755 宮廷からの呼び出し
「ここで、しばらく待機しろということだ」
沙那を家具のない部屋に連れてきた案内の官吏は、ぶっきらぼうにそう言うと、部屋を出ていった。
沙那はひとりぼっちで部屋に残された。
部屋はなにもない。
一切の家具はなく、それどころか、椅子も卓さえもない。
窓もない。
光は天井にある豪華な装飾のある燭台で照らされていたが、それを除けば牢を思わせた。
沙那は仕方なく壁のひとつを選んで背もたれた。
案内人は、いつまで待つのかということは説明しなかったし、そもそも、なんの用事で釘鈀が沙那を宮廷に呼び出したかということも教えなかった。
もっとも、あの役人からすれば、釘鈀の闘奴隷ということになっている沙那が、「主人」である釘鈀に呼び出されたというだけのことであり、沙那に敬意を抱かなければならないなんの理由も見出せないはずだ。
沙那はためしに、部屋にひとつしかない扉を試してみた。
だが、しっかりと外から鍵がかけられていた。
これでは監禁ではないか……。
沙那は釘鈀の扱いに少し不満を覚えた。
闘技場の騒乱で、亜人たちが皇帝の暗殺を企てるという事件が起こって五日が経っている。
この宮廷府の主人は、瀕死を負った
皇帝の溥儀雷帝は、あの騒乱により、命そのものは取り留めたものの、いまは療養中であり、宮廷府から離れて、帝都だけで五個ほどある屋敷群のどこかで治療に専念しているということだった。
そのどこにいるのかは釘鈀自身さえも知らないらしい。
当初は、喉を斬られた皇帝を宝玄仙が得意の『治療術』で治してやろうとした。
その場合は、まったく養生の期間など不要だっただろう。
しかし、どこの馬の骨ともわからない宝玄仙の『治療術』で皇帝を治すことを宮廷道術師長の
だから、大勢の宮廷道術師が能力を駆使しても、治療に数日以上が必要になったようだ。
ともかく、宮廷道術師たちの道術により、溥儀雷帝の当座の治療は終わったものの、いまは体力回復のための静養中だという。
一時的に政務を離れた皇帝に代わり、混乱した帝都を収めようとしているのが、暫定的な皇帝代理を務めることになった第二皇子の釘鈀だ。
この西方帝国には、まだ正式に任命された皇太子はいなかったが、第一皇子の
あれから五日──。
釘鈀は屋敷には戻っておらす、ずっと宮廷府に詰め切りになって、政務の指示を続けている。
一方で、沙那たち宝玄仙側たちも、釘鈀の屋敷において状況の打開を図ろうとしていた。
つまり、釘鈀は、役人たちと近衛軍による死んだ金箍皇子と
二正面になった宮廷側と屋敷側の連絡係は、
皇帝代理ということになった釘鈀は、忙しすぎて自分の屋敷に戻ってくることもできなかったからだ。
いずれにしても、黄獅姫を近衛軍に引き渡さなかったのは、渡せば、近衛軍が黄獅姫を拷問で殺してしまう恐れがあったからだ。
黄獅姫を「拷問」してでも、今回の事件の背景を知りたいということでは、宝玄仙たち側でも同じだが、黄獅姫を宮廷側に殺されてしまえば、人質交換などの手段により素蛾救出の材料として使うことができなくなってしまう。
もちろん、お互いの人質の交換による素蛾の身柄の確保は、素蛾を亜人城から救出する手段のひとつであり、ほかにも考えられる限りの手は打った。
自分の身代わりになって連れて行かれた素蛾を助けたいというのは、釘鈀も同じ思いであり、釘鈀自身も黄獅姫の身柄を宝玄仙側で確保することを許した。
皇帝代理といっても、それは皇帝が復帰するまでのことでしかない。
黄獅姫を宮廷側で確保させてしまえば、皇帝が政務復帰のときに、そのまま黄獅姫も皇帝が把握することになる。
そのときは、間違いなく溥儀雷帝は黄獅姫を惨たらしく処刑させるはずだ。
皇帝からすれば、素蛾を助けなければならない動機はなにもないからだ。
とにかく、五日目にして、ようやく、状況が霧が晴れるようにおよそのことがわかってきた。
西方帝国に手を出して、皇帝暗殺を企てた亜人たちは、
九霊聖女は、西方帝国の第三皇子であり、皇位継承権を与えられていなかった降妖君の不満を利用し、帝都における闘技会を開催させ、十数名の亜人闘士を送り込むことで、現帝である溥儀雷帝を闘技場で暗殺しようとしたのだ。
