私室の扉が叩かれた。
「はいっ」
返事をすると、やってきたのは侍女たちではなく、今回の婚姻に関する一連の行事を担任する大臣だった。
「なんでしょう、大臣様?」
公女姿になっている玉兎は言った。
素蛾という公主は、七人いる国王の子の中で、もっとも大人しくて、善良な性質である娘であるということは調べてわかっている。
大臣はおろか、侍女にさえも丁寧な言葉遣いをするというのは有名な話だったので、玉兎も大臣や侍女たちに、丁寧な態度をとることを気をつけている。
「さきほど、西方帝国の皇子が道術で到着なさいました。それで、国王陛下へのご挨拶が終わったのですが、その際、素蛾様にひと目だけでもすぐに会いたいという申し出があったのです。急なことで申し訳ありませんが、応接室までご足労願いできますか?」
大臣が丁寧に頭をさげた。
皇子と素蛾との最初の面談は、「結婚の儀」を結ぶ明日の式典の前のはずだったから、予定とは違うものの、特に拒否する理由はない。
素蛾は応じることにした。
操りといっても、皇子の潜在意識に玉兎の言葉に従うように暗示を刷り込んているだけだ。
特に道術をかけない限り、皇子も自由意思で動いている。
皇子は自分の意思で、この縁談を進めてきたと思っているだろう。
これから婚姻をしようとする相手を早く見たいというのは当然かもしれない。
「承知しいたしました」
玉兎は立ちあがった。
素蛾は、誰のいうことも素直に応じる扱いやすい公主として知られている。
大臣に言われて、すぐに応じるのも自然な対応だ。
「……こちらへ……」
「はい」
大臣に案内されて、第一応接室に着く。
国賓級の者にしか使わせない部屋だ。
玉兎は大臣に案内されて中に入った。
中に入ってびっくりした。
そこには、二十人以上の武装した近衛兵が部屋にひしめいていたのだ。
国王夫妻はいない。その代りに末皇子だけが立っている。
応接室にあるはずの卓や椅子、飾り物などもない。
あるのは、壁際の衝立だけだ。
ほかの調度品は運び去られていた。
さらに、部屋に入った瞬間に異常な違和感が襲った。
それが、ほかの道術遣いの結界だとわかったのは、背後で扉を閉めた大臣から霊気が迸るのを感じたときだ。
「ちっ」
玉兎はとっさに、自分の周りに道術の防護壁を覆った。
大臣の発したなにかの道術が玉兎の防護壁で跳ね返った。
次の瞬間、大きな気を感じた。
近衛兵のひとりが剣を抜いて猛然と突進している。
霊気とは関係のない剣は、霊気の防護壁では防げない。
玉兎は、自分の右腕を道術で鋼鉄化する。
「おっと」
激しい金属音が鳴った。
玉兎は近衛兵の剣を右手で受け止めた。
近衛兵の目が驚きで見開いた。
女……?
兜から垣間見えた顔は確かに女だった。
「なに?」
玉兎は、さらに右脚も道術で鋼鉄化すると、身体を捻って近衛兵の頭を回し蹴りする。
まともに当たれば、その近衛兵の頭は兜ごとふたつに割れていたと思うが、眼の前の近衛兵がとっさに頭を引っ込めたために、かすっただけで終わった。
それでも兜が吹っ飛び、ひっくり返った近衛兵の額が割れて血が迸った。
近衛兵だと思ったのは、あの沙那だ。
外れた兜から栗毛の長い髪が垂れ、顔に血が流れている。
「沙那──」
皇子が叫んだ。
その皇子から飛ばされた凄まじい道術の波動が襲っていていた。
目の前だ……。
あれは皇子ではない──。
西方帝国の末皇子は道術遣いだが、こんな道術は持っていないはずだ。
霊気の衝撃波は玉兎の防御壁を突破して、まともに玉兎の身体にぶつかった。
「あぐっ」
玉兎の身体が壁に飛ばされる。
玉兎は空中で身体を丸めて、叩きつけられるはずの壁を蹴った。
そのまま、壁を駆けあがって天井まで走り、霊気波を飛ばした皇子に向かって飛びかかった。
「死ねええ──」
今度は両手を鋼鉄に変えている。
飛びついて身体をふたつに裂いてやろうと思った。
皇子の顔が恐怖に包まれるのがわかった。
「ご主人様──」
衝立が倒れて、そこから小さな身体が飛び出した。衝立は近衛兵の立っている背後に守られるようにあったのだが、飛び出した背の低い女が長い棒を構えている。
素蛾──?
