百花は、眼を見開いていたが、黄袍魔の反応を待つつもりのようであり、なにも喋らなかった。
この妖魔城には、千匹以上の妖魔がいるようだが、沙那と孫空女がこの部屋に入る前に、彼らはすべて遠ざけられていたようだ。
ここまでやって来るにあたっては、
青蔡が羊皮紙に自らの道術を刻み込んだものであり、それに描かれている紋様を手でなぞると、移動術が発動して、沙那たちを特定の場所に跳躍させてくれるのだ。
どうやら、青蔡は、黄袍魔を訪問したことは、一度もないが、そこに辿り着くための移動術のための道術紋は、以前から椀子山までの道のりを辿るように刻みつけていたようだ。
しかも、さらに、移動術を刻んだ巻状まで準備してあったのだ。
また、青蔡が刻んだ移動術の結界紋は、簡単には消滅しないような処置をしており、沙那たちは、巻状を使い、それを連続で辿ることで、一日ほどで妖魔城に戻ることができた。
これがなければ、またまた、十日以上の旅をして、椀子山まで戻らなければならないところだった。
青蔡が刻んだ連続移動術であれば、王家の軍を椀子山に送ることも可能だったと思うが、青蔡は王国にこれを教える気はないようだ。
沙那たちも、椀子山まですぐに辿り着く手段があることは、くれぐれも内密にしてくれと頼まれた。
沙那と孫空女は、そうやって、歩いて到着できる距離まで、青蔡の霊具に送り届けてもらってから、ふたりだけで、黄袍魔のところに向かうことになった。
そして、妖魔城までやってきたのだが、妖魔城にに近づくことで、案の定、すぐに沙那は、孫空女とともに武装した妖魔兵たちに囲まれた。
だが、
それで、とりあえず、牢ではなく、小さな部屋に孫空女とともに監禁された。
青蔡は、黄袍魔は評判のように無分別に残酷でもなければ、衝動的な殺戮をすることはないと言っていた。
非常に冷静な妖魔であり、話は聞くはずだと――。
その通り、以前に一度は捕えて食料にすると言っていた沙那を孫空女とともに、あっさりと謁見の間に通したのだ。
「……決着をつけたい――。そう青蔡が言ったのだな?」
黄袍魔は言った。
沙那と孫空女は、妖魔の前で片膝をついている。
騎士が国王の前でとる儀礼と同じだ。
「ええ、言いました」
沙那は言った。
すると、また黄袍魔が唸り声をあげて考え込んだ。
「青蔡がそういう言い方するときは、俺に、来いと命じているのだ。しかし……。その青蔡が人間の王の王宮にいるということか?」
「とりあえず、軟禁されております、黄袍魔様。黄袍魔様が、
「なぜ、青蔡が罪に問われる、沙那? 百花を浚ったのは俺であり、青蔡ではない」
「青蔡殿は、
「黙れ、沙那。青蔡は、誘拐の対象が百花であることなど知らぬこと」
「それについては、青蔡殿は申し開きをなさいませんでした。その辺りの事情は、わたしは知りません。百花姫様のいる場所を知っているということで、わたしたちは、単に手紙を運んできただけです」
沙那はすらすらと口上を述べた。
「人間の王の望みはなんだ?」
「わたしたちは、手紙を持ってきただけです。用件は、王の手紙に記されているのでは?」
沙那がそう応じると、黄袍魔は舌打ちした。
「確かに書いてあるな。百花と俺の婚姻を祝福したいそうだ。娘が妖魔の王と結婚をしたことをな。一度、訪問すれば、婚姻を認めるだけではない。青蔡に預けた百花の侍女の
百花がなにかを言いたげに口を開きかけた。
だが、自重したらしく、すぐに口を閉ざす。
「罠だな。馬鹿馬鹿しい」
黄袍魔は不快そうに鼻を鳴らした。
「だから、なんだよ、黄袍魔?」
これまで黙っていた孫空女が言った。
「ああ?」
黄袍魔が孫空女を見た。
「罠かもしれないけど、それがどうしたんだよ、黄袍魔。もちろん、あたしたちは、連中がなにを考えているかなんて知らないよ。だけど、青蔡殿が捕まったのは本当さ。あたしたちが行かないと青蔡殿を殺し、無事に戻れば、許すというんで、沙那と一緒に来ただけさ。こんな妖魔の巣にね」
「ああ? なんだ、お前は」
「うるさい――。あたしたちだって、大して縁もないのに、青蔡殿のために、命張ったんだよ。聞けば、あんたは、青蔡殿に、背負って背負いきれない、返すに返しきれない恩もあるらしいじゃないか。つべこべ言わずに、一緒に来なよ」
「罠だとわかっているのに、罠に嵌まりに行けと?」
「罠だからなんなんだよ? 得意の妖術で逃げればいいだろう? いずれにしても、あんたが王都に来れば、青蔡殿や侍女さんたちは助かるんじゃないのかい?」
孫空女は捲し立てた。
黄袍魔が不愉快そうに孫空女を睨む。
だが、孫空女の無礼な言葉にも、言葉や態度を荒げることはない。
