「なんだ、あれは──?」
城郭の広場にやって来た
もうかなり夜も更けている。
国都とは異なり、この辺りの地方都市では夜ともなれば大抵は人通りも絶えて、城郭の各通りは静かさと闇に包まれるものだ。
しかし、いま長庚の前に拡がっている城郭広場は、まるで祭を思わせるような明るさと賑やかさだ。
広場には煌々と
広場の中央には、この城郭の象徴的な建築物であるらしい高い塔があり、その周りが長椅子に囲まれて、さらにその周りが広い空間となっているのだが、その一辺に小さ目の家程度の壁がある。
篝火で照らされているのもその周辺なのだが、大勢の男が列を作って、その壁に向かって並んでいるのだ。
壁になにかがあり、それが目当てで男たちは順番待ちの列を作っているようだ。
そして、その列を作る男たちを仕切る侠客風の若者たちもいて、彼らは新たに並ぼうとしている男たちから銭を集めている気配がある。
どうやらあの列に並ぶには銭を彼らに払う必要があるらしい。
銭を払ってまで、壁に列を作ることになんの意味があるのかわからないが、壁に向かって並んでいる男たちは三十人はいると思う。
そして、列を整理したり、「並び料」を集める若者たちは十人くらいだろう。
さらに集まっている男たちを目当てに、食べ物を売る屋台や客引きをする娼婦らしき女までいる。
よくわからないが大変な騒ぎだ。
「あれが『壁尻』ですよ、坊ちゃま」
長庚は蝶蝶と並んで広場の一角に立っていた。
蝶蝶は髪を頭巾で隠して男物の服を着込み、布で胸の膨らみを隠しているが、うまく性別を隠すものだと感心していた。
長庚の隣に立っているその蝶蝶を美貌の女だと見破る者はまずいないだろう。
また、長庚自身は、蝶蝶の指示があり、顔を隠す覆い付きの外套をまとっていた。
蝶蝶に言わせれば、まだ十三歳であることがわかれば、鼻であしらわれて壁尻には近づけないと思うから、年齢がばれないように注意をして欲しいともいうことだ。
「だから、壁尻とはなんなんだ、蝶蝶?」
「数日前から、あの壁に若い娘の裸の下半身が現われるのです」
蝶蝶は言った。
「下半身って……?」
壁に若い娘の下半身が現われる……。
よく意味がわからない……。
「下半身というのは腰から下のことです、坊ちゃま」
蝶蝶が真面目な表情で言った。
「それはわかっているよ──」
長庚は少し憤慨して言った。
下半身の意味がわからなくて言葉を繰り返したのではない。
だが蝶蝶はそう捉えたようだ。
その辺りの機微は人間族の中で育ったといってもやっぱり亜人なのか、蝶蝶は時折調子が外れたことを口にすることがある。
長庚は蝶蝶にもっと詳しく説明するように命じた。
蝶蝶によれば、五日ほど前から、陽が落ちると決まってあの壁に娘の下半身が出現するようになったのだという。
最初こそ、おっかなびっくりだった周辺の男たちだったが、壁から生えるように現れる娘の下半身は生身としか思えなかったし、試しに触ると、声は聞こえないが、皮膚の感触も肌の反応もまさに生きている人間の反応そのものだったという。
それだけじゃなく、愛撫をすれば腰を震わせて女穴から淫液を流し、性交だって可能なのだという。
すぐに悪戯をする者が群がるようになるとともに、それを仕切る者まで出現して、いまではあの集まりと賑わいなのだそうだ。
「壁に人間の下半身か……。壁の反対側はどうなっているのだ?」
「ただの壁です、坊ちゃま」
蝶蝶は言った。
長庚は腕組みをした。
壁尻というのがなんなのかはわからないが十中八九まで道術の仕業だろう。
そうでなければ、ただの壁から人間の女の下半身が生えるなど説明できない。
「あれに道術を感じるか、蝶蝶……?」
長庚は言った。
蝶蝶の正体は亜人だ。
亜人は大なり小なり道術に長けている。
蝶蝶も道術に長ける者は霊気の存在を感じることもできるはずだ。
「感じますね……。しかも、強烈な道術を──。おそらく、下半身は本物の人間の女です。あたしも昨日並んで近くまで行きましたが、女の下半身からはほとんど霊気は感じませんでした。あの下半身は道術で作ったものじゃありません。でも、道術で跳ばされているものであることは事実です。それだけじゃなくて、壁そのもののから、途方もなく大きな霊気の存在を感じます、坊ちゃま……」
蝶蝶は言った。
それで長庚には、なんの目的で蝶蝶が長庚をここに連れてきたのかがわかった。
長庚が蝶蝶に命じているのは、亜人軍にさらわれたままになっている宝玄仙一行の居場所の捜索だ。
沙那については、亜人兵専用になっている大きな酒場で公開調教の演目に出演させられているということがわかった。監禁されている場所も軍営の牢だ。
しかし、ほかの三人はわからない。
だが、あの壁尻は確かにその手掛かりかもしれない。
酒場の公開調教も、壁尻で下半身だけの晒しも、ある意味では同じようなものだ。
道術を遣って下半身だけを晒されているのが本物の生身の人間の女なのだとすれば、それは宝玄仙たちの可能性が高い。
道術であんなことができるのは、魔王軍でしかないだろうし、宝玄仙たちはその魔王軍にさらわれているのだ。
長庚は改めて壁尻に群がる男たちに眼を向けた。
それにしても、あそこで壁尻に並ぶ男たちを仕切る者たちはなんなのだろうか……?
