そこにいたのは、まぎれもなく南山大王の姿だったのだ。
「九霊──。いろいろと画策してくれたのう……。だが、それも終わりだ。すでに、ひと足先に連環城については、わしの支配を取り戻した。残っているのは、お前と、お前が連れてきた寓天の一隊のみだ──。大人しく、わしに降伏するか、それとも大騒ぎしたいのか、好きな方を選べ──」
南山大王が吠えるように一喝した。
九霊聖女は、そのときやっと三千の亜人軍が、宝玄仙たちではなく九霊聖女に攻撃の視線を向けているのがわかった。
逆結界についても、宝玄仙ではなく、九霊聖女に向かっている。
九霊聖女は愕然とした。
「な、なんで……?」
呆然となりながらも、九霊聖女は捕らわれてた
そして、南山大王は、九霊聖女が人質交換の場に向かうために、九霊聖女が連環城を離れたのに入れ替わるようにして、連環城に戻ったに違いない。
そして、連環城の支配を取り戻したのだろう。
どうやら、宝玄仙は黄獅姫の体内の水晶玉の存在に気がついてしまったようだ。
そして、封印を解いたのだろう。
そのうえで、球体のみを黄獅姫に戻したのだ。
それにしても、九霊聖女は幾重にも込み入った道術をかけて、丁寧に南山大王を封印していたはずだ。
それをたった数日で解放してしまったのだ。
それだけでも、宝玄仙の道術力が桁外れだということがわかる。
「
南山大王が今度は寓天に言った。
武力だけでも三千人とわすか五十人では抵抗のしようもない。
それだけではなく、道術でも南山大王という巨大な霊気の持ち主がいて、さらに宝玄仙までいるのだ。
九霊聖女は自分の敗北を悟った。
だが、寓天は九霊聖女の支配を受け入れている。
自分から南山大王に降伏することはできない。
「……寓天、降伏せよ──。これからは、南山大王に従え……」
九霊聖女は言った。
「く、九霊聖女様……?」
九霊聖女に抱きしめられている黄獅姫が顔色を変えている。
なにが起きたのか、さっぱりと理解できていない様子だ。
まあ、それは九霊聖女も同じだが……。
「伯父上、降伏する──。わたしを殺すがいい……。もう抵抗はせん……。だが、お願いだ……。黄獅姫だけは殺さないでくれ──。こいつはわたしに操られていただけだ」
九霊聖女は静かに言った。
「そ、そんな──。九霊聖女様が殺されるなら、わたしも死にます──」
黄獅姫が悲鳴をあげた。
「……殺しはせん──。お前の身柄は、宝玄仙殿に渡すことになっている。宝玄仙殿との約束でな」
南山大王が言った。
「そういうわけさ、九霊──。お前の恋人もしっかりと被虐癖に躾けられていて愉しかったけど、これからは、お前もまたしっかりとわたしが飼ってやるよ。愉しくなりそうじゃないかい──」
宝玄仙がこっちに近づきながら言った。
九霊聖女はがっくりと跪いてしまった。
「孫空女、朱姫──。じゃあ、そいつらふたりを捕えな」
宝玄仙が言った。
すでに、宝玄仙は目の前まで迫っている。
すると、横にいた大角と軍鶏猫が、孫空女と朱姫の姿になった。
九霊聖女は驚いた。
どうやら、このふたりは霊具かなにかで、それぞれの姿に変身をしていたようだ。
そのことに思い至らなかった九霊聖女は、自分の迂闊さに腹がたった。
「こいつ、なにかというと股ぐらを触りやがって──」
孫空女が怒った様子で、九霊聖女の襟首を掴んでその場に立たせた。
*
「宝玄仙殿、今回のことは感謝する。あなたがいなければ、わしはいまだに、九霊に封印されたままでいただろう……。九連聖女に支配されていた連環城には、片づけなければならないこともあるが、それも数日で片付く。どうか、連環城にやって来てもらいたい。連環城は、喜んで金角の弔い合戦に加わるだろう……」
「そうかい」
「あなたを旗頭に担ぎたい。金角はわしの娘ともいえるような存在だったのだ。それが無残に殺されたと知ったとき、わしは心が張り裂けそうだった。わしは牛魔王が憎い──。だが、金角を裏切って、牛魔王に引き渡した
南山大王が言った。
宝玄仙はうなずいた。
すでに、三千の亜人軍は引きあげている。
拘束をした九霊聖女と黄獅姫と寓天の身柄も一緒に連れていった。
いまここにいるのは、宝玄仙と三人の供、南山大王と南山大王が残した警護隊の十名、そして、帝国側の劉旺以下の五十名の一隊だ。
「宝玄仙殿、
宝玄仙は驚いた。
父親を排除して新たに皇帝につくことになった釘鈀は、これから魔域に入り、金角の仇を討つことを考えている宝玄仙に軍を提供しようというのだ。
