「まだ、白状する気にならんか──。
高後手縛りに縄掛けされた沙那の背中に、竹の鞭が炸裂した。
「あぐううっ──」
背中の皮が破れる感触がはっきりと伝わってきた。
沙那は激痛に心からの悲鳴をあげながら全身をのたうたせた。
しかし、激しい動きは、正座を強いられている脚の下にあるのこぎりの歯のようなぎざぎざの木の台からの激痛を生んでしまう。
しかも、沙那の腿の上には大きな石の板が乗っている。
それが沙那の脛に信じられないくらいに痛みを与え続ける。
沙那は鞭で肌が破ける痛みと、脚にかかる重みで正座の脚に激痛が加わる苦しみに大きな呻き声をあげた。
「ま、待って……。し、知らないの───。ほ、本当よ……。わ、わたしたちは、脅されて戦わされていたのよ──。本当よ──」
沙那は責めのあいだを縫って、荒い息とともにやっと叫んだ。
しかし、それが拷問者の満足する返答でないことはわかっている。
「まだ、そんなことを言っているのか──」
背中に二発、三発と竹鞭が振り下ろされる。
「ひぎいっ──あがああ──」
沙那は泣き叫んだ。
脱走に成功するときに、追っ手の衛兵の前に、道術で身体を弛緩されて残された沙那と孫空女は、すぐにこの軍営の訊問部屋に連れ込まれて、拷問を受け始めた。
王小二に飲まされた薬液と道術による全身の弛緩は、この軍営に連れ込まれるまでに回復したものの、すっかりと拘束されてしまった沙那と孫空女に、逃亡の手段は残されていなかった。
そして、この大きな部屋に二人揃って連れ込まれた沙那と孫空女は、二十人くらいの衛兵に身体を押さえられて、よってたかって服をはぎ取られて全裸にされ、手足を拘束されて、それぞれに拷問をされ始めたのだ。
沙那については、腕を背中に曲げられて高後手に縛られると、きざきざの刃のある木製の台に正座をさせられた。そして、腿の上に大きな石の板を乗せられた。
腿に乗せられた石の板は想像以上の責め苦であり、沙那が泣き叫ぶには十分な苦痛だった。
なによりも、正座している脚の下のきざぎざの刃が沙那の脛に深く食い込んで恐ろしい苦痛を与えてくる。
そして、さらに始まったのが竹の鞭による鞭打ちだ。
細くて硬い竹製の鞭は一閃するたびに確実に沙那の肌を引き裂いた。
一方で、少し離れたところで行われている孫空女への責めは水責めだ。
すなわち、孫空女は人の膝ほどの高さの台の上に仰向けに乗せられて、四肢を台の四隅に拡げて縄紐で縛られた。
背中の下には大きな木製の枕のようなものがあり、大きく身体を弓なりにして拘束されているという格好だ。
孫空女には、額と首にも革のベルトがかけられて、顔を動かすことができないようにもされた。
その状態の孫空女に口に、大きな漏斗を入れられていて、その漏斗にさっきから大量の塩水を流され続けているのだ。
孫空女の腹は、もう妊婦のように膨らんでいて、さすがの孫空女も、あまりの苦痛に泣き続けている。
それでも衛兵たちは、孫空女や沙那から、王小二の隠れ処を白状させようと拷問を続けるのだ。
だが、孫空女にしても、沙那にしても、白状したくても、連中の隠れ処なんて知りようもない。
しかし、いくらそれを言っても、王小二たちと一緒に衛兵と戦った沙那と孫空女の言い分を信じる者は誰もいない。
従って、沙那も孫空女も白状のしようもない訊問を延々と受け続けるしかないということなのだ。
「しぶといのう……。だが、なんとしても吐かせよ。責め殺すのもいかん──。このふたりの女はやっと掴んだ、王小二に結びつく手掛かりだ。だが、こうしているあいだにも、連中は隠れ処から逃亡を図る可能性もある……。とにかく、早く喋らせよ──」
一段高くなった場所にある椅子に座り、訊問を監督している役人らしき男が無表情で言った。
この男がこの場でのすべてを仕切っていて、沙那と孫空女それぞれへの拷問を受け持つ衛兵たちに指図をしている。
「くそっ、よし、もう一枚石の板を乗せろ──」
沙那への拷問を仕切っている衛兵が、ほかの衛兵に命じた。
