582 救出作戦発動
目を覚ましたとき、辺りは、真っ暗だった。
部屋の暗闇の中で誰かが動いている。
だが、ここは金凰軍の女将校用の寄宿舎だ。
緒里はひとり部屋だし、部屋には鍵がかかっていたはずだ。
誰かほかの者がいるはずはない……。
しかし、確かに誰かがいる。
「起きたようよ、鳴智……。『操り術』で眠らせるわ……」
闇の中で声がした。寝台の足元の方だった。
気配はふたりだ。
足元にひとり……。
顔の横にもうひとり……。
「必要ないわ……。面倒だから……」
枕元の女がそう言って、緒里の首に紐のようなものを巻きつけた。
声を出す暇もなかった。
この手の「作業」に熟練した手練れを首筋に感じた。
その紐は容赦なく、緒里の首を絞めあげていく。
道術を……。
そう思ったが、女が首を締めている紐そのものが、いわゆる道術を封じるなんらかの効果があるようだ。
霊気が発散して発動しない。
「ぐあっ」
考えるあいだも、女はどんどんその紐で緒里の首を絞める。
「こ、殺すの、
足元にいるのも女だ。その女が当惑したような声を発した。
「さっきから、お喋りがすぎるわよ」
紐で首を締めている女が叱るような声を発した。
緒里は寝台の上でもがいた。
紐を締めている女の手を掻き毟り、手を外させようとした。
しかし、その女が馬乗りに緒里の身体に乗って、両脚で緒里の腕を封じる。
女はその態勢で姿勢を固めると、後は注意深く、緒里の顔を観察するように紐で首を圧迫していく。
もう、抵抗する筋力が湧いてこない。
圧迫された首の血と息が緒里の全身を痺れさせている。
女はなにかを測るように、徐々に緒里の首を圧迫している。
その効果的な技によって、緒里の呼吸はだんだんと細いものになっていった。
闇に慣れてきて、薄っすらと女の顔が見えてきた。
しかし、顔を眼もとだけ開けた布で覆っている。
いずれにしても、知らない女の気がする。
その女が無表情で緒里の首を絞め続ける。
どうして……?
緒里の頭を過ぎったのは、どうしてこの女は緒里を殺そうとしているのかということだ。
それに、ここにどうやって侵入したのか……?
部屋には鍵がかかっているし、この寄宿舎そのものが軍営の一画にあり、不審者が近づくことでさえ容易ではないはずだ。
この女は余程、こういうことに手馴れているらしい。
助けを呼ぶための声は、どうしても喉から搾り出せない。
やがて、緒里の意識は、再び闇の中に沈み込んでいった。
「ひとつだけ言っておくわ……。こういう仕事のときは、絶対に仲間の名を呼ばないのよ。さもなければ、事が終わったあとで、殺さないといけなくなるじゃないの」
首を絞め続けている女が足元の女にそう言ったのが聞こえた。
殺す……?
なぜ、殺されるのだ……?
どうして……?
もちろん答えはなく、緒里の意識を完全な闇が包んだ。
*
意識が戻った……。
最初に感じたのは、目隠しをされているということだ。
そして、手足を完全に拘束されている。
どうやら寝台の側面に縄で縛られているようだ。
両手は横に大きく拡げた体勢で寝台から離れないように、すべての関節を拘束されている。
両脚も膝を曲げてそれぞれ真横にみっともなく拡げた格好で、足首と膝と腿を寝台に縛られていた。
股間は床のすれすれに宙に浮いている。
つまりは、緒里は大きく手を拡げて、両脚を
自分が生きているということが不思議だったが、とにかく、緒里はまだ息をしている。緒里はそれが意外だった。
あのとき、完全に緒里は、自分の死を確信した。
だが、あの女の目的は、緒里を殺すことではなかったようだ。ぎりぎりのところまで、死の淵からこっち側に戻された。
そんな気持ちだ。
また、さっきの道術封じの紐が首に巻かれているのもわかった。
道術が封じられている。
緒里の心に恐怖が走る。
誰かが緒里の前で動く気配がした。
「んんん――」
叫ぼうとしたことで、緒里はやっと、自分の口に布が押し込められていることを悟った。
それと同時に気がついたが、肌になにかを身に着けているという感じがしない。
股間でさえも、直接に風が当たる感じがする。
全裸……?
