その女勇者(魔王)、勇者に溺愛されています。 作:白千ロク(玄川ロク)
「くぅ……ん、ゆーしゃぁ……」
背中を滑るボディータオルにキーエルの躯はぴくぴくと跳ねる。
「我慢しろ」
「そんにゃこと、言われても、無理ぃ」
鏡には手で口を覆っている姿が映り、声がくぐもる原因はそこにあった。うるうるした瞳でぷるぷる震えていれば、可哀想になってくる。可愛さと天秤にかければ可愛さが圧勝するが、風呂に入る度にこれでは身が持たないだろう。
「魔女に頼むことにするか……」
「頼むって……、な、にを?」
小さく吐き出した言葉にキーエルが答えれば、レガルドは視界の端に見える鏡から目を逸らした。濡れた肢体は目の保養でもあり――紛れもない毒だ。いまもって劣情を湧き上がらせる凶器である。
「もう少し感度を下げてもらう。交渉するにも金がかかるがな」
「でも、オレ、金ないぞっ」
「金の問題なら、お前が心配する必要はない」
「だ、だけどっ! ――ひゃぅっ!?」
自身に関することであるからして、気にならないわけがない。そう言うかのように肩越しに振り返るが、それを阻止するようにボディータオルが走った。
「おとなしくしろ!」
「……あい……」
血走る目に恐怖を感じ、鏡に向き直ったキーエルはおとなしく背中を洗われる。数分して「あとは自分でやれ」とボディータオルがぽんと手に乗せられるが、「待って」とふたたびレガルドの胸に押しつけた。立ち上がろうとしたレガルドは固まり、そうして眉を顰める。
「用は終わった」
「まだ、終わってない……。前も、洗ってくれ。その……、まだ中途半端、だし」
赤く染まる顔を俯かせながら紡がれた言葉に、我が耳を疑う。どうにかこうにかようやく背中を洗い終わったというのに、この先もまだ続くらしい。
「お前は俺をどうしたいんだ。本当にどうなっても知らないぞ」
「解ってるって! で、でも、口、塞いでないと、声漏れるし……だからっ……」
「しかたがないな」
呆れとともに短く返し、ふたたび膝立ちの格好で背後に戻った。顔が上がり、鏡越しに瞳がぶつかればまた俯く。
「勇者が、大変なのは解る、けど……、こんな躯にしたのが悪いんだからな」
モゴモゴ口を動かすキーエルに「そうだな」と返して、ボディータオルを伸ばして胸に宛がう。とたん「はぅっ!?」と躯を跳ねさせ、髪が踊った。
「あ、あっ……やだぁ!」
慌てて両手で口を押さえるキーエルではあるが、滑る手は胸の先端を愛撫するかのように入念に洗っており、思考がふにゃふにゃと溶けていきそうになる。
「ふっ……うぅ!」
「かゆいところはないか?」
ふるふる頭を振るだけでもいっぱいいっぱいだというのに、レガルドは「そうか」と短く返すだけだ。
「ゆしゃ……、ゆしゃ、そ、そんなに……っ、丹念にぃっ、あ、洗わっ、なくたって、い、いいんだぞっ……」
「洗うのなら丹念に洗わないと意味がないだろ」
「ん、あ……っ、ゆしゃ……っ」
ダメだと言っているのに聞く気はないらしい。いつの間にか耳朶に舌が這い、ちゅくちゅく聞こえる水音に返すのは嗚咽にほかならなかった。
「お願っ……、もっ……、許ひて、くだしゃいぃ」
「煽るお前が悪い。いいか、キーエル。――次はないぞ」
下腹部へと軽く投げられたボディータオルに、顎を伝う涙がぽたぽた落ちる。泡とともに流されていくのをぼんやりと眺めていたキーエルだが、シャワーを手に握らされて我に返り、レガルドを見つめる。立ち上がり、これ見よがしに前髪を掻き上げる姿を。嘆息を吐いた唇が「あとは自分でやることだな」と動くのはすぐだ。
「あ、ありがと……、ごめんなさい……」
「解ればいい。頼むから俺を乱すなよ」
「気をつける」
すんと鼻を啜りながら小さく頷くキーエルの髪を撫で、レガルドはその場をあとにした。大変歯がゆい思いを抱えながらも。
◆◆◆
据え膳食わぬはなんとやらではあるが、嫌われてまでする意味もない。そう言い聞かせながら着替えとタオルを脱衣籠に一度置きに戻り、イルガの自室に顔を出した。ドアを開けた瞬間、三面鏡に向かいパックをするその横顔が正面を向く。
