「おはようございます……」
隣の物置部屋に寝かせていた
「やり直しだよ、鳴智。それが、奴隷の挨拶かい。ここでは、お前は奴隷扱いだと言っただろう。奴隷の挨拶は土下座だよ。もう一度やりな」
お宝の言葉で、頭をさげたままだった鳴智が、口惜しそうに、両方の拳を握りしめるのがわかった。
小気味いい……。
お宝は、鳴智が怒りで身体が震えるのを見て、心の底から愉快な気分になった。
しかし、どんなに怒ろうとも、絶対に鳴智はお宝には逆らえないのだ。
お宝は嬉しさの余り、思わず笑いたくなるのを懸命に堪えた。
ここは、金凰宮に近い妓楼であり、お宝はその妓楼の一室にいた。
別に娼婦や男娼を買うわけではない。ましてや、売るためでもない。
宿として使うためだ。
金凰宮に連れていかれた宝玄仙を追って、金凰宮の王都の郊外までやってきたが、亜人の街では、人間族はどうしても目立つ。
もちろん、ちょっとした道術で、お宝は自分に亜人族の霊気を帯びさせることもできるが、連れている鳴智は完全な人間族なので、霊気を帯びさせることはできない。
亜人の中には、角が目立たず、人間族と見た目が同じものが多いので、外見で目立つことはないが、亜人にはその帯びている霊気で相手を識別する者が多い。
だから、お宝のように霊気を帯びていれば、人間族でも亜人の社会の中に溶け込めるのだが、鳴智のようにまったく霊気を持たない存在は、外見に関わらずに目立つ。
それで選んだのが妓楼だ。
ここなら、さらわれた人間族の奴隷が幾人もいるので、たまたま、鳴智を見ても、そういう奴隷たちのひとりだと思うだろう。
それに、こういう造りの建物は、ひと部屋ひと部屋がきちんと隔離されていて、食事や用足しでも、他人と遭わずに済ませられるようになっている。
また、部屋自体にも特殊な道術がかかっていて、外に部屋の中の声が洩れることはない。
隠れて潜むには、普通の宿屋よりも、うってつけだ。
金凰宮の郊外にあるこの妓楼に、お宝たちを案内したのは鳴智だ
ここの主人には、御影の息がかかっていて、鳴智は、以前、御影とともここに来たことがあるようだ。
ここの妓楼の主人は、お宝たち三人の女連れがやってくると、すでに事情を承知していて、すぐにお宝たちをこの妓楼の最奥の一室に隠してくれた。
それから一日が経っている。
お宝は、ここにいるあいだは、奴隷として振る舞えと鳴智に言い渡している。
人間族の鳴智の存在を見咎められても、不自然に思われないためだ。
もちろん、それは口実であり、ただ、奴隷扱いすることで、このくそ生意気な女を苛めているだけだ。
お宝が遊んでいるだけなのは、この鳴智もわかっている。
だから、理不尽な扱いに、こんなに顔を歪めて口惜しがっているのだ。
「奴隷らしく土下座で朝の挨拶をしな、鳴智――。それに、声が小さいよ。ちっとも、聞こえなかったね」
お宝は、部屋にある卓に載せられている朝食を口にしながら言った。
「……こ、ここには、わたしたちだけなんですから、奴隷の真似はいいじゃないですか……。ちゃんと、外に出れば奴隷の振る舞いをしますよ、お宝様……」
鳴智が言った。
「はあっ? なにか言ったかい、鳴智? どこで、誰に見られるかわからないじゃないかい。お前とわたしが対等の立場と思われたら、わたしらがどういう存在なのかと怪しまれるだろうが……」
「しかし……」
「なにがしかしだい――。常に、奴隷らしくしていれば、ここでは、万が一でにも間違いないんだ。さっさと挨拶しな――。それとも、もう一度、うちの人の言葉を聞くかい? わたしとお前の立場は、もう同じ御影様の部下という関係じゃあないんだよ」
お宝は言った。
