「うわっ」
お蘭は、沙那の斬撃を紙一重でかわして後ろに飛び退がった。
宝玄仙は驚愕した。
「さ、沙那、なにすんだい──?」
宝玄仙は怒鳴った。
「ほ、本当よ──。当たったらどうするのよ、沙那殿」
お蘭が動揺を隠せない様子で叫んだ。
「当然よ。斬るつもりで剣を振ったんだから……。でも、いまので確信したわ。あなたは、やっぱり、お蘭じゃないわ……。どうも、最初から引っ掛かってたのよね。だけど、そんなこと忘れてた……。思い出したのは、鳴智が最後に命じたわたしたちへの言葉よ」
沙那が油断なくお蘭に剣を向けながら言った。
いまにも斬りかかりそうな雰囲気だ。
「な、なんのことよ──? それよりも、冗談じゃなく本当にわたしを殺すつもり? ちょっとばかり、剣が遣えるからっていい気になってんの? このお蘭をあんたが殺せると思っているの?」
お蘭がなにかの攻撃道術を仕掛ける気配を示しだした。
一方で、孫空女や銀角たちは呆気にとられている。
宝玄仙は自分を含む沙那とお蘭を結界で包み、さらに沙那とお蘭のあいだに見えない霊気の壁を作った。
ふたりが殺し合うのをやめさせるためだ。
「ふたりとも落ち着きな──。特に、沙那──。いきなり、なんてことするんだい」
宝玄仙は言った。
「わたしは十分に落ち着いています、ご主人様。この人は、お蘭じゃありません。おそらく、御影の影法師だと思います」
沙那は、お蘭をじっとにらみながら冷静な口調で言った。
宝玄仙はびっくりしてしまった。
「わたしが御影の影法師? なんてこと言うのよ、沙那殿……。冗談を言うんじゃないわよ」
お蘭がけらけらと笑い出した。
宝玄仙は改めてお蘭を見たが、どこからどうみてもお蘭だ。不自然なところはなにもない。
「最初に違和感があったのは朱姫のことよ。摩雲城にやってきたとき、あなたは四人目の素蛾のことはなにも知らなかったのに、朱姫のことは随分と知っている感じだった。しかも、朱姫が人間族と亜人族の両方の血が流れている相の子だということまで知っていた。わたしたちが別れたときには、素蛾はもちろん、朱姫もいなかったわ」
沙那がお蘭に言った。
「そんなこと? そんなの
「わたしも朱姫については、藍蔡仙か誰かに教えてもらったのだろうなと思った。だから、あまり気にも留めていなかったの……。不自然さを覚えたことも忘れていた……。だけど、さっき、鳴智が道術紙で跳躍する前に、わたしたちが牛魔王の命令を解除するとともに、鳴智が別の命令をわたしたちに言い残したのよ──。御影の命令には絶対服従って……」
「本当かい、それは──?」
宝玄仙は驚いて孫空女に振り返った。
「そ、そうなんだよ、ご主人様……。それを相談しようと思った矢先だったんだ……」
孫空女もうなずいた。
宝玄仙は舌打ちした。
ふたりの首にある服従の首輪に刻まれた主人が鳴智なのだとすれば、これで、沙那と孫空女は御影に出会った瞬間に、御影の奴隷になってしまう。
それを防ぐには、鳴智に命令を取り消させるか、首輪自体を外すしかない。
すでにいなくなってしまった鳴智に命令を取り消させるのは不可能だ。
首輪を外すのは不可能ではないと思うが、さすがの宝玄仙にも波動を修正されていれば、それを読み解くには数日はかかるだろう。
「な、鳴智があんたらになにを命じようが、わたしの知ったことじゃないわ──。第一、それとわたしが御影の影法師であるということとどういう関係があるのよ──」
お蘭が怒鳴った。
「あなたが御影の影法師であると考えれば、なにもかも辻褄が合うわ。あなた自身が言ったことだけど、御影は性関係を持った相手そっくりの影法師を作れるんでしょう? 復活した御影がお蘭と関係を持ったのは確かなんでしょうね。あんたは、それで作られたお蘭の影法師よ。だから、お蘭の知っていることを知っていて、お蘭の能力が使える……。だけど、御影の影法師だから、お蘭が知るわけがない御影の知っていることも知っている。だから、朱姫のことをよくわかっていたのよ」
「それは、さっき藍蔡仙に聞いたと説明したでしょう、沙那殿」
「鳴智が御影の命令に従えなんて言い残すということは、鳴智が御影の命令で動いていた証拠よ。その鳴智と協力して、牛魔王を罠に嵌めたあなたも、当然御影の指示で動いたはずよ──」
「馬鹿馬鹿しい。全部、当て推量じゃないのよ。そんなことで切りつけたの?」
