「なにがあったの……?」
沙那は思わず呟いた。
目の前にある十人近くの男が全員屍体であるのは明らかだ。
そして、樹木から両手首を束ねて宙吊りにされていて、顔に黒い布を巻かれている女が宝玄仙であることも間違いないと思う。
宝玄仙は、苦しそうに呻きながら、しきりに腰を左右に振っている。
少しもじっとしていられないという感じであり、全身から噴き出ている汗が足の指から地面に滴って、水たまりも作っていた。
とりあえず、沙那は宝玄仙に寄っていった。
「さ、沙那かい? た、助かった。は、早く、助けておくれ──。ああ、よかった。と、とにかく、早く……」
布で顔を隠されているが、沙那の気配はわかったのか、宝玄仙が嬉しそうな声をあげた。
とりあえず、沙那は宝玄仙の両手を吊っている縄に向かって剣を一閃させた。
落ちてくる宝玄仙を素早く宙で掴んで、地面に降ろす。
一度剣を収めてから、まだ宝玄仙の手首を束ねている縄を解こうとした。
だが、そんなにきつく縛っているわけでもなさそうなのに、沙那には解けない。
沙那は当惑した。
「こ、これは『魔縄』の霊具だよ。道術で拘束しているから、道術でなければ解けない──。は、早く、顔に巻いている布を……。これが被さっているあいだは、わたしは道術が遣えないんだ。取り去ってくれれば、自分で魔縄は解ける」
地面におろした宝玄仙が布の下から必死の声を出した。
縄が解けない理由はわかったが、なぜ自分で布を取らないのだろうと疑問に思った。
手首は束ねられていても、顔から布を取り去るくらいはできるはずだ。
それなのに、宝玄仙は顔の布には手を伸ばそうとはせず、一生懸命に股間側から手を伸ばして、お尻を触ろうとしているようだ。
だが、前手縛りの宝玄仙には、お尻にまでは手が届かない。
だから、うつ伏せで股を開き、そのあいだに両手をぐいと入れて、高腰を激しく振るという愉快な恰好をしている。
そのとき、沙那は、さっきまで宝玄仙が吊られていた足元に、『
中身は空っぽだ。
どうやら、宝玄仙はそれをお尻に塗られてしまったようだ。
やったのは、孫空女……?
とにかく、沙那は、初めて見る宝玄仙の滑稽な姿に、くすりと笑ってしまった。
それにしても、孫空女はどこに行ってしまったのだろう……?
ここにはいないようだが……。
そして、沙那ははっとした。
さっきまで、腹立たしいくらいに股を責めていた
いつの間にか、まったく動かなくなっているのだ。
それどころか、触手の存在そのものが消えている感じだ。
試しに、おそるおそる布の上から股に触ってみた。
確かに触手がない……。
気持ち悪いくらいに股の部分はびしょびしょで、しかも、沙那の愛液でぬるぬるとしていたが、触手はなく、普通の下袴だ。
なんで──?
宝玄仙の霊気が消滅している?
