口の中に血の味が拡がり、視界がぐにゃりと曲がった。
孫空女の身体に馬乗りになった豚男は、それでも容赦なく孫空女の顔めがけて拳を叩き込んできた。
すべての音が掻き消える。
だか、一瞬後に歓声が復活した。
しかし、頭が朦朧として、全身が痺れたように動かない。
どうやら、殴られすぎたようだ。
「少しでも動いたら、また容赦なく殴ってやるぜ。殴られるのがいやなら、じっとしてな」
豚男がせせら笑いながら、また上から孫空女の頬を横殴りにした。
「ぐあっ」
口の中から血が噴き出た。
どうやら自分の歯で口の中を深く切ったようだ。
「こ、こらっ──。そ、孫空女──気合入れないかい──。そんな豚、転がして鞠みたいにしてやりな──」
そのとき、大歓声の中から宝玄仙の野次が聞こえた。
耳のいい孫空女は、大歓声の中から宝玄仙の声を拾いあげたのだ。
それにしても、言ってくれるじゃないかと思った……。
動きを封じるようなえげつない革の下着さえ身に着けていなければ、こんなに一方的にやられはしないのだ……。
そのとき、豚男の手が革の胸当てを掴んだ。
そして、呆気なくそれは引き千切られて外れた。
孫空女のふたつの乳房が露わになる。
闘技場が大きな歓声で包まれた。
孫空女はびっくりした。
大観衆の前で乳房を剥き出しにされたことはどうでもいい。
それよりも、道術の力で張りついたように取れなかったこのいまいましい胸当てが外れたことに驚いたのだ。
「……し、下も取って……。お、お願い……。し、下も……」
孫空女は豚男に思わず哀願していた。
どうやら、この霊気の込められた革の下着の責め具は、自分では脱げないが、他人には簡単に脱がすことができるようだ。
「おっ、なんだ? 早く犯されたくなったのか……? これが欲しいか? だが、いいのか? 一度、これに犯されれば、ほかの男とはもう愉しめなくなっちまうぜ」
豚男が巨根を見せつけるように手で振った。自信たっぷりの表情だ。
「う、うん……。待ちきれないんだ……。は、早く、脱がせて……。お、大きいの……い、いいね……」
孫空女としては精一杯の媚を込めて言った。
内心では反吐が出そうだ。
下着を脱がしてもらった瞬間に、この豚を蹴りまくってやろうと決めた。
とにかく、いまは、この豚男に頼るしかない。
孫空女はできるかぎりの愛想笑いをしてみた。
「わかった、わかった……」
豚男が相好を崩して、孫空女の乳房に手を伸ばしてきた。そして、ぐにゃぐにゃと乳房を揉みほぐしてきた。
「ふわっ──、な、なにやってんのさ──。し、下……。下を脱がせてったら……はあっ──」
孫空女は乳房から拡がる淫情の波に耐えながら抗議した。
だが、さんざんにおかしな下着に翻弄された乳房は、すっかり感覚が鋭くなってしまって、豚男の無骨な手つきでも官能の痺れをあっという間に拾いあげてしまった。
孫空女は甘い声をあげて、身体をよがらせてしまう。
「まあ、物事には順番というものがあるのさ、女……。犯すのはもう少しお前の身体を愉しんでからだ。いまはこれで我慢しな……」
豚男が片手を乳房から離して背中側に持っていった。
そして、孫空女の股間を、革の下着の上からぐいと指で強くなぞった。
「ふくうううっ」
孫空女は押さえつけられている身体を海老反りにして跳ねあげた。
豚男の指に感じたのではない。豚男の指が下着を押さえることで、下着の内側がうねうねと動き、孫空女の股間を淫らに刺激したのだ。
「ははは……とんだ、淫乱女だぜ──。そんなに待ちきれねえか──。まあいい──。だったら、望み通りにしてしてやるぜ」
豚男が大笑いしながら、孫空女の革の下着に手をかけた。それが引っ張られて股間から外れた。
孫空女は必死で腰を浮かせて、下着が脱げていくのを助けた。
革の下着が腿までさがった……。
「こ、こん畜生──」
孫空女は、全部脱がされるまで待たなかった。
