「さらに送る──。摩雲城に集結している全軍は、このまま北進して雷音大王領域の西側にある積運山に向かう。ただちに準備して出陣せよ──。これ以上の話し合いは無用だ──。これは、総帥である宝玄仙様の命令なのだ──」
銀角が通信球で摩雲城に伝言を送るのを沙那は横で聞いていた。
沙那たちは、摩雲城がはっきりと見える場所まで来ていた。
一時的に離れていた銀角隊と合流したのだ。
銀角隊は、実質的に銀角と沙那と孫空女の指揮する三隊に分離していたが、いまはひとつにまとめて、銀角が指揮をしている。
沙那と宝玄仙と孫空女は銀角隊の本隊と一緒だ。
牛魔王を殺した場所でひと晩をすごした馬車をそのまま宝玄仙の『移動術』で移動してきた。
銀角と金角を含めた五人全員がその馬車の中に集まっている。
「とりあえず、これでどう出るかだな」
銀角がつぶやくように言った。
沙那たちと離れていた銀角隊は、摩雲城のすぐ手前まで前進をしていたのだが、五人の合流とともに、摩雲城の城壁の直前の位置でとまり、要塞に戻るのをやめさせた。
そして、牛魔王軍団との決戦に続いて、雷音大王の領域に攻めのぼるので、再度進軍を準備せよと摩雲城に伝えたのだ。
そのために、一度は摩雲城に入った精細鬼隊はもちろん、九霊聖女や黄獅姫についても、摩雲城を空にして摩雲城の前にいる銀角軍に合流するように指示した。
御影が影法師を使って摩雲城を乗っ取って、宝玄仙を捕える罠を準備しているとすれば、摩雲城になんとしても宝玄仙を戻らせようとするだろうと思った。
だから、理由を作って全軍に外に出てくるように指示したのだ。
無論、朱姫と素蛾も連れてくるように伝えた。
これでどう出るかを知りたかったのだ。
ただ、人間族の伊籍隊は別だ。
伊籍隊については、すでに昨日のうちに摩雲城を通過しているし、支援は牛魔王軍団との決戦についてというのが、西方帝国の皇帝となった釘鈀との約束だった。
それに引き続く雷音大王との決戦まで支援を引っ張るのは、約束違反でもあった。
一度目の指示に対して、九霊聖女から戻ってきたのは、軍議を開きたいので、一度、銀角隊も摩雲城に戻って欲しいという返事だった。
だから、軍議は野外で開くと応じて、全軍の出動をさらに指示した。
次に戻ってきたのは、兵站の話だ。
全軍が北進するとなると兵站が確保できないので、態勢の確保に時間がかかると伝えてきた。
いずれにしても、銀角隊も摩雲城に入るようにという要請だ。
それで送ったのが、たったいまの三度目の通信球だ。
ここまで指示すれば、摩雲城も言い訳はできない。
九霊聖女がまともな状況であれば、すぐに出陣をしてくるはずだ。
名目だけとはいえ、宝玄仙は金角軍と九霊聖女の指揮する南山軍が連合した対牛魔王軍の総帥だ。
全軍に対する命令権は宝玄仙にある。その宝玄仙の命令となれば絶対だ。
ましてや、九霊聖女は、宝玄仙が刻んだ奴隷の刻印を受け入れている。
その宝玄仙に逆らえるわけがないのだ。
だが、摩雲城にいる九霊聖女からの返事はなかなか戻ってこなかった。
やはり、異変が起きていると考えるのが正しそうだと沙那は思った。
「なあ、宝玄仙……。いずれにしても、わたしはこれまで一緒に牛魔王軍団と戦っていた各魔王に檄を飛ばすよ。それだけじゃない。雷音大王と牛魔王の力でやむなく従っていた各魔王や、滅ぼされた領域の者にも、雷音の戦いに加わるように呼びかけようと思う──。そのために、牛魔王を倒したお前の名を貸してくれ、宝玄仙」
金角が言った。
いまだに、金角は自分では起きあがることができないでいるが、真っ白だった肌は赤みが差すくらいにはなってきている。
いまは、馬車の中に持ち込んだ寝椅子の上半身部分を起こして横たわっていた。
「まあ、なんでもやってくれよ。だけど、それは必要な戦いなのかい、金角?」
宝玄仙は苦笑している。
どうやら、宝玄仙はあまり戦のようなものが意に添わないようだ。
大きな戦をせずになにかを妥協するだけでそれが回避できるのなら、それを望むような雰囲気だ。
だが、沙那は、いずれにしても、雷音大王との決戦は避けられないことになるだろうと宝玄仙を説得していた。
摩雲城が御影に乗っ取られているか、否かに関わらずだ。
「いえ、ご主人様──。これは必要です」