その間に、第一皇子の金箍に奴隷の刻印を刻むことに成功していて、さらに第二皇子の釘鈀にも手を出し、おそらく、金箍と同じように、奴隷の刻印を刻んでしまおうとしていたらしい。
溥儀雷帝が死ねば、第一皇子の金箍と第二皇子の釘鈀のどちらかが新しく即位する。
九霊聖女は自分の奴隷の刻印を刻んでいる皇子を即位させることで、西方帝国を操ろうとしたということだ。
もちろん、利用した降妖君は最初から使い捨てて殺すつもりだったようだ。
そのために派遣されたのが、黄獅姫以下の「闘奴隷」だ。
実際には黄獅姫も含めて、「闘奴隷」などではなく、黄獅姫は九霊聖女の近衛隊長であり、ほかの者も九霊聖女軍におけるそれなりの地位にある武将たちらしい。
だが、それは失敗した──。
皇帝の暗殺は、直接的には沙那と孫空女が阻止し、現れた九霊聖女そのものも、宝玄仙が道術で圧倒して退却させた。
奴隷の刻印を刻んでいた金箍は、彼女たちが逃亡するために死なせてしまうことを余儀なくされたし、誘拐して刻印を刻もうとした釘鈀についても、素蛾の機転で亜人たちは身柄を確保できなかった。
また、その背景となる亜人たちの戦争のこともわかった。
沙那たちが向かおうとしていた魔域の一地域を支配していた女魔王の金角が、牛魔王との戦争で敗れて死んだのは事実と思うしかない。
それらのことは、黄獅姫に朱姫が『縛心術』をかけて、ある程度のことを黄獅姫から聞き出すことでわかった。
ただし、黄獅姫の心には、『縛心術』に対抗する道術も深く刻まれていて、まだ完全に黄獅姫の知識を引き出すことには成功していない。
一方で、沙那は素蛾を助け出すために、思い切った策をとることにした。
孫空女と朱姫を九霊聖女の居城である連環城に潜入させたのだ。
帝都に潜んでいた九霊聖女の部下である、
そのとき、こちら側に人質交換の準備があるということを向こう側に伝えた。
だが、その結果、朱姫の旅仲間だったこともある
さらに、潜入したふたりの調べにより、素蛾も日値も旧金角域まで逃げ延び、
素蛾の身柄そのものは、巴山虎や九霊聖女の軍があるために、こちらに連れ戻すこともできないが、当面の生命の心配はないということがわかってきて安心もした。
また、ふたりが連環城に入り込むことに成功したことで、南山大王と九霊聖女の確執や、九霊聖女が南山大王を封印しており、その身柄をどこかに隠しているというという情報も得ることができた。
九霊聖女も南山大王に取った変わったといっても、完全に部下のすべてを掌握しているというわけではなく、まだ南山大王に心服していて、九霊聖女が南山大王のやり方をすべてひっくり返すようなことをしていることを快く思っていない者も少なくないようなのだ。
そういう者を見つけて、朱姫や孫空女は少しずつ連環城内で間者のような活動を続け、そして、道術通信でこちらと連絡を取り続けているのだ。
「あれ……?」
沙那は不審に思って小さな声をあげた。
そうやって思念に耽っていると、急に腹が捻られるような感覚に襲われるのを感じたのだ。
それは、『移動術』特有の感覚に違いなかった。
宮廷にいる釘鈀から呼び出しを受けて待機しているときに、なぜ、ほかの場所に転送されなければならないのだろう……?
だが、考える間もなく、部屋の扉がいきなり外から開いた。
そこにいたのはふたりの男だった。
ひとりは真っ白い外套を身につけた初老の男であり、もうひとりは三十歳くらいの近衛隊の将校だった。
沙那は、その両者に面識がなかったが、少なくとも外套を身に着けた男の顔はわかった。
宮廷道術師長の
首を斬られて瀕死の状態にあった
沙那はこの西方帝国の重鎮については、面識はなくても名と顔の記憶に留意していた。
だからわかったのだ。
だが、もうひとりはわからなかった。
「女奴隷はふたりではなかったのですか、王允殿?」
近衛軍の将校が沙那を値踏みでもするようにじろじりと上から下まで見回しながら言った。
「釘鈀皇子の名で沙那と孫空女の両者を呼び出したのじゃが、こいつしか来なかったのじゃ。理由は知らんよ、
司馬進──?
