※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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517 異変──魔王宮の館

 双六(すごろく)というのは、面白い呼び名だと思う。

 

 成功すれば大金、失敗すれば死──。

 賭博のような自分の稼業を考えると、賽の目で運命が変わる遊戯である“双六”と名付けた長庚(ちょうこう)という少年の感性は愉快だ。

 また、まだ大人になりきっていない長庚の風貌から、大人びた指図が出てくるのも興味深い。

 歳に応じぬ明晰な頭脳を持っていることも確かと認めざるを得ないし度胸もある。

 そうかといって無茶をしない分別も備わっているようだ。

 

 いずれは、あの少年が、父親を超える一代の大分限者になるのは間違いない気がする。

 これまで数多くの人間を観察してきた双六の勘だが、あの少年と深い関係を続けていくのは、必ずこれからの財産になると思った。

 そのためには、この仕事をなんとしても成功させることだ。

 

 いま、双六は魔王宮になっている館のすぐ近くの路地にいる。

 少し前に、裸の李媛(りえん)を連れた青獅子が魔王宮を出ていったので、先程までは、それを見物しようと目の前の通りは賑わっていたが、いまは、その一行が中央通りの方に移動したので、いつもの静けさを取り戻そうとしている。

 

 それはともかく、こうやって見張っている限りにおいて、門のすべてに警備の亜人兵がいる。

 おそらく、内部はもっと警戒は厳重だろう。

 しかし、いくら見つめても、どのくらいの警備がなされているかはわからない。

 

 魔王宮はもともとは、この城郭を支配していた州伯の屋敷だったが、獅駝地方を占領した魔王軍の総帥である青獅子が、州伯の伯爵を殺し、その妻子である李媛(りえん)と李姫(りき)を自分の性奴隷にして乗っ取ったのだ。

 魔王宮となった屋敷の隣の貴族屋敷は、大旋風(だいせんぷう)という魔王軍の総司令官の軍営にもなっている。

 ほかにも、この界隈には亜人たちが人間から取りあげた屋敷が並んでいるので、あまり、人間が近づいてこない場所になっていた。

 

 その人通りの少ない界隈に、双六の手下たちは溶け込むように潜入している。

 人数は三十人というところだ。

 いずれも双六の集めた一騎当千の強者たちだ。

 

 目的は、魔王宮となった元の州伯の屋敷に監禁されている女を救出すること──。

 部下をこの近辺に潜入させ始めてからすでにかなりの日数が経っているが、青獅子という魔王の霊気の結界に包まれている魔王宮に忍び込む隙はなく、いたずらに時間だけが経過していた。

 しかし、それも今日で終わりだ。

 

 もうひとりの依頼主である鳴智(なち)という不可思議な女の情報によれば、青獅子はもうすぐ城郭で暗殺されるらしい。

 それがどういう手段なのかは教えてもらっていないが、青獅子が死ねば、あの魔王宮を防護している霊気の結界は消えるはずだ。

 中にいる亜人兵たちも混乱する。

 その混乱を狙って突入する。

 それを待っていた。

 

 一刻(約一時間)前、青獅子はいつものように侯爵夫人の李媛を素っ裸にして首輪に鎖を繋ぎ、四つん這いで歩かせながら外出した。

 この城郭で一番の美貌とも謳われた侯爵夫人の破廉恥な姿は、民衆にとっての興味深い見世物のようなものだ。

 その時間になると、閑散としていたこの界隈も少しは人で賑わうようになる。

 そして、それが終われば、波が引くように人は消えていく。

 

 集まってくる人間は、高貴な貴族女である李媛の恥辱の姿を見たいのであって、やはり、亜人軍の総本山のようになっているこの一帯に近寄るのは気が進まないようだ。

 ならば、わざわざ、見に来なければいいとは思うが、好色で軽薄な野次馬というのは民衆の常だ。

 侯爵夫人の全裸の雌犬散歩の見物などという娯楽を民衆は見逃すことはできないのだろう。

 

「菓子はいらんかね?」

 

