その女勇者(魔王)、勇者に溺愛されています。 作:白千ロク(玄川ロク)
一頻り泣いたキーエルは、ねこのルーさんをショルダーバッグへと戻して立ち上がる。帰る場所がないのなら、イエバのところに行こうと考えたのだ。彼女なら匿ってくれる。レディと一緒に温かく迎えてくれるだろう。
走って走って走ったら、忘れられるだろうか。いまこのときに賃金がなくてよかったと、心から思う。『歩いて行く』か『走って行く』の二択しかないのだから。
ここから『魔女の森』まではかなりの距離があるが、いざとなったらイエバが助けに来てくれるかもしれない。だからキーエルは走り出した。降り頻る雨のなかを。
――思い出した温もりを振り切るために。
◆◆◆
「キーエルが城の外に出ただと!?」
レガルドは声を上げ、捕まえた兵士に詰め寄った。
「は、はい! 急いでいたようなので、声をかけそびれましたがっ」
「もういい、行け」と追い払ったその手でぐしゃぐしゃに髪を掻き上げ、レガルドは深く深く息を吐く。床に落としたハンカチを発見したはいいが、そのまま長い時間戻ってこないキーエルになにかあったのかと城のなかを探すと同時に、見つけた兵士を捕まえて「キーエルを見ていないか?」と聞き回っていたが、ようやく理由が判明して胸を撫で下ろした。
「道理で! 戻ってこないわけだ……」
壁を殴りつけるその顔は安堵から怒りに変わっている。不甲斐ない自身に対しての怒りへと。
「随分と嫌われてるなー」
「もう一度殴られたいようだな、お前は」
リーザンを振り返るレガルドの目付きは鋭い。ふたたび大きな地雷を踏んだリーザンであるが、当の本人は「断る!」と胸を張っていた。イルガは「落ち着きなさい」と、憤りに堪えているレガルドの腕を引く。
「いまはケンカをしてる場合じゃないのよ! 早くキーエルを探さないと!」
「お前はキーエルの行きそうな場所が解るのか?」
「解るわけないでしょ! 今日以外は一度も外に出てないじゃないの! ――アンタが出さないからっ」
ここにきて『隷属の首輪』を外したのが仇となるとは思わない。居場所が解る最良の機能を失ったのだから。
「とにかく外だ! 探しに行く。お前たちはここにいろ」
「は!? ちょっと待って! アンタひとりで探す気なの?!」
「キーエルが戻ってきたときに、リーザンだけだと不安なんだよ。他でもない俺がな。八つ裂きにしないようにしろ」
「頼む」と縋る手を握りしめ、「解ったわ。見つけたら連絡して」とイルガは大きく頷いた。いまいち納得をしていないのはリーザンひとりだけである。「お前らおれが八つ裂きにされるの前提で話すなよ」と。
「うるさいわね! 空気を読めないヴァカを相手にしている時間はないのよっ」
「バカだけやたら発音いいな。というより、おれは空気を読めないわけじゃないぞ。あえて読まないだけなんだ! あえてな!」
「結局読んでないじゃないのよ!」
旧友のそんなやり取りを他所に、レガルドは走り出していた。キーエルと、愛しいその人の名を口にして。
◆◆◆
どこをどう走ったのかは定かではないが、町外れの森に出てしまったようだ。小雨へと変わった景色のなか、走り疲れたキーエルはのろのろと歩いていた。
長時間雨に打たれたお蔭で躯は冷えきっており、上着もスカートもぴったりと張りついてしまっている。しなやかな姿態を浮かび上がらせつつ、肌着が顔を覗かせていた。その肌着も雨を吸って大変なことになっていたのだ。走る間に町の男たちが振り返ったり凝視していたのはそのためである。涙を拭うキーエルは、いま自分がどんなに扇情的な格好をしているのかさえも解らない。
――レガルドが王子を好きになるより先に、自分が「好きだ」と伝えていれば、結末は変わっていただろうか。
さきほどから、キーエルの頭のなかではその言葉が巡っている。未練がましいよなと自嘲気味に笑えば、「やだっ! 離して!」と子供の声が聞こえてきた。近くからのようで大きく聞こえたその声に、躯が竦んでしまう。
「な、なんだ……?」
いったいなにがあったのかと気になりつつも声を頼りに走れば、薄暗い森のなかでウサバールの子供が四体のゴブリンに囲まれているところであった。薄暗くとも、ゴブリンにつけられた赤い首輪が目につく。ということは、このゴブリンたちには『主』がいるのだ。子供を襲うなどと思いつく、邪な思念を持つ『主』が。
