「お呼びだてして申し訳ありません、小白象様」
上座の席が空いており、小白象はそこに誘導される。
その右側面の席には、白象が座っており、沙那は白象に向かい合うかたちだ。
ほかに人はいない。侍女さえも遠ざけられているようだ。
「こんな時間に、わらわを呼び戻すのじゃ──。さぞや、重大事なのであろうのう、沙那。まさか、明日の朝でもよいと思う案件で、わらわと雪蘭の大切な時間を邪魔したのではないであろうな?」
小白象は、席につくや否や皮肉を言った。
半分は冗談で、半分は本気だ。
いま、緊急を要する案件といえば金凰宮のことに違いないが、新たな情報が入ったところで、大抵のことは明日でもいいはずだ。
小白象が雪蘭とすごす大事な時間を邪魔されるほどの緊急性はないと小白象は思っている。
なにしろ、金凰宮の異変については、なにが起きていようと、表向きは白象宮としては、なにもしないという方針をすでに決定している。
白象宮は、金凰宮と絶縁宣言をしたばかりであり、白象宮が金凰宮の異変に関与する大義名分はない。
金凰魔王と金凰妃の死が事実だとしても、白象宮は動くべきではないというのが、沙那の意見だ。
もっとも、もしも、金凰魔王が死んでいるとすれば、金凰魔王は後継者を決めずに死んだことになる。
そうであるとすれば、金凰宮で内紛が起きる可能性が高い。
それに、魔王の地位を絶対に血縁で繋げなければならないという決まりはないが、魔王族の血が後継者の有力な条件のひとつであることは確かだ。
そうであれば、金凰宮をまとめようという勢力が誰であれ、いまや、唯一の血縁の後継者といえる小白象に接触してくるのは間違いない。
だから、うかつに動かず、その動向を見極めてから動いた方がよいと沙那は主張している。
いずれにしても、白象宮が強引に関与しようとしても、それだけの軍事力がない。
それよりも、白象宮としては、主がいなくなり、宙ぶらりんになった青獅子軍の勢力を取り込むことに努力を集中している。
この軍事力があれば、当面の護りとしては十分だし、白象宮としての政戦略に幅も出る。
その旧青獅子軍の取り込みは、まだ沙那を中心にして着手したばかりだが、これについて金凰宮側が無関心だったこともあって、うまく流れている。
早晩、青獅子軍は白象宮の新たな軍事力として、再整理できそうだ。
つまりは、明日の朝では遅い内容など存在しないはずなのだ。
だから、こんな時間に緊急呼び出ししたことは、文句を言ってやろうと思っている。
「今夜中には、対応を決めなければなりません。明日には、もしかしたら、この白象宮にやって来るかもしれませんから……」
沙那が神妙な表情で言った。
「やってく来る?」
やってくるとはなんだろう……?