飛び出したのは素蛾だ。
その素蛾の投げた棒が玉兎の身体の中心に向かっている。
身体を捻って避けようとしたが下袍が邪魔だった。
下袍の中心を串刺しにした棒が天井に下袍ごと突き刺さり、玉兎の身体は天井から逆さ吊りになってしまった。
「邪魔くさいわねえ──」
玉兎は下袍を腰から引き千切った。
小さな下着だけの下半身になった身体で床に降り立つ。
再び、身体を道術の防護壁で覆った。先ほど以上の重厚さで自分の身体を二重三重の道術壁で囲んだ。
二度目の衝撃波が襲いかかったが、今度は跳ね返すことができた。
「お前ら、宝玄仙どもかい──?」
構え直した玉兎は上着を脱ぐと、下着が剥き出しになっていた下半身を上着で包んだ。
額から流れる血を袖を引きちぎって包帯代わりにした沙那、大臣、皇子、素蛾が、防護壁の内側の玉兎の周りを取り巻いた。
大臣の姿が朱姫になり、皇子が宝玄仙になる。
素蛾の姿の童女も、孫空女に姿を変えた。
周りを道術壁で防護している玉兎の前に、宝玄仙たち四人。さらに、その後ろに近衛兵二十人が迫っているという態勢だ。
「もう、観念しな、玉兎ととやら──。素蛾を返すんだよ──。無事で返せば、命まではとらないよ。さもなければ、八つ裂きにするよ。ここはわたしの結界の中だ。それでもそれだけの動きができるのは立派だが、お前の本来の力は発揮できないだろう? 素蛾を置いて、どっかに消えな、雌妖──」
宝玄仙が言った。
その頭の上に、巨大な道術弾の塊がある。
それをぶつけられれば、さすがに玉兎もただでは済まないかもしれない。
確かに、宝玄仙の言うとおりに、ここでは、玉兎の道術は本来の半分も力を出せない。
逃げるか……。
玉兎は『移動術』で逃亡を図ろうとして、念を込めた。
「あれっ?」
思わず声をあげた。
部屋中に『移動術』を封じる霊具が張り巡らされていたのだ。
『移動術』が無効にされてしまっている。
道術嫌いのここの国王は、こんなものを宮殿には備え付けていなかったはずだ。
宝玄仙たちの仕業だろう……。
「お前の悪事はすべて破綻したよ……。諦めな、玉兎。帝国の皇子は、朱姫がお前の操り術を解除して、帝国に帰したさ。さあ、素蛾を返しな」
宝玄仙が怒りをあらわに怒鳴った。
「ま、待て、これはどういうことだ──?」
近衛兵の後ろの壁が開いた。さらに、二十人くらいの武装した近衛兵が雪崩れ込んだ。
最後に国王が現れる。
「偽者公主の正体を暴くために素蛾が必要だと言うから、偽者公主との対決に素蛾が同席することを許したが、そっちが偽公主だったのか、宝玄仙とやら? 公主が赤毛の女に変わったぞ。ならば、本物は、やっぱりそっちなのか? 王后はほくろが違うから、本物の素蛾は、宝玄仙が連れてきた方だと言っておったが、それは間違いだったか?」
国王が叫んだ。
よくわからないが、宝玄仙は、素蛾に変身させた孫空女を国王たちに会わせて、宮殿の玉兎は偽公主であると告発したのかもしれない。
それなのに孫空女が変身を解いたので、当惑した国王が飛び出して来たのだろう。
「陛下、この人たちが、わたくしに酷いことします。助けてください」
玉兎は国王に叫んだ。
「宝玄仙、余を謀ったな──? 公主への攻撃をやめよ。さもなければ、近衛にお前たちの処断を命じるぞ」
国王が怒鳴った。
「やかましいよ。お前は引っ込んでな、国王──。沙那の剣を腕で受けたり、天井を走ったりするような公主がいるかい。こいつが素蛾なら、最初の沙那の一撃で死んでるよ──」