いま、自分は服を脱がされている……?
「ねえ、『操り術』を遣わなくていいの?」
女の声がした。
なんとなく、その声に聞き覚えがあるような気がしたが、緒里には思い出せなかった。
いずれにしても、聞いたことがある気がするだけで、親しい者ではないと思う。
「いいのよ……。『操り術』を遣うとなると、緒里の目隠しを外さないといけないでしょう? それは避けたいのよ……。わたしは、できればこの女を殺さずに済ませたいし、それが可能ならそうしたいのよ。別にこの女に恨みがあるわけじゃないしね……。それから、あんたは口をきかない方がいいようよ」
「えっ?」
「だって、どうやら、あんたの声になにか感じたのかもしれないわ……。あんたの正体がばれるかも」
「いまさら、正体がわかっても、どうということはないわ……」
「そうかもしれないけど、不要な情報は残さない方がいいわ。それが、玄人の仕事というものよ」
この女は、確か鳴智と呼びかけられていたような……。
緒里の記憶を総動員しても、鳴智という名に記憶はない。
どっちにしても、このふたりの中で主導権を握っているのは、鳴智のようだ。
「さあ、緒里、これからわたしは、お前に質問をするわ。質問には正直に答えなさい……。わたしはあなたの顔を見るだけで嘘をついているかどうかを見抜けるし、いちいち、嘘をつかれるたびに、拷問して罰を与えるような面倒はしたくないの……。わかった?」
鳴智の言葉に、緒里はとにかく首を縦に振った。
この女たちが何者なのかさっぱりわからない。
しかし、もうひとりの女はともかく、鳴智は完全なこの道の玄人だ。
それだけはわかる。
だから、この女は必要と判断すれば、緒里を容赦なく殺すだろう……。
その鳴智ができれば殺したくないと言ったのだ。
つまりは、この女に従っていれば、死なない可能性が高いということだ。
それに、この女は自分の名を知っている。
おそらく、完全に調べあげてきてから、ここに侵入してきたのだと思う。
この女たちがどうやって、軍営の寄宿舎に入り込んだのかわからないが、それだけのことを簡単にできる女たちであれば、かなりのことを調べあげていそうだ。
不用意に嘘でもつけば、すぐにばれるという気がする。
「じゃあ、喋れるように、猿ぐつわを外すわよ。ただし、大声を出さないと約束しなさい。そうでなければ、痛めつけなければならなくなるから……。まあ、もっとも、一応は内部の声を部屋の外には洩らさない霊具を使っているけどね」
鳴智が言った。
緒里はまた首を縦に振った。
すると、口を縛っていた布が外されて、口の中の布が引っ張り出された。
「あ、あんたたちは、何者……?」
緒里は喘ぎながら言った。
「あごつっ」
次の瞬間、横腹近くを突然に鈍器のようなもので殴られた。 力はそれほどでもないのに、強烈な激痛を感じた。それなのに、息が止まって悲鳴を出すことができなかった。身体の中の臓器が暴れ狂っている。だが、息ができない。
そして、怖ろしい痛みだ……。
緒里の呼吸が戻ったのは、その痛みがやっとひと段落してからだ。
「はあ、はあ、はあ……」
緒里は懸命に息を吸った。
「もうひとつ注意事項を言っておくわ。そんなのは、言うまでもないことだと思ったけど、質問はするのはわたしであり、お前が質問するのは一切許さないわ。わかったわね。わかったら、返事しなさい……」
「わ、わかった……」
緒里は言った。
「結構よ……。例のものを……」
鳴智がもうひとりの女になにかを指示した。