沙那は横から口を出した。
「……摩雲城に捕らわれている朱姫と素蛾を救出することに成功し、摩雲城の支配を取り戻したとしても、それは、御影の影法師の陰謀を取り払うことができるだけです。御影は雷音院にいながら同じことを何度もできるのですから、雷音院にいる御影そのものを倒さなければ、いつまでもこれが繰り返されるだけです。雷音大王自身も、お気に入りの部下だった牛魔王を殺されたとあっては、黙ってはいないでしょう──」
「まあ、そりゃあ、そうかもしれないけど……」
「一方で、牛魔王が死んだということは、魔域の各地に電撃的に広まっているはずです。この機を逃さずに、反雷音軍を結成して、雷音院まで攻めのぼるのです。幸いにも、雷音大王の勢力は大きいといっても、実際に戦っていたのは牛魔王軍団です。その牛魔王軍団はもうありません。だから、雷音大王が投入できる戦力など烏合の衆のはずです。そして、雷音院を攻略し、御影そのものを捕えて、騒動の根を断つ──。それが最良の方策です」
沙那は言った。
そう言いながらも、沙那としても、最終的な大きな決戦や長い戦いになるような事態は避けて、決着はつけたいと考えてはいる。
ただ、いまは雷音大王に敵対する勢力を糾合するという動きが必要だ。
すると、宝玄仙が溜息をついた。
「わかったよ……。まあ、そのあたりのことは、お前たちに任せるよ。だけど、雷音が戦いの素人はいっても、部下の牛魔王ができたくらいだから、例の『
宝玄仙は言った。
「そ、それについては、そうなんですが……」
沙那も宝玄仙の指摘には口ごもるしかなかった。
雷音大王と牛魔王が、あっという間に魔域を席巻して魔域の覇王になれたのは、その強大な霊気によってもたらされる「傀儡兵」の存在が大きい。
傀儡兵というのは、無限の兵を幾らでも産み出すことができる道術で作られた兵の軍団であり、どんなに負けようとも、数万、数十万の軍を瞬時に生産して戦場に投入できるとなれば、そんな敵には勝ちようがない。
牛魔王については、奇襲的な手段で直接に倒すことに成功したが、同じ手は雷音大王も喰わないだろう。
無限に出現する敵兵に勝つ方法は存在しない。
「どうなんだい、金角? 雷音大王も、傀儡兵を作ることはできるのかい?」
宝玄仙は金角に言った。
「雷音大王自身が傀儡兵の術を遣えるかどうかは不明だけど、遣えると考える方がいいだろうね……。自分の持つ道術を誰かに伝授するのは難しいことじゃない。牛魔王は傀儡の術を雷音大王に教える機会はいくらでもあったと思う。霊気自体は雷音大王が大きいんだ。一度、牛魔王が教えれば、雷音大王が傀儡兵を作ることはできると思う。しかも、牛魔王の作っていた傀儡兵を上回る強力な軍団をどんどんを送り込めると思うね」
金角が応じた。
「ねえ、それについてだけど、こっちも『傀儡兵』を遣える味方を引き入れたらいいんじゃないかなあ……」
すると、ずっと黙っていた孫空女が口を開いた。
「『傀儡兵』を作れる味方の魔王かい、孫空女? もちろん、そんな魔王がこっちの味方になれば大きいが、残念ながら、わたしにも牛魔王以外には、心当たりはないね。そんな魔王がほかにもいれば、雷音大王と牛魔王が簡単に魔域の覇王になることはなかったさ」
金角が言った。
「いや、あいつだよ……。
孫空女が言った。
「通天河の
孫空女の声に最初に反応したのは金角だ。
「大王だと……?」
だが、金角が「大王」と呼んだことに、宝玄仙が訝しむ声を呟いた。
しかし、金角がそれを無視して続けた。
「い、いや──、それは思いつかなかった。確かに、独角兕大王といえば、雷音大王と匹敵する力があるかもしれない──。なにしろ、唯一、牛魔王軍団に勝利した魔王だしな。かつて、一度だけ牛魔王軍団が独角兕大王の領域に攻め込んだことがあったのだ。だが、自ら迎撃に現れた独角兕大王は、傀儡の術で圧倒し、牛魔王軍団をたったひとりで追い払った……。あの独角兕大王もまた、傀儡への術は遣える。それは間違いないね……」
「はあ、なんだい、それ?」
金角の言葉に接して、宝玄仙が怪訝そうな声を出す。
だが、金角は興奮した感じで言葉を続ける。