「イルガ、少し出かける。あとは頼んだぞ」
「はーい……って、待って! え、出かけるって、いまから?」
三面鏡近くのタンスの上に置かれた時計を見遣り、イルガは目を瞬く。時刻は
「なにか不満か?」
「まさか。で、どこに行くの?」
「魔女のところだ。なるべく早く帰る予定だが、どうなるかは解らん」
「そう。解ったわ。気をつけて」
「ああ」
手に持ったままであった小切手を懐に忍ばせ、レガルドはイルガの部屋から翻った。
キーエルが脱衣場から抜けたのはそのすぐあとである。裾にフリルが施されたデザインの寝間着に渋々袖を通して髪を拭きながら廊下を進むが、脱衣場の入り口にも戻った部屋にもレガルドの姿はない。部屋の明かりを手探りで点けても、やはり静まったままだ。
「勇者……?」
どこに行ったというのか。自分を置いて。まさか、すぐさま交渉に向かったのだろうか。
「キーエル、ちょっといいかしら?」
「イルガ!」
コンコンと鳴るノックのあと、イルガが顔を出した。心情としてはすぐにでも来たかったが、パックをしたままで人前に出るのは美しさに欠ける。そんな考えから終わらせて来たわけだ。
走り寄れば頭を撫でられ、「なにすんだ!」とその手を叩き落としたのは言うまでもない。髪を頭の上で団子状に纏めた姿にキーエルはほうと感嘆する。
「似合ってるな、その団子。うまそう」
「ありがとう、けれど食べられないわよ。そうそう、レガルドは出かけてしまったの。それを伝えに来たのよ、私は」
「出かけたって、どこに?」
「魔女のところにいくと言っていたわね。いつものようにエルドの支払いじゃないかしら」
「イエバのところ、か。オレをひとり置いてな」
やはりと言えばいいのかは解らないが、行動が早すぎないだろうか。交渉うんぬん言ったときからまだ数十分ほどしか経っていないというのに。
あれだけひとりにはしないと言っていても、現実は『ひとり』だ。髪を拭きながら寂しげに口端を上げるキーエルに、イルガは「大丈夫よ」とふたたび頭を撫でた。
「キーエルはひとりじゃないわ。少し待ってて」
キーエルを寝台の端に座らせたイルガは奥の個室へと消える。防犯用にかけられた魔法を解除して。
数分して戻ってきたその両手にはプレゼントらしき包みがいくつもあった。赤や青色のリボンが口を縛り、柔らかな淡い色をした包装が寝台へと置いた手元に並べられる。
「ねこのぬいぐるみよ。色違いで四体あるわ。奥にはテディベアもうさぎのぬいぐるみもあるの」
「まさか、奥の部屋って……」
「当たり、そのまさかよ。寝台が入らないほどプレゼントの山になっているわ。買いすぎだと自覚しているのに、また新たに買ってくるのよ、あの人」
イルガの苦笑にキーエルの頬が染まっていく。滴る水を拭くかのようにタオルを口元に添わせ、「そうかよ」と小さく紡いだ。
「開けて見てみて。気に入るといいんだけど」
そっと渡されたひとつのプレゼントのリボンをほどき、ぬいぐるみを取り出す。黒色のねこの表情は、怒っているように眉根を寄せていた。
「怒ってるな」
「喜怒哀楽シリーズらしいわ」
「だから四体なんだな、ぬいぐるみ」
残りのぬいぐるみも取り出して四体全て抱き抱えれば、イルガに「可愛いわぁ」と抱きつかれてしまう。「ふざけんなって」と引き剥がせば、「キーエルが可愛いのがいけないの」と悪びれなく答えた。
「オレは可愛くないし、イルガのが美人だからな」
「嬉しいわ、ありがとう。寂しいなら一緒にいるけど、どうする?」
「戻っていいよ。ぬいぐるみがあるから大丈夫」
「そう、解ったわ。寂しくなったらいつでも来るのよ?」
「解った」
ヒラヒラ手を振るイルガに手を振り返せば、静かにドアを閉めた。広がる包装を片づけ、もう一度抱きしめるぬいぐるみからは仄かに日の匂いが感じられる。レガルドはどんな顔をしてぬいぐるみを買ったのだろうか。
「早く帰ってくるんだぞ」
無事に帰ってきますように。
イエバとケンカをしていませんように。
キーエルは明かりを消して寝台に潜り、四体のぬいぐるみを抱きしめて、目を閉じる。
イエバを泣かせたら怒るぞとそう思いながら。