 小さな籠を担いだ老婆が路地に入ってきた。

 さっきまで眼の前の通りは、李媛見物で賑わっていたから、それを目当てにたくさんの売子が歩いていた。

 いまは、人波が引いたので、売り子たちもどこかにいったが、その老女は、路地に隠れていた双六を見つけて、まだ商売ができるかもしれないと思って声をかけたのかもしれない。

 しかし、双六は少しびっくりしていた。

 

 これから魔王宮に突入しようとしている双六は、完全に気配を消して物陰に隠れていたつもりだったのだ。

 それが、通り側からあっさりと見つけられて、声をかけられたのだ。

 

「ひとつもらうよ、婆さん」

 

 仕方なく双六は言った。

 怒鳴って追い払ってもいいが、こういう手合いは、さっさと銭を渡した方が、早く消えてくれるのだ。

 

「飴だよ。精が出るよ」

 

 老女が小さな袋に入った菓子を差し出した。

 

「銭を受け取ったら、さっさと消えてくれ。幾らだ?」

 

 双六は懐に手を入れた。

 そして、何気なく老女の顔を覗き込んではっとした。

 

 老女だと思い込んでいたが、若い女だったのだ。

 しかも、かなりの美貌だ。

 それが巧みな変装で老女に見せかけているのだ。

 双六は、この女を知っていた。

 確か、長庚のところにいた若い女で蝶蝶(てふてふ)という名の長庚の女護衛だ。

 

「お、お前、なんで?」

 

 双六は思わず言った。

 

「あたしも連れていってもらいますよ、双六さん。魔王宮に監禁されているお方を救出するのは、坊ちゃまのお望みですからね。あたしも一緒に突入します。ご安心ください。足手まといになることはないと思いますから」

 

 老女の姿の蝶蝶がにっこりと笑った。

 

「俺たちだけじゃあ、信用ならんというわけか?」

 

 双六は皮肉を込めて言った。

 

「どう捉えてもらっても構いませんよ……。いまのところ、あなたは坊ちゃまが最初に依頼した坊ちゃまの恩人たちの救出については、なにひとつ成功していないのですからね」

 

 蝶蝶はにこにこと笑いながら言うが、内容は辛らつだ。

 魔王たちに監禁されていた女のうち、既に沙那と孫空女という女が城郭から連れ出されている。

 そのいずれも、双六は情報不足により助け出せなかった。

 双六がそれを知ったのは、そのふたりが城郭から連れ出されて手出しできない状況になってからだ。

 蝶蝶は言外にそれを仄めかしたのだ。

 双六は舌打ちした。

 

「魔王宮の中がどうなっているかは、結局はさっぱりとわからなかった。だから、結界が消滅すれば。ただ正面から突入するだけだ。お前のことは守ってはやれん」

 

「あたしのことはあたしが守ります。それに、あたしがいた方がいいはずですよ。あたしは、霊気の存在が見えるんですから……。結界が消滅すれば、その場でわかりますよ。内部に突入するときにも、道術の罠が待っているかもしれませんけど、あたしがいれば、幾らかは回避できると思います」

 

 蝶蝶は言った。

 双六は驚いた。

 

「霊気が見えるのか? お前は道術遣いか?」

 

 霊気が見えるということはかなりの力の強い道術遣いに違いない。霊気を測れる道術遣いなど、王都の王宮に所属する魔法院にしかいないと思っていたが、どう見ても、普通の若い女にしか見えない蝶蝶が、それほどの道術遣いということがあるのだろうか。

 

「道術遣いではないですね……。少し違います。これは内緒にしておいてくださいよ。実は、あたしは亜人なのです」

 

 蝶蝶が不敵に微笑んだ。

 双六はさらに驚いた。

 そのとき、突然、どこからか大きな爆発音が聞こえた。

 あの鳴智からは、その爆発音がしたら、魔王宮から一時的に結界の霊気が消滅するはずだと教えられていた。

 

「消えましたよ……。魔王宮から結界が」

 

 蝶蝶が魔王宮を見つめながら言った。

 双六は無言で頷いた。

 ならば、後はただ突入するだけだ。

 

 双六は歩き出した。

 向かうのは魔王宮の正面入り口と決めている。

 双六が路地を出て、魔王宮に向かって進むのを合図に、周辺に溶け込んでいる一隊が一斉に魔王宮に飛び込むことになっている。

 

「やれ」

 