沙那の頭にその言葉が浮かんだ。
だから、下袴の触手が沈黙しているのではないだろうか。
宝玄仙のような道士の遣う道術の力の源は霊気だ。
道術には縁のない沙那だが、それくらいの知識はある。
この下袴は宝玄仙の作った霊具の下袴なので、宝玄仙の霊気が刻まれていたはずだ。
しかし、その宝玄仙の霊気が封じられてしまったので、下袴も力を失った……。
そう考えれば、辻褄は合う。
だとすれば、宝玄仙の霊気を封じているのは、顔に巻かれた黒い布だろう。
さっきから、宝玄仙が顔の布を取りたがっているのは、見ていてわかる。
だが、宝玄仙には、手で触れることもできないようだ……。
「さ、沙那、なにやってんだよ──。早く、顔の布をお取りったら──。お、お尻が痒いんだよ。あ、あいつ、ありったけの随喜油を詰め込みやがって……。ひ、ひいいっ、か、掻けない……。さ、沙那、頼むよ。顔の布を──」
宝玄仙がうつ伏せの高尻姿で尻を振る恰好で、切羽詰まった口調で怒鳴った。
「やったのは、孫空女ですか? 彼女はどこに?」
「し、知らないよ──。いいから、話は後だ。は、早く、布を──。命令だったら──。顔の布を取るんだ」
宝玄仙が喚いた。
しかし、沙那は目を見開いてしまった。
あれだけ、この一箇月間、沙那を苦しめ、悩ませ続けた“命令”という言葉が、沙那に影響を及ぼさないのだ。
宝玄仙は、いま、確かに“命令”と口にした。
しかし、沙那の身体は、それに従って、宝玄仙の顔の布を取ろうとしていない……。
つまり、これは……。
沙那は、一度鞘に収めていた剣をすっと抜いた。
それを宝玄仙の首に伸ばす。
「な、なにしてんだよ、沙那……?」
異様な気配に気がついたのか、宝玄仙がぎょっとした声を出した。
さすがに、動きが静止している。
宝玄仙の身体を襲った恐怖心が、沙那にも伝わって来た。
「わたしは、その痒み剤を塗られて、一晩中放置されましたよ……。話が終わるくらいまで、我慢したらどうなんです、ご主人様」
沙那は静かに言った。
その口調が余計に宝玄仙を怯えさせたのか、宝玄仙の身体がぶるりと震えた。
「さ、沙那?」
宝玄仙の困惑した声がした。
「答えてください。孫空女はどこです?」
「だ、だから、知らないよ。逃げていったんだ」
やはり、そうだと思った。
だが、孫空女は、宝玄仙の霊気を封じる布など、どうやって手に入れたんだろう……?
「その黒い布を巻いたのは、孫空女ですか?」
「そ、そんなわけあるものかい……。こ、これは、わたしの昔馴染みの
宝玄仙はみっともなく尻を振り続けている。
両手は狂ったように動いて、なんとかお尻の穴に届かせようとしていた。
苦しそうな宝玄仙の姿に、沙那はちょっとだけ、これまでの溜飲が下がる気がした。
「だったら、さっさと説明することですね。その布はなんなんです?」
「み、御影の霊具だよ──。『霊気封じの布』……。しかも、これは、わたしの霊気だけを封じるように、細工がしてあるんだ。それを孫空女を抱いている最中に顔に被せられたんだよ……。た、頼むよ。もう、いいだろう──。そいつのことは、孫空女が退治したんだけど、あいつ、わたしに随喜油を塗って置き去りにして逃げていったんだ。あ、ああっ」
宝玄仙が苦しそうな声をあげた。
沙那は無視して、改めて男たちの死骸を見た。
剣で斬られた者もいるし、首の骨を砕かれている者もいる。
いずれにしても、すべてひと太刀か、一度殴っただけのようだ。
すごい腕だ。
「この中にその御影という男がいるのですか?」
沙那は言った。
だが、並んでいる死骸は、どれも山賊風であり、道士という雰囲気のものはない。
「み、御影はいない……。襲ったのは、あいつの影法師でね……。ぶ、分身なんだ……。死ねば、本体と繋がる霊気が消滅して、姿が消える……。ね、ねえ、沙那、いい加減に──」
跪いたままにじり寄って来た宝玄仙に、沙那は剣先で、ちょんと喉を突いてやった。
「ひいっ、い、痛いよ──。あ、危ないだろう」
布のおかげで視界を失っている宝玄仙が怒ったように叫んだ。
沙那はせせら笑ってやった。
「危ないのはご主人様ですよ。わたしは、ご主人様に喉に剣を向けています。わたしが腕を動かせば、あなたは、一瞬で死にますからね」
すると、宝玄仙がぎょっとしたように身体を竦めた。
「ま、まさか、本当に、わたしを殺すつもりじゃないだろうねえ……」
宝玄仙がごくりと唾を飲んだ。
その一方で、お尻だけは、切なそうに左右に振られているのが愉快だ。
「いま、考えているところです……」
沙那は言った。
すると、宝玄仙の身体が束のあいだ静止する。
「こ、殺す……?」
宝玄仙は信じられないという口調だ。
だが、なぜ、この状況で沙那が宝玄仙を殺さないと考えるのだろう……?
