その女勇者(魔王)、勇者に溺愛されています。 作:白千ロク(玄川ロク)
「俺は逃げたわけじゃないぞ」
「逃げた。奥の部屋に逃げましたー」
夕食時に食堂に赴いたふたりは、隣り合わせでポークカツを口に運ぶ。「落ち着こうとしただけで、逃げてはいない」と拗ねるように顔を背けたレガルドに、キーエルは面白そうに口端を緩ませながら「解った解った。解りましたー」と話を切り上げ、ライスを咀嚼し始めた。
「熱い」やら「うまい」やら「おいしい」やら紡ぎながらフォークが進むキーエルにレガルドの口元は緩みっぱなしであり、喜ばせようとして皿に一切れのポークカツを置いてやる。ともすれば輝く顔が上げられ、「これ……」と動きが止まった。
「くれるのか?」
その問いに「ああ」と頷くレガルドにはにかみながら「ありがとう」と返したキーエルはさっそくフォークをぶっ刺す。もくもく食べながらレガルドを盗み見れば、ぶわりと頬が赤く染まっていく。
思い出してしまったのだ。その前まではずっと抱きしめられ、いつの間にか眠ってしまっていたことを。あんな甘い雰囲気には慣れていないので、戸惑うしかない。
頭の先からも熱くなり、体温が一気に上がったような気がした。掌も湿り気を帯び、握る銀のフォークの冷たさが際立つ。
逞しい腕の中で起きたときには驚いたが、悲鳴をあげる前に『おはよう』と額に口づけられれば固まるしかないだろう。『お、はよう……ございます』と素直に返したあと、ことの顛末が蘇ってきた。
泣き疲れてしまったのだろうが、まさか治療に感じてしまうとは思わない。湧いた羞恥にレガルドの顔がうまく見られなくなり、両手で顔を覆ってしまう。なにを話せばいいのか解らない。だからか、『あー』とか『うー』とかそんな単語しか出てこなかった。
『キーエル』
頭を撫でられ、なにをする気なのかと掌を少し下げた瞬間、ふたたび額に唇が落ちてくる。『可愛いな』と髪を梳く手を払い、『可愛くない』と唇を尖らせたのは言うまでもないが、レガルドはからかうように笑うだけだ。とたん、夕食時を告げるベルが鳴り響き、『行くぞ』と躯を起こされる。
『ひ、ひとりで行けよ』
『断る』
恥ずかしいから一緒にいたくないのに、レガルドは腕を握ったままだ。『恥ずかしいから』とか『この気持ちが解らないのか』とか吐き出すが、『知らん』と一蹴されてしまった。瞬間、腹の音が鳴り響いてしまい、キーエルは『うぅ……』と恨めしそうに唇を噛みしめ、俯いてしまう。相変わらず恥ずかしいくらいに音が大きかったのだ。もう少し控え目にしてもらいたいものである。
『いまさら恥ずかしがることなんてないだろ』
『いまさら』と言われて思い出したが、キスシーンを見られている。しかも大勢に。それでもやはり、恥ずかしいものは恥ずかしい。どうにもならないほどに。
そろそろと赤い顔を上げれば、レガルドは『そうだな』となにやら呟いた。
『来ないと言うのなら、飯は抜きだ』
『それは嫌ですごめんなさいいますぐ行きますぅ!』
レガルドが放った一言がキーエルを動かす。羞恥と空腹を天秤にかけた場合、空腹のが重かった。腹が減ってはなにもできやしないのだ。
素早く寝台から降りたキーエルは足早にドアまで歩み、『早く』『早く』と手招いていた。髪が乱れているのも構うことなく。
面白いなと思いながら布団を直し、『こら』と
『そんなに慌てなくても、飯は逃げないからな。それと、行く前にやることがある』
『なんだよ、それは』
来い来いと招き寄せるレガルドになんなんだと近づけば、髪にヘアブラシが添えられた。その毛先が髪を撫でていく。
『直さないと恥だぞ』
『別に直さなくてもいいだろ。オレがいいんだから』
『だいたい、髪なんかすぐにボサボサになるんだからな。直すのなんかめんどくせぇし』とぶつぶつ紡ぐその唇を一度塞いで黙らせる。艶めくこの髪を入れて、キーエルが完成するのだ。頭の先から足の先まで、なにが欠けてもいけない。
これくらいでいいかとヘアブラシを戻し、最後は手櫛で軽く整えた。ついでにと撫でれば、頭ひとつ分以上低い位置にある顔が上げられる。――『勇者』と。
『なんだ?』
唇を尖らせながらも大人しく受け入れていたキーエルだが、途中からむず痒くなり暴れたくなったがやめていた。レガルドの顔が近すぎたのと、その頬が仄かに赤かったので内心どぎまぎしてしまったのだ。
『……一応、ありがとうと言っとく』
ふんと顔を逸らしたキーエルは『早く』とぶっきらぼうに吐き捨てた。
『ああ』
レガルドが手を握りしめればぐっと眉を寄せたが、キーエルはなにも言わない。いや、言えなかった。逸らしたままの顔が耳まで熱くなったから。これではなにを言っても負ける。
くつくつ笑うレガルドに『勇者のバカ!』と声をあげれば、『悪い悪い』と頭を撫でられた。