ふたりの子供はなにかを庇うように抱きしめながらも伸ばされる腕を一生懸命払ったりしているが、所詮は子供の力だ。大した威力はない。
「やだ! やだ! 来ないで!」
「お姉ちゃんに触るな!」
声からして弟だろうウサバールが前に立ち塞がった。『お姉ちゃん』を守るために。震えながらも、それでも勇気を振り絞って。
息を殺していたキーエルは、我慢の限界だとソードホルダに手をかけた。魔法に関してはダメダメでも、自分には剣がある。レガルドにイルガ、そして騎士団のみんなと比べれば剣の方も全然だが、自身も勇者の端くれだ。だから、この子たちを助けなければならない。いまやらなくていつやるんだと、短剣の切っ先をゴブリンに向けて叫ぶ。
「こっちだ! お前たちの相手はオレがしてやるよ!」
ギョロりと向く血走った八個の瞳に怯みそうになるが、躯を翻して駆け出した。「ウサバールたちは逃げろ! できるだけ遠くに!」と言い残して。
遠くに逃げろと念じながらぬかるんだ道なき道を抜けた先は、開けた場所であった。しかしそれは崖へと続いており、キーエルの逃げ場はここで失ってしまったことになる。
「っ……、くそ……」
もっと遠くに行かなければ。あの子たちが逃げられる時間をつくらなければ。
まっすぐではなく、曲がった道を通っていたらよかったのか。肩で息をしながらぐるぐる考え、顎を伝う汗を拭い気づく。雨が止んでいたことに。だが、感慨深くなる瞬間はない。ゴブリンたちの足音に、とっさに木の影に隠れたのだから。風に靡いた髪のお蔭ですぐに見つけられてしまったが。
「女、ミツケタ」「女、ミツケタ」との声に頭が真っ白になり、顔面蒼白になる間に髪や腕を鷲掴まれて木の影から引き摺り出された。そして、その拍子に短剣が手から地面に滑り落ち、鈍い音を上げる。
「い……っ」
痛みに顔を歪めるが、ゴブリンにはどうでもいいことらしい。「ミツケタ」「ミツケタ」とそのまま開けた場所の中程まで引き摺ってきたのだ。
――これからなにをされるかと不安が募る。この状況からでは最悪な答えしか浮かばなかった。いや、まさかなと思えば、ゴブリンたちは「女」「女」と口々に紡ぎながら、腕を伸ばす。その勢いに倒れるしかないキーエルは、二体のゴブリンにがっしりと手首を押さえつけられてしまった。
「嫌だっ、やめろっ! ふざけるなっ! や――!」
必死で叫ぶ
豊満な胸が現れた瞬間、一体のゴブリンが馬乗りになり胸を揉み始めた。湧き上がる嫌悪に「触るなっ、離せよ!」と足をばたつかせても、残るゴブリンが足首を掴んで離さない。
「痛い」と顔を顰めても離すことはなく、柔らかな胸はその手のなかで形を変えていく。この胸はゴブリンに嬲られるためにあるわけではないのだ。断じて。
「触るなっ! くそっ……! 触るなぁ!」
浮かんだ涙に視界がぼやけるなか、助けてくれるはずの人を失ったのだと思い出す。『女』としての『初めて』を捧げたかったその人を。
キーエルは観念して目を閉じた。頬を伝う涙を拭うのはもう自分しかいない。それならば、時間を稼げばいい。
――あの子たちが逃げる時間を。
震え出したこの躯を、少しでも役立てなければ。
◆◆◆
城下町の外れまで走り回ったレガルドは大きく舌を打った。行きつけだった店やキーエルが行きそうな場所を考えながらしらみ潰しに探したが見つからない。どころか――誰も見ていないと宣ったのだ。手懸かりのひとつもなく、徒労に終わる。
正面に鬱蒼と茂る森に対し、『まさかここにいるのか?』と不安と期待を滲ませれば、「助けて!」との声が響いて止まない。
「誰か助けて!」
なにごとかと呆然としていれば、ウサバールの子供が森から抜け出てくる。ウサギミミが揺れ動いた一瞬のち、涙に濡れた顔がレガルドに向けられた。
「お姉ちゃんがっ!」
「ゴブリンに追いかけられてるの!」
聞いた『お姉ちゃん』に、レガルドはすぐさま森を駆けていく。濡れた全身を気にする素振りもなく。ウサバールの子供に「動かずにここにいろ」と言いつけたのは走り出してからなので、聞こえていたのかは解らない。
――髪の綺麗なお姉ちゃんが私たちを助けてくれたの!
――ねこのぬいぐるみをバッグに入れてた!