すると、部屋の真ん中に立っていた鳴智の顔が屈辱に歪んだ。
この女の苦しみは、お宝の喜びだ。
お宝の心に愉悦が拡がる。
鳴智が床に両膝をついた。
「お、おはようございます、お宝様……」
鳴智が床に膝をついて土下座をした。
部屋にいるのは、お宝と鳴智のふたりだけだ。
魔凛は、ちょっとした変装で金凰宮の王都に簡単に入り込めるので、夜のあいだずっと、宝玄仙がどういう状況にあるかということについて調べに行かせた。
お宝たちが帯びている御影の命令は、宝玄仙を金凰魔王から助け出し、旅を続けるように仕向けることだ。
金凰宮に囚われているはずの宝玄仙を助けるには、とにかく情報が必要だ。
宝玄仙を助けたいという気持ちは、お宝には微塵もないが、御影は、宝玄仙という存在を使って、
御影は、かつて、ひとつの予言を受けたことがあり、それは、宝玄仙という人間族の道術遣いが魔域に入ることで魔域に大乱が起きて、御影こそが新たな覇者になるという予言らしい。
御影はそれを信じているし、実際、宝玄仙という道術遣いは、霊気の強い雷音魔王をも凌ぐ霊気があるらしい。
それは、お宝という存在があることからでもわかる。
お宝は、その宝玄仙から切断された手首から『治療術』で残りの身体を復活させることによって、産まれた存在だ。
だが、そんなことがあり得るのは、その手首が途方もない霊気を帯びていたからにほかならない。
もっとも、お宝はそういう存在なので、本来は宝玄仙と同等であるはずの道術が、宝玄仙のようには道術が遣えない。
お宝ができるのは、目の前の鳴智をいたぶることくらいなのだ。
お宝の道術が宝玄仙並みであれば、御影の野望は、こんな面倒な手順を踏まなくても済むのだと思うと、お宝は、自分の道術が制限された状態であることが口惜しくて仕方がない。
いずれにしても、お宝の主人である御影は、宝玄仙という存在が魔域にやって来るのを待っているのだ。
それも強引に連れて来られるのではなく、自分たちの意思で自発的に、魔域に来させなければならない。
幸いにして、いまのところ、宝玄仙たちの旅の目的地は、その魔域の一部である金角の勢力地だから、放っておけば魔域にやって来るのだが、今回のことで思わぬ足踏みをしてしまった。
その宝玄仙は、間抜けなことに、金凰魔王に捕まって、家畜のように魔王宮の奥で飼われているらしい。
あの宝玄仙に比べれば、金凰魔王など霊気では、足元にも及ばない小者であるはずなのだが、腹立たしいことに、あの一行はしばしば、こんな風にくだらない罠にかかって旅をもたつかせる。
今回もそうだ。
ともあれ、なんとか宝玄仙を救出しなければならない。
その方策はこれから考えるのだが、やるべきことは決まっている。
捕らえられている宝玄仙の道術を復活させるのだ。
金凰魔王という小者に宝玄仙という大きな力を持つ道術遣いが囚われの身になっているのは、宝玄仙の道術が封印されているからだ。
だから、その封印さえ解除してやれば、宝玄仙は、おそらく自力で金凰宮を脱出してくる。
本来、宝玄仙の霊気さえ健在であれば、金凰宮を潰すくらいの力があるのだ。
金凰魔王は、小者であるが故に、自分たちがいたぶっている宝玄仙がそんな力を持っているということは、わからないだろうが……。
「どこで、挨拶しているんだい、鳴智――。挨拶はわたしの足元でしな。そんなことも、いちいち、指示をしてやらなければわからないのかい、愚図が」
お宝は、頭をさげたままだった鳴智に、そう吐き捨てた。
鳴智は顔をあげて、火のように怒った視線をお宝に向けると、歯噛みしながら立ちあがって、こっちにやってきた。
改めて、食事をしているお宝の椅子の横の床に、両膝をつけた。
