「朱姫、こんなところにいたの? 久しぶりね。迎えにきたわよ」
沙那は朱姫に微笑みかけた。
「沙那姉さん──」
柱に拘束された朱姫が破顔して声をあげた。その眼からぼろぼろと涙がこぼれた。
沙那はほっとした。
男囚側で起こした暴動を女囚側に拡げながらやってきたのだが、朱姫を見つけるのは案外に難しかった。
まず、暴徒となった男囚の先頭に立って、女囚側の地域にやってきた沙那が見たのは、営庭をはじめとするさまざなな施設で作業をしている女囚たちの姿だった。
女囚たちは、腰と胸を覆うだけの短い服を身に着けていて、全員が腹に番号が書いてあった。
それを同じ色だがきちんとした服をきた女たちが、その作業を監督しているのだ。
明らかに女兵だとわかる者の数は少なかった。
ほとんどの者が呆然として、事態の把握ができないようだった。
しかし、沙那が建物に火をつけるように命じて、炎が拡がり始めると、あちこちが騒然となった。
最初に逃亡し始めたのは、数の少ない女兵たちだった。
建物の外で作業をしていた女囚を監督していた女兵は、男囚側の壁が崩されて暴徒となった男囚が武器を持って、こちらにやってくるのを目の当たりにすると、一目散に逃亡していった。
沙那は、取り残されたかたちとなった女囚たちに、北に向かって逃げろと叫びまわった。
北には、大黒山からやってきている一部の賊徒が、逃亡してきた亜人の囚人を逃げ延びさせるために集まっている。
そこまで辿りつければ、あとは彼らが、囚人たちを安全な砦まで連れて行ってくれるはずだ。
やっと女囚たちも収容所から逃亡をしはじめたが、それを阻止しようとしたのは、女囚たちの作業を監督していたと思われる女たちだ。
彼女たちは、数字の刻まれている腹を剝き出しにした半裸に近い服装をしている作業囚に比べれば、腹を露わにしていないまともな服装であるものの、衣類の生地や色は作業囚と同じだった。
沙那は、彼女たちは、監督をするのが役割であるももの、おそらく同じ女囚だろうと、すぐに思った。
しかし、その監督役の女たちは、逃亡をする女囚たちを引き留め始めた。
そのため、沙那は、その女たちが囚人なのか、それとも兵なのかわからず、その扱いに迷ってしまった。
だが、そのうちに、作業囚の一部が監督をしていた女たちを襲いはじめたのだ。
作業囚たちの集団に、彼女たちはひとりひとり捕まえられて、髪を引き抜かれ、服をびりびりに破かれたり、爪で引っ掛かかれ、あるいは棒で殴られていた。
そのときの作業囚たちの叫び声で、やはり、彼女たちは監督囚という役割の女囚だとわかった。
同時に、あの監督囚たちは、女兵以上に作業囚たちの怨嗟の対象であるということも知った。
監督囚は、作業囚を厳しく管理して、作業をやらせるのが役割であり、普段から作業囚たちの目の仇にされていたようだ。
とにかく、沙那はこちらでも暴れはじめた女囚たちの好きなようにさせた。
そのうちに、あちこちの建物に火がつき、女囚たちも、我先に収容所の外に逃亡していった。
しかし、その集団の中に朱姫はいなかった。
沙那は、女囚たちが管理されていた長屋群を虱潰しに見ていったのだが、どこにも朱姫の姿はなく、途方に暮れかけた。
そのうちに、女囚の一部は、外の長屋ではなくこの収容所を管理する役人や女兵のいる建物側にもいることを教えられた。
それでもしやと思い、兵にやつしている大黒山の賊徒の一部を連れて、こっちにやってきたのだ。
こちらの建物にも、すでに収容所全体の異変は伝わっていて、ほとんどの女兵や役人は逃亡を図っていた。
沙那は、まだ逃亡をしていなかった女兵を適当に捕らえ、この建物側にいる女囚の居場所を訊きだして、その場所にやってきた。
