「誰だい、この小娘は?」
宝玄仙が寝ぼけ眼を擦りながら、寝台から上半身を起きあがらせた。
「誰だいじゃないですよ、ご主人様……。それは、わたしたちの質問です。夕べのことを覚えていますか?」
沙那は宝玄仙に詰め寄った。
宝玄仙が怪訝な顔をする。
朝になり、沙那はやっと目を覚ました気配の宝玄仙を扉を叩いて起こして結界を消滅させると、すぐに隣室に戻って全員を連れてきた。
なんとなく、朱姫と
三人の供に素蛾を加えた四人で、宝玄仙が横になっていた寝台の前に整列するかたちになった。
「そ、素蛾です……。よろしくお願いします、ご主人様」
素蛾が緊張した声で言った。
「ああっ? なんだって──?」
宝玄仙が眉間に皺を寄せたが、やがて首を横に傾げた。
そして、その表情が、不審から当惑に変化し、やがて、後悔したような顔に変わった。
「ああっ、お前は──」
宝玄仙が素蛾を指さして大きな声をあげた。
「その感じは、少しは覚えているんですね……」
沙那は嘆息した。
「まあ、辛うじて少しはね……。この店の主人に性の相手をさせたのはいいんだけど、あっという間にできなくなっちゃってねえ……。聞いてくれるかい、沙那……。あいつったら、わたしが口で出してやったら、もういいとか言い出しちまってね……。それでも、無理矢理に相手をさせたんだけど、それでも一回しかできなくって……」
「あの主人って、いい歳じゃないの……。二回もできたら頑張ったんじゃないのかい」
孫空女が笑いながら、口を挟んだ。
「まあ、そうかもしれないけどね……。どうしても、もう勘弁してくれと言う親父に、だったら酒をただで飲ませろと言ったんだよ。あの親父、いくらでも飲めというものだから、ついつい、飲みすぎちまったよ」
宝玄仙が悪びれもせずに笑った。
「その挙句に、この素蛾を買っちゃんたんですか? まあ、じゃあ、強引に押しつけられたわけでも、騙されたわけでもないんですね、ご主人様──。どうするんですか、この素蛾を?」
沙那は呆れて言った。
「そういうんじゃないよ、沙那……。まあ、酔ったうえでの話だからね……。悪いが引き取ってもらうさ……。お前、素蛾というのかい? お前には悪いけど、わたしはお前を酔っぱらって買ってしまったんだよ……。これでも危険な場所に向かう旅の途中でね……。すまないが、お前を連れてはいけないんだ。お前は、この店の主人に返すよ。まあ、人のよさそうな親父だったし、文句は言わんだろうさ」
宝玄仙は肩をすくめた。
「そんな甘いことを言っているからつけ込まれるんですよ、ご主人様──。人当たりはよくても、あの主人はちゃんとした商売人ですよ。しっかりと金板五枚を持っていきましたし、絶対に返品はできないと頑なです──。書類も渡されました。これがそうです……。実は、さっきも奴隷商の方に行ってきたんです。素蛾の受け取りには応じないそうです」
沙那は、主人から渡された売買証明書を宝玄仙に見せた。
「はあ、なんでだい──? お前、ちゃんとその剣で脅したかい──? 四の五の言えば、その剣先で喉を突いてやればいいんだよ。とにかく、返品だよ。行ってきな、沙那」
「そんな強盗のような真似ができるわけないじゃないですか──。とにかく、向こうの主人が主張するには、さらわれたとわかっている娘を買い取ることはできないそうです。素蛾はさらわれた娘なんです。この国の法では、確かに人にさらわれた人間を奴隷商が買い取るのは禁止のようです」
沙那は言った。
「えっ? お前、さらわれた娘なのかい……?」
宝玄仙が素蛾に視線を向けた。
「は、はい……、わたくしは……」
素蛾が語り始めたが、すぐに宝玄仙がそれを制した。
「ちょっと待ちな──。まあ、それはいいよ……。だけど、法で禁止とか言っておきながら、自分はしっかりとわたしに売ったじゃないかい」
宝玄仙が沙那に視線を向けた。
「買い取るのは禁止なんですが、売るのは禁止じゃないんですよ。この国の法では──」
