「納得いかないわ――。なぜなの? なんで、お前だけ解放されるの? なんで――? ねえ、なんで?」
「そ、そんなこと言われても……」
沙那は困ってしまった。
小白香が白象を監禁している奴隷部屋だ。
奴隷部屋といっても、拷問施設のようなものがあるわけではない。
ほかの奴隷部屋や拷問室のように、小白香の道術でなければ出入りできないというわけではなく、ただ鍵のかかっているというだけの部屋であり、お陰で沙那も白象を世話する女奴隷も自由に出入りができる。
普段は、外から鍵がかかっているのだが、前魔王の白象を監禁する態勢としては、緩すぎる施錠だろう。
だが、白象はとりあえず、逃亡するつもりはないようであり、大人しくしている。
もっとも、この部屋はそれなりに快適な作りにはなっているし、白象が不快な思いをしないための工夫もなされている。
部屋はふたつ続きの部屋になっていて、白象が休む寝台もあるし、椅子や卓もある。台所もあれば、厠まである。
清潔な衣類もあれば、台所には自由に飲食できる食材や飲み物もふんだんにある。
調度品も飲食物にしても、魔王だった白象に相応しい程度の一級のものが準備されているようだ。
白象が部屋の外に侍っている性奴隷を呼び出すための呼び鈴も設置されていて、食べ物にしろ、飲み物にしろ、衣類にしろ、なんでも要求できるし、その気になれば、その性奴隷を抱いて性欲を発散することも許可されているのだ。
小白香としては、白象に対して、精一杯の配慮をしたというかたちだろう。
死刑囚から一変して、この待遇であれば、幽閉の立場とはいえ、白象も納得できるに違いない。
沙那も、いまのところ、ここに監禁されている白象が不平のようなことを言っているとは聞いていない。
沙那がこの白象が監禁されている部屋にいるのは、小白香の命令によって白象の身を守るためだ。
一階上の最上層では、いま、小白香と金凰魔王が相対してこれからのことについて話し合いをしているはずだ。
それが単純な話し合いで終るのか、ふたりの対決になるのかどうかは知らない。
ただ、対決になったとしても、ふたりの争いは、壮絶な道術合戦になるはずだ。
沙那にできることはなにもない……。
だから、小白香のことが心配だったが、小白香自身の指示に従い、沙那は白象の警護のためにこの部屋にいる。
それに、いずれにしても、金凰魔王が白象の身柄を手に入れるためにやって来るというのは十分に可能性のあることだ。
金凰魔王に白象の身柄を渡さない。
それが沙那の役割なのだ。
白象と金凰魔王がどういう関係なのかはわからない。
それは、白象が誓わせられている道術契約の秘密事項であり、白象は、それを伝えたくても、伝えることができないようだ。
沙那も、いろいろと誘導尋問のようなことを試してみたが、肝心な情報を訊き出すことはできなかった。
また、小白香の操り術も遣ってみたのだが、操り術については、小白香の道術はそれほどでもなく、白象に刻まれた道術契約を破ることはできなかった。
操り術といえば、朱姫を思い出す。
どうしているだろうか……。
最初に出遭ったとき、朱姫は、その操り術だけが飛び抜けて得意であり、ほかには限定した道術しか遣うことはできなかった。 その当時、朱姫自身は、自分のことを三流の道術遣いのようなことしか言っていなかったが、宝玄仙だけは、朱姫の道術に驚いていた。
宝玄仙に言わせれば、最初に出遭った頃に朱姫が遣えた『移動術』、『使徒の術』、そして、霊気全解放の『獣人』などの術は、どれをとっても一流どころの道術であり、霊気が小さい術師が遣うのは不可能な技らしかった。
そして宝玄仙が、朱姫について、いまは、ちゃんとした道術の遣い方を習っていないからうまくはできないが、数年後には、きっと自分の霊気と道術を制御できるだろうと予言したのを覚えている。
あれから三年半の歳月がすぎた。