 双六は魔王宮に向かって歩きながら、左右に寄ってきたふたりの部下に声をかけた。

 この部下ふたりが、三十人の部下を半分ずつ率いている。

 そのふたりの部下は、双六を追い抜いて正面玄関の警護兵に飛びかかることで、それに返事をした。

 

 双六が屋敷の入口に辿りついたときには、十名ほどの門衛の亜人兵は骸になって地面に転がっていた。

 門は開け放たれている。

 

 先に飛び込んだ一隊に続いて、残りの数十人の部下が次々に屋敷に入り込んでいく。

 双六は門内に入ったところで駆けた。

 

 門内は広い前庭になっていて、すでに激しい戦闘が開始されている。

 しかし、殺戮は一方的だ。亜人兵たちは、人数の少ない双六の部下たちになすすべなく倒れていく。

 双六の部下たちは、霊気を持たない人間だ。

 

 亜人兵の得意は道術だが、直接的には、道術は霊気を帯びていない人間族には効果はない。

 ならば戦いは単純な武術のこととなる。双六の部下たちならば、そう簡単に亜人兵に引けは取らない。

 双六は、その脇を縫うように屋敷に走った。

 

「屋敷の周りには、罠らしいものはないようですよ……。道術の鍵もかかっていない……。まだ、その暇がなかったようですね」

 

 いつの間に横にいたのか、蝶蝶が声をかけてきた。

 老女の扮装のままだが、いまは背筋がしっかりと伸びていて、若い女の姿に戻っている。

 ふと見ると、両手に小刀を握っていて、その刃にはかなりの赤い血が滴っていた。

 

 双六は蝶蝶と並ぶように、屋敷に駆けた。

 部下たちがしっかりとその後方から続くのを双六は感じていた。

 

 

 *

 

 

「はがあっ──」

 

 朱姫は、貞女を責めていた自分の身体を仰け反らせて悲鳴をあげてしまった。

 今度は尻穴に貼られている革片から電撃が浴びせられたのだ。

 電撃は微弱なものだったが、朱姫の身体をのたうたせるには十分な強さだった。

 

 そして、朱姫と一緒に貞女も寝台の上でのたうっている。

 貞女もまた朱姫とともに電撃を浴びたのだ。

 

 電撃を与えたのは、張蘭(ちょうらん)から貼りつけられた霊具だ。

 道術で電撃を浴びさせることのできるような仕掛けの丸い革片であり、朱姫と貞女の全身には、その革片が肛門のほかに、乳首と肉芽と女陰の左右の外襞にも貼られている。

 電撃を操作しているのは李姫である。

 

 操作といっても、縛られている椅子の手もとの四個あるぼたんを押すだけなのだ。

 どこを押すかは李姫に委ねられている。

 しかし、どのぼたんが朱姫や貞女に装着されているどの革片に電撃を与えるものであるかというのは、一回ごとに不規則に変化するので、李姫もぼたんを押すまでは、どの部分に電撃が加わるのかはわからない。

 ただ、わかるのは、李姫がぼたんを押せば、必ず、朱姫と貞女に貼られている革片が乳首と肉芽と女陰と肛門のどこかに電撃を加えるということだけだ。

 

 また、電撃の強弱は、李姫にも操作できない。

 それは自動的に無秩序に決まるらしい。

 李姫の仕事は、朱姫と貞女に貼られている革片に電撃を与えて苦しめること──。

 そのためにぼたんを押すこと。

 それだけだ。

 

 そして、李姫の肉芽にも朱姫たちが貼られている革片と同じものが貼られている。

 一定時間内にぼたんを押さなければ、李姫は肉芽に強い電撃を浴びなければならないのだ。

 それが怖ろしければ、李姫はぼたんを押すことで、朱姫と貞女を電撃で苦しめるしかない。

 仲間をいたぶることを強要されている李姫は、嗚咽しながらぼたんを押し続けている。

 

「ほら、お前たちは休むんじゃないよ──。お前たちの好きな百合の交合をやらせてやってるんだ。さっさと、気張って与えた回数分の絶頂をお互いにやるんだ。さもなければ、電撃からは解放されないよ」

 

