「このくそ女──。殺してやるぞ──」
幕の向こうから怒声が聞こえた。
その声があまりにも興奮した声だったので沙那は驚いて身構えた。
しかし、
すると、中でひとりの闘士が暴れていた。
その足元で背の低い女が髪を掴まれて倒れている。
女は悲鳴をあげて泣いていた。
なんと、男は下半身は裸身であり性器を露出している。
ほかにも数名の闘士と何人かの女がいたが、闘士は騒動に笑っているだけだし、女たちはおろおろと暴れている闘士と女を囲んでいるだけという感じだ。
「ちょっと、何事なんですか?」
恵圭が暴れている男をなだめるように歩み寄っていく。
沙那には、この部屋がどんな目的の部屋なのかがすぐにわかった。
幕に仕切られた向こう側は壁に面する突き当りになっているのだが、そこが衝立により十部屋ほどに分かれている。
それぞれの小部屋には背もたれのない台のような木の椅子があり、何人かの闘士は騒動にもかかわらず、その椅子に腰かけて、女に性器を舐めさせている。
奉仕女というのは、文字通り、闘士たちに性奉仕をする女のことだったようだ。
「ちょっと、興奮しないでください、闘士様。この女がどうかしましたか?」
恵圭が暴れている男と女のあいだに割り込むように身体を入れた。
「どけよ、化け物女──。この女があまりにも気のねえ口吸いしかしねえもんだから、時間ばかりかかるだけで、ちっとも精が出ねえのよ。ふざけるんじゃねえよ。こっちも醜女しかいねえのを我慢してやってんだ。せめて少しは熱を入れて舐めやがれってことよ──。もうすぐ、試合だから速く精を出して、頭の熱を冷まさないとならねえのに、これじゃあ、逆に熱くなるだけじゃねえか」
男は怒鳴った。
恵圭は男の前に立ちはだかって、なだめるような仕草をしながら、床で泣いている女に向こうにいくように、ひそかに手で合図した。
女が逃げるように駆け去っていく。
「あっ、待ちやがれ──」
男が叫んで女を掴まえようとするのを恵圭が押しとどめた。
「待ってくださいよ、旦那さん。あたしが奉仕しますから。布を被ってますから、美女が奉仕していると想像してくださいよ。ねっ? いいでしょう」
恵圭はそういうと、男の返事も聞かずにその場にうずくまった。
そして、男の性器を口に含む。
「おっ?」
すると猛々しかった男の様子が落ち着いたものに変わった。
恵圭の舌の技巧が巧みなのだということは沙那にもわかった。
その証拠に恵圭が男の肉棒を口にすると、明らかに男が欲情を示して鼻息を荒くしたのだ。
恵圭は、沙那が見ていて信じられないように熱心に奉仕を続けた。
やがて、男だけでなく、恵圭も興奮してきた様子を示しだした。
「んっ、んんっ……」
やがて、恵圭は、耐えられなくなったように、口を遣いながら大きな鼻声をあげた。
さらに、恵圭はしゃがんだ状態で両膝を立て、下袍を腰までまくり上げて正面の男に性器が見えるようにした。
沙那と孫空女は奉仕部屋の入り口のところで、恵圭が男に奉仕するのを茫然と眺めていた。
さっきの喧噪はもう消滅している。
仕切りに阻まれた小部屋のあちこちでは、奉仕女に性器を吸わせる闘士たちの光景が再開されている。
「へへへ、お前、欲情してやがんのかよ。俺の珍棒はそんなにうめえか? 股倉でそんなに涎を垂らしやがって……。さしずめ、お前を相手にするような男もいねえから、股も干あがってるんだろうなあ」
男が嘲笑した。
それでいながら、もう男にもそれほどの余裕はないことは沙那にもわかる。
「ううっ」
