636 宿屋の再会
一階に食堂があり、二階に泊りのための部屋が並んでいるどこにでもある宿だ。
荷を置いて下におりると、卓をひとつ占拠して豚の肉を四人分注文した。
すでに夕方で、店はたくさんの客で賑わっている。
一階の食堂は酒場を兼ねていて、酒をだけを飲むに来た客も大勢集まっていた。
だが、料理が来るまで沙那は口を開かなかった。
朱姫にも口を開くなと言ってある。
一方で、宝玄仙と孫空女は事態を見守るような感じで黙っている。
珍しく、不思議な沈黙が四人を流れていた。
料理がやってきたところで、沙那はやっと口を開いた。
「じゃあ、喋りたいことがあるなら、喋りなさい、朱姫」
沙那はむすっとしながら言った。
「ねえ、いい加減に機嫌を直してくださいよ、沙那姉さん……。あたしが悪かったともう何度も言ったじゃないですか。ごめんなさい、沙那姉さん」
朱姫が言った。一応は反省しているような表情はしている。
だが、この娘は、こんな悪びれたような顔をしながらも、次の瞬間にすぐに嗜虐の悪戯を思いついて実行に移したりするのだ。
今度という今度は、簡単に許す気にはなれない。
「お前のごめんなさいは聞き飽きたわ。ごめんなさいが呆れるわよ。ごめんなさいと言いながら、次の瞬間に、わたしに『縛心術』をかけ直して悪戯するなんてどういう神経をしているのよ。『縛心術』の悪戯をやめないのなら、わたしにも考えがあるわよ」
「な、なんですか、考えって……」
朱姫がおどおどした感じで言った。
「お前を嫌いになるわ」
沙那は朱姫の顔に思い切り、顔を近づけて睨んだ。
さすがに、朱姫もたじろいだ顔になる。
「かけてごらんなさいよ、ほらっ──。わたしは無防備よ。どうせ、お前の不思議な力には対抗できないわよ──。お前は道術遣いで、わたしはただの人間だものね」
「それは違いますよ、沙那姉さん……。ただの人間と道術遣いは、道術遣いの方が弱いんですよ。だって、霊気を持たない人間には道術は通用しないんですから」
「だったら、なんで、お前の道術がわたしにかけ放題なのよ──」
沙那は卓をどんと叩いた。
「さ、沙那、問題がずれていないかい──。あっ、いや、ごめん、もう口挟まないよ。好きにやってて……。あたしは肉を食べているよ」
孫空女が横からなにかを言ったが、沙那が睨むと慌てたように眼を逸らした。
宝玄仙も苦笑をしながらもなにも言わない。
孫空女とともに、自分の皿に肉を取って食べ始める。
「あ、あたしも食べていいですか、沙那姉さん……。お腹すいているし……」
朱姫がおそるおそるという感じて沙那を見た。
しかし、沙那が睨むと、口の中でごにょごにょと言って下を向いた。
「今日という今日は簡単なことじゃ許さないわよ、朱姫……。ちょっと、そこで待ってなさい──。ねえ、ご主人様、朱姫にわたしの命令に逆らわないようにはできないのですか? ご主人様の道術を遣ってですけど。この朱姫も一度、操られる怖さを味わえばいいと思うんですよね。そうすれば、それがどんなに理不尽なことかわかるというものです」
沙那は宝玄仙に視線を向けた。
「んっ? そうだね。できるんじゃないかねえ。まあ、『縛心術』にかけては、さすがのわたしでも、朱姫には霊気の強さでかなわないんだけど、朱姫がすすんで、わたしの『縛心術』を受け入れれば、多分、沙那の言葉に逆らえなくなる暗示は与えられはずさ。道術をかけるのはわたしであり、お前の言葉が操りの暗示になるように擦り込めばいいだけだからね。霊気のないお前でも朱姫を操れるよ」
「本当ですか──。よおし──。だったら受け入れなさい、朱姫──。それで今回は許してやるわ」
「ほ、本当ですよ、沙那姉さん……。で、でも、あんまり変なことしないでくださいね……」