朱姫は道術遣いとしての二度目の成長期に差し掛かっており、沙那から見ても、一流どころか、超一流の道術遣いになったと思う。
しかも、現段階でも日進月歩で朱姫は成長しており、これからもどこまで朱姫が大成するのかわからない。
あの朱姫だったら、おそらく、いまの白象に『縛心術』を施して、白象に刻まれた道術契約を破って、秘密を口にさせることができただろうか……。
朱姫の道術遣いとしての才能については、宝玄仙の見る目が正しく、また、宝玄仙の施した指導もよかったのだと思う。
ただ、宝玄仙の施した朱姫の道術遣いとしての修業は、なにからなにまで、沙那や孫空女を練習台として行われたのだ。
つまり、朱姫は、沙那や孫空女を嗜虐する手段として道術を磨いて、力を持った道術遣いに成長したのだ。
朱姫の嗜虐好きの性癖を利用して、宝玄仙が朱姫にとって最適の修行方法を選んだと言えば、聞こえはいいが、実際には、宝玄仙と朱姫が面白がって、朱姫の道術を沙那たちで試してるうちに、いつの間にか朱姫が成長していたというところだろう。
考えていたら腹もたってきた。
だが、懐かしくもある。
いまは、その朱姫のことも、そして、宝玄仙、孫空女という仲間のことも、遠い時代の思い出のような感覚だ。
会いたいとは思うが、小白香との関係を崩してまで、再会したいとも思わないし、あの旅の日々に戻りたいという気持ちはない。
その自分の感覚が、小白香と結んだ『主従の誓い』の影響によるものだという自覚はある。
だが、それがなんだというのだ。
いま、沙那は小白香のために働くことに、心からの満足をしているし、充実もしている。
あの超一流の道術と高い知能を持ちながら、それでいて、幼い思考とひねくれた性格をしている危うい少女を助けてあげたい。
彼女が、この三魔王の中で高い地位を得ることを望んでいるのであれば、それを実現してあげたい。
それが、沙那の心からの願いであり、生き甲斐なのだ。
それにしても……。
一方で沙那はふと思うことがある……。
もしも、金凰魔王と小白香が争うことになったら……。
その場合は、無論、沙那は、小白香の勝利のために、命を捧げる覚悟まであるが、そうなったとき、その金凰魔王に監禁されているという宝玄仙のことが気になるのだ。
小白香が負ければ、そのときは、沙那は死ぬか、あるいは、半死半生の状況だろうからどうでもよいが、金凰魔王が負ければ、その魔王に監禁されている宝玄仙も解放されるのではないか。
そうなれば、宝玄仙は間違いなく、沙那を取り戻すために、ここにやって来るだろう。
沙那はもう、それを望んではいないが、あの執着の激しい宝玄仙のことだから、必ず、宝玄仙はやってくる。
そして、この沙那の首輪……。
これは、宝玄仙が沙那を追いかけるための追跡機能付きだ。
一度、小白香も沙那の首輪を外そうとしたが、小白香では、とてもじゃないが太刀打ちできなかった。
宝玄仙が首輪に刻んだ霊気が強すぎて、小白香の霊気では刻んでいる霊気を解放できなかったのだ。
霊気とは、単純な強さの争いでもある。
それを考えると、おそらく、普通の状況であれば、宝玄仙の霊気は、小白香の霊気を遥かに上回るのだろう。
つまり、宝玄仙が助かれば、沙那を戻すために、必ずここに来る。
小白香は、それを防ごうとするだろう……。
そのとき、沙那はどうすればいいのか……。
そんなことを考えていて、沙那は我に返った。
いま考えていたのは、ただの杞憂にすぎない
小白香と金凰魔王が争いになっているわけでもない。
金凰魔王が破れたわけでもないし、そのときに、宝玄仙が解放されるとわかっているわけでもない。
取りこし苦労にも程があるのではないか……。
どうして、自分は、こうなんでも深くものを考える性分なのだろう……。
「訊いているの、沙那――?」
白象が沙那の耳元で怒鳴った。
沙那ははっとした。
どうやら、沙那はしばらくのあいだ、思念に耽ってしまっていたようだ。