「や、やめて……。か、堪忍して……」
沙那は涙を流しながら頭を横に振った。
しかし、衛兵たちは四人掛かりで横の石の台を持ち、いま沙那の腿に乗っている石の台の上にそれを重ねた。
「あがああっ──」
沙那は全力で歯を食いしばって耐えた。
「もう一枚だ。そろそろ、脛が砕けるだろうがな」
さらに指揮をする衛兵が言った。
すぐに三枚目の石の台が乗った。
「はがああっ」
沙那は身体を海老のように曲げて絶叫した。
脛が潰れたような感触が脚から伝わってきた。
痛さを通り越して、意識が朦朧としてくる。
もしかしたら、脛の骨が砕けたかもしれない。
「背中に辛子汁を塗ってやれ」
指揮をする衛兵の指示であちこちが破けている沙那の背中になにかの液体がかけられた。
「ぎゃあああ──」
その瞬間、沙那はなにもかも忘れて絶叫した。
背中に火がつけられたかと思うような熱さが襲ったのだ。
それが本当の火ではなく、辛子汁と思われる液体をかけられための激痛だとわかったのは、気の遠くなるような痛みによって、石の台に潰されている腿のあいだからじょろじょろと失禁を始めてからの話だった。
「お、お願い──。は、話を聞いて──。わたしたちは、本当になにも知らないのよ──」
沙那は号泣しながら言った。
孫空女に目をやると、もう十回目くらいの放尿をしている。
それでも孫空女の口からは大量の塩水が次々に注がれ続けている。
孫空女もまた、時折与えられる質問に対して、泣きながら首を横に振って懸命になにかを主張して続けているようだ。
「しぶといなあ──。王小二の居場所さえ白状すれば、お前らなど釈放してもよいと言っているではないか。そんなに、王小二が大事か?」
拷問を指揮する衛兵が呆れたような声を出した。
「し、知っているなら、とっくに白状しているわよ──。あんな連中、庇うわけないでしょう──」
沙那は泣き叫んだ。
そのとき、檀上にいる役人のところに、伝令のような者がやってきて、なにかを耳打ちしたのが見えた。
途端に役人が居ずまいを正した。
「待ちゃれ、皆の者──」
すると、突然にこの訊問部屋に女の声が響き渡った。
沙那は顔をそっちに向けた。
身分の高そうな装束を身に着けた女性が、顔の下半分を布で隠した侍女をふたり連れて、部屋に入ってきたところだった。
高貴そうな女の歳は四十くらいだろうか。恰幅があり、かなりの威厳がある。
「こ、これは、
役人がすぐに立ちあがって、腰を屈めて敬礼の動作をした。
ほかの衛兵たちも、沙那と孫空女への拷問を一時中止して、それぞれに頭をさげている。
それにしても、欽法殿下というのだから、王族に関わる女性なのだろうか……?
いずれにしても、この部屋にいる役人や衛兵の態度から考えて、相当の身分の女性のようだ。
「このふたりを解放せよ。わらわが預かって王宮に連行する。このまま、すぐに外に待たせている檻車に乗せよ──。このふたりは王宮で訊問することになる……。これが陛下からの命令書じゃ」
欽法がなにかの紙を役人に手渡した。
役人がそれを広げ見て、目を丸くしている。
「し、しかし、この者たちは、この一年、王都を騒がしている王小二の行方を知っておる重要人物なのです──。この女ふたりを締めあげれば、王小二を逮捕できるのです──」
役人が困惑した表情で声をあげた。
「なんじゃと──?」
欽法が不機嫌そうにじろりと役人を睨んだ。
「その陛下からの命令書で、まだ不服があるというか──。それに逆らうということが、いかなる意味のことであるかわかっておるのであろうのう──」
欽法が怒鳴り声をあげた。
「そ、そのようなことは──。おい、そのふたりの拘束を解け──。表にある欽法殿下の馬車に運べ──」
役人が大きな声で命じた。
慌ただしく沙那の脚の上から石の板が除けられた。
孫空女も同じように台上の拘束から解放されている。
沙那にしても、孫空女にしても自力で歩くことができなかったので、板のようなものに載せられて、外に運びされた。
軍営の庭に待っていたのは、木の壁に囲まれた檻車だ。
