※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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783 乾坤一擲の突撃(中央陣)

 *(中央陣・孫空女)

 

 

 大地が敵兵に埋め尽くされている。

 

 敵兵が敵兵に見えない。

 銀色の穂が黒い灌木の上でたなびいているかのようだ。

 だが、あれのひとつひとつが敵兵なのだ。

 銀色の穂は敵の亜人兵が持つ武器の刃であり、黒い灌木は具足だ。

 

 奇勝天の率いる軍は三万──。

 孫空女はそれをぼんやりと丘の上から見ていた。

 集まっているのは、孫空女に与えられている五百の騎馬隊だ。

 魔域に入ってからこの騎馬隊で幾つかの戦場を駆けまわった。

 いまやお互いの信頼関係も生まれてきて、自分の手足のようになってきたような気さえする。

 

 丘陵の下側には沙那が率いている三千の隊がある。

 沙那が率いているといっても、直接の指揮をしているのは杜楚(とそ)という銀角の部下であり、沙那はその杜楚に隊の動きを指示しているだけだ。

 

 また、銀角が直接に率いる三千も、沙那隊と並ぶように丘陵の麓にいる。

 その銀角に指示を与えるのは沙那だ。

 沙那は杜楚の扱う通信道術により、銀角や孫空女に通信球という道術で動きの指示を送っているのだ。

 ただし、沙那の指示は全体的な動きに関することだけであり、個別の戦闘そのものは、沙那も銀角に任せている。

 

 つまり、この正面にいる奇勝天軍に対する六千の迎撃隊の全部の統制を沙那がやるが、それぞれの細かい隊の動きは三人が戦機を読みながら、独自の判断で動いて連携しているかたちだ。

 いずれにしても、銀角も全体統制は沙那に従うことに同意している。

 

「壮観ね、孫女。敵将の奇勝天がどこにいるのかわかる?」

 

 騎馬でやってきた沙那が馬から降りて、言った。

 孫空女の五百は一応は、沙那隊の一部ということになっていた。

 

「わからないね。埋もれてしまったよ。本陣らしい場所はわかるけど、あそこにはいない気がする。どうやら、あたしらが奇勝天の首を狙っているのを悟られたんじゃないかな」

 

「仕方ないわね……。でも、引っ掻き回せば、絶対に浮き出てくるはずよ。とにかく、わたしたちの目的は、あの三万を撃破することじゃないわ。第一軍の大将の奇勝天を殺すことよ。さもないと、牛魔王は前には出てこないわ。ただ戦場の後方で、前線の指揮官が戦うのを見守るだけよ」

 

「わかっているよ……」

 

 孫空女はうなづいた。

 沙那からそれは何度も念を押されているので、十分に理解しているつもりだ。

 ここにはいない銀角も同じだろう。

 

 牛魔王という男は、第一線に出てきて陣頭指揮をするような魔王ではない。

 戦いそのものは子飼いの将軍に任せて、その戦いぶりを後ろから観察して叱咤するような感じの指揮をする。

 それは牛魔王のこれまでの戦いぶりを調べた沙那の分析だ。

 

 この戦いの勝敗の鍵は、牛魔王を第一線──即ち、宝玄仙が牛魔王の身体に埋められている道術石を抜き取れるくらいの場所に連れて来れるかどうかにあるのだ。

 もっとも、牛魔王が前線に出てきたとしても、どうやって宝玄仙を牛魔王の目の前に連れてくるかは、別に考えなければならないが、まずは、牛魔王が前に出てこないことには始まらない。

 

 じっと摩雲城に閉じこもっていても、牛魔王軍が大軍で殺到して要塞の周りを包囲するだけで、牛魔王自身はずっと後ろで要塞が落城するのを待つだけだろう。

 だから、こうやって少数の隊で迎撃に来ているのだ。

 それで、少なくとも奇勝天という第一軍の指揮官を倒してしまう。

 そうやって、部下の将軍を倒し続ければ、ついには牛魔王自身が焦れて、直接の戦闘指揮をするために出てくる可能性が生まれる。

 

「あなたにかかっているわ、孫女。あなたの力で引っ掻き回してね」

 

 沙那は言った。

 

「さらりと言うねえ、沙那……。あれを引っ掻き回すのは骨が折れるよ」

 

