沙那は、孫空女、朱姫、素蛾とともに、雷音院の後宮の一室に集められた。
相変わらず四人とも全裸であり、沙那と孫空女については、両腕は後手に拘束され、両脚には鎖のついた革の足輪を嵌められていた。
だが、拷問そのものは昨日からなくなっていた。
一応の治療も受けた。
ただ、なにがどうなっているかは、沙那にはわからない。
そして、この部屋に集められ、ここで待つように御影に言われたのだ。
しかも、御影が沙那と孫空女に刻もうとしていた服従の首輪も外された。
沙那たちは不安な気持ちで、ここでなにかが起きるのを待っていた。
そのとき、扉が開いた。
驚いた。
入ってきたのは、
しかも、鳴智は幼い女の子を抱いていた。
女の子は眠っていた。なんとなく、なにかの手段で眠らされている気配だ。
沙那が鳴智に口を開こうとすると、続いて扉が開いて、裸身に浴衣のようなものを身体にかけただけの宝玄仙が入ってきた。
手に首輪を数個持っている。
服従の首輪だ。
「ご、ご主人様」
「ご主人様──」
「ご主人様」
「ご主人様」
沙那たち四人はほぼ同時に、宝玄仙に呼びかけた。
宝玄仙は拘束はされていなかった。ただ非常に疲れてはいるように見えた。
「質問はなしだ──。沙那たち四人は前に出な」
宝玄仙は少し怒ったような顔をしていた。
そして、沙那たち四人を集めると首輪を嵌めようとした。
沙那は思わず後退りをして素蛾を見た。
素蛾には、御影の影法師を見抜けるという不思議な能力があるようだ。
この宝玄仙が、また御影の罠なのかどうかを確かめたかったのだ。
「……ご主人様だと思います……」
素蛾が言った。
「本当に?」
孫空女だ。
「はい」
素蛾はうなずいた。
その素蛾の表情には確信のようなものがあった。
素蛾には自信があるようだ。
「当たり前だよ。わたしだよ──。御影との話はついたんだ──。双方が納得して承知したのさ。わたしが拘束されていないのが確かな証拠だ。ただし、わたしたちの解放の条件には、お前たちがわたしの服従の首輪を受け入れるということが入っているんだ。御影じゃなくて、わたしの首輪だ──。それなら文句ないだろう──」
宝玄仙はやはり怒ったような顔だ。
沙那は首を傾げた。
だが、素蛾も間違いなく宝玄仙だと言っているし、とりあえず、黙って宝玄仙が沙那たち四人に首輪を装着するに任せた。
「で、でも、どういうように話し合いがついたのですか、ご主人様?」
沙那は訊ねた。
話はついたから服従の首輪を受け入れろと、いきなり言われても、簡単には承知できない。
「悪いがお前たちが首輪を受け入れる前には、なにも言えない。わたしを信用しろと言うしかないね」
宝玄仙はきっぱりと言った。
沙那は困ってしまった。
「……とにかく、首輪を受け入れると言いな」
宝玄仙がなおも言った。
しかし、さすがに沙那は躊躇した。
一度応じれば、それで終わりだ。
双方が合意に達したと単純に言われただけで承服できるものではない。
「ま、待ってください──。なんで首輪を受け入れるのです──。やっぱり理由を教えてください、ご主人様──」
沙那は声をあげた。
「……質問はなしだと言ったろう。それで話がついたんだよ。わたしがお前たちに首輪を嵌めて、御影にはもう関わるなと命じる。それで解放されるんだよ……。何度も言うけど、とにかく、わたしを信用しな──。詳しく言えない理由があるんだ。だが、これで万事うまくいく──。さあ、首輪を受け入れな──」
宝玄仙は言った。
「でも……」
沙那は迷った。
「わたしは偽者じゃないよ。本物だ──。そして、そのわたしが首輪を受け入れろと言っている。逆らうのかい、お前たち──? 受け入れれば、理由は説明するよ」
宝玄仙はなおも言った。
「わかった。受け入れるよ……」
孫空女だ。