男が小さな声をあげた。
恵圭の口の中に精を発したようだ。恵圭はそれをおいしそうな表情で飲み込み、さらに肉棒に垂れている精を舌で丁寧に拭き取った。
「おいしゅうございました。ありがとうございます」
恵圭が床に正座をして頭をさげた。
「おう、お前、なかなか、口吸いが上手なんだな。顔が化け物だから遠慮していたが、それだけの舌があるんなら、次はお前を指名するぜ。とにかく、早く出したいからよ」
「お待ちしています」
恵圭はまた頭を下げた。
その闘士は満足そうに、沙那と孫空女の前を通り過ぎていった。
「……待たせたわね……。奉仕女とはこういうものよ。この場所は、これから闘う闘士たちの性器を吸って精を出させて、心を落ち着けさせるための場所で、あたしら奉仕女は、その道具ということね」
恵圭が沙那たちの前に戻ってきた。
さっきまで男の性器を舐めながら性的興奮を示していた様子は微塵も残っていない。
「ここは、戦う前に精を出す場所ということ?」
孫空女が当惑した声をあげた。
「闘士の試合の直前に精を出すというのが最近の流行らしくてね……。最近じゃあ、どこの闘技場でも、奉仕女が待機しているわ。そのために、あたしらのような女が雇われているのよ。普通の娼家じゃあ、あたしのように顔の崩れた女じゃあ商売にもならないけど、ここなら女の顔なんかは関係なく、とにかく速く精を出したい男しかいないしね。技術があれば仕事になるのよ……」
「はあ……」
沙那は生返事をしてしまった。
「でも、給金は安いわ。だから、まともな娼婦はここには来ないわ。まあ、ここに集められるような女は、娼婦も務まらないような二束三文の安物ということよ」
恵圭が自嘲気味に笑う。
「でも、試合前に精なんか抜いて、気が抜けたりしないのかなあ……?」
孫空女が言った。
そんなことはどうでもいいだろうと沙那は思ったが、生粋の戦士の孫空女は、それを奇異に感じたのだろう。
「闘いの前に精を出すことで、頭が冷静な試合をすることができて有利なのか、それとも気が抜けて不利になるのかは知らないわね。まあ、
「へえ」
孫空女が頷いた。
「しかも、一日に一回じゃなくて試合ごとにね。ただ、精を抜くだけじゃないのよ。本当に試合ごとに女を抱くの。わりと有名な話で強い闘士でもある金箍殿下にあやかろうと、真似をする闘士が多くなったのよ」
恵圭が笑いながら言った。
「……あんたたちもどう? 必要なら抜いてあげるわよ。これでも、昔は女を相手にする百合の性だって経験済よ」
恵圭が冗談っぽく言った。
彼女が軽口を使ったということは沙那にはすぐにわかったので、沙那はにっこりと微笑んだ。
もともと、陽気で明るい性格なのかもしれない。
さっきも怒っている闘士を相手に、見事に立ちまわっていたし、本来は人当たりがいい性質なのだろう。
「じょ、冗談じゃないよ──。試合前にそんなことしたら、動けなくなるよ」
孫空女が真顔で言った。
恵圭は一瞬、面喰った表情になったが、すぐに噴き出した。
「あなたって、愉快な人ね、孫空女」
恵圭が明るく笑った。
孫空女はきょとんとしていた。
すると、そのとき、さっき男に痛めつけられそうになり、恵圭が庇った女がやってきた。
どこかに隠れていたようだ。
「あ、あの、恵圭さん……。いつも、ありがとうございます。助かりました……」
女が頭をさげた。
“いつも”──というのは、恵圭がこういう厄介事があれば、いつもあいだに入って庇ったりしているということであろうか?