「すみません、白象殿……。聞いています……」
沙那は言った。
ふと白象を見たが、卓に面している椅子に腰かけている彼女は、かつかつと苛々したように両方の編み上げ靴を擦り合わせるような動きを続けている。
太腿も同様だ。
せわしなく擦り合う仕草を続けている。
この白象の仕草から、白象は気の短い癇癪持ちの魔王だと思われていたらしいが、単に、小白香に施されている足と股間の痒みが苦しくて足を動かしているだけだというのは、沙那にはもうわかる。
また、白象が短気な魔王と思われていたのは、よく些細なことで部下を怒って、処断したり、奴隷に落としたりするからというのもあるようだ。
だが、それについて、白象は癇癪持ちのふりをして、実は金凰魔王が送り寄越してくる手の者を排除していたらしい。
そのことを、沙那は、つい昨日知ることができた。
「なんで、あの娘は、お前をえげつない痒み責めの貞操帯から解放してくれたのよ? あの業の深い娘が、どうやったら、痒み責めから許してくれたのよ? わたしは、このいまいましい痒み責めに二年間にさせられているのよ。四六時中、痒みと疼きに襲われて、満足に眠ることもできない……」
「お、落ち着いて……」
「うるさい――。早く、教えるのよおお――。この貞操帯から解放されるなら、わたしはなんでもやるわ。犬になれというならなる――。豚になれというならなる。この痒みの地獄から解放してくれさえすれば――」
白象は真剣だ。
そんなことを言われても、沙那には答えようがない。
『主従の誓い』をした直後に、股間の病に苦しめられながら小白香のために働くことは難しいから、痒みから解放してと頼んだから、小白香はあっさりと足癬を癒してくれたのだ。
そう説明したら、白象は眉間に皺を寄せて考えるような表情になり、しばらくして、口を開いた。
「……『主従の誓い』がどの程度、主人側の心を改変してしまうのかというのは、実際のところ、個人差もあるからねえ……。あの娘の場合は、うまい具合に作用したのかもしれないわね。だったら、わたしも『主従の誓い』をできないものかねえ……。お前、あの娘に口添えしてくれないかい?」
「仮にも、魔王であり、白象の母である白象殿が、娘であり、わずか十二歳の道術的な心の縛りを受け入れるのですか?」
沙那は驚いて言った。
「いまさら、なにが、母親なものかい……。ましてや、前魔王だというのだって、どうでもいいのよ……。どうせ、望んでなった魔王でもないしね……」
白象は吐き捨てるように言った。
「望んでなったのではないというのはどういうことですか?」
沙那は訊ねた。
「金凰やわたしの父だった前金凰魔王の遺言よ……。もともと、三魔王領は、ひとりの金凰魔王の領域だったというのは承知しているわね、沙那?」
およそ、三魔王領に関することは、沙那は、ありとあらゆる書物や書類を読んでいる。
いまや、この宮廷内であれば、誰よりも、三魔王の歴史についても詳しいと自負している。
沙那は、知っていると答えた。
「父はその死に当たって、このわたしに魔王領にいる多くの部族長を治めるという役割をするように命じたのよ……。ふたりの息子である金凰でも、青獅子でもなくてね……。長兄である金凰魔王には、三魔王となる三人の盟主としての地位と魔王直轄領を与え、弟の青獅子には治領ではなく強大な軍を作る権利を与えた。だけど、魔王領の実質的な支配する権利である各部族長に対する支配権は、このわたしに与えたのよ……」
「えっ? そうなのですか?」
沙那は驚いた。
そうだとしたら、本来の実質的な盟主は、白象だったということだ。
金凰魔王は、名目だけの盟主ということだ。
「そうよ……。わたしは、あまり、権力とかいうものには興味がなかったのだけど、父の命は絶対だからね……。まあ、弟の青獅子はともかく、実質的な王権をわたしに奪われるかたちになった金凰は面白くはなかっただろうね――。なにせ、金凰は支配欲だけは強い男だったしね……。だから、あいつは……」