どうやら、それが近衛軍の将校の名のようだ。
沙那は、司馬進なら名だけは知っていた。
近衛軍団長の劉旺の部下であり、その中でも直接に溥儀雷帝の身辺警護にあたる警護兵を束ねる役割の将校だ。
つまりは、皇帝の警護長だ。
先日の闘技場の騒乱のときに、それまでの警護長が亜人たちに殺されたため、新たにその任を負った者であるはずだ。
このふたりは、溥儀雷帝の近習中の近習ともいえる立場にあるふたりということだ。
もちろん、沙那は釘鈀とは親しく接していたが、溥儀雷帝との接触などないので、沙那にはこの部屋に溥儀雷帝に近い王允と司馬進がふたりして現れた理由がまったくわからなかった。
「まあ、いい身体をしているようだから、陛下も満足されるでしょう。とりあえず、こいつだけでも連れていきますか、王允殿」
「そうだな」
「一応、拘束させてもらいますよ。釘鈀殿下の奴隷とはいえ、得体の知れない女を陛下に近づけるんですからね……。それに、こいつが女闘士として武術にすぐれていることは周知のことですし……」
司馬進は腰の後ろから鎖付きの首輪と縄束を取り出した。
そして、沙那に近づいてくる。
沙那はぎょっとした。
「な、なによ、あんたら──? わたしになにをするつもりなのよ──?」
沙那は寄ってきた司馬進に距離をとるように退がって、すかさず身構えた。
一体全体、この男たちはなにをするつもりなのか?
「いぎいいいい──」
次の瞬間、沙那の全身に凄まじい激痛が走った。
まるで全身のあちこちを同時に鞭打たれたような衝撃が襲ったのだ。
沙那はその場で手をついて倒れてしまった。
まったくなにが起きたのか理解できなかったが、すぐに王允が道術で沙那に電撃のようなものを飛ばしたのだということを悟った。
びっくりした──。
同時に背に冷たい汗が流れるのがわかった。
沙那の身体は、以前と異なりまったく霊気を帯びていない。
だから、通常の状態であれば、宮廷道術師であろうと直接に沙那の身体に道術による攻撃をすることはできないはずなのだ。
沙那に霊気を送り込めるのは、自身の道術陣を沙那の身体に刻んでいる宝玄仙だけだ。
ほかの道術遣いでは、宝玄仙の道術陣は使用できない。
それにも関わらず、王允が沙那に電撃の道術を浴びせることが可能だったということは、この部屋全体がこの王允の結界の中にあるということだ。
だが、なぜ──?
沙那は慌てて身体を起きあがらせながら、一生懸命に自分がこんな仕打ちを受ける理由を探そうとした。
だが、まったく思い当るものはなかった。
「おっ? 抵抗するのか? 奴隷の分際で陛下のお手付きになるのだぞ? なにを慌てているのだ?」
司馬進が沙那の態度を面白がるように、また距離を詰めてきて沙那の片腕を掴んだ。
「さ、触らないでよ──」
沙那はとっさに身体を捩じって腕を払いのけると、すかさず足払いをした。
司馬進の身体が沙那の足元にひっくり返った。
「あがっ──。 こ、こいつ、なにするんだ──?」
司馬進が尻もちをついて悲鳴をあげた。
「ひぎゃああああ──」
すると、またさっきの電撃が沙那を襲った。
またひっくり返りそうになったが、なんとか壁に手を着くことでそれに耐えた。
沙那は王允を睨んだ。
忍耐もこれが限度だった──。
沙那はこの電撃を沙那に浴びせている王允に体当たりを食らわせてやろうと、王允に向かって突進した。
「きゃあああ──」
だが、その途中で右足首と左足首が不意に密着して動かなくなり、沙那は床にうつ伏せに倒れ落ちてしまった。
「やはり、じゃじゃ馬じゃのう──。とりあえず、押さえつけておくか……」
王允の冷淡な声とともに凄まじい力が沙那の全身に加わってきた。
沙那は床に身体を張りつかせたまま動けなくなってしまった。
「あ、あんたら、わたしになにするつもりよ──? こ、こんなことしてただで済まないわよ──」
沙那は床に押しつぶされたまま叫んだ。
だが、身体にかかる圧力は、沙那が起きあがろうとする力に応じて、どんどんと強くなっていく気がした。
懸命にもがくのだが、まったく動くことができない。
「……く、くそう──。なんなんだ、こいつ──? どうして、抵抗しやがるんだ……?」
司馬進が打ち付けた腰を擦りながら起きあがると、動けなくなった沙那の腕を背中に回させた。
