その女勇者(魔王)、勇者に溺愛されています。 作:白千ロク(玄川ロク)
「一緒に行く」
夕食後の一服にレガルドはやることがあると執務室に向かおうとしたところで、キーエルは「ひとりにするな」と裾を掴んで引き止めた。「お前の好きにしたらいい」と放つレガルドに「解った」と返せば、その顔は渋くなる。「なら好きにする」と腕に手を回して歩くよう促したのだ。
こんな恋人然としたことを容易くできるキーエルに戸惑い、躯が固くなるのはしかたがないことだろう。触れるのはいいが、触れられれるととたんにどうすればいいのか解らなくなるのだから。しかし一番の問題は、胸が当たることであったが。
「なあ、勇者。あとでレゴンの実食っていい?」
「お前はよく食うな」
「んー……、オレにもよく解んないんだけどさ、なんかすぐに腹がへるんだよなぁ」
「その理由は簡単だ。魔力が安定してないからだろうよ」
「なら安定したら治まるな、きっと」
「それは解らんが、それよりも早く手を離せ」
「なんで?」
「……当たるんだよ。胸が」
「え~、そんなこと言われたって、腕組むと当たるもんだろ? オレが当ててるわけじゃないし」
なに言ってんだと言いたげな顔をするキーエルだが、それでもレガルドは離せと言わんばりに腕を引いていた。その反動でたゆむ胸の感触にふたたび躯が動かなくなるのは、他でもないキーエルだからだ。キーエル以外の『誰か』であればすぐに
――嫌われたら終わりだ、と。
それでも、これ以上胸を押しつけられれば、理性が飛ぶのは解りきっていた。
「とにかく離れろっ」
「断る! 離したら勇者はオレをひとりにするんだろ!? そんなの嫌だからな!」
「――あのな、俺がキーエルをひとりにするはずがないだろ」
ぎゅうぎゅうと力を強めて離さないキーエルに、レガルドは言葉とは裏腹にとても困ったような顔をしていた。キーエルがそうだとはっとしたのは、男としてどうなるか理解したからである。そして自分自身もどうなるのかと考えたら、襲われる一択しかない。それはごめんだとキーエルは腕を離すことに決めた。
「……ほ、本当だな……。その言葉忘れるなよ! だから、腕を組むのはやめてやる。その代わり、手を繋ぐことにした。いくら配置が解っても、
「そうか」と頭を撫でられて腕を組むのをやめた先、差し出された手を掴む。剣ダコがあるそれは
「勇者の手」
「どうかしたか?」
「温かいって思っただけだ」
「そうか」
ぎゅっと握り返される手に、レガルドの心拍数は跳ね上がった。反してキーエルは「早くしろよ」と歩くよう促す。「……ああ」と答えて歩き始めたレガルドであるが、鼓動は速くなるばかりだ。
「ポークカツうまかったな!」
「調理人の腕がいいからな」
「魔王城にも腕利きのシェフはいたけど、あんなに腕のいい奴はいなかったもんなー。どこで捕まえたんだ?」
「募集をかけたら来ただけで、別に捕まえたわけじゃないぞ」
「そうなんだ。うちのシェフはじい様のころから仕えててさ、その子供が修業しながら調理場を受け継いでるな。いまはどうなのか解らないけど……」
語尾が小さくなるのは、思い出したからだ。レガルドに倒されたあとはなにも解らないということを。三年の月日も経っている以上、部下たちからは見切りをつけられたかも解らない。
なにか聞こうとレガルドを盗み見ればなぜか眉間に皺を寄せていた。意味が解らないと首を傾げれば、繋いでいた手が離されて抱きしめられる。
「ゆ、勇者……?」
「あまり昔の話をするな」
「え、あ……? はい……」
理不尽な言葉に思わずそう返事をしてしまったのは、横髪を梳かれたからであろうか。それとも、目の前の顔が歪んだままだからか。
そういえばと、また思い出す。頬を殴ってしまったなと。
もしかしなくとも歪んだままなのは――。
「痛い……、のか?」
手を伸ばして頬に触れるが、レガルドは飛び跳ねるように離れていってしまう。
「そ、そんなに痛いのか!? 大変だ! 医師を呼ばないと!」
「頬はなんともない」
「じゃあなんなんだよ? 痛いんじゃないの?」
じっと眺める瞳が一度伏せられ、「大丈夫だ」との言葉とともに腕を掴まれる。
「勇者?」
「ひとりにはしない。絶対にだ。だけどな、俺に触れられると困るんだよ」
「な、なんだよそれ。どういう意味だ?」
「どうもこうもない。行くぞ」
引き摺るように連れられる間も、キーエルは「どういうことだ」とレガルドに問い詰めていた。返答がないままでも。