そして、そこで、たまたま出くわした女兵ふたりが沙那に斬りかかってきたので剣で倒したのだ。
すると、その女兵が転がり倒れた部屋に朱姫がいた。
柱に拘束されて、下半身を剝き出しにされて、股間に縄が食い込んでいるところを見ると、なにかの懲罰でもうけていたのかもしれない。
沙那は、まず、さっき斬った女兵を見た。
女兵ふたりは血を流して床に転がっているが、もう瀕死の状態であり、苦しそうに呻いていた。
沙那はふたりに近づいて、とどめを刺してやった。
女兵が動かなくなる。
「ひいいっ」
腰が抜けたようになっている監督囚の若い女が悲鳴をあげた。
「あんた監督囚ね? 朱姫たちの拘束を解きなさい」
沙那は剣をその監督囚に向けた。
「ひやっ、な、なんで──? こ、こんなことはだめよ──。い、いけないことなのよ──」
監督囚が騒ぎ出した。
沙那は嘆息した。
外で作業囚を監督していた監督囚もそうだった。
なぜか、彼女たちは女兵でもないくせに、沙那たち襲撃者に対して敵対する行動をとろうとするのだ。
あるいは、逃亡を図ろうとする女兵を阻止しようとする。
そのために、逃亡をしようとする作業囚たちに、逆に殺されたりした。
沙那には、監督囚とはいえ女囚なのに、女兵でさえも一目散に逃亡した収容所から、逃げるどころか、ほかの女囚の逃亡を邪魔しようとするのかが理解できない。
「わかった。じゃあ、死ねば……」
沙那は殺すつもりで剣を振りあげた。
腰に鍵束がある。それが鍵であることは間違いない。
「いやああ──こ、殺さないで──。こ、このばか
その瞬間、朱姫と同じように柱に拘束されている娘が絶叫した。
「さ、沙那姉さん、その華耶は
朱姫も慌てたように口を挟んだ。
沙那は、それで初めて、監督囚の娘と朱姫と同じように拘束されている娘が同じ顔をしていることに気がついた。
「あっ、そう……」
沙那はそのまま剣を振りおろした。
「きゃあああ──」
「ひゃああ──」
監督囚の娘とその姉妹という女囚が同時に悲鳴をあげた。
しかし、沙那の剣は監督囚の娘の腰帯を切断しただけだ。
そこに鍵束があったのだ。
「ひっ、ひっ、ひっ……」
監督囚の娘が引きつり、全身が恐怖で硬直したようになった。
沙那は、床に落ちた鍵束を無造作に拾って、朱姫と隣の娘の拘束を解いた。
「か、か、痒い──」
朱姫ともうひとりの娘は、悲鳴をあげながら、股間に喰い込んでいた股縄を自ら引き千切るように抜いた。
ふたりが、まず最初にやったのは、その場にうずくまって股間を掻きむしることだった。
「こ、この……、同じ目に遭わせてやるわよ──。こいつ──。その下袍脱ぐのよ──」
朱姫が監督囚の娘に飛びかかった。
しかし、沙那はそれをとめた。
「ま、待ちなさい、朱姫──。そんなことをしている暇はないわよ──。もう少しすれば、国軍がここにやってくるわ。すでに、ここの収容所からは道術通信で異変が知らされているの──。逃げるわよ──」
沙那は言った。
朱姫は我に返ったようになった。
「そ、そうだ、沙那姉さん。ここには、ほかにも妊娠させられている女囚や、さらに奥には性奴隷として調教を受けているような女囚もいるんです」
朱姫は足元に捨てられたようになっていた短い下袍をとりあえず身につけながら言った。
「いいわ。可能な限り連れていくわ──。案内して、朱姫──。あんたらも手伝うのよ──」
沙那は怒鳴った。
「はい」
すぐに返事をしたのは、朱姫と一緒に柱に拘束されていた女囚の方だ。
もうひとりの監督囚はまだ呆然としている。
「このいい加減に目を覚ましなさい──」
