「は、八仙?」
声をあげたのは孫空女だ。
もちろん、沙那もびっくりした。
「
地湧子、すなわち、
「残念ながら、
「ええっ? そこから──?」
「とにかく、誰が操っているだろうと思ったら、
「ちっ、最初からばれていたのかい──。お前も人が悪いよ。わかったなら、わかったといえばいいじゃないかい──」
「なんか面白そうなことになりそうだったからね……。だけど、孫空女や朱姫に手を出し、今度は沙那を襲いそうな気配だったからね。泳がすのはやめたんだよ──」
「最初から遊ばれていたのは、わたしの方だったのね──。さすがはあんたよ──」
地湧子はごろりと横になった。
そして、寝台の頭側に両手を伸ばして、完全にくつろぐ態勢になった。
その傍若無人ぶりに、沙那は呆れてしまった。
帝国にいた時代には、天教の八仙というのは雲の上の存在だったが、宝玄仙といい、宝玄仙を二年間も調教したという闘勝仙という男といい、そして、この藍采仙といい、八仙のいうのは誰も彼も人格に問題がある者ばかりなのだろうか……。
沙那は嘆息した。
「冗談じゃないですよ。そんな前におかしいと気がついたなら教えてくださいよ、ご主人様──。寸前で防げたからよかったものの、わたしまで『縛心術』に支配されていたら、ご主人様といえども危なかったですよ」
沙那は宝玄仙に言った。
「まあ、そうだね。わたしの狙いもそこにあったんだからね。実のところ、わたしがここにやってきた目的は宝玄仙を帝国に連れ帰ることよ。そのためには、『縛心術』にかけてしまうのが一番手っ取り早いと思ったんだけどねえ……。お前のことだから、一緒に帰ろうと素直に言っても言うことをきかないだろう、宝玄仙?」
寝台に寝転んで、なんだか落ち着きなく寝返りを打ったり、姿勢を変えたりしている地湧子が言った。
沙那はびっくりした。
「ご、ご主人様を帝国に連れ帰る──?」
沙那は声をあげた。
「……そんなことよりも、藍采仙──。お前って、百合の趣味があったのかい? そんなことちっとも知らなかったよ。てっきり性嫌いの堅物とばかり思い込んでいたからねえ……。そうとわかっていたら、帝都時代にも、一度か二度は手合わせをしたかったねえ」
宝玄仙がにやにやと笑いながら言った。
「な、なんで、そんなことよりもなんですか、ご主人様──。そんなこと、それこそ、どうでもいいじゃないですか──。ねえ、藍采仙殿、ご主人様を連れ帰るというのはどういう意味ですか──?」
沙那は藍采仙に詰め寄った。
「宝玄仙に戻って欲しくてね。天教改革を進めようとしているわたしの片腕になって欲しいんだよ。性格には問題があるけど、なんだかんだで、宝玄仙ほど霊気の強い道術遣いはいないし……」
藍采仙が言った。
そして、地湧子はやっと上半身を起こして寝台に座り直した。
「ねえ、是非とも戻ってきておくれよ、宝玄仙」
「お前の片腕? なんだいそれ? それにしても、改革だかなんだか知らないけど、仕事嫌いのお前にしては前向きじゃないかい、藍采仙」
「仕方ないでしょう。帝仙になったんだから」
藍采仙は胡坐にかいた身体で肩を竦めた。
「ご主人様、帝仙ってなんだい?」
孫空女が口を挟んだ。
「帝仙というのは、八仙の中で一番格式の高い存在のことさ。つまりは、天教の第一人者ということだよ、孫空女──」
宝玄仙が孫空女に応じた。
そして、再び藍采仙に向き直る。
「だけど、帝仙は
「曹国仙は引退したわ……。いろいろあってね……。それだけじゃない。闘勝仙事件の後、お前が帝都に残ることに怯えて天教に圧力をかけて、お前を巡礼の旅に追いやった皇太子がいたでしょう?」
藍采仙が言った。
「ああ、いたねえ……。あいつのお陰でわたしは、西方巡礼に向かうことになったんだ。まあ、いい隠れ蓑だったけどね。どうせ、早晩、わたしが闘勝仙を惨殺したことは知れたに違いないしね──。あの皇太子は、闘勝仙にすりよって、このわたしの身体を愉しんだりしてたのさ。それで、自分もわたしの復讐の対象だと思い込んだようだね」
「えっ、皇太子?」
沙那はびっくりした。
「ああ、だけど、闘勝仙はわたしを娼婦のように扱って、いろいろな奴に抱かせたからねえ。そいつら全部に復讐していたら何人殺さなきゃならないか、わかりゃしない──。皇太子には手をつけるつもりはなかったけどね」
しかし、宝玄仙はあっけらかんと続けた。
つらい思い出を淡々と言ってのけるのは、宝玄仙の頼もしいところだ。
沙那はそれについてだけは、宝玄仙を尊敬できる。
それについてだけだが……。
「その皇太子も失脚したわ、宝玄仙」
「失脚──?」