その思考の方が、沙那には信じられない。
すると、宝玄仙が大きく嘆息した。
「……まあ、確かに、お前に殺されても仕方ないか……。殺したいという気持ちはわかるね……。だ、だけど、わたしは、この一箇月愉しかった……。久しぶりに、い、生きているという感覚を味わった……。本当に久しぶりにね……。もっと旅を続けたかったけど……、まあ、いいか……。お前になら、殺されてやるか……」
宝玄仙が不意にすべてを諦めたような物言いをした。
くそう……。
なんだ、その観念したような物言いは……。
狡いよ……。
沙那は、大きく息を吐くた。
そして、残りの生涯をずっと後悔して過ごすだろうと思う行為をした。
手を伸ばして黒い布を宝玄仙の顔から取り去ったのだ。
波だと汗と鼻水でぐしゃぐしゃの宝玄仙の引きつったような顔がそこから現われた。
「た、助かったよ――」
宝玄仙が奇声をあげた。
次の瞬間、宝玄仙の手首の縄が外れて、地面に落ちる。
そして、一瞬だけ、宝玄仙の身体が震えた気がした。
すると、あれだけ身体に噴き出していた脂汗がなくなった。
身体の震えも止まり、腿に付いていた傷にようなものも消滅している。
道術だ。
沙那は思った。
どうやら、痒み剤の効果も身体の影響も、すべて道術で癒してしまったようだ。
相変わらず、すごい。
「は、はああっ、く、苦しかった……。と、とにかく、礼を言うよ、沙那」
宝玄仙が白い歯を見せた。
沙那はむっとした。
この顔だ──。
絶対に許せないと思ってるのに、この無邪気そうな表情にだけは、なぜかかなわないという気にさせる。
まるで、子供のような笑顔であり、こんな顔のできる相手を殺すことはできないという思いに襲われてしまった。
沙那は嘆息した。
「とにかく、命拾いしたね、沙那……。お互いにね」
宝玄仙が意味ありげに言った。
「お互い?」
沙那は首を傾げた。
「その首輪だよ」
宝玄仙が沙那の首にある『服従の首輪』を指さした。
首輪がどうしたというのだろう……?
「霊具とはなにか、ということを教えてやるよ、沙那」
宝玄仙は全裸だったが、地面に放り捨ててあった法師の装束を身に着け始めた。
宝玄仙の身体は、完全な女の身体だ。
沙那を抱くときにはふたなりの姿だが、これがやっぱりこっちが宝玄仙の本当の姿なのだろう。
それにしても、女の沙那から見ても、溜息が出るほどに美しい身体だ。
ただ、股間には一本の恥毛もない。
宝玄仙は、股間に毛がないのが、性奴隷に相応しい格好だといつも言うので、自分も剃っているということが、不思議に違和感がある。
装束をつけ終わった宝玄仙が、座り込んでいた沙那の前に胡坐をかいた。
「……道術の源が霊気ということは知っているね、沙那?」
「は、はい……」
霊気とは、自然に満ち溢れているすべての生の源である──。
それは、沙那もこの世の真理として承知している。
しかし、大抵の人間は、その霊気を自由に宿すことはできず、それを感じることはできない。
ただ、ごくまれに、生まれながらにして、霊気の存在を認識できて、それを集めたり、逆に発散したりできる者が出現することがある。
それが道士であり、その技を道術という。
この帝国では、道士、すなわち、道術師は、天教の幹部になることができるので、道術を遣える者は、天教教団に入ることが多い。
天教教団に仕える道士を特別に「法師」と呼ぶ。
この宝玄仙は、その中で最高位の地位の八仙のひとりであり、しかも、道術を極めた者という意味の「三蔵法師」という異称も持っている。