「なに言ってんだい――。そもそも、最初はあいつも、その人さらいから、こいつを買ったんだろうが――」
「そのときには、さらわれたのは知らなかったと言ってます。でも、その後で事情を聞いて知ってしまったから、もう買い取れないそうです」
「だけど、わたしに売ったじゃないかい」
「ですから、売るのは違法じゃないんです」
沙那は言った。
確かに、この国の法は、そういうことになっている。
さらわれた人間と知らずに、奴隷の転売に関わった商人たちを無暗に犯罪者にしないための措置のようだが、それが法の隠れ蓑にもなっているようだが……。
まあ、それはともかくとして、いずれにしても、奴隷商の主人は、素蛾の返品にも、買い取りも絶対にしないと拒否している。
「……お願いします、ご主人様──。わたくしを性奴隷として調教してください。一生懸命に務めますから」
素蛾が必死の表情で言った。
「性奴隷といってもねえ……。お前の歳じゃあ、そういうことは早いんじゃないかい……? あと二、三年もすればねえ……」
宝玄仙が困った顔で言った。
「そ、そんなことはありません──。ゆ、夕べだって、朱姫お姉さまの調教を受けました──。さ、最後には気を失ってしまいましたけど、きっと、次はちゃんとやってみせます」
素蛾が声をあげた。
「調教?」
沙那は朱姫を睨んだ。
やっぱり、この嗜虐娘は、この年端もいかない少女に手を出したのだ。
「そ、それはいいじゃないですか、沙那姉さん──。とにかく、この素蛾は普通の娘じゃありませんよ。公主だと言っているんですから」
朱姫が焦った口調で言った。
「公主?」
宝玄仙が驚きの声をあげた。
沙那は夕べ、素蛾から聞いたことを説明した。
宝玄仙はびっくりしていた。
沙那の説明に次いで、朱姫が素蛾の言葉に嘘はないと付け加えた。
「一体全体、それはどういうことになるんだろうねえ……」
宝玄仙も困惑気味に言った。
「とにかく、もう、わたくしには行き場がありません。皆様がわたくしを性奴隷にしてくれなければ、行き場はないんです。お願いします。どうか、一緒に行かせてください──」
素蛾が深々と頭をさげた。
「性奴隷の素質はありますよ、ご主人様……。とっても身体の感度がいいんですよ、素蛾は……」
朱姫が悪戯っぽく言った。
「お前は、本当に簡単にちょっかい出したりして……。夕べはただ寝るだけだと言ったでしょう」
沙那は朱姫を叱った。
「そうは言いませんでしたよ……。そもそも、調教をして欲しいと言ったのは素蛾からなんですよ。それに、沙那姉さんがあたしに、素蛾の面倒を看ろと言ったんです」
朱姫が頬を膨らませた。
「そ、そうだった……?」
そう言われると、明確になにも言わなかった気もするが……。
沙那も当惑した。
「とにかく、店の主人にもう一度話を聞く前に、お前のことだよ、素蛾──。公主だというのは本当で、そして、国都ではお前が行方不明にはなっていないことになっているのかい?」
宝玄仙が言った。
「わたくしには、そうだとしか言いようがありません──。でも、誰に言っても信用してもらえませんし……。わたくしも、もう宮殿のことは諦めています……」
素蛾が悲しそうに顔を伏せた。
「ふうん……。それにしても、お前は随分と裸に近い恰好でいるねえ……」
宝玄仙がじろじろと素蛾を見た。
そして、口を開いた。
「……じゃあ、試験をしてやるよ。その薄い服を脱いで素っ裸になりな──。そして、向かいの奴隷商に主人がいるはずだから、ここの一階の酒場まで呼び出してくるんだ。主人が応じるかどうかはともかく、とにかく、行ってくるんだ。わたしらは、ここの一階で待っているからね──。二階の渡り廊下でなく、外から行くんだよ──。道を突っ切ってね……。それができたら考えてやる」
「はい」
素蛾が嬉しそうに返事をして薄物を脱いで、素っ裸で部屋の外に向かった。
