その女勇者(魔王)、勇者に溺愛されています。 作:白千ロク(玄川ロク)
騎士団に備わっている食堂は賑わっていた。がしかし、レガルドが現れたとたん、いままでの賑わいが嘘のようにしんと静まる。いつもであるのなら賑わいを取り戻すのにも時間がかからないが、いまは事情が違う。抱え上げられた先に視線が集中していたのだ。
「離せ」「下ろせ」と暴れていたキーエルだが、一角に下ろされてからは俯いてしまう。突き刺さる視線を遮るかのように。わしゃわしゃと頭を撫でるが、キーエルは動かない。赤く彩られる耳を撫でる間もぷるぷると震えているだけだった。それはレガルドの加虐心を煽るだけであるが、押し殺しながらなんとか振る舞う。これ以上嫌われるのはごめんだとして。
「なにが食いたい?」
「なんでもいい」
「解った」
ボソボソと紡がれる声とは真逆のぽってりとした色っぽい唇にいますぐにでも吸いつきたくなるが、息を吐いて己を落ち着かせ、髪を撫でるだけに
ちらりと眺める背中が小さくなり、キーエルは目元を拭う。滲んだ涙を素早く。自分は見世物小屋かと羞恥と恐怖が湧き、動けずにいたのだ。
首輪が擦れて痛みが走るそこに触れ、もう一度唇を噛んだ。魔王と言われる自分が、支配する立場の自身が、まさか支配される立場になろうとは。しかも逆の性別にされ、あろうことかキスをされるなんて。その上、逃げることは許さないときたものだ。そうなれば、逆らうしかないだろう。
しかし逆らうにしても、力の差は歴然だ。勝てる見込みはない。どうしたものかと思案しているうちに、レガルドが戻ってきてしまう。その手にトレーを持ちながら。
「ほら」
目の前に置かれたトレーに並んだ木皿のひとつには、スープが入れられている。乳白色のそれは野菜たっぷりであり、湯気が立ち込めて辺りにいい匂いを漂わせていた。その横に並べられた木皿にはパンが乗せられ、奥に置かれたコップには水が入れられている。
キーエルはそれを眺めるだけで手には取らない。空腹ではあるが、いまだにどうしたものかと考えていたのだ。勇者に勝つにはどうすればいいのかが頭を巡っている。
「キーエル」
隣に腰を下ろしたレガルドはキーエルの肩を引き寄せて、同じく木製のスプーンでスープを掬い口に運ぶ。スプーンの先で唇を軽く押し、食べるように促すが閉じられたままだ。
「毒は入ってない。信じないなら、俺が毒味をしてやる」
「そんなこと……しなくていい」
もしも本当に毒が入れられていた場合、レガルドが死んでしまう。そうなれば魔王が勇者を殺したと噂されるだろう。いや、その前にここで殺されるのがオチだ。
まだやりたいことがある。部下たちがどうしているのか確かめなければ。だから死ぬわけにはいかない。
そうだと、キーエルは『勇者に従うこと』を決意した。――渋々だが。
そうと決まれば、唇を薄く開く。スープが流れ込んでくるのかと思えば、レガルドの唇が落ちてきた。
「ん、んっ……!」
口内を蠢く舌に顔が熱くなる。ぎゅっと目を閉じた数分後に離され、乱れた息を整えていれば、胸に押しつけられてしまう。キーエルは「んみゃっ!?」と驚くが、頭上では「くそっ」との声が吐き出され、「なんで我慢ができないんだ」とか「だから怯えさせるんだろ」とかぶつぶつ呟いている。
「苦しい」と息苦しさに躯を捩れば、気がついたのか手が緩んだ。その隙を突いてレガルドを見上げるが、フイと顔を背けてしまう。
「勇者……?」
「……なんでもないから早く食え」
「え、あ、ああ。あ、そうだ。さっきは言えなかったけど、持ってきてくれてありがとうな」
完全に手を離され、キーエルは座り直してスプーンを手に取った。「いただきます」と。そうしてほくほくの野菜を掬い、口に運ぶ。
