素蛾の目の前にやってきたのは女の亜人だった。
亜人というよりは妖魔だろう。
その人物は女には間違いなかったが、両腕のほかに体側から二本の節のある別の腕が生えていた。
顔をはじめとした肌の色は黒で眼は大きくて鼻がない。
人間族ではない霊気に依存する人間型の種族を総称して「亜人」と呼ぶのだが、その中でも人間の姿とかけ離れた姿の者をさらに「妖魔」と区別することがある。
宝玄仙たちの故郷の東方帝国では、こっちで「亜人」という言葉の変わりに「妖魔」という用語を使うらしいが、いずれにしても、「妖魔」とは蔑称であり、差別用語だ。
目の前の女は人間というよりは巨大な二歩足の黒い虫である。
額には触覚もあり、身体に密着した服は硬そうな身体を覆っている膜に思えた。
人間離れしている点では、まさに「妖魔」だ。
その女妖魔が、宙に浮かんで動けない素蛾の前に立った。
素蛾は服を着ていない。
この亜人の城のような場所に連れてこられてすぐに衣服を剥がされたのだ。
それだけでなく、指に嵌めていた変身の霊具である指輪も取られた。
もっとも、変身の霊具は、亜人の『移動術』でここにやってくると、すぐに効果を失って、素蛾は釘鈀の姿から元の姿に戻ってしまっていた。
宝玄仙からは、素蛾に与えた霊具は、宝玄仙の霊気に依存する霊具であり、宝玄仙から十里(約十キロ)以上離れると、効果がなくなると教えられていた。
だから、つまり、ここは少なくとも宝玄仙たちのいる帝都から十里(約十キロ)以上は離隔しているということだ。
おそらく、ここは魔域だ。
だから、周りにいるのが亜人だらけなのであろうし、非人間型の亜人も闊歩しているのだと思う。
西方帝国は周辺国の中でも、もっとも亜人に寛容な国であるが、それは人間型に限られる。非人間型の、いわゆる「妖魔」には、存在を許していない。
だから、ここはすでに魔域なのだと思う。
魔域の中にある亜人の宮殿──。
ここはそんな感じだった。
素蛾はこの宮殿のような場所の廊下を歩かされ、窓のない石畳のこの部屋に連れてこられた。
そして、数名の亜人兵に身に着けているものをすべて奪われたのだ。
裸にされた素蛾の身体は、ふわりと浮きあがって、手足を大きく広げた状態で固定された。
そして、亜人兵も出ていき、素蛾はまるで見えない拘束具で四肢を引っ張られたように身体の自由を失い、それから、忘れられたように放置されていた。
おそらく、それから数刻がすぎたと思う。
やっと現れたのが、この黒い女だ。
そのとき、目の前の黒い女の亜人の鞭のような体側から出た腕が動いた気がした。
「ふうううっ」
次の瞬間、素蛾は悲鳴をあげて背を反らせていた。
皮膚を裂かれるような衝撃が腹と胸を襲ったのだ。
あの胴体から出た鞭で身体を叩かれたのだと気がついたのは、黒い女の鞭状の腕が元に戻ってからだ。
「あはあっ、はあっ、はあっ、はあ……」
たったの一発だが、容赦のない鞭は、素蛾の全身に痺れるような感覚を残していた。
痛みの疼きが、身体の前面に残って離れていかない。
「あたしは、
女はそれだけを言った。
驚いたことに寓天は、右腕で胴体から出た鞭状の腕の根元を掴んで抜くと、素蛾の後ろ側めがけて放り投げた。
寓天の投げた鞭の腕の片割れが素蛾の視界から消える。
すると、今度は背中側から鞭が浴びせられた。
「きゃあああ──」
素蛾は激痛に悲鳴をあげた。さっき、後方に投げられた鞭だと思う。
どうやら、この寓天という妖魔は、投げ捨てた鞭状の腕を自在に操れるようだ。
新たな痛みに呻く素蛾の前で、また、寓天が腕の鞭を抜いて投げた。
今度、寓天が投げたのは宙に浮かんでいる素蛾の右横だった。
一方で、さっき腕を抜いた場所にも、たったいま腕を抜いた場所にも瞬時に別の腕が現れている。
横の鞭が素蛾の開いている二本の太腿を襲った。
ほぼ同時に尻たぶにも後ろから鞭が打たれた。
「ひぐうう──」
素蛾は絶叫して、身体をのけ反らせた。
寓天がさらに鞭を千切って増やして、素蛾の反対側の横にも切断された鞭がやってきた。
前後左右からの鞭の嵐が始まった。
素蛾は空中で悲鳴とともに踊り続けた。
寓天はそれからしばらく、なにも言わずに鞭を素蛾の裸身に打ち込み続けた。
前後左右の五本の鞭が代わる代わるに素蛾に打ち込まれる。
素蛾は悲鳴をあげ続けた。
まるで鞭による痛みそのものを身体の芯に掏りこまれている感じだ。
素蛾は絶叫し続けた。
鞭の雨は激痛であり、不快な苦痛だった。
一発の鞭が肌に喰い込むと、思わず息を止めるのだが、すぐに息を吐く瞬間がある。そこをめがけて別の鞭が襲いかかる。
打たれる場所は胸だったり、背中だったり、脇腹だったり、左右の腿だったりと常に変わった。
まるで素蛾が考えていることがわかるかのように、素蛾が鞭を当てられる場所を予想して備えると、絶対にほかの場所に打ち込まれる。
「……はがああ──も、もう許して──許してください──」
素蛾は叫んだ。
いつの間にか、素蛾は泣き声をあげていた。
「やっと、泣いたね──。やはり、見かけによらないね。さすがにあの孫空女の仲間だけあるよ……。結構、しぶとそうだ……。それだけに、やっぱり本気でかからないとならないようだね」
寓天が笑った気がした。
孫空女を知ってる?