 孫空女は苦笑した。

 なんといっても、孫空女が率いているのは、たった五百の騎兵だ。

 それに対して、眼下には六万の軍勢──。

 

 沙那は、その五百で六万を乱せという。

 そして、その陣の乱れから奇勝天の場所を炙り出し、そのに全力を注ぎ込む策だ。

 だが、完全に固まっている陣を突破するのはかなり大変だ。

 おそらく、とまったら終わりだ。

 とめられることなく突破できたとしても、駆け抜けるのに相当の犠牲が出るかもしれない。

 

 これまでの戦闘では、孫空女が引っ張る五百の騎兵にはほとんど損害らしいものは出ていない。

 それが孫空女という新参の人間族の女隊長と、ほかの亜人の騎兵たちとの信頼関係にも繋がっている。

 

 だが、沙那はそれをやれと言う。

 通信球で済むことをわざわざ念を押しに伝えにきたのは、それだけ凄まじい任務を孫空女に与えるのだという意識が沙那にあるのだろう。

 

「まあ、やるけどね……。とりあえず、行ってくるよ」

 

 孫空女は、そばにいた馬を呼び寄せた。

 そして、ひらりと跨る。

 手を大きくあげた。

 展開していた騎兵たちが次々に乗馬して、孫空女の進む周りに集まってくる。

 孫空女が彼らに与える指示などない。

 彼らにはただ孫空女の突進する後ろからついてきて遅れるなと言っているだけだ。

 

 いまのところ、彼らはよくやっている。

 もともと南山の部下たちの中で、もっとも精鋭の騎兵だけを集めて作った騎馬隊だ。

 いまは金角の残党軍などの中からも抽出している。

 寄せ集めだが士気も団結力も旺盛だ。

 

 これまでに重ねたこの騎馬隊の活躍がそれを作っている。

 どんな戦闘部隊でも、彼らを精鋭にするのは、なんといっても勝利の味だ。

 勝つことで強くなり、強いから勝つ。

 そういうものだ。

 かつては数百人の盗賊団の首領でもあった孫空女は、それを肌で知っていた。

 

「伸びろ──」

 

 孫空女は耳から取り出した『如意棒』を大きく伸ばした。

 これが戦闘開始の合図だ。

 

 後続する味方から雄叫びがあがった。

 孫空女自身は無言のまま駆けていく。

 丘陵を全力疾走で進んだ

 

 遠かった敵の陣がみるみる近づく。

 目前の敵がざわめきだしたのがわかった。

 

 すでに馬避けの柵などが準備されている。

 孫空女はさらに『如意棒』を伸ばした。

 

「いけええええ」

 

 一瞬だけ長大な棹のようになった『如意棒』が馬一頭分の隙間の柵を破壊する。

 次の瞬間には、『如意棒』は馬上で振り回せるくらいの長さに戻っている。

 馬止めを抜けた──。

 

 敵が慌てたように弓を射かけてくる。

 だが、遅い──。

 

 敵陣だ──。

 

「邪魔あああ──」

 

 孫空女は正面の四人の身体を『如意棒』で跳ね飛ばしていた。

 あとは進むだけだ。

 遮るものを倒して前に進み続ける──。

 

 それだけだ。

 

 目前の敵兵の悲鳴が聞こえた。

 しかし、すぐにそれは馬の脚の下に消える。

 孫空女の後ろでは大きな混乱が起きている。

 

 混乱は常に背後だ。

 孫空女の前にあるのは死にもの狂いで孫空女の行く手を遮ろうとする必死の敵の亜人兵だけだ。

 

 だが、しばらくすると、前を阻む敵兵そのものがいなくなる。

 孫空女の前を避け始めるのだ。

 まるで道のように開いた間隙をまっしぐらに孫空女は進んだ。

 

 そして、前になにもなくなった。

 先頭の一陣を突き抜けてしまったのだ。

 

 孫空女はやや速度を落とした。

 すぐに後続の五百騎が追いついてきた。

 

 大丈夫だ。

 ほとんど失っていない──。

 

「次、行くよ──」

 

 孫空女はひと言叫んで、敵の第二陣に向かって馬を疾駆させた。

 

 

 *(中央陣・銀角)

 

 

「始まったねえ──」

 