朱姫が言った。
沙那は朱姫の頬に手を伸ばして、その片方の頬を思い切り摘まんだ。
「い、痛い、痛い、痛いです──。や、やめて」
「あんまり変なことするなですって──? どの口がそんなことを言っているのよ? この口? この口がそれを喋っているの?」
沙那はぐいぐいと頬を捩じりあげる。
朱姫は悲鳴をあげた。
沙那が頬を離すと、朱姫が片方の眼に涙を浮かべながら頬を押さえた。
「ほら、ご主人様の『縛心術』を受け入れなさい、朱姫」
「うう……。じゃあ、お願いします……。霊気を解放しました……」
朱姫がまだ手で頬を押さえながら宝玄仙を見た。
「そらよ」
宝玄仙が肉を食べる手を休めて、一瞬だけ朱姫を見る。
そして、すぐに肉を食べ始める。
「もう、終わったんですか、ご主人様?」
沙那は呆気なさに驚いた。
「まあね……。朱姫、お前は沙那の言葉には逆らえなくなるよ。明日の朝までね」
宝玄仙が無造作に言った。
その瞬間、一瞬だが朱姫の眼が虚ろになったのがわかった。
その変化はすぐに元に戻って不自然さはなくなったが、沙那は本当に宝玄仙の暗示を朱姫が受け入れたのだと思った。
「へえ……。じゃあ、試してみようかな……。朱姫、ここで下着を脱ぎなさい。
沙那は朱姫の耳に顔を近づけて、ささやくように言った。
途端に、朱姫の耳が真っ赤になった。
「えっ、ここで? ここで脱ぐんですか、沙那姉さん……? ああ、でも……」
「下着を脱ぐのよ……。い、ま、こ、こ、で、脱、ぎ、な、さ、い……」
沙那はひと言ひと言、ゆっくりと朱姫の耳元で言ってやった。
本当に沙那の言葉に逆らえなくなったのか知りたかったのだ。
こんな人目のある場所で、下着を脱げなどという命令は、沙那は死んでも嫌だ。
演技なんかで、そんなことはできない。
朱姫が気の毒くらいに顔を真っ赤にして、周囲の視線を気にしながら腰を浮かせて、下袍の中に手を入れて、下着を足首までおろしていく。
朱姫はそれを本当に卓の上に乗せた。
さすがに沙那はそれをいつまでも卓には置かせずに、自分の懐に隠してやった。
「朱姫、犬のくせに、どうして椅子に座っているのよ。犬は四つん這いでしょう。人間と一緒に食べるんじゃないのよ。卓の下で手を使わずに食べるんでしょう?」
沙那は意地悪く言った。
「あ、あたしが犬?」
朱姫は困惑している。
だが、本当に逆らうことはできないようだ。
四つん這いになって、卓の下にうずくまった。
周りの客たちも、さすがにここの様子がおかしいのに気がついて、ちらちらと視線を送る者が出始めた。だが、沙那は気にしなかった。
それにしても、気分がいい……。
あの朱姫が沙那の言葉に逆らえないのだ。
昼間の溜飲一気に下がる気がした。
「沙那も結構意地悪だねえ。まあ、ある程度いたぶったら、もう許してあげなよ」
孫空女が苦笑している。
「冗談じゃないわよ。明日の朝までたっぷりと仕返ししてあげるわ──。ねえ、ご主人様、今日のお勤めは勘弁してくれませんか? ねっ──。わたしと朱姫を同じ部屋にさせてください」
沙那は言った。
今夜取った部屋は二人部屋がふたつだ。
だから、そういう部屋割りにしてしまえば、孫空女には悪いが、宝玄仙の相手をしなくてもすむし、朱姫にはたっぷりと仕返しもできるし一石二鳥だ。
「え、ええっ──。そ、そんな狡いよ──。公平に決めようよ──」
孫空女が声をあげた。
しかし、横で宝玄仙が大笑いした。
「うるさいねえ、孫空女──。なんか、わたしの相手をするのがそんなに嫌かい? まあいいよ。だったら、たっぷりと可愛がってやるから、お前がわたしの部屋に来るんだ」
「うう……。わ、わかったよ、ご主人様……」