「へえ、釘鈀は人間の軍を魔域に侵攻させるつもりかい? そんなことをすれば、魔域の連中を人間族の世界に呼び込むことにもなるかもしれないよ。少なくとも、連中が人間族に侵攻する大義名分を与えることにもなるね」
宝玄仙は苦笑しながら言った。
「同じことでしょう。こちらがなにもしなくても、九霊聖女のように手を出してくるかもしれません。西方帝国は牛魔王と呼ばれるような粗暴な魔王が魔域の支配的な存在になることを望みません。それに、人間族の軍は直接には道術の影響を受けないという利点があります。道術が支配的な魔域の戦闘には役に立つでしょう」
「だったら、遠慮なく馳走になることにするよ、劉旺……。そう釘鈀に伝えておくれ。わたしたちは、一度、このまま西方帝国の国境地域に向かうよ。その後、すぐに魔域に入るつもりさ」
「承知しました」
「ちょうどいいから、そのときに、その国境軍の将軍に挨拶でもするかねえ。それから、釘鈀に預けている
宝玄仙の道術陣を身体に刻んで崩れた顔と病んだ身体を治してやった恵圭は、とりあえず、釘鈀の屋敷に預けている。
今回は、黄獅姫にかかりきりだったので、躾け直す余裕はなかったが、魔域のことが片付けば、魔域にでも呼んでしっかりと調教をし直すつもりでいる。
「手配します……」
劉旺は頭をさげた。
「ご主人様、西方帝国の国境地域には、一度帝都に戻って、道術駅伝を使用させてもらってはどうでしょうか? 今日中にも魔域との境界の北辺地域に到着すると思うのですが」
沙那が口を挟んだ。
「道術駅伝か……。それはいいね」
道術駅伝とは、宮廷が帝国内に張り巡らせている『移動術』を遣った移動網であり、各地に『移動術』の出入口となる結界を作っておき、その結界を瞬時に移動しながら目的地に跳躍していくというものだ。
ただし、使用は非常の場合に限られ、通常は封印されて使用できないようになっている。
使用も皇帝の認可が必要らしい。
だが、釘鈀は、宝玄仙が頼めば、それを使用させるに違いない。
「でも、ご主人様、なんのために、北辺地域に立ち寄るんだい? そのまま、大王に頼んで、連環城に連れて行ってもらえばいいんじゃないかい? どうせ、そこに行くんだろう? 素蛾だって、連環城が味方になれば、旧金角軍を率いてい
孫空女が言った。
孫空女と朱姫は、大角と軍鶏猫という九霊聖女の部下に成りすまして連環城に潜入して人質交換の工作をする傍ら、素蛾が保護されている旧金角軍とも接触を試みたのだ。
それで、素蛾の無事も確認したし、南山大王が支配を取り戻してからの行動についても、ひそかに道術通信などの手段で話し合うことに成功したようだ。
その結果について、宝玄仙も沙那も、すでに承知している。
「帝国の北辺沿いの地域に立ち寄るのはあなたのためによ、孫空女」
沙那が言った。
「あ、あたし?」
孫空女が驚いている。
「ほら、恵圭が以前に話していたでしょう? 帝国の北辺には、亜人と人間族が共同で生活をしている地域があると……。そのとき、そこには、土族の部落もあると言っていたじゃないの」
「ああ、そんなことを話していたっけ……」
孫空女が思い出すように言った。
「それで、釘鈀皇子……じゃなかった、釘鈀陛下が人を使って調べてくれたのよ。そこには、記憶を消失して生まれ変わったばかりの土族の男がいるそうよ……。土族なんだけど、それを隠して人間族に交じって生活をしている変わり者らしいわ。赤毛|(せきもう)と名乗っているようね……。いつも首に赤毛の首飾りをぶらさげているんだって……。魔域に入る前に寄っていらっしゃい。ご主人様も許可してくれたわ」
沙那がにっこりと笑った。
「ええっ──。そ、それって……?」
孫空女の顔が真っ赤になった。
少し前に、獅駝嶺で三魔王に宝玄仙たちが捕らわれたとき、孫空女は
だから、恵圭が土族の部落のことを口にしたのを覚えていた宝玄仙は、釘鈀に頼んで、その周囲でそれらしい者がいないかどうかを調べてもらったのだ。
それを受けた釘鈀が手の者を派遣して、
その赤毛と名乗ったのが、玉斧の生まれ変わりの姿かどうかはわからないが、話を聞く限りでは間違いないような気がする。あとは、孫空女が直接に確かめるしかないだろう。
向こうは覚えていないが、姿は同じなのだ。会えば孫空女にはわかるはずだ。