「勇者!」
「おとなしく座ってろ」
執務室のドアが閉められ、ソファーへと押されるなか、キーエルはレガルドを睨みつけた。が、やはりそれはなんの効果ももたらさずあっさりと笑顔で交わされてしまい、頬を撫でられてしまう。感じやすいキーエルはそれだけで「ぎひゃっ!」と躯を竦め、薄く開いた唇からは艶かしい吐息を漏らしている。
「解ったらおとなしく座る」
「や、やめろぉ! バカバカ! 触るなぁ……! ちゃんと座る、からぁ……」
「いい子だ」
完全に白旗を上げ、涙を浮かばせながらもちょんとソファーに腰をかければ、レガルドの手が頭を撫でた。そうして執務机に向かうその背中を見据えながら涙を拭う。
流れ始めた雑音を聞きながら辺りを見渡すなか、執務机の背後に飾られた紋章旗に目がいった。誰がデザインしたのかは定かではないが、盾と花をモチーフにしていても重厚だ。しかし、中心にある盾を囲むようにデザインされた散る花弁が美しさを引き出している。
なんとなくだが、魔王城の紋章と重なるような気がした。あちらも同じように盾と花をモチーフにしているが、盾の中心にふたつの花が咲いているというデザインだ。その花というのは、最初に紋章を作り上げた魔王の妃が好きだったと言われている。そしてキーエルもその花が好きだった。
低い木々に咲くそれはいずれ赤い丸い実をつける。白い花にあるのは爽やかな甘い香りであるが、反して実は甘酸っぱい。そのままでもある程度はおいしいが、シロップなどに漬けたりすれば甘さが増してさらにおいしくなると言われていた。その木――シロアカはレゴンようにどこにでもあるわけではなく、魔王城の周りでしか見たことがないので、他では育たないのかもしれない。
昔を懐かしんでしまうと紋章旗から視線を逸らしたキーエルは、今度はレガルドに視線を遣った。机の上の書類を睨みながらも、万年筆を走らせている。
キーエルが魔王としていたころも、先代と同じように幾人もの勇者が挑んできた。返り討ちにするなかで、『レガルド・イレン』という名前の勇者の噂を耳にすることが多くなった。――彼は強いと。剣術も魔法もすごい男がいるらしいと。
魔王城はどうなっているのか。部下たちは、生きているだろうか。そして――大好きな母は、いまどうしているのか。
聞きたいが、聞けない。もしも最悪な答えが返ってきたらと思うと怖くて。
「泣くな」
「な、泣いてなんかない……っ!?」
いつの間にか目の前にレガルドがいた。その場に膝をついて。
ペロリと目元を舐められて仰け反れば、「キーエル」とさらに舌が這う。目元に、瞼に、頬に、唇に。その度にびくびく震えながらも顔を逸らそうと頑張ったが、レガルドの手に顎を取られてしまい、逃げられなくなった。目元の涙をまた舌が掬う。
「キーエル。なにを考えてた?」
「あ、あの……ひゃぅ……、ま、魔王城にょっ、ことっ」
「魔王城か」
「う、ん……。騎士団の紋章が、魔王城のと、似てる、から」
「お前はまだ目覚めたばかりだろう? いまは魔力を安定させる方に頭を使え」
顎から手を離して立ち上がったレガルドはどかりと隣に腰を下ろし、キーエルの腕を取って膝の上に座らせる。下りようと躯を捩るキーエルだが、腰に腕を回されて逃げられなくなった。
「っ、やだ……腰、撫でるなっ」
「お前が望むなら、魔力が安定したときにでも話してやる。だから余計なことは考えるな」
「でも……オレは、そんなの、できない」
「魔王だから、できない」と形づくられる唇を啄まみ、髪を撫でるレガルドは呆れたように息を吐く。
「お前は元魔王で、いまの時世にはなんら関係もない。それでもそういうつもりなのか?」
頷くキーエルに「まったく、真面目な奴だな」と返し、額にかかる髪を払った。つぎには唇を落として離れていく。
「それがキーエルか……」
「う、うん?」
「真面目すぎると息がつまるからな。たまには俺に吐き出せよ?」
「お、おう……? 勇者どうした? なんでそんなこと言うんだ?」
なんなんだと首を傾げるキーエルは、心底不思議そうな顔をしている。目を瞬かせれば、涙が頬を伝った。
「お前が泣くからだ」
「オレは泣いてないぞ!」
「解った解った。目から汗が流れたことにしてやるから、もう少しこのままにさせてくれ」
「い、いいけど、変なことするなよ?」
「守れるかは解らん」と、レガルドは言ったそばからキーエルの細い腰を撫でていた。