その横にもう一台がある。それぞれに近衛兵らしき軍装の兵がいた。
欽法とひとりの侍女だけが、そのもう一台の馬車に乗り込み、沙那と孫空女は、板の上から降ろされて、檻車の中に放り込まれた。
ふたりとも素裸であり、足首と手首に枷が改めてつけられた。
もっとも、枷などなくても、ふたりともいまは動けるような状態ではない。
孫空女など、いまでも口と股の両方から大量の水を寸刻みで苦しそうに吐き出し続けている。
檻車が閉じる寸前に、驚いたことに欽法につき従っていた侍女のひとりが檻車に一緒に乗り込んできた。
沙那はびっくりした。
檻車の戸が閉まり鍵がかけられた。
「しっかりおし──。このまま、朱姫が欽法を『縛心術』で操って、城門の外に出るからね。それまでは、道術を遣うと探知される怖れがあるから我慢しておくれ──。なに、ほんの少しのことさ」
床に座り込んだ侍女が顔半分を隠す布とかつらを外した。
そこに現れたのは、宝玄仙だった。
「ご主人様──」
沙那は悦びの声をあげた。
「ご、ごしゅじん……さ……ま……?」
続いて横になったままの孫空女も涙を流して破顔した。
「いろいろと迷惑をかけたみたいだね、お前たち……。とにかく、こんな禄でもない城郭は、早く脱走しようじゃないか……。もっと早く助けに来たかったけど、身分の高い者をうまく見つけるのに時間がかかってね……。やっと、見つけたのは、欽法といういまの国王の妹にあたる王族だったのさ……。さっきも言ったけど、城門さえ抜ければ、すぐに『治療術』で身体を治してやる。もう少しだよ」
宝玄仙が優しそうな口調で言った。
ふと見ると、檻車の隅にすでに沙那たちの旅の荷が詰め込まれている。
どうやら、沙那と孫空女だけでなく、宝玄仙と朱姫も無事に助かったようだ。
沙那は安堵の涙を流した。
*
「とにかく、波乱万丈の一夜だったということじゃないかい、お前たち──。それをわたしと朱姫は寝てすごしてしまったんだねえ……。惜しいことをしたよ」
山道を登りながら宝玄仙が大きな声で笑った。
孫空女は沙那と並んで先頭を歩きながら、思わずふたりで呻いてしまった。
波乱万丈なんて生易しいものじゃなかった。
とんでもない一夜だった。
「魔女殺し」で昏睡してしまった宝玄仙と朱姫を宿屋の部屋に運び、それを当局に届けない代償として宿屋の主人に性奉仕をし……。
それから宿屋に侵入してきた王小二という卑怯者の盗賊たちに宝玄仙と朱姫を人質にされて輪姦され……。
さらに、宿屋を包囲した衛兵の囲みを沙那と戦って突破して王小二たちを逃がし……。
最後の最後に、その王小二に裏切られて衛兵に引き渡されてしまった。
その衛兵に連れ込まれた軍営で言語も絶する拷問だ──。
本当になんという一晩だったのだろう……。
「と、とにかく、わたしも孫女も助かりました。ありがとうございました」
沙那が歩きながら言った。
いつもは旅の荷を担いでいる沙那も、いまは腰に剣をさげただけの空身だ。
剣は、欽法に従って馬車を操っていた近衛兵から取りあげたものだ。
旅の荷は、最後尾を歩く朱姫が全部持っている。
滅法国の国都に入る前に、道術を帯びた物はすべて処分した。
それで、かなり荷が少なくなり、朱姫でもひとりで担げるくらいの量になっているのだ。
「……沙那姉さんと孫姉さんは、宿屋の主人にどんな奉仕をしたのですか? 奉仕の途中だったけど、生涯忘れられない思い出になったと、主人が感激していましたよ」
その朱姫がからかうような声をあげた。
「うるさいわよ、朱姫──。ご主人様はともかく、お前まで倒れるから、大変だったじゃないのよ──。あんたに貸しひとつよ。忘れないでね」
沙那が不機嫌そうに言った。
「はいはい、沙那姉さん──。だったら、今夜はうんと朱姫が沙那姉さんをいい気持ちにさせてあげますね。期待していてくださいね」
「あ、あんた、それしか考えられないの──?」
沙那が声を荒げた。
宝玄仙も後ろで笑っているが、孫空女も横で失笑してしまった。