沙那はびっくりして、それをとめた。
「ご主人様、素っ裸って──。外にですか?」
沙那は宝玄仙に視線をやった。
「沙那、とめるんじゃないよ──。考えていることがあるんだ」
いつになく厳しい口調の宝玄仙に沙那はたじろいだ。
結局、素蛾は、素っ裸のまま扉の外に行ってしまった。
「ご主人様、いくらなんでも……」
不平を言おうとした沙那を宝玄仙が押しとどめた。
「とにかく、下に行くよ──。孫空女、わたしに服を着せな。沙那と朱姫は先に一階に行くんだ」
宝玄仙が寝台から立ちあがった。
言われたとおりに、朱姫とともに一階の酒場に向かった。
酒場なので、この時間では一階には客はいない。
ただ、昨日もいた奴隷女が店番をしていた。
窓から外を覗いたが、道については、さすがに外は誰もいないというわけにはいかないようだ。
ちらほらと人影がある。
しばらく待っていると、向こうの建物から素裸の素蛾がひとりで出てきた。
通行人が奇異の目で立ち止まるのが窓から見えた。
「沙那様……、朱姫姉さん……。店の主人はもうすぐ来ます」
建物に入ってきた素蛾が、にこやかに笑って言った。
すると、二階から宝玄仙と孫空女が連れだっておりてきた。
孫空女は朱姫の貫頭衣を持っている。
「朱姫、お前の能力で素蛾の感情を読みな。素蛾には羞恥の感情のようなものはあるかい?」
一階にやってくるや否や、宝玄仙は朱姫に訊ねた。
朱姫はすぐに首を振った。
「そういう感情はありません、ご主人様……。素蛾は嬉しそうです。きっと、言いつけをきちんとできたのが愉しいのだと思います」
朱姫は即答した。
「やっぱりね……」
宝玄仙がつぶやいた。
沙那はそれを聞き逃さなかった。
「なにが、“やっぱり”なんですか、ご主人様?」
「まあ、待ちな、沙那……。とりあえず、素蛾のことだよ……」
宝玄仙が裸身で立っている素蛾を見た。
「……素蛾、とりあえず、それを着てな。朱姫の服だけど、まさか素っ裸で旅をさせるわけにはいかないからね。城郭の門が開けば、適当な服を買ってやろう」
宝玄仙が素蛾に言い、孫空女が素蛾に朱姫の服を手渡した。
「そ、それでは、旅に連れて行ってくださるんですね」
素蛾が破顔した。
「まあ、これもなにかの縁だしね。とにかく、これから進む通り道だから、この国の国都に立ち寄るさ。それでなにかわかるだろう……。ところで、沙那、おそらく、間違いないと思うけど、この娘が公主だというのは本当かもしれないよ」
宝玄仙が言った。
「ど、どういうことですか?」
沙那は訊ねた。
そのとき、奴隷商の主人が店に入ってきた。
宝玄仙がにやりと笑うと、主人は気後れしたような顔になった。
「……は、話というのはなんでしょう……? 言っておきますが、宝玄仙殿──。私も商売人ですから、人情の話と商売のことは別にしております。素蛾を引き取るわけには参りません──。これは絶対です──。つまり……」
しかし、主人の言葉を宝玄仙が手で制した。
「お前がどう思っているか知らないけど、この素蛾は本物だよ──。わたしも、かつては貴人との付き合いというのはあったからね。だから、わかるんだよ。公主とかまでいくと、生まれてから着替えはおろか、身体の洗浄でも、糞尿だって、すべてを人前でしかやらないんだ。誰かしら世話をする者がつくからね。そういう育ち方をした貴人は、裸身を他人に見せるということに抵抗がないのさ──」
「ええ?」
沙那はびっくりした。
「逆に言えば、この娘が偽者だったり、あるいは、頭がおかしいだけの娘だとしても、裸身を晒して羞恥を覚えないなんてことはないよ。つまりは、この素蛾が公主というのは本当だと思うね。少なくとも、こいつは裸身を隠したことがないような人生をずっと送ってきたのさ」
宝玄仙が言った。
そして、この店の主人をじろりと睨む。