「……だが、普通の人間の身体には、霊気を抽入して道術を及ぼすということできない……。そのままではね……。霊気を宿さない人間には、そもそも、霊気の出入り口がないからだ。だから、普通の人間に霊気を吹き込むには、まずは、その入り口を作ってやる必要がある。お前たちの身体に刻んだ『内丹印』というのがそれだ……。道術というのは、言い換えれば、霊気を集めて、術をかける対象にその霊気を移動させるという技術なのさ」
宝玄仙は言った。
沙那は頷いた。
「……人間に内丹印を刻むように、物に霊気を吹き込んだのが『霊具』だ。霊具には、術師が力を失うと効果が消えるものと、術師が霊気を与えなくても、自力で霊気を取り込み続けて、効果を持続するものの二種類ある。だが、原理は同じさ。霊気を失えば、霊具はただの“物”に戻る……。お前の触手下袴も効果がなくなっているだろう? わたしの霊気が一時的に消滅してしまったからね……。しばらくは、わたしが流し込み続けていた霊気で動き続けたかもしれないけど、いまは霊気はない。だから、とまったんだ」
「で、でも、随分と離れていましたよ。ここから村までは遠いです。ご主人様の霊気は、そんなに離れた場所まで効果を与え続けるのですか?」
沙那は疑念に思った。
この下袴に、宝玄仙の霊気が注がれ続けていて、それで触手が動き続けていたとすれば、随分と遠くまで宝玄仙は、霊気を送り続けていたことになる。そんなことができるのだろうか……?
すると、宝玄仙はからからと笑った。
「どの程度まで霊気を及ぼせるかということは、術師の能力によるさ。このわたしの道術は天下一だからね。麓の村までの距離なら、霊具を通じて、お前のことだって感じることさえできる。お前が帰り道で泣きべそをかいていたのも、ずっと感じていたよ」
宝玄仙が笑い続けた。
沙那は驚くとともに、改めて宝玄仙という道士の凄さを悟った。
「これがなにかわかるかい、沙那?」
宝玄仙は懐から小さな指輪のような輪を取り出した。
沙那は首を横に振った。
「……これは服従の首輪のもとさ。わたしは、この指輪に一年以上の歳月をかけて、霊気を吹き込んで術を刻んだんだ。その結果、指輪は大きくなって、人の首に嵌まるくらいにまでなった……。だけど、元はと言えば、これが本当の大きささ。だから、もしも、わたしが死んで、首輪から霊気が完全になくなったら、首輪は元の指輪の大きさに戻る……。お前の首に嵌まったままでね……。それがどういうことはわかるだろう?」
宝玄仙がにやりと笑った。
「そ、そんな──。だ、だったら、わたしの首は引き千切れて死んでしまうじゃないですか──」
沙那は叫んだ。
宝玄仙が大笑いした。
「だから、お互いに命拾いをしたと言ったのさ。お前がわたしを殺せば、しばらくすれば、首輪が縮んで、お前も死んだということだよ」
宝玄仙が笑いながら言った。
沙那は呆気にとられた。
「ご、ご主人様は、なぜ、それを先に言わなかったのです?」
沙那は言った。
宝玄仙が、もしも沙那が宝玄仙を殺せば、道連れにしようとしていたことはわかった。
それはいいのだが、解せないのは、なぜ、それを口にしなかったのかということだ。
もしも、宝玄仙がそれを言えば、沙那はもっと早く、宝玄仙を殺さない決断をしただろう。
「……お前に殺されるのも……それもいいかと思ったからね……」
宝玄仙が静かに言った。
時折見せる、厭世的な表情がそこにあった。
沙那は眉をひそめた。
