※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

53 / 819
53  遡る時間

 宝玄仙(ほうげんせん)が黎山(れいざん)に取引を申し出したのは、結界への籠城を開始して一箇月経ったときだった。

 もちろん、それは宝玄仙の時間であり、沙那(さな)や孫空女(そんくうじょ)や朱姫(しゅき)には、別の時間が流れているのだろう。

 しかし、そろそろ決着をつける時期だと感じてもいた。

 

「朱姫を連れてくれば、結界の外に出るというのだな、宝?」

 

 黎山が言った。

 

「そうだよ。それと沙那と孫空女もね。三人と話すよ。三人が同意すれば、このわたしも結婚に応じる。お前のいう“婚姻の誓い”とやらをやってやるよ」

 

 婚姻の誓いという特殊な儀式がこの館の呪縛を解く鍵となっているらしい。

 彼らは、それを宝玄仙の道術による誓約で行うことを望んでいる。

 つまりは、「真言の誓約」だ。

 

 いかに宝玄仙と言えども、一度行えば道術の誓約には逆らえない。本来、真言の誓約術は道術師同士の間で行うものだが、それを宝玄仙と“屋敷”とで行うことにより、彼らの呪縛は解けるらしい。

 それにより、黎家の四人は、屋敷に囚われる呪いから解放される。

 ただし、婚姻の誓いを結んだ宝玄仙たちは解放されない。婚姻の誓いは宝玄仙たちの心を彼らに拘束するからだ。解放された黎家の四人が宝玄仙たちをどう扱うかはわからない。

 

 いずれにしても、四人はそれぞれの夫に縛られることになる。

 だから、黎山はどうしても宝玄仙を屈服させなければならない。ほかの三人は、無理矢理でも構わないが、宝玄伝だけは、正気を保ったまま婚姻に本気で同意してもらわなければならない。

 本当の“誓約術”を結べるのは宝玄仙だけだからだ。

 

「……会わせてもいい。ただし結界の外でだ。結界の外で四人揃うのであれば同意しよう」

 

 しばらくしてから黎山が言った。

 

「危険ではないか、王よ」

 

 口を挟んだのは普賢(ふげん)だ。いま、ここには、南海(なんかい)、文殊(もんじゅ)、普賢の三人の息子も揃っている。

 

「だが、話すだけではなにもできまい。いずれにしても、いつかは四人を会わせることは必要だ」

 

 黎山は言った。

 

「四人を会わせた途端に、また結界を張り直されたらどうする?」

 

「いや、文殊よ。結界術というものは、術師本人だけを護るだけなら時間はかからぬが、他人を含めるとなると相当の手間がかかるものらしい。それに、宝玄仙だけなら、結界の中に閉じこもって、数年でもいられるだろうが、ほかの者はそうはいかない」

 

 南海が言った。南海は宝玄仙と同じように『結界術』を使える朱姫を相手にしていたらしい。

 術のことは、いくらか朱姫にも説明させたのだろう。

 

「そういうことだよ、黎山……。それに結界を作ったところで、もう、意味はないだろう……。それはもうわかったよ……。わたしは、ただ供の三人の顔を見たいだけだよ」

 

 宝玄仙は言った。

 

「わかった……。応じよう、宝」

 

 黎山はうなずいた。

 三人の息子たちは、それぞれの女を連れてくるために部屋の外に出た。宝玄仙は、黎山とふたりだけになると、結界を解いて全裸姿で黎山に歩み寄った。

 

「籠城も随分と長くかかったな、宝……」

 

「もう、わたしの望みは三人に会うことだけだよ。少しだけ話をさせてくれれば、この身体を抱かせてやる」

 

 宝玄仙は、黎山のそばまで進むと首に手を回して口づけをした。

 口のなかに舌を差し入れ、思う存分に蹂躙する。

 黎山の股間が固くなるのがわかった。

 

「あ、相変わらず、口づけが上手い」

 

 黎山を解放すると、すっかりと欲情した感じで、黎山が言った。すでに息が荒い。

 

「上手いのは口づけだけじゃないよ。極楽を味わわせてやろう。過去のわたしはお前を抱いたかい?」

 

「お前と身体を合わせたのは数回ある。だが、同じ過程を繰り返しても、なぜか繰り返さない。お前はいつも、不確定な行動をする」

 