亜人兵には見えないが……。
「あの列を仕切っている若者たちは誰なんだ、蝶蝶? あの連中は魔王軍に関係がある者たちなのか?」
長庚は蝶蝶に訊ねてみた。
「あれはまったく、魔王軍とは関係ないようです──。ただの仕切り屋です。このあたりを縄張りにしている侠客の子分たちで、自分たちの縄張りに出現した壁尻をああやって仕切っるんです」
「仕切る?」
「ええ。実は、数日前に壁尻を独占しようとした酔った男がいて、ちょっとした騒ぎがあったらしいんです。それで、いまでは、ああやって人を使って列を作らせたり、ひとりあたりの時間を決めて護らせたりしているようです……。念のために、あたしも彼らに接触してみました。どうやら壁尻は彼らの預かり知らぬことらしく、どうして壁尻が現れるようになったのかは、なにひとつ知りませんでした」
蝶蝶は言った。
「自分たちのものでもないのに、銭を取っているのか?」
長庚は列を見ながら言った。
あの列に並ぶには、幾らかの銭が必要のようだ。
列の最後尾にいる若い男たちが並ぼうとする男に声をかけて銭を集めている。
それで諦めて帰る者もいるが、渋々懐から銭を出して並ぶ者も少なくない。
「仕切り代だそうですよ、坊ちゃま」
蝶蝶はなぜかくすくすと笑った。
「半身だけの女など面白いのか? 銭を払うなら商売女を抱けばいいだろうに……」
「あたしは女なのでわかりませんが、上半身が隠されているというのは、男にとっては想像の余地があって興奮するものなのではないのですか、坊ちゃま?」
蝶蝶は長庚をからかうような口調で言った、
「僕も男だけど理解はできないよ」
「まあ、いずれにしても、壁尻の女の正体について、ある噂が立ちましてね……。それでああやって銭を払ってでも壁尻の女に並ぶ者が後を絶たないみたいです」
「どんな噂だ?」
「三人のうちのひとりが、
蝶蝶は言った。
「李姫?」
声をあげた。
李姫といえば、この城郭の支配者だった貴族の娘であり、確かこの城郭の住民を救うために母親の
そして、亜人軍を率いていた青獅子魔王は、李媛や李姫が暮らしていた屋敷をそのまま乗っ取り魔王宮として住みついている。
魔王の慰み者になった李媛と李姫も一緒だ。
「しかし、三人のうちのひとりが李姫だとすれば、住民からすれば、自分たちの命を救ってくれている恩人になるのではないのか? それなのにあの母娘を慰み者にする行為だとわかっていて、それに平気で加担をしているのか、あれは?」
長庚は呆れて言った。
「絶対に触れることのできないはずだった高嶺の花ですしね……。母親の李媛殿が魔王に飼われる雌犬のように扱われているのは周知の事実ですし、その娘の李姫嬢が同じような目に遭わされているというのは十分な信憑性のある話です……」
「だが……」
「そういう高貴な女を犯してみたいというのも、やっぱり男の
蝶蝶は長庚の顔を覗き込んだ。
「冗談じゃないよ──。僕は
長庚ははっきりと言った。すると蝶蝶は満足したように微笑みながら頷いた。
それにしてもなんという恥知らずな連中なのだろう……。
長庚は理不尽な怒りを抱いた。
長庚には関係のないことだと承知しているが、李媛や李姫にしてみれば、納得はいかないことに違いない。
李媛も李姫も、ここの住民を助けるために身を犠牲にして、死よりもつらい魔王の性奴隷になるということを受け入れたのだ。
その結果が、その当の住民たちからの感謝どころか、嘲笑され慰み者にされるということだったなら、なんのために彼女たちは、尊厳と誇りを捨てて、住民の犠牲になったのかわからないだろう。
あの母娘にしても、住民を見捨てて逃亡するという選択肢もあったはずだ。
少なくとも名誉ある死は選べた。
それをしなかったのは、この城郭の住民を魔王軍から皆殺しにさせないということだけだったはずだ。
「恥知らずな……」
長庚は男たちを見て口にした。あの壁尻に出現する下半身が恩人の李姫だと承知で並ぶのであれば、あそこにいるのは人間の恥の集団ということになる。