「……さあて、どうする、主人──? 乗りかかった舟だから、今回の一件については、わたしらも関わって面倒を看てやることにはするよ──。どうなるかわからないが、素蛾を国都に連れて行くさ。そこにもうひとりの素蛾が存在するというのであれば、ちょっと行って、そいつの服を引っ剥がしてやる。おそらく、そいつは恥ずかしがると思うね」
宝玄仙が言った。
「つ、つまり、この素蛾は……?」
沙那は改めて素蛾を見た。
「こっちが本物の公主だよ。わたしは、十中八九、国都にいるのが偽者公主だと思うがね。まあ、お前たちの話がすべて正しいとしての話だけど……」
宝玄仙がきっぱりと断言した。
すると、奴隷商の主人が震えだした。
「……さて、だけど、お前はどうするんだい、主人? わたしらは、この素蛾を国都に連れて行って、今回の一件がどういうことなのか始末をつけることにするよ。だけど、本当にこの素蛾が公主だったら、知りませんでしたじゃ済まないさ……。こんな売買証明書なんて作ったりして、ちょっと困るんじゃないかい……?」
宝玄仙が主人を脅すような物言いをした。
「し、知らなかったことです。すべて、知らなかったんです──。私はできるだけのことを──」
「そんなことはいいんだよ──。この売買証明書を返して欲しいかどうかを訊ねているんだよ。金板六枚で売ってやるよ。嫌ならいいけどね。万事解決したときに、国王に素蛾の身柄と一緒に、お前の作った売買証明書も渡してやる──。そうすれば、国王の軍が大挙して、お前を捕まえにくるんじゃないのかい」
宝玄仙がにやりと微笑んだ。
「そ、そんな──。買います。買い取らせてください──」
主人の顔に恐怖の色が広がった。
宝玄仙が大笑いした。
沙那は嘆息した。
素蛾の値は五枚だったはずだ。六枚というのは、さらに余分にぼったくろうということだ。
「よし──。これで話は決まった──。じゃあ、朱姫、国都までの道中のあいだ、素蛾の調教係はお前にするよ。国都までは半月というところだろう。しっかりと仕上げるんだ」
「は、はい、わかりました、ご主人様──。あ、あの、嬉しいです──」
朱姫が言った。
「えっ? 素蛾が本物の公主だと信じておきながら、調教もするんですか? それに、まだ十二歳ですよ」
沙那は声をあげた。
「十二歳がどうしたんだい。当たり前だよ──。せっかくの性奴隷だ。調教師としての朱姫の練習台にちょうどいいさ……。実をいうとね……。わたしが最初に手掛けた性奴隷も、いまの素蛾くらいの歳の童女だったよ──。蘭玉といって、わたしの妹だ。お前たちも世話になったあのお蘭だ」
宝玄仙が哄笑した。
「わ、わたしく、頑張ります──。朱姫姉さん、よろしくお願いします──」
素蛾が本当に嬉しそうに言った。
当人の素蛾まで、それを望むのあれば、これ以上は沙那もなにも言えない。
「やれやれ、じゃあ、しばらくは五人の旅ということになるんだね」
孫空女があっけらかんと言った。
沙那はまたまた大きな嘆息をした。
(第98話『偽者公主』終わり、第99話『性奴隷候補生』に続く)
*
【西遊記:93回、偽公主⓵】
玄奘一行は、衛舎国にやってきました。
そして、百足山という山に布金禅寺という寺があり、一行はそこに宿を求めます。
玄奘が高僧であることを知った住職は、寺で預かっているひとりの娘について相談を受けます。
住職によれば、娘は天竺国の公主、すなわち、国王の娘であると主張しているというのです。
娘は、ある日、突然に大きな妖気とともに、この国にやって来たということでした。
しかし、怪しい娘だとして、住民に殺されそうになり、住職が匿ったということでした。
ところが、住職が手紙で天竺国に連絡をしたところ、天竺国の公主は健在であり、行方不明になどなってはいないという返信がきたというのです。
だが、住職は、匿っている娘が、本物の公主であると信じており、これから天竺国に向かう玄奘に、事情を確認して欲しいと頼みます。
玄奘はそれを引き受けます。(続く)