「そうかい。まあ、実際のところ、あの三人がいれば、ここで永遠に暮らすのも悪くない。今回こそ、屈服してやるよ」

 

 宝玄仙は笑った。

 すると、部屋の扉が開いた。

 最初に入ってきたのは孫空女だ。普賢もいる。

 宝玄仙は黎山から距離をとり、部屋の隅に孫空女を手招きした。

 孫空女は、普賢の顔をちらりと見て、頷くのを確認して、こっちにやってきた。宝玄仙は孫空女の手首を握った。

 そして、立ったまま抱き寄せる。

 裸と裸の身体をくっつける。

 宝玄仙の乳首で孫空女の乳首を擦る。

 孫空女は抵抗しない。

 股間に手を伸ばしまさぐる。

 感じやすい孫空女の身体は以前のままだ。

 たちまちに、孫空女の股間は彼女の愛液でぐっしょりと濡れる。

 

「はああっ……」

 

 孫空女が声をあげ始めた。孫空女に嬌声をあげ続けさせたまま、霊力を送り込む。

 孫空女の表情が戻っていく。

 『治療術』で破壊された脳を復活させているのだ。

 目つきの戻った孫空女を握る手に力を入れる。

 

「そのまま声をあげ続けるんだ……」

 

 耳元でささやいた。

 孫空女は悟ったのか、さらに大きな声をあげる。

 

「ああっ……。いいいっ──」

 

「これをわたしの手首に嵌めて、その手首をお前の手で隠すんだ──」

 

 黎山が同じ部屋にいる。

 小細工をしようとしているの悟られたら終わりだ。

 手を握る振りをして、ずっと宝玄仙が隠し持っていたものを孫空女の手に握らせる。

 以前、この屋敷に入る直前に朱姫の首にしていたものを外したものだ。

 偶然に服の内隠しに入れていたので、黎山の前で服を脱ぐときに密かに隠し持った。

 それが孫空女の手に渡る。

 孫空女は身体で隠しながら宝玄仙の手首にそれを巻きつけた。

 その上に孫空女の手が重ねられる。

 

 沙那と文殊が入ってきた。沙那のお腹はこの前と同じくらいのようだ。前回、再開したときの時間軸と同時期の沙那なのだろう。

 

「孫女、ご主人様――」

 

 沙那は宝玄仙と孫空女が立ったまま愛し合うのを見て、眼を見開いていたが、すぐに駆け寄ってきた。

 

「沙那?」

 

 孫空女が沙那の腹を見て、眼を見開いたが、とりあえず、口をつぐんだ。

 三人で跪く──。

 

 宝玄仙は、孫空女の股間に手を伸ばしたまま、沙那の股間にも手を伸ばす。

 孫空女の両手は、宝玄仙の手首に巻かれた霊具を上から覆ったままだ。

 沙那の口を吸う。

 その唾液を孫空女の口の中に注ぐ。

 そして、孫空女の唾液を今度は沙那の口の中に──。

 ふたりの身体が赤く火照りだす。

 相変わらず、宝玄仙の与える刺激に弱いふたりだ。宝玄仙が育てて調教してやった淫らな身体だ。

 本当に嬉しくなる。

 

 やがて、朱姫が南海と入ってきた。

 宝玄仙は朱姫の様子が不自然であることに気がついた。

 

「こっちだよ、朱姫。おいで──」

 

 声をかける。

 おそらく視力を潰されている。

 朱姫は、眼で『縛心術』を使う。

 それを怖がったのだろう。

 

 孫空女と沙那が真ん中に朱姫を招き入れた。

 四人の男たちは、じっとこちらの様子を見ている。

 ただ、四人で愛し合っているだけに見えるだろう。少なくとも宝玄仙を除く三人については、すっかり「調教」したと油断しているのかもしれない。

 だが、この三人はまったく「調教」されていない。

 たったいま、孫空女と沙那と口づけしただけで、それはわかった。ふたりはまだ、宝玄仙のものだ。宝玄仙の支配からちっとも解放されてない。

 身体は宝玄仙の与える快感にこそ、屈服している。

 

 あの男たちには、どんなに時間をかけても女を本当に屈服させることはできないだろう。

 沙那と孫空女が交互に朱姫の唇を吸い合う。

 そして、宝玄仙も──。

 四人の唾液を混ざり合わせ、それをみんなで啜(すす)り合う。

 