「まあいい……。それよりも、孫空女だ──。あいつ、逃げていったけど、どうも気になることがあるんだ。御影の奴……実際には、影法師の黒女だけどね……。その黒女が死ぬ直前に、孫空女に道術をしかけたような感覚がしたのさ……。気味の悪い霊気が流れるのを感じてね……。とにかく、早く見つけないと……。なにもなければいいけど……」
宝玄仙が急に真顔になって言った。
「気味の悪い霊気ですか?」
沙那は驚いたが、一方で、この五行山は孫空女の庭のようなものだという孫空女自身の言葉を思い出した。
とても、見つかるとは思えない。
「じゃあ、孫空女を捕まえに行くよ……とにかく、手伝ってもらうよ、沙那」
すると、宝玄仙がやけに明るい声で意味ありげに笑った。
「手伝ってって……。でも、どうやって?」
しかし、沙那は当惑してしまっていた。
この五行山は、孫空女の庭のような場所だ。
孫空女は、誰にも見つけられないような隠れ処があると言っていたし、そこに身を隠されてしまえば、捕まえることができるとも思えない。
だが、はっとした。
宝玄仙は、さっき、沙那の淫具を通して、沙那のことを感じていたと口走っていた。もしかしたら、宝玄仙は、孫空女に装着している霊具を通じて、孫空女の位置がわかるのだろうか……?
確か、孫空女は、宝玄仙の霊具である
ならば……。
すると、宝玄仙がにやりと微笑んだ。
「……なにか悟ったような顔をしているね……。まあ、お前の想像は多分、当たっていると思うよ……。わたしには周囲一帯の霊気の流れが見える……。いまでもね。地から……樹から……あらゆるものから霊気が噴き出しり、吸い込んだりしているよ。お前自身からもね」
「わ、わたしからもですか? わたしは道術師ではありませんよ」
沙那は、宝玄仙のような道術師ではない。
霊気など無縁だと思っていたのだ。
「道術師かどうかは関係ないさ。この世に生のある存在は、大なり小なり霊気を宿しているし、外からそれを取り込んでいる。道士とそうでない者の違いは、それを感じて、意図的に動かすことができるかどうかと、身体に溜めることのできる霊気の容積の違いさ」
「はあ……」
沙那は空返事をしてしまった。
道術に関する講釈をする宝玄仙が、いつもの宝玄仙とまるで違っていたので、少し気後れしてしまったのだ。
そういえば、愛陽の城郭で法事を受け持っていたときの宝玄仙も、この一箇月間に沙那を相手に淫情を振るう宝玄仙とは別人のように清楚そうだったし、高い地位の法師としての威厳に満ちていた。
こんな変態巫女でも、やはり八仙であり、三蔵法師と異称を得るくらいの優秀な法師なのだから、当然といえば当然なのだろうが……。
だが、実際のところ、愛陽を出て以来、宝玄仙はただの一度も天教の寺院には立ち寄らなかったので、真面目な一面の宝玄仙を見るのは久しぶりだ。
そういえば、宝玄仙はこの道中で、不自然なほどに天教教団の施設に立ち寄るのを嫌うと思う。
沙那が指示されたのも、まるで大きな教団施設を避けるような裏街道沿いの経路だ。
そうでなければ、こんな五行山のような物騒な界隈を通過せずに、帝国の西に出る国境に向かうことができたのだ。
「……いずれにしても、お前にも、孫空女にも、わたしが内丹印を刻んでやっただろう。内丹印は人工的に作った霊気の出入り口だ。しかも、わたしの霊気を取り込むように作った印だからね。あいつに向かって、強い霊気を流してやれば、その流れを追って、あいつに辿り着ける……。どうせ、今頃は、身動きできなくなって、その辺で転がっているだろうけどね」
宝玄仙が笑った。
沙那は訝しんだ。
「転がっているとはどういうことです?」