上体を跳ね起こして、豚男の鼻めがけて頭突きを思い切り食らわせた。
「ぐああっ」
すっかりと油断していた豚男は、鼻から血を噴き出させながら後ろ向きにひっくり返った。
孫空女は腿までずり下がっていた下着を脱いで、その場に放り捨てた。
大歓声に包まれた。
裸だろうが、大勢の観客が見ていようがもう構わない。
豚男が鼻を押さえて、よろよろと立ちあがった。
孫空女は豚男に駆けた。
右手は動かないが、全身に血がたぎって痛みはそれほどない。
また、殴られ続けたためにまだ視界が定まらないが、それも豚男を蹴り飛ばすくらいのことは問題ない。
呻き声をあげて立ちあがった豚男の脳天に、孫空女は力の限りの回し蹴りを食らわせた。
豚男が地響きを立てて、その場に倒れる。
顔を踏み潰してやろうと思ったが、豚男はその一発で、もう白目を剥いていてぴくりとも動かなくなってしまっていた。
豚男が気絶したのは明らかだ。
孫空女は大喜びの観客席の中から宝玄仙の姿を探し出して、左の拳を突きつけた。
もう、こんな悪戯はやめてくれと告げたつもりだ──。
すると、観客先の声が爆発した。
そのとき、孫空女は歓声の中にかなりの嘲笑と野次が混じっていることに気がついた。
「わっ」
はっとして声をあげてしまった。
夢中になっていたので忘れていたが、孫空女は素っ裸だった。
それにも関わらず、脚を拡げて拳を観客席に突きあげるような仕草をしてしまっている。
孫空女は慌てて両手で裸身を隠そうとした。
だが、右手はほとんど動かない。孫空女の身体に激痛が戻ってきた。
ふと見ると、会場の外の審判が旗をあげている。
孫空女の勝利が認められたのだ。
腹がねじれるような感覚が襲った。
『移動術』だ。
周りから観客の歓声が掻き消えた。
再び、地下の控室に戻ってきていた。
試合前に転送された場所だ。何人かの係員と道術士がいる。
闘技場とここを『移動術』の結界で結ぶ円形の台は周囲から一段高くなっていて、その周りはカーテンで隠されている。
地下側の台の上に戻ってきたのは孫空女ひとりだ。
豚男はいない。
敗者はこの控室には戻らない。
別の場所に転送されると聞いている。
この地下の控室では、上の試合の状況はわからない。
試合が終わって、ここに戻ってくるのが勝者の証なのだ。
素裸で戻ってきた孫空女に、係員や道術士たちが目を丸くしている。
構わず、孫空女は台からおりて、幕の向こうに出た。そのまま駆け去ろうとした。
この『移動術』の転送部屋と闘士控室は、渡り廊下で繋がっていて、そこを走り抜ければ、控室のある場所に出る。部屋に戻れば服が置いてある。
「そ、孫女、どうしたのよ? あんた、素っ裸で──?」
声に振り返ると、次の試合のための転送準備のために、転送のための台の下で待機をしている沙那がいた。
さっきの孫空女と同じように、武器のほかには、革の上下の下着だけを身に着けた格好だ。
どうやら、次の試合の転送のための待機をしていたようだ。
「わっ、あんた、怪我をしているじゃないの──? そ、そんなにやられたの? それに右の肩が変よ──。だ、大丈夫──?」
沙那が孫空女の姿に目を丸くしている。
孫空女は痛みをこらえて、沙那に駆け寄った。
「そ、それよりも、沙那。それ脱いで──。それを着て地上にあがると、肌に触れているところをいやらしく動いて責め始めるんだ。それで戦えなくなるんだよ──。大変なことになるよ──。とにかく、それは淫具の下着なんだ。脱いで──」
孫空女は叫んだ。
沙那は一瞬身体を硬直させたが、それだけですべてを悟ったようだ。
慌てて下着を脱ごうとしたが、さっきの孫空女と同じように自分では脱げないでいる。
「沙那──。雷電──。時間だ。それぞれに目の前の円の中に入れ──」
係の者が声をかけた。
少し離れた場所で待機していた巨漢の闘士が二本の棍棒を振り回しながら雄叫びをあげた。