「皇太子を廃されたのよ──。素行の悪さがいろいろと明るみに出てね……。それで現帝がついに皇太子を廃すことを決めたのよ。いまは、次男が皇太子になったわ」
「へえ、帝都も変わったんだねえ……。次男はいい青年だったからわたし好みだよ。こっちから一度お願いして食ってみたいと思うほどにね……。それにしても、お前が帝仙かい──? つくづく、時の流れを感じるよ──」
宝玄仙が言った。
「どうでもいいけど、さっきからお前、わたしのことを“お前”、“お前”って……。別に尊敬しろとはいわないけど、少し先輩八仙に敬意を示したらどうなんだい、宝玄仙? わたしはお前が産まれた頃から、八仙をやってるんだよ」
藍采仙が言った。
「それがどうしたんだよ、お前」
宝玄仙が白い歯を見せた。
「ちっ、まったく可愛げがないねえ……。だから、色々な者を敵に回すのよ」
「その点、お前は立ち回りはうまかったよねえ……。いつも、一番表には出ずに、三番手、四番手のいい位置を占めて、うまく世渡りをしていたよねえ」
宝玄仙は笑った。
横でふたりのやり取りを聞いていた沙那は嘆息した。
「だいたい、お前って、どうやってここまで来たんだい? わたしでさえ、ここまでやって来るのに四年かかったんだよ」
宝玄仙が言った。
それは沙那も不思議だった。
「
藍采仙は言った。
沙那はあの男が復活したのかと思った。
鎮元仙士とは、かつて、天教の命で金角と銀角を沙那たちにけしかけさせる工作をした天教の幹部であり、そのときに返り討ちにして石化し、そのまま放置してきた。
一年はそのままだろうと宝玄仙が言っていたが、ついに救出されたのだろう。
「誰だい、鎮元仙士というのは……? だけど、聞いたことがあるような……」
宝玄仙が首を傾げた。
忘れているということに沙那はびっくりしたが、あれは演技ではない。
本気で一所懸命に思い出そうとしている……。
沙那は呆れた。
「お、お前、せめて記憶くらいしてやっておくれよ。鎮元仙士はお前への恨みで頭がおかしくなってしまったほどなんだよ──。それを忘れるなんて──」
藍采仙も声をあげた。
沙那は鎮元仙士について説明した。
宝玄仙はやっと思い出したようだ。
「そんな奴もいたねえ……。なにせ、敵が多くてね。いちいち覚えてもいないよ」
宝玄仙が笑った。
「ねえ、宝玄仙、頼むよ──。帝都に戻っておくれ。お前を帝都から追い出した者はすべていなくなったわ。もう、戻ってきても誰もお前を阻害しないし、陰謀を企むような者はいない。天教も帝都も変わったのよ──。もう、こんなつらい旅を続ける必要はまったくなくなったのよ──」
すると、藍采仙が急に姿勢を正して真顔になった。
「帝仙として宣言する。八仙たる宝玄仙の西方巡礼の任を解く──。天教本部への帰還を命令する──」
藍采仙ははっきりと言った。
そして、にっこりと微笑んだ。
「……そなたの旅は終わりだ……。これまでよく頑張ったな。宝玄仙の……お前の名誉はずでに回復されている。帝国に戻れ」
*
「八仙たる宝玄仙の西方巡礼の任を解く──。天教本部への帰還を命令する──。宝玄仙の名誉のすべては、ここに回復された……。……そなたの旅は終わりだ……。これまでよく頑張ったな。宝玄仙の……お前の名誉はずでに回復されている。帝国に戻れ」
宝玄仙はしばらく口を開かなかった。
その言葉の意味を考えていたのだ。
言葉そのものの意味ではない……。
それはわかる。
どんな心境の変化があったのかわからないが、この八仙の中でもっとも年長でありながら、面倒がって帝仙になるのを拒み続けた藍采仙がついに帝仙になった。
そして、その名において、宝玄仙が帝都を追い出されるきっかけになったすべてのことをご破算にしたということになるのだろう。
天教として、宝玄仙を復権させるということのようだ。
この四年のことのすべてをなかったことにして……。
しかし、宝玄仙自身にとって、それはどういう意味があるのだろう。
それなりに尽くしたつもりだった天教は、宝玄仙をなにも助けてくれなかった。
闘勝仙の罠にかかり、惨めな思いをし続けていた自分を見て見ぬふりをした。
やっと闘勝仙への復讐を果たして、自分の力で闘勝仙の支配からの解放を果たした宝玄仙に、教団は帝国からの追放も同じ西方巡礼を命じた。
あのとき、教団は宝玄仙が旅の途中で殺されるか、行き倒れになることを予想してたはずだ。
そうはならないと知ると、教団兵を送って暗殺しようとしたり、帝国の息のかかる諸王国に手を回して、宝玄仙を逮捕させようとした……。
それをすべてなかったことにしようというのか……。
まあ、それもいいだろう……。
だが、もはや、それ自体になにかの意味があるのだろうか……。
名誉を回復する──?