 電撃鞭を手にして椅子に座っている張蘭が、その鞭で床を強く鳴らした。

 朱姫と貞女が命じられているのは、李姫の操作する電撃を浴びながら、ふたりで身体を責め合って五回ずつの絶頂をすることだ。

 そのために、朱姫は貞女と寝台で汗まみれになって、お互いの身体を愛撫し合っている。

 

 手足の拘束はされていないが、道術で貼りついている革片は手で外れることはない。

 朱姫も貞女も、もう手で革片を引きむしることは諦めていた。

 しかし、五回ずつといっても、電撃を浴びながら性愛に耽るのは簡単ではない。

 一度ごとの電撃で、昂ぶった快感など激痛で吹き飛んでしまう。

 そのために、朱姫も貞女も張蘭に示された五回どころか、最初の一回の昇天まで行きつけずに苦労していた。

 

 なんのためにこんなことをやらされるのかわからないが、このところ、朱姫と李姫と貞女は、こうやってお互いが苦痛を与え合うような仕打ちを調教の中に組み入れられていた。

 すでに、そんなことで関係が悪くなるような間柄ではないが、どうやら張蘭は三人の性奴隷が庇いあってこの境遇に耐えようとしているのが気に入らず、それを崩そうとしているようだ。

 

「ひあっ、あっ、あふっ」

 

 椅子に縛られている李姫がのたうち始めた。

 おそらく、股間の革片から電撃が流れてきたのであろう。

 李姫は椅子に身体を縛られているが、両肘から先は自由だ。

 だから卓の上の操作盤の四個のぼたんをいつでも押すことはできる。

 いつ押すかは、李姫に委ねられているのだが、股間の電撃は放っておけば、だんだんと強くなるようだ。

 だから、李姫は自分が耐えられなくなったときに、ぼたんを押して、ほかのふたりを苦しめる電撃を与えなければならない。

 

「あ、あたしたちのことはいいわ、李姫──。ぼたんを押しなさい──」

 

「そ、そうです。好きなだけ押して──」

 

 貞女と朱姫はそれぞれに叫んだ。

 するといきなり、尻たぶに張蘭の鞭が鳴り響いた。

 

「ひうっ」

「はがっ」

 

 同時に悲鳴をあげる。

 

「お前たちは余計なことを気にしなくていいんだよ。李姫がいつぼたんを押すかは、お前たちの知ったことかい──。罰として、しばらくは電撃を最大級にしてやるよ」

 

 張蘭が怒鳴った。

 

「……ご、ごめんなさい、姉さんたち……」

 

 李姫の悲痛な声が部屋に響いた。

 

「あがあああああ」

「ひぎいいいいい」

 

 その瞬間、今度は肉芽にとてつもない電撃が加えられた。

 朱姫は貞女とともに迸るような悲鳴をあげてしまった。

 そして、しばらくは、あまりの痛みに朱姫も貞女も動くことができなかった。

 狂乱したような叱咤の声とともに張蘭の鞭がまた尻に響いたが、鞭の痛みなど股間に電撃を浴びる苦しみに比べれば、苦痛とはいえないものだった。

 

「さ、貞女さん?」

 

 朱姫は白目を剥きかけている貞女に呼びかけた。

 この苦痛をとりあえず終わらせるためには、とにかく、五回ずつ絶頂するしかない。

 朱姫は、唇を貞女のうなじに這わせ、腕を貞女の乳房に押しつけた。

 しかし、また、李姫の悲鳴があがり、やがて、もう一度肉芽に電撃が襲った。

 

「はがあっ──」

 

 朱姫は貞女への責めを中断して吠えた。

 貞女も胸を押さえて顔をしかめている。

 ふたりに浴びせられる電撃の場所は同じ場合もあれば、違う場合もある。それは不規則に変化をされているようだ。

 いずれにしても、ほかのどの部分よりも、肉芽への電撃が堪えた。

 それが二回続くことになった朱姫は、自分でもわかるほどに呼吸が浅くなっていた。

 悪寒がするほど震えるのに、全身からどんどん汗が噴き出している。

 

「んぎゃああああ──」

 