「お、おはようございます、お宝様……」
鳴智が頭をぐっと下げる。
「頭が高いんだよ」
お宝は、椅子の向きを鳴智に向けると、足先を伸ばして、鳴智の頭を思い切り踏みつけた。
「うっ」
鳴智が少しだけ浮いていた頭を床に踏みつけられて声をあげた。
「い、痛いっ――。い、いい加減にしておくれよ、お宝――。も、もういいだろう。なんのために、こんなことをやっているんだい――? わ、わたしも情報集めに行くよ。情報集めなら、わたしの方が得手なんだよ。こんな妓楼に閉じこもっていても、なにも事態は動きはしないよ。いい加減にしな」
頭を踏みつけられている鳴智が、癇癪を起したように声をあげた。
「やかましいよ――。こんな亜人だらけの城郭で、人間族のお前が、のこのことうろついていたら怪しまれるに決まっているだろうが――。情報集めは魔凛がやる――」
「情報集めというのは、少しでも多い方が……」
「うるさい――。あいつの『支配術』は急に衰えたけど、まだ、相手に隠し事を喋らせるくらいのことは、『操り術』で十分にできる。とりあえず、あいつが、なにか役に立つ情報を掴んでくるさ。それまでは、わたしたちは、ここで待つだけだ――。そのあいだに、お前には、奴隷の振る舞いの練習をさせてやるよ。ありがたいと思いな」
お宝は鳴智の頭を踏みつけながら言った。
城郭全部の住民を一度に支配したような物凄い『支配術』の遣い手だった魔凜だが、なぜか、この数日で急に、その能力が衰えてしまったのだ。
それには、魔凜自身も首を傾げている。
魔凜に言わせれば、元々は『縛心術』程度の遣い手であった能力が急に開眼して、途方もない『支配術』が遣えるようになったのは、魔凜が金凰軍にいた時代であり、金凰魔王の愛人となったときだったらしい。
しかし、いま、急にその能力が低下して、また、元の『縛心術』程度の能力しか発揮できなくなった。
それでも、聞き込みなどでは有効だが、あの術が健在なら、金凰宮から宝玄仙を脱走させるのは、もっと簡単だったかもしれないのに残念だ。
この足の下の鳴智は、魔凜の能力の低下は、金凰魔王の愛人でなくなったことに関係があるのではないのかと言っている。
もしかしたら、そうかもしれないが、いまのところ、それを確認する術はない。
とにかく、お宝は、この鳴智が嫌いだ。
鳴智を踏む足に力を入れながら思った。
理由などない。
生理的に受け付けないのだ。
それなのに、御影は、結構、この道術も遣えない人間族の女を買っていて、自分の裏工作に、よくこの鳴智を使う。
まあ、鳴智の首には『服従の首輪』があって、絶対に逆らえないというのも、御影が鳴智を使い易い理由のひとつだろう。
「ほらっ、頭が高いを言っているだろう、鳴智――。頭を下げるんだよ」
お宝は、ぐいぐいと鳴智の頭を踏んでいる足にさらに力を入れた。
この女をいたぶると、心がすっとする。
大きな快感が身体中に漲る気がする。
お宝は、鳴智の頭の上に足を置いたまま、椅子から立ちあがった。
「あっ、くっ、くうっ……」
一瞬、お宝の全体重を受けるかたちになった鳴智が、その苦痛に呻き声をあげた。
「聞いてるのかい。態度を改めろって、言っているんだよ、鳴智――。これは、“命令”なんだよ、め、い、れ、い――。わたしが満足したと言うまで、朝の挨拶を続けな――。何度でもやり直すんだ。これは命令だ。わかったね――。わかったら、返事をしな、鳴智――。命令だよ」
お宝は言った。
鳴智からの返事は少し時間がかかった。
だが、やがて、お宝の足の下の鳴智が口を開いた。
「……わ、わかりました、お宝様……」
「立ちな、鳴智――。もう一度、御影様からの『言霊』を聞かせてやるよ」
