779 中央陣・右翼陣
*(中央陣)
さらに、副将の
いわゆる、三方向から要塞に侵攻する「
それに対して、反牛魔王の目的で、摩雲城要塞で連合した金角軍の残党と南山軍の敵は、総勢で一万三千程度のはずだ。
どの正面の軍を迎撃しようしても、敵は全力で対応しなければならないだろう。
敵が出てくれば、その正面の味方が迎撃軍を吸収し、残りの二方向から前進している味方が要塞を攻撃する。
もしも、敵が迎撃の態勢をとらなければ、まずは三方向から前進した七万の軍勢で包囲して、道術による逃亡を防ぐ逆結界を敷いて完全封鎖し、牛魔王の率いる主力を含めた全勢力で要塞を攻撃する。
おそらく、摩雲城などという名の要塞は、波の前の砂城のように磨り潰されて、この世から消えてなくなるだろう。
そして、摩雲城にいるはずの宝玄仙という人間族の魔女を捕える。
それが牛魔王から奇勝天が与えられている任務であり、その他の者は生かすも殺すも、奇勝天の裁量に任せるということになっている。
だが、宝玄仙だけは、生きて捕えなければならないのだそうだ。
宝玄仙という人間族の女は、数年前、牛魔王がとりわけ可愛がっていた紅孩児という息子を人間族の国で惨殺している。
それを耳にした牛魔王の怒りは、誰にも手が付けられなかったほどであり、牛魔王は長いあいだ、その宝玄仙という人間族の魔女をずっと探していたのだ。
だが、金角軍の侵攻から始まった「魔域大戦」と称された数年に及んだ戦役のために、宝玄仙の捜索に没頭することもできず、それは保留のままだった。
しかし、ついに、金角を討ち取って、戦役を終わらせることができたとき、その当の宝玄仙が、打倒牛魔王の旗頭として、南山軍と金角軍の残党を率いて北進し始めたのだ。
牛魔王の悦びと、この新たな戦いにかける意気込みは、並大抵のものではない。
なにしろ、牛魔王に逆らったとして各地の魔王域に侵攻していた麾下の部下を全部呼び寄せ、すべての軍団に宝玄仙のいる旧金角域に向かう侵攻準備を命じたのだ。
第一軍団と呼称している先遣七万の指揮を任された奇勝天もそのひとりだ。
奇勝天は、金角に同盟して牛魔王軍と戦っていた西端の魔王と戦って、その魔王の宮殿のある中心域にまさに突入する態勢にあった。
だが、牛魔王の命により、当面の作戦を中止して和睦を結び、この南侵作戦に参加するために指揮下の軍を率いて侵攻基地となった牛魔王域の南側に位置する青竜城に集まったのだ。
青竜城は、摩雲城と同様に盤桓平原を挟んだ領域への入口部となる要塞だ。
ほかの将軍たちも、同じように、それまでの戦いを中止して南侵のために続々と集結した。
牛魔王は集まった四人の軍と将軍を二つに分け、第一軍の七万を奇勝天に任せて増長天と多門の二将軍を指揮下につけ、自らは第二軍となって
牛魔王は、現在は五万の勢力を、摩雲城に到着するまでに十万以上の勢力にする予定だ。
侵攻しながら、さらに集結部隊を吸引するのであり、これにより、牛魔王が到着するまでに決着がつかなくても、摩雲城を攻めるのは二十万近い軍勢ということになる。
だから、最終的な主力との時間差は、十日くらいになると奇勝天は見込んでいる。
奇勝天としては、牛魔王軍団主力が摩雲城到着前に、すべての決着をつけておきたい。
いずれにしても、いかに、敵が待ち受けの準備をしっかりと整えようとも、敵には万にひとつの勝利の可能性もないはずだ。
「銀角の率いる軍が三千ずつの二隊の勢力で、わが軍を横から衝ける位置で陣を張っています」
斥候長が報告してきた。
三方向から前進している味方は、あと一日で摩雲城に到達する位置まで進出していた。
「やっと、巴山虎の性奴隷から解放された銀髪の雌が、焦れて前に出てきたか……。三方向の我らのうち、一番勢力の大きいここをとりあえず叩いておこうということだな……。まあ、それしか手はないであろうがな……。では、雌犬狩りといこうか」
奇勝天の軽口に周囲でどっと笑いが起きる。
気分をよくして、奇勝天はさらに口を開く。
「では、こちらも前進しながら敵の野戦陣を攻撃する態勢を作れ。それから、道術隊に命令。予想戦場一帯に道術防護の膜を張れ──。また、増長天と多門に連絡──。敵の主力が中央隊の前に出てきた。要塞に向かう侵攻を速めよとな──」
