その女勇者(魔王)、勇者に溺愛されています。 作:白千ロク(玄川ロク)
翌日からキーエルは手伝いに汗を流した。菜園の草むしりや水やりをし、厨房では野菜や果実の皮剥きをする。それはそれは上機嫌で。
レガルドからは「傍にいるだけで十分だ」と言われたが、「それはできない」と突っぱねたわけだ。なぜだと言わんばかりの顔に対し、なにもしないでいるのは嫌だと、魔王城のことを思い耽って寂しくなるとぽつりぽつりと紡げば、「お前の好きにしたらいい。ただし、危ないことはするなよ」と折れてくれた。
不承不承なのは眉間を寄せる顔から見て取れたが、「ありがとう」と礼を言えば、「他の奴にそんな顔をするな」と耳まで赤くさせて顔を背けてしまう。そしてその数時間後に、髪を纏めるためのコームやイルガのお古をくれたわけだ。最初こそイルガに教わりながらだったが、ひとつに纏めた髪をお団子状にするのももう慣れた。
魔王城にいたときも勝手に手伝いをしていたので、こういうことはもとから苦ではない。ただし、魔王城では手伝いを終えればすぐに「キーエル様のお手を煩わせるとはなにごとか」と、手伝った相手がお世話係に叱咤されていたわけだが。キーエルはそれを認めて手伝いをやめてしまったという話だ。『自分のせいで怒られるのは嫌だ』という至極真っ当な理由で。
「少しいいか?」
厨房の隅で鼻唄を歌いながらじゃがいもの皮を剥くキーエルに伸びたのは、レガルドの手である。背後から抱えるようにされ、ナイフが手近のテーブルに置かれるのを眺めることしかできない。
「勇者?」
「動くな」
「え、あ、うぅ……」
耳にかかる吐息がこそばゆく、そして胸が高鳴る。キーエルは伏し目がちになりつつも、レガルドの言う通りにしていた。動けば気づかれてしまうだろう。この赤い顔に。だからおとなしくなるしかないわけだ。「キーエル」と抱きしめる腕に力が込められたとき、「団長、そこ邪魔ですよー」と厨房にいたひとりから声がかかった。
「あとは私たちがしますので、キーエルさんを連れていっても構いませんよ」
「ならあとは任せた」と、レガルドは促されるままキーエルを抱えて歩き出す。慌てて赤面する顔を俯かせたキーエルはぎゅっと目を閉じた。最近の自分はおかしいと自覚している。レガルドに見つめられる度に胸の高鳴りが酷くなり、全身が熱くなるのだ。そうしてその折りに『このままではいけない』と考えつく。魔王が絆されてはいけない。好きになってはいけないのだ。――絶対に。
首まで赤くさせて「うー」と小さく唸るキーエルを眺めながら、レガルドは執務室のドアを爪先で押し開けた。こうなることを見越してストッパーを置いておいたので、足で開けるのは容易い。
ソファーへと腰を下ろせば、もう一度抱きしめる。今度は真正面から。レガルドは細い肩口に顔を埋めてほっと胸を撫で下ろしつつ、「は、離せって」と身じろぐキーエルのために腕を緩めてしまう。
「抱きしめられるのは嫌いか?」
「き、嫌いではない、けど……、勇者、はダメだ」
「そうか」とぐいぐい胸を押すその手首を取り、まじまじと眺めた。「な……なんだよっ」と狼狽える声を耳に、ざらつく皮膚に目を細める。幸いあかぎれはないが、それも時間の問題だろう。いくらキーエル自ら望んだとしても、こうして潤いを失う肌を目の当たりにしては気持ちが揺らぐ。自由にさせてやりたいと思う反面、閉じ込めたままにしたい。
湧いた黒い感情を打ち消すように、「なんなんだよ!」とキーエルが肩を叩く。吊り上げた眉に頬が緩み、飲み込まれてはいけないなと気を引き締め直したレガルドは、「離せ」と肩を叩き続けるキーエルを引き寄せた。――閉じ込める代わりに。