お宝は足をおろした。
両手で身体を抱くようにして、鳴智は上気した顔を強張らせて立ちあがった。
髪を直す仕草に、余裕のようなものを感じて、お宝は腹が立った。お宝は、鳴智の頬を思い切りびんたをした。
「ひぐうっ――。な、なにすんだよ、お宝――。いや、お宝様……」
お宝に張り飛ばされて姿勢を崩した鳴智が、お宝に怒鳴った。
「顔だよ。顔が生意気なんだよ。ほら、直立不動だ。これは命令だよ」
お宝は言った。
鳴智の顔が口惜しそうな表情になった。
しかし、身体だけは、お宝の“命令”に従って、両手を体側につけて、ぴたりと脚を閉じた体勢になる。
鳴智は、お宝の“命令”という言葉に逆らえなくなったのだ。
この関係は、昨日からだ。
それまでは、御影に“命令”されて、鳴智はお宝に従えという指示を受けていたが、それは包括的な指示であり、お宝の言葉ひとつひとつに従えというものではなかった。
だから、鳴智は、なにかというと反抗的な態度をとり、お宝を苛つかせた。
鳴智の身体に『道術陣』を刻んで、身体の感覚を支配して屈服させようともしたが、どうしても、鳴智の反抗的な態度はなくなることはなかった。
あまりに腹が立ったので、魔域に存在する雷音院で待っている御影に、通信を送ったところ、昨夜、その御影から『言霊』が送られてきたのだ。
『言霊』というのは、単なる言葉を記録した球体を送っていくる道術ではなく、言葉そのものに、本人の霊気が刻まれたものを送り寄越す道術だ。
鳴智の首にある『服従の首輪』は、本来は、支配者として首輪に刻まれている御影の直接の言葉でなければ、鳴智を“命令”に従わせることはできない。
しかし、『言霊』であれば、御影が面と向かって、鳴智に命令したのと同じことになるのだ。
お宝は、昨日到着した『言霊』をもう一度再生した。
「ほら、うちの人の言葉をもう一度、聞きな、鳴智――。そして、自分の立場をしっかりとわきまえるんだよ」
お宝は言った。
お宝の道術で、御影の『言霊』が、部屋に御影の言葉を発生しはじめる。
――『鳴智、お宝からの報告よれば、随分とお宝に逆らって困らせているそうじゃないの? 命令よ。これからは、お宝の言葉をあたしの言葉だと思って、一字一句、そのまま受けとめるのよ。“命令”と言われたら、しっかりと、それに服従しなさい――。わかったわね。それから、お前の娘……。しっかしりとあたしが預かっているわ……。もう、三歳になるのかしらね。あんたに似て美人になりそうよ……。立派な亜人どもの性奴隷に育ててあげるから心配しないで……。いずれにしても、会いたいでしょうね……。しっかりと仕事をしたら、例の“命令”を取り消すことを考えてあげるわ、じゃあね……』
言霊が消えた。
鳴智が泣きそうな顔になった。
鳴智には娘がいる。
かつて、宝玄仙の屋敷の執事だった
しかし、その闘勝仙に、宝玄仙が復讐を果たしたとき、その宝玄仙の復讐の手が、自分たちに及ぶのを怖れた鳴智と桃源の夫婦は、東方帝国から逃亡した。
そして、鳴智は、その逃避行の途中で赤ん坊を産んだ。
だが、逃亡生活は、かなり悲惨だったらしい。
準備した路銀などすぐになくなり、それでも三人になった鳴智たちは、宝玄仙の復讐の及ばない安住の地を求めて、西に向かい続けたようだ。
旅の路銀を支えたのは、鳴智だったらしい。
鳴智は生活力のない夫に代わって、盗みや強盗、時には娼婦のようなことまでして、三人の生活費を工面し続けたのだそうだ。
やがて、その鳴智一家は、御影と出遭い、その御影の保護を受けることになった。
御影は、最初は鳴智たちを優しく扱い、言葉巧みにこの一家を魔域に連れて来た。