「ただし、もしも、そいつが玉斧だという男だとしても、べらべらと喋るんじゃないよ。そいつが混乱するだけだからね……。お前がやっていいのは、ただそいつに抱かれるだけだ。余計なことを言わずに、ひと晩で戻るんだよ──。結婚するとか言い出したら、とんでもない目に遭わせるからね。次の日には、魔域に入るんだからね」
「わ、わかったよ、ご主人様……。でも……。あ、あのう……。あ、ありがとう……。ほ、本当にありがとう……」
孫空女が赤い顔をしたまま言った。
「なんですか、孫姉さん? その土族の男というのは……? 怪しいですよ」
朱姫が口を挟んだ。
そういえば、孫空女に連れられて、玉斧の墓とやらに立ち寄ったときには、朱姫はいなかったので、朱姫は事情を知らないのだ。
「なんでもいいじゃないのよ──。あんたに教えたら、悪ふざけに巻き込んでかき回すでしょう」
沙那が言った。
「そ、そんなあ……。教えてくださいよ、沙那姉さん」
朱姫が頬を膨らませた。
「じゃあ、一度、帝都に戻ってから出立するかね──。じゃあ、そういうことでいいかい、南山──。明後日には魔域に入るよ。だから、人間族との境界付近まで出迎えを寄越してくれるかい?」
「わかった、宝玄仙殿──。では……」
南山大王がもう一度礼を言ってから、『移動術』で消滅した。
「さて、じゃあ、ついに魔域入りだ──。忙しくなるね──。黄獅姫だけじゃなくて、九霊聖女も調教しなければならないしね。連環城に到着したら、いままで女魔王だった九霊聖女を黄獅姫と一緒に、鼻輪をつけて素っ裸で城中を曳き回してやるさ。あの気位の高そうな女亜人がどんな風に泣き叫ぶのか、いまから愉しみで仕方がないよ」
宝玄仙はうそぶいた。
「もう、ご主人様、そんなことばかり言って……。金角の仇をとらなければならないんですよ。捕らわれているはずの銀角だって救わなければならないし──。ご主人様は、その旗頭なんですから」
沙那はたしなめるように言った。
「金角の仇なんかとる必要はないさ。まあ、裏切り者らしい巴山虎とやらは、ちゃんと落とし前をつけるけどね──。金角は復活させるよ」
宝玄仙は言った。
「復活?」
沙那がびっくりしたように声をあげた。
それは孫空女と朱姫も同じだ。
「ああ、復活だ──。実は金角と別れる前に、魂の欠片をお守りだと言って小さな袋に入れて渡していたんだ。あいつはそれを首飾りにしてかけていたはずなんだ。それがあれば復活できる──。問題はそれがどこにあるかだけどね……」
すると、沙那が驚きの声をあげた。
金角は復活させる──。
宝玄仙は硬く心に思った。
ほかにも、魔域には片づけなければならないものがたくさんある……。
孫空女が接触したという宝玄仙の偽者──。
そして、御影──。
あの連中がなにを企んでいるか知らないが、宝玄仙から奪ったものはちゃんと返してもらう。
鳴智も金角も銀角も絶対に救い出す──。
たとえ、すでに死んでいようとも、宝玄仙の道術で復活させる。
それを邪魔する者がいれば、それが巴山虎であろうと、牛魔王であろうと許すつもりはない。
宝玄仙は自分の心にそう誓った。
(第12章「西方帝国篇」終わり、最終章「魔域篇」に続く。)
*
孫空女と玉斧(赤毛)のエピソードは、「515【番外篇】未亡人と恋の結末」に投稿済みです。
*
【西遊記:85・86回、
一行か
不吉を抱いた玄奘は、孫悟空に偵察を命じます。
ひとりで偵察に赴いた孫悟空は、
一度戻った孫悟空は、猪八戒をけしかけて、ひとりで洞府に突入させます。
しかし、南山大王も、それが三蔵の供をしている八戒であることを見抜き、なんとか三蔵を捕えてやろうと策をたてます。
即ち、自分の偽者を出して、三人の供を三蔵から引き離そうという策です。
孫悟空たちはその策に引っ掛かり、八戒だけでなく、順に孫悟空、沙悟浄と偽者の南海大王を追いかけていき、三蔵をひとりにしてしまいます。
そして、三蔵は南海大王の洞府にさらわれます。
それに気がついた孫悟空たちは、すぐに洞府の門にやってきて、三蔵を返せと洞府の閉ざされた門の前で叫びます。
南山大王は、まだ三蔵を食べてはいなかったのですが、偽物の三蔵の生首を作り、もう食べたと嘘をつきます。
それを信じてしまった孫悟空たちは、洞府の前で偽物の三蔵の生首を抱えて嘆き哀しみます。
そして、それを土に埋めて墓を作るのですが、孫悟空はなにか形見の品物を探してくると言って、鼠に化けて洞府に忍び込みます。
洞府の中に入ることで、三蔵がまだ生きていることを知った孫悟空は、南山大王を殺して三蔵を救出します。