「……『獣人』を使えるね、朱姫?」

 

 女の嬌声が混じり合う中で、宝玄仙は朱姫にささやいた。

 

「……道術は長く使わなかったから、霊気は十分に使えるだけのものは溜まっています。でも、ただの一回です。意味はありません……。あいつらを殺しても生き返るでしょうし……」

 

 朱姫も低い声で宝玄仙の耳元で言う。

 

「……意味はなくはないよ。一回で十分だ……」

 

 宝玄仙は朱姫の拳を自分の乳房の横に招き置いた。宝玄仙の心臓のある場所だ。

 

「……ここだよ。ここで解放するんだ……」

 

「……でも……」

 

「……わたしは死なないよ。みんなで帰るだけだよ……」

 

「……帰る?……」

 

「……あの場所……。最初のあの時間に……」

 

 宝玄仙と朱姫の会話を沙那と孫空女の嬌声が隠してくれている。

 なにかを相談しているのを黎家の四人には、まだ悟られてはいないはずだ。

 

「……わたしを信用しな」

 

 すると朱姫が微かに頷いた。

 次の瞬間、なにかが宝玄仙の心臓を貫いた。

 朱姫のもうひとつの術である『獣人』が発生している。

 彼女の右手から長い爪の刀が出現して宝玄仙の心臓を貫いている。

 これで死のうが、生きようが黎山の思い通りにはならない……。

 ざまあみろ……。

 宝玄仙は消えていく意識の中で思った。

 

 

 *

 

 

「あんな術が使えたのか。知らなかったな」

 

 南海の声は意外に冷静だ。朱姫の担当は南海だ。

 

「朱姫の腕は切断しておいた方がいいだろうな、南海……。それと、宝玄仙は孫空女の頭を治してしまったようだぞ、普賢……」

 

 文殊が言った。

 

「どうってことはない……。また、宝玄仙のいない時間に飛ばせばいいだけだ。手術もやり直せば済む」

 

 黎山は息子たちの会話を聞きながら、四人──正確には三人とひとりの屍体の女を見ていた。

 

 殺したのは朱姫だ。

 死んだのは宝玄仙。

 

 朱姫が道術で自分の爪を刀のように伸ばして、宝玄仙の心臓を貫いたのだ。

 少女のようにしか見えなかった朱姫の姿は、いまや獣に近くなっている。

 また、顔の横の耳は大きく上に伸びて、唸り声をあげる口の中には、明らかに肉食動物の牙がある。そして、全裸の身体の四本の手足は、先の部分だけが毛むくじゃらとなり、両方の爪の三本だけが大きく刀のように伸びているのだ。

 尻の部分には、房毛のついた狼の尾まである。

 人間の身体の倍程もあるまさに、獣だ。

 

 宝玄仙の心臓を貫いた右手の爪が引き抜かれて、左の爪とともにこちらを近づけまいというように、左手の爪ともにこちらを向けた。

 沙那と孫空女は、宝玄仙の屍体を彼女の血だまりの中で両側から支えている。

 

「無駄なことをしたな、朱姫……」

 

 黎山は朱姫に言った。

 

「お前の調教は、最初からやり直しさせる……。心配ない。時間だけはあるのだ、わしらには……」

 

「よ、寄るな──」

 

 朱姫が言った。

 その身体が少しずつ人間の少女に戻っていく。

 

「あまり長い時間はさっきの姿ではいられないようだな、朱姫」

 

「そうだよ──。しかも、一度使うと数日は使えない術だ。ほかの術で消費しない霊気を充填する五日間も必要なの……。だから、あまり使える術ではないのさ」

 

 朱姫の姿はもう人間の少女に戻っている。

 

「なんのためにやったのだ、朱姫? 宝に頼まれたのか? 殺してくれと」

 

「そうだよ」

 

「無駄なことだぞ。わしらは時間を支配しているのだ。時間を戻せばいいだけだ。宝が死んではいない時間に戻ろう」

 

 黎山はそれを心に望んだ──。

 時間が戻った。

 血だまりの中から宝玄仙が起きあがった──。

 その顔が笑っている。

 宝玄仙特有の愉悦の表情だ。

 人を陥れたときや苛むときに見せる表情だ。

 これまで何度も、繰り返し逃げられてきた。

 そのとき、この女はいつもこの顔をした。

 

 そして、ふと思った。

 時間が止まっていない──。

 

 なぜだ? 