 またもや、衝撃に絶叫した。

 朱姫に三度続けての肉芽への電撃が襲ったのだ。

 なぜか、いままでの電撃とは比べものにならないくらいに強いものに思えた。

 瞼の裏に閃光が走るような気がするとともに、脳天に突きあげるような痛みが走った。

 その痛みとともに、すべての感覚が失われた。

 

「ほらっ──気絶する暇なんかあるものかい──。起きな、朱姫──」

 

 皮膚を裂くような痛みが背に走った。

 どうやら一瞬だけだが、気を失ってしまったようだ。

 股間の激痛は消えていたが、痺れるような疼きが残っている。

 

 しかし、次の瞬間、突然に違和感が朱姫を襲った。

 朱姫は呆然としてしまった。

 

「ほらっ、乳繰り合えというのがわかんないのかい、朱姫──」

 

 もう一度、張蘭の鞭が尻に響いた。

 

「しゅ、朱姫?」

 

 動こうとしない朱姫に、貞女が慌てたように声をかけた。

 この張蘭という女調教師の気性の激しさは、三人とも肌で知っている。

 ほんの少しでも逆らうような態度を示せば、どんな目に遭うのかわからない。

 

 だが、朱姫はそれどころではなかった。

 朱姫の中の全身の霊気が漲っている……。

 

 理由はわからない……。

 

 しかし、ずっと手首と足首に嵌められていた道術封じの霊具によって制限されていた霊気が、いまは、なぜか全身に溢れるようになっている。

 

「おやっ?」

 

 張蘭が訝しむような声をあげた。

 おそらく、朱姫が感じたものを張蘭も感じたに違いない。

 ずっと立ち込めていた青獅子の結界の霊気のようなものが、いまはまったく感じないのだ。

 なぜか、霧が晴れるようにすっかりとそれが消滅している。

 

 朱姫は霊気を肌に貼りついている革片に道術を込めた。

 それはあっという間に寝台に外れ落ちる。

 ほぼ同時に、貞女と李姫からも革片が外れたはずだ。

 

「えっ?」

 

「なに?」

 

 ふたりから驚愕の声がした。

 道術さえ遣えるようになれば、眼の前の張蘭など大した道術の遣い手ではない。

 それはわかっていた。

 だから、あっという間に、朱姫の霊気で張蘭の霊具など無効にできる。

 

「しゅ、朱姫、なに勝手なことをしているんだい──? 容赦しないよ──」

 

 張蘭が怒りで顔を真っ赤にして叫んだ。

 

「『影手』──」

 

 朱姫は叫んだ。

 

「ひふうっ」

 

 全身に朱姫の黒い『影手』を浴びた張蘭が、その場にひっくり返った。

 張蘭の首には朱姫の『影手』がふたつ張りついていて、それがぐいぐいと首を絞めている。

 

「な、なにを……んぐうっ……、ふぐううう──」

 

 張蘭は苦痛の呻きをあげながらのたうち回っている。

 やはり、道術封じの拘束が消えている。

 それどころか、筋力も復活している。

 

 朱姫は亜人の血の力で、手首と足首の革帯を引き千切った。

 ずっと朱姫の力を封じていた革片は呆気なく引き千切られて、その場に落ちた。

 

「貞女──。こいつをその寝台に縛りあげてください──。なにがあったかわからないけど、なにかがあったのよ──。この魔王宮に異変が起きたのだと思う。連中の霊気が一度に消滅したわ──。さあ、早く──」

 

 朱姫は怒鳴った。

 そして、『影手』の力で、床に倒れている張蘭を寝台に引きずりあげた。

 

 貞女はまだ呆然としている。

 朱姫がもう一度怒鳴ると、慌てたように貞女は、寝台の四隅にあらかじめ取り付けてあった枷で張蘭の手首足首を拘束し始めた。

 一方で朱姫は、李姫に飛びかかると、椅子に拘束されていた縄を引き千切った。

 

「こいつを見張っていて、李姫、貞女さん──。念のために扉は外から道術で封印しておくわ。だから、この部屋に隠れていて」

 

 朱姫は叫んだ。

 なにが起きたか確かめる──。

 そう思った。

 

 これが千載一遇の脱走の機会であることは確かだ。

 宝玄仙がこの魔王宮の地下に監禁されていることはすでにわかっていた。

 宝玄仙を助け出さねば──。

 