すると、しばらくして、なにかの容器が緒里の口につけられた。
「な、なに……?」
緒里の口になにかの容器をつけているのは、もうひとりの女だ。
鳴智は、最初から身動きもせずに、緒里の正面に座っている気配だ。
「その容器の中の液体を一滴残らず、飲みなさい――。嫌がると、さっきの一発をまたお見舞いするわよ。わたしも、いろいろな経験しているからね。人間であれ、亜人であれ、痛みを味わわせる技は持っているのよ。もっと手っ取り早く、指でも、乳首でも刃物で切断してやってもいいんだけど、血の始末というのは、結構面倒なのよね……」
鳴智は感情のない声で言った。
その抑揚のない物言いが、得体の知れない鳴智という女に対する恐怖心を拡大した。
「こ、殺さないで……。お願い……。なんでもするから……」
緒里は言った。
毒だ……。
毒を飲ませようとしている。
「毒じゃないわ。ただの利尿剤よ……。訊問をしながら、お前におしっこをしてもらおうと思ってね……。でもいいわ。飲みたくないなら、それでいい。その代わり、いますぐに、ここでおしっこをしなさい。そうすれば、その“毒”は飲まさないであげるわ」
鳴智が笑った。
「おしっこ? そんなの、なにするの?」
緒里は思わず言った。
次の瞬間、また鈍器が脇腹に喰い込んだ。
「がっ――あっ――」
また、息ができない……。
鈍くて大きな痛みが全身に拡がる。
やがて、激痛は収まって息が戻ったが、今度は完全には痛みが治まらなかった。いつまでも鈍い痛みが続いている。
「質問はなしだと教えたでしょう。どうやら、どこかの臓器が毀れたかもしれないわね。もしも、わたしが、最終的にお前を殺さなければ、誰かに『治療術』で治してもらいなさい。それまでは、ずっと、その鈍い痛みが続くわよ……。ところで、どっちにするの? 薬を飲むの? それとも、自分でいまするの?」
「す、する……。だ、だから、殺さないで……」
緒里は泣き声をあげた。
本当に殺される……。
そう思った。
緒里は股間の力を緩めていった。
「し、します……」
緒里は言った。
「待って――。容器――。容器で採るのよ」
鳴智がもうひとりの女に指示した。
すぐになにか平らな皿のようなものが、股間の下に差し入れられるのを感じた。
「よし。しなさい」
鳴智が言った。
緊張で尿意が溜まっているようだった。
緒里が力を緩めると、すぐに自分の股間から尿が迸ったのがわかった。
「ふふ……。いい子ね……。泣く子も黙る
鳴智が笑った。
排尿姿を見られているという羞恥が走る。
同時に、本当に自分のことを知っているのだということを悟った。
やがて、尿が終わった。
鳴智は、もうひとりの女に、尿を集めて水筒に入れ直すように指示していた。
「さて、じゃあ、質問するわね。孫空女のことを訊くわ」
「孫空女?」
緒里はなぜ、孫空女のことを知りたいのかと訊ねそうになって、慌ててその言葉を飲み込んだ。
「孫空女はいつ、金凰宮にあがるのかしら?」
鳴智は言った。
この女がなぜ、それを知りたいのか、緒里は懸命に頭を巡らせた。
そして、どこまで状況を把握している可能性があるかだ。
孫空女が金凰宮にあがる日など、昨日まで決まっていなかった。
だが、孫空女が屈服したことにより、金凰妃が今日にも金凰宮に連れていくことを、まさに昨日決めたのだ。
だから、そんなことは決まっていないと答えてもわからないと思う。
しかし、すでになんらかの情報を握っているとしたら……。
それにしても、この女たちは誰だろう……?