「坊ちゃまは、宝玄仙殿にしろ、ほかの三人の供にしろ、裸を見ておられますよね……。百舌がそう言っておりました……。ならば壁尻の三人を見て、その中に彼女たちが含まれているのかどうか判断できますか?」
蝶蝶が言った。
宝玄仙たちとすごしたのは数日だが、あの宝玄仙はのべつ幕なしに三人の供を嗜虐的な百合責めにする女主人であり、長庚の眼の前で三人を平気で裸にしたりしていた。
だから、確かに長庚は三人の裸を覚えている。
裸どころか女を覚える修行だとか言われて、長庚は宝玄仙を含めた四人の性器をじっくりと眺めさせられたりもしたのだ。
「わかると思う……」
長庚はそれだけを言った。
あの三人の中に一行の誰かがいれば、その人物は李姫と一緒だということなのだから、その居場所は魔王宮となっている李媛の屋敷ということになるのだろう。
もしも、そうであるならば、沙那の居場所は軍営の牢だとわかっているのだから、四人がこの城郭のあちこちにばらばらに監禁されている可能性も出てくる。
「とりあえず行こうか……」
長庚は言った。
そして、蝶蝶を伴って男たちが群がっている壁に向かった。
近くまでやって来ると、並んでいる男たちの向こうにある大きな壁から突きだした若い女の白い下半身をちらちらと覗き見ることが見えた。
「どの列に並ぶんだ? どれに並ぶにしても銭がいるぜ」
列を仕切っている若い男が近づいてきた。
長庚は懐の包みから金貨を一枚差し出した。
若者の眼が仰天したように見開いた。
「……ここを仕切っている人に伝えて欲しい。この金貨をもう一枚渡す。だから、三人の女をまずは全部見せて欲しい」
長庚が言うと、若者は慌てたように走っていった。
若者はこの壁尻の集団から離れた場所で広場の長椅子に腰掛けていた男のところに向かって行った。
その男と若者がなにかの会話をしているのが見える。
やがて、若者がその男を連れて戻ってきた。
「お前か? 金貨を払うから、まずは女を見せろと言った金持ちの若造というのは? 女を抱くなら娼館に行きな。金貨なんて出せば、どの店でも店で一番の女を抱かしてくれるぜ。好きなだけな……」
やってきた男の年齢は四十前後だろうか。頬に大きな傷がある。見るからに堅気の男でないということはわかる。
腰に剣をさげていて身なりは傭兵風だ。
しかし、傭兵という感じではない。
この一帯を仕切る侠客の地位の高い部下なのだろう。
もしかしたら、部下をまとめる侠客の親分そのものかしれない。そのくらいの迫力と威圧感がある。
「僕は商売女には興味はない。この壁尻の女たちに興味があるんだ」
長庚は悪びれずに言った。
そして、もう一枚の金貨を男にかざした。
男は鼻を鳴らして金貨を受け取った。
しかし、同時に首を傾げた。
そして、頭にかぶっている覆いの中を覗き込むような仕草をした。
もしかしたら、長庚の年齢が若いということに気がついたのかもしれない。
だが、途中で思い直したように、覆いの中を覗く仕草をやめた。
そして、一度だけ肩を竦めた。
「来な──」
男は顎で壁尻を指すと列の先頭に向かってすたすたと歩きだした。
「ほらっ、ちょっと開けろ、恥知らずども──。分限者の優先客様のご登場だ。まずは、このお方が三人の女を眺める──。それまでちょっと下がっていろ」
男が怒鳴ると一斉に不満そうな声があがったが、男がひと睨みするといずれの男たちも黙り込んで、群がっていた女の尻から離れた。
一番向こうの女のところでは、まさにひとりの男が性器を股間に挿入していた最中だったが、男が怒鳴ると壁尻の女を犯す行為をやめて、渋々という感じで女から離れて下袴を履き直しはじめる。
どうやら、この男はこの城郭でも顔の知られている男なのだろう。
突然現れた長庚の順番飛ばしにもあからさまな不平の声は出ない。