白象はなにかを言いかけたが、それは道術契約による秘密の核心をつくものだったのだろう。
白象の口は会話の途中で閉じられてしまった。
沙那は、もう、あえてそれを掘りだそうという気持ちはない。
それよりも、下手に深く追求しようとすると会話そのものがとまってしまう。
「前金凰魔王の遺言については、記録があったので承知はしています。ただ、詳しいことは知りませんでした。そういう経緯だったのですね……。でも、この三魔王の三人がそれぞれに支配するものは、随分と偏りがあるものだとは思いますし、非常に不自然なもののように感じてはいました。なるほど、その偏りは、前金凰魔王の意図だったのですね……」
「へえ……。よく勉強してるじゃないの」
「しかし、直接の支配ではないとはいえ、白象殿が本来与えられていた権限は巨大です。各部族長に対する支配権など、実質的な三魔王の頂点だといえます……。ただ、それにしては、この宮殿の支配する軍が貧弱すぎますね……」
「軍?」
「わたしは、この宮廷で独自の軍を建設するつもりです。もともと、潜在的な力はあるのですから、いまのように宮廷府としての権威を金凰軍や青獅子軍に委ねている態勢を脱すれば、おそらく、数年後には自然とここが三魔王軍の中心となると思います」
沙那がそう言うと、白象がくすくすと笑いだした。
「うふふ……。こうやって、政事のあり方について、まともに話をするなんて初めてよ……。宮廷府の廷臣にも、そういう感覚の者はいなかったからね。
「は、はあ……」
沙那は頷いたが、宰相の地位にある百眼女の評価は、白象のものと一致する。
そもそも、ここは人材に弱い。
「彼女のいいところは、これから軍を作るからその仕事をしなさいと命じれば、彼女はとてもよい仕事をするわ。でも、そもそも、国に強い軍が必要だと、野心的な思いを起こすのは無理なのよ――。それが百眼女の限界……」
「へえ……」
「まあ、わたしが気に入ったのも、彼女のそういう性質なんだけどね。この宮廷府には、百眼女に限らず、野心的な者はいないわ。金凰宮に支配されている現状を打破しなければならないという発想ができる者は皆無のはずよ……。だからこそ、まあ、これまで適当にやってこられることができたのだけどね」
「適当とは?」
沙那はなにか白象の口調に含むものがあったような気がした。
「お前の言う通りだからよ、沙那……。この白象宮が金凰軍のような独自の軍を持てば、三魔王の権威は、数年もしないうちにひっくり返ったかもしれないわね。だけど、あえて、弱いままにしていたのよ……。苦労してね……」
「えっ? どういう……」
「そうよね。この宮廷府の治める土地は豊かだわ。土地から得られるものは、三魔王の領域内で最大よ。だったら、軍を持ってそれに見合う力を示すのが当然……。誰が考えてもそうよ。あなたが正しいわ、沙那。でも、そういう考えができない者ばかりをこの宮廷の廷臣につけているの。現状を当たり前と思っている者だけをね……」
「つまり、あえて、そうしていると?」
沙那は少し意外だった。
「この三魔王の態勢は本来はいびつよ。最も力のある国であるこの白象宮が、金凰宮の奴隷にように従い、直轄領のみの独自の領域による富しかもたない金凰宮が、白象宮から得られるものを吸いあげて盟主の座にいる……。そんなのは不自然なのよ……」
「わかっていると?」
「どんなにここが富んでも、それで得たものは金凰宮に朝貢のように貢ぐ……。逆らえないように独自の軍は持たない……。それが当たり前にみんなが考えるように仕向けていたの……。このわたしがね……」
白象がにやりと笑った。
沙那は驚いてしまった。
「まさか……。白象殿が意図的にそうしていたとおっしゃるのですか? この領域を支配されていた白象殿が自ら……?」
