「……お前に命じてある“お宝の言葉に従え”という命令を解除する──。いいわね──。抜かりなくやりなさい──。あの女は、あれでも宝玄仙と同じだけの力があるのよ。油断するんじゃないわよ」
「お、お宝を見捨てるのですか……?」
鳴智がびっくりしている。
「見捨てる? あんなのは最初から道具よ──。すぐに美小淋をなんとかできない限り、お宝を処分するしかないでしょう。なにしろ、お宝を始末するのは美小淋の要求だしね」
御影は笑った。
鳴智が少しだけ畏怖におののいた表情になったが、すぐににっこりと笑った。
「……あなたに指示を受けてやる仕事の中で、これは一番に愉快そうな仕事です」
鳴智が口元を緩めたまま言った。
「……そうでしょうね」
御影も苦笑した。
「……それから、ついでに、娘に会ったら殺せという命令も解除しておくわ。会ってきなさい。ただし、あたしを裏切った場合は躊躇なく殺しなさい。その命令に変更しておく──」
すろと、今度こそ鳴智の顔は驚愕の表情になった。
そして、身体が小刻みに震えだした。
「……い、いいんですか……? いいんですね……」
やがて言った。
その声は興奮で震えていた。
「お前とは仲良くやる方が有用だと思い直したわ──。だけど、お前の娘をどこに隠しているのか、あたしも知らないわ。お宝を拷問して聞き出すといいわ」
「あ、ありがとうございます──。ありがとう──」
「行きなさい──。時間が惜しいわ。あたしは、明日の朝には屋敷に戻るわ──。それまでに、美小淋の手の者とお宝のことは終わらせておきなさい……。もう動いていいわ。服も身につけていい」
御影の言葉が終わるとともに鳴智がさっと動いた。
床に放置されていた下着と下袍を身に着けると、さっきの小瓶と枷を掴んで隠し扉から出ていく。
そこには、『移動術』で常時、屋敷と繋ぐ結界が保持されている。
鳴智のような、霊気のない人間でも特定の位置に立てば、霊気が作動する仕掛けになっている。
それで、屋敷まで跳躍するはずだ。
ひとりきりになると、御影はさらに卓からふたつの容器を取り出して卓の上に置いた。
それは色違いの金属の容器であり、中身は香草だ。
もともとは、金凰魔王に仕えていた蝦蟇婆という女亜人のものらしい。
かつて金凰魔王が支配していた一帯は、いまや白象という金凰の妹とその娘の小白象という少女亜人が支配をするようになっている。
そのため金凰魔王の居城だった金凰宮は見捨てられて、誰にも顧みられなくなって半年以上がすぎていた。
白象も小白象も意図的に金凰宮が荒むに任せている感じだ。
御影が魔凛に命じたのは、なぜ、宝玄仙は金凰魔王の支配から逃れたのかという秘密を探ることだ。
帝都で闘勝仙に捕らわれたときもそうだったが、宝玄仙には不思議な力があるような気がする。
絶対に逃れられないように道術支配に陥っている状況であるにも関わらず、なぜかその支配を逃れてしまうのだ。
闘勝仙のことは御影も知っているが、悪党だか極めて用心深い男だった。
その男に二年も凌辱されていたのだから、宝玄仙は闘勝仙の幾重もの支配道術をかけられていたはずだ。
そのころには、すでに御影は帝都を離れて第二の命で生きていたから実際に間近で確認していたわけではないが、後で調べた限り、そうだった。
闘勝仙は十数個の道術契約を宝玄仙に強要し、宝玄仙が絶対に逆らえないようにして、二年間にわたりいたぶり続けていたのだ。
あの男はとんでもない嗜虐癖もあったから、その二年間で宝玄仙がどんな目に遭い続けたかは想像して余りある。
しかし、それでも宝玄仙は、その闘勝仙に『服従の首輪』という操り霊具を装着させることに成功し、凄まじい仕返しをして殺している。
だが、闘勝仙は、確かに宝玄仙を道術契約で縛り、抵抗の意思さえ持つことができないようにしていた。
それなのに、宝玄仙はその支配から脱して復讐を果たした。
道術契約というのは、両者の同意がなければ反故にできない。
だから、どうやって宝玄仙がそれらの道術契約から逃れられたのかがわからない。
そして、金凰魔王のときもそうだった。
金凰魔王と金凰妃を宝玄仙が抹殺したのを目の当たりにしたお宝や鳴智によれば、宝玄仙は絶体絶命の状態から信じられないような霊気を発散して、金凰魔王夫妻を殺したようだ。