いずれにしても、女が恵圭に寄せる視線には、恵圭に対する深い信頼が込められている気がする。
「構わないわよ。こんなあたしにできることなら……。でも、気をつけてね。闘いの前の闘士たちは気が立っているから、気が進まなくても、そんな素振りを見抜かれると、さっきのようになるから……。さっき、あたしがやるのを見ていたでしょう。あんな風にこっちも感じているような演技をしてやれば、向こうも喜んで大人しくなるわ」
恵圭が言った。
やっぱり演技だったのかと沙那は思った。そんな感じだった。
それから、恵圭の案内で闘技場の控室である地下をぐるりと回った。
軽食や飲み物を自由に口のできる場所も教えてもらった。
今回は使わないということだったが、猛獣を入れている檻もある。
やがて、再び個室の並ぶ控室の前に戻ってきた。
恵圭とは、沙那と孫空女用にと宛がわれている部屋の前で別れた。
なにかあれば、すぐに言ってくれと恵圭は言った。
孫空女とともに、あてがわれている個室に入る。
広くはなかったが、中にはほとんどなにもないので十分に広く感じた。
調度品はなにもなく、壁の両側に木製の長椅子があるだけだ。
「さてと……。じゃあ、今日はここで二試合すればいいんだよね。午前中に一回、午後に一回だったね。まあ、勝ち残りだから負ければ終わりだけど、そのときは、ご主人様のきついお仕置きが待っているんだろうね」
孫空女が苦笑しながら、首にかけていた水筒をおろして、長椅子のひとつに座った。
沙那も反対側の長椅子に同じようにして座る。
持ってきたのはお互いに武器のほかには水筒を一本だけだ。
「ところで、どうする、孫女? さっきの食べ物がある場所に行って、なにか口にしておく? あんたの試合の方が最初だったわよね。なにか持ってこようか?」
沙那は訊ねた。
午前中の試合で、まずは半分になり、午前中の試合で勝った者同士が午後に戦って、さらに半分になる。
それで十六名だ。
試合は、基本的に今日も明日も一対一であるが、今日は試合数が多いので、闘技場が四分割されて、同時に四試合が行われると言っていた。
また、今日の試合の組み合わせはあらかじめ決まっていて、例えば、同じ釘鈀皇子推薦で出場している沙那と孫空女が戦うことがないというような処置がされている。
ただ、明日の決勝の組み合わせは、皇帝による闘士謁見の直後に抽選で決まる。
だから、今日勝ち残れば、明日はいきなり沙那と孫空女が戦うという可能性もあるかもしれない。
まあ、命のやり取りはないことにはなっているということだが、使う武器は本物なので、腕や脚を斬り落とされるということくらいは普通らしい。
しかし、道術による治療処置がなされるので、命さえ失わなければ、五体は復活するというだけの話だ。
試合には審判がつき、どちらかが試合続行不可能と判断されれば、試合がとめられると言っていた。
沙那はそういえば、試合中に相手の選手を犯すのは自由という、わけのわからない規定も追加されたということを思い出した。
「失礼します」
扉が外から叩かれた。
「もう、試合かな? やけに早いね」
孫空女が立ちあがって扉を開いた。
外には籠を抱えた係員らしき若い男が立っていた。大き目の籠を両手で抱えている。
「武具をお持ちしました」
係員らしきその男が部屋に入ってきて、持っていた籠を床に置いた。
籠の中には革製の武具らしきものが積み重ねられて入っていた。
「武具? 頼んでないわよ」
沙那は言った。
共用の武具があると聞いていはいたが、さっき
「いえ、おふたりの主人様からお預かりしました。これを身に着けるようにということです。この武具は、肌に直接身に着けるものなので、そのように装着してください」
その男はそれだけを告げると、部屋を出ていってしまった。
沙那と孫空女は呆気にとられて、お互いを見つめてしまった。
「あたしらの主人って、ご主人様のことかなあ……? でも、武具を指定するなんて言ってなかったよねえ」
孫空女が籠に入った武具に手を伸ばしながら言った。
「まあ、気紛れな人だから……」
沙那も手に取ってみた。
「な、なによこれ──?」
沙那は叫んだ。
孫空女もひっと短い悲鳴をあげた。
入っていたのは武具というよりは、ただの革製の胸当てと半下袴だ。半下袴もほとんど脚の付け根までの丈しかなく、それが二組あり、ほかにはなにもない。
「は、肌に直接身に付けろって言っていたよねえ」
孫空女が泣きそうな顔をしている。
沙那も赤面しそうだ。
こんなものだけを肌につけるというのは、ほとんどの肌を露出して、下着で戦うのも同じだ。
「ご主人様ったら──」
沙那は声をあげてしまった。