「どうして、そんなことをしていたかと訊ねたいんでしょう、沙那……。言ったでしょう。金凰は女を支配するのよ……。女を支配することで、盟主の地位にいるのよ……。わたしもあいつに支配されているわ。つまりは、逆らえないのよ……」
白象は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「つ、つまりは、白象殿は、金凰魔王に支配され、わざとこの国が富まないように政事を行っていたということですか?」
「そういうことになるかもしれないわね。金凰魔王は、そのために……」
しかし、白象の続く言葉は出てこなかった。
白象は首を竦めた。
やはり、それは、真言の契いによる守秘事項であるに違いない。
「……実際のところ、父の意図は、長兄の金凰には、盟主のような名誉のみを与えて、このわたしを実質的な後継者にすることだったのよ……。金凰自身は、持っていた霊気に比して、自尊心だけが肥大で、部族長を支配するというような難しい役割は向かないと父は考えていたようね……」
「だ、だったら……」
「わたしは、三人の中では一番霊気が弱かった……。だからこそ、物事にはなんでも慎重に取り組み、深謀遠慮に人に対することを覚えた。そういうわたしを父は、後継者に相応しいと考えたのでしょうね……」
白象は言った。
「で、でも、だったら……。だったら、どうして、そうならなかったのですか?」
「何度も言っているでしょう。あの男は女を支配するのよ。それがあいつの能力……。女は支配を受け入れる代わりに強力な力を得る……。だけど、逆に言えば、金凰のできることは、それくらいなのよ……。そういえば、あいつは、最近は、魔域に進出して魔域の王になることを夢みているらしいわね……。あなたの女主人を捕らえたのも、その足掛かりにしようということよ……。まあ、自尊心の大きいあいつの考えそうなことだけど、わたしに言わせれば、身の程知らずよ――」
「身の程知らず……ですか?」
「あいつくらいの霊気だったら、それを超える亜人の王は、魔域にはいくらでもいる。女を支配するしかの能のない金凰が魔域を支配できるわけないわ……。まあ、あいつが、無謀な野心で魔域で野垂れ死のうが、わたしは、もう、どうでもいいけどね……」
白象が鼻で笑う仕草をした。
沙那はとりあえず、話を促すと、また語り出す。
「ああ、考えてみると、その性格って、小白香も似ているわね……。自尊心が大きくて野心的――。道術で縛りつけて人を支配したがる……。そう思うと、よくも、あなたは、小白香に気に入られることができたわねえ……」
「えっ?」
沙那はたじろいで声を出した。
またもや、鋭い視線で白象が沙那を睨んだのだ。
「最初の話に戻るけど、一体全体、お前は、どうやって小白香に取り入ったのよ――? あのひねくれ者のお気に入りになれたの? しかも、たった数日で……。ねえ、どういう物言いをしたら、あのひねくれ娘が、足癬の病から解放してくれたのよ?」
また、話が戻った。沙那は苦笑した。
「さあ……。わたしは、ただ受け入れてもらっただけですから……」
沙那はそれだけを言った。
「まあいいわ……。ところで、今日の訊問は随分とゆっくりしているわね。昨日や一昨日は、あなたも忙しそうで、わたしにかまけているのも時間が惜しそうな感じだったけど……」
白象が言った。
こうやって、沙那と白象が会話をするのは、この数日の決まった行動だ。
沙那は、なんとか、白象が口にしたくてできなかった金凰魔王の秘密を暴きたくて、連日、時間を割いて、白象への訊問を続けていたのだ。
だが、このところ、政務にもいそしむようになってきた沙那には、確かに、白象にそれほど長く関わることはできないでいたのだ。
「今日のわたしの役割は白象殿の護衛です。小白香様からわたしはそれを命じられているのです。従って、金凰魔王が離宮を去るまで、わたしはここにいます」
