「いい加減にしなさい、朱姫──」
沙那は怒鳴った。
そして、はっとした。
眼の前の光景が一変している。
さっきまで、
そして、またまた調子に乗って、昼間に沙那に悪戯をした朱姫に懲らしめをしていたのだ。
それがまったく、風景が変わっている。
野宿の最中どころか、眼の前にあるのは鉄格子だ。
どこかの牢の中のようだ。
どういうことだろう……?
「ああ、びっくりした……」
すぐそばで声がした。
振り返ると若い女がいた。
知らない女だ。
鉄格子があって、その向こうにその女がいる。
年齢は二十にはなっていないだろう。
鍛えられた女の身体をしている。装備はないが軍装を思わせる服を身に着けている。
「お姉さん、気がつきましたか?」
別の声がした。
その若い女よりも、さらに向こうだ。
やはり、檻に入っていて、おそらく十二、三歳くらいだ。子供だ。
「こ、ここは……、どこ?」
沙那は思わず呟いた。
眼の前に拡がっているのは、大きな部屋いっぱいに拡がる檻の集まりだ。
沙那は、その中のひとつの非常に幅の狭い檻の中に閉じ込められていた。
高さと奥行きはそれぞれ七尺(約二メートル)はあると思うが、幅は二尺(約六十センチ)程度しかない。
そういう檻が大きな広間にたくさん並んでいる。
ただし、ほとんどが空だった。沙那のいる檻とその隣とさらに向こう、その三個には人がいるが、ほかには誰もいない。
なんだろうこれ……?
「ここは黒松林の砦よ……。なにも覚えていないの? あんたは眠ったままここに連れてこられたのよ」
隣の檻にいる女が言った。
「黒松林の砦?」
沙那はびっくりした。
まったくわからない。
たったいままで、目の前に朱姫がいた……。
宝玄仙の結界の中にいて朱姫がいたし、すぐ近くには、宝玄仙と孫空女が毛布に身体をくるんで横になっていた。
そして、気がついたらここにいた。
一体全体、なにが起きたのだろうか……。
沙那は途方に暮れた。
そして、改めて身に着けているものを探った。
武器の類いはなにもない。
ただ、服が乱れた感じもない。
「わたしは、
「さらわれた?」
沙那は一生懸命に思い出そうとしたが、まったくなにも出てこない。
なにかの理由で意識を失い、そのあいだに盗賊にさらわれてしまったということだろうか?
「……わ、わからない……。なにも思い出せないわ……。わたしは沙那という者。確かに旅の女よ……。でも、連れがいるの。ねえ、わたしは、どうやってここに連れてこられたかわかる? ほかに一緒にさらわれてきた女はいなかった?」
「さあ、わたしたちは、昨日からここに閉じ込められているけど、そのあいだに連れてこられたのはあなただけよ。あなたは、網のようなもので包まれて運ばれてきたわ。そのあいだ、揺られても網から出されても、あなたはまったく目を覚まさなかった。わたしは、あなたが怪我でもして起きあがれないのかと思っていた……」
「起きなかった?」
どういうことだろう?
「でも、黒松林たちは、あなたがなにかの道術に掛けられて眠っているだけだと言っていたわ。時間が経てば、術が切れて目を覚ますとも言っていたけど……」
白女真が言った。
術に掛けられた……?
それで連想するのは、朱姫の『縛心術』だ。
もしかしたら、自分はあのとき、朱姫の『縛心術』に掛けられたのだろうか……?
それで、なんらかの事件が起きて、賊徒にさらわれてしまった……。
そう考えれば、辻褄はつかないことはないが……。
朱姫の『縛心術』に掛けられて、気がついたら、素っ裸で見知らぬ城郭の真ん中に捨てられていたという経験は、二度や三度ではない。
あのお調子乗りのやることだから、もしかして、同じことをしたのではないか……?
