610 逃亡亜人族の拠点
竜飛国の各地で虐げられた亜人が集まって砦を作って、国に叛乱をしている場所と聞いていたので、もっと殺伐とした盗賊団のような光景を想像していたのだ。
しかし、歩哨のいる厳重な門をいくつかすぎると、そこに拡がっていたのは、山あいを利用して作られた棚田のある風景だった。
小川があり、それが利用されて一面の田園となっている。
幹道と呼ぶべき道は広く、路面も整備されていた。
家もあって、見たところ女もいるし子供もいる。
砦というよりは村だ。
小萩は案内人に従って、道を進みながらそう思った。
「ここに入れば、誰でも驚く。こんな奥深い場所に開けた里があるのでな。ましてや、ここは、賊徒の砦と言われている
「はい」
「だが、実際には廃れかけた村を俺たちが入り込んで、作りあげた亜人村だ。それを人間族の連中が、勝手に砦だの、賊徒だのと言っているだけなのさ。ここは、平和的な里だよ」
案内人は
歳は三十過ぎで、農夫のような恰好をしているが、朱雀といえば、れっきとした戦士であり、数々の国軍による討伐戦で武辺を示している指揮官級の男であることを小萩は知っていた。
多額の懸賞もついていて、ここの頭領の
どうやって、大黒天に近づけばいいのかと迷っていたが、すぐに、大黒天に親しい朱雀に接触できたのは運がよかったと思う。
また、小萩の後ろには、二十人ほどの男女がいる。
歳は赤ん坊から老人までまちまちだ。
いずれも、最近急に厳しくなった亜人狩りによって行き場を失った亜人や半妖たちである。
人間族の中で田畠を耕して生きていたが、それぞれの農村で狩られて、あの国都郊外の亜人収容所送りにされるところを護送の途中で逃亡して山に逃れた集団だ。
亜人だの、半妖だのといっても、小萩も含めて、霊気はあるが、道術は遣えない。
だから、山に逃亡したものの生きていくすべがなく、たまたま、小萩が大黒天の息のかかった商家を知っていて、それで、小萩がひとりが山を抜けて、ひそかにその商家を頼り、紹介状を書いてもらって、全員を率いて砦を頼ってやってきた……。
……と、そういうことになっている……。
もちろん、小萩の後ろにいる男女が、逃亡亜人であり、本当に亜人収容所送りになるところを期を見て脱走した者たちであることは本当だ……。
しかし、小萩は違う……。
「それにしても、大黒天を頼って色々な者がくるが、あんたみたいに、若くて別嬪の女が率いる逃亡奴隷は初めてさ。だが、どういういきさつであんたが、この集団の指揮官ということになっているんだ?」
朱雀がにこにこしながら小萩を見た。
「別段、わたしが指揮官というわけではありません。わたしの伝手でここにやってきたので、わたしが代表のような感じになっているだけです。ここにいる者は、そういう指揮とか、戦いとかいうものには無縁の者たちばかりです。それでも、ここに置いてもらえるのでしょうか?」
「もちろんさ。大黒天は頼まれた者を見放すことはない。ただし、ここは一見、普通の山里のように見えるが、承知のとおり、国の法に逆らって砦を築いて、国の討伐軍に抵抗を続けているの大黒山という場所だ。原則として、ここに暮らす者は全員が兵だ。定期的に訓練も受けることになる。必要なら戦にも出る。それがここの掟だ」
「わかっています。わたしもそうですが、みんな国と戦う覚悟でやってきました。ここに置いてもらわなければ、死ぬまであの収容所にいるしかなかった者たちばかりです。よろしくお願いします」
「うん……。まあ、そう言っても、実際には、ここはのどかなところさ……。全員が訓練に参加するのが決まりだから、そうしてもらうが、武器の使い方も知らないのに、戦に駆り出されることはない。いまのところ、自衛のための軍として整備している常備軍で戦力は間に合っている……。それよりも、お前たちには、ほかのことで役割が与えられるはずだ」
「は、はい、もちろんです」
「うん。例えば、村民の中にはいくらかの道術が遣える者もいるから、そういう者が集まって、土を温暖な気候に保っている。だから、ここでは、米も一年に三回は収穫できるし、米以外の作物もいろいろと収穫できる。家畜も飼っているし、工房もあって、さまざまな物を生産もしている。この砦は自給自足ができるのだ……。ともあれ、お前たちの中に、道術が遣える者がいれば、まずは、そっちの方面で役割が与えられるはずだ」
朱雀が言った。
「道術が達者に遣える者はいないはずです。ここにいるのは、本当に人間族の社会の中でひっそりと暮らしていた者たちばかりなのです」
「それでもいい。役割はいくらでもある……。それよりも、着いたぞ。ここがとりあえずの住まいだ。ここで数日すごして、そのあいだに、それぞれの役割を与えられる。住む家もな──。軍に追われて逃げ回るのは大変な思いだったろう。とにかく、まずは、あそこで食事だ。そして、部屋をあてがうから休んでくれ。身体を洗う湯も準備されている」