「ど、どこにいくのです、朱姫姉さん──?」

 

 扉に行きかけた朱姫に李姫が声をかけた。

 

「ご主人様を助けるのよ──」

 

 朱姫はそれだけを言った。

 そして、扉から部屋の外に飛び出そうとして、ふと思い立って、顔に恐怖を浮かべている寝台の張蘭に歩み寄った。

 

「仕返ししてやりたいけど、ちょっと忙しいんで、まずはこれくらいで勘弁してあげますね」

 

「な、なにすんだい、朱姫──?」

 

 枷で拘束された身体を揺すって声をあげた張蘭を無視して、朱姫は指を張蘭の襟元にかけた。

 張蘭の顔がぎょっとしたような表情になる。

 朱姫は一気に張蘭の服を引き破った。

 そして、露わになった肌に、寝台に落ちていたさっきの革片をぺたぺたと張っていく。

 

「や、やめるんだよ──。こんなことして、後で大変なことになることがわかってんのかい──ひいっ」

 

 張蘭は朱姫の意図がわかったようだ。革片を貼りつけられながら全身を振って、それを避けようとしている。

 もちろん、そんなことで革片から逃れるわけがない。

 

「貞女さん、李姫、さっきまで李姫が操作していたぼたんを好きなだけ押してやるといいわ。今度はあたしの道術がかけ直っています。こいつに貼った革片から、ぼたんを押す度に最大級の電撃が走るわよ。退屈凌ぎに遊んでいるといいわ」

 

 朱姫は言った。

 ふたりの返事は待たなかった。

 返事が戻る前に、朱姫は、部屋にあった大きな布を掴んで裸身を包み、部屋の外に飛び出していた。

 

「ご主人様──、いま行きますから──」

 

 朱姫は外から部屋に『施錠術』を刻むと、地下に進む通路を探して、魔王宮の屋敷内を駆けた。

 どこからか大きな騒乱の音が聞こえてきた気がした。

 

 

*

 

 

 双六は屋敷の中に入った。

 周囲は双六の部下と亜人兵の争闘でいっぱいだ。

 とにかく、双六はそれには目もくれずに、奥に奥にと進んだ。

 

 やがて、大広間のような入り口の前に来た。

 開こうとしたが鍵がかかっている。

 

「誰っ?」

 

 不意に背後から大声がした。

 振り返ると、裸身に敷布だけを巻いた少女がいた。

 咄嗟に身構えたが、亜人兵という感じではない。

 

「あんた、朱姫さん?」

 

 叫んだのは蝶蝶だ。

 喧騒の中ではぐれたが、いつの間にか追いついてきたようだ。

 

「そ、そうだけど、あんたらは?」

 

 少女が眉をひそめた。

 双六ははっとした。

 朱姫というのは、長庚が助けろと依頼した青獅子に囚われている女のひとりではなかったか?

 

「長庚坊っちゃんの仲間よ。あなたたちを助けに来たの」

 

 蝶蝶が言った。

 すると朱姫の顔がぱっと明るくなった。

 

「長庚さんの……? まあいいわ。それはともかく、なにが起こっているのですか? この騒動はなんなのです?」

 

 朱姫が蝶蝶に詰め寄るように言った。

 

「あたしたちにも、全体はわからないわ。だけど、多分、青獅子は死んだと思う……。それで城郭全体が混乱しているわ。あたしたちは、その混乱を突いて、あなたたちを助け出すために、魔王宮に潜入したの──。とにかく、よかった。とりあえず、朱姫さんが無事で……」

 

 蝶蝶が嬉しそうに言った。

 

「おい、細かい話は後だ。まだ、宝玄仙という女が囚われているはずだ。どこだかわかるか?」

 

 双六は横から口を挟む。

 

「わかりません……。あたしは、魔王の私的な場所に閉じ込められてました。そこに、李姫と貞女も隠れてます……。でも、この向こうが魔王の謁見の間で、その奥にも魔王の別の私的な場所があるはずなんです。そこは、あたしたちも入ったことのない場所です。多分、そこかと……」

 

 朱姫の言葉に蝶蝶が扉に飛びついた。

 しかし、すぐに悔しそうに顔をしかめた。

 