 どんどん遡っている。

 時間が停止していない。

 だから黎山と四人の女だけが、時間の流れの中にいる。

 三人の息子は離れた場所に立っていたので、この時間の急流の中には乗り損ねてしまったようだ。

 息子たちの姿はない。

 まわりの風景もない。

 ただ、時間が流れるなにもない空間があるだけだ。

 

「なにをしたのだ、宝……?」

 

「その名で呼ぶなと言ったはずだよ、黎山」

 

 宝玄仙が、孫空女が握っていた手首の下に巻いてある茶色の革紐を見せた。

 

「なんだ、それは?」

 

「ちょっとした霊具だよ。この革紐についた宝石が青いだろう。この霊具の玉の色が青いときは、この霊具をした者が受けた術的な影響をひたすら繰り返すんだよ。本当は快楽だけだけど道術も同じだ」

 

「繰り返し?」

 

「そうよ。そしてこれだ」

 

 宝玄仙は、足の裏を見せた。

 

「こっちは、『溜め袋の護符』という霊具だ。この霊具は受けた快楽を逃がさずに貯めるという効果がある。淫具だけど、こっちもまあ、受けた術を逃がさないという効果もあるね」

 

「そのふたつの霊具の力により、お前にかけた時間を戻すという効果が繰り返すともに溜められて効果が拡大しているのだな。それで時間が止まらずに暴走しているということか……」

 

 黎山は唸った。

 どうやら、また出し抜かれたようだ……。

 この巫女は、いつもぎりぎりで黎山を出し抜く。

 追い詰めるのに、一度として成功しない。

 必ず出し抜かれる。

 

 まあ、いい……。

 また、やり直せばいいだけだ。

 いつか、その機会はあるだろう。

 次こそ……。

 いずれにせよ、同じことをさせなければいいだけだ。

 

「それにしても、どこに霊具を隠してたのだ? 今度は旅の荷物は、持ち運びせずに、屋敷の外に置かせたはずだが?」

 

「お前に教える必要はないね、黎山」

 

 宝玄仙が言った。

 

「ねえ、ご主人様、このまま時間が逆戻りすればどうなるんでしょう?」

 

 沙那が言った。膨らんだお腹はすでにへこんでいる。

 時間が逆戻りした影響だろう。

 

「屋敷ができる前まで戻ることで、屋敷の効果はなくなり、わたしたちは館から解放されると思うね」

 

「解放されると、どうなるんですか?」

 

「館の支配している時間の外に出る。ただし、原因と結果が逆転することになるけど、多分、それぞれが生まれた時よりも過去には遡らないはずだ。時間を遡ったことが無効になるのだからね……。時間が戻ったうえに館の影響の外に出されて、それぞれが産まれたときに飛ぶだろうね……。そして、やり直し──。また、時間が進み始めたときに、出会った場所で会おうよ」

 

「やり直せるんなら、ご主人様に会わないという選択肢もあるのかなあ?」

 

 孫空女が言った。

 

「この宝玄仙から逃げられると思っているのかい、孫空女」

 

 宝玄仙がにやりと笑う。

 時間を遡る感覚はどんどん速くなっている。

 

「ご主人様、眼が見えるようになりました──」

 

 朱姫が嬉しそうに言った。

 

「それよりもお前の調教は、まだ始まったばかりだったね、朱姫。今度の時にゆっくりと続きをやってやろうか」

 

「ご免こうむります、ご主人様──。今度こそ、宝玄仙という法師には捕まりません。宝玄仙という八仙を食らって、本物の妖魔になろうと考えたのが間違いだったんです」

 

「それでも出遭うさ。そして、また、わたしの玩具になるんだよ」

 

「ご主人様、そろそろのようです。感覚でわかります……」

 

「じゃあ、お前が生まれてから十六年後だね、朱姫」

 

「能生(のうう)です。宝玄仙という三蔵法師に出遭う以前はその名でした……。ご主人様と逢わなければ、朱姫にはなりませんでした」

 

 そう言って朱姫が消えた。

 黎山はじっとその様子を見ていた。

 

「次はわたしですね」

 

 沙那が言った。

 