朱雀が全員に聞こえるような大きな声で言った。
道の先に、垣根に囲まれている大きな屋敷のような建物が並んでいる場所が見えた。
背後に従っていた者たちから、ほっとしたような声が一斉にあがった。
「ここは、招待場と呼んでいる場所だ……。まあ、この砦に入村するための準備をする場所だな……。さっきも言ったが、ここでそれぞれの能力や希望などを見極めて、とりあえずの役割が与えられる。ただし、それまでは、この招待場ですごしてもらうことになる」
「はい」
「また、そのあいだは自由に村を歩くことは許されない。ここで監禁される。なあに、数日だけの話だ……。また、この招待場にいるあいだであれば、この砦で暮らすことをやめて、出ていくことも許される。しかし、村の中に家が与えられてからは、もう、逃げることは許されない。逃亡は死だ──。村のように見えても、やはり、ここは戦う砦であり、ここにいる者は全員が戦う者なのだ。だから、この招待場にいるあいだに、もう一度考えてくれ」
朱雀が全員に振り向いて言った。
やがて、招待場と朱雀が言った建物のある場所に入った。
建物は大きな屋敷が五棟ほど並んでいて、そこが木の垣根で囲んである。
監禁といったが、垣根は低く、厳重な感じではない。
垣根の門から入って、すぐに広い庭のような場所に導かれた。
そこに長机と椅子が並べられていて、卓の上に、たくさんの握り飯や干し魚、肉や野菜や果物、そして、飲み物などがいっぱいに並んでいた。
三名ほどの老人がいて、にこにこと笑いながら、それを準備している。
最初に、数名いる子供が喜びの声をあげて、食べ物に走った。
亜人収容所に送られるところを逃亡してからの山での逃亡生活は苛酷だったのだ。
子供たちに続いて、大人たちもそれぞれに嬉しそうに食事に寄っていった。
全員が目の前の食べ物を頬張り始めた。
小萩もまた、進められた椅子に座り、食事に手を伸ばした。
一方で、朱雀は卓には近づかず、少し離れた場所で、全体を見守るような格好で立っている。
しばらくすると、建物側からひとりの男がやってきた。
老人たちと同じような服装をしているが、歳は朱雀と同じくらいの三十くらいだろうか。
どことなく冴えない平凡そうな感じだ。
その男がぺこりと頭を下げた。
「どうぞ、食事をしながら聞いてください──」
男が食事をしている二十人の前に立って、一礼してから話し始めた。
しかし、それほど声が大きくないので、二十人が食事をしているこの喧騒の中では、耳をすまさなければ、よく声が聞き取れない。
実際のところ、男が話している場所から離れた側にいる者は、明らかに男の話を聞かずに、食事をしながらの談笑を続けている。
だが、男は気にしていないようだ。
「……ここにいる年寄りたちは、招待場の管理をする役割の者たちです。足りないものがあったりしたら、遠慮なく相談してみてください。できるだけのことはしますので」
男が言った。
誰だろうとは思ったが、とりあえず、小萩は男に対応するために寄っていき、居ずまいをただす。
すると、男がなんとなく、ほっとした様子で、小萩に向き直った。
「ああ、よろしくお願いします。それと、もう聞いたかもしれませんが、この招待場での生活は三日程度になります。そのあいだに、皆さんに役割を振り分ける者があなたがたと何回か話をして、皆さんの役割を決めます。当面はそれに励んでもらうことになるでしょう。ある程度の時間が経てば、戦いに出てもらうこともあるかもしれません。ただ、それはすぐではありません」
「あっ、はい、わかりました」
概ね、先程までに朱雀に聞いていた通りであり、小萩は頷いた。同時に、やはり、目の前の男がどういう立場であるかを訝しんだ。
「そして、これも大切なことですが、三日がすぎて、この招待場を出ると、もう、砦を抜けられないことになっています。それまでに、覚悟を決めてください──。もしも、やはり、ここでは暮らせないと思ったら、遠慮なく、ここの年寄りたちに相談してください。そのときは、少しばかりの路銀もお渡しすると思います」
男がそれだけを言って、また一礼をした。
そして、また屋敷の奥に戻っていった。
いまのはなんだったのだろう……。
「じゃあ、小萩殿……。俺の役割は終わりだから、もう行く。なにか不都合があれば、いまも言ったが、あの年寄りたちに言ってくれ」
すると、朱雀が寄ってきた。
そして、立ち去る気配を見せた。