全身に降り注ぐ見えない圧力により沙那にはまったく自分の手も脚も動かせないのだが、司馬進が動かすと沙那の腕は簡単に背中側に動いてしまった。
「く、くそう……。あ、あんたら……。り、理由を言いなさいよ──。ふ、ふざけるんじゃないわよ──」
沙那は、司馬進に縄で手首を縛られながら、うつ伏せのまま怒鳴った。
「司馬進、足首も縛った方がいいのう……。実は、この奴隷女を陛下のところに連れて行くことは、釘鈀皇子は不承知でのう……。だから、当然、その奴隷女は不承知だ。もしかしたら、陛下のところで暴れまわるかもしれん。あらかじめ、縛っておいた方がいいだろうなあ……」
王允は言った。
「な、なんですと? 釘鈀皇子は納得ずくで、この奴隷女を陛下に譲ることにしたのではないのですか? それを早く言ってくださいよ──」
司馬新が大きな声をあげた。
そして、慌てたように、余分に持っていた縄で沙那の足首と足首を結んだ。
足首と足首を結ぶ縄には肩幅ほどの余裕を持たせたようなので、歩くくらいなら支障はないものの、これで沙那は走ることはできなくなった。
司馬進がその沙那の片腕を掴んで強引に立たせた。
すると、道術による見えない力は消失して、沙那は立つことはできた。
「だが、釘鈀皇子が不同意とはどういうことですか、王允殿? だったら、こうやって、沙那を連れてきたことは皇子は承知していないということですよね? それなのに、こんなことをして大丈夫ですか?」
沙那に司馬進が鎖のついた首輪を首に嵌めながら言った。
「ならば、釘鈀皇子が断ったために女奴隷は連れてくることはできなかったと、陛下に説明するのか? そんなことをしたら、あの陛下のご気性じゃ……。釘鈀皇子に怒りが向けられるのは当然だが、わしらにだって、とばっちりがある……」
「うーむ……。確かに……」
「だったら、なぜ釘鈀皇子が断ったのかはわからんが、強引にでも、引き渡してしまった方がいい……。既成事実を作ってしまえば、さすがに釘鈀皇子でも、すでに陛下の手元に渡って手のついてしまった奴隷女を戻せとは言わんだろうよ」
王允が肩を竦めた。
「ど、どういうことか説明してよ──。なんでこんなことをしているのよ──?」
沙那はもう一度喚いた。
さっきの王允の言葉によれば、皇帝が沙那を所望のような物言いだった。
それを釘鈀は断ったが、この王允と司馬進が強引に沙那を皇帝のところに連れて行こうとしているのだと思われる。
それがどういう状況なのか、さっぱりわからない……。
「……まあ、奴隷女に説明など必要はないと思うのじゃが、一応説明しておくかのう……。つまりは、お前はこれから、養生中の陛下の性の相手を務めるのじゃ……。皇帝陛下が闘技場におけるお前と孫空女の戦いぶりを見て感心し、是非とも、お前や孫空女のような女傑を抱いてみたいと申されたのじゃ……。まあ、お前としても、皇帝陛下のお手付きになるのだ……。名誉なことじゃ不満はあるまい?」
「ば、馬鹿言わないでよ──。不満よ──」
「なにを言っとる。奴隷女の分際で、陛下と情を交わすなど、本来であれば、ありえない待遇なのじゃ……。しかも、陛下としては、一度の情で終わらず、末永くお前と孫空女を手元で飼われるおつもりでのあるようじゃ。ありがたいと負わねば、ばちが当たるぞ──」
王允が言った。
沙那は驚愕した。
同時に、これで、なんとなく合点がいった。
溥儀雷帝をいえば、帝都で知らぬ者のいない女癖の悪さであり、また、飽きた女に容赦のない仕打ちをするということで有名だ。
どうやら、溥儀雷帝が、闘技場で溥儀雷帝を守って闘った沙那と孫空女を気に入って、釘鈀から沙那たちを取りあげようとしたようだ。
そして、さっきの会話によれば、釘鈀は断ったのだろう。
当然である。
表向きは、沙那と孫空女は釘鈀の闘奴隷ということになっているが、実際には、釘鈀の奴隷でもなんでもない。
だから、釘鈀は適当な口実で皇帝の指示を伝えに来た王允に拒否の返事をしたに違いない。
しかし、それを快く思わなかった王允は、釘鈀に無断で強引な手段で沙那を宮廷府に呼び出して、『移動術』でさらったということだろう。
それにしても……。
「こ、こんな誘拐まがいなことをして大変なことになるわよ──。釘鈀皇子がお許しにならないだろうし……、ご主人様……いえ、ほ、宝玄仙様が……」
沙那は焦って言った。