「存分に見な、坊や──。この壁尻の女は長い時間は現れねえ……。ぜいぜい、一刻(約一時間)から二刻(約二時間)でぱったりと消滅する。今夜はそろそろ一刻(約一時間)が経つからな。もしかしたら消えるかもしれねえぞ。消えればそれで終わりだ」
男が言った。
長庚は三人の女の下半身を見て回った。本当に壁から腰から後ろが生えるように突き出ている。どのくらいの凌辱を受け続けてきたのかわからないが、どの女も惨たらしいほどの男の精が局部を汚している。
長庚は三つの下半身のひとつに眼を止めた。
ひとりだけ、がに股に脚を開いている娘の下半身だ。
お尻のかたちに見覚えがある。
朱姫……。
間違いないと思う……。
ほかのふたりの下半身には見覚えがない。
こっちは宝玄仙や孫空女ではないと思う……。
「この女がいい──。後は必要ない。いまからこの女は僕が独占する。ほかの者は残りの女を抱けばいい」
長庚は男に二枚の金貨を差し出した。
男はその金貨を懐に入れた。
「好きにしな──。おい、今夜はこの列はこれで終わりだ。この列の男はほかの列に並び直せ──」
男が怒鳴った。
長庚が立っている娘の壁尻に並んでいた男たちが、ぶつぶつと文句をいいながら、それでもほかの列に移動していく。
「これでいいかい、坊や?」
男が言った。
「僕は長庚だ」
やはり長庚が少年にすぎないということはばれたようだ。
だが、坊や呼ばれたことは長庚には不満だった。
「そうかい、長庚という名前かい、坊や」
男の口調にはからかいの響きがある。
「あんたの名は?」
長庚は言った。
「俺か……。俺は
鬼俊は馬鹿にしたように笑った。
「よく聞け、鬼俊──。僕は明日も来る。僕が来たら、残りの時間は今夜と同じように僕が独占だ。独占料として、そのたびに三枚の金貨をやる。それでいいな──」
長庚はきっぱりと言った。
「ほう……。金貨三枚で、毎夜この尻を買いあげるということかい? そりゃあ、請け負ってもいいが、銭の使い方を知らないようだな。さっきも言ったが、女が抱きたければ娼館に行け。貴族の娘だろうがなんだろうが、持ち物なんて同じようなものだ。裸になってしまえば、貴族の娘も娼婦も変わらねえ」
「銭の使い方は知っているつもりさ……。それに、このお尻は貴族の女の身体じゃないよ」
長庚がそう言うと、ちょっとだけ鬼俊が意外だという表情をした。
しかし、また、肩を竦める動作をする。
「まあいいさ……。事情がありそうだが訊かないでおいてもやるよ。その尻は好きにしな。金貨三枚出せば、どの尻でも独占させてやる……。どうせ、恥知らずどもの行列だ。順番だの、公平だのはどうでもいい……」
鬼俊は離れていった。
「坊ちゃま……?」
ずっと背後に従っていた蝶蝶が長庚にささやいた。
「……これは朱姫殿だ。間違いないと思う……。ほかのふたりは違う」
長庚はそれだけを言って、眼の前の壁尻に向かった。
蝶蝶を促して、長庚の手元を隠すように立たせる。
長庚はがに股に脚を開かされている壁から突き出ているお尻を両手で持った。
脚は動かないように固定されているのだろう。
そうでなければ、こんな不安定な恰好で長時間いられるわけがない。
“
長庚は左右の尻たぶに指でそう書いた。
指が尻たぶに触るとびくりとしたようにお尻が動いた。
長庚は、それでも繰り返し、“長、庚”の文字を書き続けた。
やがて大きくお尻が縦に動いた。
“朱”──。
今度はそう書いた。
すると眼の前のお尻が大きく縦に動いた。
“宝”──。
そう書く。
今度は横に動く。
“孫──”。
また横に動く。
“魔王宮”──。
そう二度書いた。
一度目はよくわからなかったらしい。
二度目にまた尻が縦に動いた。
“沙、軍営”──。
左の尻たぶに“沙”──。
右の尻たぶに“軍営”──。
そう書く。
今度は一度で朱姫の尻が縦に動いた。
“待”。
そう書いた。
いまのところ、救出の手段は見つからない。
しかし、必ずなんとかする。それを伝えたつもりだ。
また、朱姫の尻が大きく縦に動いた。