「……うまぁ」
うまさにへらりと口元が緩み、木皿を持ち上げてがつがつと食べ始めた。パンもあっという間になくなるが、まだ腹は満たされない。
「あれ?」
おかわりはできるのかと辺りを見渡すが、隣にいたはずのレガルドが消えていた。酷い扱いを受けているが、いなくなったらいなくなったで心細くなってしまう。特にいまは知り合いなどいないのだから。
「っ……」
このままひとりになるのだろうか。しかも敵の陣地で。それはいくらなんでも嫌だ。突き刺さる視線を感じたとたんに、胸が締めつけられていく。
「勇者のアホ!!」
「――あら、ここで団長をアホ呼ばわりしてはダメよ」
背後から聞こえた声にびくりと肩を竦め、振り返る。そこには木皿を持つ人がいた。この人は女――だろうか。声は男のものだ。背が高く一見すらりとしているが、漂う雰囲気は男そのものである。
「……何者だ」
「私は副団長のイルガ・ココニルよ。おかわり欲しそうな顔してたら持ってって団長に言われたの」
「勇者、が……?」
「ええ。それと私はね、可愛いものが好きなの。服も髪型も人も――ね」
テーブルに置かれたスープにすぐに口をつけ始めたキーエルは眉を寄せた。
「はぁ? 勇者は可愛くないだろ」
「あの人はカッコいいに入るわね。強くて鬼畜なところが堪らないわぁ。もっといじめてほしい」
隣に座るイルガは、頬を染めてうっとりとした顔になる。唇に指を添え、はぁはぁと熱い息を吐き出しながら。
「勇者はただの変態でカッコよくはない」
またもペロリと平らげ、中身を失った皿を重ねるキーエルは苦々しげに言葉を紡いだ。
「ねぇ、レガルドになにをされたの?」
「なんでもいいだろ」
「さっきみたいなキスされた? それとも――」
イルガの人差し指が向けられ、耳元でなにかが弾けるような音がした矢先、躯が動かなくなる。これはレガルドと同じような、行動制限魔法だろう。
「もっと先のこともした?」
「お前……、何者だ……っ」
「言ったでしょう? 副団長、兼」
――レガルドの恋人。
耳元で囁かれるその言葉に、キーエルは目を丸める。恋人がいるのなら、『隷属の首輪』をつける意味がないだろう。
「なん――んむっ!?」
唇を舐められ、胸を揉まれる。「なんだって!?」という言葉は飲み込むしかなかった。いますぐにでもその手を叩き落としてやりたいが、それは叶わない。どうしてか魔法が解けないのだ。仮にも『魔王』だったはずなのに。
形を変えるたわわな胸を眺めながら、唇を噛む。悔しさを滲ませるその瞳に、イルガは「可愛いわぁ」と口端を上げた。
「や……め、っ……ろ」
「柔らかぁい」
「ひっ、ぁ……、や……だ」
「あらぁ、あんまり触ってないのにコリコリしてきたわね」
「あっ……んっ! や、め……っ」
指先で先端を押し潰されぐりぐりと弄られるが、感じやすい躯には毒にしかならない。
「ふ、ぁ……、あ……あっ」
「可愛い」ともう一度キーエルの唇を舐めたイルガはそのまま口づけ、口内を貪り始める。舌を押し返そうとしても、快楽に耐えるなかではうまくいくはずもなかった。
「ん、ぅ……、や、ぅう……」
滲む涙の向こうに人の気配がある。揺れるその空気から察したことは、とてつもなく冷たいということだ。
「イルガ、お前、なにをしているんだ……?」
抑揚のない淡々とした声だが、それが逆に怒りを表していた。
レガルドはすぐにイルガの首根っこを掴んで引き剥がし、「早く答えろ」とせつく。反して返ってきたのは、「なにってぇ」と間延びした声である。
「『可愛い子にはキスをしろ』って言うでしょ?」
「それはお前の
「ゆしゃ……」