そして、彼女たちの価値観では“妖魔”、この周域では“亜人”と称される存在しかいない場所に、三人を暮らさせることで、御影の庇護がなければ、生きていけない状態にしたのだ。
当時、御影は、雷音院において、二度目の死から復活したばかりの頃だったようだ。
鳴智たちと出逢う直前に、御影は、偶然に自分と宝玄仙に関する予言に接し、それがきっかけで、宝玄仙を活用して、魔域で大きな勢力を誇っている雷音魔王に取って代わる野望を抱いたらしい。
それで、たまたま、宝玄仙の知り合いである鳴智や桃源を見つけ、このふたりが、なにかの道具として、いずれ使えないかと考えたのだ。
やがて、御影は、魔域に連れて来られてから怯えるだけの桃源よりも、とてつもなく生き抜く力の強い鳴智が、道具として非常に有能だと思うようになったようだ。
御影は、すぐに鳴智を自分の手下にし、さまざまな工作をやらせるようになった。
それに対して鳴智は、的確な仕事で期待に応えたらしい。
そして、転機がやってきた。
智淵城から宝玄仙から切断された手首が雷音院に送って来られて、その手首からお宝が産まれたのだ。
お宝を誕生させたのは、御影だ。
『治療術』で、手首だけから、残る身体全体を復活させるというやり方で、御影がお宝を作ったのだ。
それを手伝った鳴智によれば、御影自身の霊気では到底不足したので、それを補充するための魔法石が大量に使用されたらしい。
魔法石は、魔域でも貴重な品物だ。
それをかき集めたのも、鳴智の仕事だったようだ。
やがて、お宝は自我を持つほどに育ち、道術も遣えるようになった。
もっとも、お宝の道術は制限されたものだった。
お宝のもとになった智淵城から送られた宝玄仙の手首には、道術を封じる印が刻まれていて、それをもとに作られたお宝は、どうしても、その影響を完全には消滅させることができなかったのだ。
だから、いまでも、お宝は攻撃道術は遣えない。
だが、そんな未完成のお宝を御影は、自分の妻として迎えてくれた。
お宝は御影に感謝している。
その御影のために、お宝は、『服従の首輪』という霊具を作った。
それは、宝玄仙にしか作ることのできない禁忌の霊具なのだが、幸いにして、お宝にはその作成方法の知識と能力が備わっていた。
御影は、その貴重な霊具を宝物として雷音魔王に提供し、御影は雷音軍における重要な地位に就くことができた。
そのお宝が最初に製作した『服従の首輪』の実験台になったのは、鳴智だった。
当然、鳴智は拒否した。
しかし、逆らえば、家族を殺すと、御影に脅された鳴智は、仕方なく『服従の首輪』の支配を受け入れた。
『服従の首輪』の支配は、支配される者が、支配を受け入れるという言葉を発することで、支配関係が成立する。
そうやって、鳴智は御影の完全な奴隷になった。
御影が『服従の首輪』に与えた最初の命令は、“桃源を殺せ”という命令だった。
御影は、家族を殺せという命令にまで従わせる力が首輪にあるのかを確かめたかったのだ。
その結果、鳴智は号泣しながら、御影の霊具で金縛りにされた桃源を首を絞めて殺した。
その鳴智による夫殺しは、三人が御影から与えられていた小さな家で行われた。
お宝もその場に立ち会ったが、それは、確かに、凄惨で残酷な場面だったかもしれない。
まあ、それによって、鳴智に対する悪感情が消えたわけではないが……。
鳴智に対するお宝の感情は、宝玄仙から複製された自分に最初から刻まれていたものであり、お宝にとっては、本能のようなもので理由のないものなのだ。
御影をいつか殺してやると罵る鳴智に、次に御影が与えたのは、次に娘の姿を見たら躊躇わずに、娘を殺せという命令だ。
