宝玄仙は復活し、孫空女と沙那を連れて獅駝嶺の山街道を歩いています。
*
これは、孫空女と宝玄仙と沙那が三魔王から解放されて、朱姫を探すために獅駝の城郭に戻る途中のお話──。
*
山道を登りながら、宝玄仙が声をあげた。
「未亡人にならせてくれだって?」
宝玄仙の声は怒りよりは、疑念の響きが強かった。
後ろで聞いていただけの沙那も首を傾げざるを得なかった。
「お願いだよ、ご主人様。そいつと約束をしちゃたんだよ」
孫空女が振り返って、両手を合わせて頭をさげた。
「そいつって誰だい? だいたい、結婚させてくれじゃなくて、未亡人になるとはどういうことなんだい? お前、わたしと離れているあいだに結婚したのかい? ははあ……。さては、お前、わたしが
「い、いや、まあ……」
孫空女も宝玄仙の剣幕にたじろいでいる。
沙那も宥めようかとは考えたけど、それよりも、孫空女がなにを語りだしたのかが気になる。
「さしづめ、そのときだね。そのときに、いい男ができたのかい──。沙那に次いでお前もかい? 許すわけないだろう──。ふざけるんじゃないよ。お前らは一生、わたしに飼い殺されるんだよ──」
宝玄仙が憤慨したように言った。
「け、結婚なんてしてないよ。確かに、玄魔隊を追って、ご主人様を助けにいく途中のことだけど、そのときに、そんな暇なんかあるものかい──。あたしと
「寝る間もなければ、一度や二度くらいは、乳繰り合うことだってできるだろうが──。だいたい、玉斧って誰なんだい? そいつと一緒にさせてくれっていうのかい──。冗談じゃないと言っているだろうが──。絶対に駄目だ──。なんだったら、わかるようにしてやってもいいんだよ……。お前の尻の穴に、白象宮から持ってきた『痒み棒』を突き挿してやるよ。そのまま、二日ほど、放っておかれたら、我が儘言う気もなくなるだろうしね──。さあ、尻を出しな、孫空女」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ご主人様。話を聞いてよ」
孫空女は狼狽えた声をあげた。
宝玄仙が立ちどまったので、三人で山街道の道端に立ちどまるかたちになった。
沙那は、とりあえず、背負っていた荷をその場におろす。
「問答無用だよ、孫空女──。お前、下袴をさげて、尻をこっちに向けな──。それから、沙那、荷から『痒み棒』を出すんだ」
宝玄仙が沙那に振り返った。
「お、落ち着いてくださいよ、ご主人様。孫空女の話を聞いた方がいいんじゃないですか? 事情がありそうですよ」
「やかましいよ、沙那──。そう言えば、お前の罰も保留になったままだよね……。ちょうどいい。『痒み棒』は二本出しな。そして、一緒に罰を受けるんだ。ほら、孫空女と並んで尻を出すんだ」
「待ってくださいってばあ──。ねえ、ご主人様、孫空女は、結婚をさせてくれと言ったんじゃないですよ。未亡人にさせてくれと言ったんですよ」
雲行きが自分にも向かいそうなことに慌てながら沙那は言った。
すると、宝玄仙が怪訝な表情になった。
「そう言えば、そうだったね……。なんだい……? だったら、その玉斧という男をわたしに殺してくれということかい? わたしは、もう人死は遠慮したいねえ……」
宝玄仙の表情がきょとんとなった。
「違うったら──。その玉斧は死んでいるんだ」
孫空女は言った。
「死んでいる?」
沙那は思わず口を挟んだ。
横で宝玄仙も首を傾げた。
すると、孫空女が語り始めた。
孫空女がそもそも最初に逃亡に成功したのは、その玉斧という亜人に助けられたからだいうこと……。
その玉斧が孫空女を庇うために瀕死の重傷を負ったこと……。
そして、孫空女が玉斧を背負って、亜人の領域を数日歩き通したこと……。
玉斧が死んだこと……。
沙那も宝玄仙も神妙に、その話を聞いていた。
「……それで、あたしは、髪の毛を切って、そいつを埋めた土の上に置いたんだ。あたしの故郷では、それが夫に死なれた未亡人の仕来たりなんだ……。まだ、死んではいないけど、いつか横に来るよって意味なのさ──」