「あいつが手首と足首に装着している緊箍具があるだろう。実は、あれには、事前に細工をしてあったのさ。わたしから離れれば、自動的に霊気が消滅して、元の形に戻るようにね……。今頃は、あの緊箍具の霊気は完全に抜けて、元の形に戻っている……。元の形というのは、実は繋がり合った四個の輪なのさ。わたしは、それに霊気を込めて、四個の腕輪と足環にしたんだからね……。お前のその首輪と同じさ」
宝玄仙が手を伸ばして、沙那の首に嵌まっている銀色の首輪を指で弾いた。
「あっ」
沙那は声をあげた。
そうであれば、孫空女の手首と足首に嵌められた緊箍具は、宝玄仙の与える霊気を失い、密着した四個の輪になるということだ。
つまり、孫空女は、手足をぴったりと密着されて動けなくなっているに違いない。
「お前らが、いくらわたしから逃げようと思っても無駄なことさ。逃げたと思っても、所詮は、この宝玄仙の掌の中で踊っているようなものさ。諦めるんだね」
宝玄仙がからからと笑った。
沙那は嘆息した。
もう、諦めている……。
それが自分自身の命を救うことになるとは知らなかったこととはいえ、沙那は宝玄仙を殺すことのできる千載一遇の機会を捨てて、宝玄仙を自由にした。
そのときに、もう、沙那は腹を括った。
「とにかく、もう少し、お前には頑張ってもらうよ。荷を担いで支度しな」
宝玄仙がその場で立ちあがった。
沙那も慌てて、腰をあげる。
なにか嫌な予感がした。
とにかく、身支度をする。
着替える暇がなかったから、淫具の下袴はそのままだ。上半身を包んでいた布は、乳房を隠して巻きつけ、腰の括れのところでしっかりと結び直した。
臍が丸見えの恰好だが、大きな荷を持てば、結ばなければ、はだけてしまう。それよりはましだ。
「じゃあ、お前から孫空女に向かう霊気の強い流れを作るよ。いいね」
支度を終えて宝玄仙のところにやってくると、宝玄仙が言った。
すぐに、宝玄仙は沙那に、なにかの道術をかける気配を示した。
沙那は、慌てて口を開いた。
「ま、待ってください。な、なにをされるのですか。それだけ教えてください」
この宝玄仙のことだから、悪ふざけと悪意に満ち満ちた行為をしようとしているような気がした。
逃げることなど不可能とはいえ、せめて覚悟だけは先にしたい。
「だから、お前から孫空女に向かう霊気の流れを作るんだよ。実のところ、お前と孫空女には、まったく同じ内丹印の紋様を刻んだからね。同じ紋様の場合は、お互いの快楽が共鳴してしまうのさ。お前の快楽がまったく同じように孫空女に伝わり、孫空女の感じるものが、お前にも伝わる。それが快楽の共鳴だ。安心しな。共鳴するのは快楽だけだから……。それにしても、不思議なことなんだが、なぜか、昔から、快楽と霊気は相性がいいのさ。もしかしたら、霊気の極めて濃い状態のものが、快楽で発散される淫気なのかもしれないね。お前はどう思う?」
「し、知りませんよ」
沙那はそう応じた。
なにがおかしいのか、また宝玄仙が声をあげて笑った。
「じゃあ、いくよ」
宝玄仙が荷を担いでいる沙那の腰を軽くぽんと叩いた。
その途端、ずっと鎮まっていた下袴の触手が再び動き始めた。
「あっ、いやあっ」
沙那は腰が砕けてしまって、その場に膝を落としかける。
「命令だ──。座るんじゃない。快楽の大きくなる方向に歩き続けるんだ。何度絶頂しても構わない。ただ、足だけは動かし続けるんだよ」
宝玄仙がすかさず言った。
すると、沙那の意思から切り離された沙那の足が、勝手に進み始める。
そして、手加減のない触手は、容赦なく沙那の局部やお尻を責め続けた。村への往復のときには、感じすぎるためか、あまり責めてこなかった陰核にも、二本三本、四本と小さな触手が刺激を与えてきた。