教団に回復をしてもらう名誉などありはしない──。
宝玄仙の名誉は宝玄仙ものだ。
それは自分で回復した──。
「ねえ、宝玄仙……」
藍采仙が声をかけてきた。随分、沈黙が長くなったからだろう。
「わたしは天教を破門されているはずだろう?」
宝玄仙はそれだけを言った。
「そ、それはわたしが取り消した。いまでも、宝玄仙は八仙の一員よ。天教の最高幹部よ。お前の名誉も地位もすべて復活させたわ」
藍采仙は言った。
「……それで、もしかして、お前はそれをわたしに言うために、こんなところまでやってきたのかい、藍采仙?」
宝玄仙は口元を綻ばせた。
笑いそうになった。
ここは、辿り着くまでに四年もかかったほどの距離がある異郷なのだ。
それをわざわざ、帝仙になったという藍采仙が追いかけてきたのか……。
「わたしは本気よ、宝玄仙──。お前に戻って来て欲しいのよ──。なんだかんだで、お前は頼りになる──。わたしは天教改革をする。それを手伝って欲しいのよ。もちろん、沙那も孫空女も朱姫も天教の幹部として迎え入れるわ。ねっ、いいでしょう──。戻ってきてよ──」
「沙那や孫空女はともかく、朱姫は半妖だよ──。半妖の朱姫を天教が迎えられるわけないだろう──」
「黙っていればいい。朱姫が半妖だなんて、誰にもわかりはしないわ。それにわたしの天教改革は、まさにそこにある。わたしは亜人や半妖を妖魔と称して排除してきた天教の禁忌をなくしたいの──。朱姫のような半妖の存在を連れ帰るのはその一歩にもなるわ。わたしは、わたしの代の帝仙時代に、天教に亜人や半妖を認めさせるつもりよ──」
「亜人や半妖を天教が受け入れる?」
「ええ、わたしは本気よ──。白女真も愛麗も連れ帰る。ふたりにも妖魔の血が混ざっているのよ。彼女たちは、もともとわたしがいなければ死んだも同じ存在だし、術とは関係なく、もうわたしを慕ってくれている。わたしは、半妖とともに、この地から帝国に帰還する──。まあ、最初はそれを隠すつもりだけどね……」
「ほう……」
「もちろん、半妖や亜人を認めさせるように人々の心を入れ替えていく作業は簡単ではないことはわかっているわ。早急に進めるつもりはないけど、それに関わる者は必要なのよ。それは天教の中からでは調達できない。外から入れなければ……。白女真や愛麗をまずは天教の重鎮に仕立てあげる……。朱姫のような存在もね。そして、あなたたちにも手伝ってもらいたいのよ」
藍采仙は言った。
宝玄仙はびっくりした。
「亜人や半妖……。つまりは天教……というよりは、帝国の中で妖魔を認めるようにするということかい──。大きく出たねえ──。だけど、そんなこと、すぐにできると思っているのかい、藍采仙?」
「どんなに長い時間がかかることでも、やり始めることはすぐにできるわ」
藍采仙はきっぱりと言った。
「だけど、なんでそれをしようと思うんだい? お前にとって、妖魔や亜人がなにかあるのかい?」
宝玄仙は驚いていた。
宝玄仙にとっては母親の影響で、妖魔というのは幼いころから身近な存在だった。
だが、多くの帝都の臣民にとっては、妖魔はおどろおそろしい災悪だ。
その意識を変化させるというのは、天教といえども並大抵のことではないだろう。
しかし、なぜ、藍采仙がそれをしようと思うのか?
それが不思議だった。
「……これは誰にも言っていない秘密よ……。これを告げた以上、絶対にお前には、協力者になってもらうわ、宝玄仙……。それでも、理由を知りたい?」
藍采仙が宝玄仙をじっと見ながら、そう前置きした。
「怖いねえ……。とりあえず、言ってみな、藍采仙」
宝玄仙は言った。
「わたしは半妖なの──。十六分の一だけど……。帝仙のような注目される存在から逃げ回っていたのは、その秘密を隠すためよ。だけど、もう、それを許されない立場になってしまった。なってしまった以上、わたしは、わたしの夢を実現したい。帝国や天教を亜人を妖魔だと呼んで差別しない場所にしたい。それがわたしの夢よ。そして、それに協力してくれる仲間がどうしても欲しいのよ」
藍采仙が言った。
さすがに宝玄仙は驚愕した。
「これを告白した以上は、もう帝都には戻らないという言葉は許さないわ、宝玄仙──。なにがなんでも、一緒に帝都に戻ってもらうわよ」
藍采仙が宝玄仙を睨んだ。