鳴智という名……。
もうひとりの女の声……。
懸命に緒里は思考を回転させた。
「質問しているのよ、聞こえないの……?」
鳴智は、まだ鈍器のようなものを緒里の横腹の痛みが拡がっている場所に当てた。
「きょ、今日よ――。今日の昼には――」
緒里は慌てて言った。
「今日って、ぎりぎりじゃないの――」
もうひとりの女が驚いた声をあげたのが聞こえた。
「喋るなって、言ってるでしょう、この馬鹿――」
すると鳴智がその女に怒鳴った。
*
知りたいことは、知ることができたと思う。
最後に鳴智は、緒里の首の横の血の通っている部分を手で思い切り圧迫した。
そこを締めれば、どんな相手でも簡単に失神させることができる。
果たして、緒里はすぐにがっくりと首を落とした。
緒里が意識を失ったのは明らかだ。
鳴智は、念のために覆っていた顔の布を外した。
「もう、喋っていいわよ、
鳴智は準備していた屍体袋を失神している緒里の前に放った。
軍営には、軍が取締りをして捕らえた犯罪者が大勢監禁されている牢がある。
牢で人死があるのは日常茶飯時だ。
だから、人夫の格好をして、屍体を入れた袋を運び出すというのが、軍営から緒里を運び出すのに、もっとも不自然ではない方法だ。
一応、念のために、『移動術』の道術を刻んだ『道術紙』も準備している。
『道術紙』というのは、あらかじめ使用する道術を霊気とともに刻んだ用紙であり、ただの一回に限り、この霊具の紙だけで道術が遣える。
魔凛が『移動術』が遣えないために準備しているのだが、できれば使いたくない。
こういう亜人の施設というのは、すべてを道術に頼り切っている場合が多いので、道術に関しては警戒が強いが、逆に道術以外の手段に対しては、警戒が甘かったりする。
その証拠に、鳴智と魔凛は、ちょっとした細工だけで、道術なしで軍営の寄宿舎まで忍び込むことができた。
「本格的に一緒に仕事をしたのは初めてだけど、あなたには、まったく驚いたわ。完全に玄人の工作員の手管ね。元は貴族の娘と聞いていたから、平然と緒里の首を絞めたときはびっくりしたわ。貴族だなんて嘘でしょう」
魔凛は拘束している緒里の縄を解きながら鳴智に話しかけてきた。
「本当よ……。ある時期まで、こんな工作員としての技どころか、人を殴ったことすらなかったわ……。ある男たちに、こういうことができるように徹底的に訓練されたのよ。二年間……」
「どこでそういう訓練を受けたの?」
「悪いけど、思い出したくないの」
魔凛が緒里の身体を袋詰めにするあいだ、鳴智は身に着けていた人夫の服装を脱いで、緒里の部屋にあった軍服を身に着けている。
鳴智はその手を動かしながら言った。
「……悪かったわ」
魔凛が作業を続けながら言った。
鳴智にこういうことができるように仕込んだのは、闘勝仙たちだ。
宝玄仙は知らないと思うが、宝玄仙の二年が連中の性的玩具の二年間なら、鳴智の二年間は、連中の謀略の道具になるための二年間だった。
連中には政敵が多かった。
それに対する暗殺や諜報や謀略などの工作をする道具に仕立てられたのだ。
宝玄仙を嵌めた手管……。
それは、そういう仕事に向いていると闘勝仙が言い、連中の兵となるよう無理矢理に教え込まれたのだ。
若い女の工作員――。
連中にとっては重宝な存在だったらしい。
それに使い捨てにして惜しくはないということで、鳴智は連中の権力を守るために、多くの危険な仕事をさせられた。
そのために、殺人を始めとするあらゆる技を叩き込まれた。
逆らえば、同じ帝都にいる家族の惨殺……。
脅されれば従うしかなかった。
初めての殺人も、その月日の中でだ。
連中の命じるまま、見知らぬ他人を殺し、罠に嵌め、あるいは、拷問にもかけた。
後で助けられたが、敵に捕らえられて、鳴智自身が拷問を受けたこともある。
一方で、連中の性的玩具でもあり、彼らの調教も受け続けた。
地獄の日々だった。
「終わったわ」
やがて、屍体袋に緒里の全身を収納し終わった魔凛が声をかけた。