どうやら、あれが沙那の相手らしい。
相手は、沙那と孫空女の様子にちらりと視線をやってから、幕の向こうに消えて台にのぼった。
「ど、どうしよう、孫女。脱げないわ──」
沙那は泣きそうな顔をしている。
係員がもう一度、沙那の名を呼んで前進を促した。
「待って、沙那──」
孫空女は、右肩の激痛を堪えて、動く左手で沙那の胸当てを引き千切った。
さらに、腰の下着も引っ張る。
なんとかと、股間からも革の下着をずりさげることができた。
「あ、ありがとう、孫女。ちょっと、服を着てくるわ」
沙那が裸身を両手で抱いて駆け去ろうとした。
「待て、どこにいく、沙那──? 試合放棄で失格になるぞ──。試合放棄は懲罰もあるのだ」
立ち去ろうとした沙那に向かって、係員が怒鳴った。
「あ、あんた、見てわかるでしょう──。服を着てくるのよ──。ちょっとくらい待ってよ──」
立ち去ろうとしていた沙那が、係員の静止に腹を立てて立ち止まり、険しい顔をして怒鳴り返した。
「それが規定なのだ。この待機場所で試合相手と遭ったら、相手の武器や支度の状況がわかるだろう。だから、戻るのは禁止になっているのだ。相手に合わせて武器を交換したりするのを防ぐためだ。とにかく、そのままの武器と支度で戦ってもらうのが規定だ。外すのは構わないが追加は許されない。この場所から出ていけば、反則とみなすぞ」
「ふ、ふざけるんじゃないわよ──。武器なんて交換しないわよ。裸だから服を着てくると言ってんのよ──」
沙那は喚いた。
「ええい──。もう、そのまま行くしかないよ。沙那、我慢しな──」
孫空女は沙那を円の方向に、力いっぱいに押し出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ──。こ、こんなんで戦えるわけないじゃないのよ──。待って──」
悲鳴のような抗議の声をあげる沙那が、カーテンの向こうで転送される気配を感じた。
*
「あれっ? 見てくださいよ、ご主人様──。今度は沙那姉さんが出てきましたけど素っ裸ですよ──。さっきの孫姉さんといい、沙那姉さんといい、なにやってんでしょうねえ──?」
朱姫がけらけらと笑った。
宝玄仙も驚いていた。
さっきは、下着みたいな恰好で孫空女が闘技場に現れたかと思ったら、今度は沙那は素っ裸だ。
「こらっ?
宝玄仙は隣の陳嬌に向かって怒鳴った。
だが、陳嬌は、もう気が狂うほどの掻痒感に襲われているのか、宝玄仙の話などなにも聞いてはいないようだ。
それどころか、すぐ後ろに部下の男が立っているのにもかかわらず、必死になって布の上から股を擦っている。
もしかしたら、あれでばれないように股間を擦っているつもりなのかもしれないが、陳嬌が短い下袍の布の上から股間を懸命に擦っているのは、ひと目でわかる。
「んんっ、んっ、んっ」
しかも、陳嬌は、どうやら痒みのために冷静な判断力を奪っているらしく、だんだんと嬌声のような鼻息まで荒くした。
宝玄仙は嘆息した。
これ以上は痒みに耐えさせるのは無理だろう。
本当に狂うまで放っておいて、部下の前で恥をかかせるのも愉快かもしれないが、陳嬌が今後、
「素蛾、お前、一緒に来た男と孫空女のところに行っておいで──。どうやら、怪我をしたと思うからね……。お前の舌の力で負傷を癒してくるんだ。関係者以外の出入りは禁止されているが、陳嬌の姿に変身すれば入れるはずだ。それから、護衛だといって、その男にもついていってもらうといい」
宝玄仙は言った。
ここから見ている限り、孫空女はかなりの重傷だった。
おそらく右手は完全に砕けていると思う。
あの怪我を治すには宝玄仙の『治療術』か、素蛾の舌の癒しの力しかないと思うが、ここの闘技場の地下は、闘技場の運営以外の霊気が制限されていて、定められている道術以外のものを第三者がかけようとすると、それが闘技場にかかっている全体道術により、妨害される仕掛けになっているようだ。