しかし、そのときには、宝玄仙は一箇月近くに及ぶ拷問と肉体改造を受けて、かなり弱められていたのだ。
それが一気に霊気を取り戻して、金凰魔王の軍団を圧倒した。
もしも、御影が宝玄仙の影法師を作れれば、その影法師の能力を紐解いて、その秘密に触れられたかもしれない。
いや、以前は御影も宝玄仙の影法師を作れたのだ。
しかし、御影が死ぬことで、それはできなくなった。
魂の欠片で復活するというのは、魂が入れ替わると同じだ。
道術契約にしろ、影法師の複製能力にしろ、あらゆるものが刷新される。
御影が宝玄仙の複製を作れたのは、宝玄仙が宝玄仙士の時代のことで、少なくともその頃の宝玄仙の能力では、不可能な力だと思う。
とにかく、宝玄仙の隠れた能力の秘密を探らせるため、廃墟となっている金凰宮に、魔凜をひそかに送って調べさせた。
結局、なにもわからなかったが、手掛かりになるものかもしれないということで持ち帰ったのがこのふたつの缶だ。
これを金凰妃が宝玄仙を支配するための重要なものとして保持していた形跡があるようだ。
しかし、どういう効果があるかが不明だ。
ひとつは甘い香りがして“玉”と書かれている。
もうひとつは、花の匂いがして“宝”と書いてある。
宝玉というのは、宝玄仙の本名だ。
宝玄仙という戒名をもらう以前は、宝玄仙は宝玉という名だった。
これに意味があるのは確かなのだと思う。
しかし、わからない。
単純に宝玄仙の本名をそれぞれに記したものとは異なると思う。
なにしろ、缶には、最初は“宝玄仙一”、“宝玄仙二”と書かれていて、それが線で消されて、“宝”と“玉”と直されている。
なんとなく、これに意味があるような気がするのだ。
ひそかにお宝に試してみたが、なんの効果もなかった。
だが、これに添えられていた走り書きの文によれば、これを使って蝦蟇婆という老婆が宝玄仙を支配していたのは明らかなのだ。
それが使われているあいだは、宝玄仙は脱出できなかった。
宝玄仙が金凰魔王から逃れたのは、蝦蟇婆が白象宮で殺されてしまってからだ。
「二つの宝……。三つの宝……」
御影は呟いた。
ふたつの宝を手に入れた者はすべてを手に入れる……。
これは、御影が触れた北方帝国の予言者の言葉だ。
同じような言葉を金凰妃も予言した。
“ふたつの宝をまとめた者が新たな魔域の王になる”──。
金凰妃は予言のできる女だった。
その予言は絶対に当たると信じられていた。
御影は、それはもともとは御影のものだった宝玄仙のふたつの魂の欠片のことだと考えている。
実際に、そのふたつを身体に入れることで、雷音魔王も牛魔王も霊気が急激に成長して、魔域の覇王にまでなった。
そのふたつを御影が取り戻して身体に取り込めば、御影は魔域を支配するのに十分な霊気を手に入れることができるだろう。
それは確信している。
御影は、性交をした相手の能力をもった完全な複製を影法師として作って操ることができる。
知識に関しても、完全な「記憶」の範疇のことは無理だが、それが能力に関することなら能力の一部として共有できる。
だから、お蘭の影法師として、お蘭と性交をした時点の能力を共有をした御影は、本物のお蘭が予言として口にした詩の知識がある。
それは能力に関することだったから、御影も知識として得ることができた。
長い詩だが、ほとんどの部分は宝玄仙の旅の苦労を暗示したものだ。
実際、宝玄仙の多くの旅の苦労と、お蘭の詠んだ詩の内容は合致している。
そして、その最後の文章は次のようなものだ。
“三つの宝が交わるとき、宝玄仙を束の間の至福が包む”──。
このお蘭の予言が言及している三つの宝とはなんだろう……?
分離した魂の欠片のことかもしれないし、三人の供のことを暗示しているのかもしれない。
なぜ、ひとつの魂の欠片を作るつもりで、三個の魂の欠片ができてしまったのだろう……?
それは、影法師としての知識ではなく、本当のお蘭が非常に疑問を抱いていたことであり、御影はお蘭との寝物語でそのことに接したのだ。
そして、なぜ、闘勝仙にしても、金凰魔王にしても、完全に宝玄仙を支配することができなかったのか……?
御影は、“宝”と“玉”と刻まれているふたつの香草の缶を前にして考え続けた。