宝玄仙が玉兎を睨んだまま言った。
「へっ、だったら、あたしに手を出さないことだね、宝玄仙。あたしを殺せば、あの強情なおっとり姫様は、二度と戻ってこないよ」
玉兎は声をあげた。
「ほざくんじゃないよ、玉兎──、これでもくらいな──」
宝玄仙が頭の上の道術弾をまともに玉兎に投げつけた。
至近距離で大きな道術弾が襲う。
玉兎は目を見張った。
とても、避けきれない……。
「ひいいっ」
玉兎の三重の道術壁を通過した道術弾が、玉兎の身体にぶつかった。
風が通り抜けた。
玉兎は思わず悲鳴をあげたが、道術弾は玉兎が予想したようなものではなかった。
道術弾は、そよ風が通り抜けたような衝撃しか玉兎自身には与えなかったのだ。
その代わり玉兎が身に付けていたものを一糸残さず奪い去った。
靴さえもなくなり、玉兎は完全な裸になった。
同時に変身の道術も解けた。
玉兎は白銀の髪をした大人の女に戻った。
人間の耳の代わりに、白銀の毛に覆われた長い耳と小さな一本の角が頭から突き出ている。
ほとんど人間族と姿は一緒だが耳と角だけが違う。
それが玉兎たち兎族の特徴だ。
「う、うわっ」
玉兎は慌てて、両手で身体の前を隠した。
「裸にされて恥ずかしいかい、女妖? だけど、本物の素蛾は素っ裸で外を歩かせても、少しも恥ずかしそうにはしなかったよ。本物のお姫様は、わたしたち庶民とは羞恥の概念が違うのさ」
宝玄仙が笑った。
その宝玄仙の頭の上には次の道術弾が膨らみかけている。玉兎はぎょっとした。
「動くんじゃないよ、玉兎。両手を頭の後ろにやりな。次の道術弾は、お前の肌をすべて溶かしてしまうよ。今度は赤剥けの兎にしちまうからね」
「この格好で、手を頭の上にはやれないわよ、宝玄仙。わかってるんでしょう?」
玉兎は乳房と股間をしっかりと手で隠してうそぶいた。
「ご主人様、捕まえました。もう、大丈夫です──」
そのとき、突然、朱姫の勝ち誇った声が部屋に響いた。
はっとした。
気がつくと、全身に黒い手のかたちの影がたくさん張り付いていたのだ。
しまった……。
朱姫の道術のようだ。
さっきの道術弾は、玉兎の服だけじゃなく、道術壁まで飛ばしていたようだ。
裸にされた羞恥で気がとられて、道術の防護がおろそかになっていたのだ……。
「ひいっ、いやっ」
いきなり、手首に張りついた黒い手に引っ張られるように、腕が頭の後ろにまわった。
同時に乳房に浮きあがった黒い手が玉兎の乳房を揉みだした。
玉兎は声をあげた。
「ひあっ、ふくうっ、あはあっ」
愛撫が上手い……。
あっという間に淫情が込みあがる……。
黒い手は玉兎の眠っていた性感帯を掘り起こすように乳房を揉んでいる。
思わず発した嬌声が部屋に響きわたってしまった。
玉兎は慌てて、歯を食い縛った。
「本物の素蛾はどこにいるのだ──?」
そのとき、国王が叫んだ。
「心配には及びません。本物の公主様は、もう確保しましたから」
沙那が言った。
玉兎はびっくりして天井を見た。
しかし、素蛾を閉じ込めてある玉を包んだ小袋は、最初に下袍を天井に張りつけられたときに、その下袍の腰紐に結ばれたまま、まだ、天井から垂れ下がっている。
沙那ははったりを言ったのだとわかった。
「いま、天井を見たわ。孫女、あそこにあるのを確保して──」
沙那が天井を指差して絶叫した。