「まず、金凰魔王と金凰妃の死は事実です。複数の情報源から確認しました。間違いありません。あのふたりは死にました」
沙那が説明を始めた。
「そうか……」
あいつらが死んだのかと改めて思った。
金凰魔王と金凰妃は、小白象の本当の両親のようだが、死の報に接してもなんの感慨もない。
それよりも、これであいつらは、その事実を封印したまま死んだことになるということになる。
小白象はそのことにほっとしている。
小白象としては、小白象の母親は白象であるということだけが、“真実”と考えており、それ以外のことは必要ないと思っている。
あのふたりが死んだのなら、もう余計な真実を暴露する者などいなくなったということだ。
「それはわかった、沙那。だが、それに対する方針は話し合ったと思ったがな……」
小白象はできるだけ皮肉っぽく言った。
「はい。そのことそのものについては、明日にでも白象宮側で百眼女様をまじえて、方針を再確認したいと思います……。でも、今夜、お呼びだてしましたのは、実はわたし個人の問題に近いことなのです」
「個人の問題?」
小白象は首を傾げた。
すると、いままでじっとなにかを考えるように黙っていた白象が口を開いた。
「小白象、金凰魔王たちの死の状況がわかったのよ。あのふたりは、実は、たったひとりの人間族の道術遣いにやられたようよ……。それだけでなく、同時に数千の軍も全滅したわ。しかも、魔王直属の即動部隊よ……。それをただひとりの道術遣いがやったの……。しかも、瞬時にね」
「数千の軍を瞬時にひとりでだと? もしかしたら、それは……?」
小白象は驚いた。
金凰魔王はともかく、金凰妃の武辺は近隣にも広く鳴り響くものだった。
さらに、金凰軍の即動部隊といえば、魔王の号令で瞬時に動くように編成されている金凰軍の誇る最精鋭部隊のはずだ。
それをたったひとりで全滅させたとなれば、その道術遣いの力は計り知れない……。
話が半分だとしても、とてつもない力量ということになる。
そして、金凰宮が関わっていた人間族の道術遣いといえば……。
「わたしの元ご主人様です……。宝玄仙様です……。そして、ここに向かっているようだ、ということもわかりました」
「ここに向かっている? なんで?」
思わず口走ってから、小白象はその質問の答えは明白であることに気がついた。
宝玄仙がここに来るのは、沙那を取り返すために決まっている。
だが、沙那があまりにも、短期間に白象宮に溶け込み、重要な人物になりきってしまったため、実のところ、沙那が白象宮にやってきたのは、ついこのあいだであり、そもそも、その宝玄仙の供のひとりであるというのを失念していたのだ。
「……小白象、わたしたちは決断しなければならないわ。沙那をその宝玄仙殿に戻すか、それとも、金凰魔妃や金凰軍を瞬時に倒すほどの道術を駆使するほどの道術遣いに逆らうかよ」
白象が言った。
「さ、沙那を手放すなどとんでもない」
小白象は声をあげた。
沙那は白象宮にとっても、小白象個人にとっても、もうなくてはならない人材だ。
沙那を手放すなどとんでもないことだ。
「ならば、戦うの? わたしは、摂政として意見を言うけど、報告があった限りにおいて、その宝玄仙殿の道術は凄まじいわね。いまの白象宮では、束になってかかっても勝てないと思うわ……。残念ながら、お前よりもずっと上だと思うわ。つまりは、白象宮には、宝玄仙殿にかなう者はいないということよ」
白象は肩を竦めた。
「わらわが話す……。沙那を邪険に扱うつもりはないのだ。重鎮として働いてもらいたいと説明する……。そして、譲ってもらう……。話してわかってもらう」
「ありがとうございます、小白象様……。ただ、これだけは確かですけど、わたしの前のご主人様の宝玄仙様は、話し合いの通用するお方ではありません。申し訳ありませんが、まだ、少女の小白象様が出ていっても、鼻で笑うだけです。相手にもしないでしょう」
「わ、わらわは魔王だぞ──」
小白象は声をあげた。
「仕方ありません。そういうお人なのです。宝玄仙様には、話し合う気がないはずです。ここにやってきて、ただわたしを連れていくだけのことしか考えていないはずです。そうでないことを小白象様が口にしても、怒るだけです」
沙那は首を横に振った。
小白象は、そう言えば、この数日、沙那のその首に霊気の流れを遮断する布が巻かれていることを思い出した。