いつも冷静な沙那だが、朱姫が相手だといつもむきになって感情的になる。
朱姫もそれがわかっているから、意図的に沙那をあおるような物言いをしているのだが、沙那はどうしても朱姫には冷静になれないようだ。
いずれにしても、本当に助かった。
相当の拷問にも耐える自信があったつもりだったが、際限のなく塩水を飲ませられる拷問は本当につらかった。
しかし、それも、宝玄仙と朱姫が王族を『縛心術』で操って助けにきてくれたおかげで数刻で解放された。
拷問を中止されて、檻車の中で宝玄仙が顔を見せたときは、あまりの嬉しさに孫空女は嬉し泣きが止まらなかった。
「魔女殺し」で昏睡状態にあった宝玄仙と朱姫だが、夜が明けることで、国都に入るために飲んだ霊気を停止させる丸薬の効果が切れてふたりとも道術は戻ったそうだ。
そして、まずは宝玄仙の自然治癒力で、宝玄仙の身体の中の「魔女殺し」の効果が消滅し、宝玄仙は『治療術』で朱姫を治癒した。
そして、沙那の置手紙で大まかな事情を悟ったふたりは、宿屋に戻ってこない孫空女と沙那をすぐに探したようだ。
その結果、孫空女と沙那が衛兵に捕らわれたというのは、あっという間にわかったらしい。
なにしろ、深夜とはいえ、国都の衛兵という衛兵が次々に出動する大捕り物だったのだ。
王小二という盗賊団が逃げおおせたことも、その仲間ということになっている孫空女と沙那だけが捕らわれたことも、城郭中の噂になっていたのだ。
宝玄仙と朱姫は、軍営に連れ込まれた孫空女と沙那を助ける手段を探っていて、たまたま王宮に朝帰りしようとしてた欽法という女の王族を見つけたらしい。
欽法は侍女ふたりだけを連れて、王宮にひそかに戻ろうと歩いていたところであり、物陰にいた宝玄仙たちは、欽法と侍女の会話で彼女が王族のひとりであることを知ったようだ。
欽法を見つけることができたのは本当に偶然のことであり、それでふたりは、咄嗟に朱姫の道術で欽法を操ることを思いつき、まずは朱姫が『縛心術』を欽法にかけて、次に侍女を監禁してふたりで、従女と入れ替わったらしい。
そして、欽法后の案内で国王のところに行き、今度は宝玄仙が道術で国王を操って、沙那と孫空女の解放命令に署名させた。
その後、その命令書で檻車を近衛兵に準備させて、孫空女たちが監禁されている軍営に直行してきたのだ。
それからすぐにそのまま城門を抜けた。
抜けたところで、宝玄仙の『治療術』で、孫空女も沙那も完全復活して、欽法たちも解放した。
ついでに手形にも署名させたから、西側の滅法国の国境を抜けるときも面倒はないだろう。
「さて、そろそろ、近くなってきたようだね──。もちろん、わたしらも手伝うけど、今日はお前たちが存分に仕返ししな」
宝玄仙が笑った。
いま、四人が向かっているのは、孫空女と沙那を見捨てて逃げた王小二の隠れ処だ。
本来であれば、国軍でさえもわからない王小二の隠れ処などわかりようもないのだが、王小二が孫空女の『如意棒』を持っていっている。
王小二は知らないだろうが、『如意棒』は、本来は宝玄仙の作った霊具だから、ある程度の距離の範囲内であれば、宝玄仙は霊気の流れで『如意棒』の存在地を道術で追うことができるのだ。
『如意棒』のある場所に王小二がいるはずだ。
それで、こうやって街道を外れた狭い山道を登り続けているということだ。
さらにしばらく歩くと、この狭い山道さえも横に外れる狭い道が出現した。
宝玄仙の誘導に従って、そこを進むと正面に崖の壁が出現して、その壁に洞窟が幾つかあるのがわかった。
遠目だったが、孫空女には、その洞窟の入り口に見張りのような者が立っているのが見えた。
「あそこだよ、沙那──」
孫空女はささやいた。
「見てなさいよ、あいつ──」
すると沙那がいきなり駆けだした。
*
「縮め──」
王小二は言ってみた。
しかし、『如意棒』という名の黄金の棒は小さくはならなかった。
おそらく、掛かっている道術の刻みを解かなければならないのだろう。
道術による探知でも、王小二の能力では刻まれている道術を覗き見することもできない。