「釘鈀皇子は許すしかないであろうよ……。皇帝の思し召しに逆らえるわけがないのに、お前たちの差し出しに応じなかった心情は理解に苦しむが、まあ、あとで揉め事にならなくてよかったと、むしろ感謝するじゃろう……。陛下の機嫌を損ねてまで奴隷女に固執する理由もあるわけはないしな……。では、連れて行くか、司馬進」
王允が沙那の言葉を遮るように大きな声で笑った。
そして、司馬進にうなずいた。
司馬進が沙那に目隠しをする。
すぐに、首輪の鎖が引っ張られ出す。
沙那は焦った。
こうなったら、もう、本当のことを言うしかない。
沙那も孫空女も、釘鈀の奴隷ではない。
それを説明するしかないと思った。
実際のところ、闘技会のときにだけ刻んでいた刻印はすでに消滅している。
あれは素蛾の刻印だったが、もともと宝玄仙の道術だったので、宝玄仙の力で簡単に消滅させることができたのだ。
「ま、待って……。じゃあ、言うわ──。本当はわたしも孫空女も釘鈀皇子の奴隷じゃないのよ。闘技場で道術をふるった宝玄仙様の供なのよ──。頼まれて、釘鈀皇子の闘奴隷のふりをしていただけなの」
沙那は首輪を引っ張られながら言った。
しかし、無視される。
扉が開けられて、廊下に連れ出された。
目隠しをされたので、ここがどこだかわからないが、やっぱりここは宮廷府内の雰囲気ではない。
確かにどこか別の場所に跳躍させられた気配がある。
「ああ、そういうことじゃったのか……。どうして釘鈀皇子がお前たちの差し出しを頑なに拒否したのかわからなかったが、それで合点がいったわい。だったら、話はもっと簡単じゃ。釘鈀殿下は、お前たちが釘鈀殿下の闘奴隷でないことが陛下に知られれば都合が悪いと思ったのだろうが、実際には、陛下はいまさら、釘鈀殿下が本当は闘奴隷を保有していないことなど気にしていないのだ。それを教えれば、釘鈀殿下も安堵するであろう。よかった、よかった……」
王允が勝手に納得してしまっている。
「そ、そうじゃないのよ──。そのわたしを勝手に皇帝陛下のところに連れていけば、釘鈀皇子ではなく宝玄仙様が怒ると言っているのよ──。闘技場での宝玄仙様の力を知っているでしょう? わたしのご主人様は、相手が皇帝であろうと誰だろうと容赦しないわ。大変な騒ぎになるわよ──」
沙那は目隠しをされたまま歩かされながら言った。
「容赦しないじゃと──? それは面白いのう──。わしは闘技場にはいなかったので、その女の道術は見てはいないが、確かに派手だったようだな──。だからといって、まさか、宮廷道術師長のわしに刃向おうとは思ってはいないだろうよ──。お前は道術には無縁だから、自分の女主人の霊気は誰よりも凄いと思い込んでいるのだと思うが、実際には道術遣いには格があってな──。格の落ちる道術遣いは、格上の道術遣いには挑んでも無駄だから逆らいはせんものじゃ──。万が一、宝玄仙が怒ってやってきても、わしからすれば、旅の道術遣いなど格下もいいところだ──。どうということはない」
王允が大笑いした。
どうやら、宝玄仙のことを完全に見くびっているらしい。
それからも、沙那は抗議し続けたが無駄だった。
やがて、しばらく歩いてから、突然に立ち止まらされた。
どこか別の部屋に連れてこられたようだ。
首輪がなにかに結ばれて、がらがらと天井から引き上げられる感じがした。
沙那は座ることができなくなった。
部屋の中に王允と司馬進のほかに誰かいることは気配でわかった。
そのとき、いきなり、背後から顔を押さえられて、なにかを強引に口の中に入れられた。
はっとした。
なにかの丸薬だ。
「んぐううう──」
びっくりして口の中から吐き捨てようとしたが、さらに水を口の中に入れられて、鼻と口を力まかせに塞がれた。
口の外に薬物を出すことをできなくなり、口の中に入れられた水に薬物が溶け、結局のところ、沙那は口に入れられたものを全部飲み込んでしまった。
「陛下、連れてきました。とりあえず、沙那でございます。孫空女については、今日は都合が悪かったので、いずれ、連れてまいります」
王允が言った。
目隠しを外される。
すぐ前に上体を起こして寝台に横になっている溥儀雷帝がいた。
「よく来たな。この前、お前たちが余のことを助けてくれてから、その戦いぶりが目に焼きついておる。その褒美に、もうひとりのお前の仲間とともに、これからは余の性奴隷として可愛がってやるぞ」
その溥儀雷帝が好色な表情を沙那に向けた。