こちらで把握している敵の勢力は、一万三千だ。
そうなれば、こちらに六千が出てきたのだから、残るのは半数しかいない。
増長天と多門の正面にも敵は進出してきているとは思うが、いずれにしても少数だ。
数万の軍勢を支えられるわけもないし、どれかの軍勢が要塞まで辿り着けば、ほとんど残っていないはずの要塞を攻撃もできるし、こちらに迎撃に出ている銀角隊を要塞方向から攻撃もできる。
いずれにしても、三方向からのどれかひとつが要塞まで進出してしまえば、それで終わりだ。
敵軍はなすすべなく崩壊するしかない。
奇勝天は、全軍の戦闘態勢を取させながら、さらに前進を続けさせた。
数刻で敵が陣を作っている地域に到着した。
敵は三千ずつの二隊に分かれていた。
斥候による報告のとおりだ。
ただ、こちらから左側の隊が右側に比べて、随分と突出している。
右側の隊には銀角がいることはわかっていた。
だが、左に分かれた一隊の指揮官が誰なのかは、まだわからなかった。
「まあいい……。前衛に攻撃を命じよ……」
奇勝天は指示した。
こちらの三万の軍勢については、全軍を前衛、中軍、後衛の三つに分けている。
奇勝天が位置するのは中軍だ。
前衛を指揮する部下が前に出ている左側の一隊に向かって進軍した。
だが、敵の左の隊は、まともにぶつからずに、すぐに退がっていく。
やがて、右側の銀角の率いる隊と一緒になるところまで後退した。
随分といい動きだ。
なかなかの戦上手の者が指揮をしているように思った。
こちらの前衛はさらに押した。
すると、銀角のいる半分がいきなり反撃してきた。
一度退がった左半分も出てくる。
「中軍を左右に分けよ。敵の後方を遮断するのだ──。後衛は押して、前衛の後ろにつけ──。おっ?」
配下の軍が奇勝天の命令どおりに動き始めたとき、急に前衛が崩れ出した。
はじめは、なにが起きたのかわからなかった。
だが、赤い髪をした黄金の棒を持つ女の率いる騎馬隊が、前衛の一万を横から立ち割ったのがわかった。
遅れて報告がやってきた。
赤毛の女の率いる騎馬隊は、左側の一隊から分かれたらしい。報告が遅れたのは、その騎馬隊の動きが速すぎたためだ。
「くそっ」
戦場を横目で見ながら、敵の背後に回る運動を続けながら前衛の一軍が崩れていくのを見守るしかなかった。
奇勝天は左右に分かれた中軍の左側にいる。銀角ともう一隊の二隊は遮二無二前に出ている。
前衛はすでに崩壊しつつある。
いずれにしても、前衛が崩れても後衛で押さえられる。
そのときに、中軍で後方を遮断すれば敵は終わりだ。
奇勝天は作戦の続行を各隊に指示した。
「赤毛の騎馬隊、来ます──」
部下が叫んだ。
奇勝天も見た。
真っ赤な髪をなびかせながら、黄金の棒を構えた美女が雄叫びをあげてこっちに来る。
あの赤毛の女の騎馬隊は、戦場を縦横無尽に動くようだ。
人数は五百騎程度しかない。
だが、凄まじい破壊力だ。
横を突かれた味方の軍があっという間に突破された。
赤い髪の騎馬の前を誰も残れない。
弓や槍をものともせずに女は突進し、立ちはだかる兵の身体を棒で飛ばして、さらに進んでくる。
ひとり、ふたりではない──。
一閃一閃で、五人、十人と兵が倒されていく。
その後ろから敵の騎馬隊が固まりとなって続いている感じだ。
「守るな──。突破させよ──。あの赤毛の前から避けよ──」
奇勝天は伝令球を自ら飛ばして命令を下した。
あの勢いは押さえられない。
だから行かせるのだ。
断ち割られたと見せかけて、隊形を組み直して逆に包んでしまえばいい。
「さらに敵の後続が横から来ます──。数千の一隊です」
伝令が絶叫した。
「なに──?」
奇勝天は意外な方向からの横からの攻撃に、思わず狼狽えた声をあげてしまった。
その隊がどこからやってきたのかすぐにわかった。
前衛を突破した敵のうち、前に、前にと進んでいたと思った左の隊が、赤毛の騎馬隊と連動するように、いきなり横に方向を変えて、こちらに進んできたのだ。
そして、赤毛の騎馬隊に対応するために分かれた間隙に、隊を突っ込まれた。
「前進やめいい──。中軍左翼隊は横からやってきた隊に対応せよ──。左翼隊は全軍集まるのだ──」