 銀角は馬上で苦笑した。

 話しかけたのは、副官としている梅扇(ばいせん)という女の部下だ。

 また、梅扇は銀角の愛人でもある。

 

 少女のような顔立ちをしているが、年齢は三十を超えている。

 人間族に比べて、亜人族は年齢のわからない者が多い。

 帯びているのが強い霊気だと、その影響により老いが肉体に現れないのだ。

 

 銀角もそうだ。

 見た目は人間族であれば、二十代の女にしか見えないだろうが、実際にはすでに齢は百に近い。

 人間族であれば、老境どころか老衰の年齢だ。

 

 梅扇も、銀角とともに巴山虎の囚われとなっていて、巴山虎の性奴隷に成り下がっていた銀角に対して、梅扇は巴山虎の側近の部下の嫁として払い下げられていた。

 銀角が宝玄仙たちの救出されて巴山虎が死ぬと、梅扇も夫だった男を殺して、銀角のところに戻ってきた。

 もともと、梅扇は男嫌いであり、誰であろうと男の嫁になるような雌妖ではない。

 銀角はとりあえず、梅扇を自分の手元に置いて副官とすることにした。

 

「本当に突っ込みましたね……。そんなことができるとは思いませんでしたけど……」

 

 梅扇が感嘆したように言った。その梅扇も騎乗にある。

 この梅扇もまた、本来は騎馬隊長であり、孫空女がやっているのと同じような戦いをするのが本職だ。

 だからこそ、孫空女の凄さがわかるのだろう。

 

 銀角も、まるで訓練でもあるかのように躊躇いなく進んでいく孫空女の馬塵を眺めていた。

 孫空女とそれに続く五百に遅れる騎馬はなかった。

 そして、敵の第一線の千人隊を悠々と突破した。すぐに第二線目の千人隊に突入した。

 

「やった……」

 

 梅扇が声をあげた。

 

「本当だ」

 

 銀角も言った。

 孫空女の率いる騎馬隊に見惚れいているあいだに、あっという間に第二陣も抜けてしまったのだ。

 やはり、ほとんど被害はないようだ。

 孫空女の突進を奇勝天軍の誰も止めることができなかったようだ。

 敵陣は全部で三線ある。

 千人隊ごとの方陣の塊りが三段に並んでいるというかたちだ。

 

 千人隊の方陣というのが牛魔王軍団の特徴であり、各将軍は任務と力量に応じて、その千人隊を幾つか与えられる。

 そんな編成をするのが牛魔王軍だ。

 つまり、奇勝天は、全部で三十個の千人隊をいまは与えられているということだ。

 原則として、千人隊と将軍のあいだに入る中間の指揮官はいない。

 

 また、奇勝天は、いまは牛魔王に委任されて、第一軍の総帥として、分進している増長天軍や多門軍への統制権も付与されている。

 奇勝天の陣の二線目を突破した孫空女は、第三線目には突入することなく、横に移動して奇勝天軍の陣から離れた。

 そして、少し離れた横の丘陵に騎馬隊を集結させている。

 

「見たね、梅扇──」

 

 銀角は言った。

 孫空女がとりあえず突進をやめたのは、この突進で知りたかったことがわかったからだ。

 孫空女が感じたものをここで見ていた銀角も感じた。

 

 孫空女が直接崩した第二線の千人隊のひとつ右──。

 そこに大きな動揺が走った。

 誰かを守るように陣を崩して防勢をとったのだ。

 

 そこに奇勝天がいる。

 銀角にはわかった。

 

 この作戦の目的は、ただ奇勝天という敵の将軍の首を取ること──。

 それが牛魔王を前に出す鍵となる。

 

 次々にそうやって直接の将軍級の部下を殺していく──。

 そうなれば、牛魔王は自ら前に出て来ざるを得ない。

 

「沙那隊が動きました──」

 

 梅扇が声をあげた。

 隣の沙那隊が敵陣への突入を開始した。

 その進行方向は、銀角が奇勝天がいると睨んだ第二列の前の陣だ。

 やはり、沙那も気がついたようだ。

 

「素早いねえ……」

 

 銀角は苦笑した。

 そして、腹に力を込める。

 

 「全軍、突入──。沙那隊に遅れを取るなああ──」

 