「ひがああああ」
ふと思ったが、素蛾の思考は、すぐに再開された鞭打ちによって中断された。
またもや、息をすることも許さないような連続の鞭打ちだ。
そして、しばらくしてから、前側から寓天の胴体から出ている左右の鞭が正確に素蛾の左右に乳首を叩いた。
「はぎゃあああ──」
素蛾は絶叫した。
跳ねあがった素蛾の股間に今度は股の後ろから鞭が股間の亀裂に喰い込んだ。
頭の中が灼熱の炎に焼かれたような衝撃が襲った。
素蛾は失禁とともに、自分の身体から完全に力が抜けるのがわかった。
*
「起きるんだよ」
顔のすぐ近くを鞭で叩かれて、素蛾は眼が覚めた。
いつの間にか、自分が気絶していたのだと悟った。
顔の前に、素蛾がしてしまった尿の水溜まりがあった。
「道術で宙吊りにするのはやめだよ。次は脚からぶら下げてやるよ。そっちの方が効果があるからね」
声がした。
一瞬、どういう状況なのかわからなかったが、自分が亜人の宮殿にさらわれて、寓天と名乗る鞭を身体に生やした女から拷問を受けいていたということを思い出した。
素蛾ははっとした。
両手首が束ねられて縄が食い込んでいる。
その縄尻は一尺(約三十センチ)ほどの長さで床にある金具に結ばれていた。
そして、鎖の音がした。
鎖がついているのは、いつの間にか嵌められている両足首の革枷だ。
その左右の足首の革枷に鎖がかかっていて、天井の滑車にその二本の鎖が引きあげられている。
「覚悟はいいね。床とはお別れだよ」
寓天が感情のない声で言った。
やがて、頭が完全に宙に浮き、両手首と床を繋げた縄が真っ直ぐに伸びたところで鎖の引きあげが終わった。
「う、うう……」
素蛾は両脚を引きあげられて、逆さ吊りにされる苦痛に思わず呻き声をあげた。
「……お前に要求するのはひとつだよ。あたしら亜人の奴隷になることを承知しな。そうすれば、刻印がお前の身体に刻まれる。それで終わりだよ。その後は、なにも苦しいことはしないと誓ってあげるわ」
寓天は言った。
素蛾ははっとした。
奴隷の刻印というのは知っている。
人間族や亜人族を奴隷化するときに使う道術だ。
それを刻まれれば、「主人」と認めた者の完全な人形になり、一切の自由を奪われることになるという操り術のはずだ。
ただし、刻印は本人の意思に反して刻むことはできない。
必ず、刻印を受けることを奴隷側の本人自身が承知する必要がある。
「……わ、わたくしは、宝玄仙様の奴隷で……」
素蛾は奴隷になれない理由を説明しようとした。
だが、寓天が素蛾の顔の下の床に香のようなものが炊かれている香炉を置いた。
そこから流れる煙が素蛾の鼻を突いた。
次の瞬間、素蛾の身体はかっと熱くなるとともに、頭が朦朧としてきた。
素蛾はびっくりして香の煙から顔をどかそうとしたが、上下に鎖と縄で固定されていては避けようがない。
素蛾の全身を麻痺させる香が素蛾の身体に吸い込まれされる。
「や、やめてください──。こ、これはやめて──」
素蛾は悲鳴をあげた。
この煙を吸っていると頭がぼんやりとして、ものが考えられなくなる気がしたのだ。
そんなことになれば、もしかしたら、ついうっかりと奴隷の刻印のことを承諾するかもしれない。
間違いなく、この頭の下の煙はそういう効果のあるものだ。
素蛾は焦った。
「……どうやら、この香の怖さがわかったようだね……。これは、強い媚薬の香でもあるんだけど、知性を麻痺させて、なんでも言いなりにするという効果の煙でね……。これで手っ取り早く、お前を陥させてもらうよ……。さっきの鞭打ちでわかったけど、お前はかなり頑固でしぶとそうさ……。大人になっていないような少女と甘く見れば、いつまで経っても、お前は堕ちない気がするよ……。だけど、これなら別だ。どんな気の強い人間でも簡単に陥せる。なにしろ、心の抵抗力そのものを麻痺させる効果のある媚薬だからね」
寓天が言った。
そのあいだにも、煙はどんどんと身体の中に入っていく。
息をしないことは不可能だ。香の道術は確実に素蛾を侵していっている。
素蛾はだんだんとなにも考えられなくなる……。
確かに、この香の煙はまともな判断力を奪ってしまうと思った。
このままでは、おそらく素蛾は、ほとんど無意識のまま、誘導されるように奴隷の刻印を受け入れさせられてしまうだろう。
素蛾は恐怖した。
必死で仲間のことを考えようとした。
「仕上げはこいつだ──。まだ、頭に仲間のことがあるかもしれないけど、これで、苦痛を除くことしか考えられなくなるよ」
寓天がそう言い、素蛾の上を向いている女陰に火のついた蝋燭を突きたてた。
「んぎいいいい」
素蛾は絶叫した。