沙那は答えた。
金凰魔王の来訪を白象に告げていいかは迷ったが、沙那としては、秘密にする必要性を感じなかったので思い切って白象に教えることにした。
「金凰魔王の来訪――? それは、どういうこと?」
すると、白象は顔色を変えるくらいに驚愕した。
*
「金凰魔王陛下に預かった魔毒を飲ませたのよ……。だから、あなたの道術は効かないわ、小白香。複雑な術式を刻んで、ほかの誰かの『治療術』は、効かないようになっているそうよ……。雪蘭はもうすぐ死ぬわ……。それを防ぐには、金凰魔王にお願いするしかないわね。金凰魔王の『治療術』であれば、この魔毒は瞬時に解毒されるわ」
扉の向こうから喋ったのは、
「お、お前がやったのか、小愛――。どういうことじゃ――? い、いや、そんなことはどうでもよい――。とにかく、雪蘭を戻すのじゃ――」
小白香は、どんどん呼吸が静かになっていく雪蘭を抱きながら絶叫した。
いまや、小白香はありったけの霊気を注いで、雪蘭の命を繋ぎとめようとしていた。
小愛の言うとおり、雪蘭が強い毒を飲まされて、死に瀕しているというのは確かだ。
「治せといっておるであろうが、小愛――。殺されたいか――」
小白香は、扉のところに立っていた小愛を道術で縛りつけた。
直立不動の姿勢になった小愛を霊気で横倒しにして手元に引き寄せる。
「速く、雪蘭を助けよ――。助けるのじゃ――」
そして、眼の前にやってきた小愛の首をぐいぐいと道術で締めつけた。
「ひいっ――。む、無駄よ。あたしには、もうなにもできないわ……。き、金凰魔王陛下でないと――ぐ、ぐうっ……く、苦しい……」
小愛が真っ赤な顔になって苦しみ出す。
しかし、抱いている雪蘭の呼吸がだんだんと不規則になり、ほとんど息をしなくなった。
小白香はなんとか『治療術』を試みて、その雪蘭の毒を取り除こうとした。
だが、小愛の言う通り、雪蘭が飲んだ毒は余程に複雑な術式が刻まれているらしく、小白香の全力の霊気を遣っても、死に向かおうとしている雪蘭の生命を留めることができない。
床でどんという音がした。
小白香がすべての霊気を雪蘭に注ぎ出したので、天井に拘束した金凰魔王と蝦蟇婆の身体の縛りが解けて、ふたりが床に落下したのだ。
横に拘束した小愛も起きあがる気配がした。
小白香は、いずれも無視した。
「やれやれ、危ないところだったな……。まさか、余がこれほどの不覚を取るとはな」
金凰魔王の苦笑する声がした。
「まったくじゃ……。ほんに金凰魔王の血を受けておるだけはあるわ。胆が冷えたぞ」
蝦蟇婆だ。
金凰魔王と蝦蟇婆、そして、小愛が小白香と雪蘭の周りを囲むのがわかった。
「き、金凰魔王、た、頼む――。雪蘭を救ってくれ。死なせないでくれ――」
小白香は雪蘭を抱いたまま、金凰魔王に必死の顔を向けた。
「ほれっ」
金凰魔王が笑いながら雪蘭の身体に霊気を注ぎ込むのがわかった。
ほとんど止まっていた雪蘭の呼吸が少しだけ回復した。
しかし、相変わらず、雪蘭の意識はないし身体は冷たい。
「とりあえず、死の淵に留めておく分だけの回復はさせた。だが放っておけば、この童女が死ぬことには変わりない……。その童女は雪蘭だったな。お前がその童女に執着しているのは、小愛からの報告でよく知っておった。余が解毒を施さねば死ぬぞ」
金凰魔王が小白香を見下ろしながら言った。
「な、ならば、助けてくれ――。な、なんでもする。なんでもするから――。このとおりじゃ――。降参する。わらわは、金凰魔王に従う――。だから、雪蘭を奪わないでくれ」
小白香が雪蘭を抱いたまま、頭をさげた。
「まだ、頭が高いな……。余に物を頼むのに、お前の頭が余の足よりも上にあるのはおかしなことだ」
金凰魔王が言った。
小白香はなにを言われたのかわからなかった。
「土下座をしろとおっしゃているのですよ、小白香」