「じゃあ、愛陽でね」

 

「絶対に『服従の首輪』をつけられるようなへまはしません」

 

 沙那も消えた。

 

「またね、ご主人様……」

 

 すぐに孫空女も消えた。

 時間の流れはどんどん速くなる。黎山も凄まじい時間の逆流を感じる。

 

「焦っていないようだね、黎山……」

 

 宝玄仙が言った。

 

「失敗することはある程度、予想していたな。もしかしたら、今度は成功するのかもしれないと思ったが、いつも失敗するのでな」

 

「だったら、もう諦めたかい?」

 

「失敗の度に我々は学べる。強引だったが、今回は持ち物を屋敷に運ばせなかったのはよかった。失敗の原因はお前たちが隠し持っていたさっきの霊具を見逃していたことだ。次はうまくやる」

 

「次なんてないよ──」

 

「ある──。我々は失敗から学べる。しかし、お前たちは学べない……。だから、またやってくる……」

 

「今度はわたしもこの屋敷には入らない選択を選ぶよ。一度でもそれがあれば、今度はお前たちは、何度時間を遡ってもわたしたちに会えない過去にしか、行き着けなくなるよ」

 

「そんなことできるものか──」

 

「できるね……。わたしを誰だと思っているんだい。わたしだって、多少は、過去に影響を与えることもできなくはないのさ……」

 

 宝玄仙が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

「これは、立派な屋敷のようだね」

 

 屋敷の入口の前で宝玄仙は言った。

 四人で門楼の前に立ったのだが、その飾りも東西の花や動物の文様が施された立派なものだ。門は開け放たれていて、中の様子は簡単に覗き見ることができる。屋敷らしい建物は、すっと遠くにあり、夕暮れの前庭に拡がる小塔や庵は、まるで絵に描かれたように美しい。

 沙那が感嘆の声をあげている。

 

「なにか書いてあるよ。沙那、なんて書いてあるの?」

 

 門柱のそばにいた孫空女が言った。孫空女は文字が読めないのだ。

 沙那が、孫空女のそばに近づいて、門柱に書かれている言葉を読み始めた。

 

「“黎山(れいざん)の老王俗界と分かれて入る

 文殊王(もんじゅおう)と普賢王(ふげんおう)もまた客となり

 南海王(なんかいおう)も訪れしその時の館

 時の四王となれどもこの地に閉ざされる

 色の翼で虚空を貫き

 色の馬で那辺を追いかけ

 色の檻で朱獣を縛せん

 そして、色の剣で刺して得るは美宝

 いざ放たん。そして、この地から去らん”」

 

 沙那が読んだ。

 宝玄仙もその門柱の詩に目を留めた。

 随分と古いものらしく、最初は赤文字だったようだが、いまほとんど色が剥げて、それぞれの行の最後くらいしか赤色は残っていない。書かれてからどこくらい経っているのだろうか。

 眼の前の庭が美しいだけに、この門柱の詩の板だけが、不似合いに古ぼけているのに違和感がある。

 

 そのとき、なにかが起こった。

 急に身体が揺れたのだ。

 道術───?

 そう思ったのは一瞬だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が戻った。

 

「ご主人様──、大丈夫ですか?」

 

 沙那が心配そうに覗き込んでいる。

 

「どうしたんだい、わたしたちは?」

 

「わかりません。なにかの道術が働いたようです。どうやら、ひと晩中、ここで眠っていたようです」

 

「なんだって──?」

 

 宝玄仙は驚いて辺りを見回した。

 どうやら、もう朝のようだ。本当に、このまま夜を明かしたのだ。

 

「ほかの者は?」

 

「まだ寝ています。ただ、寝ているだけで、いまのところ特に問題はないように感じます。起こしますか?」

 

「あ、ああ……。ところで、お前はどうしていたんだい、沙那?」

 

「わたしもさっき、気がついたところです。なにが起こったのでしょうか。見たところ、荷物にも問題はないようです。路銀にも手はつけられてません」

 

「物取りでもないのかい……。倒れる瞬間になにかとりあえず、術が働いたと思ったけどね……」

 

 しかし、一瞬感じた術の波動は、宝玄仙自身のものと酷似していた気がした。しかし、宝玄仙はこんなところに来るのは初めてだ。修行時代の旅のときもここには寄らなかった。

 宝玄仙の道術の残骸がここにあるはわけはないのだが……。

 