沙那は、早くも達しそうになってしまった。
「あ、ああっ、ご、ご主人様……。い、いきそうです……。あ、ああっ」
沙那は歩きながら身体を弓なりにして震わせた。
それでも、足は動いている。
歩いている方向が、宝玄仙の言う“快楽の大きくなる方向”なのか、どうかは知らないが、確かに沙那の脚は、どこかに向かおうとはしているようだ。
ただ、ずっと寸止めをされてきた影響もあり、あまりにも感じすぎてしまっている沙那には、そんな自覚はない。
「いくらでも達しな。寸止めは解除しているからね……。お前と孫空女の距離が縮まれば、お前の快楽が孫空女に共鳴で伝わり、それがまた共鳴で跳ね返って、お前の快楽が増幅される。だから、快楽が大きくなる方向に進めば、自動的に孫空女のところに辿り着くということだ。人間探知機というわけだね」
宝玄仙が、後ろからついてきながら笑った。
だが、もう沙那には、その言葉の意味の半分も理解できない。
快感が大きすぎて、まともな思考ができないのだ。
沙那は大きな声をあげて、絶頂してしまった。
「もうちょっと感度をあげてみるかい……。ただし、気絶するんじゃないよ。気を失うと共鳴も止まってしまうからね。命令だよ」
命令で気絶しないということができるかどうか知らないが、宝玄仙の言葉が終わると同時に、全身の血が沸騰したみたいに身体が熱くなった。
身体の感度をあげられたのだろう。
「んあああっ、いふうううっ、いやあああっ」
あっという間に二度目の絶頂をした。
沙那は呼吸するのも苦しくなり、倒れかけた。
しかし、それはできない……。
宝玄仙の命令が沙那の身体に影響を及ぼしている。
沙那の脚は、ひたすらにどこに向かって歩き続ける。
なにも考えられないのに、足だけはどこかに進んでいる。
そして、触手に責めで、すぐに三度目の絶頂に襲われた。
気持ちいい……。
心にあったのは、ただそれだけだった……。
*
「な、なんてこった……」
孫空女は歯噛みした。
宝玄仙を置き去りにして、洞窟の隠れ家に近づいたときだった。
不意に、手首と足首の緊箍具が密着して、四肢が完全に束ねられた状態になってしまったのだ。
草の上に倒れ込むかたちになった孫空女は、力の限り輪を引き離そうとした。
だが、緊箍具の輪は、密着しているというよりは、もともとそんな形であったかのように、継ぎ目のないひとつの金属に変化していた。
いくらなんでも、それでは孫空女の力でも外すことなど不可能だ。
宝玄仙の道術だと確信したが、こうなったらどうしようもない。
「だ、誰か、誰か──」
仕方なく、孫空女は叫んでみた。
だが、この一帯は、ほかの誰かが近づくことそのものができないように、入り口が行き止まりに見えるように偽装している小道を通り抜けてやって来た場所だ。
孫空女がなにかのために準備しておいていたものだが、こんなところには、おそらく誰もやって来ないだろう。
孫空女が巧みに準備した隠し場所だが、それが仇になった感じだ。
もしも、このまま誰にも見つけられなかったら、孫空女は、このまま飢えて死ぬしかない。
「うっ……」
孫空女は呻いた。
今度は、また、あれがやって来たのだ……。
よくわからないが、身体の手足から先が徐々に毀れていくような不思議な感覚だ。
それがさっきから繰り返し襲っている。
それは、最初はちょっとした違和感程度のものだったのに、時間が経つにつれて、はっきりとした苦痛に変化してきていた。
これはなんなのだろう……?