小愛が言った。
「……お、お前、裏切ったのじゃな……。なぜじゃ――。なぜ、こんなことをしたのじゃ――?」
小白香が蝦蟇婆と金凰魔王の後ろに隠れている感じの小愛に怒鳴った。
「あらっ、あたしは、誰も裏切ったりはしていませんよ。もともと、この宮廷に潜入を命じられた金凰魔王様の部下ですから」
小愛がくすくすと笑った。
小白香は愕然とした。
まさか、小愛が金凰魔王の息のかかった者ということは夢にも思わなかった。
そうとわかっていれば、雪蘭付きの性奴隷などにはしない。
「て、手の者ということか……。は、母者は――母者は、それを知っておったのか?」
「さあ? もしかしたら、白象様も薄々感づいておられたかもしれません。なにせ、女官として宮廷府にやってきたわたしを宮廷府には入れずに、いきなり性奴隷にして、離宮に監禁したのですから……。白象様は、なかなかにわたしたちのような生業の者にとっては、手ごわい相手でした……。それに比べれば、小白香様は、まずは人を疑うということを覚えねばなりませんね」
「そ、そなただけは許さぬぞ――。覚えておれよ――」
小白香は小愛を睨んだ。
この場で道術で縊り殺そうという発作が起きたが、辛うじてそれは自重した。
「わたしなどのことよりも、金凰魔王様にお願いすべきなのではないですか、小白香様――。雪蘭が死んでしまいますよ。わたしだって、こんな可愛い女の子を死なせたくはないのです。どうか、土下座をして魔王様に命乞いをしてください」
小愛が言った。
小白香は歯噛みした。
だが、小白香は決心した。雪蘭をそっと横たえた。
そして、金凰魔王の足元に深々と頭を下げて、床に額を擦りつけた。
「こ、この通りじゃ……。雪蘭を助けてくれ。お願いじゃ――」
小白香は額を床につけたまま言った。
「この童女が、お前の弱点だというのは本当のようだな……。よい仕事をしたぞ、小愛。事が終われば、余とともに、金凰宮に帰還せよ。しかるべき褒賞と地位を準備しよう」
「ありがとうございます、陛下」
小愛の嬉しそうな声が聞こえた。
そして、どんと小白香の頭に金凰魔王の足が乗った。
顔面が床に押しつけられる。
「さっきは、小娘だと思って油断したのがいかんかったな。さて、小白香……、余に逆らった罪は重いぞ。まずは、身体の霊気を全解放せよ。なにもかも身体の外に出すのだ……。そのうえで、さっきの『道術封じの首輪』を付け直してやろう」
「くっ」
小白香は呻いた。金凰魔王が力の限り小白香の顔を踏んでくるのだ。
一方で、金凰魔王の指示に従えば、今度こそ、霊気で抵抗する手段は失われると思った。
さっきは、霊気が残る状態で『道術封じの首輪』を付けられたので反撃できたのだ。
しかし、霊気を放出した状態で『道術封じの首輪』を装着されたら、霊気が溜まる望みはなく、一切の反撃の手段はなくなると思う。
しかし、小白香に選択肢はない。
小白香は霊気をすべて放出した。
「やれやれ、折角の霊具が真っ二つじゃ。大した娘よのう」
蝦蟇婆の声がした。
小白香は顔を踏まれているので、よくわからないが、どうやら、さっき、小白香が道術で壊した『道術封じの首輪』の破片を拾って、金凰魔王に渡したようだ。
「今度は、もっと複雑で強力な霊気を注ぎ込んでやろう……。絶対に、解除できんようにな」
金凰魔王が言った。
やや時間があり、金凰魔王の足が頭からやっと除けられた。
その直後、上から首に首輪を嵌められたのがわかった。
「わ、わらわは、その首輪を受け入れたのだ……。もう、雪蘭を助けてくれ――。お願いじゃ。もう、雪蘭は関係ないじゃろう」
小白香は顔をあげて言った。
ふと横を見る。
雪蘭はまだ虫の息だ。
また、死にかけている気がする。
「ならば、裸になれ。それがさっきの命令だったろう。この場で服を脱げ、小白香」
金凰魔王が言った。
「なっ」
小白香は絶句した。