※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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【戦況略図】


【挿絵表示】



 *




780 右翼陣・左翼陣

 *(右翼)

 

 

 伊籍は遠くにある雑木林から地面が浮きあがるのを見た。

 

 だが、それは錯覚だった。

 浮きあがったのは岩やたくさんの石だ。

 それがこちらに飛んできた。

 

 道術だ──。

 伊籍は思った。

 

 石礫の壁のようになったものがこちらに向かってくる。

 大きな岩も途中で砕けて、細かい飛礫に変化した。

 

「伏せ──」

 

 伊籍は地べたに這いながら必死で叫んだ。

 迫るのは無数とも呼べる数の石の壁だ。

 それが襲ってくる。

 しかし、そのほとんどは、途中で静止してこちらにやって来ることなく地面に落ちた。

 

 ほっとした。

 あんなものに襲われたら、一瞬にして隊が壊滅するところだった。

 敵の石飛礫が途中でとまったのは、本陣に残っている宝玄仙とお蘭のおかげだろう。

 それでも、全部の石はとめられずに、幾つかの飛礫はこっちに飛んできた。

 周囲でも何人かの兵が石飛礫に当たって倒れている。樹木にもあたって嫌な音も立てた。

 

「装填せよ──」

 

 伊籍は命じた。

 三千の隊の全員が銃で武装している。

 これだけの重武装隊は、近隣の国のどこにも存在しないはずだ。

 道術による防護には銃が効果的だ。道術の術者たちの反応速度を遥かに凌駕する速度で襲う銃撃は、道術遣いたちは対応できないのだ。

 伊籍たち人間族は、この武器で、北に広がっている亜人たちが人間族の勢力地域に侵攻してくるのを防ぎ続けたのだ。

 

 再び、前方の林から岩と石が持ちあがった。

 今度は飛翔してくることなく、林の位置でばらばらと下に崩れた。

 敵の当惑が伊籍にも伝わってくる。

 こちらが人間族の隊だけだと思っているので、道術攻撃が封じられたことについて、訳がわかっていないに違いない。

 

 前から集団の喚声があがった。

 林の前方に敵が不意に出現したのだ。

 

 あれは『移動術』という道術だろう。

 その数は一千ほどだと思うが、それが一度に現れた。

 だが、完全に隊が乱れている。

 まるで団子のような密集状態だ。重なり合って倒れている者が大勢いるし、そうでないとしてもほとんどの兵がどっちを向いてよいかもわからないかのように右往左往している。

 

 伊籍にはなにが起きたのかはよくわかっている。

 敵の一部が『移動術』により、おそらく、伊籍隊の後方に出現しようとしていたのだ。

 だが、宝玄仙とお蘭の防護道術によって、道術による跳躍の途中で出現する場所を変えられてしまって、伊籍隊の銃口の前に出現してしまったのだ。

 

「撃て──」

 

 伊籍は命じた。

 固まっていた敵のうちの数百が、最初の銃撃だけでただの肉になった。

 

「第二列──」

 

 三列に組ませた味方の隊のうち、射撃の終えた第一弾が退がって銃に装弾を始めるとともに、第二列が前に出た。

 こちらの銃撃隊は全部を三列の横隊で並べている。

 一発の射撃しかできない銃をそうやって三交替で撃つのだ。

 そして、射撃をすれば、最後尾に退がって装填をし、第二列と第三列が射撃をするあいだに、それを終わらせてしまう。

 それを繰り返すことにより、常に連続した射撃が戦場に送り込めるという仕組みだ。

 

「第三列──」

 

 二回目の一斉射撃が終了して、三列目を前に出した。

 すでに、敵はほとんど隊の状態をなしていない。

 目の前に出現した勢力のほぼ半分はもう倒れた状態から動かない。

 残りの半分は懸命に射撃から逃れようともがいている。

 

「退がる敵を狙え──。目前の敵は全滅させるのだ──。放て──」

 

 銃が火を噴く。

 背中を向けて逃げていた敵がばたばたと倒れた。

 

「第一列、前へ──」

 

 すでに最初の射撃をした組が装填を終えている。

 伊籍は射撃を命じた。

 敵の一千が完全に死滅するのに、三回りほどしかかからなかった。

 

「では、手筈通りに陣を組み直せ──」

 

 伊籍は本陣も戻るための騎馬を連れてこさせながら命じた。

 道術攻撃が効果がないとわかれば、敵はとりあえず態勢を取り直すはずだ。

 それで少しは時間を稼げる。

 伊籍が命じられていることは、この正面の敵を殲滅させることではなく、まさに時間を稼ぐことなのだ。

 そのために、第二、第三の準備を整えている。

 まずは、第一の戦闘は、伊籍たちの思惑通りに終わったということだ。

 

 

 *(左翼)

 

 

「しまった──。河を渡られた──。伶俐虫(れいりちゅう)──。予定が狂った。河を凍らされた──。渡ってくるぞ──」

 

 精細鬼(せいさいき)の悲鳴のような声を朱姫は耳にした。

 朱姫も予定と異なる敵の動きに、眼下の戦場を前にして茫然としてた。

 敵の大軍が河を一瞬で凍らせることによってできた応急の橋梁を渡って、こちらに続々と向かっているのだ。

 すでに敵の騎馬隊が、喚声の聞こえる位置にまで迫ってきている。

 

「精細鬼、南に向かってくれ──。第二弾の河川障害で、なんとしても敵を止めるのだ。お前の道術なら、あらかじめ刻んでおけば、今度は『冷凍術』が遣えないようにできるはずだ。行ってくれ──。ここは、俺の隊でとりあえず防ぐ──」