それは、闘士が道術を帯びて試合をすることで公平性が失われることを防ぐための処置であるらしいが、いずれにしても、宝玄仙の道術では都合が悪い。
その点、素蛾の舌は普通の道術とは異なるために、闘技場全体の道術防止にも引っ掛からないと思う。
素蛾には変身の指輪の霊具を渡してある。
この前もうまく陳嬌の姿になっていたし、すっかりとあの変身の霊具の使い方は習得できたようだ。
「は、はい、すぐに行きます──。そ、そうですね。わたくし、孫姉さんのところに行ってきます」
素蛾が立ちあがった。
「陳嬌──」
宝玄仙は朦朧としている陳嬌の耳元で大きな声をあげた。
「は、はい──?」
陳嬌がびくりとして背筋を伸ばした。
慌てたように手を股間から除ける。
「聞いていないのかい──? 孫空女を治療させるから、素蛾をお前に変身させて、その男を闘士の控室に向かわせるよ──。ちょっと、素蛾に唾液を提供しな」
素蛾に渡している宝玄仙の変身の霊具は、変身したい者の体液を吸えば変身できる。
「はっ、な、なんですか……?」
陳嬌は顔をあげたが、なにがなんだかわかっていないようだ。
「失礼します」
だが、素蛾がその陳嬌の前にやってきて、陳嬌の唇に吸いついた。
「んんっ?」
陳嬌がびっくりして顔を逸らそうとしたが、すかさず、両側から宝玄仙と朱姫が陳嬌の身体を押さえた。
素蛾は陳嬌の唾液を吸っている。
陳嬌は眼を白黒させながらも、素蛾の唾液のもうひとつの効果である媚薬の力が身体に回って興奮しはじめた。
しかし、すぐに素蛾は陳嬌から離れた。
すでに素蛾の身体は、指輪の霊具の力で陳嬌そのものになっている。
「な、なんです?」
陳嬌が欲情した顔のまま、目の前に現れた自分自身の顔にびっくりして声をあげた。
「本当に聞いていなかったのかい、陳嬌──? 素蛾をお前に化けさせて、下に行かせるからね。孫空女を治療させるんだ──。あれじゃあ、次の試合を戦えないからね──」
宝玄仙は大きな声をあげた。
「あっ、そういうこと……。あ、あの舌の癒しで……。そ、そうですね。それがいいでしょう……。わたしの姿で行けば、闘技場も門番は素通りさせるはずです……。お前も一緒に行きなさい──」
陳嬌がやっと話を理解したらしく、大きく首を上下させた。
そして、素蛾をここまで連れてきた釘鈀の部下の名を呼んだ。
釘鈀の部下がうなずく。
「では、行ってきます──。では、お願いします」
陳嬌の顔になった素蛾が、部下の男とともに貴賓室を出ていった。
「ほら、邪魔者は立ち去らせてやったよ……。痒い場所を遠慮なく掻きむしりな」
宝玄仙が言うと、陳嬌はすかさず下袍の中に手を入れて股を掻き出した。
もはや、人目を気にする余裕もなくなってきたようだ。
すぐによがり声を出し始めた。
宝玄仙はその浅ましい姿に苦笑してしまった。
「沙那姉さんの試合が始まりましたよ──」
朱姫が大声で叫んだ。宝玄仙は試合に意識を戻した。
*
「ひいいっ」
孫空女に押し出されて、闘技場に進む小さな円に進まされた沙那は、気がつくと、信じられないような数の観客の見守る闘技場に素っ裸で立たされていた。
沙那は、全身が羞恥で真っ赤になるのを感じながら、片脚を曲げて股間を隠した。
さらに、剣を持つ両腕を乳房を隠すように胸の前に持ってくる。
「いいぞ──」
「隠すな──。裸を見せたくて、裸できたんだろう──」
「もったいぶらずに、見せろ──」
嘲笑と野次の嵐が沙那に襲いかかった。
沙那はあまりの羞恥で気を失いそうになった。
なにしろ、これだけの満員の闘技場で素っ裸で立っているのだ。
そのとき、目の前まで、すでに相手の男が間合いを詰めていたことに気がついた。
相手の持っている棍棒が横から沙那の身体を薙ぎ払った。
「うわっ」
沙那は間一髪で身体を屈めて棍棒を避けた。