孫空女が語り終えた。
宝玄仙も珍しく、押し黙ったまま、一度も口を挟むことなく、孫空女の言葉に耳を傾けていた。
「……罰は受けるよ。でも、約束しちゃたんだ……。黙っていようとも思ったけど、もうすぐ、そいつの墓があるんだ。そこに立ち寄らせてよ。お願いだよ……」
孫空女が付け加えた。
「……わかったよ。死んだ者との約束なら仕方ないさ──。お前がそいつの未亡人になるというのもわかったよ……。結婚もしないのに、いきなり、未亡人からというのも変だけど、そういうことなら仕方ないね」
宝玄仙の顔がふっと綻んだ。
「あ、ありがとう、ご主人様」
孫空女が破顔した。
「それで、その玉斧とかいうお前の死んだ夫……ということになるのかねえ……。とにかく、そいつの墓は遠いのかい?」
「すぐそこだよ、ほんの道の横に埋めたんだ。手間は取らせないよ。ただ、みんな助かったって報告させてよ……。玉斧のお陰だってね……」
孫空女が言った。
そして、再び山道を三人で進んだ。
登り坂が終わり、峠をほんの少しすぎたところで、孫空女が山道の脇に進だ。
「そこだよ」
孫空女が歩きながら振り返った。
確かに、少し先に土を盛ったような場所がある。
「あれっ?」
その盛り土の前に来て、孫空女は声をあげた。
沙那も驚いた。
その盛り土に穴が開いているのだ。
明らかに掘り起こした痕がある。
盛り土に見えたのは、土を掘り返して、中のものを出した痕だったのだ。
沙那はその穴を覗いたが、人がひとり入っていたようなかたちで穴がぽっかりと開いている。
「だ、誰がこんなことを──。だ、誰かが、玉斧を掘り起こしたんだ──。なんで──?」
孫空女が悲鳴のような声をあげた。
沙那も驚いた。
誰がなんのために、死骸を冒瀆するような行為をしたのだろうか……?
「ご、ご主人様、お願いだよ──。誰がこんなことをしたの調べさせて──。ここは亜人領じゃないんだ。近くの山村の連中に訊ねれば、誰がこんなことをやったのかわかるかもしれない──。玉斧には、背負って背負い切れない、返したくても返せない恩があるんだ──。ねえ──」
孫空女は怒りの形相で宝玄仙に振り返った。
だが、宝玄仙はじっと穴を見たままだった。
なにも喋らず、一心不乱に穴に見入っている。
「ねえ、ご主人様──」
孫空女が大きな声をあげた。
「うるさいよ、孫空女──。集中して、霊気を読めないだろうが──。まあいい。だいたいのことはわかったよ……。かすかに霊気の残骸が残っている……。わたしの母親は、妖魔遣いだったからね。幼いころから、わたしは、たくさんの妖魔の霊気に触れてきたんだ……。だから、霊気だけで、ある程度の種族は想像がつく──。もしかしたら、その玉斧とかいうのは、
宝玄仙が言うと、孫空女が目を丸くした。
「そ、そんなことがわかるの?」
「わかるのさ……。お前、その玉斧とかいう男が言った言葉を覚えているかい……。そいつは、もしかしたら、死んだら土に埋めてくれと言わなかったかい? できるだけ、一字一句正確に思い出しな」
不意に言われて、孫空女も戸惑った顔になっている。
だが、すぐに神妙な表情になった。
「あいつと喋ったことは、よく覚えているよ……。本当に他愛のない会話までね……。実際のところ、そんなに喋れもしなかったんだけどね……。あいつは、こう言ったよ……。“俺が死んだら、どこでもいいから、その場で土に埋めてくれ。俺たちの種族は土族といってな……。大地が俺たちの母親だ。死んで土に返る……。そして、また、新たな命になる……。それで十分さ……”ってね。多分、一字一句、ほとんど間違っていないと思うよ」
孫空女が言った。
すると、宝玄仙が噴き出した。
「な、なにがおかしいのさ、ご主人様──?」
孫空女が怒ったような口調で言った。
「お前は、その言葉を聞いて、玉斧が墓を作って欲しくてそう言ったと思ったんだね? そうなんだろう? だから、土族のそいつに、そこそこ、ご立派な墓をこしらえてやったということだね?」
宝玄仙が愉しそうに笑いながら言った。
なんなのだろう……?