あまりにもあっさりとした受け入れに沙那はびっくりした。
もうこれで、孫空女は首輪の縛りを受け入れた状態になってしまった。
「そ、孫女──?」
沙那は孫空女に視線を向けた。
「いや、これはご主人様だよ……。あたしも確信している。そして、ご主人様が首輪を受け入れろと命じるんなら、あたしは受け入れるよ……。それがなにかの罠でもね」
孫空女はきっぱりと言った。
「罠なんかであるものかい──」
宝玄仙が笑った。
「わ、わかりました……。あたしも受け入れます」
朱姫だ。
素蛾も応じた。
沙那は少し迷った末に、首輪の受け入れに応じた。
宝玄仙がほっとした顔になった。
「じゃあ、命令する。わたしが許可するまで誰も口を開くんじゃない──。じたばたもするな。命令だ。さっきも言ったけど、これが終われば、お前たちは解放される。そうしたら、もう御影とは関わるんじゃない。忘れるんだ──。それから、まず、孫空女──」
宝玄仙が孫空女に視線を向けた。
「わたしがいなくなったら、四人のまとめ役にはお前がなるんだ。四人で話し合って、今後どうするか決めな。このまま魔域に留まってもいいし、人間界のどこかの国に戻ってもいい──。お前には人をまとめる力がある。みんなでどうするかを話し合って、最終的にお前が決定するんだ。沙那はお前のいい補佐役になってくれるはずだ。いいね──。次に、朱姫──」
沙那は今度こそ当惑した。
宝玄仙は急になに言い出したのだ──?
孫空女がこれからは四人を導けと──?
宝玄仙自身はどうするつもりなのだ──?
問い質したいのだが、さっきの「命令」のために口を開けないでいる。
沙那は呆然と宝玄仙の言葉を聞くしかなかった。それはほかの三人も同じだ。
「……朱姫は少し羽目を外しすぎるところがあるからね。これからは気をつけな。だけど、お前がいて本当に旅は愉しいものだった。その天真爛漫さはお前の魅力だ。いつまでも、そのままでいい──。だけど、素蛾の身の振り方だけは考えてやるんだよ。お前の妹分なんだからね。お前の我が儘ではなく、素蛾の幸せについて真剣に悩んでやるんだ。いまは、まだいい──。でも将来はどうするかをね……。素蛾には両親が生きている。それを忘れちゃだめだ──。そして、素蛾……」
宝玄仙が今度は素蛾を見た。
「……わたしはかつて母親を捨てた。自分の意思でね……。そのときはそれが一番いいことだと思っていたけど、いまでは後悔している。お前の両親は生きている。ほかの三人にはもう親はいない。それがお前とほかの三人との違いだ。いずれは両親との関係の修復をする方法を探しておくれ。これはわたしからの願いだ……。そして、それについては、釘鈀に託してもいる。あの男はいい男だ。きっとお前を助けてくれる……。正直に言おう。わたしは、お前については、いずれ釘鈀を頼って母国にいる親と関係を戻すのが一番いいと思っている。完全に捨ててしまえば、もう親はいなくなる。そのときに後悔しても遅いからね……。最後に、沙那……」
宝玄仙が沙那を見た。
「……最初に愛陽の城郭で理不尽な手段でさらってきて悪かったと思っている。一度だけ謝っておくよ。だけど、この旅にはお前は絶対に必要だった。お前がいなければ、とっくの昔にわたしたちは野垂れ死んでいただろう。お前はわたしが持っていないものをすべて持っている。これからも、孫空女をはじめとして、みんなを助けてやっておくれ」
宝玄仙がにっこりと笑った。
その宝玄仙の眼からつっと涙がこぼれた。
沙那は、やっとさっきから宝玄仙が怒ったような表情をしていたのは、怒っていたのではなく、実は必死で涙を我慢していたのだとわかった。
一体全体、宝玄仙はなにを決断して、なにを御影と取引きをしたのだ──?
沙那は愕然とした。
まさかとは思うが、沙那たちの解放と引き換えに、御影に身を売った?