沙那は、これは妖魔の王にしては、かなり手強いかもしれないと考えていた。
しばらく沈黙があったが、それを百花が破った。
「こんなことをあなたにお願いするのは心苦しいのですが、わらわのために、胡蝶と芙蓉が惨い目に遭うなど耐えらないのです。あのふたりを助けてくれたあなたなのですもの。もう一度だけ、慈悲を与えてくれませんか。もしも、王があなたになにかをすることがあれば、わらわは全力で止めます。あなたが死ぬことがあれば、わらわも後を追います。もう一度、それを誓約を結んでも構いません」
沙那は百花を見た。
口から出まかせを言っている様子はない。
浚われ、そして、凌辱された妖魔を心から想っているようにも見える。
それが『婚姻の誓約』の力なのだろうか。
その百花が黄袍魔をすがるような視線を向けている。
「……よかろう。では、罠にかかってやろう―――。椀子魔」
黄袍魔は大きな声をあげた。
玉座の横に椀子魔が出現した。
「数日、百花とともに留守にする。その間、妖魔城と魔域の管理をしろ」
「承知しました、黄袍魔様。それにしても、いずこに?」
「百花の父親に、百花の夫としての挨拶に行ってくる」
すると、椀子魔が驚いた表情をした。
「百花、では行くぞ」
黄袍魔は立ちあがり、百花の手を取った。
そのまま、沙那と孫空女のいる場所にやってくる。
沙那は、顔をあげて、黄袍魔と百花が近づくのを見ていた。
黄袍魔が、沙那たちのすぐ前に立った。その腕が大きく振られた。
なにか身体が捩じられるような感覚が沸き起こった。
気がつくと、外にいた。
「な、なに? どうしたの? ここは?」
孫空女が立ちあがり、きょろきょろしている。
沙那も、身体を起こして周囲を見回した。
どうやら、妖魔城の屋上にいるようだ。
不意に、風を切り裂くような巨大な音がした。
びっくりして、沙那は音の方向を見た。
「なにあれ――?」
孫空女が叫んだ。
屋上の大きな小屋から地響きをあげて、真っ赤な肌と全身を鱗で覆われた翼のある生物がやってきたのだ。
大きな首と大きな尾を持ったそれは、二本の足でずしんずしんと音を立ててやってくる。
身体の大きさだけで、大きめの屋敷一軒分はあるだろう。
沙那は、その生物の背中に小さな建物のようなものが乗っていることに気がついた。
「これは龍だ。そして、これが妖魔王の乗り物である龍馬車だ」
「龍馬車?」
「これを乗りつけて、度肝を抜いてやろう。どんな罠かは知らんが、大抵は、これを見れば、その気もなくなる――。さて、乗りこむか」
黄袍魔は、再び腕を振った。
*
「
片膝をついて、頭をさげる若者は、どう見ても人間の男にしか見えない。
妖魔の特徴である角もないし、肌の色も体毛も、人間と異なるものはなにもない。おそらく、魔術によって姿を変えているのだと思う。
しかも、これほどの完璧な作法で儀礼ができるというのは、どこかの王族と言われても信用しただろう。
だが、妖魔なのだ――。
「黄袍魔。茶番はやめよ」
龍鳳王は言った。
「茶番?」
黄袍魔が顔をあげた。微笑んでいる。
「茶番とは、心外。
「黙れ――」
龍鳳王は叫んだ。
だが、黄袍魔は、まだ、口に微笑みを浮かべたままだ。
「陛下、この黄袍魔様との結婚をお許しください。いえ、百花は、すでに黄袍魔様の妻であります」
黄袍魔の横で両膝をついて儀礼をとっていた百花が言った。
「な、なにを言うか、百花――。この黄袍魔は、お前を浚った妖魔であるぞ。お前がこの妖魔に脅されているのであれば、もう、心配はない」
「違うのです、陛下。わらわは、黄袍魔様に浚われたのではありません」
「なんだと?」
龍鳳王は思わず声をあげた。
「わらわを浚ったのは、
「妖魔ではなく、白骨という女にお前は浚われたと申すのか?」
「はい。百花は侍女とともに、遠い西域に売られるところでした。それを救い出してくれたのが、この黄袍魔様――。この妖魔王は、わらわの恩人でございます。この黄袍魔様は、その白骨に拷問され、弱っていた百花を治療し、身体を癒してくれました。それどころか、わらわに食べ物と衣類と住む場所を与えてくれて助けてくれたのです」
「ならば、なぜ、この黄袍魔は、このわしに、それを教えず、お前を妖魔城に捕らえたままにしておったのだ?」
「それも誤解でございます。わらわは、この黄袍魔様に、本当の身分を言わなかったのです。黄袍魔様は、わらわのことをただの市井の娘だと思い込まれていたのです。わらわも、黄袍魔様に家はどこかと何度も訊ねられましたが、決して申しませんでした」
「な、なぜじゃ?」
「それは……百花は、もう二度と王宮に……陛下にお会いするつもりがなかったからです。もう会わせる顔がないと……」