沙那は、宝玄仙の様子を不思議に思った。
「な、なにが面白いのさ? そうだよ。玉斧は自分を埋めて欲しいと言ったんだよ……。でも、あたしは、玉斧がどんな墓を作って欲しかったのかさえ訊ねなかったのさ。だから、仕方なく……」
「違うんだよ。お前は、ある意味で勘違いをしたのさ──。玉斧が言ったのは、ほとんど、言葉の通りのことなのさ。それが土族の特徴なんだよ──。連中は、もっとも情のない種族とも呼ばれているけど、別名は不死身族さ──。玉斧がお前に頼んだのは、文字通りのことだよ。あいつらは、死んでも生き返るんだ。土に埋めておいたらね。そして、復活するんだ。あいつらの命の拠り所は土だからね……」
「復活──?」
孫空女は目を丸くした。
沙那も驚いた。
「とにかく、土族の復活は有名な話じゃないかい──。そんなことも知らなかったのかい? だから、土族を殺すにはただ殺すだけじゃ駄目なんだ──。殺した後で、身体を燃やして灰にして、その灰を川なんかに流すんだ──。それでやっと復活しなくなる。死骸をそのまま土に埋めたりしたら、連中はあっという間に生き返るよ──。その玉斧は、死骸を暴かれたんじゃない。ただ、土の中で復活して、自分で穴を掘って出て来ただけさ」
宝玄仙が言った。
孫空女が目を丸くした。
「じゃ、じゃあ、そいつは生きているの?」
「……だけど、残念ながら、お前のことは覚えていないよ……。復活した土族は、死ぬ前の記憶を持たない……。そいつ自身が言ったように、生まれ変わるんだ……。だから、その玉斧はお前のことをまったく覚えていないよ。いわば、死んだ玉斧と、生まれ変わった玉斧は他人と同じだ。姿形は一緒なだけの他人だよ──。自分が玉斧と名乗っていたということも覚えていないと思う」
宝玄仙が静かに言った。
すると、孫空女の眼からつっと涙がこぼれた。
沙那はびっくりしてしまった。
「で、でも、生きているんだね──。よ、よかった……。だったら、どこかでまた、会えるかもしれないね……。向こうは覚えていなくてもさあ──。よかった……」
孫空女が両手でさっと顔を覆った。
*
日雇いの小さな仕事だったが、親方が雇い主から祝儀をもらったとかで、そのお裾分けがあったのだ。
いつもの賃金だけだと、生きていくのに必要な物を得て、それを支払えば終わりだが、少しでも余分な金が手に入れば、小さな居酒屋で飲むのが赤毛の愉しみのひとつだ。
ただ、飲むときはいつも独りだ。
それには理由がある。
こうやって人間社会で暮らしてはいるが、実は赤毛は亜人だ。
人間と一緒に酒を飲むと、思わぬことを口走ってしまうかもしれない。
それを避けるために、なるべく、酒はひとりで飲むようにしていた。
この帝国では、亜人も人間の社会で暮らしてはいるが、やはり軋轢はある。
そういう煩わしさが嫌で、赤毛は人間のふりをして、帝国という人間族の大きな国で生きているのだ。
しかし、あまり人間と深く関わると、亜人であることがなにかの拍子でばれるかもしれない。
また、赤毛が人間族のふりをしているのは、もうひとつ理由がある。
赤毛は実は亜人の中でも最も情に薄いと呼ばれる土族だ。
土族は情に薄い。
人を愛することもなければ、家族のようなものを持つこともない。
それが土族だ。
しかし、赤毛は、そんな土族が嫌で、それを隠して人間の社会にやってきたのだ。
だから、自分が土族であることも、亜人であることも、できれば赤毛自身が忘れてしまいたいのだ。
他人を愛することができないといわれている土族の自分が、いつか人を愛して家族を持つ──。
それが赤毛の夢だ。
酒と肴が運ばれてきた。
赤毛は舐めるように酒に口を付けた。
すると、卓に影が差した。
顔をあげると、赤毛の女がそこにいた。
肉を乗せた皿を手に持っている。
心なしか顔が上気しているようだ。
どこかで会ったような気もするが、赤毛には記憶がない。
「座ってもいいかい?」
その女が言った。
ほかにも空いた席はある。
だが、その女は赤毛になにか用事があるような感じだった。
「お、おう……」
赤毛は頷いた。
「あたしは、孫空女──。旅の女だよ」
その女は赤毛の向かい側に座ると言った。
「俺は
「もしかしたら、
その孫空女と名乗る女は言った。