 

 伶俐虫が叫んだ。

 朱姫は眼下に拡がる河川の状況をまだ見ていた。

 河川の南岸側で展開していた味方は懸命に、河川を渡った敵を防いでいるが、なんにせよ数が多すぎる。

 一度崩されてしまえば、勢力が遥かに劣る味方では、もはや対応することなど不可能だ。

 もうすぐ、この本陣まで敵の騎馬隊はやってくるだろう。

 

 本来のこちらの策は、殺到してきた敵二万の侵攻を遅らせるために、朱姫が一緒にいる伶俐虫と精細鬼の迎撃隊が、河川にかかっている橋梁を落とすことで対応しようとするものだった。

 目の前の河の河幅は広くて、流れも速い。

 渡渉するのは無理であり、泳いで渡るしかない。

 

 また、すでに近傍からはすべての舟を集めて壊してしまっている。

 敵は壊された橋を補修して、河を越えるしかないはずだった。

 朱姫の役目は、得意の『影手』を水面に浮かべて、敵の工兵隊が橋梁を補修しようとするのを邪魔することだった。

 そうやって、時間を稼ぐのだ。

 同じものをさらに南側の河川でも準備している。

 これにより、かなりの時間を労なく稼げるはずだった。

 朱姫のいる伶俐虫と精細鬼の率いる二千の隊の任務は、南進してくる敵の西側からの軍を遅滞することだ。そのあいだに、沙那たちのいる中央で敵に大きな打撃を与えるのだ。

 

 だが、前方の橋が落とされると、すぐに敵は道術で河面を凍らせたのだ。

 氷でできあがった即席の橋を敵の大軍が渡ってきた。

 これに対応する準備はできていなかった。

 味方はすでに崩壊状態だ。

 

「南に行け──。南だ──。精細鬼──。南の河川一帯に対する防護道術をもう一度刻んでくれ──。さもないと支えられん──。二段目の橋を渡られれば、敵が要塞に到達してしまう──。銀角殿や人間族の軍の後ろに回られでもしたら、全軍が崩壊する──」

 

「わ、わかっている、伶俐虫──。しかし──」

 

 精細鬼は当惑した声をあげた。

 なぜ、精細鬼が戸惑っているかは朱姫にもわかる。

 伶俐虫の一隊がここで敵の侵攻を少しでも遅らせて、そのあいだに、第二弾で破壊準備している橋梁のある河川で食い止める準備をする──。

 ふたりがやろうとしているのはそれだが、そうなれば、伶俐虫は間違いなくここで死ぬだろう。

 精細鬼が後退して、第二弾の橋梁の位置で態勢を整える余裕を稼ぐために、敵をとめる役目の伶俐虫たちは死ぬしかない……。

 

「迷いは後だ──。行け──」

 

 伶俐虫は本陣を前に向かって飛び出していった。

 大声で兵を集める声も聞こえてきた。

 

 精細鬼が一度雄叫びをした。

 男が肚を括ったときの声だと思った。

 

「残る者は全員が退却──。第二弾の橋梁の南側に駆けよ──。朱姫、お前も逃げてくれ。予定が狂った──。ここでの迎撃はできん──。とにかく、逃げろ──。俺は先に行かねばならん。お前の世話はできん──。済まない──。日値、朱姫を頼むぞ。なんとしても南に──」

 

 精細鬼が怒鳴った。

 そして、数名の近習を連れて後方側にいなくなる。

 戦場でいきなり取り残されたかたちになった朱姫は、呆気にとられてしまった。

 

「朱姫、急ごう──」

 

 手を掴まれた。

 日値(ひち)だ。

 日値もまた、朱姫とともに、伶俐虫と精細鬼の隊と合流していたのだ。

 大きな喚声が聞こえだした。

 

「きゃああ──」

 

 朱姫は悲鳴をあげた。

 火のついた矢が降り注ぎ始めたのだ。

 本陣を包んでいた幕が燃えだしている。

 火避けの道術が刻んであり、火では燃えないはずなのに、それが燃えている。

 つまりは、我側の防護道術が無効化されるくらいに敵の道術遣いたちが、すっかりとここを取り囲んでいるのだ。

 

「朱姫、駆けて──」

 

 小柄な日値がすごい力で朱姫を引っ張った。

 燃えている幕の外に出た。

 すでに精細鬼の姿はもちろん、いつの間にか兵の姿もなくなっている。

 逃げたのではなくて、全員が前側からの敵に対応しているようだ。

 

「待って──」

 

 日値が朱姫を樹木の陰に押し込み、どこかに消えた。

 だが、すぐに戻ってきた。

 馬を二頭連れている。

 

「乗って──」

 

 日値が叫んで、朱姫をそのうちの一頭に乗せようとした。

 しかし、朱姫は首を横に振った。

 

「う、馬なんて無理よ──」

 

 朱姫はそう言うしかなかった。

 乗馬には自信はない。

 ここにやってくるときだって、徒歩の兵と一緒に歩いてきたのだ。

 ましてや、それで戦場を突っ切るなど……。

 

「いいから──」

 

 だが、日値が強引に朱姫をその馬に乗せた。

 

「なんでもいいから、首にしがみついて──」

 

 日値がさらに叫んで、もう一頭の馬に乗馬した。

 

「行け──」

 

 日値の乗る馬が駆けだした。

 朱姫が乗っている馬の手綱が日値の手に握られていたのがわかった。

 日値の馬が駆けることで、朱姫の馬も駆け始めた。

 朱姫は悲鳴をあげて、馬の首にしがみついた。

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