奇勝天は慌てて指示した。
新たに横を突いてきた隊は、まさに奇勝天のいる方向に向かって進んでくるのだ。
このままでは、三万の軍勢のほとんどを残したまま、大将の奇勝天が討ち取られるという間抜けなことになる。
だが、目前に迫っている隊の指揮官は、奇勝天の取る手の先手、先手を打って次の展開を準備してくる。
そして、一瞬の隙を突かれた感じだ。
奇勝天では、それに対応する策は取れない。
それがわかった。
「前方から来る敵をとにかく止めろ──。乱戦に持ち込め──」
奇勝天は、周囲の中軍左翼の隊に指示した。
だが、一方で自分を守る本陣隊だけには、いまの戦場からの離脱を命じた。ここで混戦になっている状況を利用して退がるのだ。
また、崩れた前衛、中軍の右翼、後衛についても、後方における再集結を命じた。
奇勝天自身は、そこに合流するつもりだ。
なまじ策や陣形などにこだわると、それに応じられる。
ならば、三万の軍をただ固めて力押しするのがいい。
消耗戦に持ち込むのだ。
そうなれば、数に勝るこちらが最終的には勝利する。
奇勝天は騎馬に乗り、後退の準備を整えた。
そのとき、こちらに突入してくる一隊の先頭が見えた。
最前列の隊に騎馬に跨る栗毛の女がいる。
あれが指揮官か──?
動きがいい──。
赤い髪の女ほどではないが、馬上で剣を振るって次々に前の敵を屠っている。
それに引っ張られるように、敵の隊がどんどんと前に出てくる。
「……あれは、宝玄仙の供のひとりのようです。沙那という人間族の女のはずです」
横にいる部下が道術で資料を検索しながら声をかけてきた。
「沙那か……。小気味のいい戦いをする女隊長だな……」
奇勝天は馬の肚を蹴った。
沙那は懸命に声を発しながら味方を進ませている。
あの沙那が、ただ奇勝天の首だけを狙うために進んできたのは明らかだ。
しかし、再集結を命じた各隊が密集してきて、その沙那隊と奇勝天のいる本陣のあいだに入ってくる。
すぐに沙那という女の指揮する一隊は、戦場の海に飲み込まれて姿が見えなくなった。
「あの敵を捕捉したら、全力で包囲せよ」
奇勝天はそれだけを指示して、自分の周りだけの隊を率いて戦場を離脱した。
ほかの正面の各隊の動きもとめさせている。
中心を割るように動いていた銀角の一隊も攻撃をやめているようだ。
いま、激しく動いているのは、この正面だけだ。
奇勝天は沙那隊が迫っていた戦場を離脱した。
すぐに沙那隊が後退をしたという報告が入った。
奇勝天を捕捉できないと判断した時点で前進をやめたようだ。
結局、味方も包囲態勢をとることはできなかった。
「戦闘をやめて、中軍左翼も退がれ──。全軍で固まって、敵に対峙し直すのだ」
奇勝天は命じた。
最初の一撃はうまく翻弄された。
だが、まだ戦いは始まったばかりだ。
*(右翼)
「敵、二万が接近──」
物見から報告があった。
報告は、西方帝国からの軍勢を率いてきた
宝玄仙は横にいて、それを耳にしていただけだ。
「こちらに向かっている敵の軍の指揮官は、多門という武将のようですね。二万の軍勢を分けることなく、ほぼ固まってやってくるようです、宝玄仙殿……。それにしても、道術というのは便利なものですねえ。こうやって、敵と味方の陣形が瞬時に地形図に浮きあがるのですから……。これなら指揮もしやすい」
伊籍が破顔した顔をあげて、宝玄仙を見た。
戦場を見おろす丘に位置するこの本陣の中心にある台上に大きな地形図があり、そこに彼我の軍勢の隊形が立体図となって浮かんでいるのだ。
宝玄仙の道術によるものだが、伊籍に伝えられる報告をもとに、敵を赤色、見方を青色の四角で地形図の上に、その情報が自動的に浮かぶようにしている。
それにより、敵と味方の態勢が瞬時にわかるという仕組みだ。
それに目をやれば、三千で陣を作って展開している味方の青色に対して、こちらに迫る二万の敵の軍勢の赤い四角はあまりにも大きい。
しかし、伊籍はそれに少しも動じる様子もない。
それが少し宝玄仙には意外だった。
そもそも、こっちに迫っている敵軍は、人間族からすれば一兵にいたるまで道術をこなす道術師軍団だ。
魔域にいる亜人は大なり小なり、必ず霊気を帯びている。