しかし、すでに反対側からもう一本の棍棒が襲ってきている。
巨漢のわりには身体の動きが素早い。
これは、恥ずかしがっている場合じゃない──。
沙那は覚悟を決めた。
身体を隠すのをやめて、大きく股を開いて身体を沈めて、剣を上から下に払った。
裸で動いているので乳房が揺れて肉と肉がぶつかる感触が伝わってきた。
「ぐああっ──」
血飛沫が飛ぶ。
沙那の剣先が巨漢の肩を大きく斬り裂いたのだ。
棍棒の一本が巨漢の手から離れるのを確認しながら、さらに剣を薙ぎ払った。
反対側の肩の腱も切断した。
「うぐうっ」
男が両膝を地面についてうずくまった。
すかさず、沙那は男の頭を剣を持っていない手で掴むと、膝で男の顎を下から思い切り蹴りあげた。
男は呻きも発することなく、後方に倒れていった。
沙那の勝ちだ──。
「は、早く──。わたしの勝ちよ──。下に送り返して──」
沙那は裸体を両手で隠しながらその場にしゃがみ込んで声をあげた。
塀の向こうの審判が旗をあげた。
わっという歓声に包まれた。
「は、早く、送り返して──。早く、早く──」
沙那は必死で両手で裸身を隠しながら叫んだ。
やっと、沙那の身体を『移動術』特有の感覚が包んだ。
周りの景色が一変した。
地下に戻ったのだ──。
沙那は転送台の上から、幕の向こうに駆けおりた。
「沙那様……」
そこには、陳嬌が立っていた。
両手に服を持っている。
「早かったですね……。さすがは沙那様です……」
陳嬌はにこにことしている。
「……も、もしかして、素蛾なの?」
沙那は待っていた陳嬌の姿の女に駆け寄った。
姿と声は陳嬌だが、それが陳嬌でないことはすぐにわかった。
雰囲気が違うし、陳嬌は沙那のことを“沙那様”などとは呼ばない。
第一、陳嬌は、観客席で宝玄仙の洗礼を受けている最中のはずだ。
こんなに、にこやかなはずはない。
「はい……。わたくしです……。こっちに来たんですけど、孫様に沙那様が裸で戻ってくるはずだから、服を持っていてやれと言われまして……」
陳嬌の姿をした素蛾が服を差し出した。
沙那の服が一揃いある。とりあえず、沙那はそれを受け取った。
そばに衝立があったので、その向こうに飛び込む。
「では、わたくしは、孫様のところに戻ります。まだ、孫様の治療の途中なんです」
衝立の向こうから顔を出して、素蛾が隠れて服を着ている沙那に声をかけてきた。
「孫女の治療のために、陳嬌の姿でやってきたの、素蛾?」
「はい──。陳嬌さんの姿でなければ、ここには入れませんし……。では、先にお姉さん方の部屋に戻りますね……。孫姉さんは肩の骨が折れていたみたいです……。それはわたくしの舌でかなり治ったのですが、完全に治るには、まだもう少しかかります。ほかにもあちこちを怪我をされています。じゃあ、行きますね……」
「あ、ありがとう」
沙那が言うと、衝立の向こうから、素蛾が駆けていく足音がした。
渡り廊下を向こうに走っていったようだ。
たったいままで、沙那を素裸で闘技場に向かう台に押し込んだ孫空女に、ひと言、ふた言文句を言ってやろうと思っていた。
だが、よく考えたら孫空女は沙那を助けてくれたのだと思った。
あの孫空女がそんなに痛めつけられるくらいだから、あの下着のような革の具足は、孫空女や沙那の身体の動きをまったく封じるくらいにえげつなく責める淫具だったのだろう。
それを考えれば、孫空女は恩人だ。
沙那は服を身につけながら思った。
それに、自分の治療の途中なのに、裸の沙那のことを思って、素蛾をここで待機させてくれたのだ。
「きゃあああ──」
そのとき、控室のある方向から女の悲鳴がした。
陳嬌に変身している素蛾の声に違いない。
「殿下、おやめください──」
男たちの血相を変えた声もする。
「いやああああ──」
また、素蛾の悲鳴が響き渡った。
沙那は慌てて、物陰を飛び出した。