「そもそも、わたしたちがこれから牛魔王と戦おうという絶好の時期に、あなたはわたしたちのところに現れて、わたしたちも知らない牛魔王の弱点を教えてくれた──。そんな偶然、本来ならあり得ないわ。だって、お蘭はここから遥かに離れた世界の果てにいるのよ。それよりも、御影がわたしたちに牛魔王を倒させようとして、影法師のお蘭をわたしたちに接触させたと考える方が合理的よ」
沙那はお蘭を睨みつけながら言った。
「それも最初に言ったわ。あなたたちに接触しろとわたしに指示したのは藍蔡仙よ」
「それだって信じ難いわね。藍蔡仙だって、遥か彼方の東方帝国よ。どうして、わたしたちのことなんて気にするのよ」
「藍蔡仙の考えていることなんて知らないわよ。彼女がどうやって、あなたたちの動向を掴み続けているかもね……。だいたい、わたしが御影の影法師なら、どうして牛魔王を殺させるのよ?」
お蘭が肩を竦めた。
「それはもちろん、牛魔王の身体にあるご主人様の道術石が欲しいのよ。わたしの勘だけど、御影はご主人様の道術石にそれだけの力があるとは思わずに雷音大王や牛魔王に渡したのだと思うわ……。だから、ご主人様の力を使って牛魔王から道術石を取り出させたのよ。お前が影法師なら間違いなく、いの一番に魔宝石に手を出すと思ったわ。そして、手を出した。お前は影法師よ」
沙那は言った。
確かに一応の筋は通っている。
だが、宝玄仙はいまだに、目の前のお蘭が偽者だというのは信じられなかった。
それに、それだけでお蘭が偽者と断定するのは根拠薄弱だ。
「愉快な話だけど、わたしを御影の影法師呼ばわりした理由としてはいまひとつね。まあいいわ……。続きは摩雲城に戻ってからにしましょう。それよりも、いつまでも裸でいないで、なにかまとったら? 摩雲城まで裸で帰りたいなら、それはそれでいいかもしれないけど」
お蘭が笑った。
「誤魔化さないで──」
沙那が叫んだ。
「お前は影法師よ──。もしも、お蘭だったら、さっきのわたしの斬撃を避けられるわけがないわ。お蘭は道術はすごいけど、武術はからきしよ。あんな動きができるのは、お前がお蘭ではないというなによりの証拠よ──」
沙那が剣をお蘭に向けるように突き出した。
「あっ」
宝玄仙は思わず小さな声をあげた。
確かに、お蘭は武芸の心得えなど全くない。
沙那の言うとおりだ。
お蘭が沙那の剣を避けることができるなど考えられない……。
「お前、ちょっと待ちな──」
宝玄仙は道術でお蘭を拘束しようとした。
だが、お蘭が自力で宝玄仙の結界から飛び出すのが早かった。
それにより、宝玄仙の結界は壊れて消滅した。
そして、お蘭が、すばやく自分の周りを結界で包んだ。
宝玄仙はさらに道術を飛ばしたがすべて跳ね返された。
「……いいところまでいったのに残念だわ。まあ、目障りな牛魔王は倒せたからよしとするか」
お蘭の口調ががらりと変化した。
あれはお蘭じゃない……。
宝玄仙は愕然とした。
「お前、本当に影法師かい──? お蘭はどうしたんだい──?」
宝玄仙は怒鳴った。
「お蘭は東方帝国よ。決まっているじゃない。あたしが知る限り、お蘭は管理している道術石が偽物とすり替わっていることさえ気がついていないようよ。それよりも、新しい母親に夢中のようだからね。実の親に調教されたいなんて、とんだ変態ね」
お蘭に化けている影法師が笑った。
そのあいだも、宝玄仙と影法師の道術の戦いは続いている。
宝玄仙の霊気は影法師の作る結界を壊そうと、お蘭の結界に入り込もうとまとわりつき、それを影法師が懸命に阻止している。
影法師とはいえ能力はお蘭と同じだ。さすがの宝玄仙も簡単には結界の壁を突破できない。
「やっぱり、あいつは、実家に帰ったんだね」
「そうのようね。だけど、藍蔡仙のことも本当よ……。藍蔡仙がお蘭を訪ねたのは本当のことでね。まあ、あたしが知っているのはそこまでで、お蘭が藍蔡仙を受け入れたのか、それともはね除けたかは知らないよ。あの変態は、ご主人様は何人でもいいって、感じだったけどね」
お蘭が手を振った。
巨大な霊気の塊だ──。
凄まじい衝撃が宝玄仙を襲った。
風の塊りのようなものが身体にぶつかり、そのまま後方に飛ばされる。
「ご主人様──」
叫んだのは孫空女だ。
こっちに駆け寄ってくるのがわかった。
倒れている宝玄仙を孫空女が抱き起す。
「大丈夫かい、ご主人様?」
「あ、ああ……」
宝玄仙はうなずいた。
だが、はっとした。
握っていた道術石がない。
いまの衝撃で落としたようだ。
影法師のお蘭が走っている。
その方向に道術石が転がっているのがわかった。
「させないわよ──」
しかし、沙那がすでに駆けている。
お蘭よりも早く道術石を掴んだ。
そして、剣をお蘭に向けた。