「こっちもよ……。それにしても、他人の尿を飲むなんてぞっとするわね……。でも、精液を舐めるよりましか……」
鳴智は魔凛が集めてくれた緒里の尿の入った竹の水筒の栓を抜いた。
すでに、『変化の指輪』は身に着けている。
鳴智は臭気を我慢して、水筒の中の緒里の尿をひと口飲んだ。
『変化の指輪』は、変身した相手の体液を飲めば、その相手そっくりの姿と声に変身できる霊具だ。
鳴智は、自分の身体が変化しているのを感じた。
部屋にある卓の上に、小さな姿見があった。それで確かめると、ちゃんと緒里そっくりの姿になっている。
「さて、じゃあ、この荷物を軍営から出したら、わたしは、そのまま錬奴院に向かうわ。今日にも金凰宮に連れてかられるなら、もうほとんど時間がないようだしね……。そのあいだに、あなたは、その荷を隠れ処に連れていってちょうだい」
「こいつをわたしが?」
「屍体にして処分するのが一番早いんだけど、この変身の霊具は、変身する対象がどこかで生きていなければ、体液を口にしても道術を刻まないようなのよ。面倒だけど、すべてが終わるまで、この緒里を隠しておかなければならないわ。あんたは、それを頼むわ――」
鳴智は言った。
「ちょ、ちょっと待って、つまり、あんたはひとりで錬奴院に乗り込むつもりなの?」
魔凛が困惑した口調で言った。
「そうよ。幸いにも、金凰宮に孫空女を連れていくのは、この緒里の役割だったようだしね。このまま、緒里に変身していれば、面倒なしにわたしも金凰宮に一緒に行けるわ……」
鳴智は言った。
「ま、待って――。わたしも行く。行かなければ……。あなたと一緒に金凰宮に潜入するわ」
魔凛が慌てた様子で言った。
「どうして? わたしを監視するように、あのお宝に命令されているから?」
鳴智は言った。
すると、魔凛の顔色がさっと変わった。
随分とわかりやすい女だ。
鳴智は口元を綻ばせた。
「やっぱりね。そんなことだろうと思ったわ。あの卑劣女の考えそうなことね。わたしの身体に入れた『炸裂石』を爆破させるための機会を報せろと、お宝に命令されているんじゃないの? あいつが、わたしの胸に『炸裂石』を入れ、そして、あんただけを残して、指示をしたから、そうじゃないかと思ったのよ……」
「なっ」
魔凛が明らかに絶句した。
「あいつは、わたしごと、金凰魔王を爆死させるつもりなんでしょう? うまくいくわけないと、お宝に言っておいてよ。いくらなんでも、青獅子がその手で死んだばかりなのに、同じ策が通用するわけないでしょう……。わたしが緒里の姿で近づいても、金凰魔王はわたしを爆殺の範囲内に近づけさせないわ。絶対に自分の回りに結界を作っているわよ」
鳴智は嘆息しながら吐き捨てた。
「ど、どうして……な……」
魔凛は驚いて口をぱくぱくとしている。
だが、おそらく“命令”で口止めをされているのだろう。
思うことが口にできないという感じだ。
「わたしだって、『炸裂砂』も『炸裂石』も扱ったことがあるのよ。あんな状態だったけど、一瞬見れば、あいつが『炸裂石』をわたしに入れたというのはわかったわ……。まあ、でも、霊具が使えるように、霊気を込めていることは嘘ではないようね。いま、確かに、『変化の指輪』をわたしは使えたようだし……」
魔凛は驚いて、眼をしばしばさせている。
鳴智は首を竦めた。
魔凛の様子から、鳴智の当て推量が、的を射ているということはわかる。
お宝め……。
お宝に対する怒りが腹の中で煮えくり返る。
一方で、魔凛が苦しそうな表情をしているのを見て、同じ支配霊具で苦しむ者同士としての同情が沸いた。
お宝の“命令”と鳴智に対する気持ちの板挟みになり、心が圧迫されているに違いない。
鳴智は息を吐いた。
「……どうせ、『服従の首輪』でわたしにばらすなと命令されているんだろうから、無理に話さなくてもいいわ――。いずれにしても、あんたは邪魔よ。さっきの感じだと、元軍人といっても、この手の工作には手慣れてはいないようだしね。素人を連れていきたくないの……。それとも、あなたは、必ず一緒に着いていくようにということまで“命令”されているの? 首輪に刻まれた命令なのかという意味よ」
