「……それで、あたしは盗賊団の頭領になっちまったのさ。でも、頭領になったからには、連中を食わせなければならない……。食わせるためには、盗賊をやるしかない……。まあ、綺麗ごとだけ言っていても、連中を飢えさせるだけだからね……。まあ、そうこうしているうちに、ご主人様を襲ってしまって掴まったのさ……。それからのことは、さっき言った通りだよ……」
孫空女は語り続けた。
陽の光が煩わしい。
いまいましいほどに空には雲もない。
樹木の葉を通して降り注ぐ日射でさえも、いまの孫空女にはうっとうしい。
この辺りの地形もわからないし、もちろん、地図などない。とにかく、東に向かえば、獅駝嶺の東の端である大きな山街道に出る。
それを信じて、方向だけを間違えないようにして歩くだけだ。
しかも、玉斧が示した街道は、魔横領の端の端であり、人間族の里も近いそうだ。そうであるなら、魔王の力の及んでいない人間の里に頼れるかもしれない。もしも、そこを見つけることができれば、玉斧が助かる可能性もぐっと高くなる。
玉斧が次第に弱るのをずっと感じ続けていた。
だから、懸命に孫空女は話し続けた。
語る内容はなんでもよかった。
宝玄仙のこと……。
沙那のこと……。
朱姫のこと……。
故郷のこと……。
これまでの旅のこと……。
旅芸人だった少女時代のこと……。
盗賊団の女首領だったこと……。
なんでもよかった。
それは少しでも玉斧の意識を保たせるためだけの行為であり、孫空女が語り続けている限り、玉斧はそれを聞いている。
聞いている限り、玉斧は死なない……。
それを信じて喋り続けた。
玉斧からの反応はほとんどなくなっていたが、時折、確かに玉斧が孫空女の言葉に反応しているように声を出すことがある。
そんなときは途方もなく嬉しかった。
生きている……。
とにかく、東の街道まで山を抜け切って、宝玄仙が移送されてくるのを待って、頑張って敵を蹴散らして助ける。
それから、なんとかして宝玄仙の道術を復活させ、玉斧の負傷を治療する。
それでなにもかもうまくいくはずだ。
絶対だ──。
それにしても暑い──。
今日はこれまでの歩きの中で一番暑いかもしれない……。
玉斧に助けられたとき、最初に亜人兵から奪った携帯食料はもうない。
だから、歩きながら木の実を拾い、それを舐めながら歩いた。
玉斧は水しか受け付けないようだった。
水筒の水もあったが、湧水を見つけるたびに、水筒に水を補充をして、玉斧の口の中を湿らせた。
水を与えると、玉斧は口の中を舐めるような仕草をする。
だが、意識があるのか、どうかわからない……。
とにかく歩くだけだ。
集落を通過することで襲われるということが一度あったので、注意深く人里は避けるようにした。
そのために大回りもするし、険しい経路を選ばなければならなくなったが、それは仕方がない。
自分もかなり弱っている。
今度襲われたら、玉斧を守りきれるかどうかの自信がない。
いや、自分が歩いているのかどうかも、よくわからない。
いつの間にか夜になっていると思ったら、やがて朝になっている。
そんな感じだ。
眠ることはできるだけ避けた。
早く魔王領を横断したというのもあったが、眠ってしまえば、追手の亜人軍に襲われてもすぐには対応できない。
再び亜人軍に捕らわれても、孫空女自身は殺されない可能性が高いが、玉斧はその場で殺されるだろう。
玉斧は孫空女を救出するために、亜人軍を裏切っている。
玉斧が死ぬのは嫌だ。
だから、孫空女は可能な限り眠らずに歩いた。
どうしても耐えられなくなれば、夜に少しだけ眠った。
そして、また歩いた。
目的の街道はまだか……?
苦しさのようなものはもうない。
見えるものが少しずつ後ろになる。
それだけだ──。
眠い──。
もしかしたら、歩きながら自分は寝ているのだろうか……?
そんな気さえした。
「……それからさあ……」
孫空女は言った。
次はなにを語ろうか……。
もう、自分のことを語り尽くした気がする。
どんな話をすれば、玉斧は興味深く聞いてくれるだろうか……。
とにかく、玉斧の体温は感じる。
まだ、生きている。
それだけを強く感じた。
「あれっ?」
孫空女は不意に立ちどまった。
険しいと思っていた樹木が突然に途切れたのだ。
ある程度の整備された道に出た。
街道だ。
間違いない──。
玉斧が説明をした街道の特徴に完全に合致する──。
ついに、やったのだ──。
辿りついた──。
「ぎょ、玉斧──。起きたかい──。よかった──。あたしたちはやったよ。抜けたんだよ。魔王領を抜けて目的の街道に着いたんだ──。ここまでくれば、人間族の里だって近くにあるかも……。よく頑張ったよ、玉斧──。頑張ったね」
孫空女は叫んだ。
しかも、この景色に見覚えがあった。
おそらく、まだ魔王たちに捕らわれる前に、獅駝の城郭に連れていかれる直前まで、この付近を旅をしていたところだ。
驚いたことに、ここに繋がっていたのだ。
だったら、人間の里の場所がわかる。
距離はあるが、半日もあれば到着する。
玉斧を休ませられる。
もしかしたら、薬草だって調法してくれるかも……。
すると、背中の玉斧が動いた気がした。
「……そ、孫空女……」
声がした。
孫空女は狂喜した。
もしかしたら、二度と玉斧は目が覚めることがないかもしれないとも考え始めていたのだ。
玉斧の声を聞くのは本当に久しぶりのような気がした。
