はその上に載って鍛錬台を作動させるのだが、すると六色の床のうちのひとつの床が一瞬だけ光るのだ。
兵はすぐにその色の光った台に跳躍して移動しなければならない。
間違った色の床に接触してしまったり、定められた時間で移動ができないでいると、道術で出現した鞭が兵の尻や背中を引っぱたくという仕組みになっている。
ある程度の時間が経つと、床の色の組み合わせや大きさも変化して速度も徐々に上昇する。
色とりどりの床の光が次々に光る情景は見た目にはきれいだが、その上に乗って床を移動し続けるというのはかなりの激しい運動であり、屈強な兵士でも半刻(約三十分)もすれば音をあげてしまうという厳しい訓練器具だ。
しかも、孫空女の場合は、その台から降りられないように、孫空女の首に首輪をさせて、その首輪を天井から伸びる鎖につなげている。
孫空女は赤色の装飾具としての細い金属の首輪をしているが、その上から首輪を嵌めさせたのだ。
孫空女の首に繋げた鎖の長さは鍛錬台から降りて逃げられるほどには長くはないが、光った床の部分に跳ぶことの妨げになる程には短くはない。
それに鍛錬台から降りれば気絶するほどの強い電撃が全身に浴びせかかるように鍛錬台に道術もかけているので、孫空女は火箭が休憩を言い渡すまで、この台の上で降りることもできずにずっとああやって跳びはね続けていたはずだ。
玄魔は孫空女の調教係として火箭を指命した。
火箭には孫空女の疲労を見極めて、ぎりぎりのところまで孫空女を追い詰めるように指示していた。
まさか半日、鍛錬台に乗りっぱなしということはないだろうが、あの様子ではかなりの時間を鍛練台ですごしているのかもしれない。
それにしても、床に拡がっている汗が夥しい。
鍛練台で身体を鍛えるというのは、熟練の兵でも顔を蒼くするような非常につらい訓練なのだ。
それを素裸を大勢の亜人の兵に晒しながらやり続けなければならない孫空女にとっては、あの訓練は、肉体的にも精神的にも堪える拷問に違いない。
孫空女からすれば、自分をこんな辱めに遭わせている玄魔に対して文句のひとつも言いたくなるのはわかる。
それにしてもまだまだ、かなり元気のようだ。
玄魔は内心で感嘆した。
「ひゃああっ」
孫空女が悲鳴をあげた。
鍛錬台の決められた床を踏み損ねたのだ。それで道術で出現した鞭が孫空女の尻を打ったのだ。
孫空女の尻に新しい鞭痕がついた。
冷やかすように囲んでいた兵たちがからかいの声を一斉にあげた。
孫空女は態勢を崩したものの、すぐに姿勢を戻してまた床をぴょんぴょんと跳びはねる動きに戻る。
もう玄魔に癇癪をぶつける余裕もなくなったようだ。
険しい顔で怒りを露わにして床を懸命に跳びはねている。
「それにしても女とは思えない動きだな。鍛錬された男の亜人の兵でもあんなに敏捷な動きは続けられないぞ。しかも、手首と足首に例の筋力低下の革帯をしていながらだろう……。大したものだ」
孫空女は光の指示に従って必死になって動き回っている。
かなりの汗をかいていて、床には孫空女の流した汗と思われる水たまりが夥しい拡がりを見せている。
その汗に時折足をとられながらも、孫空女は死にもの狂いに床を飛んでいる。
次に光る床は必ずしも隣同士の床とは限らない。最悪の場合は鍛錬台の端から端にと、連続で跳躍しなければならない。
もしも、途中の床に足をつければ、道術の鞭が身体に飛ぶ。
こうやって外から見る分には実際には鞭はないのだが、台に乗っている孫空女には空中に出現した鞭が見えるし、もちろん激痛も鞭痕も本物以上の衝撃をもって身体に加わってくる。それが鍛錬台の恐ろしさだ。
それにしても孫空女の動きはいい。
孫空女の手足は拘束していないが、やはり孫空女がしている赤い装飾具の腕輪と足環の横に装着させている灰色の革帯が孫空女の筋力を大きく奪っているはずだ。
それでもまだまだあの動きができるとは素晴らしい。
あの霊具は道術遣いの道術を封じるだけではなく、装着された者の筋力を十分の一以下に低下をさせるのだ。