「これは、『施錠術』で封印されているわ……。あたしの道術程度じゃあ駄目だわ……」

 

「どいてください」

 

 途方に暮れたような表情の蝶蝶を朱姫が押しのけた。

 双六の目の前で、金属が弾けるような音がした。

 

「開いた──」

 

 朱姫が叫ぶ。

 双六は扉から室内に飛び込んだ。

 いきなり目の前に剣が降ってくる。

 

「うわっ」

 

 双六は間一髪で横に転がって剣を避けたが、そこに別の剣が落ちてきた。

 

「な、なんだ──?」

 

 叫んだのは双六ではない。

 双六を斬りつけようとしていた亜人だ。

 そこにいたふたりの亜人は一見して兵ではない。

 身につけている具足から位の高い軍人だとわかる。

 そのふたりの両方の身体中に黒い手のひらのようなものがたくさん付いている。

 ふたりは、その手のひらに襲いかかられて、動きを封じられているようだ。

 

「あたしを舐めんじゃないわよ、闘閃坊(とうじんぼう)に耶律耶里(やりつやり)。この前はよくも──。このまま、死んでしまえ──」

 

 朱姫が険しい顔で声をあげた。

 どうやら、この朱姫の道術のようだ。

 双六は内心で、この朱姫の道術に圧倒されていた。

 

「うがあ」

「ふぐうっ」

 

 黒い手が、さらにふたりの首にかかり、ついに床に倒された。

 そこに蝶蝶が飛びかかった。

 あっという間に、ふたりの身体が死骸になる。

 

「ここを通すな──」

 

 広間の奥から別の亜人の声がした。

 同時にわらわらと亜人兵の隊がまとまって現れる。

 

「あいつは、玲瓏(れいろう)──。いま死んだ闘閃坊と耶律耶里とともに、青獅子軍の将軍です」

 

 朱姫が叫んだ。

 そのときには、双六の部下もかなりこの謁見の間に入り込んできている。

 闘争が始まる。

 

 双六はそれらをやり過ごして、反対側の奥から入る廊下に向かった。

 蝶蝶と朱姫がしっかりとついてくる。

 

「行かせるか──」

 

 玲瓏という亜人の将軍が立ちはだかるように前を塞いだ。

 しかし、その玲瓏が不意に転んだ。

 双六は玲瓏の足首に黒い手があるのに気がついた。

 

「うがああっ」

 

 うつ伏せになった玲瓏の背に双六の部下たちの剣が次々に突き刺さる。

 構わずに、駆けた。

 広間を出る。

 

 そこは長そうな廊下に繋がっていた。

 一気に人の気配が少なくなる。

 

 しばらく曲がりくねった廊下が続いた。

 さらに駆ける。

 

「階段よ」

 

 蝶蝶が声をあげた。

 何度か廊下の曲がり角を過ぎたところで、不意に地下に通じる階段が出現したのだ。

 双六は駆け降りた。

 

 下に着いたところに武装した亜人が立っていた。

 踏み出して、一度剣を引いてから突き出す。 

 

 身体を回して、先に進む。

 回りながらふたりの亜人の横腹を斬り裂いている。

 

 それでも立っていたが、蝶蝶と朱姫が協力して、そのふたりにとどめを刺している。

 双六はひとりで進んだ。

 

 両側に壁しかない地下の廊下が続いている。

 やがて、廊下が突き当たった。

 そこには、部屋が数個あった。

 

 とりあえず、手前の部屋を蹴り開ける。

 

「人間がなんの用だい?」

 

 部屋には、椅子に座っている少年がいた。

 少年の座っている背後に、さらに奥に行く扉がある。

 その少年の横に薄笑いを浮かべている髪の長い女の亜人もいた。

 

「うがあっ──」

「はがっ──」

 

 突然に扉の陰に隠れていた白い肌の亜人が襲ってきた。

 しかし、双六はそれに気がついていた。

 

 右側の亜人を剣であしらい、位置を変える。

 そこに蝶蝶も飛び込んできた。

 

 蝶蝶の小刀で喉を切断されたもうひとりの亜人が呻きながら床に倒れた。

 ほぼ同時に双六と位置を変えた亜人も双六によって背を刺されて絶命した。

 少年の顔からさっきまでの余裕のようなものが消えて、恐怖が浮かんだのがわかった。

 