「しかし、あの独角兕大王は孤高の魔王でもある。絶対に自分の領域からは出てこないことでも知られている謎の魔王でもあるのだ──。ううん……。孫空女の言うとおり、雷音大王の傀儡兵に対抗するのは、独角兕大王を引き出せばいいとは思う……。だが、どうやって、あの孤高の大魔王をわたしたちの戦いに引き出せばいいのか……」
金角が唸るような声をあげた。
沙那は驚いた。
独角兕大王と金角が呼んだのは、あの独角兕のことに間違いないだろう。
それほどまでに、魔域で独角兕が評価されている魔王とは知らなかった。
確かに、霊気も道術も凄まじかった記憶はあるが、信じられないような宝玄仙の策であっさりと無力化された。
沙那には、あの見境のない淫乱王の姿しか思い出せない。
宝玄仙など横で爆笑した。
金角と銀角は呆気にとられて、宝玄仙を見た。
「あの馬鹿が、孤高を気取る謎の大魔王だと──? ふざけたことを言うんじゃないよ。あいつが自分の領域から出てこないのは、人間の女が大好きで、魔域の男に興味がないからさ──。まあ、確かに道術は凄かったよ。わたしの全力の道術をふざけ半分の霊気で跳ね返したくらいだからね──。しかし、あいつは阿呆だ。正真正銘の馬鹿なんだよ──」
「阿呆?」
金角は面食らっている。
「なんだい、あいつを戦いに参加させればいいのかい──? そんなものは簡単さ──。金角、独角兕にその檄文とやらを送りな。そして、その檄文に追加するんだ。もしも、雷音大王を倒すことに成功すれば、この宝玄仙が一発でも二発でもやらせてやると言っているとね。あの男は肉棒をおっ勃ててやってくるよ」
宝玄仙は笑いながら言った。
「お前たちは独角兕大王を知っているのかい?」
金角が驚きの声をあげた。
「……知っています……。この場合、ご主人様の言っていることは正しいと思います」
沙那は言った。
金角と銀角が目を丸くした。
そのとき、突然に目の前に通信球が出現した。
九霊聖女が銀角あてに送ってきた返信だと思った。
球体が弾けて声が流れ出した。
“遊びも駆け引きも飽きたわ、宝玄仙──。どうやら、摩雲城を乗っ取ったことに気がついたようね……。まあいいわ。とにかく、あたしが欲しいのはあんたが持っていった牛魔王の身体に埋まっていた道術石よ。それをくれれば、もうあんたらには興味はないわ。いずれにしても、話し合いをしましょうよ。こっちにいらっしゃい、宝玄仙──。ただし、あんただけよ。まあ、特別に沙那と孫空女も連れてきていいわ。でも、ほかの者は駄目よ。さもないと、あんたの大事な供は死ぬことになるわよ──。ちょっと、城壁を見なさい”
聞こえたのは、女のような口調の男の声だ。
「み、御影──?」
宝玄仙が声をあげた。
そのとき、馬車の外からどよめきのような声が聞こえた。
慌てて、沙那は馬車の外に出た。
動けない金角を除く、ほかの者も続く。
「あっ」
沙那は声をあげた。
摩雲城の城壁の上に二本の柱が設けられていた。
そこに全裸の朱姫が手足を拡げて磔になっていた。
ここからではよくは見えないが、朱姫はぐったりとして意識はないようだ。
「……身体中に傷がある……。拷問を受けたみたいだ。両手首に黒い枷がある。多分、あれは朱姫の道術を封じるものじゃないかな。それと足首に金色の細い鎖があるよ……。どっちにしても、朱姫は意識がないみたいだ……」
眼が異常にいい孫空女が横で言った。
「……銀角、応じると伝えな──」
宝玄仙が遠くに見える朱姫の磔姿を凝視しながらきっぱりと言った。
*
銀角を通じた摩雲城にいる御影との話し合いにより、宝玄仙と沙那と孫空女だけが、歩いて城門から摩雲城に入るということになった。
あの御影からの通信の直後、摩雲城全体を大きな結界が覆って、『移動術』などの手段で潜入するのは不可能になったらしい。
宝玄仙によれば、御影にしては巨大すぎる結界らしく、とても驚いていた。
心配する金角と銀角の言葉を斥けて、宝玄仙は御影の誘いに乗ることを断固として決心しているようだ。
いずれにしても、通信球で御影が要求してきた道術石は、もう宝玄仙は消滅させてしまった。
だから、いくら話し合いをしても、交渉に合意することはありえない。
まあ、もしも、道術石が残っていて、それを素直に御影に渡したしても、あの御影が宝玄仙への執着をやめるとも思えない。