「沙那、孫空女──。あたしは確かに影法師よ……。つまりは、御影の一部ということよ。だったら御影の言葉には絶対服従……。そうよね……?」
すると、影法師のお蘭がにやりと笑った。
「えっ」
「なに?」
沙那と孫空女が当惑の声をあげた。
「沙那、こっちに道術石を渡しなさい……。命令よ。孫空女、宝玄仙を押さえつけなさい。しばらく、乳でもしゃぶってやってよ。それで、宝玄ちゃんは術を刻む集中ができなくなるでしょうから」
お蘭が笑った。
いや、お蘭じゃない。
あの物言いは完全に御影の口調だ。
「ご、ご主人様、ご、ごめん──」
宝玄仙を抱き起していた孫空女がいきなり宝玄仙を押し倒した。
両腕を掴まれる。孫空女が宝玄仙の乳房に舌を這わせていた。
「ちょ、ちょっと、お前──。ううっ、なんて、馬鹿力……あ、ああっ」
たちまちに襲ってくる妖しい疼きに宝玄仙は歯を食い縛った。
さすがに孫空女に上から押さえられては逃げられない。
しかも、沸き起こる快感に心を集中できない。
身体の力もあっという間に抜ける……。
少し離れたところから、すっかりと御影の声になったお蘭の勝ち誇ったような笑い声が聞こえた。
ふと見ると、沙那が道術石を口惜しそうに影法師に手渡している。
「さあ、頭のいいお嬢ちゃんには、なにを命令してやろうかねえ。その剣の柄を股間に入れて自慰でもしてもらおうかしら……。みんな揃って、雷音院にあるあたしの屋敷に来てもらうわ。立派な奴隷にしつけてあげるからね。あんたらには、いろいろと恨みもあるし……、じゃあ、始めなさい、沙那。その剣を股間に入れるのよ……。いや、やっぱりやめた。お尻にするわ。剣の刃の尻尾なんて、お転婆なお嬢ちゃんにはちょうどいいわ」
影法師が高笑いしている。
沙那はその場に跪き、剣の柄を尻の穴に入れようとしている。
本当に口惜しそうな表情だ。
そのあいだも、宝玄仙の胸を執拗に孫空女が舐め続けている。
次の瞬間、大きな霊気が身体に浴びせられたのがわかった。
「うっ、うう……くっ……」
宝玄仙は呻き声をあげた。
心の緊張が解けた隙を狙って、影法師がお蘭の能力を使って金縛りの道術をかけてきたのだ。
自分の身体がぴくりとも動かなくなった。
お蘭がまた動いた。
なにかを拾ってから、こっちに向かってくる。
道術封じの手枷だ。
牛魔王を倒す前に、宝玄仙がしていたものだ。
それを宝玄仙に嵌めるつもりだろう。
宝玄仙がもがいたが、孫空女に押さえられているうえに、道術で拘束されている。
逃げられない……。
「とりあえず、これでいいわね? 雷音院にあるわたしの屋敷にいったら、改めてあんたにも服従の首輪をしてあげるわ。本物のね……」
影法師のお蘭が笑みを浮かべて宝玄仙の横にしゃがみ込んだ。
お蘭の持った道術封じの枷が宝玄仙の腕に近づく。
だめだ──。
だが、次の瞬間、ぎょっとした。
お蘭の胸から、血の付いた剣先が突き出てきたのだ。
「うぐううっ」
そのとき、お蘭の胸から血が噴き出すとともに、口からも血を吐いた。
「確かに、武術の心得えはないようだね……。背中が隙だらけだよ」
銀角だ。
いつの間にか、もう一本の剣を拾って近づいていたようだ。
影法師がなにか喋ろうとするように口を開く。
だが、銀角が剣を引き抜いたため、さらに大量の血が噴き出して、呻き声を発しただけになった。
影法師は血だまりの中に突っ伏す。
そして、血だまりごと消滅した。
そこには、影法師が宝玄仙に嵌めようとしていた手枷と道術石だけが残った。
「な、なに?」
孫空女がやっと宝玄仙から身体を離した。
宝玄仙の身体の自由も戻る。
術者が死んだので宝玄仙にかけられていた道術が消えたのだ。
孫空女についても同じだろう。
とりあえず、命令を与えた影法師が死んだので、首輪が強要していた操りの行為が無効になったということだ。
ただ、孫空女と沙那の首にある服従の首輪には、鳴智が言った御影の命令に従えという命令はまだ生きている。
次に御影か、その一部でもある影法師がやってきた場合は、やっぱり、その支配に陥ってしまうということだ。
「厄介なことになったねえ……」
裸身を起こしながら宝玄仙は呟いた。
すると、沙那の悲鳴があった。
ふと見ると、剣の柄を尻に突っ込んで、膝を曲げてうつ伏せになっている沙那がそこにいた。
剣を抜こうとして苦労しているようだ。
「く、くそっ──。今度会ったら、口を開く前に斬り殺してやる──」
沙那が口惜しそうに叫んだ。
宝玄仙は、あまりのみっともない姿に思わず吹き出した。
「とりあえず、みんなで摩雲城に戻ろうか……。対策はそれからだね」
宝玄仙は言った。