「ぎょ、玉斧──。起きたかい──。よかった──。あたしたちはやったよ。抜けたんだよ。魔王領を抜けて、目的の街道に着いたんだ──。よく頑張ったよ、玉斧──。頑張ったね」
孫空女は街道に降りた。
ここまで来れば、とりあえずの大きな危険は去ったはずだ。
こっちの街道は、どの亜人の里からも大きく離れていて。むしろ人間族の商人が使うような道らしい。
亜人の脅威は少ない──。
玉斧がそう言っていた。
だからこそ、玄魔は意表をついて、この道を選んだらしい……。
道には、大規模な騎馬が馬車の縦列が通過した痕はない……。
宝玄仙たちを移送する集団は、まだ通過していない。
それについても、孫空女は確信している。
「……と、とりあえず……俺をおろして休めよ……。ま、まだ夜じゃねえか……。だ、だから、寝ろ……。もう朝になるまで待てよ……。動くのはそれからにした方がいい……」
玉斧が言った。
孫空女はびっくりした。
真夜中どころか、いまは陽は中天にある。
陽射しも強い。
「……そ、そうだね……。休もうか……。玉斧もずっと背負われていて疲れるよね……。と、とりあえず、ここで休もう……」
とにかく、孫空女は玉斧を地面に横たえた。
「ね、ねえ、玉斧……」
孫空女は玉斧に覆いかぶさるようにして、その顔に自分の顔を近づけた。
もう、視界が消えかけているのだろうか……。
「なんだよ……。また、口づけしてくれるのかよ……」
すると玉斧が言った。
不思議なほどに口調がはっきりしていた。
それが逆に孫空女を心配させた。
「く、口づけかい……? し、してもいいよ。あ、あたしと結婚してくれたらね……」
孫空女は言った。
どうして、そんな言葉を口にしたのかわからない。
でも、玉斧はこんな孫空女と結婚をしたいと言っていた。
それでこんな無茶をした。
だから、そう言ってあげたかった。
すると玉斧の頬がほんの少し緩んだ気がした。
「……あ、ありがとうよ……。そ、孫空女……。う、嘘でも……嬉しいぜ……」
玉斧はそう言って、閉じていた瞼を開いた。
その眼がじっと孫空女を見つめている。
だが、開いた瞼はなかなか閉じようとはしなかった。
それが不自然なほどに……。
「ぎょ、玉斧?」
孫空女はぎょっとして声をあげた。
玉斧の眼はいつまでも開いたままだ。
孫空女は慌てて、玉斧の唇に自分の唇を重ねた。
玉斧の唇はまだ温かかったが、玉斧からはまったく呼吸を感じなかった。
孫空女は、玉斧の口の中に舌を入れむさぼった。
玉斧の舌は、孫空女の舌に弾かれて上に下に動いたが、自分からはまったく動かない。
孫空女は唇を離した。
しばらくのあいだ、じっと玉斧を見つめていた。
相変わらず、玉斧の眼は孫空女をじっと見つめるかのように開かれたままだ。
でも、それが閉じないのだ。
いつまで経っても……。
「な、なんだい……。死んじまったのかよ……」
孫空女は呟いた。
玉斧の頬にぽたぽたと自分の涙が滴るのがわかった。
*
「約束だからね……。あんたが死んだ場所に埋めてあげたよ」
孫空女は道端にできた土盛りに言葉をかけた。
玉斧の身体を埋めた土盛りだ。
その土盛りの上に、人の頭ほどの丸い石を置いた。
これが玉斧の墓だ。
玉斧は、自分が死んだら、その場所に埋めて欲しいと言ったのだ。
だから、そうした。
本当は、故郷でもある亜人の領域に少しでも戻してあげた方がよかったのかもしれないと思ったが、孫空女には、玉斧がそれを望むのかどうかを判断することができなかった。
だから、言われていた通りにすることにしたのだ。
死んだ場所に埋めてくれ──。
確か、それが玉斧の言葉だったと思う……。
「結局、あたしって、あんたのこと、なにも知らなかったんだね。あんたの墓をどっちに向けていいかもわからないよ……。あんたが死んだことを伝えなきゃならない人はいたのかな……。あたしは、そんなことさえ、あんたに訊ねなかったね……。それどころか、あんたの種族の墓がどういうものなのかもわからないよ……。だから、あたしの故郷と同じように埋めたよ……。勘忍してよね……」
孫空女は墓の前で言った。
玉斧とはもっと語り合いたかった。
なぜ、自分を助けたのか……?
本当に孫空女を好きだと思ったのか……?
そうであるとしても、命を失うほどのことをしたのはなぜか……?
後悔しなかったか……?
死は苦しくはなかったか……?
色々と話したかった。
だが、もうそれは叶わない……。
「こんなあたしでよければ、このあたしが妻だったって、あの世でいくらでも言いなよ。あんただったら、女房になってもよかったかもしれないよ……。まあ、でもご主人様がなんと言うかわからないけどね……」
孫空女は自分の髪をひと房掴んだ。
そして、それを小刀で切断する。
小刀は玉斧が持っていたもので玉斧の懐にあったのだ。
「……あたしの故郷の田舎ではね……。夫に先立たれた妻は、自分の一部を墓の前に供えるんだ。いずれ同じ場所に来るよっていう意味なんだってさ」
孫空女はそのひと房の髪をたまたまあった草の蔓で縛ると、玉斧の墓の石の下に置いた。
「じゃあね……」
立ちあがる。
とりあえず、街道を北に向かうことにした。
記憶にあった人間族の里に……。
まずは、体力を戻して……。
それから……。
孫空女は、異常に重く感じる身体を引き摺るように街道を歩き始めた。
*
「孫空女と玉斧」の物語は残り一話続きます。
時系を少し未来に移動した【番外篇】です。