ものすごい音がした。
監督囚の方の娘をもうひとりの娘が頬を引っぱたいたのだ。
「ひいいっ」
監督囚だった娘が床にひっくり返るほどの平手打ちだ。
「これ以上、面倒をかけるなら、わたしがあんたを殺すわよ──。ほかの女囚たちを助けるのよ──。早く来るのよ、華耶──」
その娘は監督囚の娘の襟首を掴んで、引き摺り起こした。
「う、うん……」
監督囚の娘も、やっと憑きものが落ちたような表情になって頷く。
そして、ふたりが部屋から出て行った。
「さ、沙那姉さん、こっちです──」
朱姫が声をかけた。
沙那は朱姫とともに走り出した。
「ところで、あんた、繁殖囚なの?」
沙那は廊下を駆けながら、朱姫の腹に刻まれている文字を読んで笑った。
「ほ、放っておいてください──。いまは、それについて触れられたくありません」
朱姫が不機嫌に答えた。
*
「来たね……」
孫空女が朱姫の横で呟いた。
ほかの二百五十の騎馬は丘の稜線の後方に完全に隠れさせているが、
手筈通りであれば、いま頃は、沙那が率いる襲撃隊が、収容所に囚われていた亜人たちを解放して、脱走囚の集団を北にある大黒山の砦に向かわせているはずだ。
それを途中で回収するための軍も出ている。
最初の予定では、囚人たちには自力で大黒山に向かわせる予定だったが、今朝になって大黒天がこの収容所からの囚人の解放は、大黒山の賊徒団をあげた仕事にすると決心したので、その収容のために、賊徒団の主力が出迎えと誘導に出動することになったのだ。
だから、おそらく、眼下に見えるあの騎馬隊さえ蹴散らしてしまえば、あとはもう追いついてはこれないだろう。
追いついてきたとしても、すぐに駆けつけられる勢力程度では、大黒山の主力を前にしては、追撃は断念するしかないはずだ。
国都そのものにいる国軍の主力は、徒歩で二日の距離がある。
収容所の襲撃に駆けつけられるのは、国都の外にある訓練場に常時駐屯している数千の隊だけのはずだ。
そして、やはり、その訓練場にいたその隊が出動をした。
国軍のその隊が動いたというのは、訓練場の軍営の近くに潜ませた者たちから報告があった。
また、その訓練場から亜人収容所に向かう街道の要所に埋伏している物見からも、逐次に報告が入っていた。
約五百の騎兵が先行し、一千の歩兵が続行しているようだ。
とにかく、その騎兵の脚をとめてしまえばいい。
それが朱雀たちに与えられている役割だ。
「あたしが先頭を行くよ……。朱雀たちは、あたしが抜けたところを突っ込んできてよ」
孫空女がなんでもないことのように言って、ひとりだけで稜線の上に向かおうとする。
「ま、待て──。女のお前が? お前が抜けたところというのはどういうことだ。敵は五百だぞ──。ひとりで突っ込むのか?」
「まあ、見ててよ」
孫空女は馬の乗ったまま振り向いて白い歯を向けると、そのまま悠々と稜線をあがっていく。
朱雀は舌打ちした。
ひとりで先頭を一騎駆けするなど無謀としかいいようがない。
いくらなんでも死ににいくようなものだ。
まあいい……。
好きなようにやらせるようと思った。
態勢は稜線の上からなら逆落としだ。
ここに集めた騎兵たちなら十分に敵を突っ切れると思う。
それは、孫空女がいても、いなくても同じだ。
朱雀は斜面の下に待機している部下たちに合図を送った。
部下の騎馬がこちら側の斜面で展開する。
土煙はかなり近くなっている。
朱雀は剣をあげた。
横列に展開しているこちらの騎兵がゆっくりと稜線の頂上に進む。
前を見ると、先の頂上には孫空女の騎馬が一騎だけ立っている。
やがて、国軍の騎兵が真下に差し掛かった。