「そ、それは……」
魔凛は少し考える仕草になった。
「……それは、首輪による命令はされていない。命令されたのは、お宝様の策をあなたに告げないことだけ……」
やがて、魔凛は言葉を懸命に選びながらそれだけを言った。
「あっ、そう……。だったら、わたしの指示に従うのね。さっきも言ったけど、素人と一緒に難しい仕事はできない……。それにしても、お宝も爪が甘いわよね。自分で作った霊具のくせに、『服従の首輪』への命令の刻み方も中途半端……。やることなすことに隙があるのは、魔王に捕らわれている宝玄仙と一緒……」
鳴智は言った。
「宝玄仙をよく知っているの、鳴智?」
魔凛が訊ねた。
「知っているわ。よくね……。あいつは、わたしを見たら、まずは殺そうとするはずよ……。だから、どうせ、死ぬなら、あいつの恨みを晴らさせるために、あいつに殺されたいわ。わたしの望みは死ぬことだけど、死に方くらいは、御影やお宝の言いなりにはなりたくないわね」
「死ぬのが望みって……」
魔凛は当惑している。
「わたしには、娘がいる。あいつらに人質に取られているだけでなく、娘を見たら殺せと『服従の首輪』に命令を刻まれているわ。連中はいつか、なにかの遊びかなにかのために、わたしに娘を殺させると思うわ。そういう奴らなのよ……」
鳴智は言った。
魔凛は驚いている。
「本当よ……」
鳴智はこの首輪の力で夫を絞め殺させられた話をした。
いい機会だから、連中の本質を魔凛も知っておくべきだと思った。
青獅子を暗殺するために魔凛を最初に仲間に引き入れたときには、魔凛に不要な情報を伝えることは、首輪の力で禁止されていたが、いまはそれはない。
魔凛にとっては、お宝やその主人の
そうではなく、単に悪辣者から別の悪辣者に身柄が渡っただけだと知るべきなのだ。
話を聞き終わった魔凛は信じられないというように、眼を丸くしている。
「本当の話よ……」
鳴智はそれだけを言った。
「さて、じゃあ、行きましょうか。じゃあ、手筈通りに、今度は、わたしが緒里の姿で、人夫姿のあんたに、台車で屍体袋を運ばせながら、堂々と営門を抜けるわ。そしたら、あんたは、隠れ家に行って――」
「わ、わかった……」
今度は魔凛は拒否しなかった。
「わたしは、錬奴院に行く。その前に、緒里の話によれば、孫空女の精神は打撃を受けているようだから、逆に心を安定させる気付けの薬をなんとか準備するわ。おそらく大丈夫と思う。孫空女は連中が思っているより心が強いわ。道術ではなく、洗脳支配は簡単にはいかないから」
鳴智は言った。
激しい拷問で正気を失ったらしい孫空女をなんとか、まともに戻して、金凰宮に一緒に潜入して、宝玄仙を救う……。
やり遂げてみせる。
それは、宝玄仙に対するせめてもの償いだ。
魔凛が軽々と、緒里の入った袋を肩に担いだ。鳴智はそれを確認して、扉に向かった。
「ねえ、首輪をされているわたしになにができるかわからないけど、どうか、自分から死を選ぶのはやめてよ。あんたの娘を取り返すことに、わたしも協力する」
魔凛が扉に向かいかけた鳴智に語りかけた。
「協力してどうするのよ。娘を見たら、わたしは娘を殺してしまうのよ」
鳴智は魔凛の言葉に苦笑で返した。魔凛が困ったように黙り込んだ。
「それに、あいつには……。宝玄仙には、わたしを殺す十分な理由があると思うわ……」
鳴智は言った。
とにかく、あと一日……。
今日、決着をつける。
絶対に宝玄仙を助け出す……。
その後、宝玄仙が鳴智を殺すというのであれば、殺されてやろう……。
生きていても、娘に会える望みはないし、娘を助けることもできない……。
あのとき……桃源を手にかけたときのような思いを娘に手をかけることで味わいたくない……。
今日、この一日……。
鳴智は扉を開けて、部屋の外に足を踏み出した。