それで、もしかして、なにかの手違いで、まだ、意識を回復しないままに盗賊にさらわれてしまったとか……。
いずれにしても、手掛かりが少なすぎて、なにが起きたのかを判断することはできない。
「ここは賊徒の砦と言っていたかしら? もしも、わたしが誰かと一緒にさらわれたとしたら、わたしだけがここに監禁されて、ほかの者が別の場所に連れて行かれるということもあるかしら?」
沙那は訊ねた。
「さあ……。わたしの知る限り、奴隷商に売る女たちを監禁する場所は、ここだけのはずよ。もっとも、わたしも砦のとこを全部知っているわけじゃないけど。なにしろ、わたしだって、昨日さらわれて、すぐにここに入れられ、夜になって外に出されて賊徒たちに犯され、再びここに放り込まれたというだけだもの」
「あななたちも、盗賊団にさらわれてきたということ?」
だんだんと頭が回ってきた。
つまりは、なにかの手違いで、沙那は盗賊団に捕らえられて、いま監禁されている。
そういうことなのだと思う。
朱姫め……。
沙那は舌打ちした。
「ええ……、そして、今日になって、あなたがひとりだけ連れてこられた……。知っているのはそれだけよ。わたしたちは奴隷商に売られるらしいわ」
白女真が言った。
「奴隷商に売るの? わたしたちを?」
「それが連中の商売なのよ。女や子供をさらって、奴隷商に売り飛ばす……。でも、大丈夫よ。もう、策を仕込んであるから……」
白女真が声を潜めた。
「どういうこと、白女真さん?」
策とはどういう意味だろう……。
「向こうにいる愛麗が実は服の中に、強い痺れ薬を隠し持っていたのよ。連中は、わたしやあんたのことはそれなりに調べてから檻に入れたんだけど、愛麗のことは大して調べなくてね……。それを地湧子に渡したの……」
「地湧子?」
「ああ、ごめんなさい……。わたしたちは三人連れなのよ。つまり、隊とはぐれて、一度に捕まったのが三人という意味だけど……。それで、もうひとり一番、年齢の幼い十歳の地湧子という童女がいるんだけど、連中はその地湧子に、わたしたちの世話をすることを命じて、檻の外に出しているの」
「檻の外?」
「奴隷商がやってくるまで、わたしたちの食べ物や飲み物を運んだりしたりしなければならないでしょう。その地湧子に、愛麗が隠し持っていた痺れ薬を渡したのよ。地湧子は、隙を見て賊徒たちの料理にそれを混ぜるはずよ……。うまくいけば、今夜のうちにでも脱出できるわ」
「毒を盛るということ? 危険では?」
十歳の童女にそんなことをさせるのか?
もしも、ばれたら……。
「ここの連中は、昨夜は大鍋に料理を作って、それを食べながら酒盛りとして、そのあいだに、わたしを犯したのよ──。今夜も同じことをする気配だった。わたしは地湧子に、その鍋に痺れ薬を仕込めと指示をしているわ……」
白女真が言った。
よくわからないが、なにかの策が進行中のようだ。
「ここの賊徒は何人?」
沙那は詳しいことを訊ねる前に聞いた。
「二十人くらいだと思う……」
「二十人か……」
沙那はそっと自分の首にある飾り輪に触れた。
それは宝玄仙が供の全員の首に装着したもので、供がどこか遠くに行っても、宝玄仙の道術でその居場所を追いかけられる機能がある。
もしも、さらわれたのが沙那だけだとしたら、宝玄仙たちは、首輪から発する霊気を辿って、すでに沙那を探してやってきているはずだ……。
「……だったら、夜まで待つ必要はないかもしれないわ……。たった、二十人のことだったらね……」
沙那は白女真に言った。
「どういうこと、沙那さん?」
白女真は首を傾げた。
そのとき、この広間の出入り口と思われる方向から大きな騒音がした。
「は、白女真姉さん──。大変です──」
突然、その出入り口側からひとりの童女が走ってきた。薄桃色の着物を着ている。また、両手首に短い鎖のついた手錠を嵌めていた。
もしかしたら、この子が白女真が話していた地湧子という童女だろうか?
確かに、年齢は向こうにいる愛麗よりも下だろう。
おそらく十歳くらいだと思う。
なにか血相を変えた感じだ。
「まったく、手応えのない連中だよ──。呆気なく、全員逃げ散っちゃった。なんだったのかねえ、あれ?」
孫空女の声がした。
「孫女──」
沙那は叫んだ。
「やあ、沙那、とんだ災難だったね──。今回のことは、朱姫とご主人様が悪いのさ。うんと文句を言うといいよ」
『如意棒』を肩に担いだ孫空女が檻の外にやってきた。
後ろから宝玄仙と朱姫も歩いてくる。
「……あ、あの沙那姉さん……。よ、よかったです。無事で……」
「お前には悪いと思っているよ、沙那。だから、怒らないでくれよね。『移動術』で追跡してきたら、おかしな副作用があるから気を使って、それを遣わなかっただろう。外の連中は、もういないよ。孫空女が蹴散らしちまったからね。さあ、こんなところ、出ようじゃないかい」
朱姫と宝玄仙が悪びれた表情でそれぞれに言った。
「す、すごかったです。大勢の賊徒があっという間に……」
最初にやってきた童女が興奮した様子で声をあげた。
彼女が地湧子なのだろう。
その地湧子は、無邪気そのものの様子で、手足尾ばたばたと振りながら、顔を破顔させた。