頂上にいた孫空女の姿が稜線の向こうに消えた。
「いけえええ──」
朱雀はもう一度剣をかざして、前に振った。
「おいおおお──」
「おりゃあああ──」
「うおおお──」
馬の肚を蹴った。
駆ける。
稜線を越えた。
敵の騎兵が丘陵の真下だ。
国軍の騎兵は異変に気がついて、移動の態勢から迎撃態勢に陣形を展開をしようとしている。
朱雀は部下とともに、眼下に向かって横隊の中央を駆けた。
ひとりだけ先駆けしている孫空女は、もうすぐ接触する。
孫空女の騎馬は飛ぶように駆けている。
ぶつかった。
朱雀は眼を疑った。
敵の先頭の騎馬が、瞬時に孫空女の金色の棒で打ち落とされたのだ。
孫空女はそのまま駆け抜けていく。
彼女の進むところに、大きな間隙ができている。
「あそこに突っ込め──」
朱雀は咄嗟に叫んだ。
横列だったこちらの騎馬隊が駆けおりながら、縦に態勢を変えていった。
朱雀は先頭になって敵の騎馬の先頭を駆け抜けた。
孫空女はたったひとりで、敵の騎馬を最後尾まで突き崩している。
朱雀も敵を突破した。ほとんど抵抗などない。
孫空女がひとりで崩した間隙を剣を振り回しながら走り抜けただけだ。
孫空女はそのまま敵の騎馬の後方で右に駆けた。大きく回り込んでいく。
集団で孫空女を追う。
孫空女が今度は横から突っ切った。
朱雀以下の騎馬隊も孫空女の後ろから突進して、敵の騎兵の塊りに突っ込む。
前を遮る敵などほとんどいない。
ただ、孫空女が通り抜けたために、誰もいなくなった場所を全騎で駆け去るだけだ。
敵を蹴散らしながら、孫空女の後ろを追いかける。
孫空女がたった一騎でどんどんと進んでいくのが辛うじて見える。
凄まじい勢いだ。
あれは戦いであって、戦いではない。
まるで別のものだ……。
孫空女の進むところで、敵の騎兵が次々に吹っ飛ばされて、誰もいなくなるのだ。
あれを遮ることのできる者などなにもない。
抜けた──。
敵は陣形を崩して、南に潰走を始めている。
「敵は逃げていくよ──。どうする?」
横から駆け抜けたとき、そこで待っていた孫空女が朱雀に言った。
この女、いったいどうなっているんだ……?
あんな戦い方をしたというのに、息も切らしていない……。
朱雀は苦笑した。
「少しだけ、追っておこう──。行くぞ──」
朱雀は掛け声をあげた。
南に散り散りになって逃げていく敵の後ろに追いすがって、二騎、三騎と馬から突き落としていく。
だが、しばらく進んだところで、朱雀は追撃をやめさせた。
兵に命じて、主のいなくなった敵の騎馬を集めさせながら戻る。
全部で百五十頭いた。
散り去った馬も多いし、徒歩になった敵兵はどこかに逃亡していった。
ほとんどは南に去った。
さっきの丘陵に戻った。
あらかじめ準備してあった
そして、街道側の丘陵に杭を打ち込んで街道に向けて馬を横に並べていく。
これで遠くから見ただけだと、まだ、この丘陵に展開をしているように見えるだろう。
収容所を襲う者を率いて別れた沙那という女の知恵だ。
これで、時間を稼ぐということだ。
まあ、あれだけ痛めつけておけば、簡単には近づいてこないだろう。
ばれてもともとであり、一刻(約一時間)でも、二刻(約二時間)でも稼げれば、収容所から逃亡した囚人は、十分に安全な場所に逃亡させることができる。
「行こう、孫空女」
支度が整うと、朱雀は部下に指示をするとともに、孫空女に声をかけた。
国軍を監視するために埋伏していた部下からは、南に逃亡していった敵の騎兵は、後方からやってきている歩兵と合流して、いまは停止しているということだった。
「うん」
孫空女は気持ちのいい返事をして、馬を北に向かって進め始めた。