摩雲城にはおそらく罠が待っている。
ただ、朱姫と素蛾を助けるには、その罠に嵌まりに行くしかない。
沙那にもそれはわかる。
とにかく、摩雲城に向かう前に、一度馬車に戻るように宝玄仙に言った。
こちらとしても、それなりにできる準備はしなければならない。
それを話し合うためだ。
銀角と宝玄仙が馬車に戻っていく。
それを追おうとした沙那を孫空女が呼び止めて、沙那を馬車から離れた場所まで引っ張っていった。
「なによ、孫女?」
沙那は訊ねた。
孫空女にはなにか沙那に言いたいことがあるようだ。そんな表情をしている。
「……これからなにが起きるかわからないけど、とにかく、ご主人様を守る。それをあたしたちの一番の目的にしようよ。なにかを犠牲にしなければならない場合には、ご主人様を守れる選択をする。そういうことにしよう」
孫空女は小さな声で言った。
沙那は孫空女を見た。
孫空女の視線は強かった。そこには断固とした意思を感じた。
沙那は吐息をした。
「わかったわ……。そうする。第一はご主人様……。ほかの者は二の次……。そういうことにしましょう」
沙那も頷いた。
「うん……。それで、もうひとつ……。牛魔王のときには、あたしと沙那は、お互いを人質にとられて、服従の首輪を受け入れてしまった……。今度、同じことがあったら、沙那にはあたしのことを見捨てて欲しいんだ……。あたしもそうする……。どういうことが待っているかわからないけど、もう一度、服従の首輪を受け入れてしまったら、今度こそ、ご主人様を陥れる道具にされるような気がする。そのときは覚悟しようよ、沙那──」
孫空女は言った。
つまり、孫空女は、牛魔王のときのようなことがあれば、孫空女を見殺しにしろと言っているのだ。
さらに、孫空女も沙那を助けないも……。
その言葉には少し沙那は驚いた。
だが、よく考えれば、宝玄仙の命を第一にしようというのはそういうことになるのだろう。
「……だったら、ご主人様を人質にとられて、服従の首輪に従うことを強要されたとしたら?」
沙那は試しに言ってみた。
「そのときは受け入れるよ──。ご主人様を守るのが第一なんだ」
孫空女は即答した。
沙那はなんだかおかしくなった。
「……わかりやすいのね、あんた。ご主人様が第一……。気に入ったわ。あたしはあんたを守らない。朱姫のことも、素蛾のことも……。それができるときは守るけど、誰かを犠牲にしないと、ご主人様を助けられない場合は、容赦なくそれを見捨てる──。そう誓うわ。これでいい?」
「あ、ありがとう、沙那」
孫空女がほっとしたように微笑んだ。
「ただし、条件があるわ……」
沙那は自分よりも背が高い孫空女の顔を見あげた。
「条件?」
「それだけの覚悟を受け入れるには、わたしにも見返りが欲しいわ。わたしにとっては、ご主人様も大事だけど、あんたも大事だし、朱姫も素蛾も大事……。それに優劣をつけられない。それなのに、あえて、ご主人様を一番にしようというあなたの提案を飲み込むには、ご褒美が欲しいわ」
「ご褒美って?」
孫空女が当惑した表情になった。
「……口づけして……。一度でいい……。なにも考えず……。誰かに強要されるのではなく……。道術で無理矢理にやらされるのではなく……。ただ、口づけするの……」
「沙那……」
孫空女が少しだけ驚いた表情になったが、すぐに沙那の身体をぎゅっと抱いて、沙那の唇に唇を合わせてきた。
沙那も、孫空女の口の中に舌を入れて、孫空女の舌に自分の舌を絡ませる。
孫空女も同じことをやり返してくる。
それほど長い時間ではなかったが、そうやってふたりで口を吸い合った。
そして、口を離した。
「さあ、馬車に行こう、孫女──。わたしたちふたりが馬車に戻るのが遅いと、それだけで文句を言うご主人様よ──」
沙那は何事もなかったような口調で元気に言った。
そして、馬車に向かって歩きながら、沙那は少し以前に別れを覚悟して孫空女と愛し合った白象宮のことを思い出していた。
孫空女は、あのときのことを覚えているだろうか……。
いや、覚えてはいるだろうが、あの時の愛の言葉は、沙那が媚薬を大量に飲んで朦朧とした頭で口にした戯言のようなものとしか考えていないのだろうか……?
そんなことをふと思った。