孫空女が肩をうな垂れた。
心の中で孫空女に誤りつつ、一方でまったく気にしないようにするという、心の二枚舌を使いながら、沙那は孫空女の不満そうな顔を気にしないようにした。
それができなければ、こんな変態女主人の供などできやしない。
「ほらっ、犬、食事よ、お食べ──」
沙那は、いまは三人の座る卓の下に完全に隠れるようにしている朱姫の前に肉の切れ端を放り投げた。
朱姫が床に落ちた肉を口で咥えて食べ始める。
面白い──。
沙那は興奮してきた自分を感じていた。
「お前も本当に面白い性格をしているよねえ……。いつもわたしらの悪戯には文句ばかり言うくせに、いざとなったら、かなり残酷なことを平気でやるよねえ」
宝玄仙が呆れた声をあげた。
「なに言っているんですか、ご主人様──。これはお仕置きなんです──。ご主人様たちの悪戯とは違います。一緒にしないでください」
沙那は口をとがらせた。
「わかった、わかった」
宝玄仙は笑った。
「あ、あの隣で食事をさせてもらって、よろしいですか?」
沙那は顔をあげた。
驚いた。
あの賊徒の砦で別れたきりの
「ど、どうしたの、これ?」
愛麗が卓の下で四つん這いになっている朱姫に目を丸くしている。
「あ、ああ、なんでもないのよ──。朱姫、椅子に戻りなさい。普通に食事をしていいわ」
沙那は慌てて言った。
「あっ、は、はい──」
朱姫が我に返ったような声をあげた。
そして、何事もなかったかのように、潜り込んでいた卓の下から這い出て来て椅子に座り直す。
白女真たちが驚いた顔をしている。
「どうやら、お前たちも無事に陥空山と国境を越えられたようじゃないかい。よかったよ──」
宝玄仙が悪びれた様子もなく笑った。
沙那は横の卓についた地湧子を見た。
地湧子は腹を立てているようだけど、妙に宝玄仙を怖がったり、あるいは、心に妙な傷がついたという感じでもない。
とりあえず、ほっとした。
しかし、宝玄仙の傍若無人にもほどがある。
こんな童女に性的な悪戯をするなど……。
一体全体、この女主人の頭の構造はどうなっているのだろう……。
とにかく、みんなで一緒に食事ということになった。
まずはお互いに自己紹介をした。
沙那は宝玄仙に無理矢理に謝罪をさせた。
あっさりと地湧子も白女真も宝玄仙の謝罪を受け入れた。
そして、その後は他愛のない話をした。
この三人は貧婆国の西にもう少し進んだところの土地に向かうということもわかった。
沙那たちはどこに向かう旅なのかと訊ねられたので、西方帝国を縦断して、魔域に向かう予定だというと、三人とも目を丸くしていた。
白女真は孫空女を気に入ったようだった。
しきりに、武術の話を孫空女に求め、それに対して、孫空女が武術について熱心にそれに応じていた。
沙那は珍しいこともあるものだと思って、話に興じるふたりを見ていた。
孫空女の武術は天下無双といっていいが、まったくの我流だからと、いつもは腕自慢のようなことは言わないのだ。
その孫空女がいままでに相手をした敵のことについて一生懸命に説明したりしている。
また、愛麗は無口の性質のようだが地湧子は多弁だった。
沙那たちの旅のことを聞きたがり、沙那も宝玄仙に求めに応じて、旅の珍しい思い出などを話したりした。
お互いの卓の上の皿が空になる頃には、お互いにかなり打ち解けた。
食事も終わる頃に白女真が、明日の夕方には白女真たちの故郷にも到着するはずなので、どうか立ち寄って欲しいと誘ってきた。
宝玄仙も今度は驚くほどに簡単にそれを受け入れた。
つまり、明日はこの七人で一緒に旅をするということだ。
そして、明日の夜は、白女真たちの故郷の家に泊ることにもなりそうだ。