「バカバカっ! オレは離せって言ってるんだよ!」
「手荒れに効く薬を渡したはずだが、塗ってないのか?」
「面倒くさいからな! ルーさんに触れるときだって、べとべとだと嫌だし」
「なにが面倒だ。速乾性だからすぐに乾くだろうが」
「まったく」と指先に触れた手を「触るな」と払ったキーエルは反転させられ、背中に温もりを感じることとなった。
「勇者っ!?」
「逃げようとするからだ」
「お前が悪い」と肩口に顔を埋めると同時に、抱え直されてしまう。この甘い雰囲気に飲まれまいと、キーエルは声を上げた。
「勇者はっ、イエバのどこが嫌い?」
「この状況下でどうやったら魔女の話になるのか解らんな」
「イエバが来たからっ」
「……いつだ?」
「き、昨日。レディも一緒に」
「俺がいない間に誘い入れたわけか。なにをしたか言え」
魔女を嫌っているとはいえ、なにも言われなかったのはそれだけ信用がないからか。一瞬で機嫌を損ねてしまったレガルドから紡がれた声は低く、そして腹に回した腕に力を込めれば、キーエルの躯が竦む。
「キーエル」
「イ、イエバの勇者嫌いの理由を聞いたら……、勇者に聞けって、言われたんだよ! でもっ、勇者に聞いてもイエバに聞けって言われるし、もうわけ解んねーよっ」
自分が知らないだけで、ふたりには『なにか』があったのだろう。言えない男女の関係が。だから聞いてもはぐらかすのだ。
そんなのは嫌だとちりちり痛む胸を握りしめ、レガルドを一瞥する。への字に曲げられた口から、「魔女の話はしなくていい」と短く吐き出された。
「そんなの無理」
「なら、話を変えるぞ。明日は一緒に出かけるからな」
「い、一緒ってどういうことだ……? 問題はないのか、それは」
「ティーパーティーに誘われているんだ。それに、たまにはキーエルを外に出さないと、魔女がうるさいからな」
「ゆっ、勇者がどうしてもって言うなら、行ってやるけどさ」
「なんだ、ティーパーティーは好みじゃないのか?」
「飲み食いは好きだけども! けど……、性別変わっちゃったし、それに、オレだけ楽しむのは、みんなに悪いだろ……?」
ゴニョゴニョ話す言外に滲むのは想いだ。魔王城に対する。キーエルの周りにいた人々に対する優しさ。
「パーティーに参加したとして、魔王城の『みんな』はお前を責めるのか?」
「責めはしないな」
「なら、なにも心配することはないだろ。もしも責める奴がいたら俺が切ってやるから、安心しろ」
「ダメー!」
慌てて振り返ったキーエルは、真っ赤な顔でレガルドを抱きしめた。「切るの禁止! 解ったら返事!」と、速まる鼓動をものともせずに。
「……お前の言う通りにする……」
「だから離れろ」と引き剥がすのに必死なレガルドだが、それに気付いて動きが止まった。
「もう少し……、このまま、が、いい」
「みんなに、会いたい」と小さく紡がれた声は震え、ふたたび抱き寄せた温もりはすんと鼻を啜る。
キーエルは寂しさを募らせているのだ。もちろん――いまも。時折ひとり泣いていたことも知っていたが、「目にゴミが入った」と誤魔化されてはなにも言えなくなる。だが、その都度抱きしめて繰り返すのだ。付け入るように。優しく背中を撫でながら。
「――俺がいるだろ?」
「オレは……、勇者が嫌いなの」
返る言葉はいつも同じだ。首まで赤く染めながら、いったいどんな顔をしているのか。
緩く上下する肩を眺めるレガルドは、愛しそうに目を細めて「そうか」と溢した。
躯を密着させられつつ。