「待たせたわね、
応接室に入ると御影は言った。
「人払いをして、御影……。それから、わたしの訪問を秘密にして……。わたしがここに来たことも誰にも知られていないわ。わたしはこっそりとやってきたの……。それを洩れないようにして」
美小淋が言った。その表情にはいつになく真剣なものがあった。
応対のためにふたりの家人が応接室にいた。
屋敷の管理をするために御影が使っている亜人の家人だ。
御影はそのふたりに視線を向けた。
「ここはいいわ……。美小淋が訪問したことについては箝口令を徹底させなさい」
御影が言うと、ふたりが部屋から立ち去った。
「あたしが使っている家人は信用できるわ。絶対に口外されることはない。それにしても、いまさら? 女宰相のあんたと小宰相のあたしが仲良しなことは、この雷音院で知らない者はいないんじゃないの?」
御影は笑った。
だが、美小淋の顔に笑みはなかった。
御影は笑みを引っ込めた。
なにかがあった……。
それがわかった。
「どうしたの?」
「あなたに姿を消して欲しいの」
美小淋はそう言った。
御影は驚いてしまった。
「どういうこと……?」
「今朝の臨時会議であなたに対する処置が話し合われたわ……。定例の朝議ではなく重鎮会議だけど……」
「重鎮会議にはあたしは呼ばれてないわね。いつ、臨時の会議が行われることになったの? なぜ、それにあたしは呼ばれなかったのかしら?」
御影は不機嫌になって言った。
重鎮会議というのは、この雷音大王に仕える者のうち、本当に主立つ文官と武官で構成される会議のことだ。
構成員は十名であり、数箇月前から御影は、この美小淋の推薦で重鎮会議に名を連ねる者のひとりだったのだ。
だが、その御影は今朝の重鎮会議には呼ばれていない。
それどころか、会議があったことすら知らなかった。
「ほかの重鎮たちに、あなたを参加させないことを求められたのよ」
美小淋は申し訳なさそうな表情になった。
「重鎮たちがあたしを除け者にすることを要求して、あんたはそれに応じた。そういうことでいいのよね」
「そんな言い方しないでよ……。まずは信じて欲しいんだけど、わたしはあなたの味方よ。こうやって、危険を冒してやってきているのも、だからこそよ」
「あなたにとって、あたしと会うということは危険なことなの?」
御影はむっとした。
「御影、何度も言うけど、わたしは最後まであなたの味方よ……。道術契約をしたことを忘れないで」
美小淋が言った。
御影は嘆息した。
「それで?」
「牛魔王が死んで、それまで牛魔王が屈服させていた各魔王たちに、不穏な動きがあるのは承知しているわね?」
「
牛魔王がいなくなったことで、ある程度の反乱があるということはわかっていた。
ただ、牛魔王がいなくても、雷音大王軍そのものが強大な亜人軍団を持っている。
無論、多少は連中の要求をのみ込まなければならないことがあるとは考えているが、危機的な状況になるとは思っていない。
そういう状況の中で雷音大王の覇王に反旗を揚げた外縁部の魔王が雷音大王領への侵攻を目途として、雷音大王領域の西側の積雲山に集結するという情報に接したのだ。
まだ昨日の情報であり、実際に集まっているわけではないが、その動きがあるのは確かだ。
しかし、それは予想の範疇のことのはずだ。
「それの中心になっているのがわかったわ。金角と銀角よ──。あのふたりが、あちこちに檄を飛ばしまくっているのよ。未確認の情報だから細部は不明だけど、続々と広域道術で積雲山に集まっているわ」
「金角と銀角ねえ……」
宝玄仙をさらったことで多少の動きはあるとは思っていたが、思ったよりも動きが早い。
わずか二日でここまで動かすというのは大したものだ。
「だけど、それがどうしたの? 重鎮どもが慌てふためくほどのことなの?」
御影は言った。
「ところが、昨夜、新たに情報が入ったのよ……。東側で、
美小淋は言った。
「独角兕大王ですって? だけど、彼は自分の領域から外には出ない孤高の魔王のはずよ。どうして、それが反雷音大王の勢力に加担するのよ──?」
御影は声をあげた。
「知らないわね……。しかも、理由は知らないけど、独角兕大王が要求しているのは、雷音大王ではなくて、あなたなのよ──。あなたの首を差しだせば、独角兕大王は傀儡兵を引きあげると宣言しているようよ。ただし、それが応じられない場合は、ここまでやってきて、直接にあなたを狩るそうよ──。それが伝えられたのは昨夜の深夜──。重鎮会議はそれについて話し合われたの」
美小淋が言った。
御影は今度こそ驚愕した。
なぜ、独角兕大王が雷音大王の部下のひとりにすぎない御影の首を要求してくるということがあるのか──。
あるいは金角と銀角が独角兕大王を焚きつけたということはあり得るかもしれないが、それにしても、独角兕大王が動くなど……。
そう考えてから、ふと、宝玄仙のことを思いだした。
宝玄仙の旅路は、独角兕大王の領域のある通天河沿いも通っている。