そんなことはありえないが、いまのはまるで別れの言葉のようではないか──。
「どういうことだい、宝玄仙──? 供には黙れと命令したようだけど、わたしには関係ないからね。いまの言葉がどういうことか教えてもらえるね──?」
鳴智が宝玄仙を睨んだ。
「鳴智、お前とは話したいこともあったし、きっちりと仕返しもしておきたいと思ったけど、全部、水に流してやるよ。こいつらを頼りな──。お前のことも、お前の娘についても、こいつらは身の振り方をちゃんと考えてくれるさ……。いや……。だが、考えればお前もわたしの犠牲者だね……。わたしと関わったばかりにつらい思いをさせたようだ……。お前にも謝っておくよ──。魔凛、お前は好きにしな──。もう自由だ」
宝玄仙は言った。
「ほ、宝玄仙……」
魔凜がびっくりした顔で呟いた。
「宝玄仙、どういうことだと訊ねているだろう──。お前、御影様となにを取り引きしたんだい──?」
鳴智が激昂したように叫んだ。
「……でかい声出すんじゃないよ、鳴智……。その娘が起きるじゃないかい。そんな幼い子に、これ以上、この世の醜いものを見せんじゃない……。ところで、その子の名は……?」
宝玄仙が静かに言った。
「と、
「桃宝子かい……。桃源の名を……。宝はもしかしてわたしから取ったかい? それとも偶然かい……?」
宝玄仙がにっこりと笑った。
「こ、この子も、お前のような強い人間になって欲しくて……」
鳴智が気押されしたように言った。
「わたしにあやかるなんて、馬鹿なことするもんだよ……。まあいい……。その桃宝子にこれからは加護がありますように……」
宝玄仙が天教の祈りの仕種をした。
鳴智は眼を見開いて、驚く表情になった。
そのとき、さらに扉が開いた。
部屋に入ってきたのは御影だ。
「準備はできたようね、宝玄ちゃん? こっちも終わったわ。お前が手に入る以上、出来損ないの偽者は不要だしね……。たったいま、処分が終わったところよ」
御影は言った。
そのとき、沙那は御影がさらに服従の首輪を手にしていることに気がついた。
「処分?」
「お宝のことよ……。まあ、お前には関係ないわ。それよりも、首を出しなさい、宝玄ちゃん」
御影が宝玄仙の首に向かって服従の首輪を伸ばした。
宝玄仙は抵抗しなかった。
それどころか、自ら髪をあげて、御影が首輪を嵌めやすいようにさえした。
御影の手によって、宝玄仙の首に服従の首輪が嵌められた。
沙那は呆気にとられた。
宝玄仙が沙那たち四人に視線を向けた。
「では、わたしの最後の命令だ。全員で別れの言葉を言いな。それが道術石の袋を開く合言葉になっているんだ──。さあ、さよならだ──。摩雲城に戻ったら、わたしにも御影にも、もう関わるんじゃない。全部、忘れるんだよ。命令だ」
宝玄仙が言った。
その眼からは、いまや、とめどなく涙がこぼれている。
やっぱり──。
沙那は激怒して声をあげようとした。
宝玄仙は自分の身と引き換えに沙那たちを解放することを御影と約束を交わしたのだ。
そんなことを絶対に許されない──。
宝玄仙が自分を犠牲にして、沙那たちを助けるなど……。
そんなことをされて堪るか──。
沙那は腹が煮え返った。
しかし、宝玄仙の「命令」が効いている。
言いたいことを喋ることができない。
怒りの言葉の代わりに、沙那の口は、別れの言葉を告げていた。
「さ、さようなら、ご主人様──」
「さようなら──」
「さ、さよなら……」
「さようなら」
沙那だけではなく、孫空女と朱姫と素蛾の口からも同じ言葉が放たれた。
「首輪を受け入れる」
宝玄仙が言った。
その瞬間、沙那は『移動術』で自分の身体がどこかに飛ばされるのを感じた。
*
「だ、騙したわね……」
御影は激怒していた。
やっと開いた道術石の袋は空だった。
宝玄仙が大笑いしている。
「わたしは嘘は言っていないよ。牛魔王から取りあげた道術石は、いつもの気紛れな癇癪で壊してしまったんだよ。だから、袋を開けてやるとしか言わなかったろう」
宝玄仙が笑い続けている。
御影は宝玄仙を睨んだ。