どこからか取り出されたハンカチで顔と唇を拭われてふわりと抱き上げられたキーエルは、その首に腕を回してぎゅっと抱きしめた。ほっとした顔でふたたび唇を拭い、はーと長い息を吐き出す。
「なんなんだよ……。ここには変態しかいないのか」
「言っておくが、俺は変態ではないぞ」
「どう考えても勇者は変態だっ」
「少し黙れ」
一方的に話を切り上げられ、頭を肩口に押さえつけられたキーエルは、反射的にじたばたと暴れた。だがそれもレガルドに髪を撫でられてやめてしまう。少し前に、逆らわないと決意したのだ。だから足掻くのはやめようと、息を整えることに専念する。決して髪を撫でられることが心地好いからではない。決して。
無意識に頬を擦り寄せるキーエルの髪を撫でたまま、レガルドはイルガを見据える。
「――イルガ。『用があるから出ていく』んじゃなかったのか?」
「だかられっきとした『用事』でしょう?」
「どこが『用事』だ。これ以上キーエルに変なことをする気なら、調教部屋にぶちこむぞ」
「それはやめてよ! 解ったわよ。解りました。だからそんなこと言わないで。私が悪かったから」
「調教部屋……? すげー怪しい部屋名だけど、そんなところに入れるなんておかしくないか? イルガは勇者の恋人だろ?」
「調教部屋は調教部屋としか言いようがないが、変な冗談はやめてくれ。コイツとつき合うぐらいなら俺はお前と――」
肩口から顔を外すことができたキーエルの問いに返るのは、レガルドの心底嫌そうな顔だ。しかしキーエルはその顔を見ないまま、ふたたび肩に寄りかかってしまう。
「あ!」
「……どうした?」
「あれ、レゴンの実だ」
大皿に盛られた赤い実が目に入り、おもわず声を上げた。キーエルの瞳は瞬時に輝き、レゴンの実に釘つけ状態だ。そんなものだから、レガルドが額に口づけをしたのも覚えていないだろう。
「食いたいのか?」
「食っていいなら食う! ちょうどいいから運べよ」
キラキラと輝く瞳が向けられれば、レガルドは目を細めた。「解った解った」と一笑しながらふたたび額に口づけるが、今度は「なにすんだ、変態!」と肩を叩かれてしまう。
「コイツは変態より鬼畜だよ、キーエル。そんで、そのまま嫌ってて。いい気味だからさ」
にやりと笑うイルガの足を踏んだのは、手を出した仕返しと八つ当たりである。
「痛ぁい……! もうっ、私の綺麗な足を踏まないでよ」
「お前が悪い」
「行くぞ」とキーエルを抱えたまま、レゴンの実があるテーブルに近付いていく。「意地悪っ」と頬を膨らませるイルガを置いて。
「ここのはわりと大きめなんだな」
皮に包まれていても甘い匂いを放つレゴンの実をひとつ手に取り、キーエルはそれを観察する。
自分が知るレゴンの実は手のひらサイズともう少し小さい。だが甘さは抜群で、とてもおいしかった。
「ああ。他の地域と土が違うからな」
「そうなのか。うまいんだよな、レゴンの実。魔王城の近くの森にも生えて、て……――っ!」
はたと失言をかましたことに気つき、キーエルの顔は青くなっていく。
「キーエル?」
「にぎゃあぁあ!」
「なっ……!?」
動かないキーエルに声をかけたレガルドだが、頬を手荒く打たれて抱きしめていた手が緩んでしまう。キーエルはそれを見逃さず、そのまま飛び降りて走り去っていく。垣間見たその顔は青ざめていたが涙も浮かんでおり、潤んだ瞳がとてつもなく情欲をそそった。
「くそ……、油断した」
足元に転がったレゴンの実を拾い上げたレガルドは打たれた頬を撫でつつも、それを戻した。そうしてすぐにその場から駆け出す。
逃げたなら追いかける。どこまでも追いかけて追いかけて追いかけて、逃げられないようにするのだ。