 銀角は大声で叫ぶと、騎馬の肚を蹴った。

 横で梅扇が突撃の指示をする通信球を一斉に放ったのがわかった。

 

 

 *(中央陣・沙那)

 

 

 沙那は与えられている三千から騎馬を全部抽出してひとつの隊にしていた。

 その中心に沙那がいる。

 

 沙那には亜人兵たちに指示を与えるための通信道術が遣えないので、杜楚という将校を銀角につけてもらっていて、その杜楚も沙那の横を騎馬で駆けている。

 前を突進する騎馬隊のほかに、残りの徒歩隊がいて、いまは騎馬隊の後ろに徒歩隊がいるという態勢だ。

 

 奇勝天のいる場所はわかったが、まだ遠い──。

 目の前の千人隊の陣を突破して、その後ろの第二線なのだ。

 

 沙那は突入する前衛の正面に、不意に馬坑柵が出現したのが見えた。

 その柵の隙間から矛が出ている。

 

 沙那は騎馬の反転を命じた。

 ここを遮二無二突破すると犠牲が出る。

 

 一方で、少し遅れるかたちで、銀角の三千が出てきたのがわかった。

 沙那隊に連携するように突入してくる。

 

 同じ敵の千人隊を沙那隊と銀角隊が左右から攻撃しているようなかたちだ。

 銀角隊の前を進むのは徒歩兵だ。銀角はまだ騎馬隊は前には出していない。

 

 敵に大きな動きはない。

 そのとき、銀角隊から騎馬隊が出てきた。

 突入するのではなく、敵陣の前を駆け抜けるように横に抜けていく。

 自分の隊の前から沙那隊の前をさっと通りすぎていく。

 その土煙が収まると、馬杭柵が全部引き倒されていた。

 

「へえ──」

 

 思わず沙那は声をあげた。

 さすがは戦上手の銀角だ。

 

 そして、やっと敵が動いた。

 直接、こちらの集中に晒されている千人隊の隣の千人隊が、左右から二隊ずつ背後を回るように動いてくる。

 しかし、沙那は無視した。

 

 ここは乾坤一擲に突き破るしかない。

 包囲されてしまう前に第二線の前に出るのだ。

 

 沙那は馬避けのなくなった敵陣に騎馬隊で突っ込んだ。

 銀角は徒歩兵をそのまま進ませたようだ。

 また、さっき横で駆け抜けさせた騎馬を銀角は後方に回り込もうとする二隊にあてている。

 

 沙那は自隊の徒歩兵の一部だけを反対に向かせるという態勢をとった。

 ほかはそのまま進むのだ。

 犠牲が多いが、いまは時間が惜しい──。

 時間がかかれば、兵力差がものをいう。

 

 やがて、後ろは完全に包囲された。

 だが、沙那もまた騎馬隊で千人隊を突破していた。

 

 そのまま第二線に向かう。

 ここに奇勝天がいる。

 

 沙那が突破したことで、敵は崩れ、沙那隊の徒歩兵も突破してきた。

 銀角隊も続いて出てくる。

 

 背後からの圧迫感が消えた。

 後方に回り込まれた敵が崩れている。

 

 前方側が崩れたことで、背後に迫っていた敵兵の二隊は、連携の相手をなくしたようになり、そこを銀角隊の騎馬隊がうまく突進して崩したようだ。

 そのあたりの包囲の破り方は、さすがに沙那には真似できない。

 銀角の騎馬隊に攪乱された敵の隊は完全に勢いが消失して、一度態勢を取り直すために離れていく。

 それを待って、沙那隊の後方部分も突破した前半分を追ってきた。

 とりあえず突破してきた敵の第一線は、混乱のままだ。

 だが、まだ膨大な勢力を誇ってもいる。その第一線の大部隊と無傷の第二線の敵の真ん中に、沙那隊と銀角隊が並ぶような態勢になる。

 

「行くわよ──」

 

 もはや、作戦などない──。

 あとは突入するだけだ。

 

 沙那はまわりの騎兵にできるだけ小さくまとまるように指示すると、自分が先頭になり、第二線の歩兵に突っ込んだ。

 敵の第二線の全体が緊縮するように集まってきた。

 

 無視する──。

 狙うのは奇勝天の首だけだ。

 