「ま、待って、お待ちください──。朱雀様、お願いです。是非とも、頭領の大黒天様にお目通りをさせていただけませんか。せめて、ひと言お礼を……。お礼を申しあげたいのです──。こ、この土産のお酒もお渡ししたいのです。こんなもので申し訳ないのですが、頭領へのお土産ということで、みんなで準備した物なのです」
小萩は慌てて言った。
なんとしても、大黒天と接触する。
そして、なかなかに謎の多い大黒天という頭領についての情報を集める──。
それが、間者として潜り込んだ小萩の真の役割なのだ。
例えば、この朱雀は大黒山の賊徒の戦士中の戦士として有名だし、その顔も知られているが、一方で頭領の大黒天は、顔も知られていない。
国軍の間者である小萩は、その大黒天について調べるため、逃亡亜人にやつして、やっと、この大黒山の砦に潜入することに成功した。
そのために、半年前に亜人としてある小さな農村に入り、畠の手伝いをして暮らす生活を始めた。
そのあいだ、小萩は流浪する若い亜人女に完全になりきった。
やがて、その村のある地方一帯に亜人狩りの手入れが入り、小萩も捕えられた。
そのときに捕らえられたのが、この二十人だ。
全員が本物の亜人か半妖であり、小萩を除いて純粋な逃亡亜人だ。
小萩は、それに混じって亜人収容所に送られる輸送馬車に乗せられた。
そして、その馬車が移送中に事故を起こして、全員が逃亡した。
これは当局の工作によるものだ。
山に逃げた二十人に、大黒天を頼ろうと提案したのは小萩だ。
小萩は、流浪のときに一時期だけ愛人になった商人がいて、その商人が大黒天の砦と取引があり、紹介状を書いてもらえるはずだと説明した。
全員が納得した。
そして、小萩はひとりで山をおりて、その商人に会い、紹介状を受け取ってから、この二十人を連れて、砦にやってきたのだ。
もっとも、実際には、小萩はその商人と会うのは、そのときが初めてだ。
ただ、そこに行けば、紹介状を渡してもらえる手筈になっていると教えられていただけだ。
その商人が、本当はどういう立場の者であるかは小萩は知らない。
小萩のような小者の間者に、全部を知らされるわけではない。
いずれにしても、小萩は、ただ与えられてる任務をこなすだけだ。
小萩が与えられている任務は、大黒天についての情報を集めることであり、そのために必要であれば、大黒天の女になることも手段のひとつとなっていた。
だから、潜入する者として、小萩のような「若く」て「美貌」の女が選ばれたのだ。
とにかく、大黒天になんとしても近づきたい。
この朱雀は、大黒天に親しい者だということはわかっている。
どうにか、その伝手を利用できないだろうか……。
「お礼? いいんじゃないか、そんなの……」
朱雀が肩を竦めた。
「新参者がいきなり、頭領とお目通りをするなど許されぬことなのでしょうか?」
小萩は少しがっかりした。
やはり、いきなり、大黒天に会うというのは難しそうだ。
当初の計画通り、このまま、砦の住民に溶け込んで、機会を待つしかないだろう。
「許されないということはないがな……。ただ、あいつは、いい女には目がなくてなあ……。あんたのような別嬪が挨拶したいなんて言ったら、必ず、夕食に誘うに決まってる……。あんたが危険だ。だから言っているんだ」
朱雀が言った。
「そ、それは構いません──。あっ、いえ……。そういう意味ではなく、是非、お礼を言いたいのです。この酒は高級なものではありませんが、逃亡をしていたわたしたちが、なけなしの物を集めて購ったものであり、どうしても頭領様に渡す義務がわたしにはあるんです」
小萩はまくしたてた。
「そこまで言うんなら、まあ、本人に訊いてみるんだな。でも、俺の忠告を覚えておけよ。あいつが、夕食を一緒にと言ったら、絶対に身体を狙っているからな──。それに、ちょっとばかり、あいつは特殊な女の抱き方をする……。女が逃げ出すような……」
「えっ? 特殊……?」
「うん……まあとにかく、貞操を護りたければ、是非とも、奥様たちも一緒にどうぞと言うんだ。あいつには、嫁が三人いる。さすがに、嫁たちの前では女を口説きはせんよ。覚えておくんだぞ──。おい、大黒天、この小萩殿が土産の酒を持参したから、渡したいと言っているぜ」
朱雀が言った。
小萩は驚いて、朱雀の視線の方向に眼をやった。
そこには、さっきの平凡で冴えないという印象を持った男がいて、屋敷からこっちに出てきたところだった。
小萩はびっくりした。
この男が大黒天──?
小萩は、少し呆然としてしまった。
「酒……? へえ、いいな……」
大黒天が小萩を眺めて、にっこりと笑った。
その眼がちらりと、小萩の剝き出しの膝から下の脚に向いたのを小萩は見逃さなかった。
「……小萩殿か……。だったら、今夜、夕食を一緒にどうです?」
大黒天が言った。
奥様たちも一緒にどうぞ──とは小萩は言わなかった。