「ねえ、宝玄仙様、孫空女とはもう少し夜話をしたいですわ。よければ、もう少し、孫空女さんをお貸し願いませんでしょうか? わたしたちは四人部屋を借りたんです。もしも、長くなるようだったら、そのまま寝てしまってもいいし……」
そろそろ解散をしようという気配になったとき、突然、白女真がそう言った。
沙那は、孫空女は宝玄仙の夜の相手をすることになっているから駄目だと口を出しそうになり、慌てて口をつぐんだ。
「そうだね……。あたしもそうしたよ……。いいでしょう、ご主人様」
孫空女が言った。
沙那はちょっとびっくりした。
無頓着のようで孫空女はかなり、みんなの旅の安全には気を使ってくれている。
いつもは、余程のことがなければ、みんなと別れて休もうとはしないのだ。
「珍しいことがあるものだね、孫空女。まあいいさ。許すよ──。その代わり、わたしの部屋には沙那がおいで──。命令だよ。朱姫のことについては、保留だ。今夜のわたしの相手はお前がするんだ」
宝玄仙が言った。
「ええっ──?」
沙那は大声をあげてしまった。
*
階段をあがって、部屋に入った。
白女真は集団の一番後ろを孫空女とともに進んだ。部屋は最奥だ。
まずは、朱姫が手前の部屋にひとりで入っていく。
なぜか、朱姫は機嫌がよさそうだった。
次の部屋には、宝玄仙と沙那が入った。
沙那の落ち込みようは不思議なほどであって、なにかあったのだろうかと白女真は首を傾げた。
沙那は宝玄仙に二の腕を掴まれて、引き摺られるように部屋に入っていった。
三部屋ほどを挟んで、白女真たちが取った部屋だ。
もちろん、宝玄仙たち四人がこの宿を取ったのを確認して、やや強引に部屋を取ったのだ。
「さあ、入るがいい、孫空女……」
部屋の前に来ると、さっきまでの子供っぽい口調とはがらりと変わった地湧子が、扉を開いて孫空女を中に促した。
孫空女は、食事の最中に地湧子に道術にかけられたのだと思う。
なんの抵抗もなく、のこのことひとりで部屋にやってきたのはそのためだ。
孫空女が地湧子の道術にかけられているのは、宝玄仙も朱姫も沙那もまったく気がつかなかったようだ。
孫空女が部屋に入ると、白女真は部屋の鍵を内側からかけた。
地湧子に操られている孫空女は、部屋に数歩進んだ場所でぼうっとしている。
「ちょっと待て──。どんなに騒いでも、声が外に漏れんように道術をかけるからな……。よし終わった──」
地湧子が椅子を持ち出してきて、孫空女に向き合うようにちょこんと座った。
「さて、じゃあ、心の縛りは解いてやろう、孫空女……。心を操ったまま意地悪をしても面白くないからな……。だが、身体の縛りは解かんぞ。今夜はとことん、この三人で遊んでやる。そして、朝になったら、もう一度、『縛心術』にかかってもらう。心を操って、宝玄仙を捕らえる道具になってもらうためにな」
地湧子がくくくと笑って、手をぽんと叩いた。
「えっ? あ、あれっ? あたし……?」
やっと我に返った孫空女が目を丸くしている。
「さて……。別段、お前には恨みはないけどな……。まあ、主人の罪は供の罪でもあろう。わたしが味わった恥辱をお前で返してやる……。悪う思うな──。じゃあ、まずは、下袴と下着でも脱いでもらうか? そこで下半身はすっぽんぽんになれ」
地湧子が言った。
孫空女の顔がきっと険しくなった。
「お、お前──な、何者だよ──。ただの子供じゃないね──?」
孫空女が声をあげた。
「それがどうした、孫空女──。それよりも下の服を脱げ──。いろいろと趣向があるぞ……。夜は長い……。愉しもうな、孫空女」
地湧子が笑った。
「なに? あれっ? な、なに? て、手が勝手に……」
孫空女が困惑している。
その孫空女の両手がゆっくりと下袴の腰の紐を解き始めた。