孫空女は身動きのできなくなった身体で、途方に暮れてしまった。
この身体の苦痛もまた、拘束された四肢とともに、孫空女を絶望に追い詰めているものだ。
「う、うわっ、な、なに?」
そのとき、孫空女はぎょっとした。
しかも、それがだんだんと胴体に向かってせりあがってきている感じだ。
「な、なんだよ、これ?」
孫空女は声をあげていた。
そして、身体が苦しみそのものに覆われてきた。
身体が重い……。
気がつくと、全身が水に入っていたかのように濡れている。
汗のようだ。
喉が渇いて、水を飲みたいと思ったが、舌が上顎に貼りついたようになり動かない。
「う、うう……」
孫空女は呻き声をあげた。
苦しいのだ。
懸命に身じろぎしようとしたが、それによって身体のどこかが毀れたような気がした。
孫空女は大きく息を吸った。
「う、うう……、だ、誰か……た、助けて……」
苦しい……。
今度の呻き声は、それが自分の声だとは信じられないほどに弱いものだった。
だが、その刹那、不思議な違和感が股間を襲い始めてきた。
痒みのような疼きだ。
しかも、すぐに、大きな快感に変化した。
身体は苦しいのに、それとはまったく別に淫情が襲ってきた。
孫空女は混乱した。
「はあ、ああ、ああ」
しかも、だんだんと孫空女の女陰に深く染み込んでくる。なにもしていないのに、次々に肉芽や肉孔から快楽が沸き起こってきた。
一方で、吐き気をもよおすような苦痛は、次第に孫空女を飲み込みかけていた。
苦痛と快楽……。
気持ちいい……。
だが、苦しくもある。
孫空女の中で苦痛と快感が攻めぎあっている感じだった。
だが、だんだんと強くなる快感が、束の間、苦痛を塞き止めているという感覚でもあった。
それにしても、なんで?
まったく触れてもいない股間から沸き起こるこの衝撃はなんなのだろうか。
とにかく、その暴力的な快感が全身を包み込み、愉悦の本流が身体中に駆け巡る。
そして、この苦しさ……。
まるで、少しずつ死んでいくような……。
「くわああっ、な、なにっ? ふあああっ」
突然だった。
不意に孫空女は絶頂していた。
孫空女はわけもわからず、四肢をひとつにまとめたまま、弓なりにした。
そして、またすぐに次の波が沸き起こってくる。
しかも、今度はもっと強くなる。
「ひ、ひいっ、だ、誰か……」
誰もいないはずの宙に向かって叫んだ。
その声は、自分でも驚くほどに頼りない。
「あはあっ」
その時、すぐそばから誰かの嬌声が聞こえてきた。
その嬌声は孫空女から湧きだした声と重なり、次第に大きくなった。
その人の気配がすぐそこまで来た。
孫空女が虚ろな顔をあげると、眼の前に顔をぐしょぐしょにして淫らに呆けている沙那がそこにいる。
「見つけたよ、孫空女……。わたしから逃げようと思っても無駄さ。お前はしっかりと、わたしの手に捕らえられたままさ」
沙那の後ろから宝玄仙が現れ、愉しそうに微笑んだ。
だが、瞬時に、その顔が一変する。
「……お、お前、その手足は『死の呪い』──? やっぱり、黒女が消える寸前に、道術をかけられてたんだね。しかも、よりにもよって、死毒を刻まれるなんて」
なぜか、宝玄仙が絶望的な声をあげた。
【西遊記:1~5回】
天の神と地の神が交わったことにより、石から生まれた石猿は、やがて仙術を会得して、「孫悟空」の名乗りを得ます。
やがて、神々をも凌ぐその強大な神通力を背景に、孫悟空は天界において、斉天大聖の官職を得ますが、実はそれが実体のない閑職であることがわかり、怒った孫悟空は、天軍を相手に大暴れをします。
一度は、天軍に捕らわれた孫悟空でしたが、玉帝をもってしても、孫悟空には罰を与えることができません。
やがて、玉帝の牢からも逃げ出した孫悟空は、逃避行の途中で釈迦如来と出逢い、「如来の手から逃げられるか」という賭けをします。
その賭けに破れた孫悟空は、五行山という山に封印をされて、閉じ込められます。