「あんたたち、どいて──。奥にご主人様がいるのね。どきなさい──」

 

 次に飛び込んできた朱姫が叫んだ。

 追いついてきた双六の部下たちもそれに続いている。

 

「頭領、一階に民衆が暴徒になって雪崩れ込んで来ました……」

 

 部下のひとりが双六にささやいた。

 双六は頷いた。

 

「この魔王宮に人間が襲ってきたらしいぜ。お前ら亜人の支配はこれで終わりだ。そこをどきな」

 

 双六は少年の亜人に剣を突きつけた。

 

「ほ、宝ならいないよ……。もう、行ってしまったさ……。生憎と僕も輪廻(りんね)も置いてきぼりにされちゃてね……」

 

 少年が自嘲気味に笑った。輪廻というのは横の女のことだろうか。

 双六は面倒になって、少年の顔に横蹴りを食らわせた。

 

「ひふっ」

 

 少年が蹴られた顔を押さえて床でのたうつ。

 もうひとりの女は、なにもしようとはしなかった。

 双六を促すように、奥への扉から身体をずらした。

 

「ご主人様、どこですか──?」

 

 双六を突き飛ばすように、朱姫が扉を開けて飛び込む。

 双六も続いた。

 部屋には誰もいない。

 だが、部屋は女の愛液特有の匂いが充満していた。

 

「ご主人様の匂いがする……。間違いないわ……。たったいままでここにいた……」

 

 朱姫が途方に暮れたように呟いた。

 そして、なにかに気がついたように、部屋の隅に駆けていった。

 

「……微かだけど、道術の残骸……。これは……?」

 

 その場にしゃがみこんで、なにかを探るような仕草になった。

 この部屋の先にもさらに扉があった。

 双六は部下に命じて、そっちを探索させた。

 しかし、朱姫はまだ、同じ場所にしゃがんだままだ。

 

「こ、これは、『移動術』の残骸……。ここから、『移動術』で逃げたんだわ──。そうか──。青獅子の結界が消滅したから、逆にいままで魔王宮内では遣えなかった『移動術』が遣えるようになったんだわ。しまった──」

 

 朱姫が叫んだ。

 そして、朱姫は、さっきの部屋にとって返して、亜人の少年と女に駆け寄った。

 このふたりは、すでに双六の部下が取り押さえていた。

 念のために準備してあった『道術封じの護符』を首に巻かせている。

 亜人の道術を封じる霊具としては、もっとも簡易なもので、これを貼られた大抵の亜人は道術を遣うことができなくなるのだ。

 そのふたりの首に、また、朱姫の道術の黒い手が出現した。

 ふたりの顔が苦しそうに歪む。

 

「さあ、言いなさい──。ご主人様はどこよ──? どこに連れていったのよ?」

 

 朱姫が物凄い剣幕でふたりに怒鳴った。

 そのとき、さらに奥を探索させていた部下が戻って、そこには誰もいなかったと双六に報告した。

 

「く、苦しい……。し、知らないよ……。げ、玄魔(げんま)将軍は……ぼ、僕たちを……つ、連れていかなかったんだ……。こ、ここで、時間を稼いで……『移動術』の結界の残骸が消えて……誰も追いかけてこられなくなるまで、中に入れないようにしろって……く、苦しい……」

 

「そ、そうよ──。わたしらは理不尽にも、置いてきぼりにして捨てられたんだわ──。や、止めてよ──。どこに行ったか、わたしらが教えられているわけないでしょう──。うぐうっ……」

 

 少年と女が苦しそうに言った。

 

「そ、そんな……」

 

 朱姫ががっくりとひざまずいた。

 その表情には、絶望の色がある。

 亜人のふたりの首から黒い手が消滅して、ふたりが脱力した。

 

「どういうことだ、朱姫?」

 

 双六は肩を落としている朱姫に訊ねた。

 

「ご主人様は……宝玄仙様は、どこかに道術で連れていかれました。もう、追いかけることは不可能です」

 

 すっかりとうなだれている朱姫が口惜しそうに答えた。

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