「いまはどうですか? 辺りにおかしな術の罠とかは?」

 

 宝玄仙は周囲の気配に神経を磨ぎしました。しかし、特に違和感はない。

 

「なにもないね……」

 

 宝玄仙は首を横に振った。

 

「どうします、ご主人様? やっぱりこの屋敷に寄りますか? 本当は、昨日の夕方に寄るはずだったのですが──」

 

 宝玄仙は、昨夜、立ち寄るはずだった屋敷を見た。

 静かだった。

 誰もいないように見える。

 少し考えて、何気無くもう一度、門の文字に眼をやってから、宝玄仙は首を横に振った。

 

「やめておこう……。もう朝だ。そこら辺で食事をして先に進むとしようか。それになにかこの屋敷は縁起が悪いからね」

 

「縁起?」

 

「ほら、沙那。この門柱を見てごらんよ。それぞれの最後が赤文字になっているだろう?」

 

「そうですね……。もともとは、全部が赤文字だったのでしょうが随分と年月が経っているのでしょうね」

 

 沙那が門柱の詩に視線を向ける。

 

「……でも、それぞれの行の最後の部分だけ赤文字が残るなんて、不自然な色の剥げ方だよねえ……。赤文字の部分だけをつなげてみな」

 

「……入る……なり……時の館……閉ざされる……き……け……ん……宝……去らん。本当ですね。文章になっています。面白いですね」

 

 沙那が笑った。

 

「偶然だろうけどね……。朝になったとあっては別に立ち寄る必要はないね。それよりも朱姫を起こしな──。昨夜の分を飛ばしたから、溜まってるだろう。また、尻で自慰をやらせなきゃね」

 

「まだ、続けるんですか……。少し、可哀そうじゃないですか?」

 

 沙那は言った。

 

「なにが可哀そうなもんか。あいつの半分は妖魔だよ。ちょっとやそっとの調教でへこたれるもんかい」

 

「ただの少女ですよ、朱姫は」

 

「お前たちが知らないだけさ。あいつは、狼人間にも変身できるんだよ」

 

「本当ですか?」

 

 沙那が驚いている。

 

「ああ……。まあでも、知らないふりをしてやりな。朱姫はそれを隠したがっているようだしね」

 

「そうですか……」

 

「それよりも、尻だよ──、尻。朱姫の尻だ。かなり、尻の快楽を覚えてきたようだしね」

 

 沙那が深い深い溜息をつきながら立ちあがった。

 

 

 

 

(第9話『繰り返す時間』終わり)






 *


【西遊記:23回、四人の華人】

 沙悟浄という新しい供を迎え、白馬と四人となった玄奘一行は、西午貨州(さいごけしゅう)という土地で、山中にぽつりとある一軒家を見つけます。
 玄奘はその家に宿を求めます。
 その家には、四人の独身の若い美女が住んでいました。
 四人は自分たちと結婚して、ここで暮らして欲しいと、四人にそれぞれに迫ります。

 玄奘は女たちに、自分たちは役目があり、そのために西行している途中であるので、結婚はできないと断ります。
 しかし、猪八戒は、こっそりと泊まっている部屋から抜け出し、自分は結婚してもいいと応じます。
 四人の女は喜び、猪八戒を別室に案内して歓待しつつ、誰と結婚をしてくれるのかと質問します。
 猪八戒が四人全員でもいいと笑うと、四人は猪八戒が目隠しをして、捕まえた女と結婚することにしましょうと提案し、猪八戒は応じます。
 そうやって、追いかけっこをして遊びましたが、しばらくすると、女たちは猪八戒に目隠しをさせたまま、ふざけて柱に縛ってしまいます。

 翌朝、玄奘たちは、いつの間にか家が消滅して、自分たちが草むらの上に寝ていたことを発見します。
 また、離れた場所に、目隠しをされている猪八戒が樹木に縛られてもいます。
 全員が呆気にとられます。

 とりあえず、猪八戒を助けようと近づくと、実は四人の華人は、それぞれ、黎山(れいざん)老母(有名な女仙人)、文殊菩薩、南海天、普賢天であり、修行の心が強いのかどうかを試したのだという意味の詩が樹木に残してあるのを発見します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。