驚いてしまった。
赤毛は確かに竜飛国の出身だからだ。
正確に言えば、竜飛国よりも、ずっと南である、
土族は土から卵で生まれる。
生まれ変わりもそうだ。
死ねば土の中で繭を作って卵のように包み直して、新しい自分として産まれ直すのだ。
それ以前のことは覚えていないが、おそらく赤毛は、そうやって産まれたのだと思う。
そして、亜人であることを隠して竜飛国に入り、東方諸国と呼ばれる諸公国を旅して、この帝国に流れて来たのだ。
しかし、それは誰にも隠していた事実だ。
それをあっさりと見抜いたその女に赤毛はびっくりした。
「それは?」
孫空女がくすくすと笑いながら、赤毛が首にぶらさげている飾りを指さした。
「ああ、そう言えば、あんたの髪の毛に似ているな」
赤毛は思わず微笑んでしまった。
これは赤毛が土から出てきたときに、なぜかその土の上に乗せてあったひと房の髪の毛だ。
どういう意味があるのかわからなかったが、なんとなく持ってきて、いまは紐を繋げて首飾りにしていた。
そのひと房の髪は赤い髪だったのだ。
「孫空女、わたしらは宿で待っているよ──。念のために言っておくけど、べらべらと喋るんじゃないよ。そいつが混乱するだけだからね……。もう一度言うよ。お前がやっていいのは、ただそいつに抱かれるだけだ。余計なことを言わずに戻るんだよ──。結婚するとか言い出したら、とんでもない目に遭わせるからね」
店の外に旅姿の三人の女がいた。
その中の黒髪の女がそう言ったのだ。
ほかに、栗毛の剣を腰にさげた女と小柄な少女がいる。
この孫空女も含めて、それぞれに大変な美女たちだ。
店の中の男たちが、孫空女を含めたその四人の女に視線をやっているのがわかる。
思わず見とれてしまうような四人連れの女なのだ。
「わ、わかっているよ、ご主人様……。そんなことを大きな声で言わないでよ。必ず、明日の朝には戻るから──」
孫空女が応じた。
彼女の顔は、その黒毛の美女のからかいの言葉による羞恥のためか真っ赤だ。
「結婚──? 朝──? なんのことだ?」
四人が店の前からいなくなると、さっきの黒毛の美女の言葉がわけがわからなくて、赤毛は訊ねた。
しかも、その女は孫空女が赤毛に抱かれるというようなことを言わなかったか?
「き、気にしなくていいよ……。ご主人様はああいう人なんだ……。本当に気にしないで──。ところで、ご主人様が言ったことだけど、あたしは、商売女なんかじゃないよ。なんだったら、少しだったら、お金をあげてもいいよ」
孫空女がはにかんだように笑った。
「金をくれる? なにを言っているんだ?」
赤毛は首を傾げた。
「なにも言わずに、あたしを抱いてくれないかい? あんたの家でも、どこでもいい──。あんたに一度抱いてもらいたいのさ」
孫空女が言った。
赤面して恥ずかしそうなその孫空女の表情に、わけがわからなくて、赤毛は狼狽えてしまった。
「……だ、だめかい……?」
すると、孫空女がちょっとだけ残念そうな顔になった。
「も、もちろん、駄目じゃねえが……」
赤毛はとりあえず、そう言った。
こんな美人で気立てのいい女が自分から抱いてくれなどとどういうことだろう……?
そう思いながら、なぜ、自分はこの女が気立てがいいと思ったのだろうとも思った。
たったいま、会った女だ。
間違いなく、赤毛は、この女のことを知らない。
気立てがいいどころか、もしかしたら、怪しい女なのかもしれないのだ。
こんな美女が自分から赤毛に抱いてほしいなど、いくらなんでも不自然すぎる。
しかし、この女は信用できる。
赤毛の勘がそれを強く主張している。
それに、この女を眺めていると、なんだか懐かしい気分になる……。
赤毛は、自分の感情が整理できなくて、ひたすら首を傾げた。
そのとき、赤毛は、店にいる男たちのほとんどが、赤毛と孫空女の会話に耳を傾けていることに気がついた。
「……とにかく、ここではなんだ……。俺の家に行くさ。だが、なんにもねえぞ。ただ、寝る場所があるだけだ」
とりあえず赤毛は言った。
「それで十分じゃないか、
孫空女が笑った。
笑うと本当に無邪気な表情になる。
その笑顔に釣られて、赤毛は思わず頬を綻ばせた。
(第80話『救援者と逃避行』終わり)