『行くぞ』
絶対に悪いとは思っていないだろう。なにせまたくすりと笑ったのだ。それならばと、仕返しのように顔を逸らして並んで歩く。なにか話を振られても、キーエルは無視を押し通した。
呆れたレガルドが『キーエル』と腕を引くが、澄まし顔だ。『勇者が悪いんだからな』と低い声で放てば『そうか』と立ち止まった。
『お前がそういう態度なら、俺にも考えがある』
『え、あ……っ』
壁に押しつけられ顔が青ざめるが、『なにもかもが遅いな』と唇が重なる。『この先はどうなるか、解るな?』と半ば脅しながら耳朶を撫でるレガルドに、キーエルの顔がさらに青くなっていく。
『ごっ! ごめんにゃしゃいぃー! オレが……、悪うございました! だからっ……、あぅ……んぅう……っ、やだぁ……っ』
ふぅと耳に息を吹き込まれ、躯の力が抜けてしまった。と同時に唇を塞がれ、舌が絡んでくる。
『ふ、ぁっ……、ゆ、しゃっ……、だ、めっ』
『ダメ』と絞り出せば、言うままに唇が離れていく。ほっと胸を撫で下ろせば、目尻に浮かぶ涙を舐め取り、瞼に口づけてきた。
『これに懲りたら、あれこれ
『ふぁいぃ……』
こくこくと必死に頷けば、袖口で口端を拭われる。『いい子だ』と担ぎ上げ、食堂へと歩を進めていく。躯の力が入らないキーエルはレガルドの首に腕を回して躯を密着させていた。心音が早いのはキスのせいにして、気にしないことにする。
『……勇者』
『どうした?』
『晩飯はなにが食えるんだ?』
『今日か? 今日はな――』
キーエルの腹の音を聞きながら、レガルドは口端を緩めていた。
◆◆◆
食堂のカウンターに貼り出されたメニューには、『揚げ物』が並んでいる。きちんと見れば、カウンターも厨房も広い。見渡したテーブルには、確かにポークカツやチキンカツ、メンチカツやハムカツ、唐揚げやフライなど黄金色をした揚げ物が広がっていた。
出入口で下ろされたキーエルが香ばしい匂いに釣られるように列に並んだのは必然だ。手を引かれるレガルドの顔は完全に緩んでいるが、悟られないようにすぐに引き締めた。肩越しに振り返るキーエルの顔も綻んでおり、もしもしっぽがあるのならはち切れんばかりに振っていることだろう。
『勇者はなに食う?』
『キーエルと同じものだな』
『えっ!? 他にもいっぱいあるぞ……?』
『考えるのが面倒だからだ』
『なんだそれ』
呆れ返ったキーエルは顔を戻していまかいまかと順番を待つ。列が進みようやく順番が回ってこれば、『ポークカツ!』と元気よく声をあげた。カウンターに立つ男は『はいはーい』とくすりと笑いながらレガルドに視線を遣る。
『団長はどうします?』
『俺も同じものを頼む』
『解りました』
『ポークふたつ』と厨房に声がかかる。『はいよー』と答えた声でカウンターの上にはトレーがふたつ置かれた。そうして平皿に盛られたライスとスープ皿に盛られたコンソメスープ、そしてナイフとフォークが素早く並べられていく。最後にサラダと揚げ立てのポークカツが乗った平皿が中央に置かれれば完成だ。
『どうぞ』
『ありがとう』
えへへと笑いながらトレーを受け取り、空いている席へと腰を下ろした。『ここにするのか?』と横からかけられた声に『空いてたし』と答えフォークを掴む。
『飲み物持ってくるから待ってろ』
『んー、解った』
隣にトレーが置かれたのを一瞥したキーエルは、鼻唄を歌いながらフォークを口に運ぶ。
『ほら』と水が入ったコップを置き、レガルドは隣に座った。自身のコップをトレーに置けばキーエルに視線を遣り、ふっと笑みを浮かべる。
『うまいか?』
『おう!』
『そうか』
『あ、そうだ』と、キーエルはサラダをもしゃもしゃ食べながらレガルドに視線をくべた。ぶつかる瞳に、レガルドは理性を失いそうになる。しかし次の言葉で、違う衝撃が生まれた。
『勇者はなんで逃げたんだ?』
『は……?』
◆◆◆
――逃げたわけではないと、キーエルは本当に解っているのだろうか。『解った』と言ってはいたが、話を切り上げるための嘘ではないのか。
悶々としながら黙々と胃のなかに押し込んでいたが、ぐっと腕を引かれてはっとする。
「勇者!」
「……どうした?」
「おかわりしていいか?」
「おかわりは自由だからな。好きにすればいい」
「なら行ってくる」とトレーを持ちながらくるりと翻るキーエルは、カウンターで大盛りをもらってきたようだ。
「いただきますっ」
ガツガツと食べるその食べっぷりに感心する
「さっきのお返しな」
「それはどうも」
輝く笑顔に鬱々とした考えが一気に吹き飛んだ。理解をしていなくともいいか。この笑顔が傍にあるのなら、そんな小さなことはどうでもよくなる。
フォークを口に運ぶスピードを上げたレガルドは、数分後にポークカツセットを完食したのだった。