かなりの高度の道術使いがこの霊具に霊気を帯びさせたのだと思う。
孫空女たちが守ろうとしたふたりの魔女のどちらかだろうか……。
まあ、いずれにしても、時間はたっぷりある。
そのうちに、なんとかこの不思議な霊具の棒に掛かった道術を解いてやろうと思った。
それができなくても、この黄金の棒には大変な価値がある。
これはただ黄金でできているというだけではなく、もっと大量の黄金が圧縮されて、この棒ができているのだ。
だから、同じ大きさの純金の棒を比べても、この棒の方が価値が高い。
王小二はほくそ笑んだ。
そのとき、王小二は、なんとなく洞窟の入り口から喧噪が聞こえることに気がついた。
ここは、最近、王小二たちが隠れ処に使っている昔の炭坑の跡だ。
いまはすっかりと廃坑になっていて、ここに通じる道さえも草が覆い茂っているが、ずっと昔は栄えた鉱山だったようだ。
いまでも中はしっかりしているし、多くの部下が住めるくらいの十分な広さがあった。
王小二は、その最奥の一部を住居に使っていた。
「と、頭領、大変です──」
突然に許しも請わずに、部下がひとり飛び込んできた。慌てふためいた様子で血相を変えている。
「どうした?」
王小二はその部下の名を呼んだ。
だが、その理由は、すぐにやってきたふたりの女の登場で悟った。
男に続いて沙那と孫空女が並んでやってきたのだ。
王小二はびっくりした。
このふたりを衛兵の前で身体を弛緩させて、置き去りにしたのは今朝のことだ。
あれから間違いなくふたりは、衛兵に捕らわれたはずだ。
なぜ、このふたりがここにいるのだ──?
ふたりとも憤怒の表情を王小二に向けている。
王小二は金縛りに合ったように動けないでいた。王小二の背に冷たい汗がどっと流れた。
「と、頭領、このふたりがほかの者を全部……。うわっ──」
腰を抜かしたように地面に座り込んでいた部下に、沙那が持っていた剣を突きつけた。
「あんたの顔を覚えているわよ──。わたしを犯した男のひとりよねえ……。まあ、だけど許してあげるわ──。ひとりひとり仕返しをするのは面倒だしね。ほかの者と同じように、いますぐにこいつを見捨てて逃げるなら、勝手に逃げていいわ──。ただし、こいつと一緒に残りたいのなら、それでもいい。一緒にわたしたちの仕返しを受けるといいわ」
沙那が剣を突きつけたまま言った。
「と、頭領、いままでお世話になりました──。さいなら──」
部下が地面を這うように逃げて行った。
「あっ、待て──」
王小二は叫んだ。
だが、あっという間に部下の姿は視界から消えた。
「さあ、王小二、覚悟はいいわね──」
「愉しく遊ぼうじゃないか、お前──。いくら温厚なあたしでも、怒るときは怒るからね」
沙那と孫空女が険しい形相でゆっくりと近寄ってくる。
まずい──。
王小二は思った。
女とはいえ、このふたりのどちらかひとりだって王小二の武辺ではかなわない。
それがふたり揃っている……。
いずれにしても、ここは王小二も逃げるしかない……。
王小二は、『移動術』を心で唱えた。
「あれっ?」
王小二は思わず声をあげた。
道術が発動しないのだ。
なにかで霊気が動くことが妨害されている。
王小二はもう一度やってみた。
やっぱり駄目だ──。
『移動術』だけじゃない……。
どうやら、あらゆる王小二の道術が封じられているようだ。
「無駄だよ──。お前の道術は封じてしまったよ。ついでに、すでにこの洞窟はわたしの結界で包んだ。国軍がやってきても、ここには誰も入れやしないよ」
さらに後ろからやってきた黒髪の美女が笑いながら言った。
夕べは、宿屋の二階で倒れていた沙那たちの連れの魔女だ。
こいつは途方もない道術遣いだ──。
すぐにわかった。
夕べ、毒薬を飲ませて人質にしてやった魔女だが、昨日は霊気が停止状態にあったために、霊気の高さなどわかりようもなかった。
いま、こうやって霊気が健在の状態で接すると、この黒髪の女の霊気の凄さがわかる。