走る道すがら携帯端末を取り出してイルガに連絡をとる。『はい』と出た声に被せるように口を開いた。
「――イルガ! 森に来い。ウサバールを保護しろ」
『……え、えっ? ウサバールを保護……? ウサバールがどうして森にいるのか解らないけど、とにかくキーエルが見つかったのね!』
「まだだ! とにかく森に来い」
『まだってアンタ! どういうことよ!?』
「黙れ。要件は伝えた」
そう言うと端末をしまい、一度立ち止まる。キーエルの『軌跡を辿る』ために。これを最後の手段としたのは、魔力の消費が高い高等魔法だからだ。発動させた刹那、青白い光の点と線で示される『軌跡』はこの先の崖に続いているらしい。魔法を消すのももどかしかったが、近づいて解るのは、くぐもった声と濡れた音。
ずっとあった嫌な予感が的中してしまうかもしれない。自身が欲して止まない『最高の女』であるキーエルがひとりでいるとなれば、どうしても危険がつき纏う。それでも、どうか無事でいてほしい。――どうか。
そう願いながら木々を抜けた先にある光景に、レガルドは目を見張った。そして、すぐさま湧き上がる怒りで理性が溶けていく。四体のゴブリンたちは、『誰のもの』に触れているというのか――。
◆◆◆
「ウサバールってどういうことだ?」
「解らないけど、とにかく森に行きましょうか。話はそれからよ」
「森……ね」
「――あの噂は本当かしらね……」
考え込むイルガにリーザンは「どうだろうな」と返す。
『森には盗賊がいる』という人々の噂は騎士団まで届いていた。嘘か真実か確証が得られていないいまはただの噂でしかないが、盗賊らしき男たちに金品を奪われたという商人の証言もちらほら寄せられている。
「まあ、『盗賊』が身を潜めるには最適な場所だろうよ」
「噂の出所は解らないけど、そろそろ確かめないといけないと思っていたからちょうどいいわ」
ウサバールの保護を優先し、そのあとは森の巡回をしなければ。
住民の安全を守ることも、騎士団の役割のひとつであった。副団長としての顔を覗かせたイルガには、いつもの柔和さはない。きりりとした顔つきでリーザンを見据えている。
「早く行くわよ」
「ちょっと待てって。ウサバールに食わせるためのクッキー包むからさ」
「はいはい。私は先に行ってるから、あとから来なさい」
手をつけていないクッキーをハンカチに並べ始めたリーザンを尻目に踵を返すその姿も、やはり普段とは違い凛々しかった。
◆◆◆
次はなにをされるのだろうかと、キーエルは空をぼんやり眺めながら霞む思考で考える。こうされる覚悟を決めても、触れた先から湧き上がる恐怖に震えが止まらない。離された袖を噛んで堪えるのが精一杯だ。
「ふ……ぅ……! うぅ……!」
三体に上半身を弄られては下半身に顔を埋める一体をやり過ごすのに、どれほどの時間が経ったのだろうか。乾いた涙のあとを消し去るように、新しい涙がボロボロと地面を濡らしていく。
嬲り者にされている有り様を目の当たりにしたレガルドが怒りをぶつけるように魔法を発動させたらば、ゴブリンたちは吹き飛んでいった。瞬間、長剣に手を伸ばして宙に浮く肢体を切り裂いていく。その忌々しい四肢を落とすために。
「……な……、にぃ……?」
漂う血の香りと身軽さに疑問を感じたキーエルは、視線をさ迷わせて言葉を失う。四肢を失ったゴブリンたちの前に、剣身についた血を払うレガルドの姿があった。どうしてここにいるのかと、目を丸めるしかない。
「ゆーしゃ、……なんでぇ?」
「なんでもなにもあるか」
浮かぶ涙を溢しながら「なんで、ここに」とか細く紡ぐキーエルに「まったく」と呆れたように息を吐いて、長剣をソードホルダーに戻す。その高い音が響いたとたん、「ゆーしゃっ、ゆーしゃぁ!」と抱きつかれたが、しっかりと受け止めた。
ここにいる理由は解らないが、助けてくれたことは素直に嬉しい。キーエルが飛びついた理由はそれだ。しかし、「キーエル」と強く抱きしめる腕にはっとするのに時間はかからなかった。温かなこの腕は、自分のものではない。リーザンに触れるためにあるわけだ。これ以上溺れてはいけないと、腕を突っぱねる。ルーさんを探すのを口実にして。
「そうだ……。オレ……、ルーさんを、探さないと」
「あとで俺が探してやる」
「それじゃあ、ダメなんだ」
いま離れないといけないというのに、抱きしめる腕の力は緩まない。どころか、強くなっている。離す気はないと物語るかのように。
「……離せって……」
「キーエル」
「ダメなんだってばぁ」
目元に近づけられた顔に頭を振れば、レガルドはふたたび「キーエル」と紡いだ。寂しさを滲ませたその声に、胸を鷲掴みにされてしまう。
「俺に触れられるのは、泣くほど嫌か?」
「ち、がっ……! 違う、んだ……。だって――わっ!?」
「違うというのなら話しはあとだ。ここは任せるぞ、イルガ」
「ええ、任せて」
「いま離れないと離れられない」との言葉を紡ぐ前に担ぎ上げられたキーエルが見たのは、ゴブリンを縛り上げるイルガの姿である。物音ひとつもしなかったお蔭でいつからそこにいたのか見当がつかないが、四体のゴブリンは四肢を戻されて纏められていた。
その塊に向けられたレガルドの視線は鋭く冷たい。「お前たちには役目があるからな。手足をもがれただけで終わったことをありがたく思え」と吐き出す言葉さえも。
「男コワイ」「男コワイ」と騒ぎ出すゴブリンたちから視線を逸らしたレガルドは「いいか、キーエル」と口を開く。「な、なんだよ」と視線を合わせた瞬間、目を細めるその姿に顔が熱くなった。見られまいと躯を密着させ、もう一度肩口に顔を埋める。
「――お前の一生は俺のものだ。なにがあろうとな。もう手加減はないぞ」
その言葉の意味を聞くより早く、レガルドは魔法を発動させた。