それにも関わらずに、あれだけの跳躍力をしている。もしも、あの霊具の革帯がなければ、孫空女はもっと凄まじい動きをしていたはずだ。
周りの兵たちは孫空女の裸身があられのない恰好で動き回り、豊かな乳房がぶるんぶるんと動くのを悦んで揶揄しているが、玄魔としては純粋に孫空女の動きに見とれていた。
「げ、玄魔──、ひ、卑怯者──。あ、あたしと勝負しろ──。こ、これを攻略すれば──ご、ご主人様に会わせるって言ったくせに──ひ、卑怯者──ひぐうっ」
孫空女が跳びはねながら顔をしかめた。
ぐらりと態勢を崩したのだ。すると左の腿につっと赤い蚯蚓腫れが生まれる。道術による鞭なので、外にいる玄魔には見ることはできないが、中で踊っている孫空女には自分を襲う幻の鞭がしっかりと見えたはずだ。
孫空女は腿に受けた鞭のために、もう一度腹の下に鞭痕を作っていたが、それだけですぐに立ち直って再び無限に続く跳躍の鍛錬態勢に戻った。
その回復力と復元力も素晴らしい、
やはり大した戦士なのだ。
裸身に受ける鞭は相当の激痛のはずだ。
それなのにあれだけの時間ですぐに態勢を取り直すというのは並大抵のことではない。
玄魔は腕組みをして唸った。
「ひ、卑怯者──。い、いつまで続けさせるんだよ──。ご、ご主人様に──」
孫空女は跳躍しながらも激しい呼吸の合間を見つけて、しきりに玄魔に叫ぶ。
「さっきから、孫空女はなにを言っているのだ、火箭?」
ふと気になって玄魔は火箭に訊ねた。
すると火箭は声をあげて笑った。
「いや、あの女があんまりご主人様に会わせろってしつこいんでね──。この鍛錬台を最後まで倒れずにやりきれば、会わせてやるって言ったんですよ。それからあいつ、それまでになく張りきっちゃって……。最初は不貞腐れて、鞭打たれても悪態をつくばかりで動かなかったりしたんですけどね」
火箭が言うには、ああやって孫空女が必死になって鍛錬台の上で汗びっしょりになっても動き回っているのは、しっかりと動き続ければ、宝玄仙に会わせるという口約束を火箭がしたからだそうなのだ。
それまではいま少し孫空女も不真面目で動きが悪かったらしい。
鞭に追い立てられて動き回るというようなことは屈辱というよりは馬鹿馬鹿しさしか感じないような態度だったという。
だが、真面目にやれば宝玄仙に会わせると火箭が言ったことで、今度は眼の色変えて必死になりだしたようだ。
そう言えば、玄魔はここに孫空女を連れて来てすぐに孫空女への責めをこの火箭に託して青獅子のもとに戻ったのだが、そのとき、孫空女はこの鍛錬台の上で動く様子を見せることなく、訓練場の外に出て行く玄魔に向かって悪態を吐き続けていたような気がする。
「それで、あれから何回くらい、あれをやらせているのだ?」
玄魔は訊ねた。
火箭があの孫空女にどのくらいの回数と時間を鍛練台ですごさせて、一回の休憩にどの程度の時間を与えているのかは知らないが、いまでもあれだけの体力を保っているということを考えると、火箭は孫空女にそれなりに休息をさせて、手を抜く余地を孫空女に与えているような気がしたのだ。
火箭も青獅子や大旋風と同様に、亜人の雌や人間族の女を嗜虐していたぶるのが好きな男だから容赦なく孫空女を残酷に扱うのかと思ったが、存外女への拷問は手を抜く男なのかもしれない。
「なんですか、その回数というのは?」
火箭は言った。
「だから、孫空女にはあの鍛錬台をどの程度の時間で何回くらい繰り返させているのだ? あの様子ではまだかなり敏捷だし、持久力も残っているようだな」
「玄魔将軍殿、何回もなにもありませんよ──。玄魔将軍がここに孫空女を置いていってからそのままですよ。あれから、ずっと孫空女は動き続けているんです──。こっちの命じる試練を全部終えることができたら、宝玄仙に会わすと言っているんですよ……。ですから、適当に将軍も話を合わせてくださいよね。あいつ、そう言わないと動かなくなるんですよ」
火箭はあっけらかんと言った。