どうやら、このふたりの女傑といい、この黒髪の女といい、王小二は、敵にしてはならない相手を敵にしたということがわかってきた。
「皆さん、歩くの速いですよ──。あたし、荷物を持ってんですからね」
また、女がやってきた。女というよりは小柄な娘だ。大きな荷を抱えている。
その娘が荷をおろして、地面の上にさっと毛布を広げた。
すぐに、毛布の上にさっきの黒髪の女が座り込んだ。
「なにか口にされますか、ご主人様? ちょっとした菓子でもいかがですか?」
「そうだね。じゃあ、欽法からとりあげた果実水入りの水筒があったろう。それをもらうよ」
黒髪の女が言うと、娘がいそいそと荷を解いてなにかの支度を始めた。
まるで、芝居でも見物するようなゆったりした雰囲気だ。
「どこを見ているのよ、わたしらから目を離すんじゃないわよ──」
「そうだよ──。ところで、これは返してもらうよ──」
沙那に続いて、孫空女がそう言って、地面に置いたままだった『如意棒』を拾いあげた。
孫空女の掛け声で小さくなり、『如意棒』は孫空女の耳の中に入れられた。
「さて、じゃあ、どうする、孫女?」
沙那が王小二を睨みながら言った。
「さあてねえ……。まあ、とりあえず、素っ裸になってもらおうか──。そして、あたしらが許可するまでせんずりを続けるというのはどうかな……」
「それとも、全身の骨を砕かれてから、ちょっとずつ身体を短くするというのもいいかもね」
すると、沙那が言った。
「いや、腹が破けるまで、際限なく塩水を飲むってもいいよ。あれは苦しかったし……。塩水はご主人様がいくらでも作ってくれるだろうしね」
「いっそのこと、全部、順番にやりましょうよ」
「そうしようか」
孫空女がにやりと笑って、王小二に詰め寄ってきた。
(第97話『波乱万丈の一夜』終わり)
*
【西遊記:84・85回、滅法国の騒動】
玄奘一行は、
すると、すれ違った女性が、僧侶姿の玄奘に驚き、この先の滅法国の国都は、僧侶の恰好では入れないと忠告します。滅法国の国王は、大の僧侶嫌いであり、剃髪姿の僧侶が国都に入るたびに、捕らえて処刑をしているということでした。
驚いた一行は、とりあえず、先に進むのをやめて、孫悟空ひとりが偵察に向かいます。
滅法国の国都に入った孫悟空は、女が伝えたことが事実であることを確認します。
この国の王は、僧侶を一万人殺すと願掛けをしていて、僧侶を次々に処刑をしているのです。
孫悟空は、身なりを隠す覆い付きの外套を手に入れ、玄奘たちのところに戻ります。
一行は布で姿を隠して、滅法国の国都に入ります。
そして、「
孫悟空は、剃髪の玄奘たちが見つからないように、宿屋の中に棺桶を持ち込み、その中で全員を休ませます。
一方、王小二の店には、盗賊団の息のかかった者が働いていました。彼は、孫悟空が自分たちが商人であると告げたことを聞き、夜になって、宿屋が寝静まると、盗賊団を手引きして侵入させます。
孫悟空たちが金を持った商人だと思い込んでいる盗賊団たちは、棺桶を縛り、そのまま外に運び出してしまいます。
棺桶を外に運んだ盗賊団たちは、あっという間に、警備の軍に見つかってしまいます。
盗賊団たちは棺桶を置いて逃亡します。
そのときには、孫悟空たちは事情を承知していましたが、棺桶から出ると剃髪姿で僧侶であることが発覚するために、困ってしまいます。
軍によって、棺桶のまま王城に運び込まれると、孫悟空が一計を企て、夜中にこっそりと棺桶から出ると、国王や后をはじめ、王城中の男女の髪の毛を道術で剃髪にしてしまいます。
翌朝、剃髪姿になった国王たちは、自分たちに姿に仰天します。
国王は、これまで僧侶を蔑ろにした天罰だと思い、改心すると誓います。
孫悟空は、棺桶から玄奘たちを出して連れてきます。
国王は、玄奘に帰依を誓って、丁重にもてなしました。
無事に滅法国を出ることができることになった玄奘は、これを機に国の名を「欽法国」に変えてはどうかと提案します。
国王は玄奘の進言を聞き入れ、これからは僧侶を大切にすることを宣言します。