もしかしたら、宝玄仙と独角兕大王はなにかの縁があり、ここにやって来る前に宝玄仙がそれを仕組んだとか……。
「……重鎮は独角兕大王の要求に応じることを求めている。わたしはそれに反対しているけど、もはや、それを抑えられないの」
およその話はわかった。
だが、御影は気に入らなかった。
「でも、お前は宰相でしょう──。それを抑えるのがお前の役目じゃないの」
「抑えられないわよ──。あなたは新参者よ。あなたを差しだせば、独角兕大王の軍勢が引きあげるなら、雷音院にとってこんな受け入れやすい条件はないわよ。わたしがこれ以上反対を続ければ、あたし自身が失脚する気配よ──。とにかく、わたしの話を聞いて──。あなた本体と同じ姿の影法師を残して、あなた自身は姿を消して──。それであとは引き受けるわ。どうせ、雷音大王はあなたが影法師として操るんだから、あなたが権力を持つことは変わりないわ。ただ、御影という小宰相は消えるだけで……」
「あたしの影法師を独角兕大王に殺させて、事を収めようということね」
御影は静かに言った。
「そ、そうよ……。あとは任せて──」
「それしかあなたには方法がないというのね。あなた自身は、重鎮を抑えることができないということなのね?」
「そ、そうよ」
美小淋はきっぱりと言った。
御影は嘆息してみせた。
そして、にっこりと頬に笑みを作った。
「承知したわ……。仕方ないわね。御影という小宰相は死ぬ──。それを受け入れるわ」
御影は言った。
美小淋がほっとした表情になった。
「み、御影、申し訳ないわね……。とにかく、反雷音軍の魔王軍団なんて、どうということはないわ。あれには対処できる……。でも、独角兕大王の傀儡兵だけはどうしようもないの。それに対抗できるのは、牛魔王だけだったでしょう。でも牛魔王は死んだ──。だから、独角兕大王に対抗できる勢力は、もう雷音院側にはないのよ」
「くどくど言わなくても大丈夫よ──。あたしだって、情勢を理解していないわけじゃないのよ──。じゃあ、今日のうちに影法師を残して、あたしは身を隠すわ。とりあえずの別れの酒よ──。乾杯しましょう」
御影は立ちあがって、棚から葡萄酒を取り出して、ふたつの杯に入れた。
そのうちのひとつを美小淋に差しだす。
「別れだなんて……。いつでも雷音大王の後宮で会えるでしょう? あそこにいるのはあなたなんだから──。ああ、そうだ──。いっそのこと、本体のあなたも、そこに身を隠したら──。あそこなら重鎮は入ってくれないわ。身を隠すにはもってこいの場所よ」
「そうね……。そうするわ……」
御影は美小淋の受け取った杯に合せるように、眼の高さに杯をあげた。
美小淋がそれに応じて、ぐいと葡萄酒を飲み干した。
御影はそれを冷静な目で見守った。
すぐに、美小淋が杯を落として苦しみだした
「はぐっ──」
そして、椅子から転げ落ちて、胸を掻きむしるような仕草をする。
御影は美小淋が道術で飲んだ毒を道術で癒そうとするのを逆に道術で制した。
それどころか、美小淋の身体に回っている毒をさらに強めてやった。
「……み……か……げ……」
床でのたうつ美小淋が断末魔の声をあげた。
「仕方ないでしょう──。あんた自身の力じゃ、重鎮を抑えられないというのであれば、あたし自身がやるまでよ」
御影は沙那たちのところにつけていた影法師を一度消滅させて、ここで美小淋の影法師を作った。
死にかけている美小淋がそれを目を丸くして見ている。
御影が操れる影法師は二体──。
ひとりは雷音大王として動いているから、もうひとりを美小淋として動かせば、もう影法師は作れない。
それで終わりだ。
すぐに、美小淋は完全な死体に変わった。
御影は美小淋が完全に死んだのを確かめてから、通信球で鳴智を呼んだ。
美小淋の屍体を片づけさせるためだ。
おそらく、それが鳴智の最後の仕事になるだろう。
御影は宝玄仙の提案を受け入れる決心をしていた。
もう時間がないのは確かのようだ。
独角兕大王を引きあげさせるには、宝玄仙に命令して独角兕大王に撤退を指示させるしかない気がする。
それが宝玄仙にできるなら、供を解放する道術契約を結んでいい。
いずれにしても、そのためには、宝玄仙に『服従の首輪』を受け入れさせるのは不可欠である。
四人の供と鳴智を手放すのは惜しいが、御影としては、宝玄仙さえ完全に奴隷にできるのであれば満足できる条件であるのは確かだ。
ただ、その前にひとつだけ確認しておかなければならないことがある。
かつて、お蘭が宝玄仙から道術石を作ろうとしてできあがったのは三個の道術石だ。
ひとつの道術石を作ろうとして生まれた三個の道術石……。
それは、宝玄仙と宝玉……。
そのほかに、もうひとりの宝玄仙がいるということにほかならないのではないだろうか……?
合理的に考えれば、どうしてもそういうことになる。
宝玄仙がなにを企んでいるか、嘘をつくことができない宝玉に確めてみる必要があるように思う。