 遮る者を剣で斬り倒しながら突っ走る。

 徒歩兵の集団を抜ける──。

 

 奇勝天──。

 

 いた──。

 

 周りに騎馬が集まっていて、ひと際豪華な具足を身に着けていた。

 

 間違いない──。

 

「奇勝天──。一騎討ちを所望よ──。わたしは沙那──。立ち向かいなさい──」

 

 沙那は叫んだ。

 しかし、奇勝天は嘲笑するような表情になると、悠々と馬を反転させた。

 沙那と奇勝天のあいだに次々と敵の騎兵や徒歩兵が入ってくる。

 

 後方に圧力を感じた。

 

 敵だ──。

 見ると、味方の徒歩兵が遅れている。

 

 突入しすぎたかもしれない──。

 沙那は一部の騎馬隊だけで孤立し、完全に包囲されていた。

 

「待って──。わたしと戦うのよ──」

 

 沙那はもう一度叫んだ。

 しかし、奇勝天は遠ざかっていく。

 沙那は剣を振り続けた。

 

 乱戦になった。

 さすがにこの状態になると、少数のこちらは押される。

 向こうは三万なのだ。

 いくらでも新手がいる。

 

 押し破って包囲から抜けようとしても、すぐにそこを埋められる。

 周りの味方の数が減っていくのがわかった。

 沙那は背に汗を感じた。

 だが、不意に敵陣の包囲が後ろから緩んだ。

 

「沙那──」

 

 銀角だ。

 

 銀角の騎馬隊が外から沙那たちの包囲を強引に崩してくれたのだ。

 

「銀角──」

 

 沙那は銀角たちの進む方向を追うように馬首を向けた。ほかの味方もそうしている。

 銀角が長剣を振り回して強大な陣に道を作っていく。

 沙那はその銀角と並ぶ態勢になる。

 

「無茶すんじゃないよ、沙那──」

 

 敵の圧力が少なくなると、横に並ぶようにしていた銀角が一度だけ振り向いて沙那に叫んだ。

 

「無理するわよ──。無理しないと勝てない戦いよ──。奇勝天を追うのよ──」

 

 沙那は叫んだ。

 だが、敵がゆっくりと退がっていくのがわかった。

 まるで波が引くように敵全体が引いていく。

 それを追いかけることはできない。

 

 その隙がない。

 敵に十分な余力がありすぎる。

 

 このまま乱戦になるのを嫌って、奇勝天が自軍の態勢を整え直そうとしている感じだ。

 

 もう乱れはない。

 奇勝天ももはやどこにいるのかわからなくなった。

 

 二度目も辿り着かなかった……。

 そして、ここで敵に態勢を取り直されたら、大軍に完全包囲されて、磨り潰すように殲滅させられる。

 沙那は自隊の騎馬隊に反転を指示した。

 離れてしまった徒歩兵と合流するためだ。

 とにかく、こちらも戦力を固めて包囲から抜けるのだ。

 銀角もまた、態勢を整えるために自隊をまとめようとしている。

 沙那は自隊をまとめながら、一度崩している第一線に意識を向ける。

 

 そこを突破するか……?

 しかし、後ろに密集していた第一線の敵もまた、沙那隊や銀角隊から一斉に離れていっている。

 

 もう、混乱はない。

 一度の敵の乱れを生かせなかった……。

 沙那は歯噛みした。

 

 やがて、沙那が自隊をまとめ終ったときには、さっき突破した敵の第一線は再び、沙那や銀角たちの後方でこちら向きに陣を固め終わっていた。

 

 しまった……。

 陣形を整えている敵陣に前後を完全に押さえられた。

 六万の敵のど真ん中で、沙那と銀角の二個の隊は包囲されたのだ。

 

 そのとき、前の敵の第二線から喚声があがった。

 そして、敵の第二列の前からの攻撃が開始する。

 さらに後ろの第一列でも陣太鼓が鳴る。

 圧倒的大軍による前後からの同時突撃が始まったのだ。

 沙那は決断した。

 

「杜楚、通信球を銀角に送りなさい──。お前がいまから、徒歩兵を率いて銀角の指揮に入ると……。騎馬隊はわたしに続け──」

 

 沙那は剣を突撃すべき方向に向けた。

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