「その場で真っ直ぐに立つのよ、宝玄仙……。命令よ」
御影の言葉で宝玄仙は直立不動の姿勢になった。それでも、まだ肩を揺すって笑い続けている。
ますます、御影はむっとした。
まずは、宝玄仙の身体にかかっていた浴衣を剥がして素裸にした。
股間に嵌めさせていた貞操帯は、宝玄仙が首輪の受け入れの言葉を口にしたことで、『道術錠』が外れて床に落ちた。
御影は、次いで、取り寄せ具で鼻に取りつける鼻具を手の上に運んだ。
それを宝玄仙の鼻の中に器具を入れる。
ばねの力で宝玄仙の鼻の穴を拡張する鼻具だ。
それを両穴に入れられた宝玄仙の鼻の穴の大きさが普通の二倍以上に大きくなる。
さらに、それに繋がっている鎖を頭の上から通して、首輪の後ろに強く引っ張って繋げた。
「豚らしい顔になったわね。わたしの奴隷としてそうやって暮らしなさい──。こうなったら、お蘭の影法師を呼び出して、お前から道術石を作らせる……。そして、それをあたしの身体に入れることにするわ」
御影は決めた。
「む、無駄なことだね……。お、お蘭の影法師を作って、その知識で紐解くといいよ……。ひ、瀕死の魂から……道術石は……作れない。魂の欠片を……作るのは……健康な魂……じゃないと……ならないのさ……。ざ、残念だったね、御影」
宝玄仙がそう言うとともにがくりと膝を曲げた。
御影は驚いた。
宝玄仙には、首輪の力で直立不動を命じたのだ。
それにも関わらず、宝玄仙の膝が曲がったということは、宝玄仙の身体がそれをできなくなったということだ。
御影は嫌な予感がした。
「ほ、宝玄仙、お前にはあたしの言葉にすべて従うことを命じる。自殺を禁じる。あたしから逃げること、あたしを傷つけることも禁じる。それを目の当りにしたら全力で阻止することを命じる」
御影は早口で言った。
だが、膝をついた宝玄仙はそのままばたりと倒れてしまった。
「む、無駄だよ……」
宝玄仙がにやりと笑った。
その顔には怖ろしいほど真っ白だ。
毒か──?
御影は困惑した。
宝玄仙の身体で異変が起きている。
それだけはわかる。
宝玄仙は死のうとしている。
だが、なぜだ──?
「な、なにをしたの──。正直にいうことを命じる。お前は二度とあたしに嘘を言ってはならない──」
「……『道術錠』……呪術だよ……」
宝玄仙が弱々しい声で言った。
「道術錠──?」
そう言いながら、御影は懸命に『治療術』を宝玄仙の身体に注いでいた。
しかし、御影の道術では生命力を失おうとしている宝玄仙を戻すことができない。
「……わたしが、首輪の刻みを……受け入れる……ことを……条件として……。身体の生命力が……失われる道術を……自分にかけていた……。お、お前なんかの……道術じゃあ……、も、戻せ……ないよ……。わ、わたし……自身にもね……」
「な、なんですって──?」
御影は怒鳴った。
確かに、宝玄仙は生命力をそのものを消失しているという感じだ。
「宝玄仙、元に戻しなさい──。命令よ──」
御影は金切声をあげた。
「む、無駄だ……。わ、わたしの全力の道術を事前にかけたんだ……。も、戻せない……。ほ、宝玉にも無理だよ……。こ、これは……攻撃道術だ……。宝玉には……操れない……」
「ちっ、そうはさせないわよ──。折角、お前をあたしのものにしたのに──」
「わ、わたしは……だ、誰のものにも……ならない……。ましてや……お前なんかに……ね……。ざ、ざまあみろ……」
宝玄仙の瞼が閉じた。
その呼吸が怖ろしく静かなものになってきた。
「ほ、宝玉──宝玉、出てきなさい──。身体の回復を図りなさい──。命令よ──命令──」
御影はありったけの霊気を注ぎながら、一方で宝玉を呼び出した。
だが、宝玉が出現する気配はなかった。
宝玄仙の身体から完全に生命力が失われていくのがわかった。
明日の投稿は、予定を変更して、本章最終話の「817 死後の世界」、エピローグ及び付録を一度に3話投稿します。
それで、本作品は「完結」となります。
3話が1分ごとに投稿になりますので、よろしくお願いします。