霊気を帯びていない亜人というのは、一兵卒といえども存在しないからだ。
それに比べれば、そもそも、人間族というものは道術には慣れていない。
もっと怖がってもいいようにとも思う。
だが、伊籍はいつも気楽そうに笑っているばかりで、動じた様子もない。
変わった男だ。
宝玄仙は、目の前に浮かぶ状況図に、まるで新しい玩具を与えられた子供のように歓ぶ伊籍の姿に苦笑した。
西方帝国の皇帝となった釘鈀が、その礼のようなかたちで宝玄仙に与えた援軍が、ここにいる西方帝国の国境軍三千の軍勢だ。それを指揮するのがこの伊籍だった。
年齢はまだ二十五という。
その年齢で国境軍の指揮を任されるくらいだから、それなりの能力もあるのだと思うが、宝玄仙だけではなく、部下にも、味方の亜人たちに対しても威張る気配もなく、いつも低姿勢だ。
宝玄仙には、この好人物の伊籍という若い将軍のその態度が、なにかを狙ったもの演技なのか、それとも根っからの気楽者なのか判断はできないでいる。
「お宝姉さん、敵は道術遮断の膜を敷く気配がないわ──。多分、ここにいるのが、人間族の一隊だとわかっているようね……。道術を仕掛けてくると思うわ──。とりあえず、わたしが逆に広域の道術防護膜を張るわ。大丈夫よ。わたしの膜は、それが存在することさえ、敵にはわかりにくくしてみせるから」
お蘭が言った。
宝玄仙とお蘭は、この人間族の伊籍隊三千とともに、三方向から迫る敵の東側の一軍に対応することになっている。
総勢七万に及ぶ敵の第一軍は、東側、中央、西側の三方向から、こちらの摩雲要塞に迫っていた。
沙那に言わせれば、こういう進撃要領を「分進合撃」といらしい。
兵力差のある敵にこういう進軍をされると、こちらは少数の勢力を三箇所に分離して対応するしかない。
そのどの方面からの敵を無視しても、その勢力が要塞に辿り着いてしまうからだ。
あるいは、迎撃することなく、全軍で要塞にこもってしまうかだ。
沙那は、それに対して、自軍を分けて、三方向のすべてにそれぞれ向かうことを指示した。
即ち、中央の主力を迎撃するのは、銀角、沙那、孫空女の三人の隊だ。
少ない勢力の中で迎撃作戦の主力と呼んでいい一隊であり、この隊でできれば、敵の中央軍の撃破を狙う。
一方で東西から分進する敵の軍に対応するのは、東側が人間族の一隊の伊籍であり、西側が伶俐虫と精細鬼の指揮する一隊だ。
このふたつは、敵の撃滅は狙わない。
沙那たち中央軍の戦いが進んでいるあいだ、敵の要塞への侵攻を止めることが役割だ。
突破されそうになれば、無理はせずに要塞に後退する。
そういう任務が与えられているようだ。
「わたしは指揮官じゃないよ──。総帥だ──。戦闘に関することは、この伊籍に言いな」
宝玄仙はお蘭に言った。
お蘭が伊籍に伝達し直した。
伊籍が笑ってうなずき、お蘭が得意の広域道術を戦場に拡げるのがわかった。
宝玄仙とお蘭が、この伊籍隊にいるのは、道術戦闘に不慣れな人間族の伊籍たちを霊気で支援するためだ。
それに、目前に迫る敵は、こちら側の迎撃隊が人間族であり、道術戦には不慣れであると思い込むだろう。
だが、ふたりしかいなくても、宝玄仙とお蘭が揃えば、それは数百人の道術遣いに匹敵する。
通常の魔域の戦いでは、敵の攻撃道術を防ぐために、まずは、戦場一帯に道術封じの膜を敷いてしまうのが通常だ。
しかし、相手が人間族の隊だと知れば、敵はあえて道術封じの膜は使わずに、道術で翻弄しようとしてくる可能性がある。そこに宝玄仙とお蘭で、道術で対抗するのだ。
すると、敵は意外なこちらからの霊気に戸惑い、侵攻が遅延するだろう。
それが、沙那がこちら側の迎撃隊に与えた狙いだ。
「とにかく、一度小当たりさせます。おふたりは、状況に対応して敵の霊気を封じるか、その効果を無力化してください──。人間族の戦いをお見せしますよ──。しばらくしたら戻ります。それまでここにいてください」
伊籍が面白そうな顔をして立ちあがった。
「どこにいくんだい、伊籍?」
「もちろん、第一線ですよ……。わずか三千の手勢と二万の戦いともなれば、指揮官も、こうやってただ座っているわけにもいきませんから」
伊籍はそう言い残して、さっと陣の外に出て行った。