そして、御影は、堂々と別室に寝ていた鳴智の娘を奪って人質にとった。
娘の前に行けば、自分の手で殺すことになる鳴智には、それを防ぐ手段もなかったのだ。
それからずっと、御影は、自分に逆らえば、娘を鳴智の前に連れて来るぞと脅し続けている……。
あの桃源殺しの一件以来、鳴智は自分の娘を遠くから垣間見ることさえできないでいるはずだ。
「……わかったのかい、鳴智? いつまでも、わたしの気に入らない態度を続けると、この場で、“娘に遭って来い”と命令をするよ。どうせ、娘をお前が殺したところで、お前が命令に逆らえないのは同じなんだしね。ちょっといって、首を絞めてきたらどうだい? 雷音院にいるらしいよ。御影様が管理している奴隷部屋にね――」
お宝は笑った。
すると鳴智の両眼から、ぼろぼろと激しく涙がこぼれ出した。
いつも感情を殺したような態度の女が、家族の話をすると、烈しい感情が噴き出す。
それはいつ見ても、お宝の溜飲をさげる。
「こ、この人でなし……。人非人――。ああっ……。わ、わたしから娘を取りあげて……。か、返してよ――。娘に遭わせて――。お、お願い。それを叶えてくれたらなんでもするわ――」
そして、鳴智が直立不動の姿勢のまま、わっと泣き出した。
「だから、会って来いと言っているでしょう……。なんだったら、いまここから『移動術』で飛ばしてあげるわよ。ほんの一瞬よ――。まあ、そのときは、あんたの娘の最期でもあると思うけどね……」
「あああああ――」
鳴智が号泣を始めた。
「わたしも時々、あの娘の顔を見るけど、あんたにとても会いたがっているわよ。どうして、お母さんは、自分に会いに来てくれないのかと、しょっちゅう言っているわ……。わたしは、お前が可愛くないからじゃないかと答えてやるけどね」
お宝は笑い飛ばした。
鳴智の号泣がさらに激しくなった。
「さあ、自分の立場がわかったね。じゃあ、なにをするかわかっているんだろう? 朝の挨拶だよ。今日から奴隷として扱ってやる。御影様に仕え始めるのが早かったからと言って、二度と先輩面はさせないよ――。ほら、奴隷の挨拶は土下座だよ。さっきも言っただろう。わたしが満足するまで、挨拶を続けな。もう、姿勢を崩していい。命令だ」
お宝は言った。
鳴智はきっとお宝を睨むと、手で顔の涙を拭きだした。
鳴智が手を顔から手を離したとき、鳴智の顔はいつもの無表情なものになった。
本当に生意気な女だ……。
その気の強さに、さらに腹が立つ――。
鳴智がその場に土下座をした。
「お、おはようございます、お宝様……」
鳴智が跪き、その頭はしっかりと床につけられた。
「奴隷の分際で、服を着たまま、朝の挨拶をするんじゃないよ……。奴隷の挨拶は全裸で土下座だよ」
お宝は足元にうずくまる鳴智に冷たく言った。
「なっ?」
鳴智が顔をあげて、呆気にとられた表情をこっちに向けた。
その鳴智に、お宝は準備していた縄束を放った。
「それだけじゃないよ。今日からは、お前の寝巻は、この縄だけだ。自分の手で股縄をしな――。股縄のやり方も、かつて宝玄仙をいたぶっていたお前なら、お手のものだろう? 素っ裸になったら、自分の手で、その縄を股ぐらに施すんだ――」
「な、なんだってええ」
「手を抜くんじゃないよ。命令だからね。しっかりと縄瘤を作って、お前の感じる場所に当たるように自縛するんだよ。そしたら、股縄を締めたお前が朝に目覚めたという状況で始めるからね――。これからやることを理解したら、すぐに服を脱いで、股縄をしな」
「くっ」
鳴智の顔が信じられないというように歪んだ。
しかし、命令に逆らえない鳴智の身体は、すっと立ちあがり、すぐにその場で服を脱ぎ始めた。