「会わせる顔がない?」
龍鳳王は、百花の言葉を繰り返した。
「百花は、白骨に捕らわれている間に、凌辱されたのです。わらわは、死ぬつもりでした」
「な、なにを……」
龍鳳王は絶句した。
そして、百花を見つめた。
しかし、とても、脅されてそう言っているようには見えない。
「その通りである、王よ。俺は知らなかった。この自殺をしようとした娘を妖魔城に留め、よい娘と思えばこそ妻にした。もしも、王家の第三王女と知っていれば、勝手に夫婦になりはしなかった。されど、妖魔には、『婚姻の誓約』という契約術がある。これは、何人といえども、生きている限り、逆らえない。夫婦であることは、たとえ、人間の王の命であってもやめることはできん。だから、最早、認めてもらうしかない」
「ならば、百花、お前は、強要されたのではなく、自らの意思で妖魔王の妻になったと申すのか?」
「はい」
「しかし、妖魔を夫になど――」
龍鳳王は唸った。
そして、驚いた。
青蔡や沙那の説明した内容とは随分と違う。
だが、百花の言葉に澱みはなく、こっちも本当のことを喋っているように見える。
「妖魔なれども、黄袍魔様は立派なお方です。百花は、ふたなき方と思っております。いまでは、憎き白骨さえも、このお方に引き合わせてもらった、媒人に感じるほどです」
百花は、そういうとぽっと頬を綻ばせた。
それは、わが娘の本当の心のように感じる。
しかし……。
「わかった、黄袍魔。百花がそういうのであれば信じよう……。いや、百花の命を救ってくれて感謝する。言葉もない」
「わかってくれて、嬉しい」
黄袍魔が頬に笑みを称えたまま、軽く頭をさげた。
「……だが、わしも、百花をそれこそ、家臣や兵に命じて、探し回らせておったのだ。久しぶりの愛娘との対面。しばし、ふたりで話をさせてはくれんか? そののちに、そなたを歓迎する宴を開くとしよう」
「わかった」
黄袍魔は頷いた。
百花は、少し躊躇っていたようだが、黄袍魔に促されて、こちらにやってきた。
「百花――。無事でよかった」
龍鳳王は玉座を立ち、腕を拡げて迎い入れ、娘の身体をしっかりと抱きしめた。
百花もまた、龍鳳王を抱いた。
「百花、部屋で待ってくれ。わしは、婿殿ともう少し話がある。すぐ来る」
百花はそう言われて、静かに退出していった。
「さて、黄袍魔――」
龍鳳王は合図をした。
玉座の間に、準備されていた兵が雪崩れ込む。
その数、およそ、百人。
それが、手に槍に剣に弓を構えて、広間の中心にいる黄袍魔に武器を向ける。
部屋の外にも、さらに大勢の兵がいる。
「やはり、罠か。人間の王のやることも下品だな」
黄袍魔は、立ちあがった。
「百花をどうやって、操っているかは知らんが、いずれにしても、妖魔などに王女を嫁にやるわけはなかろう。そこで死ね」
「いいのか、百花が泣くぞ、王よ」
「妖魔ごときが、その口で、百花の名を呼ぶな。汚れるわ」
「百花の喋ったことを聞いたであろう。俺は、あいつを救ってやったのであり、浚ったのではないぞ」
「そんなことは、どうでもいい。よくも、そうやってあんな出鱈目を百花に喋らせたのかは知らんが、たとえ、真実であってもどうでもよいのだ」
「どうでもいい?」
黄袍魔は言った。
「お前のような妖魔が、百花に手をつけたということが問題なのだ」
すると黄袍魔の顔が曇った。
その代わり、険しい表情になり、こっちを睨みつけてくる。
「弓矢ごときで、この妖魔王を殺せると思うのか、王よ。それに、広間に繋げている龍馬車が、俺が死ぬとともに暴れはじめるぞ。王都は破壊されてもよいのか?」
黄袍魔には、まだ動じる気配はない。
「心配ない――」
声は玉座の後からだ。
玉座の影に隠れていて青蔡だ。
「お前の魔力は、わしが抑えておる。龍もだ。もう、逃げられんぞ」
青蔡が言った。
すると、初めて黄袍魔の顔色が変わったように思った。
「青蔡よ……」
黄袍魔が青蔡を睨んだ。
「知っておろう。お前の育ての親であるわしはお前の魔力を抑え込める力があるのを」
「お前が、俺を人間の王に売るのか?」
「百花姫を浚ったであろう。そして、惨い目に遭わせた。その罪は、お前を育てたわしの罪でもある。だから、わしの手で始末をつける。心配いらん。お前が死ねば、すぐに後を追ってやろうよ。のう、わしと一緒に死んでくれるか、黄袍魔?」
「この老いぼれが……」
黄袍魔が身体を沈めた。
こちらに飛びかかってこようとしているのがわかった。
龍鳳王は、片手をあげた。
一斉に黄袍魔に向かって矢が放たれる。
黄袍魔の身体に数十本の矢が突き刺さって倒れた。
そして、動かなくなった。