沙那によれば、沙那がしている首輪は、いつでも、その宝玄仙が沙那にいる場所に駆けつけることができるために装着されているものであるそうだ。
だから、沙那は、それによって宝玄仙が道術でここに追いかけて来られないように、霊気を遮断させているのだ。
小白象は、一度ならず、その首輪を小白象の道術で外そうとしたが、まるで歯が立たなかった。
つまりは、それを作成した宝玄仙の霊気が強すぎて、小白象の霊気でも手におえないのだ。
霊具に仕込んだ霊気程度でも、これだけの道術遣いとしての差がある。
これが面と相対すれば、白象のいうとおり、小白象でも宝玄仙には道術でかなわないだろう。
それを悟った。
「ならば、どうするのだ──? まさか、沙那はここから去りたいと思っているのではないだろうな」
小白象は声を荒げた。
「わ、わたしだって、ここに留まるつもりです。白象宮に骨を埋め、小白象様に忠誠を誓ってます。ただ、宝玄仙という道術遣いはそういう人だ申しているだけです」
沙那も言い返してきた。
小白象は、その沙那の表情から、沙那もまた、今回の事態に困惑と動揺をしているのだと悟った。
「ならば、どうするのだ、沙那?」
「説得するしかありません、小白象様」
「話し合いはできないと、お前が言ったぞ」
「話し合いとは言ってません。説得と言いました」
「説得?」
「はい、あの手この手で説得します」
「説得して納得してくれるのか? その宝玄仙殿が?」
「簡単にはしないでしょうね。わたしも、いろいろな人物に接してきましたが、宝玄仙様ほど我儘なお方はおりません。だから、断れない条件を突きつけるしかありません」
「断れない条件?」
「そうです、小白象様」
「それは脅迫と言うのではないか、沙那?」
小白象は呆れて言った。
「そうとも言うかもしれません。でも、それがいま考えられる唯一の解決法です。脅迫されれば、誰でも腹がたつでしょう。しかし、わたしが宝玄仙様に戻されないためには、それしかないのです」
沙那は言い放った。
「まあよい……。なにか考えがあるなら話せ、沙那」
つまりは、沙那は言外に、最悪は宝玄仙と戦うことになると言っているのだ。
その“説得”に失敗すれば、その瞬間に白象宮は危機に陥る。
沙那を手放さないためには、宝玄仙を敵に回さねばならないということだ。
小白象も覚悟を決めた。
*
白象は、沙那と小白象が話し合いをするのを黙って聞いていた。
最終的には、この件は沙那に一任するということになったが、下手をすれば、最終的には金凰宮を事実上潰したほどの道術遣いと一戦交えることにもなりかねない。
白象はそれを危ぶんだ。
だから、沙那が退出した後で、小白象にふたりだけで話したいと言って呼びとめた。
「小白象、沙那の意見を訊ねるべきよ。沙那は、あれほどのことをしてくれた恩人でもあるのよ。その沙那の意見を無視して、宝玄仙という人から沙那を取りあげるというのはどうかしら? 人としての振舞いとして、感心しないわ」
白象は言った。
「なにを言っておるか、母者。沙那の意思も明確だ。沙那はここに留まることを望んでおる──。聞いてなかったのか?」
「小白象、お前と沙那は『主従の誓い』をしているのよ。忘れたの? あの誓いを破棄できるのは、主人側のお前だけなのよ。道術契約で部下として沙那を受け入れるように心を拘束されているとはいえ、あれは、契約を破棄することだけは、お前の意思でできるはずよ」
「う、うるさい、母者──」
「いいから聞きなさい、小白象……。それに比べて、沙那はできないの。言わば、操られているのよ……。いいかしら、小白象、お前がいまやっているのは、恩のある沙那の心を操って、自分の都合のいい道具のままにしようとしてるのよ。つまり、金凰魔王と同じことをしているということよ──。それを自覚しなさい」
すると、小白象が明らかにむっとした顔になった。
「は、母者は、沙那を手放せと言うのか?」
「そうじゃなくて、操りをして心を縛るのが卑怯だと言ってるのよ」
「駄目だ、駄目だ、駄目だ──。沙那は渡さん。誰にも渡さんし、ずっと、わらわのそばにいるのだ。これ以上言うと、母者でも折檻だぞ」
小白象は立ちあがった。
そして、そのまま、席をたって、部屋を出ていってしまった。
白象は深く溜め息をついた。